No.176015

機動戦士 ガンダムSEED Spiritual Vol10

黒帽子さん

 平和を望んでも与えない歪んだこの世界をどうしろと? 心への侵攻手段を進めるクロとティニを否定するキラとアスランはそれぞれの決意を世界に投げかける。世界は、彼らにどう答えるのか。
45~49話掲載。

2010-10-02 21:34:37 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:1095   閲覧ユーザー数:1082

SEED Spiritual PHASE-45 筆舌し尽くせぬ怒り

 

「すみませんっ! オーブの危機に、おれはどうでもいい地域を……っ!」

「そんなことないよ。君は僕が任せたところをちゃんと平和にしてくれた」

 応えてくれながらも神の表情から憂いは消えない。キラには他にも心配事があるのか? 少し考え込んだソートは思い至る。

「キラ様……やはり心配ですか? 今、宇宙(ソラ)に、帰るのは……」

 フェイスとは忠誠。最高評議会――つまりはラクス・クラインに従うもの。それでもキラはこの呼び戻しを不服としているように思えた。

「ん…ちょっとね。あの〝デスティニー〟とか。せめてアスランが全快するまで残ってようって思ったんだけど」

 だがそのアスラン・ザラは敗北したのだ。自分が救い出さなければ全快など有り得ない状態に陥っていたかもしれない。平和の象徴たちを次々と傷つけるあの存在にソートは筆舌に尽くせぬ憤怒を覚えていたが、それ以上にキラの心中が慮られる。

 キラには常に超然としていて欲しかった。あらゆる大戦を終結させた英雄として。

 正直、軍人であり、戦闘用に作られた存在であるソートにはあまり平和に価値を見出せていない。それでも彼らの思想と行動に異を唱える材料はない。統合国家を、今の〝プラント〟を、歪んでいると揶揄する声は数多聞こえる。だが、それで平和とやらは形作られているではないか。もともと『世界』こそが歪んでやがるのだ。それを正そうとしているのに理不尽な横槍は後を絶たない。

「キラ様。おれが残ります。せめてアスラン・ザラが全快するまで」

「え?」

「あなたには余計な心配などして欲しくはありません。ラクス・クラインの守護者として、求められる場所で全力を尽くしてください」

 彼の横にいて、彼のいる戦場で戦ってこそソートのアイデンティティは確立できる。それでも、それを押し退けてでも、キラには『最強』たる所以を損なうことなく発揮して欲しかった。

「いいの?」

「もちろんです! あ、但し、議長や白いヒトにはうまいこと言っといて誤魔化してくださいよ」

 キラが、笑ってくれた。

 それなのに――

 まるでキラが宇宙へ上がるのを見計らったように、再びオーブが襲われた。感情のままにテロリスト共を磨り潰したが、それが終わるか終わらないかの内に今度は東南アジアでこれだ。

「この世界は……どぉなってるんだよぉっ!」

 その言葉には撃ちかけられた粒子砲が応える。解を得、奥歯を噛み締めたソートは破壊神へと躍りかかった。

「ステラ! モビルアーマーに戻って」

 〝デストロイ〟のモビルスーツ形態は他の可変機とは趣を異にする。大抵の可変モビルスーツは人型の機動性と非人型の加速性もしくは潜水等の専門用途を使い分けるための変形だ。が、〝デストロイ〟のモビルスーツ形態は火力の前面集中を目的としている。強力なスラスターで無理矢理浮かべているようなこの機体はむしろモビルアーマー形態の方が機動性が高いくらいだと言う計画性のない設計思想が浮き彫りになっている。

「あたしが〝フリーダム〟引き受けるから、それまでアレ全部片付けて。できる?」

〈できる〉

「いい返事」

 意を決して〝カラミティ〟を〝フリーダム〟へと向ける。ホバリング後に下半身を回転させる〝デストロイ〟とそれに撃ちかかる〝フリーダム〟の間に機体を差し込み砲を放ちながら対艦刀を一振り引き抜く。

 変形を終えた〝デストロイ〟へと数十の空戦用モビルスーツが躙り寄る。モニタから一メートル以上離れた機材に埋め尽くされるコクピット内でステラは正面に次々と現れるサイトを掠め見た。

 〝ディン〟〝ディン〟〝ディン〟〝バビ〟〝バビ〟〝ディン〟〝ディン〟〝セイバー〟〝セイバー〟〝ディン〟〝ウィンダム〟〝ウィンダム〟〝ダガーL〟〝ウィンダム〟〝ダガーL〟〝レイダー〟〝ウィンダム〟〝ディン〟……等々、計二十三のモビルスーツを脳裏に納めた彼女は、巨大連装砲〝アウフプラール・ドライツェーン〟を起動させる。

 表示された大型ターゲットサイト、網に大部分が絡まった刹那、躊躇いなくトリガーを引いた。

 駆動音と共に下方十八度修正、気づいた編隊が散開を試みたときにはもう遅い。吐き出された二条の奔流が瞬く間に十数のモビルスーツを跡形もなく掻き消した。

「ちっ! なんて破壊力だよ!?」

 それを嘆く余裕もない。振りかぶられた対艦刀が最速に達するその前に砲からビームバヨネットを出力すると敵の長剣へと突きかかる。読まれ、軌道を変えられた斬撃を、それでも砲身で打ち据える。金属同士の悲鳴と涙がモニタを圧するも二人は怯むことなく立ち位置を変える。なおも押し込もうとする〝カラミティ〟へと〝フリーダム〟が散弾砲を撃ち放つ。肩の砲を一本ぶち折ってやったが、本体には逃げられた。更に二門のプラズマ収束砲〝バラエーナ〟を展開、追い打ちをかけるがシールドに阻まれ間合いを開ける役にしか立たなかった。

「こいつっ!」

 砲を連結。視界の端に入る情報。刻々と変化する戦場に、コーディネイターの知覚が追いついていく。〝デストロイ〟がばらまいたもの目がけてたった今セッティングした対装甲散弾砲を解き放つ。無数の重散弾がミサイルの群れを捉えるものの、届かなかったものに何機かの友軍が撃ち落とされた。

「この……デカ物がぁっ!」

 怒りに駆られながらも細かい操作に指先が閃く。砲を逆連結し、MMI-M15〝クスィフィアス〟レール砲二門、両肩のビーム砲も引き出すと全ての火力を〝デストロイ〟目がけて叩き付けた。

 遮光処理のかかる程の圧倒的な閃光。

 しかし巨大な装甲上面に展開された陽電子リフレクターは5条の閃光をも受け止めた。

「ざけんな!」

 レール砲の次弾を放ち、3つのビームを最大出力に跳ね上げる。核エネルギーに支えられるインパルス砲の照射に砲身がOSを通じて泣き言を漏らしてくるが完全に無視して撃ち続ける。

 安定していた光の膜に突如激しいプラズマが走り、やがて弾けて穴が開く。パイロットの心よりも機体の安定を選んだOSがインパルス砲にロックをかけた。

「バケモノめ……! キラ様はどーやってこいつを墜としたんだっ?」

 砲の連結を解く。

 瞬間、〝デストロイ〟の両目がこちらを睨み据え輝いた。両端の〝シュトゥルムファウスト〟が分離して飛来、二機のモビルスーツ大に追われる心境は呼吸もままならぬほどだった。撃ちかけられる十指の一条をラミネートシールドで受け止めるも極太のビームはその表面を融解変形させる。舌打ちを零したソートは左右の砲からビームソードを出力したが真横からチャージをかけてきた〝カラミティ〟を受け止めるだけで終わってしまう。激烈な振動の中で歯を食いしばりながら防御に回さなかった右手を振り上げるも、この敵機はフライトユニット後付とは思えないほどの機動性を見せつけ斬撃圏内から遠ざかっていく。悔しさばかりが募っていった。

「ステラぁ! こいつは無視して!」

〈だったらこいつを持ってって〉

「ゴメンなさいねっ!」

 三つの砲口に押し遣られる内に巨大すぎるバケモノが悠々と脇を通り過ぎていく。その先にいる〝ウィンダム〟共では、恐らくこいつの相手はできない。知らず知らずに他者を見下す確信が、ソートの胃の腑に冷たいものを、その心に抑えきれない怒りを運ぶ。溢れかえった感情を持てあまし、気づけば指先はオープンチャンネルを選択している。

「そんなに平和じゃ不満か!? そこまで金が儲けたいのか? 人を殺してまで!」

 聞こえる駑馬の発信先は、目の前の白い奴から。ステラにも聞こえたらしく〝デストロイ〟の興味がこちらに剥きかけるが叱咤一発、ゴミ処理に専念させる。

〈ご高説痛み入るわー。それでもお金は大事よ〉

 盾砲を突きつけ〝ケーファ・ツヴァイ〟を乱射してやる。ムカつく真面目ぶった主張に挑発を込めた軽口を返せば、あちらもプラズマ砲をぶち込んで来やがった。

「腐ってる……! 流石〝ファントムペイン〟――いや、ナチュラルの本性か!」

 バーニアで機体を滑らせ二条の赤光から身を翻すも怒る〝フリーダム〟は銃剣(バヨネット)を出力させ、突っかかってくる。ライラも〝ケーファ・ツヴァイ〟で牽制しながら対艦刀〝シュベルトゲベール〟を抜き放つ。

