「桔梗様!桔梗様はおられますか!」
ばたばたと、慌ただしく廊下を走る一人の人物。
「そこのお前!桔梗さまを見なかったか?!」
「……焔耶ですか。いつもながら騒々しいですね。どうしたんですか」
声をかけられた女性が、呆れたように言う。
「何だ、由か。いや、この際お前で良い。桔梗様を見なかったか?」
「なんだ、って言い方はないでしょう?それにこの際って。……まったく、桔梗様はこんな無骨者のどこが気に入っておられるのやら」
ぶつぶつとつぶやく、由と呼ばれた女性。
「何ぃ?あたしのどこが無骨者だと?」
「全部ですが、何か?」
冷ややかな目を向ける女性。
ここは益州・巴郡。その太守の屋敷兼、政庁の中である。
「いい根性をしてるじゃないか、由。いやさ、孟達子慶!この魏文長様に喧嘩を売ろうってんだな?!」
「ご冗談を。勝負になんてなるわけがないでしょう?……私に指一本、触れられないくせに」
かちーん!
孟達の言葉に、一気に頭に血が上る魏延。
「今まではたまたま調子が悪かっただけだ!今日こそ、お前を叩き潰してやる!」
身構える魏延。
「なるほど。今までの四十九回、すべて調子が悪かった、と。なら、五十回目も調子が悪いことになりそうですね」
にやりと笑う孟達。
「言わせておけば……!!覚悟しろ、由!」
「覚悟、ですか。それは貴女がするべきかもしれませんよ?ほら、後ろ」
「後ろ?」
ぐるり、と。視線を自分の後ろに回す魏延。そこには、
「き、桔梗様!」
「随分、威勢が良いのお、焔耶よ。よほど体力が有り余っておると見えるな」
地獄の閻魔も真っ青といった表情の、妙齢の女性がそこに立っていた。
「い、いえ!これは由のやつが……!!」
「言い訳無用!由!おぬしもじゃ!意味もなく焔耶を煽るでない!」
魏延と孟達、その双方に落ちる、女性の雷。
「……申し訳ありません」
「全く。……それで焔耶よ。わしを探しておったのではないのか?」
「あ。そ、そうでした!成都より、張任どのがお見えです!」
「梅花か。……またぞろ、あの馬鹿娘が何か言ってきおったか」
腰に手を当てて、やれやれといった表情の女性。
「仕方ありません。あれでも一応、益州の牧で、我々の主なのですから」
「そうじゃの。で、あやつはどこにおる」
「は!玉座の間でお待ちです!」
「わかった。焔耶、由、二人ともついてこい」
『御意』
魏延と孟達を促し、歩き出す女性。桔梗こと、巴郡太守・厳顔であった。
ところ変わって荊州。
新野での戦いから、すでに三ヶ月が経っていた。この間に起きた大きな事柄は二つ。
一つは、元宛県の太守であった丁原が、ついに鬼籍に入ったこと。
呂布と陳宮、”二人の娘”に看取られての大往生であった。享年はよくわからない。本人曰く、
「四十を越えたあたりから、面倒になって数えていなかった」
とのこと。おそらくは七十を超えていたであろうが、その最後の姿はとても若々しく、そして、満面の笑みを浮かべての旅立ちであった。
その葬儀では多くの者たちが、その葬列を見送った。特に、元宛県の民たちがわざわざ襄陽まで足を運び、丁原の死を悼んだ。
その中で、呂布と陳宮は涙を流すことなく、気丈な態度でいた。母の死を乗り越え、前に進もうとする、その決意の表情が、参列者の涙をさらに誘った。
そして、丁原の葬儀が滞りなく終わったその数日後。
もう一つの事柄が魏で起こった。
皇帝劉協が突然遷都を宣言し、河北の鄴郡へと都を移したのである。
また、それと同時に太傅・司馬仲達が、それまで空席となっていた丞相に就任。魏王である曹操はこの人事に反発し、仲達と曹操の対立は、日を追う毎に悪化していた。
