SEED Spiritual PHASE-20 蠢く怨嗟の話し合い
ザフト軍カーペンタリア基地にほど近いケアンズ。グレートバリアリーフを臨む海上で、ザフト兵が連合製モビルスーツを用いての軍事演習を行っていた。アカツキ条約に縛られた現在では両軍の技術を融合した新型機製作など望むべくもないが、それでも軍事費というモノは下りている。統合国家構想により全ては一つの軍隊に守られると言う名目は、皆が信じられるほどには機能していないということか。まぁ軍の上役や政治屋がどう意図しているかは分かりかねるがパイロットは命ぜられた行動結果を逐一漏らさず報告できるようにするだけだ。
各種ストライカーパックでの動作性能実験結果……大半のものが大気圏内ではウィザードよりも優れた成果を上げている。特に大気圏内空戦用装備は特注品とも言える〝フォースシルエット〟にも迫る制御能力を見せ、これでウェポンラックも兼ねた上に低コストで済むと言うのは、
「全く……ナチュラルも馬鹿に出来ないな」
「実験できる資材が多いってことだろう?」
〝ジェットストライカー〟を装備した〝ウィンダム〟、〝ダガーL〟、〝スローターダガー〟からなる一群は空中でヘアピンを描き、それぞれがルート誤差を確認する――つもりだった。
「なんだ?」
電子警告音(アラート)に引き寄せられ熱紋センサーに目をやるなり皆が皆驚愕する。
「なんだ? 接近する熱紋?」
〈お前もか? 故障だろこれ!〉
〈いや、これは――!〉
僚機全ての熱紋センサーが〝ジェットストライカー〟最高速度数倍の速度で接近してくるのが確認出来る。全員がセンサーからモニタへと視線を流し、目視できた機影に息を飲む。
「黒い、〝デスティニー〟……!」
息を飲む。
全員が手に取ったライフルを模擬弾からビームへと変更した。頭部バルカン〝トーデスシュレッケン〟には実弾が入っていないことに懸念を覚えるがどうせフェイズシフトに実弾は通用しない。ペイント弾だろーがタングステンだろーが差異がないと腹をくくるしかない。
司令部から誰何の声。詳細を伝えれば絶句が返る。それでも捕獲ではなく撃破命令が返ってきたのは僥倖だった。
「各機散開! 円陣を組め。ビームライフルのレンジ以上は近づくなよ」
クロは一機を一射で仕留めるなり、散った敵機に意識を向けた。ロックオンアラートが四方から浴びせられ、機体を急停止させる。二人がかりの視界でも三百六十度に上下を足した包囲は少しばかり手に余る。
「ほぉ…」
流石に3度目の武力介入ともなると研究もされているらしい。〝デスティニー〟は遠中近全てのレンジに対応したモビルスーツではあるが、対艦刀やゼロ距離ビーム砲、サーベルにもなるビームブーメランなど近接戦闘に重きを置いた装備が充実している。それらのデータから敵作戦参謀は結論づけたのだろう。多方位からの遠距離攻撃を。
「アタマ使ったことだけは褒めてやる」
しかし〝ルインデスティニー〟は現行戦力への対抗手段として、作戦の優劣程度で封殺されるような手ぬるい存在ではない。ユニウス条約の上に立った〝フリーダム〟のように。
「――が、甘いな…!」
クロの思考をAIが飲み込む。光の翼に支えられた機動力は自身を中心とする円の包囲をいきなり崩していた。蜂の巣を作るはずだったビームの海の中央にはもう何もない。
「消えた?」
〈おぅっ――〉
通信機を打ち据えるノイズ。空しか映さないモニタ。流血などなくとも死の臭いが充満する。
〈後ろ!〉
〈こっちか!?〉
「遅いな」
クロの呟きが後ろに流れる。長刀を抜いた〝ルインデスティニー〟は眼前にビーム刃を構えるとスラスターを全開にした。
崩れる円。
光に追われる一周。
真昼に咲く花火に眼下から悲痛な溜息が漏れた。
「たった一機だぞ!? どぉゆうことなんだっ!」
「これは、無理だ。停戦の………」
「どうやって!? あれは要望の一つも寄越してこないんだぞ! こっちが攻め込んだわけでも無し…交渉しようがないだろう!?」
錯乱する指揮官。ガラスを通した遙か彼方に爆炎を棚引かせて広がり墜ちる自軍を目の当たりにすればその心地も致し方ないことかと思うしかない。
「……来ねぇな……」
打ち止めか? 訝しんだクロはティニとの暗号通信回線を繋ごうとした。あいつにハックしてもらい、リアルタイムでの敵軍戦力データを頂こうと。
「……?」
しかし彼女からの応答はなかった。これもまた訝しむも、思い至れば舌打ちで我慢するしかない。異常な情報処理能力を有する彼女も『個人』。ルナマリアが余所でモビルスーツを運用している可能性も考慮すると『話し中』も考えられる。
クロは思考を切り替えセンサーの感度、AIへの転送データをそれぞれ上げた。
たった今相手にした連合製品の軍隊は全滅。世界遺産に傷を付けるような行為に少しばかり胸が痛むもそれを言い出せばこんなところで軍事演習を許可した奴らが悪いのだ。海に浮び、ゆっくりと沈んで行く〝ウィンダム〟の残骸を目にし、追ってきたキラ・ヤマトではない〝フリーダム〟を思い出す。あいつは恨みにまみれていた。
(……………やっぱり殺さずに無力化させる方が、力を見せつけるってことになるのかねぇ…)
この機体とAIの誤差修正能力があれば量産機相手に不殺も容易かろうと思う。だが、やる気にはなれない。軍人として、相手の誇りも尊重したい。生き残ったからこそ泣く者もいるはずだ。それ以前に怨敵の猿まねをするなど誇りと心が許可しない
そんな不敵な微笑みを浮かべてみると、警告音と、次いでロックされた旨が伝えられる。AIが自分には知覚できない速度でライブラリの照合結果をどかどかウィンドウにして並べた。機械に比べれば遅々とした速度で一つずつ照合結果に目を通せば、出所は自然と推測できた。
AMA-953〝バビ〟、AMRF-101C〝AWACSディン〟。その数多数。
「成る程、カーペンタリアからか……」
〝ルインデスティニー〟のメインカメラを奴らに向けた。機銃や散弾銃は愚か量産期出力のビームライフルではどう足掻いたところでこちらには傷一つ付けられない。〝バビ〟の複相砲〝アルドール〟にさえ注意すれば他は全て無視しても構わないとさえ言える。
操縦桿を操りビームライフルを向けようとした瞬間、センサーが無数の機影を拾う。だが自機に向けられるロックオンマーカーの数は変わらなかった。
(なんだ?)
MBF‐M1〝アストレイ〟? フライトローター〝シュライク〟を装備したタイプだ。それが自分の背後からビームライフルを放ち――〝バビ〟を撃ち抜いた。
「を?」
〝ルインデスティニー〟に制動をかければ、〝アストレイ〟を中心とした混成の一団が追い抜いていく。
個人戦闘のしすぎが祟り、味方と言う概念を忘れかけていたようだ。思い至るなり笑いが込み上げてきた。
〈キラ・ヤマトは墜ちた! お前らの正しさが、全てじゃない!〉
機体も光線も通信も飛び交う雑多な戦場、外部スピーカーなのか全周波数通信かは判別が付かないが、そんな声がこちら届き……クロは操縦さえ忘れて大笑いした。AIが警告サインと共に勝手な回避行動を選択するが、クロは戦場のど真ん中で笑うことをやめられなかった。
「ははははははっはははははは! これはいい! 彼らの声、聞いてるか? 平和の歌姫!」
カーペンタリアからの奴らは彼らの所属を把握しているか? もし〝ターミナル〟だと分かっていたら、どう思っている?