〈命が一番尊く大事と思ってるそこの君。文明国で無一文無職、一般人から下に見られてそれでも生きていたいと思うかな?〉

「話をすり替えるな! くそっ!」

 刃と砲身が火花を散らす。

〈戦争してる国の軍事なら、就職難にはならないよ。そんな立場に立たされても、同じこと言えますかー?〉

 砲として成り立たなくなるほどの勢いで叩き込まれるバヨネットをあるいは剣で、あるいは盾で受け止める。ロングレンジ戦に持ち込むための武装で殴りかかってくるなど冷静さを失った証拠に違いない。しかし隙をついてのビームを叩き込んでもしっかり回避する。

(流石に『戦闘用』とか書いてあったのはガセじゃねーってわけね)

「じゃあお前は! そんな奴らに! 理不尽に殺されて満足できるのか!? 自分が! 家族が! 尊敬する人が踏みにじられて、それでも相手の立場があるって納得できるってぇのか!?」

 スライドした〝フリーダム〟が放つレールガンの威力にシールドがくの字にひしゃげて圧される。トランスフェイズ装甲で受ければ振動だけで済んだのかもしれないが、それに対応できる脊髄反射など人間業ではない。

 それでも所詮は戦闘用かと感心がすぐさま落胆に変わった。

〈すり替えてるのはあんたの方じゃない。考えてること結局同じ穴の狢じゃん〉

 いちいち感に障る小娘の声はとうとう逆鱗に触れた。

「一緒にすんじゃねェ!!」

 レールガンの勢いを殺さずつかんだ距離を使って二つの砲を連結、瞬間的にマニュアルロックオンする。慈悲などくれてやるか。コクピットをサイトの中心に据えた。

 衝角砲を突きつけるも赤い警告が無力化を告げる。砲身を潰された盾は武器になり得ない。苦々しく呻いたライラは腕の前後を入れ替えたがビームライフルもバズーカもない。癇癪を起こしながら巨大な剣を握る手を振りかぶる。

 砲と剣とがすれ違った。

 照射された極太破壊閃が回避を許さず追ってくる。飛んでいく剣の行方を追う余裕もない。反射で吹かしたスラスターは機体を強引に横へ降ったが凄まじい警告音が真っ赤にコクピットを塗りつぶし、揺さぶりまくってコンソールとヘルメットを衝突させた。

 反動に振り上げられた砲を狙い澄ましたように鋭い切っ先が貫いていった。反動と投擲威力を加算した勢いに圧され、〝フリーダム〟のオートバランサーがついて行かずに仰け反らされた。

 左肩から煙を吐きながらもう一つの対艦刀へアクセス。しかし距離がありすぎる。

 爆発一歩手前で先端の収束火線ライフルを破棄。捨てた直後に散弾砲を突きつけたが、やはり距離がありすぎる。

 生み出された膠着の中にも静けさはない。〝デストロイ〟の蹂躙がソートの僚機を次々と沈めていく。

〈ウフ……〉

「……なんだよ?」

〈おもしろいわね、あんた〉

「なに?」

〈戦う理由は似たよーなものなのに、主張ってのはこんなにもすれ違う。戦争、失くなんないわけだね〉

「人殺しが……! 悟ったようなことを!」

〈だからあんたも同じだって。人間大切なものはそれぞれ違うの。だからぶっ壊したいものも人それぞれ。つまりあたしとあんたは同じなの!〉

 認め難い事実を投げつけながら〝カラミティ〟が徐々に後退していく。させじとスラスターに火を入れるも、アラートに押し遣られ更に距離を離される。

「く!」

 いつの間にか間近に迫っていた〝デストロイ〟が眼前の敵機へと躙り寄る。

〈わたしあとちょっと。ライラは?〉

〈早っ! え…と、あたしはこいつどーでもいいんだけど、どうするステラ? 帰る?〉

 通信機に届く女同士の明るい受け答えに息を飲んで振り返れば、汗を飛ばしてすっ飛んでくる〝ウィンダム〟ら3機しか目に入らない。

(こ、この数分でこんだけ墜とされたってのか!?)

 この中に〝ヘブンズベース〟や〝ダイダロス〟戦の経験者はいなかったのか。連合のアホが無駄に量産したこのバケモノだがコストを考えればメディアに広まった目撃例が生産数の全てと言うことだろう。敵対経験者などそうそういるはずもない。かく言うソートも、今が初戦闘だ。

〈ロストさん! こいつぁ――〉

「撤退したいんなら好きにしろ。おれはこれを放ってはおけねぇ!」

 しかし、息をまいて躍りかかってもハリネズミの如き火砲の嵐を潜り抜けることは叶わない。ガンランチャーでは射程距離外、失われたライフルの価値が重くのし掛かってきた。

「この野郎……逃げる気か?」

〈ソート、深追いはまずい! あの2機、並の戦闘力じゃねえぞ!〉

「だからって放っておけるか! この地獄――」

 眼下に目をやる。焦土しかない。数時間前までは数え切れないほどの人と、物と、その他の命と価値が雑多に笑い合っていたはずなのに。

「――奴らにも思い知らせてやる!」

 だが怒りがから回る。数知れないミサイルの嵐、それが生み出す視界を塗り潰す煙幕、舌打ちを零しながら突破しても海中に沈みゆくカブトガニしか見られない。

「くそっ!」

 そう言えば〝フリーダム〟は海中での活動は可能なのか? キラが〝ストライク〟で紅海に潜ったと聞いたことがあるが、どのくらいの深度なのかもよく知らない。飛び込みたいが、逡巡だけが重りになっていく。その間に海中から走った一閃が〝ウィンダム〟を貫いた。

「! この野郎はあっ!」

〈ソート! 無茶だ!〉

「お前は帰れ! おれはこいつを引きずり上げる!」

 仲間の制止も耳に入れられず、ソートは波紋に憤怒を注ぎ込んだ。

 

SEED Spiritual PHASE-46 焦らず迷わず的確に

 

 ジャイロが着陸。

 そのゆっくりとした動作にシンは駑馬を繰り返した。

 隠れた組織。故に直接基地へは降りられず、かなり離れたところに乗り捨て、回収を頼んで別の移動手段を確保しなければならない。あぁ腹立たしい。そして――

「その〝デスティニー〟、おれに貸せっ!」

 格納庫(ハンガー)に響き渡った怒号に思考処理をされていない全員が目を剥いた。

「シンっ!」

 追い縋っていくルナマリアをも無視して一直線に駆けていくその先にはかつての、自分の力がある!

「待てお前! アレはオレのバイオメトリクスがねーと起動しねぇよ!」

 横手から回り込みシンを取り押さえようとしたクロだったが、掴み掛かる寸前にその姿を見失った。

(消えやがったっ!?)

 背筋に冷たさを感じた瞬間利き手首を握り込まれる。咄嗟に体を返し逆間接を極められ取り押さえられることだけは免れたが……睨みつけても不利にされた状況までは覆せない。

「今すぐ書き換えろ!」

「ふざけるな! 何がしてぇんだてめーはっ! ルナマリア! お前は男の管理もできねぇのか?」

 シンはクロの手を握ったまま、それをねじり上げることを思いつけないほど混乱する怒りに苛まれていた。〝フリーダム〟と共に家族の仇と焼き付いている連合製の3機。その一機を確かに見た。しかもそれと併走していたのは哀れな〝エクステンデッド〟を連想させる破壊神〝デストロイ〟。

「あんなもの……あいつらはまだっ!」

 これを放っておくことなど、シンには絶対できない。そのための力を欲すれば、ここにはそれしかない。彼には〝デスティニー〟しか思い浮かばない。

「こうしている間にも、ベルリンみたいな虐殺が起きてるんだよっ! だから早くっ!」

「お前なぁ――」

 次の意見は聞いてもらえなかった。いきなり視界が振動し、シンが眼前から消えて首に腕が巻き付いていた。更に片足を払われ落とされた重心を相手に完全に掌握される。

「いい加減のぐぅっ!」

「シン!」

 何人かがシンに非難の目を向ける中、ヴィーノは立場を決めかねる。ルナマリアを盗み見たが彼女も手が出せずにいた。ヨウランだけがスパナを握ってシンの背後を陣取った。

「落ち着け」

「ヨウラン! 早くしないと……あぁお前らいい加減にしろよ!」

「システムを解体せんと他人へのプライオリティは移せんぞ」

 沈黙の隙間をついてぽつりと落としたノストラビッチの一言は近接戦闘と荒野の想像に没入していた彼の心に染み渡った。

「……なんっ…だと?」

「ルナマリアと交渉して〝ノワール〟借りていけ。が! 生き残るにせよ死ぬにせよ足跡は残すなよ」

 シンはしばらくモビルスーツへと視線を投げたが、何か不満げに呻いて博士の方へと大股に歩いていく。男が博士の下へ、女がクロの元へ集まってくる。

「痛ってぇ……ったく、あれがザフトのトップエリートかよ」

「ホントよ! ったく乱暴よねェ!」

「いや違う。オレが言いてーのは、シンの近接戦闘術のことだよ。エリートってのは、どういう電気信号走ってんのかねぇ……」

 クロが見つめる視線を追ったディアナは嘆息した。やっぱり男という奴は……。いろいろとアホである。

 ――と、警報が響き渡った。ヨウラン達の作ったシステムが知らない女の声で要警戒(コンディションイエロー)を放送している。クロは首元を押さえていた手を放り出すと搭乗機へのリフトへと飛び乗った。

