剣と魔導 1
七年ぶりの帰省か。真冬の寒空の下、冬木の玄関口でもある駅の改札から出てきながら、衛宮士郎はそんなことを思った。
ゆっくりと深呼吸をして故郷の空気を存分に肺腑に納めながら、ずいぶん様変わりしてしまった駅前の風景を眺め感慨深げに目を細める。
(様変わりをしたのは俺も一緒か…)
日本人の平均身長を上回る背丈。肌は黒く、髪は白く染まっている。初見で彼を日本人だと見抜けるものはそうそういないだろう。
七年前、日本を出るときと今の自分はあまりにも変わりすぎていた。そう、七年ぶりの帰省は、同時に七年ぶりの帰国でもあった。
荷物の詰まったボストンバックを持ち直し、懐かしの我が家に向けて歩き出す。
駅前でタクシーを拾おうかとも思ったが、やめることにした。自分のいなかった七年の間に故郷がどんな風に変わったのか、それをゆっくりと見てみたかった。
新都を抜ける間、思い出の中の景色がずいぶんなくなっていたことに一抹の寂しさを感じたが、橋を渡って深山町に入るとそんな思いは払拭された。
呆れるくらいに何も変わっていない。橋向こうとこちらでは時間の流れが違うのではないかと錯覚してしまうほどに。
自然と浮かび上がってくる笑みはそのままに我が家へと歩を進める。
やがて、記憶そのままの武家屋敷が視界に入り、門の前に立ったとき、突如背後で声が上がった。
振り向いてそちらを見てみれば、そこには記憶そのままのイリヤスフィールの姿があった。よほど驚いたのだろうか、両手に持っていた買い物袋は地面に落ち目を大きく見開いたまま固まってしまっている。
そんな姿がおかしくて、クスリと笑みを漏らしてしまう。さて、七年ぶりに家族にあったのだ。言わなければならない言葉がある。
「だだいま、イリヤ」
その言葉でようやく硬直が解けたのか、イリヤの体がぴくりと動き、そして、
「おかえり、士郎!」
満面の笑みを浮かべて抱きついてきた。
それからが大変だった。抱きついたまま、いつ帰ってきたのか、いつまでいるのかと矢継ぎ早に問いかけてくるイリヤをなだめて家に入り、居間でほっと一息ついたが、それもつかの間。イリヤの知らせを受けて駆けつけてきた虎の咆哮一閃。
「いままでどこ行ってたのよ、士郎―――ッ!!」
妹との再会が感動的なら、姉貴分とのそれは衝撃的。
咆え狂う虎の幻影を背景にちゃぶ台と茶菓子と茶碗が宙を舞うという、ある意味忘れられない再会と相成ったのである。まる。
つーか、いい年なんだからもうちょっと落ち着いてくれよ藤ねえ。
その後も息を切らせてやってきたもう一人の妹分間桐桜との再会も無事に終わり、その日は夜遅くまで思い出話に花を咲かせたのであった。
平和な夜、久しぶりの家族達との団欒。
本来ならば、みんなの顔を見るだけの帰省になるはずだった。
この冬木にいる間だけは、不穏な空気を感じることはないだろうと。
だが、そうはならなかった。
異変の予兆を感じたのは翌日の夕方だった。
切嗣の墓参りを終えて、再会した親友と雑談をしていた時のこと。
”近頃地震が多くてな”
そうポツリと呟かれた一言が耳に留まった。
”おかげで若い僧達が浮き足立っていてな”
そう続けて、親友は眉間にわずかにしわを刻んだ。
”地盤に何か問題があるのかもしれん。専門家に地質調査を依頼するべきか…”
と、そこまで口にして、久しぶりに再会した親友に言うことでもないと思ったのか、
”まあ、衛宮が心配するようなことではない。蓋を開けてみればたいした理由もないと言う結果になるだろう。大山鳴動して鼠一匹と言うやつだ。”
と、呵々と笑って一口茶をすすり、七年分の土産話をもっと聞かせろとせっついて来た。
実際、話題を振られたこちらとしては聞き流せる内容ではなかったが、食い下がっても逆に怪しまれる。この場でこれ以上の情報は得られないだろうと結論付けた。
”そうだな、まず、何から話そうか”
そうと決まれば、心配事は一時忘れて、親友との会話を楽しむことにした。
結局、柳洞寺を出たのは日が傾き始めたころだった。長々と話し込んでしまってすまぬと謝る一成に気にするなと返すと、士郎は柳洞寺の参道を足早に降りていった。