「『なぜ〝ターミナル〟が自分たちに敵対行動をするんだっ!?』か? 世界が見えてねえ証拠だ。ラクス・クライン…! 何でも一枚岩で固めようとするその考え方が平和を乱すんだよ」
カーペンタリアから派遣された統合国家の兵士達は、クライン派資本で派生した〝ターミナル〟は味方であるに違いないと確信しているのではないか。彼らの挙動が乱れたのは他にどんな理由が考えられる? 裏切られたからこそではないか。
クロは笑いを停められないままペダルを踏み込み、所属不明部隊へと加わった。そして瞬く間に3機の〝バビ〟を刈り潰すと周囲の機体が一斉に鬨の声を上げた。
悪い気はしない。が、敗残兵如きがこの美酒に酔ってはならないだろう。クロは笑いを噛み潰すと撃ち込まれた〝アルドール〟へとシールドを向ける。〝バビ〟は火砲を放つなり間合いを開けるためかモビルアーマー形態に転じようとしたが、瞬間、三枚におろされて墜落していく。
更に鬨の声が〝ルインデスティニー〟とクロを包んだ。
(……こいつらは、この機体の名声を利用して喜んでるだけだ)
そう分かっていても口元が歪む。そんな自分に辟易しながらも快哉の中、次の獲物を求めたクロだったが通信機の鳴き声が彼の意識を引き戻す。
眼前の〝バビ〟を袈裟懸けに切り裂き逃げる〝ディン〟を、取り出したビームライフルで射落としながら、思考でAIに呼びかけ通信を繋ぐ。
「オレだ。今戦闘中」
〈どうも。連絡頂いたようで申し訳ありません〉
「ティニか? いや忙しいならいい。こちらは面白くなってきたところだ」
〈ノッてるところ恐縮ですが、示威行為ならそれで充分です。あと数時間でキラ・ヤマトが付近を通過するようです〉
………奮えた自分を隠したかったが、沈黙が彼女に伝えてしまっただろう。この話の流れでは、これは帰投命令だ。
「……〝ストライクフリーダム〟か?」
〈もちろんです〉
クロは口を開いたが覆い被せるティニの言葉は早かった。
〈万に一つも墜ちてもらっては困ります。周囲の見ず知らずを生け贄に差し出すべきです〉
「オニだなお前は……」
戦ってみたい――いや、本当に完膚無きまで叩きのめしたいという衝動を抑えるのは厄介ではあったものの戦士の矜恃、殺戮者の快楽のために大局を見失えるほど若くない。
ついてくる有象無象を確認する。彼らは自分を救世主と祭り上げ、希望に満ちてモビルスーツを扱っていることだろう。その心を裏切るのはやぶさかではないが、彼らとの間に契約も約束もなにもない。その言い訳が罪悪感を少し薄める。〝ルインデスティニー〟はカーペンタリア基地の方角へと最大速度を発し、後続を目視不能距離まで突き放しながら――
「心に殉ずるのは英断だとよく書かれるが……判断力を容易く掻き消す興奮に従うってのは本当に褒められた行為なのかなぁ……」
ミラージュコロイドを展開した。
数ヶ月ぶりに足を使っていた。ナチュラルは問題外。コーディネイターでも似たようなモノだ。のろまな人間は仕事の足を引っ張っている。速度を要する仕事をどんどん機械に任せるのは賛成だがそれを扱うのがのろまのままでは性能を最大限に引き出しているとは言い難い。だから自分はいつまでも機械の一部として働き、足を使う余裕すらない。
ティニと呼ばれて久しい昨今だが、元は別の呼ばれ方をしていた。それも限られたコーディネイターのみから。
「お久しぶりです」
呼ばれることを制限されていたのではない。人目に晒されることを制限されていた。彼女をこの地に連れてきた男はもうこの世にはいない。
「〝エヴィデンス〟か……。早いな。活動を開始したと聞いていたが、暇なのか?」
歩みが、止まる。ここには僅かな明かりしかない。
蔑むように嘲るその声は仮面が発していた。昆虫を連想させる無機質な眼球がはめ込まれた白い仮面。
「淋しがっても用がなければ来てあげませんよ。ラウ・ル・クルーゼさん」
その呼びかけは正しくないかもしれない。これは肉片。機械に繋がれ生きさせられている肉。仮面を被る破片。声すら合成音。ビームサーベルの熱で足を灼かれ、ガンマ線の嵐に流されながらも天帝(プロヴィデンス)の欠片に縋り生き延びたと聞かされている。そんな生き残り方が可能なのかどうか調べたことはないが言葉が交わせれば特にその辺りはどうでも良い。動かないが、話すラウ・ル・クルーゼ。彼女を連れ出した二人目のなれの果てだ。
クルーゼを名乗る何かはくつくつと嗤う。ティニはそれを一顧だにせず抱えてきた疑問を手渡した。
「L4宙域で同業者とザフトの小競り合いがありました。私の予測では確実に全滅と考えていまして――」
「事実、そうなったのだろう?」
嬉しげな問いかけに彼女は軽く嘆息を漏らした。解は得られたようだ。
「〝ジエンド〟を晒す意味があったのですか? あれはもう私が管理しているはずですが」
「そうだな。意味など無い。戯れだ。お前が『要』を各地に送り込み恐怖政治の下地造りをしているのと同じだ」
要。そう要だ〝ルインデスティニー〟は。秘密裏な製作が災いし、技術は脳裏に残っても再製造は不可能と思われる。要だ。分かっているが、話をすり替えられては困る。
「人間全部を滅ぼしたいあなたが、私の邪魔をすると?」
「導けると本気で思うのか? 奪い、殺し、壊し、費やす。そう言った負を駆逐するため壊す以外の道を選べない愚かな種を。
ヒトの中で最高の存在は私を殺す際、それでも守りたい世界があると叫んだ。だがそれを守って何になる? 今の彼はどうだ? その言葉を守るために己を殺して殺戮を繰り返す。そんな心の裏を気づくものは誰もなく、あるいは神と! あるいは悪魔と讃え罵る! 人の夢の究極はそれを望むのか?ならば人は全て、心を闇で満たすことを望むというのか?
望まず、それでいて苦しむことから逃れられないというのなら存在こそが無意味。それを守ろうなど無価値!
私が先見したとおりだ。これが人の定め!人の業なのだよ! 〝エヴィデンス〟!」
激する彼の言葉を聞きながらティニはそれを言葉遊びと断じ、嘆息した。個人の思想の穴を見つけ、論破するなど容易いこと。そこから代替案を提示できねば蔑む資格などありはしない。
「それで? 人が憎いから〝ジエンド〟を意のままに操り全滅させようと考えるのですか?」
それでもこの男、揺らぐことなく闇側に属する存在の意見は価値がある。
「〝ジェネシス〟を用いるよりもかなり効率が悪いと思いますが」
恐らく笑ったのだろう。
「大量破壊兵器など、不要だよ〝エヴィデンス〟。ヒトは滅ぶ」
……嗤ったのだろう。
「だからこそお前が出てきた。違うか?」
違わないのだろう。だから自分はこんな、思い知らせるための道を選んだ。
「そうですね。反論の余地はありません。ですが、アレの使用許可は出せません。私が無力となるその時まで、触れないでください。あれは、私の所有物です」
凄んだところで少女の姿では彼に恐怖など与えられまい。いや、死を超越したとすら言える彼に恐怖を植え付ける存在などいるのかどうか。何者も彼の心を怖れさせられない……それだけを取れば神のようではないか。
「おぉ…〝エヴィデンス〟……。そろそろ戻った方が良いのではないか? キラ・ヤマトと『要』がニアミスしかねんぞ」
彼はどこまで見通せているのか。脳波だけでモビルスーツを操る存在……。ティニは彼にだけは脅威を覚えていた。
「警告はしました。それでも邪魔をするようでしたら、あなたでも消します」
歩み寄り足を上げる。
「踏めば死にますから」
彼の頭がない位置へと足を下ろしながら携帯端末を取り出し操作。アパラチア、オーブ同盟軍を引き連れたキラ・ヤマトがシンガポール上空を通過したとの報が入手できた。予測される侵攻ルートは有力なものが二つだが恐らく、彼は抵抗活動の規模よりも〝ルインデスティニー〟を選ぶだろう。恨みを抱かぬはずがない。一時間程度の猶予を加味し、東南アジア、オセアニア間の〝ジェットストライカー〟での到達平均時間を割り出し、同時に星流炉の出力計算を初めて思い直す。光圧推進のみに頼った場合は〝ジェットストライカー〟と同等と考えるべきか? 手に入らないデータに辟易しながら歩を進め、時を見計らって報道の隙間にクロの現在活動状況を忍ばせる。
「〝エヴィデンス〟……お前は地球人類をどう思う?」
置き去りにした遙かから怨嗟の声がかすかに届いた。振り返り、応える。彼が見えていないとしても。
「愛しい、とは感じませんが、嫌いじゃありませんよ」
一歩。そして相手の心を見透かし、片手で端末を閉じ、彼にとって魅力的に嗤いかける
「私は世界を救うために行動していますから」
SEED Spiritual PHASE-21 心、破裂
その雑誌の中央には見開きでこう記されていた。
『軍神堕つ! 統合国家もこれで終わりだ!』
カガリ・ユラ・アスハはその雑誌を叩き付けた。しかし毛足の長いカーペットに沈み込み、怒りを静めるような甲高い音は響かなかった。
その日、閣議の最中によく似た行動をした閣僚がいた。
「何と言うことを! キラ様に守られていたことすら忘れ去りこの書きよう! 国家反逆罪ですよ!これはもうっ!」
興奮していて口走っているものの意味すら考えられないと言うことなのだろう。何にせよ、政治家が漏らして良い言葉ではない。それでもカガリはあえて諭し鎮めようとは思わなかった。若輩であると言うことも理由の一つではあるが、胸中で完全に同意していたらからに他ならない。自分ならばその言葉の後ろに「死刑だ」すら付けたい。更に絶対政治家の漏らす言葉ではないが親しいものを貶められるその屈辱は筆舌に尽くし難い。
「しかし……。キラ様の敗北は……あの方の力が大きな抑止力となっていた以上……これは――」
〝ロゴス〟の地位をかすめ取って君臨する簒奪者達――そんな世論が再燃すれば、今抑え得る言葉は自分にあるのか?
究極のモビルスーツと究極のパイロットの恐怖による統治。デスティニープランと何が違う?――敗北が容易に嘲笑に塗れかねない。そうなれば失われた権威を取り戻すまでどれほどの言葉と刻を費やさねばならないか…………。
(わたしも、キラに頼っていただけだったと言うことか……)
そんな考えに至る自分を嫌悪した。
会議の最中、提示された映像に顔をしかめる。
燃やされるオーブの旗。使節団に暴行を加え逮捕される異国民。復興協力者は頭に生卵を張り付かせて拳を振震わせていた。直情的なカガリの胸中には助けに行く価値など無いと叫ばせかねない映像群だったが為政者がそれを口に出すわけにはいかない。これ以上この国――この国家群に付け入る隙を与えるわけにはいかないのだ。
地球圏汎統合国家。
〝アカツキ条約〟に基づく相互協力同盟国家群。その名の通り〝ブレイク・ザ・ワールド〟で疲弊しきった世界を生き残るために束ねる協力体制。言わば国家単位の独裁政治体制だが復興の完了した国家から順次独立していく予定が崩され地球上に未成熟な群衆が溢れかえるのはいただけない。『旧〝プラント〟理事国』など破片を受けても自力復興可能な地域は問題ない。だが今すぐ放り出されれば無政府状態になりかねない地域はどうだ? 不毛な世論を無責任に吐く民衆は、未来を見据えて暴言を吐いているんだろうな?
