じとじとと、雨の降る夜だった。
小雨と呼ぶほどに弱くはなく、本降りというほど強くもない、うたれるだけで体力も魔力も流れ落ちていきそうな、そんな錯覚をさせるような雨。
そんな雨音を聞きながら、衛宮士郎は居間の明かりをつけた。
シンと静まり返った居間に蛍光灯が明滅する音だけが響く。二度ほど明滅を繰り返してようやく蛍光灯に光が灯り、そうして、士郎は溜まった疲れを吐き出すように息を吐くと、どさりと畳に座り込んだ。
実際、士郎は疲れきっていた。ここ十日あまりの間に起こったことは、今までの生活からすれば考えられないようなものであったし、次々と明らかになる真実は、彼の心を本人も気づかないうちに、確実に疲弊させていった。
雨に濡れた体もそのままに、士郎はただ天井を見つめる。
彼を守ると誓った騎士の死。
後輩であり、妹のような存在であった間桐桜の秘密。
突きつけられた真実と、選択。
イリヤスフィールの哀しい笑み。
そんなものが次々に浮かび上がっては消えていく。
「何を今更」
頭を軽く振ってそれらを追い出す。すでに己の心は剣となった。感傷に浸るはずがない、浸っていいはずがない。邸宅内が静まり返っていたために余計なことを考えてしまったようだ。もうこの屋敷にいるのは自分を含めて二人しかいないのだから静かなのも当然といえるが。
フゥ、ともう一度息を吐く。
「これからどうする。オルステッド」
そして、傍らに佇む己の新しい剣に向き直り、そう問いかけた。
「とりあえず、風呂に入って来るといい。話はそれからだ」
赤い鎧の剣士は己の新しい主に、静かにそう告げた。
じとじとと雨の降る夜だった。
新たなマスターとなった衛宮士郎を洗面所へ追いやり、再び居間へと戻ってきたオルステッドはどっかりと腰を下ろした。
外を見やれば、居間を照らす明かりもあって、そこは完全な闇に塗りつぶされているよう、そここそが己にとってふさわしい居場所と思えてくる。いや、実際そうなのだろう。一度は魔王となった身、一条の光も射さぬ闇の中こそが自分にはもっともふさわしい場所だというのに。
「皮肉なものだな…」
そう思わずにはいられない。今、そこにいるのは、ただ一人の男性を求め、平凡で平穏な生活を望んでいたはずの一人の少女。そして自分はその少女を切り捨てた正義の味方のサーヴァントだ。
つと、視線を洗面所のほうに向ける。衛宮士郎はまだ風呂に入っているようだ。
あの少年は何を考えているのだろうか。彼は、見たこともない人間のために自分にとって大切な少女を切り捨て、正義の味方になると言う。それはかつて自分が採った選択とは正反対のものだ。 自分は、ただ一人の女性のために、全てを捨てたのだから。
(正義の味方…か)
今の自分には、そんなものに価値があるとはとても思えない。思えないのだが、マスターの命令には従うのがサーヴァントというものらしい。
「言峰の奴…」
数十分前まで己のマスターであった似非神父に向けて悪態をつく。教会の一室、彼にあてがわれた部屋にやってきた神父は開口一番に言い放ってくれたものだ。
「勇者よ、突然だがお前は衛宮士郎のサーヴァントになってもらう」
と。
「一体、何の冗談だ、言峰。」
今、この男はなんと言ったか。聞き間違いでなければ、私に他のマスターのサーヴァントになれと言っているようだ。一瞬、悪質な冗談かと思い問いかけはしたが、すぐにその考えは打ち消した。実際、目の前にいる男からはそんな雰囲気は微塵も感じられない。
「生憎だが、私はこんなことで冗談を言うほど暇ではない。」
やはり、本気のようだ。それに呼応するように目を僅かに細める。
「何を企んでいる。言峰」
前々からこの男の考えることは理解できないと思っていたが、今回のは極め付けだ。殺気を込めて睨み付けるが、そんなものなどどこ吹く風といわんばかりに悠然と構えている。
「お前こそ何が不満なのだ?衛宮士郎はサーヴァントを失っただけだ。マスターの資格たる令呪は残っているぞ」
「馬鹿を言え、衛宮士郎の令呪はセイバーを失った時にともに消失したと聞いたぞ」
「再配布された。ということだ。別段不可解なことでもあるまい?前例もあるのだからな」
一体、誰のことを指しているのか、ニヤリと言峰は再び笑みを浮かべた。
「何だと…」
よほど奇妙な顔をしていたのか、言峰はこちらを見ながら、実に面白そうに目を細めてくれたものだった。
「…忌々しい」
思い出すだけでも腹が立ってくる。
あの後、自らの腕に刻まれていた令呪を用い、オルステッドに対して主替えを強制的に賛同させた言峰は、そのまま衛宮士郎と己を引き合わせ、言葉巧みにサーヴァントの契約を結ばせた。
あの時の歯の浮くような白々しさといったら、まったくもって度し難い。
あれでウラヌスと同じく僧侶であるとはとても信じられない。
ふと、オルステッドは窓の外へと目を向けた。
そこには変わらずに夜の闇が広がっている。
「大切なのは、人を信じること…か」
末期の力を振り絞り、オルステッドにそう告げたウラヌスの姿は今も心に焼き付いて離れない。
それだけは、魔王になった後も、どう足掻いても否定することも、一笑に付すこともできなかった。
どれだけ憎しみに身を浸そうとも、胸の奥に痞えていたその言葉を否定せんが為に、己はあれほどの暴挙を引き起こしたのやも知れぬ。
衛宮士郎こそ、今のお前にふさわしいマスターだ。
言峰はオルステッドにそう告げた。
「…わからん」
何故己はこの地に現界することになったのか、己の悲願とは何なのか。
まるでオルステッドの胸の内を示すかのように、闇はそこに広がり、雨はただ降り続けている。
この闇の中で、無辜の民がまた犠牲になるのだろう。それがどれだけの数となるのか、今はまだ見当も付かない。
夜明けは遠い。闇の中に降り注ぐ雨の雫を茫漠と眺めながら、オルステッドは再び、思考の渦へと囚われていった。
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このSSは以前某サイトに投稿しようと暖めていたものです。
そのサイトが閉鎖されてしまい、お蔵入りになっていたのですが、引っ張り出してきて手を加えてみました。
古いものですが読んでいただければ幸いです。