#1
とある近代的なコンクリートの建物がいくつか並ぶ場所の一角に、それはあった。3階ないし4階建ての周囲の建物もそれほど高いとは言えないが、それはさらに低く、そして木造建ての80畳くらいだろうか、小さいながらも一際存在感を示していた。それもそのはずである。なぜなら――――――
「きゃぁぁぁ、北郷せんぱーい!」
「一刀君、頑張ってー!」
「かずピー、わいと結婚してー!」
――――――その建物の入り口には二十人は超えるであろう少女たちが、それぞれ同じ制服をきて、黄色い声をあげていたからだ。
「あの…不動先輩、なぜに皆さんは竹刀を構えて俺を睨んでるですか?」
「自分の胸に手を当ててよく考えてみろ、北郷一刀」
男女入り混じって十数人の剣道着を着た部員たちが円を描くように、竹刀を構えている。その中に不動と呼ばれた女生徒と北郷と呼ばれた男子生徒が立っている。二人は周囲と同じく剣道着を着ているが、面や小手、胴といった防具はつけていない。
「わかりません」
「お前は阿呆ですか?あぁ、阿呆ですね」
「ヒドっ」
どうも、この不動という女子は部活のリーダー的立場であるらしい。周囲も何か言いたいことがあるようだが、黙って竹刀を構えて立っている。
「黙りなさい。いい加減部活に彼女を連れてくるのは辞めてもらえないか?だいたい、彼女が何十人もいるってどういうことだ?見せつけてんのか?あ?モテ自慢してんのか、コラ?」
「いやいやいや、彼女じゃないし。ていうか俺が言っても聞いてくれないんですよ」
「お前のことだから、どうせ優しく対応してるんであろう?で、余計にファンが増える、と」
どうも入り口の女生徒たちはこの北郷のファンであるらしい。そして彼の周囲にいる男子部員の目は嫉妬に燃え、女子部員の目はただ北郷と何か共にできる今を楽しんでいるようでもあった。
「まぁ、ウチの男子部員で彼女がいるのはアンタだけだしぃ?」
「彼女じゃな―」
「黙れ。とりあえずこいつらの鬱憤晴らしに付き合ってあげてくれ」
「え、この人数相手にするんですか!?というか男子はまだわかるとして、なんで女子も混ざってんの!!?」
「あぁ、私が許可したんだよ。『北郷をぶちのめした奴と北郷を付き合わせる』ってな」
「ちょ、なに勝手に決めてんの!?」
「なぁに、嫌なら勝てばいいわけだ。なぁ―――」
と、ここで不動が言葉を切り、北郷の頬に顔を寄せて囁いた。
「―――『北郷流次期当主』様?」
二人の顔が急接近したことにより、周囲から黄色い声や、嫉妬の叫びが響き渡る。
「………どうやら本気で相手して欲しいようですね、不動先輩」
しかし中心にいる彼はそれを気にすることもなく、いつになく真面目な顔で返答した。
別に彼は部活を馬鹿にしているわけではない。彼がこれまで十数年行ってきた修行に比べれば軽いものだが、部員たちは未熟ながらも頑張っている。時にはツッコミで叩かれたり、北郷の人気に嫉妬した男どもが飛び掛ってもみくちゃにされたりすることもある。
だが、それはいち学生としての北郷一刀だ。しかし―――
『北郷流次期当主』
この名前を出されたら、たとえ部活でも負けることは許されない。師匠でもある祖父の教えは、『北郷流は絶対に負けてはならない。そのためなら何でもしろ』である。実際に口を酸っぱくするほどに祖父は繰り返していたし、一刀も祖父との稽古以外で砂を舐めたことは一度もない。
「ずるいですよ、不動先輩。その言葉を出されたら、俺、負けられないじゃないですか」
「よいではないか。他の者たちはどうか知らぬが、私は本気のお前と戦ってみたいのだ」
「わかりました。じゃぁ………来いよ」
その言葉と共に一刀の背後の生徒が竹刀で斬りかかってきた。
後ろから飛び掛ってきた男を右に軽く移動することで避け、すれ違いざまに足をかけて態勢を崩し、不動へと投げつける。
「それっ」
「なんと!」
不動は一瞬驚きの表情を浮かべるが、それでも冷静に対処する。北郷はというと、そんな彼女の動きを横目に一番近くにいた、右の女子部員へと向かう。
「めぇぇん!」
彼女も正眼の構えから竹刀を振るうが、甘い。それを横に回転することで避け、その勢いに任せて背後に回り込み、首筋に手刀を打ち込む。気を失い崩れ落ちる彼女を捨てて、次の標的へと狙いをつける。
「小手ぇぇ!」「どぉぉぅ!」
左右から攻める二人に対して、北郷はあえてその中に飛び込み、その軌道をずらす。
がきぃっ!