「代表……」
「あぁ……。キラは、アパラチアだったか?」
「いえ、今は――」
知っている。
カガリは代表首長としてではなく、姉として沈鬱な気分に沈み込んだ。
ロドニアの研究所(ラボ)。マルマラ海にほど近い場所にひっそりと建設された強化人間製造施設。地球連合の『裏側』はこうした生物兵器研究所を複数有していたらしいが、ザフトが発見、接収できた場所はここだけだった。〝ミネルバ〟のクルーはまさにその接収に立ち会い、専任部隊到着までの間内部調査を行っていたのだが、当のクルーだったルナマリアは……実はここに入ったことがない。丁度その頃アスラン・ザラの監視を行っていたため、皆が知っていることを自分だけが知らない。――そんなことでも考えていなければ持て余してどうしようもなかった場所に、ようやく輸送機が風を殴る音が轟いた。
「お待たせー」
〈遅いよっ!〉
「人目を忍んで国境またいでなんだから、これでも頑張った方だって……」
事実、大人数は無理だった。どちらにせよ組織に人員はほとんど無いため人材捻出など願うべくもないが、果たして3人とハロ3つでどれほどの調査ができるものか……。
輸送機が着陸するなり〝ストライクノワール〟が膝を折り、ヴィーノがタラップに足をかけるとルナマリアが降りてくる。
「おーい……ちゃんとモビルスーツにロックはかけた? 見張りはこいつ一機置いてくだけだぞ」
「やったわよ!――…………っ!」
言われてみると自信が無くなったか、ルナマリアは聞こえよがしの舌打ちを零すと再度コクピットに戻っていった。
「……どうしたもんかな…」
「でも、気持ちは分かるだろ? 俺もシンに会いてーよ」
「その情報からして確定とは言い難い気がするけどな」
ルナマリアからもたらされた情報はディオキア近郊で目撃されたシン・アスカがここロドニアに出没し、そして見失ったと言う報告。
「でもさ、全く信じられないんならティニや博士が許可出さないだろう?」
「その博士は今いないわけだし、ティニも面倒になっただけかもよ?」
ヨウランの皮肉混じりの意見に辟易したか、ヴィーノが口を尖らせる。話の種が尽きぬうちにルナマリアが機体から駆け下りてきた。
「準備できてる?」
「おう!」
「とりあえずは」
ヨウランの操作でハロの一機が輸送機と〝ストライクノワール〟の間で浮かび上がる。
「大丈夫なんでしょうね。アレ…。実はおもちゃとか言わないでよ」
「一時アスランが狂ったように造りまくったと言うアレとは別物! あれで戦艦規模の熱紋センサー積んでるって聞いたぞ」
「元は一緒とか聞いたけどな」
ジト眼で睨んでくるルナマリア。ヴィーノは慌てて取りなし、ヨウランは我関せずを貫きながら研究所の内部へと足を踏み入れた。ヨウランは電子ペーパーに何かデータを表示させて先頭を歩いていく。視線を隙間から注ぎ込めば地図データのように見える。以前ザフトが踏み言った際に入手したデータだろうか。
「……わかるの? シンのいるトコ」
「建物地図しかデータはない。あぁ熱紋センサーくらいなら――」
ネズミ辺りが多すぎるのか、生きている機械が多すぎるのか。意外と返ってくる反応が多すぎて全く意味を成さない。ヨウランはセンサー機能を切って首を横に振る。
「呼びかけて応えないようなら虱潰ししかないよ」
「大丈夫なのそんなんで!」
通路を歩きながら、何もしていないミニスカに顎で使われる。その事実にヨウランは少しばかり気分を害し、変わらず笑顔で歩みを進めるヴィーノを横目にした。
(この女……アカデミーから…)
性格もあるだろう。当然ザフト内ではパイロットの地位が高い。当初の地球連合との戦いで優位に立てたのがモビルスーツのお陰と言うこともあって持て囃されるのは納得もしよう。だが、それと心の置き所は話が別だ。大体赤い〝ザクウォーリア〟の整備をしてやっていたのは誰だと思っているのだ?
(……襲ってやるってのは、どうだろう?)
ヴィーノなら、喜んで賛同しそうな気もする。以降立場が逆転するなら劣情に任せるというのも…………………やめよう。事実判明しようものなら意外と規律にうるさい弱者の味方クロにマジで殺されかねない。
今の組織から放り出されたら、行く所などないのだ。今のザフトに行く気にはなれない。アーサー副長は巧くやっていると言うので門戸が閉じられていると言うことはないだろうが、自分には誰にでもいい顔をすることは出来ない。
(あぁ、エイブス主任とか、話すと協力してくれたりするかな……。アビーとか、今どこにいるんだろう)
連絡を取れるような立場ではないか。ヨウランは流れていった思考からふと思いついたことを試してみる。
「なに?」
「いや、こっちのセンサーで、体長150㎝以上とかに限定すれば――」
『お!』
反応は、あった。地図データと照合すると、かなり深い。しかもデータが完全ではなかったのか、ブラックボックスにマーカーが灯っている。
「これ……」
画面を指さすとヴィーノが覗き込んできたがルナマリアが彼を押しのけ視界を確保。ヨウランはいきなり睨まれる。
「早くっ!」
「あ、ああ…」
三人が走り出す。ルナマリアは先頭を走りながら時折振り返り「どっち!?」と聞いてはヨウランが慌てて地図の光点を追い、ナビゲートする。彼女を抜いていいものか迷いながら、やがて地図は自力で道を描き出す。
「どっち!?」
「いや、わからない。でも光点はそっちだ」
舌打ちを何度か聞きながら、彼らの聴覚がやがて声を拾う。悲鳴にも似たその声にルナマリアの表情に悲壮感が滲んだ。
「……シン!」
ヨウランとヴィーノも地図から視線をもぎ離し彼女の後を追って走り出した。
程なく、研究資材、テーブル、寝台と思しきものがひしめく青い一室が飛び込んできた。彼女はどうか? 恐らく黒髪の男しか目に入っていないのではないだろうか。
鉄扉と思しき壁材の前に、一人の男が頽れている。微動だにしないその姿に三人は少しばかり怯み、手だけを伸ばすも声をかけられずにいた。刹那突然、
「ステラ……ステラァアアァァァァァアアッ!」
そのものはこの世のものとは思えぬ絶叫をのべつひしり上げた。仰け反る三人は見た。叫びながら鉄の扉を掻きむしるその手に爪が残っていないことに。
「し、シン……」
へたり込むルナマリア。ヨウランは彼女に気遣う視線を送ったものの何も出来ず、まずは、とシンへと駆け寄った。ヴィーノも同じ心地だったかあとを付いて走ってくる。
「ステラァアアァァァァァアアアァアア!」
「お、おいシン……!」
「し、シン!」
肩でも叩くべきか、血塗れの手を無理矢理引き寄せるべきなのだろうが、触れる勇気は出なかった。精一杯の呼びかけも彼の意味不明の絶叫に掻き消されるかと思いきや、いきなり彼の声は止まり、ゆっくりと振り返った。
「あ……ヨウラン、ヴィーノか?」
「よ、よぉ……」
ヨウランは未だぎこちなさを隠せなかったが、
「お、……ぉぉぉおおおおシン! 久しぶりぃっ!」
ヴィーノは喜色満面でシンへと抱き付いた。そして一言二言……彼の言葉に異常はなく、ヨウランも次第にうち解け始めた。
「一体何やってたんだよあれから! ザフトにも戻ってないしオーブにもいないしでおれ結構探したんだぞぉっ!」
「あぁ、ワリ……」
笑顔を見せ始めたシンの眼が、遠くを捉え、凍り付いた。
「――る、ルナ……?」
「シン……!」
ルナマリアの目から、涙がこぼれ落ちた。身体が震え、やがて再会の喜びに口端がつり上がる。口元を手で隠し、震えを持て余し、微笑みが零れてとめられない。
「し、シン――!」
その喜びは、瞬時に打ち砕かれる。
「く、来るな……」
「え?」
ヴィーノもヨウランもルナマリアも後ずさるシンの言葉を疑った。それを受け止めた自分たちの耳を疑った。シンは、何を言った?
「来るなっ! ルナ、来るな!」
「な……!? どぉしてよシン!」
「来ちゃ駄目だ……おれが、おれが、おれじゃあ! みんな死ぬんだ! ステラ、マユ…あぁぁああステラあぁっ! いるんだろ!? 出て来て、笑ってくれよぉっ!」
振り返り絶叫しながら再び扉に縋り付く。
この上なく怖ろしい地獄がここにあった。こんなものに会いたくて、焦燥感を抱えていたのか? こんなものが見たくて走り続けていたのか?