夕焼けで、朱に染まった町の中を家に向かって歩くうちに、先ほど追い出した記憶が蘇ってきた。
一般人にとってはともかく、魔術師にとって柳洞寺は特別な場所だ。かつて、八年前の聖杯戦争において小聖杯が降りた地であり、その地下には崩壊した大聖杯が眠る地なのである。
柳洞時で頻発している地震の原因が大聖杯に関係しているのか、一度調べておいたほうがいいかもしれない。できる限り早急に。
そう決めた後は早かった。
家に帰り、夕食を済ませ、再び襲撃をかけてきた虎の引き起こしたどんちゃん騒ぎを収拾し、みんなが寝静まった夜半過ぎ、士郎は静かに寝床を抜け出した。
寝巻き代わりの浴衣を脱ぎ捨て手早く着替えを済ましていく。最後に聖骸布を縫いこんだコートを着込むと、自室を音もなく抜け出した。
縁側から庭に降り、イリヤの部屋を一度だけ見やる。
イリヤには何も言うつもりはなかった。もともと運動には不向きな体に加え、延命処置を施したために魔術師としての力の大半を失ってしまった彼女にこのことを伝えても余計な心配をかけるだけだ。
(俺の取り越し苦労で終わってくれればそれでいい)
そう心の中で呟くと、一路柳洞寺に向けて、夜の闇の中を駆けていった。
八年ぶりに踏み込んだ大聖杯へと続く洞窟は以前と変わらない陰鬱な空気でもって士郎を迎え入れた。
肌にまとわりつくような、それでいて冷え切った空気は否応なしに不快感を掻き立てる。もともとここにはいい思い出はないが、それを抜きにしても長居をしたい場所ではない。用事はさっさと片付けてしまおう。
瞳を閉じ、精神を集中させる。術式や理論ではなく感覚と本能でもって洞窟内部を中心に構造を読み取っていく。
「…どういうことだ?」
思わず漏れた言葉は疑問の形をとっていた。結果として柳洞時の地質に問題は見受けられなかった。
だが、霊脈のほうで一箇所奇妙な反応があったのだ。かつて大聖杯が存在したクレーター付近、この付近のみ霊脈が掻き乱されているような感じがした。
これは一体どういうことなのだろうか。何者かが、霊脈に手を加えているのだろうか?だとしても解せない。霊脈を乱したところで何の意味があるのだろうか。
(………)
ここはいったん引くべきか、それとも行くべきか。しばし黙考し出した結論は行くであった。自身が感じたこの感覚が一体何なのか、この目で確かめておいたほうが良い。
(よし、行くぞ)
小さく息を吸い、気を引き締めて闇に塗りつぶされた洞窟を進みだす。
何があってもすぐに対処できるよう魔術回路は待機状態に、湧き上がっていた不快感も今は意識の外へ。一歩一歩、慎重に歩を進めてゆく。
時間を計ればおよそ2、30分のくらいのものだろうか、そうして闇の中で、クレーターの内側から紫の光が漏れ出している大聖杯の下まで辿り着いた。
このとき士郎の警戒と緊張は最大まで高まっていた。もはや疑う余地もない。何者かがクレーターの中にいる。そして、霊脈の流れをかき乱すような何かをしているのだ。今まで以上に息を潜め、一切の音を立てないよう慎重に外壁を登っていく。
そして外壁を登りきり、クレーターの内部を覗き込んだとき、士郎は今度こそ驚愕で身を固まらせた。
(なんなんだ、あれは)
クレーターの内部に奇妙な物体がいくつも浮遊していた。一言で言い表すならば、それはロボット。
医薬用のカプセル剤を連想させるような胴長の体、中心部にはガラスのような球体がはめ込まれており身体各所からコードのような触手が伸び、せわしなく蠢いている。
こんな奇怪なものを目にしたのは初めてだった。無論士郎とて文明社会の中に生きる者、近年の機械工学分野の発展が目覚しいことは重々承知している。
だが、いくらなんでも空中に浮遊し続けられるような機械があるなどとは流石に考えられない。となるとあれは魔術にかかわる者、おそらく人形師の作と考えるのが妥当であるがそうなるとそれはそれで首を傾げたくなってしまう。
魔術師、神秘の探求者たちは総じて科学技術というものを軽視、軽蔑する傾向がある。当然のことながらそれは人形師に対しても言えることであり、こうまで機械の色を前面に押し出すような人形を作るのは得心がいかない。
(科学技術を積極的に取り入れる新しいタイプの人形師なのか?)