「……イエローって、搭乗機待機だっけ?」

「あぁんそれより外部映してくださいっ!」

 シンを宥めていたルナマリアも後ろ髪を引かれつつ〝ストライクノワール〟に連なるリフトに張り付いた。

「光学映像、メインモニタ――あちらに出します」

 角を生やした人間達が指し示す先には、何かを探すように飛び回る空戦型モビルスーツの機影が表示された。追従する機体も見受けられない。クロが眉を顰める。そして小さく笑うなり〝ルインデスティニー〟を立ち上げた。いくつものランプが点り、ザフト製のOSが機体をチェック、ゴーサインが出たところでPS装甲通電キーを押し込んだ。

〈クロ!? ティニはまだ――〉

「あいつは黙らせておいた方がいい。周囲に何もいねぇ今がチャンスだ。〝ルインデスティニー〟、行くぜ!」

 

 

 

 波紋など、とうの昔に見失っている。熱紋も機影もまた然り。レーダーは当てにするだけ無駄だ。全くニュートロンジャマーと言う奴は全部掘り起こせない物だろうか。位置情報は、ザフトは全然つかんでないというのか? いや、こんなことを考えている場合ではない。

「くそ…っ! あんなデケェもんがどこ行きやがったっ!?」

 熱紋センサーからも消え去った〝デストロイ〟。その理不尽に計器類を殴り付けそうになったが思い止まる。〝フリーダム〟でなければ躊躇わず振り下ろしていたかもしれないが。

 眼をことごとく封じられる。今ほどニュートロンジャマーの副作用を憎らしく思ったことはなかった。

「あんなデケェ奴を見失ったってのか!?」

 新たに受領した部隊、二十数機を引き連れてその数を一桁にまで減らしてしまった。

 汚名返上のため重力下に残ったと言うのにだ。

 キラの下に着くまでは、作り出されて軍務についてからは明確な敗北などなかった。それ故のこの地位だと言うのに――

 負け続けている。

「ぐっ……!」

 羞恥と憤怒に呻きが漏れても熱紋センサーは大したものを返してくれない。感度を上げすぎれば今度は魚群探知機になってしまい、必要なものが拾えない。徐々に徐々に高まっていき、出口を見つけられず嫌な濃度になっていくストレスと苛立ちにソートはただただ悪態を繰り返した。

 幾つかの推測をたてる。あのテロ部隊は大型の潜水空母辺りを所有していたのだろう。水中でミラージュコロイド定着ができるかどうかは知らないがニュートロンジャマー犇めくこの環境下では有視界地域から離脱すればもう見つけられない。この様だ。旧地球連合の資本ならそんな物をごまんと所有していても不思議ではない。結局は敵の特定だ。それができなければどうしても後手にしか回れない。

「ちっ……」

 結果は出ている。想像しかできない推測は、苛立ちを押さえるための気休めにしかならない。

 どうすればいい? まずはあの大虐殺野郎をぶちのめさなけりゃ気が済まない。

 なら何をすべきだ? このまま単機で追跡を続けるべきではないか。ユーラシア連邦にでも駆け込んで機体の整備と補給、人員確保してから戻るべきではないか。だが、原子炉に対応した装備が手に入るかは疑問が残る。

 だとすれば――

 反応を求めて悩み迷う。すると待望の反応が返ってきた。高周波の連鳴に指先が緊張と歓喜をもって閃くがトリミングされた画面に映ったのは予想もしなかった機体データだった。

 ZGMF‐X42ST

 先日の報道から更新されたライブラリデータが正式名称まで返してくる。

 ZGMF‐X42ST Ruin Destiny

「黒い、〝デスティニー〟! なんだよゴビ砂漠じゃなかったのか?」

 ゴビ砂漠にテロリストの拠点を発見したとかで大部隊が派遣されたのは少し前。その戦闘の結果はまだソートの耳には入っていなかったが友軍部隊が全滅したのかここまで炙り出されたのかは問題ではない。

 ソートは先程までの迷いが消え去り口元が吊り上がるのを自覚した。

 汚名を晴らす絶好の機会。心の奥が何か騒ぐが興奮でそれを押さえつけた。

「出やがったな……。おれの手で墜ちろ……忌まわしき運命!」

 その声に奴はライフルで応えてきた。その数発を回避しながらFCSにアクセスするも、失われた収束火線ライフルまでは戻らない。

「構うか!」

 奴の装甲には単純なビームは通用しなかった。ならば失われようと関係ない。ガンランチャーから刃を解き放つと〝デスティニー〟へと討ちかかる。敵機が翼を広げたのを目にとめるなり急制動をかけガンランチャーを撃ち付け、同時に敵機回避予測方向へと躍りかかる。

 クロの意識は散弾に吸い寄せられたがAIが同時攻撃をその脳裏に注ぎ込んだ。

「恐ろしい判断だな!」

 レバーを跳ね上げペダルを踏み込む。左へと跳ねかけていた機体は急遽上昇する。

「まだだ!」

 先の先すら予測してこそコーディネイター。ソートは振りかぶった刃を全力で振り落とすことなく眼前に構え、火器全てを上昇した敵機へと叩き付ける。プラズマ収束ビーム砲なら如何に黒い装甲でも突破できるはず。ソートは思わずにやりとした。

 しかし敵機の回避ベクトルはいきなり真下に急転換した。

「なにっ!?」

 アラートが鳴っても反応できるはずがない。パイロットはどう言う奴なんだ? 前後に目があるとでも言うのか? 確かにモビルスーツは各所にカメラやセンサーが備わっており、死角になるような場所は少ない。だが、乗っている人間は? 前方に立体視のため二つの眼球。それだけのはずだ。コーディネイターならばあるいは二つの連続処理を限りなくゼロにして擬似的な同時認知を得られるかもしれないが、これだけの処理を焦らず迷わず的確にできるものか!?

 否。胸中の答えが戦闘用コーディネイターと言う矜持を突き崩していく。その先に現れたのは興奮で押し隠していた心の騒ぎだった。「こいつとは、戦うべきではない。性能が、違いすぎる」。

 冷静が、憎らしくなる。

「だまれ……」

 当初のプランに戻せ。〝デストロイ〟を追うにせよ〝デスティニー〟を撃つにせよ万全の体制を整えるべきなのだ。

「黙れ! 戦闘性能なら、おれはキラ様に匹敵するはずだ!」

「痛ってーな……。こいつはオレを労ろうって気ゼロだな」

 脇の小箱を小突けばいつものようにビープ音。鼻で笑う間にもモニタの〝フリーダム〟が迫ってくる。

「はっ!」

 だが、恐ろしくは思えなかった。手負いだからか? それも違うように思える。〝ルインデスティニー〟が対艦刀を引き抜いた。

 撃ちかけられるバックショットを無視、展開した〝バラエーナ〟を確認するなりサイドスライドで射軸をずらす。定位置に収まったビーム砲が紅い殺意を吹き出すが冷却の間も与えられず一刀のもとに斬り飛ばされた。剣を左に残したままビームライフルへアクセス、素早く銃口を〝フリーダム〟の脇腹へと突きつけた。

〈投降しろ。腕動かしたら撃つ〉

 轟音と共に青い翼を鋼の剣が貫いた。

「っ……」

 思考が目まぐるしく回転する。ウイングバインダーを破棄して飛び上がるか? 恐らく〝デスティニー〟が引き金を引く方が早いだろう。羽根に続けて腰部までぶち抜かれたら戦闘続行など不可能だ。そして〝バラエーナ〟がプラズマを漏らしつつ沈黙する今、マニピュレータ不要な武装が全て封じされてしまっている。レール砲は横を向かない。

「っ…………!」

〈十秒待ってやる。その銃落とせ。十、九……〉

 打破できそうな案は何も浮かばない。滝のように流れ落ちる汗が顎元でヘルメットに吸引された。

「わかった……」

 肉弾戦で殺す。覚悟を決めたソートは〝フリーダム〟に無抵抗意志を注ぎ込んだ。

 