「すて…ステラァァァ……!」
居たたまれ無さは誰にも押し付けられない。気付けば走り、逃げ出していた。
「る、ルナマリ……!」
「いや、追うな。これはルナマリアにはキツ過ぎるだろ……」
扉に血の筋を付け叫ぶ彼を留める術を、二人は持っていなかった。医療器具を持ってこいとは言われたが精神科に関係する薬なんて持って来ていないし、手の治療をしようにもシンの性格からして押さえつければひじ鉄喰らわされそうである。
「どうするよヨウラン……」
「うーん……これを開ければ、納得するんじゃないか?」
薬はないが、コンピュータのような機械なら持ってきている。ヨウランは扉の端を調べて適当な端子を見つけるとクラック作業を試みた。
SEED Spiritual PHASE-22 衝突戦闘精神
どこをどう走っていったか分からない。ナビゲートが無ければ再度奥にまで辿り着くのは不可能かもしれない。それでも今、ルナマリアは〝ストライクノワール〟のコクピットの中で顔を埋めて沈んでいた。
世界が終わったような心地が後頭部を押している。視界に何も映したくない。索敵を続けるセンサー群の電子音は煩わしいが、意識は内へ内へと沈み込み、徐々に聴覚も無意味になっていく。
わたしは今、世界で一番不幸だ…………。
他者を鑑みる心など、ない。
不幸を胸の内に抱えたまま、ハロと〝ノワール〟は周囲に意識を向け続けた。
「……えっ?」
通信が何も返ってこない。ライラは怪訝に思いながら、スラスターを切った。翼端が推進力を止めても機体を滑空させる。その間、ロドニアにいるはずの〝ウィンダム〟達への通信を繰り返すが、やはり返らない。先程母艦に寄ってきたときは、特に問題など無かったはずだが……。
(疲れたら帰れ、とか、命令適当すぎた? そぉ言えば定時連絡とかどうしてたっけ……)
恐らく母艦は「異常がなかった」ではなく「異常を知らなかった」が故の問題なしだったのではないか? 思い至るとそんな気がスゲェ気がしてきた。スラスターを切りはしたが捉えられてない保証はない。センサー類に目を懲らすも特に熱源は見つからない。しかし――
何かがあるという情報など広まっていないロドニアに駐留させていた〝ウィンダム〟5機を破壊して、何もせずにここから撤退? そんな存在有り得ない。
ライラが心に結論づけたその瞬間、モニタの一点にサークルが出現する。指先が閃くとその真下に型番が表示された。GAT‐X105E。
「……〝ファントムペイン〟?」
そんなわけがない。だが、相手にも気付かれただろう。ライラは再度スラスターを点火した。
〝カラミティ〟がこちらを捉えたとき、〝ストライクノワール〟とハロもその機影を認めていた。
「何!?」
絶望に微睡みかけていたルナマリアをアラートが叩き起こす。眼を白黒させながらスリープモードを解除すれば二つ砲をこちらに向ける重々しいフォルムのモビルスーツがモニタを占める。
「! ハロ!」
皆まで言えずに機体を横滑りさせれば座り込んでいた場所を極太ビームが貫いていった。建物は避けたか吹き飛んだのは土塊ばかりだがハロが無事かどうかは確かめようがない。
「何なのよ!」
毒突くも理由は直ぐさま思い当たった。先刻全滅させた〝ウィンダム〟、その友軍なのだろう。一機で来るところを見ると哨戒にでも出いていた可能性がある。
(と、すると、母艦とか近くにあるんじゃないでしょうね……!)
目先の目的に周囲が見えなくなっていた。一軍のど真ん中にモビルスーツ一機とヒト三人で攻め込んだようなものではないか。
唇を噛む間にも敵機からの射撃が降り注ぐ。シールドから断続的に降り注ぐビームの雨を大地を飛び回り避けつつこちらもショートバレルのビームライフルを両手に取る。
「調子乗ってんじゃないわよォ!」
ロックオンと同時に連射する。数発は掲げられたシールドを捉えたが敵機は横滑りして残りを回避する。〝カラミティ〟が〝レイダー〟の上に乗っかってオーブを攻めている映像を見たことがあるが、どうやら目の前の機体は型番通りの奴ではないらしい。
「フライトユニット付けただけってんじゃないみたいね……」
なおもビームライフルを乱射しながら研究所を滑るように駆け抜ける。
ライラは横滑りを繰り返し正面モニタからたびたび消える〝ストライクノワール〟に苛立った。
「何こいつ!? こんなに動くの〝ストライク〟って!」
115㎜2連装衝角砲〝ケーファ・ツヴァイ〟を眼下目掛けて乱射するも敵機は防ぐことをせず全てを機動性だけで回避する。攻めているのは自分だと思うが、何だか嘗められているようで腹立たしい。そして反撃に返される連続射線。弾幕と機動性が巨大火砲の使用を制限してくる。元は砲撃特化である〝カラミティ〟の利点を制限されているようでこれもまた腹立たしい。
〈ロアノーク少佐? いかがされました?〉
「こっち全滅してるわ! 何で気付かないの!? さっさと増援寄越しなさい!」
〈あ、いえ…帰投する予定など――〉
ようやく繋がりとてもとても悪いタイミングで話しかけてくる母艦に一喝喰らわすと再度に映ったモニタを強引にクローズ。一応ライラもこういった部隊にいることから〝ノワールストライカー〟の特性は熟知している。あの武装に距離を詰めるのは遠慮したいところだが…ライラは腹を決めた。
「降下してくる!?」
乱射されるビームライフルショーティの火線を全てシールドで受けながら降下、接近してくる。〝カラミティ〟が腰部から一本の対艦刀へと手を伸ばしたのを見て取りルナマリアも背後のビームブレイド〝フラガラッハ3〟へと手を(マニピュレータ)を伸ばす。
二つの実体剣が火花を散らした。互いにビーム刃を備えた長物、角度を一つ誤るだけで刀身が飛びかねない。そして普通の対艦刀は両端の発射口が互いに粒子出力と粒子固着のみを担っているため刃を折られればビームサーベルとしては扱えない。豪快な鍔迫り合いに見える戦いもかなり緻密な角度調整が必要となる。エース級の戦いともなればナチュラルが合わせるのはほぼ不可能だ。
振り下ろされる対艦刀が最高速に達する前に抜き打ちの刃の腹を合わせる。弾かれ体勢が崩れた機体へとビーム刃を叩き降ろす。〝カラミティ〟はシールドを投げ捨てながらもう一振りの対艦刀を抜きはなった。ぶつかりかけ、撓むビームエッジ。武器を失う可能性をかけて肉を切るか、無傷に徹して次の有利にかけるか、ルナマリアは迷うことなく刀身をずらし、実剣が斬り飛ばされる前に一閃を弾く。
二刀の得物を弾き散らされ体の開いた〝カラミティ〟。〝ストライクノワール〟は左のブレイドも手にするととどめを差すべく――突如脇から撃ち込まれたビームに仰け反りスラスターを前方に噴射させて間合いを離す。
「反射神経いいわね……!」
対艦刀〝シュベルトゲベール〟の完成型はエッジの部分にビーム砲が仕込んであり、射撃武装としても用いることが出来る。〝ソードストライク〟のイメージから知るものは少なく隠し武器として機体できるが邪道の技は種が明かされてしまえば有用性が半減する。ライラは舌打ちを零しながら二つの剣を引き戻した。
逆走の勢いを踵で殺し、再び迫る〝ストライクノワール〟。〝カラミティ〟はその場で待ちかまえる。モニタで瞬く間に巨大化し、視界全てを埋め尽くす黒い機体は凄まじい恐怖感を叩き付けてくる。
振りかぶられた〝フラガラッハ3〟を半身を引いて回避する。コンクリ地面を爆砕させる一振りのソード、かがみ込んだ〝ノワール〟へと二振りの剣を振り上げる〝カラミティ〟だが空いた胴部にもう一振りが叩き付けられた。
「ぅぐっ!?」
だが相手も狙って斬ったわけではないのだろう。そうでなければフェイズシフト装甲をも無効化する光の刃が自分の腹ごと機体を上下に両断していたはず。ライラは増援部隊の到着時間を計算しながら更に敵機との間合いを離す。相手がバックパックのスラスターを点火したのを確認し、奴へと〝スキュラ〟をぶちかます!
「げっ!」
勢いは殺せない。両手の刃を眼前で交差させるも複相砲を防ぐ防御力は期待できず、一振りが半ばから砕け散る。再度バーニアを点火し、真横に振った機体が――撃ち抜かれる前にエネルギーの奔流をいなすも失った刃を横目で確認。ストライカーパックに戻さざるを得ない。
「やってくれるわねこいつ!」
冷たい汗が襟元を濡らす。爆煙晴れぬ中、相手は再度接近戦を挑むと考えていたルナマリアだったが、予想に反して〝カラミティ〟は更に間合いを離している。
「どういう……?」
疑問に思いかけ、思い至る。こいつはこの研究施設(ラボ)に用があって訪れたのではないか?
ライラは焦燥を感じながら先程〝シュラーク〟をぶっ放した所へ駆け戻れば懸念の通り、ラボの入り口が開いている。中に、誰か入った?
「あぁもぉ!計画滅っっっ茶苦茶じゃない!」
こんな判断、無防備な機体を撃ち抜かれかねない。が、放置できる事態ではない。あの〝ストライクノワール〟を瞬殺出来ればいいのだがかなりやる奴相手にそうも言えない。髪を掻きむしりたいがヘルメットに邪魔される状況の中、毒突きまくるライラは機体を寝かせないままコクピットハッチを開いた。
急接近し、ライフルを構えたルナマリアだったがモニタが余計な物を拾いその指を押さえつけた。〝カラミティ〟のパイロットらしき人物が建物内に入っていくのを見てしまった。
「ぁ……うっ…!」
破壊するか後を追うか、一瞬の逡巡が生まれる内に人影は見えなくなってしまった。撃ってから追えばいい。破片が飛んでも地下にいるはずのヴィーノ達には影響はない。が、もし彼らが入り口まで出てきてたら? 入り口が埋まったら、どうにか出来るか?
