突然、視界が奪われる。突き刺さる痛みに、春蘭はよろめきながら小さく声を漏らした。一瞬、何が起きたのかわからなかったが、すぐに顔に触れて気が付く。
「こんなもの……ぬおぉーーー!!」
突き刺さる矢を掴んだ春蘭は、雄叫びをあげて力任せにそれを引き抜いた。血の糸を引き、眼球を貫いたままの矢を握ったまま、春蘭は残った右目で威嚇するようにオークたちを睨み付けた。
「この私の――父祖より受け継がれし肉体と魂、そのすべては華琳様に捧げしもの! 何一つとして、お前ら如きにくれてやるものか! この眼球とて、再び我が血肉としてくれる!」
そう言うなり、春蘭は手にした矢の先の眼球を、自らの口でくわえたのだ。そして噛み千切るように矢を引き抜くと、潰れる感触を奥歯で確かめながら呑み込む。
あまりの鬼気迫る様子に怯んでいたオークたちは、だが気を取り直して春蘭に躍りかかって来た。取り囲むオークたちに、春蘭は拳を振るう。しかし、四方から責められると、失った左目が死角を作りだし思うように攻撃をかわせない。
「くっ!」
一撃を食らうと、後は脆く崩れ落ちてしまう。痛みと出血で、意識を保っているだけでも辛い状態なのだ。
「殺スナ! 動ケナクスルダケデイイ!」
一匹のオークがそう言うと、剣や槍を持っていた者は拳で殴り、棍棒を持っていた者はそのまま攻撃を続けた。動けずに地面に膝を付く春蘭を、オークたちは容赦なくよってたかって殴りつける。
「ぐぅ……秋蘭……華琳、様……」
誰かが、春蘭の顔を踏みつけた。痛みよりも悔しさが、春蘭の心を埋めていた。薄れる光の中で、見えるはずのない妹と主の姿を求め、ぐっと腕を伸ばす。だが鈍い音とともに、春蘭の意識は途切れた。
倒しても倒しても、きりがなかった。次々と押し寄せるオークの大群に、秋蘭の息も切れてくる。もはや曹操軍は撤退し、あえて秋蘭たちに構う意味はないはずだった。だがオークたちは、見つけた獲物をなぶるように周囲を囲んで、じわじわて責め立ててきたのだ。
秋蘭を支えるのは、華琳への想いと意地だった。余裕の笑みを浮かべるオークたちを睨み付け、剣を振るう。そんな時だ。
(――!)
視界の端に、矢を番えたオークの姿を捉えた。その先にあるのは、自分ではない。あっと思う間もなく、放たれた矢が春蘭に襲い掛かった。
「姉者!」
思わず叫んだ秋蘭に、隙が生まれる。それを狙っていたかのように、隠れていたオークが鎖の先に付いた分銅を投げてきた。左右より放たれた分銅は、秋蘭の両腕に鎖を絡めて動きを封じる。
「しまった!」
振りほどこうと暴れるが、動けば動くほど、鎖が腕に食い込んだ。そして、背後から後頭部を鈍器で殴られ、膝を折る。
「くそっ……姉者!」
自分のことよりも、春蘭の身が心配だった。歯を食いしばり、立ち上がろうとする。だが、取り囲むオークたちが動けない秋蘭を容赦なく殴りつけてきた。
「がはっ!」
前に倒れれば前から、後ろに倒れれば後ろから殴られ、秋蘭はされるがままだった。遠のく意識の中で、ただ、姉と華琳の安否ばかりを気に掛けていた。
華琳の大鎌が何進に襲い掛かる。鉄甲で受け止めた何進は、力任せに華琳の体を押し返した。倒れないよう体勢を整えながら、華琳は足を踏ん張って地面を滑る。
二人の周囲は、何進の命令によってオークたちに囲まれていた。しかし、手出しをすることは禁じているので、華琳が近付くとサーッと離れて行く。
「ハハハハハッ! ソノ程度カ?」
「ふんっ! 力だけはあるみたいじゃない」