二人の竹刀がぶつかったと思ったら、北郷の足によって押さえつけられ、二人は内側へと体勢を崩す。そこに北郷は二人の頭をつかみ、思い切り両腕を中央へと振った。
ガチッ!
硬い音が響き、頭を互いにぶつけられた二人は倒れこむ。次は―――
北郷はさほど広くはない道場内を縦横無尽に駆け回る。時には足に蹴りを入れて動きを止め、あるいは腕を竹刀でうち武器を落とさせ、時には相手の勢いを利用して投げつけたり、とにかく攻撃をさせなかった。
そうしているうちに、気がつけば道場内で立っているのは二人のみとなっていた。
「相変わらず優しいな、北郷は」
「………何のことですか?」
不動は周囲を見渡して答える。
「男どもは別だが、女子に関しては全員気を失うだけで、腕にも脚にも痣が残るような攻撃はしていない。だから優しいと言ったんだよ」
だからモテるんだろうな、という呟きは北郷には届かなかった。北郷の気にあてられたか、入り口にいた女生徒たちも固唾を飲んで勝負の行方を見ている。
「偶然ですよ。それより、あの賭けはなしですね」
「賭けとは?」
「俺に勝ったら俺と付き合える、ってやつです。もう皆夢の中ですよ」
北郷は竹刀で肩を軽く叩きながら答える。
確かに、部員はみな気を失っているが―――
「何を言っている?まだ私がいるじゃないか」
「不動先輩は色恋沙汰には興味がない、って以前聞きましたよ?」
「あんなもの言い寄ってくる男どもへの牽制に過ぎん。言っておくが、私はお前が好きだぞ、北郷一刀?」
「………は?」
「私より強い、というか剣道は小中高とずっと全国一位。成績は常に上位。さらに気立てもよく、人助けをしてもそれを鼻にかけることはしない。あと、実家が大地主。ほら、惚れる要素なんていくらでもある」
「最後の以外は、まぁわからないでもないですけど………」
「なぁ、北郷…」
そう小声で呟いたかと思うと、不動はなんの構えをとることもなく、北郷へと近づいた。北郷も攻撃する気がないことを本能的に理解しており、下がったり、竹刀を振るったりはしない。そうして、不動と北郷の距離が15cmほどになる。身長差があるから、当然、不動が北郷を見上げる形になる。
「お前は……私のこと、嫌いか?」
予期せず、北郷の胸が高鳴る。
「(確かに不動先輩は美少女といえる部類に入る。剣道部の部長もしており、彼女目当てで入部した男子部員も少なくない。実際、部員からもそれ以外からも告白を何度も受けていると聞いているし。でもみんなフラれたって。そんな先輩が俺のことを?いやいやいや!でも…上目遣いの先輩可愛いなぁ。じゃなくて………)」
と、かつてない体験に北郷の脳がオーバーヒートしそうになっているところで、それに気がついたのは、まさに本能にまで刷り込まれた修行の賜物だろう。北郷はそれが何なのかを確認する前に、竹刀を振り上げた。
ガガッ!