「……もぉっ!」
結局撃てなかった。ナチュラルでは不可能な速度でキーボード叩きまくりロックをかけると拳銃を手に機体を下りる。大体の道筋はまだ脳裏に残っている……と思う。敵の姿は見えないが、ルナマリアは後を追って走り出した。
ライラは完全に記憶している地図に沿って迷わず通路を駆け抜けていく。反対にルナマリアは不完全な地図に従いより迷路に入り込んでしまっていた。
最深部。ライラはブルーノ・アズラエルから受け取ったコードを思い返しながら扉に手をかける。
「う……」
何者かがアクセスした形跡が見て取れた。最悪を予感して扉に手をかければロックも何もなく、難なく扉がスライドした。
「ルナか? さっき偵察ハロの送信……いやもうちょっと来るのは待った方が…」
「――いや、待てヴィーノ!」
作業服姿の男が二人。その片方が振り返り、ライラを眼にして目を見開く。そこには拳銃が映っていた。
「ヒトん家勝手に入んないでよ」
もう片方も振り返っていたがライラは躊躇わず銃声二発。男二人が鮮血迸らせもんどり打って倒れ込んだ。ライラはナイフを取り出し人差し指の人工皮膜を切り取ると義手の基部を露出させた。意志を込めると先端が電気信号に従い展開する。それをロックパネルに差し込みアクセスすれば扉が閉まり、外面を拒絶する。
「す…ステ…ラ……」
「もう一人いたの…」
ライラは素早く撃鉄を起こすと更に歩みを進めた。問題のドアに縋り付いている男が一人。
ブルーノから預かったコードが再び脳裏に閃く。
撃鉄が立てる軽くも不吉な音。
彼が振り返った。
「――お!!」
シン・アスカの赤い瞳がこちらの瞳を見据えていた。動揺に抗しきれず取り落とした拳銃が暴発し、部屋のどこかで跳弾が起きたがそれに首をすくめることもできぬまま震えた。
「なんで生きてるの……?」
戦慄きながら差し上げた右手が電子音と共に指を曲げる。生きているなどと聞かされてはいない……! 完全に思考が停止した。どれくらいの時間と聞かれても答えられないほどに。
「――っ、あぁっ!」
パニックとはこういうことか。掌で顔を抱けば義手の鋭端が頬から血を流させた。ライラは最後の一人を殺せぬまま振り返り走り出すと先程閉めた扉に阻まれた。
「――っ!」
あとを見越して行った行為だが、今はそれが恨めしい。指先を突っ込めば直ぐさま開くはずだがその先端挿入が焦って出来ない。
「ったくっ!」
呻き声が背後から聞こえ、殺し損じたかと歯がみするも今はそれに対応できる心の余裕などない。
開くドア。
銃声聞きつけて追いついてきた赤い髪の女と鉢合わせた。
「っ!」
「あんたっ!」
ルナマリアは拳銃を振り上げトリガーを引いたが、訓練規定のない現在、彼女の身体には悪い癖しか残っていなかった。捻られた手首。逸れる銃弾。結果銃弾はライラの真横を遠くに過ぎる。
「邪魔ッ!」
ライラは体を落とすと下手さに愕然とするルナマリアの腹へと鋼の拳を思いっきり叩き込んだ。
「ぉぶっ!?」
殴打に横隔膜を貫通され頽れたルナマリアが吐血しそうな勢いで咳き込み始める。壁を排除したライラはあとも見ずに駆け出した。
駆け足の音が聞こえなくなる。
ルナマリアの咳が収まった。
「………っごっ…あ、あいつぅ…女の腹殴るなんてどういう教育されてんのよ…」
「だ、だいじょうぶか?」
「……そっちも大丈夫?」
血を流しているところを見ると二人も何か攻撃を受けたようだが腐ってもザフトの兵士。整備員とは言えコーディネイターの軍人。暴力相手にそう簡単に殺されたりはしない。
「なんだよ今のコ……。可愛い顔していきなりコレかよ…。あ、シン! お前大丈夫かよ?」
「あ、あぁ……」
シンの落ち着いた返答に三人は訝った。さっきまでステラステラ騒いでたのが嘘のように鎮まっている。が、代わりに開いた扉の先を瞬きもせずにじっと見つめ続けている。
「――って拙いわ! 早くここから出ないと! あいつモビルスーツ持ってきてたのよ!」
「はぁ!? じゃあさっきのハロの…てゆーか何でやっつけもせずにここに来たんだよ!」
「あんた達が心配だったのよっ!」
シンが、だろ? と言いたかった言葉を飲み込みシンに肩を貸す。すんなり従った彼に胸をなで下ろしながらヨウランは言い合いを始めそうな二人の脇を通り過ぎた。
「そんなこと言ってる場合か。ここ爆破されたらどうする。それに輸送機も〝ノワール〟もぶっ壊されたら帰れなくなるぞ」
言いたいことを抱えながらも三人は揃って走り出した。
ライラはここも後ろも見ずに〝カラミティ〟へと駆け込んだ。システムを立ち上げ真横の〝ストライクノワール〟の存在すら意識できぬまま飛び立つと程なく援軍からの通信が入り、センサーが何機かの〝ウィンダム〟を確認する。
〈少佐! ご無事ですか〉
ライラは慌ててモニタから目を反らしたが息を飲む部下の気配が伝わってきていた。
〈し、少佐?〉
「ごめん、お願い! ちょっと話しかけないでッ!」
涙?
指示を出すこともなく一直線に飛んでいく上官の姿に彼らは翼を止めるしかなかった。
〈……どうしましょうか?〉
〈仕方ない。お前達はラボの方へ向かってくれ。私は少佐が気になる……〉
彼女に記憶操作処置はうまくいかなかったと聞いている。だが場合によっては記憶調査、必要かもしれない。
〈機影1! ……いえ、2か? ラボから離脱していきます!〉
こんな部隊でいつまでも裏側を支配していけるのか…壮年のパイロットはその報告に歯がみした。
SEED Spiritual PHASE-23 気味の悪い映像
キラ・ヤマトによる虐殺
――統合国家中心で叫んだら逮捕されかねない言葉を表す映像を見ながらディアナは震えつつ呟いた。
「最前線ってやだわぁ……。指揮官だと何か失敗しても何とか逃げ延びることも出来るでしょうけど、兵士はまず助からないじゃない?」
それを兵士(オレ)に言うか。クロは機械と繋がるティニの横でストローくわえるディアナを不思議なものでも見るような視線を送ったが、彼女は笑顔で眼を返してきた。
「ね、クロはザフトだったんでしょ?」
「じゃなきゃ緑を着てる意味がわかんねーよ」
ルナマリアもそうだが、自分は彼女らとは十の桁で歳が離れているというのにまるで同年代のようにあしらわれる。
「で、パイロットってことはずっと最前線なわけでしょう? 捨て駒だなぁとか考えないの? 隊長はいいよなー命令だけしてればいいんだからよー、とか愚痴ったりしなかった?」
もっともな意見と受け取るヒトもいるんだろうが、クロは視線をそらしながら反発した。
「兵士が死ねばその負けは指揮官にまで流れていく。そんとき多分思うだろうよ。「指揮盤なんかいらねぇからモビルスーツに乗ってれば」って。眼前に迫った不条理に対抗できるのは最前線だよ。だからオレは、こっちの方がいい」
「はぁ~……そう言うもんかな」
「二人とも、そろそろ始まりますが…見ませんか?」
ディアナは愚かクロまでもティニが表示したディスプレイに吸い寄せられた。知り合いが報道されると何故こんなに手に汗握るんだろうか。
『――に加え、本日はDSSD研究員でもある数学者ノストラビッチ博士をお招きしています』
「おぉ……」
「博士、いつも怒ってるみたいだから全っ然印象変わらないわね…」
ノストラビッチは数学者である。過去にも経済番組のコメンテーターなどでテレビ出演をしたことがあると聞く。DSSDの第一級管制官はコーディネイターでも合格に2年かかると言われる最難関。当然そこの職員はスーパーエリートと見受けられ、コメント一つに凄まじい付加価値がつく。
(興味がない人にとってはそんな価値などどうでもいいんだろうが)
実際、クロも話の内容には欠伸しか出ないだろうとアタリを付けていた。ただ知り合いが出るから見たいだけだ。ティニがウィンドウを巨大化させるのをそのまま見つめていたため座る場所を選び損ねた。どちらにせよティニの周囲には機械と機械と機械とケーブル束しか見受けられないため座る所など探しようがない。仕方なくディアナがもたれた機材に肘をつく。
「あぁ、始まりましたね」
討論番組だった。それを知らなかった自分を少しばかり恥じる。ナチュラル、コーディネイターを問わずテーブルに座って話しまくることを生業とする人々がずらりと並んで語っている。
話の内容はやはり欠伸誘発ものであった。大西洋連邦の現政権に対する陳情の数々。最初の頃はクロもディアナもノストラビッチが映る度に「おぉ!」だの「ああ!」だの奇声を上げていたがそれもだんだん下火になる。
そんな折り、
〈では、博士はあの黒い〝デスティニー〟についてはどう考えられます?〉
〈ほぅ? どう、とは?〉
〈統合国家の現行……いえ、ワンオフ機をも凌駕するあの性能……どう考えます? えー、例えば、装甲とか?〉
やはり画面の奥でもノストラビッチは怖れられているということなのか。問われた相手は言葉を探している。
「……流石博士。どこでも性格悪いな…」
「あー、クロ、あとで覚悟しときなさいよー」
〈完全相転移(トルーズフェイズシフト)ですか〉
専門用語の一発にじゃれていたクロは目を見開いた。
〈ほう? なにか特別なフェイズシフト?〉
〈いえいえ。特別といえるのは消費電力量くらいですな。ザフトが用いた〝ジェネシス〟と言うヤツがあったでしょう。あそこに張り巡らされたこの装甲が陽電子砲さえも弾いたではありませんか〉
〈ああ! ありましたね〉
説明講釈が流れ、誰が撮影したものか、イズモ級戦艦の陽電子砲を撃ち込まれる〝ジェネシス〟の映像が流された。真正面から陽電子の奔流に直撃されながらも小さな空間の揺らぎに見舞われただけで無傷で残っている。
〈二つの装甲は同じものです。つまりフェイズシフト装甲材に常軌を逸した電力を流してやると、相転移の度合いがビームを防ぐ域にまで達するわけですな。当然、無重力下で作成した分子配列が均等なものでないと――」
ディアナは口を開けたまま動けずにいる。
「おいおいおい……博士、技術自慢もいい加減にしてくれよ……」
眠気は吹き飛んでくれたが台に肘をついて楽にすることが出来なくなる。ウィンドウの中ではノストラビッチに視線が集中している。ここから別の話に流せるとでも思っているのか?
〈ですがその大電力、モビルスーツサイズの動力炉で賄えるものなのですか? 核分裂炉でも、流石に要塞規模のエネルギーは出せないでしょう?〉
〈私はアレを星流炉と呼んでおります。プルトニウムなどの放射性物質を用いているのではなく、惑星から正体不明のエネルギーを吸い上げていると聞いております〉
『こらこらこらこら!』
顔面蒼白になったクロとディアナの声が見事に唱和したがそれを笑っていられる状況ではない。どういうことだ? 勉強しすぎて頭が狂ったとでも解釈しろと?