SEED Spiritual PHASE-47 嘘発見と断絶

 

 格納庫(ハンガー)に〝フリーダム〟が搬入されてくる様は……圧巻ではあった。

〈アレが……ウチに来るとはね。あっち側の象徴みたいなものじゃねーか……〉

 ソートは切らずにおいたモニタに目を光らせ視線を走らせ堅い唾液を飲み込んでいた。

 固定された〝フリーダム〟にリフトで乗り付けたクロがそのコクピット前でビームガンを構える。顎をしゃくると応えたヨウランが端末を操作した。

 ヨウランが親指を見せると同時に電子音。そしてハッチが、開く。クロは照準器越しに内部を見定め――

 驚愕にトリガーを引き絞る。吐き出された光を圧する速度でモビルスーツの中から獣が飛び出してきた。銃を保持したまま逆手でナイフを握る間もなく胸部を激しく殴打される。勢いを殺せずリフトから突き飛ばされたが、モビルスーツが立ち膝状態であることが幸いした。虚空で反転して床との衝撃を膝から逃がす。

「!」

 そして停止することなくバックステップ。降り掛かる殺意が刃を伴い落ちてくる。銃口を向けようが止まらず、こちらのエイムは定まらず、視線に銀光が閃きまくる。

(こいつが、あの泣きわめいていた男か!)

 周囲が開けた。クロはナイフの代わりにビームブレードに手を伸ばし、逃げ腰のまま抜き払う。驚き悲鳴を上げながらも避けたソートはクロの目にとまらぬ速度でダッキングとステップを繰り返し、銃器どころか刀剣すら意味をなさない超至近距離まで肉薄される。

「こいつ!」

 表皮を切らせるその覚悟は横手からの気迫に押し遣られた。いきなり介入したシンの足払いがソートの体を崩した。

「シン!? 貴様――!」

 ソートは信じられない面持ちで足を払った男を睨む。咄嗟に手をつき前転しようとしたその後頭部にビームデバイスの柄頭を打ち下ろされた。

 呻くその顔に膝を振り上げるもその頭は真横にスリップ、代わりにシンがソートをヘルメットごと掴み、前転の勢いを撃ち落としに変えた。

「がっ!?」

 その背中にシンのかかとが落ちてくる。

「ごっ!?」

 クロが安堵に息を漏らし、装備を全てスーツに納める。シンは忌々しく舌打ちを零しながらハンドガンをその頭部に突きつけた。

「クロ、なんだよこいつ?」

 シンに話しかけられたことを意外に思いながら、敵のヘルメットに手をかける。

「キラ・ヤマトの右腕……それは言い過ぎかもしれねぇが、〝プラント〟の兵士だ」

 ザフト製ノーマルスーツの構造は流石に熟知している。慣れた手付きでヘルメットを外すと予想より年かさの男が現れた。シンがあっと声を上げたが構わず相手を見下ろし続ける。

「ほぉ。『キラ様』とか言ってたんで奴より下かと思ってた」

 適当な奴に声をかけ、拘束帯を持ってこさせてふん縛る。柱に固定すると活を入れるまでもなくその男は目を覚ました。

「――っ……。あっ! くそ……」

 ソートは動く範囲で首を巡らせやはり飛び込んできた見知った面々に愕然とした。負けたこと、自由を封じられたことももちろん納得できないが、それ以上の理不尽が眼前にある。

「さて、お前はボロけたモビルスーツで何をしてたんだ?」

 誤算だった。

「何か探してたように見受けられたが、キラにおいてけぼりでも喰らったか?」

 シン・アスカ、そしてルナマリア・ホーク。何なんだ!?

 思ったよりも人数がいたと言うことよりも、この赤服共は――この上もない不忠を!

「シン・アスカ……お前キラ様に反旗を翻すってぇ気か?」

「お、お前こそ! なんでこんなトコに?」

 眉を顰めるソートから、ルナマリアは眼を反らした。彼女には、シンとソートが笑い合いながらキラに追従している様を見た記憶があるが、今のシンにはどうなのか。ティニにでも聞かないとどうなっているのか分からない。

「ちっ……おれはオーブを襲った〝デストロイ〟を追いかけてたんだよ! その間お前らは何してやがったんだ?」

「何だと、〝デストロイ〟!? 追っていたのか? どこに行った!?」

「はっ! 何でお前らに情報与えてやらにゃならんのだ!」

「ンだとこの――!」

「ちょっとシン!」

 拳を固めたシンをルナマリアとヴィーノが抑えにかかる。

「シン……なんでさっきの殴り合い、クロを助けたの? 〝バスターフリーダム〟に気づかなかった? もしかしてソートのこと、記憶にないとか?」

「覚えてるよ! キラさんの腰巾着だろ? さっきのは――あぁ何だ!? 難しいこと聞くなよ」

 難しいか? これが彼の正常な反応なのかいまいち結論を導けず、ルナマリアは首を傾げ、更に言葉を重ねようとしたが被拘束者が口を挟む方が早かった。

「シン! お前に平和を潰す理由があるのか!? 折角地球軍の馬鹿共も大人しくなって、これからって時じゃねえか今は!」

 喚く面々を見つめながら、クロは追憶に浸ってみた。こいつらの代のザフトはずいぶんと賑やかだったのだろうか。自分達の代は……まぁ、厳格程度は奴らを笑えるほどではないにせよ、まだ発足理由――旧〝プラント〟理事国、引いては地球連合軍から唯一近しい者達を守護する組織――を引きずるだけの緊張感があった。

(そう考えると今のザフトに存在理由ってあるんか?)

 統合国家のものと同じ、『平和維持軍』としての価値。まぁ、ウチとは同じ手段で同じ結果を想像しながら真逆の方向を向くのが価値と言うことだろうか。クロはソートに話しかけた。

「これからってんならシンに教えてやれよ。ボロ負けして動けないお前の代わりに〝デストロイ〟追いかけてくれるからよ」

「ちょっとクロ! 言ってることさっきと違うじゃん」

「違うくねーよ。オレの意見としてはシンが追いかけてっても見つからないか、撃墜されるか、捕まるのどれかだと思うから行くな、と思ってる。

 でもこの、ソートだっけか。こいつの立場からすれば任務完遂が第一。なら誰に頼ろうとその問題は二の次とか考えるのが正論じゃねえか?」

 口ごもるルナマリア。シンとソートもこちらを嫌そうに見つめてくる。その視線の意味、クロ自身も熟知しているが、一般に「正」論と称される意見が敬遠される世の中とは何なのだ……。

「あのね……。立場って言葉知ってる?」

「それはそこまで優先する概念かなぁ……。まぁいいや暇な時間あるんなら口論しててくれ。オレは次の仕事潰してた方が有意義だ」

「じゃあ、この方で試してみましょうか」

 仰け反ったクロの後ろからティニが姿を現した。悪態をつきながらも振り返り、目をすがめたクロだが……彼女の手の中には洗脳アンテナ針は見受けられない。クロは彼女の言葉を計りかねた。

「……お前が生きた〝エヴィデンス〟か……」

 怖れを含んだ怨嗟に対象者は恭しく頭を下げた。

「ティニとお呼びください。ようこそ戦闘用さん。そのまま私達を嫌って非協力的を貫いてください」

 ソートが眉を顰め、クロも顰める。

「思考の検閲か? でも、答えねぇ奴を思い至れなくして意味あるか?」

 ルナマリアとシンが露骨に顔をしかめた。そして、こうも思う。今の自分を絶対正義と頑なに信じる強靱な精神に、彼女の小細工が通用するものか、と。

「失礼します」

 抵抗するソートだが拘束されていては抵抗たり得なかった。ティニは3つほどの電極らしき吸盤を彼の頭に貼り付けていき、リモコンらしき機械を操作する。特に何も起こらない。電流拷問ではないらしい。

「はいシンさん。好きなだけご質問どうぞ」

 シンは何となくオーブのドラマで何度か眼にした拷問器具の数々を探してしまったが、人権侵害に繋がりそうなのは先程自らの手で縛った拘束帯くらい。釈然としないものを抱えながらも従ってみた。

「ソート、もう一回聞くぞ」

 ソートの鋭い睨光にシンは徒労感と懸念に襲われたが、それでも結果を求める好奇心からティニの言葉に従ってみた。

「〝デストロイ〟、どこ行った?」

「はっ! 見失ったんだよ! 東南アジアからインド方面に向かったのは確実だが、潜水艦使いやがって、なっ!」

 お、とシンを始め皆が目を見張る中、ソートは険ある姿勢を崩さずにいる。

「お前の、その追跡は統合国家からの任務か?」

「違げーよ。キラ様の後任として、お前らみたいな人間のクズを刈り取ってやろうと、部隊預かっただけだ」

 シンとルナマリアは思わず何度かうなずいた。クロは目を見張ったまま、携帯端末に何事か書き込んでいるティニを見やる。

「はー……。つまり率いてた部隊は〝デストロイ〟に全滅させられ、お前は悔しがってここまで来たと、こういう訳か」

 ソートもいよいよ眉を顰めたが相手に言われた言葉を反芻する内に胃の腑に冷たいものが落ちるのを感じたらしい。

「あっ!?」

 彼の悲鳴にルナマリアは吐き気を禁じ得なかった。浅はかだったと言うことだろうか? 強靱も何も人の思考も詰まるところは電気信号。そんなものなど、科学で容易に書き換えられると言うことか。そんな想像は魂の価値を暴落させた。人の根源を涜されたようなその想像は想像に過ぎなくても酷く不快だった。