二人の竹刀が交差する。
「………何してるんですか、先輩?」
「いやなに、お前が隙だらけだったからな。それに今は勝負の最中だし。私の実力ではどう足掻いてもお前には勝てないから、ちょっと搦め手……を………」
それっきり不動は口を動かせなかった。
怖い。
顔の前に竹刀があるから、顔が半分に割れて見えて余計に怖い。
「嘘…だったんですね。いやぁ、告白なんて初めてされたからどう対処していいかわかんなかったけど、嬉しかったのになぁ………でも、嘘、だったんですよね?ははっ、あはははは―――」
無機質な笑い声が道場に木霊する。不動はいまだ動けずにいる。
「さて、先輩。覚悟はいいですか…?」
そういうと北郷は倒れている部員たちを次々と道場の入り口まで引きずっていくと、外へ放り出した。不動はいまだ瞬き一つできないでいる。最後の部員を外に出したあと、女生徒たちに向かって「ごめんね」と謝りながら、道場の扉を閉めた。扉に施錠すると、格子のついた窓も、雨戸を閉める。そうして道場に残ったのは、畳の香りとこもった水蒸気、そして一人の男と一人の女。
「お仕置きの…時間ですよ」
悲しいかな、彼女は自分で自分のフラグを折ってしまったようだ。
学べ、狼少年に。
夕陽すら入らない薄暗い道場に、悲鳴が響き渡った。
『一緒に帰ろう』というファンの子たちの誘いを丁重に断り、北郷は家へと帰った。
郊外にあるこの家は、学園からは遠いが特に気にならない。
純和風の大きな家の敷地内には小さな池や蔵があり、家の裏には山が広がっている。
まさに『大地主』ある。
夕食の準備をする祖母に帰宅の言葉をかけ、荷物を部屋に置くと、稽古用の道着へと着替えた。
「帰ったか、一刀」
「ただいま、爺ちゃん」
道場で一刀を迎えた道着姿の老人は、北郷刀之介、齢80を超えるのにいまだ現役の猛者であり、現『北郷流当主』である。
いつもならこのまま稽古が夕食まで行われ、夕食後は一刀の自主錬となるのだが、今日はどこか祖父の様子がおかしい。
「どうしたんだ?今日は修行はなしか?」
「一刀よ、そこに座りなさい」
刀之介の癖である。何か話がある時はこちらの質問等には一切答えず、まず座らせて話を始める。
一刀は別にこの癖が嫌いではなかった。
むしろ、祖父の不器用さが垣間見えて、好ましくすら思っている。
一刀は祖父の正面に腰をおろし、正座をすると祖父の両眼を見据えた。
どれほど時間が経ったのだろうか。
幾ばくかの沈黙の後、祖父が口を開いた。
「結論から言おう。儂は当主の座をお前に譲る」
「っ!?待ってよ、爺ちゃん!少なくとも俺が成人するまでは爺ちゃんが当主でいる、って言ってたじゃないか!!」
「落ち着きなさい、一刀。…お前が儂に初めて勝った日のことを覚えておるか?」
祖父のいきなりの質問に戸惑うも、天井を見上げながら記憶を辿る。
「中学3年の夏、だったかな、確か」
「そうじゃな、お前が15のときじゃ。あの時は『かろうじて』という言葉が相応しい勝負だった。儂も悔しかったからのぅ。お前が学校に行ってる間に鍛錬を繰り返したが、駄目じゃった。お前は儂が昔の勘を取り戻すのを遥かに上回る速度で成長を続けた。………ハッキリと言おう、一刀よ、お前は現役時代の儂をすでに超えておる」
「………まぁ、俺も頑張ったからね。爺ちゃんとの稽古の後も修行したし、朝だって爺ちゃんや婆ちゃんより早く起きて鍛錬した。………一つ、質問があるんだけど、どうして最初は『二十歳』って言ってたの?」
祖父からの返答はなかった。
ここにいるのは孫を愛する祖父としての刀之介か、はたまた北郷流当主としての刀之介か。
しばらくして祖父がようやっと口を開く。
「一刀よ。その質問に答える前に、先に儂の質問に答えなさい。北郷流はよくも悪くも『剣術』じゃ。『剣道』ではない。つまり………人殺しの術じゃ。儂も戦時中はこの力を使い、何人も人を殺したりした。お前は、人を殺す覚悟があるか?」