不敵な笑みで、華琳は再び飛びかかる。
「はあっ!」
鋭い一撃が大地に突き刺さるように、振り下ろされた。両腕の鉄甲でそれを受け止めた何進は、何倍も体格の違う華琳を虫のように振り払う。だが、すぐに地面に着地する華琳は、休む間を与えずに小さく動いて何度も大鎌の攻撃を続けた。
「チョコマカトウルサイ奴ダ!」
ブオンッと空気を振るわせて、何進の拳が地面に叩きつけられる。巻き上がる砂塵とつぶてに、華琳の視界が奪われた。生まれたわずかな隙を狙い、伸ばした何進の腕が華琳の足首を掴んだ。
「しまっ――!」
逆さまに引っ張られ、華琳の体は勢いよく地面に激突した。息が詰まるような衝撃と、骨が軋んで体全体がバラバラになるような痛みが走った。一瞬、意識が遠のく。
「人間ハ脆イナ」
何進は華琳の足首を持ったまま、顔を見合うように持ち上げる。憎々しげに睨み付ける華琳に、何進は愉快そうに笑った。
「無様ナ格好ダナ、曹操!」
「……ぺっ!」
華琳は、何進の顔に唾を吐いた。笑顔のままの何進は、指先でそれを拭うと平手で華琳の頬を叩いた。
「少シ、痛メツケテオクカ?」
頭に血が昇り、意識が朦朧とし始めていた。それでも華琳は、何とか自分を保とうと努力する。
「オ前ラ人間ゴトキヲ殺ス事ナド、我ラおーくニハ容易イノダ」
何進の平手が頬を打つ。手加減はしているのだろうが、脳を揺さぶられるほどの衝撃が華琳を襲った。
美しく整っていた華琳の顔は、赤く腫れて苦しげに歪んでいる。口の中に血の味が広がり、唇が小さく震えていた。
(……潮時、かしらね)
初めから、倒せるとは思っていなかった。少しでもいいから、時間を稼ぎたい。ただその一心で、何進に戦いを挑んだのだ。
「死ニカケノ小娘ヲ相手ニシテモ、ツマラン……」
呟いた何進が無造作に手を離すと、ドサッと華琳の体は地面に落ちた。それを見下ろして、何進は不気味に笑う。
「無抵抗ノ虫ケラヲ、踏ミ潰シテ歩ク方ガ楽シメソウダ。クククッ――」
「――!」
言い捨てて歩きだそうとする何進の足に、華琳はしがみつく。
「させ……ない……わ……」
「ハハッ! 必死コイテ守ル価値ノアルモノカ? アイツラハ、強イ相手ガ来タラ掌ヲ返シテ歓迎スルゼ」
何進は言いながら、しがみつかれている足で乱暴に華琳を蹴った。そして細い首を掴むと、高く持ち上げる。
「死ンデアノ世デ見物シテナ!」
「う……あっ……」
ぎりぎりと何進が力を込めると、簡単に華琳の首は絞まってゆく。呼吸も出来なくなり、酸素を求めるように華琳は口をパクパクさせた。あと、ほんのわずかで首が折れるだろうというところで、何者かが何進の腕を掴んだ。
「殺すなと言ったはずだが?」
「……十常侍カ。フンッ!」
突如現れた黒装束の男の言葉で、何進は華琳を解放する。そして、見守るオークたちに向かって叫んだ。
「俺タチノ勝チダ! 今マデ俺タチヲ利用シテ来タ人間ドモノ、時代ハ終ワル! 声ヲ上ゲロ! おーくノ時代ガ来ルノダーーー!!」
「ウオオオオオオォォォォォーーーーーー!!!!!!」
大地を振るわせる声が、天まで響いた。
反朝廷の旗手として期待されていた曹操軍は、こうして何進軍によって敗北を喫したのである。曹操、夏侯惇、夏侯淵の三人の身柄は、ギョウの街に運ばれ投獄されることとなった。
※ギョウ(業におおざと)
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恋姫の世界観をファンタジー風にしました。
楽しんでもらえれば、幸いです。