「P300脳波に反応して思考深度を真逆化させると言う単純な物ですから、逆にイエス/ノーの二択が判別不能になるのが問題ですね」

「問題ですねって……スゲェじゃねーか……こんな簡単に施せるなんて」

「数日かかって嘘発見だけですよ? クロの目指している領域からは遠すぎます」

 彼女の思想に空恐ろしくも頼もしくも感じるが、クロは二の句を告げるより先に手を伸ばした。シンが、〝ストライクノワール〟に向かって駆けだしたのだ。

「待てお前! 〝デスティニー〟が駄目だっつったらそっちか。せめてルナマリアに許可取れ」

 何とかその手を捕まえられたが、こいつにキレられればすぐさま振り解かれるのは先程思い知らされた。

「離せアンタ!」

「お前なぁ……、オレらはあんまり出費したくねぇの。隠れていたいんだよ。何でお前、そんなにそいつを止めたいんだ?」

 できるだけ長く言葉を続けようと返した問い。が、シンの顔が見る間に紅潮していくのを認めてクロは思わず溜息を漏らした。

「いや――」

「なんで、だと!? そっちこそなんで、こんな、こんな横暴なんで放っておけるんだ!? アンタはっ!」

「はぁ……。世の中混乱してくれてた方がオレとしては動きやすい。確かにこの〝デストロイ〟やってる組織は非人道的だが……それはオレらと何が違う? 破壊の規模か? それにお前は多少なりとも荷担してるんだ。違うっつーんなら今すぐ通報しに行けよ」

 シンは恨みがましくねめつけたまま押し黙る。ここにヨウランが、ヴィーノが、ルナマリアがいなければシンは『オレら』に対して思うまま喚き立てた筈だ。他者に遠慮して自分の正義を押し留める。それは集合相互協力世界、『社会』で生きる以上絶対必要な条件だ。それでも人は納得しない。言いたいことが言えないなんておかしい。あっちの方が間違っているのに折れるのは自分だなんておかしい。誰もが思うなら、社会に――ひいては社会に『遠慮』する心に何の価値があるのか。

「やめてクロ。シンは、連合の兵士を助けたことがあって、それがベルリンの〝デストロイ〟に乗っちゃって――」

「ルナ!」

「言わなきゃ納得しないわよこのおっさんは」

 6つか7つ上な程度でおっさん呼ばわりは承服しかねるものがあったがルナマリアの瞳が湛える憂いに反論できず押し黙る。

「その娘のことを、気にしてて、助けられなかったことを、悔やんでるの。シンは」

(女か)

 その一言で片付けるには心が痛んだ。

 それは相当な経験だったか、先程まで真っ向から睨み付けていたシンの視線が逃げていく。

「そうか。そうとは知らず、なんつーか、かなり言い方悪かった」

 本当にそう思っているか? 自分の心に疑念を投げかける。

「それでも、行くべきじゃねーよ。こいつの話からすると、戦闘っつーか虐殺は、もう終わったあとだ。必死に探して徒労に終わって――」

 今だ衝撃から立ち直れていないソートを親指で指して告げる。

「こいつが数時間後のお前の姿かもしれない」

 シンは反論もなく悪態をつくとモビルスーツから離れていく。クロは溜息をついたが、それが何に由来しての吐息かわからなかった。

(……結局、オレはあいつを気遣ってねーじゃん)

 語彙の足りなさと言うよりも即座に適切語を選べない心、言葉をどう弄しても彼の心中を確信できない心に苦笑する。

「差し当たって、こいつか。おい〝フリーダム〟使い。お前は今、死にたいか?」

 愕然としていたソートがクロの言葉に引きずられ、ゆるゆると頭を上げる。

「死にたいか?」

 ソートは死神の如き冷たい瞳に戦いた。死が怖いと言う根源的で一般なものではない……心を奪うと思い知らされたその宣告には裁きを待つ、自身を無価値に変えられかねない恐怖があった。

(き、キラ様の役に立つどころか、な、な、何引き出されるかわかんねぇ……っ!!)

 生物にとって意味の抹消が死ならば、それを超える恐怖など有り得ない――はずだった。が、その意味が自らの意に沿わぬものへと強引に変貌させられるのはどうか。

 陣営の変化、価値の変化、意味の変化。そこに納得など介在しない――魂の変化。想像するだけで気を失いかねない、恐怖。恋人のために銃弾に身を曝すもの、友人のために口を閉じ磔にされるもの、身代わりのため処刑場へとひた走るもの……そんな者たちさえ絶望させ懇願せしめる非道をこの男は行える!

「殺せぇっ!」

「そうか。ならお前は人生を放棄した。捨てられたそれをオレが拾わせてもらう」

 何を言っているのか。喚き散らし、暴れまわる。が、戦闘用のコーディネイターとは言え人間を逸脱することはできなかった。力の入らないよう固定された抑制帯は魂の絶叫を肉体へと伝えさせず、断頭台へと運ばれる。

 死神が語りかける先には――今度は悪魔がいる。地獄がある。眼前に。

「今あなたを苛む恐れも、恥じ入って死にたくなるような心地も、全部取り除かれますからご安心を。目覚めは絶対爽快です。私が保証します」

(キラ様!)

 縋っても神はいない。悪魔が魅力的な笑顔をたたえてこちらの額に手を伸ばし――

(ぎゅぶわぁあああぁぁぁぁぁああああぁぁあああぁあぁあっっっっ!!!!!!)

 ぶつん。

 ソート・ロストが断絶された。

 

SEED Spiritual PHASE-48 退かす良心の呵責

 

 ゴビ砂漠に、確かに基地はあった。しかしそれを破壊したともしないとも解らない曖昧な情報だけが与えられ、より重要な中身の足取りは用として知れず――

 医者は言った。

「予断を許す状況ではありません。心臓を撃ち抜かれたのです!」

 医療機器につながれ、弱々しい呼吸を繰り返す代表――?、いや友人――?、いや――カガリの姿にアスランは自分の瞳孔が大きく見開く音を聞いた。

「そんな……か、カガリ……」

 閉じられない瞼、そして現実に翻弄されながらよろめいたアスランを壁が支える。彼はその支えにすら縋れぬままずるずると落ちていった。

「カガリ……そんな、カガリ! あぁあぁああああっ!」

「ザラ補佐官っ! 落ち着い――うぼぁ!!」

 寝台に縋りつき揺さぶり始めたアスランを医師と看護師が慌てて抑えるも逆に重すぎる一撃を食らわされて昏倒する。さらに何人かが彼を抑えて引き剥がし、頭を振る医者は折れた眼鏡を掲げて嘆息した。

「カガリぃっ!」

 自分も拘束に加わるべきだったとは思う。それでもメイリンはいたたまれず、動けず、泣き疲れて沈み込むアスランを胸が締め付けられる思いで見守ることしかできなかった。

(あぁ……この人の心の中には、今も代表がいるんだなァ……)

「くそォオォっ!」

 床を殴りつけたアスランは大粒の涙を零しながら嗚咽、いや人目も憚らぬ慟哭を繰り返している。

(わたしがどーかなっちゃった時も、泣いてくれるかなァ……)

 当人に聞くしか解の出ない疑問に辟易すると、急に罪悪感が湧いてきた。メイリン・ホークは、カガリ・ユラ・アスハを気遣う感情が生まれないことに。

(恩知らずかな)

 泣き蹲るアスランをただただ見つめる。触れる勇気も、言葉をかける度胸も、気遣う言葉も選べない内に涙を枯らしたアスランは次官メイリンを控えさせながら自室でミリアリア――〝ターミナル〟へと電話をかけた。

「突然ですまない。君も〝ターミナル〟離反の声明は見たと思う」

〈ええ。あの男は、汎ムスリム会議圏内の〝ターミナル〟利用者。ただの構成員に過ぎないわ。現在はL4付近のデブリベルトで工廠設備を建設中とか……。あの男が招集をかけたからって何人も集まるわけじゃない〉

「ああ解っている。それを踏まえて、頼みたいことがある。君の解る範囲でかまわない。所謂〝クライン派〟に属さない〝ターミナル〟の指導者と拠点をリストアップしてもらいたいんだが」