身を伏せながら頭の中で考えをまとめていく。いくら納得がいかなかろうと現に目の前には正体不明のロボットは存在している。とにかく連中の情報が欲しい。
(まずは数だ)
クレーター内部に存在するロボットの数を数えようとクレーター内部を見渡そうとして、そこで士郎はようやくクレーターの中心部に人影があることに気がついた。
紫の光を放ち、正方形の角に円を配置したような奇妙な魔法陣を足場にするようにして空中に立っている。立ち上る光が邪魔で姿を正確に判別できないが小柄な体躯、まだ子供といってもいいような背丈で…
それは、人影の正体を見極めようとわずかに身を乗り出した瞬間に起こった。
大気を切り裂く鋭い音、それを耳にした瞬間に体はすでに回避行動をとっていた。
横に転がるようにして二回転、さらに全身のバネを使って体を跳ね上げバックステップで後方に飛び退る。
一瞬前まで自分のいた場所に硬い音を立てて何かが連続で突き刺さっていく。
そして、最後に飛来した一条の銀光を上体をそらすことで回避した。
(見つかった!)
緊張で汗が一筋頬を流れる。先ほどの音の正体、地面に突き刺さり鈍い光を放つそれは投げナイフ。そして、それをなした人物は暗闇の中からゆっくりと姿を現した。
「女の…子?」
闇の中から姿を現したのは一人の少女だった。
背丈はイリヤと同じくらいだろうか、長く伸ばした灰色の髪、全身をピッタリと覆うボディスーツを着込み、その上にコートを羽織っている。
首のところにつけられたプレートに刻み込まれているのはローマ数字のⅤだろうか、そして何よりも特徴的なのが右の目を隠す黒い眼帯。
およそ少女が身に着けるには不釣合いな装備だが彼女に限って言えば、別段不思議ではなかった。
何故なら左目から放たれる眼光も、その身にまとう空気もまさしく戦士のそれだったからだ。
「何者だ。ここで何をしている」
右手の指にナイフを挟み、油断なく構えながら少女が問う。
「それはこっちのセリフだ。あんた達こそここで何をしてるんだ」
攻撃にいつでも対応できるように身構えながら問い返す。その返答に少女は僅かに目を細めた。
「そう問い返すと言うことは、少なくともここにあるものが何なのか知っているようだな。先ほどの身のこなしといいただの民間人ではないだろう。重ねて問うが何者だ。言わないと言うのであれば…」
静かに詰問してくる少女の周りに、ベージュ色の光が連続して輝く。
次の瞬間には空中に30を超えるナイフの群れが出現していた。何も話さなければ次は当てる。言葉ではなく鋭い眼光でもって少女は宣告した。
わずかに地面が揺れた。
だが、そんなことには気を回す余裕もなく士郎は相手を見据えていた。
今の魔術、おそらくは転送。いずこかの場所に保管しておいたものを呼び寄せているのだろう。
ナイフ自体は業物であるが魔力の宿っていない通常の品。
構成素材が今まで見たこともないものということが気になるが、ただのナイフであるならばいくら数で押してきてもこちらもやりようはある。
投影でナイフを迎撃し、隙を突いて離脱する。敵の戦力は未知数、一度撤退し体勢を立て直すべきだろう。
「俺は…」
離脱に必要な隙、それを見出すために口を開く。外的要因でも会話からでもいい、敵の集中を乱すことがまず重要…
「………ッ!」
ふいに、先ほどとは比較にならないほど地面が揺れた。
あまりに突発的なそれにとっさに対応できず体勢を崩す。それは、目の前の少女も同じなのか片膝をついて体を支えていた。
(今だ!)
好機到来。集中が解けたのか、少女の周りに浮いていたナイフもすべて地に落ちている。身を翻しこの場から離脱しようとして、
「なっ!」
自身が既に囚われの身であることを知った。
足が動かない。何事かと下を見てみてば、丁度紫の魔法陣に足首が飲まれていくところだった。
徐々に体が、そして精神までも引きずりこまれていくような奇妙な感覚。自分は今飲まれている…!それを理解して、
「く…このぉ!」
渾身の力で体を動かす。だが結局のところ、移動するのに必要な両足が揃って底なし沼にとらわれていてはそれも無意味。
ならば手を使ってとも思ったが、魔法陣の淵は遠く体を横に倒したとしても指先すら境界に届かない。
それでも何とかして抜け出そうと必死にもがく。そんな悪あがきとも取れる行動の最中、
「これは、転送魔法…お嬢様、どうなさったのですか!?」
先ほどと同じ片膝をついた姿勢のまま、切羽詰った声を出している少女の姿が視界に入った。
見れば彼女もまた魔法陣に飲まれているようだった。つまり、この状況は少女が意図したものではなくまったく予想外の…
まともな思考ができたのはそこまでだった。
(俺、どうなるんだろう…)
ぼんやりとそんなことが頭に浮かび、そして視界のすべてが紫に染まる中、最後に
―独りはいや―
そんな呟きを耳にしたような気がした。
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