いきなりの質問に一刀は表情には出さないものの、相当驚いた。この現代日本で殺人という罪を犯すことは、通常ならまずありえない。それなのに、人を殺せるのか、と祖父は問うているのだ。
一刀は目を瞑り、しばらくの間思考をする。外はもう夜の帳が降りている。
ヒグラシの声も消えようかという時、一刀がようやく口を開いた。
「…あるよ」
「では、何のためにお前は剣を握る?」
「正直、今の日本では自分が殺人に手を染める可能性なんて思いつかない。でも、考えたんだ。もし俺の大切な人、じいちゃんやばあちゃん、友達……そういう人が危険に晒されていて、もし俺が、人を殺すことでしか救えないのなら、俺はその罪を背負ってでも、助け出す。………これが俺の『覚悟』だ」
「そうか………ならばこれを受け取れ」
そういって刀之介は小さな金属を懐からだし、一刀へ放り投げた。
「…鍵?」
「先の質問じゃが、年齢制限は単に精神的な問題じゃ。実力はあっても、精神が未熟なままじゃと、力を持て余すどころか、周囲を傷つける。じゃが、お前の言葉を聴き、眼を見、そして刀を交えて、精神的にも十分に成長したと思ったからじゃ。現に、お前はいま、儂の質問に対して、覚悟を見せた。だからじゃよ。
で、いまの質問じゃが、裏庭に蔵があるじゃろう?あそこの鍵じゃ。蔵に入って奥に行くと、二振りの日本刀が置いてある。一つは野太刀、一つは小太刀。お前の戦い方にぴったりじゃろう。そいつを持って、明朝またここに来い。後見人を呼んで、簡単じゃが世代交代の儀を行う」
「………はいっ!ありがとうございます!!」
一刀は畳に両手をついて頭を下げた。
「まぁ、後見人といっても婆さんなんじゃがな」
「って婆ちゃんかよ!?だったら今からでもいいじゃんか!」
「阿呆を言え。もうすぐ晩飯じゃ。今日は婆さんがご馳走を作ってくれてるからな。酒も飲むし、今日はもう修行関係はせんことに決めとるんじゃ。
さて、飯の前に軽く汗を流してくるかのぅ」
祖父はそう言って道場を出て行った。
「相変わらずギャップがありすぎるよ、爺ちゃん」
その日、一刀は初めて酒を飲んだ。
前祝いと称して、祖父が注いでくれた。
祖母も昼のうちに話を聞いているらしく、「おめでとう」と漆塗りのこれまた高そうな盃を出す。
たった三人の、されど賑やかな宴は過ぎていった。
翌早朝、一刀の姿は蔵の扉の前にあった。
「いくら儀式するからって、正装しなくてもよかったかな」
ひとり苦笑する一刀の姿は学園の制服に身を包んでいる。
ひとりごちていても仕方がないと、ポケットから携帯電話と鍵を取り出し、開錠した。
蔵の中はやはり薄暗く、壁を探しても電灯のスイッチらしきものは見つからない。
携帯を持ってきておいてよかったと、カメラ用のライトを点灯する。
―――と、それはすぐに目に入った。
雑多に散らかる蔵の奥に、一際存在感を顕す二本の刀。
「これか………」
一刀は携帯をどこかに置くのももどかしく、左手に携帯を持ち替え、右手で刀をまとめて持ち上げた。
初めて触れるはずなのに、どこかしっくりくる重量感。
手になじむ柄。
「(抜いてしまおうか)」
そんな衝動に駆られたとき、左足が何かに当たった。
ガシャッ、と音を立てたそれを見るべく足元に視線を下ろすと、携帯のライトに照らされた、一つ銅鏡が目に入った。
とそのとき、急に銅鏡が輝き始める。
「うわっ!?」
一刀が逃げようとする間もなく、輝きは増し、蔵全体が白い光に包まれた。
…どれほどの時間が経ったであろうか。輝きはやがて勢いを弱めると、次第に薄くなり、そして、すべての光が消え去ったとき、蔵の中に一刀の姿はなく、朝を知らせる鳥たちの声だけだかすかに聞こえていた。
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