〈えぇ? わ、私もスカンジナビアとか、ヨーロッパ近辺しか繋げないわよ〉

「充分だ。まとまったら連絡をくれ」

 一方的に通信を切ったアスランはPCに流れるデータを睨みながら今度はメイリンへと聞いてきた。

「諜報機関は、どれくらい協力を取り付けられる?」

「あ、はい!」

 慌てて紙面をめくり、メモの塊を一度脳裏に流し込んで言葉を作る。

「大西洋連邦の、CIA、MI5、ユーラシア連邦のKGBもこの件での情報提供を約束してくれています。他にもストラトフォーなどのデータも取り付けられるとありますが、大国の主要な機関の協力が得られれば、これ以上は過分かと……」

 名だたる諜報組織を並べていくとまるで映画の話でもしているようで現実味がなくなっていく。目と耳両方から並列して情報を仕入れたアスランはさらにいくつかの指示をメイリンに告げると自身は上着をとり、更に銃の弾倉を確かめた。

「あの、どちらへっ?」

「俺も動く。一刻も早く反クライン派の〝ターミナル〟を潰さないと世界がどう操作されるかわからない」

 その考えには賛成するが、代表補佐官――いや、現状では代表代行が政治をほったらかしにするのはいただけないと思うが、メイリンは言い出せない。

「輸送機の手配を。鎮圧には〝ジャスティス〟を使うから――」

 言葉は選べないまでも何とか押し止めようとしたメイリンの祈りは警報によって叶えられた。足を止めたアスランはデスクにとって返すと国防本部との通信回線を開く。

「どうした?」

〈襲撃です。所属は不明。〝ターミナル〟でしょうか? 疲弊したオーブを叩こうと――〉

「わかった。俺が出る」

 通信士に皆まで言わせず通信を切ったアスランは銃を仕舞う間すら惜しんで掛け出て行ってしまう。メイリンは手を伸ばしたが、彼はそれを一顧だにせず、気づくこともなくいなくなる。叶った願いは瞬間的に粉砕された。

(ど、どうしよう……今、〝ジャスティス〟出して、大丈夫かなアスランさん……)

 体のことではない。アスランは常人以上の回復力を見せた。腕に火傷痕は残ったものの生活にも戦闘にも支障はない。機体も然り。修復は完了している。

 それでもメイリンの胸中からは「大丈夫か?」が消えなかった。

〈アスラン・ザラ、〝ジャスティス〟出る!〉

 国防本部に到着した時には遅かった。アスランは出撃してしまっていた。祈るメイリンの心など知らず、アスランは猛る。怒り狂う。虚空で急停止した〝ジャスティス〟はモニタに映る侵略者達に憎々しげな目を向けた。自然と眦が吊り上がり、噛み締められた犬歯が露出する。

「お前らは…………」

 シグナルの合わない〝アストレイ〟が街に下り、ビームライフルを眼下に向ける。アスランの透徹した視線はそれを捉え、放たれた一条がその得物を貫いた。

「何をしているっ!」

 怒りのままに蹴りつけ、切り伏せる。MR-Q15A〝グリフォン〟ビームブレイド、MA-M02G〝シュペールラケルタ〟ビームサーベル、全身光刃の機体に蹂躙された〝アストレイ〟が解体されて地面に転がる。隙と見た〝ジン〟ハイマニューバ2型が斬機刀を振りかざすも更に抜かれたビームサーベルが腕と、次いで中心線を斬り裂かれた。

 アスランの勢いは止まらない。リフターを開き飛び上がる。無反動砲を構えた〝ジン〟をすれ違い様に両断し、距離を取ろうとした〝ダガーL〟すら追い抜き様に分断し、近接戦闘を挑んできた二つの実体剣と二本のビームサーベルを弾き飛ばすと連合製機体をまとめて数機をなます斬りにする。

「何がしたい!?」

 分離した〝ファトゥム‐01〟が背後から機銃を乱射してきた〝ジン〟へと迫り、銃撃すら蒸発させ機体中央を貫通する。

 握り込まれたライフルが後ずさる機体を立て続けに撃ち抜き、更に迫った敵機の脇をリフターが切り抜ける。片腕を失った敵機は照準を〝ジャスティス〟に合わせたが、その腕もすぐさま斬り飛ばされた。アスランは両腕を失った〝ゲイツ〟の喉元へマニピュレータを突き込み捕らえると接触回線を開いた。

「お前達は何でこんなことをっ!?」

〈う……あぁ……〉

 怒りを投げつけても、主張は返らなかった。代わりに接触回線を伝って相手の仲間の呻き声が耳に届いた。

〈と、統合国家はガタガタじゃなかったのかよっ?〉

 アスランは更に歯を食い縛る。

「ただ我々を潰したいだけか? お前らは……」

〈ひ、ひぃぃ……!〉

 アスランの脳裏に何かが生まれ、澄んだ音と共に激しく弾けた。

 命乞いじみた悲鳴すら今のアスランにはブレーキとなり得ない。コクピットに差し込んだビームサーベルは凄まじい悲鳴を彼へと届けたが良心の呵責さえも隅に追いやられる。光の途切れたアスランの眼は次の獲物へと襲いかかる。

 ――数十犇めいていた破壊者達はたった一機の全身刃物に微塵にされて地に落ちていった。ぼとぼとと落ちるモビルスーツの肉片に包まれながら、アスランは一向に薄くならない憎悪を持て余していた。

「国防本部。こちらアスラン・ザラ。有視界に敵機はない」

〈こちら国防本部。敵母艦の撤退を確認。お疲れ様です。帰投願います〉

 よけいな手間を取らせてくれた。しばらくして先程の部隊はユーラシア連邦西部に居を構える小規模テロ組織のものだと断定される。道理で機体の質が劣っていたわけだ。奴らの言葉から推測するに、黒い〝デスティニー〟に完膚無きまで破壊されたオーブに手を出し甘い汁でも吸おうと企てた存在だったと言うことだろう。

(そんな奴らが……なぜこの世には蔓延している……っ!?〉

 目も眩むほどの怒りを抱える。その怒りの源を根絶させるため、アスランは先頃愛機を格納し終えた輸送機へとひた走る。

「待ってください!」

 ローターの轟音にかき消されまいとメイリンは精一杯の声を張り上げた。それでもこの距離感。届くかどうかは不安になるがアスランは受け止め、振り返ってくれた。肩の力が抜ける。メイリンは表情を緩めかけた、が。

「っ!」

 振り返ったアスランの表情には暗い、否、どす黒いまでの憤怒しかない。いつもは見惚れる端整な顔立ちでさえその感情に塗りつぶされ、彼女に恐怖以外を抱かせなかった。

「あ、あのっ! どうされるおつもりですかっ? 世界を!」

「……。すまない。後は任せる」

 言葉での解は得られなかったが、メイリンは思い知らされていた。

 破壊する気か?

 彼は代表代行として政治を行うつもりは、ない。その考えに思い至るなり双肩に重くのしかかる重圧にへたり込んだ。

「置いて行かないで……」

 責任ある立場など全うできるはずがない。私は影にすぎない。寄り添う相手に置いて行かれた影がどうなってしまうのか、想像なんかしたくない。

「おいていかないでください………っ!」

 目も眩む絶望感に苛まれながら、メイリンは涙で更に光を閉ざされた。

 ――そんな彼女の心情、ヘリのタラップに足をかけるアスランは気づいていた。構わず歩を進める自分に対して、少し後ろから自分を見つめる自分が引き留めようとする。

(可哀想だとは思わないのか? 俺のために尽くしてくれている彼女を、慰める時間ぐらいあるだろう!)

 アスランは服ごと心臓を握り込んだが黒い熱さは収まろうとしない。歯を食い縛っても同じだ。

(判っている。だが、ここまでのことをされて黙ってはいられない……)

 脳裏でカガリの寝顔が死に顔に変わる。こめかみで血の逆流する音が聞こえた。

(なら進むしかないじゃないか!)