その両者の対立に、皇帝劉協は何の措置を講ずることもなく、ただ沈黙を保つのみであった。
「で、どうなんだい、朱里」
「はい。今も水面下での争いが続いていますが、武力衝突に発展するのは時間の問題かと」
襄陽城、玉座の間。
現在ここには、定例の会議のため荊州の主だった面々が、一堂に会していた。
「……やはり協は、全く感知しておらんのか?」
「はい。沈黙を保ったままだそうです」
「そう、か………」
諸葛亮の言葉に、肩を落とす劉封。
「のう、一刀おじ。やはり、協はもう……」
「命ちゃん。あきらめちゃ駄目だよ?協陛下は絶対大丈夫。ね?」
劉封の肩を抱き、そう励ます劉備。
「そうだよ、命。桃香のいうとおり、陛下はきっと大丈夫。華琳が必ず守ってくれるさ。あの曹孟徳なら必ず。な?」
劉封に微笑む一刀。
「そう、じゃな。孟徳を信ずるのみ、じゃな」
「一刀さん、もし北で戦となったらどうされるんですか?」
一刀に問いかける董卓。
「……援軍に向かう、って言いたい所だけど、華琳が受け入れてくれるかどうか」
「そうだね。華琳ちゃん、結構頑固だし」
そこまで話が進んだときだった。
「た、たたた大変、大変、大変、大変~!!」
玉座の間に飛び込んでくる徐庶。
「何だ?!どうしたのだ、輝里?!」
驚いて、たまらず問いかける関羽。
「は、は、は、は、は」
「は?……痛いのか?」
「そーなの。もう、虫歯がひどくて……じゃなくて!益州の巴郡から、使者さんが来たの!!」
『……はあ?』
徐庶の報告に、唖然とする一同であった。
場面は再び益州。
「ふざけるのも大概にせいというておるのじゃ!」
主座に座り、怒鳴る厳顔。
「ふざけるとは心外ですな。これは主命ですぞ、桔梗どの」
厳顔の怒気を全く気にせず、そう言い返すのは張任という女性。
益州では厳顔と同じぐらいの古参の将で、先主劉焉の代から仕え、その跡を継いだ劉璋の代になっても、変わらぬ忠誠心で仕えていた。
「主命といえども、従えることとそうでないことがあるわ!ただでさえ、民草は重税と労役で疲弊しておるというに、この上」
一度言葉を切り、息をつく。そして、
「この上、今度は荊州に侵攻せよじゃと!?これをふざけていると言わんで、なんというのじゃ!」
そういって張任をにらむ厳顔。
「ほう。ならばどうされる?謀反でも起こされるか?」
「ふん。それも良いかもな。最近の嬢にはついていけんところが、多々あるでのう」
「……なんですと?」
厳顔の言葉に顔をしかめる張任。
「桔梗様、いくらなんでもそれは」
たまらず口を挟む孟達。
「それ位、今の私は腹が立っているということだ。梅花、帰って嬢に伝えな。いい加減に目を覚ませって。それに、あんたも自分を忠臣だと思うのなら、主君に諫言することも、臣下の役目だということを覚えておきな」
さらに強い口調で、張任にそう言い放つ厳顔。
「……わかりました。桔梗殿の言葉、そのまま紅花(べにか)さまに伝えましょう。……後悔なさいますな」
そう吐き捨てて出て行く張任。
それからわずか十日後。
「桔梗様!大変です!」
「何じゃ焔耶。あの馬鹿娘が、軍勢でも送り込んできよったか?」
血相を変えて執務室に飛び込んできた魏延に、そう冗談交じりで問いかける厳顔。だが、
「そ、そのとおりです!街が三万の軍勢に取り込まれています!旗は「李」、「雷」、「張」の三つです!」
「なんじゃとお!?」
その同時刻。巴郡の街を取り囲む軍勢では。
「……なにが悲しくて、味方を攻撃せねばならんのだか」
腕を組んでぼやく丸めがねの少女。名は張翼、字は伯恭。
「一応嬢ちゃんの命令なう。従うしか無いなう」
語尾のおかしな少女、雷同が張翼をそう諭す。