大西洋連邦のとある放送局がざわついている。映像越しに起こることなど、いつも他人事。同じ世界で起きていることでありながらも常にリアルでは有り得なかった。ならば今目の前で流れる映像は、なんなのだ?
〈おぉ、ノストラビッチ博士はアレについて専任で研究でもされておられるのですか?〉
洞察力の低い賢さがそう問うが、怯える声はこう問いかける。
〈ち、ちょっと待ってください! ――き、聞いている、とは?〉
その力ない声にクロの心は殺し合いでは味わえない冷たさに苛まれた。ディアナも恐らく同じなのだろうが、それに想い至れない。
〈はい。木星からの技術、と〉
番組の趣旨が完全に変質した。ざわめきは異常なボルテージに達し、マイクがむやみやたらと裏方の声を拾っている。そんな中でノストラビッチはテーブルの下に身を沈め、一枚のデータディスクを取り出した。
〈アプリリウス市に『エヴィデンス01』と呼称される化石状の物体が展示されていることは周知のことと思いますが、これはそれと同種の存在によるメッセージです〉
画面内も画面外も共に時間と意識が停止した。収拾のつかなくなった奥の世界は――
〈い、い、い、一端コマーシャルを……っ!〉
実際に時間を止めて奥に隠れた。
「あ……。ちょっと博士――」
「おい…!」
クロが完全に心を持て余した。彼は声にならない呻きを発しながら乱暴に立ち上がり画面を貫きティニの前に立つ。
「ティニ……博士はオレ達を売る気だ。問題だよな!?」
これだけの暴露、話の流れからすれば「裏切り」が推測できる。
慌てている。オレとディアナは確実に。…………だがティニは? そんな事実にも思い至らなかった彼だが彼女の目には何もない。それに気付けば、息を飲むしかない。そんな彼の心情を見透かしたか、それとも無意味と断じたか。彼女は淡々と告げ、返してくる。
「問題、ありませんよ」
「……あぁ?」
声に力がない。次を告げられずにいるとディスプレイの中が生き返り、クロの興味もそちらへ移る。
〈え、えー、ではノストラビッチ博士より提供された映像をノーカットでお送りいたします〉
画面が切り替わり――そこにティニが映された。
「は?」
「お静かに」
〈どうも始めまして〉
画面の中の彼女はぺこりと小さくお辞儀をする。場所は、どこなのか。白一面の部屋には大した光量がなくても目を眩ませるようなとげとげしさがある。
〈私はティニセル・エヴィデンス03。あなた方が『羽クジラ』と呼ぶものと同種の存在です〉
クロ達が息を飲む中、画面の中が変質した。大きな風切り音がスピーカーを唸らせると同時にその背後に『巨大な翼』が現れた。皮膜を持った悪魔の如きその翼。成る程確かにその骨格は羽クジラを連想させる。
クロとディアナは思わず彼女から身を引いてしまった。そんな心を恥じる気持ちはあるものの、気味の悪さは心に残る。
〈私は地球人類に警告させていただきます。思想対立が大変なのは分かりますが、もっと別の場所に目を向けるべきではありませんか〉
「……どういうことだ?」
ティニの声が発する問いかけに、ティニは答えない。そして画面の中のティニも答えなかった。
〈私達の星流炉を用いての軍事介入に対し、賛否両論あるかと考えますがそれについては地球人同士で話し合って下さい。
C.E.50頃でしたでしょうか。私達は同胞より地球人種は次世代に進むべき優良種との報告を受けましたが、私は今、その報告に疑問を抱いています〉
ヒトの背に本来存在しない翼が作り物じみた滑稽さをも感じさせるが禍々しくはためくなりその印象は一変し、彼女の言葉とその異形が全てのものから言葉を奪う。
〈胸に手を当てるまでもなく、皆さん感じていませんか? あなた達は優れた存在……そんな風に言われて素直にうなずける人、一人でもいます?〉
首を縦に振る傲慢は社会から認められずに終わっている。世界に溶け込みたくば自らを貶めたほうがやりやすい。
〈私達が目指すものは停止のない究極の平和世界です。思想、宗教、文化、慣習、政治、しがらみ、上下関係……その他諸々異なる価値観を超越してまとめられる支配というものを模索しております。現在これを行うのに最も効果的と感じるものが、強大な力による恐怖での統一。故に現在このような行動を取らせて抱いておりますのでご了承下さい〉
確かに、人の少女が抱えるような思考ではない。社会規範まで鑑みればヒトが抱える思考ですらない。
〈えー、ちなみにより一層世界統一に有益な行動がありましたら、こだわることなくそちらへシフトいたします。何かありましたらどこかの掲示板にでも書き込みを。私、見てます〉
異形に常時見つめられる、その心理圧迫感は如何ほどのものか。
〈ちなみに、あなた方が追い詰めないと何もしない種族だというのは分かっていますので、一つ追い詰めるための手段を提示いたします。
星流炉は、星の命を吸い取ります〉
ノストラビッチが薄く笑った。誰かが彼に問おうとしたが、場の空気がそれを許さず小さな叱責に掻き消された。
〈『恒星になり損ねた惑星』。木星をそう呼ばれる方がいらっしゃるかとも思いますが、それは私達のせいです。もう少し成長するはずだったあの星、エネルギープラントにするため私達が星流炉を用いました。だから、あの様です。
何度かメディアを賑わわせている黒のモビルスーツ。あの機体、星流炉を積んでます。
解決策提示か我々の排斥か、選択するのは皆さんですので。それでは失礼します〉
規格外のモビルスーツを墜とすか、軍門に下るか。選べと言われた。さもなくば、どうなる? 地球がなくなるとでも言いたいのか彼女は? そして、この男は。
大多数の者は自分に抗う力はないと諦め、傍観することだろう。ならば抗う力のある者達が結論を出すか、その場を作るかするしかない。皆が諦めれば……共に等しく滅びが提供される。
映像が終了した時、そこに音はなかった。音のない、瞬きもない世界に君臨しながらノストラビッチはカメラを真正面から見据え、事実を早口に付け足していく。
〈纏まらない世界。
故に各地で紛争頻発――〉
新たな映像に切り替わった。学生デモだろうか。それともテロ行為か。過激な主張行動が流れていくがそれに注意を払っているのは、払うことが出来ているのは……ティニだけか。
世界も、その事実には注意を払っていない。疲弊した世界はそこまで余裕はない。
〈誰も今が正しいとは思えておらん。だが、ラクス・クラインの双剣という絶対的な力に抗せず意見も反抗も無意味であるという風潮が強い。
あのモビルスーツはZGMF‐X42ST 〝ルインデスティニー〟。
自由(無秩序)と正義(傲慢)に対する抑止力として彼女の力を借り、私が設計したものだ〉
デスティニープランの発動宣言時以来だった。画面を怖いと思ったのは。クロは開いたままどう足掻いても閉じられない口を持て余す。目を泳がせていると視界が静かな異星生物を掠め見た。
「こ……」
彼女(コレ)に言葉が通じるのか? そんな疑念が鎌首をもたげるが言わずにいられない。
「こ、こんなこと言ったら博士捕まるじゃねぇか! おいティニ! これを知っててやらせたのかっ!?」
「はい。但し「やらせた」わけではありません。博士が自ら提案されました。クロ、あなた以前言われましたよね? 科学技術は日進月歩で〝アカツキ条約〟があるとは言え、時を置けば相対的に〝ルインデスティニー〟も弱くなり、問題だ、と」
「あ……あぁ…」
「そう言えば伝えるのが遅れましたね。こちらの〝ターミナル〟は渋々ながらもその意見、採択されまして――」
ティニは時間の止まった画面を掌で差した。
「こうなりました」
(オレのせいか……?〉
言葉が突き付けてくる理不尽な責任にクロは青くなって戦いた。
(他にやり用はねぇのか……!)