 左手には引きつれる火傷の跡が残った。アスランはパイロットに空港への道筋を指示しながらその指先を握り込み、運命を殺す決意を固めた。

 

 

 

 オーブは取りあえず無力化できた。代表死去の報もそこかしこで聞かれるが、ネットで飛び交う信憑性は流言飛語の域を出ない。

 それでもいいと、クロは再び端末に意識を向けた。統合国家は、現在機能できていない。しかし良いと評価しながらも彼の表情に満足はなかった。

 統合国家は、現在機能できていない。その結果、援助物資の供給は途絶え、餓死者の統計値が先月の1.3倍に上がっていた。

「ねぇこれ見て。ハンガーマップ」

「……なんだそれ?」

 ディアナが一月前と昨日発行のハンガーマップを映してくれる。時系列が進むにつれ、アフリカ共同体と赤道連合の領域が勢いよく赤に染まっていった

「いやぁ……まさに赤道よねー」

 クロは冗談とも思えぬディアナの言葉に青ざめた。ハンガーマップは文字通り、食糧危機を色分けした地図であるらしい。元々地球連合が前身である国際連合から受け継いだWFPが把握しつつも深刻な問題を解決できずにいる場所ほど凄惨な色で塗られている。

 ブレイク・ザ・ワールドに寄る交通網の寸断、〝ロゴス〟の戦争経済優先政策による途上国の疲弊……と、そこまでの原因はメディア越しの他人事程度の心配事だったが、この一ヶ月の変化には確実にもう一つの要素が加わる。

 反クライン派によるテロ活動。

 これだけは誰にも責任を押しつけられない。クロ自身が先頭に立ってこの地図を紅く塗っているのだから。

「うぁ……」

 目を背けそうになるディスプレイにいきなり餓死者の写真が二つ開かれた。風船のように腹をふくらせ、枯れ木のような手足をばたつかせる子供。骨格に皮のみを張り付かせ、折り重なる集団を飛び交う蝿が埋め尽くしている。宗教家が信者を脅す餓鬼地獄が現世に展開されている事実と縋るような無数の眼球に苛まれたクロは嘔吐感を隠しきれず声を出してえずいた。

〈やる気、失せました? 正義、疑ってます?〉

 ティニからの通信。彼には虐めとしか認識できない事実提供は彼女の試験という訳か。苦心して唾液を落とせば胃の表面に冷たさを感じる状況でクロは無理矢理笑った。

「テロリストならテロリストらしく他人の信念なんか完全無視すりゃいーんだよなァ……」

 統合国家は機能していない。破滅への加速を誘発したのは間違いなく自分だとクロは心に痛いものを抱えた。しかしこれが計画。計画通りの推移というのなら、むしろ実行者たる自分は喜ぶべきなのだろう。

「〝アイオーン〟は、順調なんだよな」

〈はい。ロールアウト後、予定コースを辿っています。あ、しかし現在イエロー50・アルファにZGMF‐LRR704B確認。哨戒行動終了まで停滞を余儀なくされていますね〉

 ティニはまるで見ているかのように語るが、実際彼女は視ているのだろう。だが、そうなると不安にもなる。彼女が〝ターミナルサーバ〟を用いて世界を見ているのならば、密告の嵐などに晒されないのだろうか……。

「モビルスーツゼロの状態でザフト圏内行くなよ……。早く上がらねぇと、たちまち発見されそうだな……」

 地球(オーブ)の処理を終えたら次は宇宙(〝プラント〟)。……そのはずだったし今も計画に変更はないが、宇宙へ上がる手段がない。当初は大気圏突入能力のある〝ルインデスティニー〟を直接打ち上げ、宇宙と地上の行き来を行う予定だったが、〝ストライクノワール〟にその機能を付加するゆとりはないため廃案となり、ジャンク屋ギルドの所有するマスドライバーを借用する手筈を整えているらしい。もし〝ノワール〟戦力を無視し、当初の計画に戻したとしても、打ち上げのための施設は先日破壊されてしまっている。

〈クロ〉

「あんだよ?」

〈その様子から暇ぶっこいているように見受けられますが……やることはありますよ? 機体設定が終わったらちゃんと仕事してください〉

「はいはい……」

 溜息をつきながら画面より視線を外せば代わりにアンテナ人間の群れが見受けられた。げっそりとした面持ちで考えてみる。彼らは、休暇を欲するだろうか。

 

SEED Spiritual PHASE-49 不幸の価値

 

 銃把と掌の間で汗がぬめる。不快な湿気に意識を回す余裕のない、潜入任務は専門経験者であっても激しく神経をすり減らす。自らが決意したこととは言え、それを立て続けに繰り返すなど正気の沙汰ではないように……アスラン自身にも思えた。

「…………ふぅ…」

 入り口の縁に肩を貼り付け、拳銃の弾倉を確かめ直す。細めた視界、脳裏の中心で自分を含めた気配が視覚化されていく――

 意を決して跳ね、扉の奧へと銃口を突きつける。間髪入れずに左右、そして前方。アスランは眉間から力を抜けぬまま、銃をぶら下げ溜息をついた。

「ここも……か」

 引き払われたオフィス――いや、廃屋に一つ仕事机を放り込んだだけの空間を見回す。ミリアリアをはじめとした各種情報局からもたらされた情報ですら『確実性』は微塵も得られない。判明したと伝えられるアジトの数々は、あるいはダミー企業であったり、ここのような場所自体がブラフであったり、〝ターミナル〟の存在さえ知らない無関係なモノだったりと彼に全く前進の実感を与えてくれない。

「くそ…………っ!」

 アスランは錆の浮いたパイプチェアを脇にどけ、埃でできたデスクに体重を押しつけた。

 黒い〝デスティニー〟は、どこにもいない。各地を飛び回り破壊をもたらせながら、目撃情報はほとんどない。これだけ感情に駆られて追い求めても得られるのは知りたくもなかった事実ばかり。〝ロゴス〟の残り香か、戦争の材料だけはいくらでも見つかった。

「PMCなんてものが、こんなに世界にあったのか……」

 世界を管理する代表補佐の見える範囲がどれほど狭かったことかを思い知らされた。オーブでほとんど見られなかったとは言え、ザフトで使われる正規の軍人であったとは言え、戦争に関わる民間組織がそこかしこで見受けられるとは思わなかった。〝ターミナル〟のようなアンダーグラウンドが経営している感も否めない。それを利用してまで解を求める自分は、正しいのか? 迷う。

 あの時キラは月を見上げながら呟いた。

「みんなの夢が同じならいいのにね」

 それに対し、アスランは答えた。確信を持って。

「いや、同じなんだ。多分」

「でも、それを知らないんだ。俺たちはみんな……」

 確かに言った。自分の頭で記憶している。が、ユーラシア北部で展開しているPMC一社が恐ろしいキャッチコピーを伴ったCMを流していた。

 曰く、「戦争のない平和などない」

 どういう意味か。推察するのもおぞましかったが――人は等量以上の不幸がなければ……幸せを感じられないと言うことだろうか。信じていた柱の一つが音を立てて崩れていく。この世界にちりばめられた意志は、異なる夢に――欲望に分かれている?

 呻き散らしながら頭髪に指を突き刺し掻きむしった結果、押さえ込もうとしていた怒りは容易く再燃した。停滞のもたらす苛立ちが混じり、より一層ぬめった色彩が心に混ざる。

 朽ちたデスクと一体化しそうな重苦しい心地は携帯端末のコールに遮られた。出る気分ではなかったが体が心に逆らう。反射動作はオペレータの声をアスランの耳へと届けた。

〈あ、アスランさん!〉

「メイリンか。どうした?」

 その通信から数十分後――

 アスランは投げ込まれたハンドグレネードに銃弾を撃ち込み跳ね返していた。この施設には、隠し部屋があったのだ。見上げれば固定された数機のモビルスーツが目に入るはずだが、よそ見をしている余裕はない。

「くっ!」

 逆方向に弾いてなお、吹き付けた爆風から視界を守る。マシンガンかアサルトライフルか、連続した着弾音が自分を取り囲む壁面に火花を立てる。それに対するアスランは拳銃の弾倉をチェック。刹那視線を投げ把握するなり物陰より飛び出す。ローリングの後を火花が追うが彼は全く臆することなく戦火の中へと駆け込んだ。

 駆け抜けながらの無造作な銃撃。発砲音一発の度に呻きと衝突音が閉鎖空間に響き渡る。作業と警備の兼任なのか。銃を構えた作業服が4人。その全てが銃身を弾かれ無力化する。掌の痺れをねじ伏せ取り落としたライフルに縋るが――その銃身が踏みつけられた。

「動くな。次は当てる」

 三つの銃声と共に仲間のライフルも弾かれた。作業服達は全身に目を持つこの男に為す術が見いだせず固い唾液がのどに詰まる。

「お前達の所属は? 答えろ!」

 自決するような根性は持ち合わせていない。自分たちはアンダーグラウンドだ。所詮は法の縛りをくぐり抜け、甘い汁を吸うのが目的だ。

「……! お前達は、オーブを襲ったか!?」

 顔色を見なくても声色だけで激怒しているのはよくわかる。何一つ返答できぬ内に問いを重ねるその様子も苛立っているのがよくわかる。

「答えろっ!」

「いぎゃぁああぁっ!?」

 銃声二発と共に一人が両手から血の糸を引きのたうち回る。メディア越しにしか知らないがこいつはもっと紳士的だと思っていた。なぜか裏切られた気分が、恐怖を圧して怒りを生んだ。

「やめろよ! お前達のせいだろ!」

「なんだと?」

「平和のためとかぬかして、統一を急いで、その結果、俺らが何を強いられたか、知らねーんだろ?」

「自分たちが苦しいから、だから他人も不幸にしてやると? そう言うことかっ!?」

 アスランにしても彼らの苦しみはわかる。だがその意見提議にテロリズムだと? あまりに身勝手な考え方じゃないか。

「お前達のような奴らに! 代表がどれほど心を痛めているか! 考えたことはあるのかっ!!」

 あまたの銃声と共に四肢を貫通されて戦闘不能に陥った者達が転がった。研究員らしき数人が奥でふるえて縮こまっている。

「う、撃たないでくれ……!」

 アスランは呻いた。

「悪いが拘束させてもらう。言い分はあちらで聞く」

 メイリンにコールをかけながらアスランの胸中は別種の苛立ちが囁いてきた。

(何をしているんだ……これじゃあ俺もこいつらと変わらない……)

 だがならばどうしろと? 心を砕いて尽くす者の無念を、世界に思い知らせるにはどうしろと?