「お前は単純で良いな、早矢(はや)。美音(みおん)、お前はどう思う?」
「早矢の言うとおりや。与えられた命令をきちんとこなす。それが将たるもんの務めやで、蒔(まき)やん」
最後の三人目、真平らな胸にさらしを巻いた少女、李厳、字を正方が、張翼に関西弁でそう返す。
「二人とも本当に仕事人間だな。相手はあの桔梗さま。それに、隠行の達人である由と、未熟ではあるが焔耶もおる。苦労するのは目に見えているぞ?」
「大丈夫なう。桔梗さまはともかく、焔耶なら早矢が抑えるなう」
「なら、うちは由を抑えるとしよか。いつかのけり、今日こそつけたる」
やる気満々という感じの、雷同と李厳。
「なら、あたしが桔梗様を抑えねばいかんのか。……貧乏くじを引くのはいつもあたしだな」
はあ~あ、と。ため息をつく張翼。
「それが蒔のさだめなう」
「ええ加減あきらめ。ひひひ」
「やかましい!」
なんだかんだで仲のいい、張翼・雷同・李厳。通称・蜀の三羽烏であった。
再び巴郡の街。その城壁の上から、町を取り囲む軍勢を見下ろす、厳顔と魏延、孟達の三人。
「ふん。こうも早く手をうってくるとはのう」
「というより、矛先が変わっただけでしょう。あの三馬鹿たちはおそらく」
「……荊州攻めのための軍勢か」
そう判断をする、厳顔と孟達。
「桔梗様!すぐにうって出ましょう!あやつら如き、すぐに叩きのめして」
「馬鹿たれ!何で蜀の人間同士が戦わねばならんのだ!頭を冷やさんか!!」
「う。す、すみません……」
厳顔に怒鳴られ、縮こまる魏延。
「全く。……二人とも、すぐに門を開けよ。外にでてあやつらを出迎えるぞ」
「本気ですか、桔梗さま!」
「本気も本気だ。ほれ、早うせい!」
『は、はい!』
そろって拱手する、魏延と孟達。
そして、
ぎぎぎぎぎぎ、と。音を立てて開かれる門。
厳顔たちが張翼たちの前に進み出る。
「これはこれは桔梗さま。ご無沙汰しております」
厳顔に対し、拱手して挨拶をする張翼。
「うむ。おぬしらも元気そうで何より。……で、これは一体どういうことかの?」
「どうもこうもありませぬ。われらは主命により、反旗を翻した者を討ちに参った次第」
「反旗?はて、誰がそんなものを翻したのかの?」
首をかしげる厳顔。
「腹の探り合いは良いですなう。貴女がたを反逆者として討伐せよと、言い付かってきましたなう」
「そーいうこっちゃ、桔梗様。お覚悟してもらいまっせ?」
張翼の隣に並ぶ、雷同と李厳。
「……やれやれ。やる気満々というところじゃの。仕方ない」
すっ、と。両腕を高く掲げる厳顔。
「き、桔梗さま!?」
「……このとおり降参じゃ。煮るなり焼くなり好きにせい」
『………………』
予想もしていなかった厳顔の行動に、思わず呆然とする張翼たち。
「焔耶よ。おぬしも早く武器を捨てい」
「し、しかし!」
「たわけ。先ほども言うたじゃろが。蜀の人間同士で争ってどうする。……おぬしたちも何を呆けておる。降参するというておるじゃろうが」
なおも納得のいかないという表情の魏延を諭し、張翼たちに再度、降伏を宣言する厳顔。
「で、では、身柄を拘束させていただきます」
「うむ」
張翼の指示を受けた兵士たちに、その体を縛られていく厳顔と魏延の”二人”。
(……後は任せたぞ、由よ)
孟達の姿が無いことに張翼たちが気づくのは、それから数刻ほど後の事であった。
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刀香譚、三十七話です。
いよいよ物語は新章へ。
一刀達の入蜀をお伝えしながら、
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