異星人だからかという簡単な納得事項を生み出した自身の心を嫌悪する。知らなければ冷たい女と考え、知ってしまったあとはバケモノ扱い。一体どちらが冷たいのか。
(………戦ってる相手が、確信犯共じゃなかったらこうは思い至れねえな)
心に半笑いでも流し込もうとしたがかなわない。敵意の冷たさは駆逐できたが、徒輩を思う冷たさは鋭さを増して心を抉る。
「その辺の一般市民が同じことを叫んでも頭のオカシイ人と黙殺されるでしょう。コメンテーターとしての確たる立場と、広くメディアに語りかける場所が必要だったので、こういう形を取らせてもらいました」
「…………博士は……生贄山羊(スケープゴート)ってことかよ……!」
彼のその後、そして心情など全く配慮していないティニの心に怒りが再燃し、冷たさと混ぜられ心にどうしようもないもどかしさを塗りつけた。先程の自嘲は焼き尽くされ引きつる眦がベツノイキモノを睨み据えた。
「おまえ…人をなんだと思ってる!」
「滅びて結構な失敗作、とは思いません。ですが修正の必要がある種だと考えます」
最高の回答だった。
〈ノストラビッチ博士。少しお話を――〉
特番に変わりつつある。言葉とは裏腹に博士は遠巻きに包囲されているのが見て取れた。舌打ちしかできない。それがどうしても承伏できなくてクロは駆け出した。
「クロ」
足は止めない。それでも彼女の声は聞き返す必要もなく脳裏に届いた。
「出撃は、特に制限しませんが、撃墜されるは許可できませんよ。あの機体が、私達の要なのですから」
奥歯を噛む。走り続ける。足音が一つついてきた。
「クロ、わたしも!」
「あぁ。時間がねぇ。ミラージュコロイドやってる場合じゃねーから衛星軌道を頼む!」
まっすぐ行ってはユーラシア連邦やジブラルタル基地に引っかかる。隠密行動を視野に入れないのならこれしかない。ディアナは一つ頷くとフレデリカを叱咤しつつカタパルトのコンソールに張り付いた。
距離的には、太平洋を横断するよりユーラシア大陸を突っ切る方が早い。先の大戦で各都市を徹底的に壊滅させられたユーラシア連邦も、今ではジブラルタルからの支援を受けてザフトの援助――今の我らにとっては監視の目――がばらまかれている。
クロはシステムを立ち上げた。いつもなら初期走査を完了するなりミラージュコロイド散布を始めるが今はいきなり完全相転移(トルーズフェイズシフト)のボタンを押し込む。暗黒色に染まる機体。
「フェイズシフト展開完了。ディアナ、フレデリカ、いつでも行ける!」
〈O.K.! カタパルト、射出モードへ移行〉
機体拘束具が取り外され、ケーブル類が弾け飛び、それがそのままカタパルトになる。軋む金属音を立てて伸びていくレールの先では、陽光が顔を覗かせた。
(砂漠の真ん中に穴開けて、ロケットよろしく飛んでくんだろ……。バレない――いや、今はそこ気にしてる場合じゃねえ!〉
各種チェックとオペレーター達の声、その全てがグリーンを示す。クロは汗ばむ手でレバーを握りなおした。
「――整備機器(ハロ)の待避完了。進路クリアー。いいわクロ!」
〈行くぜっ!〉
凄まじい縦Gの後には地表が遙か眼下に消える。エネルギー残量がもの凄い勢いで下降していくが保有量が異常なので心配はない。惑星からエネルギーを採る星流炉は当然地表から離れるなりエネルギーが減っていく。
スラスターを一切使わず成層圏まで辿り着いた〝ルインデスティニー〟は翼を開き姿勢制御。
「ディアナ、聞こえるか?」
〈はい。聞こえてます〉
ナビゲートを頼もうと開いた通信の先にはティニが出た。憮然としかける表情を必死に隠す。ヘルメットがないことに思い至り、宇宙空間にパイロットスーツ無しで来る愚行を思って笑いが込み上げ、結果としてティニに対して普通の顔が出来た。
「おめーかよ。ちっ…博士助けることは許可したよな? ならナビゲートはしてもらうぞ」
〈了解です〉
ティニの操作と同時に画面端にマップと光点が表示された。姿勢制御を終えた。クロは全てのスラスターをオンにすると眼下を狙う流星になる。
「博士……! 役目は終わったとか思うなよ……!」
SEED Spiritual PHASE-24 百より一を選ぶ
煙が充満した格納庫(ハンガー)。ファンがうるさくがなり立て、噴煙を一気に飲み込んでいく。ディアナとフレデリカは咳き込みながらコンソール奥より這い出した。
「うぅ……他に資材を回せないのは分かりますが……ちょっと考えて欲しいですねこのロケット…」
「げおおほげほげほべほげふっ!」
「でもどうしたんですかお二人とも。博士のテレビ見てたんじゃなかったんですか?」
「ごほごほぇおっ…っ! はぁ……あ、あとで話すわ。……でも誰よ? 衛星軌道の出撃なんて予定したの。フツー使わないでしょ?」
「博士ですよ。マスドライバーも何もないウチですから、宇宙に行く時にはモビルスーツを直接飛ばすつもりだと聞いてます」
「はぁ……。クロのはいいとして、〝ノワール〟どーするの――って!」
いきなり走り出したディアナにフレデリカは跡を追いかけた、が、思い留まる。格納庫(ハンガー)をもぬけの殻にしてもいいのだろうか?
「アンタも来なさい! クロがすっとんでった理由教えたげるから!」
どうせ、今はモビルスーツの一機もない。――厳密には動かないの1機と装備全部取っ払われたのが1機あるが――どちらにせよ管理する意味がない。ディアナの行く先は、ティニの通信室だった。
警備だの警察だのが踏み込んでくるまで局には凍った空気と無言だけが支配していた。
「ノストラビッチ博士、同行願えますか?」
彼には抵抗する理由が思い至らなかった。ただ考え至るのは一つの疑問だけ。
(……これで世界は変わるのか?)
数ヶ月は、恐らく大きく変わるだろう。自分の顔写真、自分の言いたいこと、言いたいこととは異なることと共に紙面画面を賑わわせるであろうことは疑いない。だが、全てが世界に伝わるだろうか。
(わしの心の内など、ここにいる誰にも伝わらないだろうなぁ……)
言葉と言う道具が不完全なのか、それを選択する人間の知能が不完全なのか。恐らく前者なのだろうとノストラビッチは考える。ティニから得た情報だけで判断するのもどうかと思うが……究極のコーディネイターとされる存在が他者を説得出来た例を見たことがない。
「そのディスクも、押収してくれ」
彼らはもう一度見るか? 見たとして、自分と、ティニの言葉をどこまで飲み込める? そしてそれ以前に自分とティニの考えは同一であると言い切れるか?
(そんなことは……理系の考えることじゃねーな)
そんな逃避が既に罪。問わねばならない。自らの短所を。人間の短所を。社会の短所を。
世界に平和を。恒久の平和を。
常に選び続けられるその選択肢の究極を求め続けるべきである。互いに道が異なるのならば折衷案ではなく融合案をつくるべきなのだ。それが夢想に過ぎぬとしても。
そんな思考を巡らせながらも耳だけは機能していたらしい。彼らの言葉に従い手錠を受けるために両手を突き出せば――
〈増援を!――駄目だ!なんて速度――〉
〈隊長!知らないんですか!? 勝てるわけがない! 待避を――〉
「……予定通り、かな」
彼の言葉を聞くものはいない。そんな余裕はどこにもなく――
世界が白く包まれた。
「……やり過ぎだよ全く」
〈大西洋連邦、シアトル上空です。はい。詳細地図転送できましたが?〉
ティニの言葉と同時にナビゲーションが市街図に変わる。在る建物の一点が赤く灯った。
〈所属不明機に告ぐ。貴機の領空侵入は許可されていない。速やかに転進を! なお指示に従わない場合は――〉
射殺されるだ撃墜されるだはもうどうでもいい。
「ティニ。博士連れ帰ったら詳しく聞かせてもらうからな!」
通信は一方的に切られたがもうそれどころではない。〝ウィンダム〟と〝ムラサメ〟の空戦編隊が雲霞の如く空を覆った。腐っても大西洋連邦所属国と言うことか。地球上のザフトや地球連合の使い走りとは物量が違う。
「人が急いでるときに鬱陶しい!」
だが、セオリーに乗っ取りすぎたか研究が足りないか。そんな武装ではこいつは墜とせない。出撃前にテレビを見ておくべきだったと言うことだ。〝ルインデスティニー〟は暴力で我を通す。戦力の雲霞は紙の盾にすらなれないまま爆散しながら通行許可。生き残った者達には安堵の前に恐怖する。その間にも、所属不明の領空侵犯がモニタの中で豆粒に変わっていく――
〈増援を!――駄目だ!なんて速度――〉
〈隊長!知らないんですか!? 勝てるわけがない! 待避を――〉
赤点の直上。建造物の構造をスキャンしながらビームライフルを引っ張り出す。他の奴らなど関係ない。数百人の他人よりも一人の友人を、一国家よりも家族一人を、世界の破滅より恋人一人を優先するのが人の心だ。
トリガー。
閃光。
悲鳴と落下と瓦礫と火傷と血潮。そして死。人混みと瓦礫と粉塵の中、モニタが映像を鮮明に処理し、ターゲットサイトが知り合い一人を選び出す。その先に拘束されかけているノストラビッチの姿があった。クロは迷うことなく外部スピーカーをオンにする。どうせガルナハンでも喋っている。知ったことか。
「博士! 生きてますか? こっち来れます?」
対人兵器としてはあまりにデカ過ぎる砲口を向けられ拘束者達が戦いて下がっていく。その中で白衣の老人だけが微動だにしない様は彼を異常な力を持つ高位聖職者のように見せつけた。
(――で、ハッチ開けるか?〉
勢い込んで突っ込んで、沸騰しまくっていた考えに訓練された常識が水を差す。ハッチ開けるか? 考えられない。だとすれば――今度は人道常識から考えて酷いようだが――摘むしかない。
「博士! ……耳と目押さえて、息止めて」
〈こらこらこらこら!〉
潰されるとでも思ったのだろうが、モビルスーツのマニピュレータはその無骨さに似合わない繊細な操作が可能である。人を潰さず摘むことなど容易だが、そこからが問題である。この機体の最高速で急上昇すれば下手すれば血液沸騰する高度まで一瞬、などと言うことも有り得る。幸い周囲を気にしてか囲む敵機からの射撃はないが、遮蔽物のない上空に逃れればその限りではない。そしてハッチを開けられそうな場所はその上空しかなさそうだ。
「……ナチュラルが耐えられる上昇速度って、どんなもんだろ?」
〈不安なこと言わんでくれ……!〉
迷う暇がなければやるしかない。周囲のざわめきを無視しながらクロは機体を上昇させた。博士の状態は……信じるしかない。
(信じる、か。考えたくねーこと、押し付けてるだけだな!)