 

 

 

「この頃ずーっと暗い顔されてます……」

 巨大空母〝ゴンドワナ〟より戻ってきた最高評議会議長 ラクス・クラインはまた重苦しく溜息をついた。ここ最近、〝エターナル〟、〝ゴンドワナ〟、そしてアプリリウス市を忙しなく行き来する彼女。ヒルダは自らの崇拝者を見かける度に見せつけられる暗い仕草に、胸が締め付けられ、それが耐えられなくなり、とうとう声をかけてしまっていた。

「あ、ヒルダさん」

 自身の神に。その瞳に自分が映し出されるだけで真逆の意味で苦しくなるが、いけない。自分のことなどどうでもいいのだ。彼女の苦しみを取り除かねば。

「バルトフェルド隊長からの報告は、届いていませんか? あの〝ターミナル〟を名乗った男はただの工場主に過ぎません。同意する集団にも目星がついています。ラクス様が心を痛める必要は――」

「いえ、あの件は確かに……。あの、攻撃命令を出すのは少し、ですが……」

「あ……えー……では、少しはお休みください。 それとも何か他の心配事が? 私にできることでしたら……」

 常に自身以上にこちらの心配をしてくれるヒルダに、ラクスは感謝の念を抱いた。行き過ぎともとれる言動が多々あるが、彼女に他意はない。その心は誰よりも信じられる。

 なのでラクスは、今彼女にしか聞けない質問を差し出してみた。

「あの、笑わないでくださいね?」

「当然です。私に答えられることでしたら何なりと!」

 頼られたことが喜ばしい。ヒルダは眼帯からも漏れてしまう喜色を抑えられなかった。ラクスは一呼吸落ち着けた後、望む言葉を差し出した。

「ヒルダさんは女であると言うことをどう考えますか?」

 考えるまでもない。

 無意味だ。

 ヒルダ・ハーケンにとって性別など無意味。男と比べて非力だ何だの意見も無意味。追いつき追い抜く分だけ鍛えればいい。

 この考えこそが充分な性能を有しながら、扱いにくいの一言で切り捨てられた〝ドムトルーパー〟を操るまでに技術を高めた要因だと信じている。。

(む……)

 他の女からこう問われれば今の思想を頭に流して罵倒の一つで会話は終了だ。性差など無意味で無価値――この思考はヒルダ・ハーケンにとっての誇りだが、ラクスはどうか? 彼女は女であることに意味を見出している。それは、自分の根幹からすれば取るに足らない嘲笑ものの概念なはずだが……嗤えない。彼女でなかったら、嗤うか? 確実に嗤うだろう。

(こ、これはなかなか答えづらいもんだね……)

 自分は女であることに、性の長所に意味を見いだせない。ならば異性に憧れるか? 恋愛感情とは異なる、自身の、あり得ない可能性を追い求める、異性への憧れ……。

「いえ、あたしは別に男だったらもっと戦えたとか思ってる訳じゃあありません」

「? ヒルダさん?」

「あぁ、すみません……! しかし、私じゃあ、女の意味を語るよーなんじゃありませんね。ラクス様みたいな方なら、女であること自信持っていいとは思いますけどねー」

 誤魔化すくらいしか男女(おとこおんな)にできることはなかった。彼女の役に立てない……そんな思いが重苦しい。そこでふと別の思考に至る。

(あたしは、ラクス様を……どう思ってるのかね?)

 尊崇か、崇拝か、それとも……親愛か? いや――

 最後の考えが引き起こしたあまりの羞恥に悶絶しそうになっていると背後の入り口が光を飲み込んだ。ドアのスライド音に飛び上がりそうになるが、必死に自制する。

「あ、キラか」

 振り返り、確かめ、極力平静を装って言葉を漏らす。居たたまれなくなったヒルダは退出理由を作るためにラクスにそっと耳打ちした。

「彼にこそ聞くべきじゃないですか?」

「えっ?」

 悪戯を楽しむ年長者に見えてくれるようにと切に願いながらキラとすれ違う。ヒルダは何となく、彼の肩を叩いた。

「ほら。慰めてやんなよ」

「あ、うん。どうも」

 ヒルダは退出し、しかしそのまま過ぎ去ることができず扉脇の壁に背を預けた。我知らず、溜息が漏れる。

「あたしは……なんだろうね……」

 この場に下僕共(マーズとヘルベルト)がいないことがありがたかった。覇気のない自分など見せたくはない。

 彼女のためにとあらゆることをやってきた。第二次〝ヤキン・ドゥーエ〟戦役の終盤、ヒルダらは当時のザフトを見限った。そこに救いの手を、声をかけてくれたのがラクス・クラインであったのだ。彼女からもたらされた恩情は……言葉にできない。計り知れない。

(それに報いるため、あたしらは何でもやってきた。他のテキトーな奴が、不幸になることなんて全然厭わずに……!)

 汚い仕事をやってきた。

 汚い仕事もやってきた。

 汚いことをこそやってきた。

 ラクス様のために!

 ――暗い夢想に浸っていた時間は思いの外長かったらしい。近づいてくる堅い靴音に気づいたヒルダは面倒がりながらも居住まいを正した。

 

 

 

 敬礼を向けようとしたが、その対象であるラクスは……言い様もないほど哀しそうな顔をしている。

「ほら。慰めてやんなよ」

「あ、うん。どうも」

 ヒルダ・ハーケンに睨まれたように思えてキラの焦燥はより重さと黒さを増した。キラの手は顔の横で固まることなく弱々しく握られ、足はかかとを揃えることなく勢いよく投げ出される。思い出したのは、宇宙要塞〝ヤキン・ドゥーエ〟、巨輪を背負った黒い機体、解き放たれた砲塔の一条に貫かれる救命艇。

「ラクス!」

 キラは……どう思っていたのか。きつくかき抱かれながら、ラクスは彼の全てに沈み込むことはできなかった。抱かれる寸前、見てしまった彼の表情は……藁にも縋る漂流者の悲壮顔だった。少なくとも彼女にはそう見えてしまった。

 愛だと、受け取れない。癒されていると感じられない。逆に縋り付かれていると感じる。

 キラはラクスをかき抱く。悲壮感に充ち満ちたラクスが、儚く消え去ってしまいそうに思えて、脳裏ではフラッシュバックが繰り返されていた。目の前で何度も何度もフレイ・アルスターが焼け死んでいく……。

「ラクス、君は僕が守る。もう誰も、死なせないから」

 ラクスも、彼に憧れている――いや、憧れていた女性がいたことは知っている。会ったこともある。嫌われてしまったが。いつもならば、絶対にこんなことは思わない。だが、彼女の心は、今揺れている。

(わたくしは……代替なのでしょうか?)

「大丈夫。君だけは、どんなことがあっても僕が守る」

 キラの真摯な言葉に、ラクスの心の底から溢れる熱い思い。

 だが、同等以上の重さを持った氷の刃が胸に突き刺さる。デスクに接合されている端末には、今ものこのデータが眠っている。

 キラとラクスの遺伝子は……不適合を示した。

 冷めているわけではない。冷めたなどとんでもない。それでもラクスは彼の胸に全てを投げ込むことができずにいた。

〈失礼します!〉

「どうぞ」

 かかとを鳴らして入室した士卒は表に出さないまでも度肝を抜かれていた。目の前で議長と軍神が手に手を取り合ってこちらを見ている。自分は確かにノック代わりの挨拶をした、そして許可を得てから入室した。まだしも、二人とも慌てて飛び離れ、平静を装うことに苦心してくれた方が微笑ましい。平気な顔をして見せつけてくれる……そんな軍人と国家代表がどこにいるっ!? そしてそんな安息を求める二人に持ってきた報告事項がこれだ。

「オーブのザラ補佐官より反クライン派〝ターミナル〟拠点の情報です。L4、月間の宙域。詳しくはこちらに」

 自分はしっかり仕事をしているのだが、罪の意識が残っていた。

「ラクス!」

「キラ……。いえ、お願いします」

 軍神が駆け出した。

 その後ろ姿を見送る議長の手が胸の前で組まれる。その仕草が指導者の気配を薄めたように感じられ、兵士は密かに眉をひそめた。


 
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