信じるの裏側を創造しながらスラスターレバーを慎重に押し上げた。機体が野次馬の絶叫すら拾う中、〝ルインデスティニー〟が上昇した。
「博士息止めたまま目ェ瞑ったまま!」
ロックオンアラートが黄色くなった瞬間を見計らってハッチを開く。今も上昇する機体、減圧された世界はスーツ着てない自分にすら危険なのだろうが、博士を受け取らなければならない。引っ張り込んで奥へ押しやりシートベルトを付けなおし、いつの間にやら止めていた息を吐く。
「博士、無事ですか?」
「う……ぉぉお……お前なぁ…生きた心地がせんかったわい…」
「減らず口が聞けて何よりです」
顔色は悪いようにも見えるが状況的に仕方なかろう。
「ベルトしてください」
「やってく気か?」
「ティニがべらべら喋りやがったんで。ただ逃げるだけだと笑いものになるじゃないですか……っ!」
ロックオンアラートが赤く明滅。舌打ちしながら周囲に目をやれば迫りくるモビルスーツの群。その時別種の警告音が鼓膜を劈く。
エネルギーの残量だった。
「げっ!」
流石に補給なしで地球半周の上に一戦やらかしたのは無理かあったということが。空間が滲む音と共に黒い〝デスティニー〟が鉄灰色に変じる。ロックオンされた以上確実に撃たれる。そして今撃たれれば確実に堕とされる。博士に詫びる時間もなく、クロは機体を最大速度で急降下した。
「――ほぐ!?」
博士の悲鳴と口の中を噛み切った鉄の味に苛まれながら足下を気にすれば潰された自動車と血飛沫を確認。数人以上の命と引き替えに〝ルインデスティニー〟は惑星に足を着けた。
途端に膨れあがるエネルギーメーター。約一分の接地で装甲が復活する。国民の命を軽視する考え無しがビームを射かけてきたが闇の鎧が光を飲み込む。
「充分だ」
流石にこれ以上地上で暴れる程故神経が太くはない。翼を開き、天へと登る。〝ムラサメ〟と〝ウィンダム〟に囲まれるが問題はない。開きの在りすぎる速度で翻弄しライフル一発で最低一機は片が付く。そうやって二桁以上を空の藻くずに変えたとき、いきなり四条の赤光がこちらを狙って撃ち込まれた。十字砲火をビームシールドでいなし崩された空中制御を取り戻せば赤い機体が映された。
「なんだ? 〝セイバー〟?」
ライブラリを見るより先に通り過ぎていった二機の姿が脳裏よりその名を引き出した。ZGMF‐X23S〝セイバー〟。忌むべきセカンドステージの遺物が二つ、M100〝アムフォルタス〟プラズマ収束ビーム砲を吐きながらこちらの脇を通り過ぎ、一機がモビルスーツ形態へと変形し、相対する。そいつに撃ちかけようと手を伸ばせば今度は下から極太の閃光が撃ち込まれた。照準が移動しライブラリ照合。GAT‐X103。
「〝バスター〟?」
いや、恐らく〝バスターダガー〟を改造した機体、と言うところなのだろう。〝ザムザザー〟戦のデータでも参考にしたのか、高出力ビームを有する機体で空と地からの挟撃。量産型では足止めにすらならないと思い知らされたと言うことか。
眼前の赤いモビルスーツがビームライフルを乱射してきた。発生させていたシールドでそれを弾けば彼方で旋回してきた赤いモビルアーマーが擦れ違い様にプラズマビームをぶちかましてくる。両手のビームシールドで両方を弾き、離れられずにいるモビルスーツ〝セイバー〟に刃を叩き付けようと迫るが眼下からのインパルス砲がそれを阻んだ。
「無視できない攻撃は、面倒じゃな」
「いや、撃たれないこと前提で戦場に出る方が間違ってます」
憮然とするノストラビッチ。それを気にする暇など無いクロ。機体の両端をビームシールドでガードしながら長射程砲を展開する。人では出来ない操作、手を使わずにトリガーを引く。
雑な照準の翻弄されながらも赤い閃光がシールドを掲げた〝セイバー〟の半身を吹き飛ばす。下半身を失いながらも機体制御を続ける敵機に背を向け、再度旋回してきたモビルアーマーへと長射程砲を向ける。慌てて変形解除したときにはもう遅く、中心を貫かれて爆散する。空中制御に苦心する背後の〝セイバー〟へとメインカメラを向けぬままライフルを連射。除けられるはずもなく、後ろでも爆散。眼下の〝バスター〟が砲の冷却を終えたときにはもう眼前に敵機がある。〝フラッシュエッジ2〟から出力されたビーム刃が振るわれ砲身が重々しい音と共に落下する。
左腕が突き出されればビームクローと化した二本のサーベルが〝バスター〟を貫通。援護に回りかけていた〝ウィンダム〟群が思わず足を止めてしまった。
「虎の子は終了か? もろい! もうちょっと金かけろよ!」
抜き放たれる対艦刀。居合いを受けた最前列が軒並み上下に両断される。
レバーを握る左の指先でターゲットサイトを細かく動かし目につく敵機をロックする。レバーを傾け銃口を合わせ、半身を回転させつつ右指を押し込む。僚機の無惨な最後にスラスターを逆噴射させた敵機達だが全てがビームライフルに貫通され、逃亡すら叶わない。建造物の隙間を縫って這い寄るモビルスーツがこちらの電子警告音(アラート)を騒がせるが、そこに火器が届く頃には何もない。
もしくは正面モニタに大写しになっている。
〈ぅあ――〉
悲鳴すら許さぬ鉄塊の斬撃。ガンメタルの殺意が鉄の装甲を紙の如く破り去り、ビルの隙間ビルの隙間で火炎の華を咲かせ建造物群を震え上がらせた。
そのコクピットの中では時折気勢や鼻で笑う声が聞こえてくる。椅子にもならないコクピット奥でノストラビッチはクロの分析に勤しんでいた。それ以外、モビルスーツに乗った数学者にすることなどない。
(何故、こやつが『要』となったのだろうな……)
殺すことに快楽を覚える人格破綻者……とまでは言えないものの、一々良心の呵責を覚えながら戦っている様子は見受けられない。(元)軍人だから当然だと言えばそうなのかもしれないが、ただ軍人が必要だったというのならば彼が最適であるとは思えない。クロの左に位置する箱に目をやる。彼の操作、思考の度に不気味に明滅するそれは、〝デスティニー〟の正式パイロットの思考パターンが投影されている。そう、〝デスティニー〟を扱うのならばより適した逸材がいた、と言うことだ。もしその者にこちらに適さない思想があったとしても、オーブの意向をよしとしないザフト兵はごまんといたはずだ。そうでありながらわざわざ『緑』を選んだ理由は……なんだ?
(クロは、どう思っているんだろうなあ?)
〝メサイア攻防戦〟終了時、ほぼ無傷の〝ザクウォーリア〟に乗っていた彼はザフトにも帰れずさりとてオーブ側に投降する気にもなれず、〝デスティニー〟の残骸を抱えてとある人工衛星へと潜り込んだと聞く。彼に何か思惑があったのか、ノストラビッチには窺い知れないが……。
(取引でパイロットにするような組織じゃあるまい)
個人の心だけでは解決不能な懊悩の間にも……殺戮は続き、街に残骸が散らばっていく。時折聞こえるクロの得意げな声、そして更に時折聞こえる――笑い声。
専門知識を総動員して敵対者を口ごもらせたとき、確かに優越という快感を伴う。彼が殺戮を嗤うのも同じかもしれない。だが、心に響く色がまるで違うのはどうしてなのだろう?
後部座席の黙考など一顧だにせず屍の山を築いていくクロは攻めが甘くなった時間に引かれて殺戮の快楽から現世に引き戻された。今回の優先目的は示威ではなく救助である。充分示威までできたと思うが、博士を連れて帰投しなければ。
「すみません博士。今すぐ離脱します」
「構わんよ。有意義な時間ではあった」
クロは眉をひそめたが更に鳴り響くアラートが詮索の時間など与えてはくれない。エネルギーメータを掠め見、胸中で頷いたクロは〝ルインデスティニー〟を急上昇させた。まとわりつく〝ムラサメ〟を微塵に散らし高々度へと逃れゆく。
追い縋るものがモニタの中から消え失せた。クロの指がミラージュコロイドへと伸びかけたが、割り込むように通信が入った。
〈クロ。――あぁ博士もご無事ですか〉
「ティニか。何の用だ?」
ミラージュコロイド散布開始。同時にティニが、苦笑した。
〈クロ。あなた世界を変えましたよ〉
「あ?」
どうしても険のある声音になってしまうが、そんな意識すら吹き飛ばす事実が、彼女の言葉にはあった。世界が変わった。
彼を揺さぶる彼女の言葉はこうだ。
〈あなたの襲撃をきっかけに各所で暴動が起こりました。……表現が生易しいでしょうか。つまり統合国家に対する一斉蜂起ですね〉
眼下でいきなり小競り合いが起きる、ようなことはないためいまいち実感しづらいが、巨砲を供えた戦艦による〝プラント〟襲撃、オセアニアの小競り合い、話に聞いただけの幾つかの暴動。そして、自分が行った各種殺戮……それが地球中で起きているというのか?
「…………」
「クロ、どうしたのだ?」
その想像は……先程まで感じていた快楽の熱を冷ますだけの価値があった。皆が自分と同じ心を抱いた――その事実は喜びではなく、戸惑いでもなく、怖れを彼の胸に塗り込めた。
「やっちまいましたね……」
「ん?」
博士から問いかけが来るのは意外だった。ミラージュコロイドという絶対領域に包まれながら、クロは外界を忘れ、胸中を問う。やはり返ってくるのは、怖れだ。
「世界に、牙を剥いてしまった、と言いたいわけですよ! はっ!……やってけるんだろうな……オレは!」
博士に、同情されたかもしれない。――ようやく思い至ったその考えは、恥じ入ることを胸中に塗り込ませ……とりあえず意識を変える役には立ってくれた。
「……クロ」
「大丈夫ですよ。他が何しようが関係ない。ウチの仕事するだけですから」
クロは極力声を抑えながらゴビ砂漠へと針路を取る。場が混乱するというのならば、こそこそ逃げる自分にとっては都合がいい。そう思えばいい。スラスターを順に切り、自分自身に言い聞かせながら、光圧推進と自動操縦に厄介事を押し付けて意識を内に向けた。
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20~24話掲載。
世界が、変わる。
シンを探し求めるルナマリアらはライラ・ロアノーク率いるファントムペインの残滓と衝突。一方世に現れたエヴィデンスの存在が地球人類の価値を問う。