敵方の主と相対したのは初めてだった。
大将同士しか残らなかった場合、勝敗はいったいどうなるのかしら?
何かしらの理(コトワリ)が定められているはずだけれど、考えた事もなかった。
コツリ、と足音が止まった。
敵将が目の前にいる。
そうね、もし、刻鍵の主が私の魅力に堕ちたなら、いったいどうなるのだろう? 凶人(マガツビト)の軍も、刻鍵「凶人(マガツビト)」すらも私のモノになるというのだろうか。
少しばかり、興味が湧いた。
鮮やかな紫銀の髪をさらりと揺らし、私は凶人の主に微笑を向けた。
カメラに向ける、不特定多数への善意。
「こんにちは、敵の大将さん」
すると、相手は意外にも紳士的に深く礼をした。
「お初にお目にかかります。刻鍵『凶人』の主です」
とても殺戮の名を冠す凶人の主とは思えぬ優男だった。
手入れしているとは思えないのに、とても柔らかそうな銀色の髪。端正な顔を邪魔しない程度に薄いレンズの眼鏡をかけ、唇にうっすらと優しそうな微笑みを湛えていた。
「とても素敵な方ね。叶(カナイ)より素敵よ」
「お褒めにお預かりまして、光栄です」
「貴方、お名前は?」
「戒離(カイリ)と申します、月髪(ツキガミ)の姫様」
その言葉を聞いて、私はくすりと笑う。
「姫。姫様、ね。それじゃあ、貴方は、私を退屈な塔のてっぺんから救い出してくれる王子様かしら? そうね、この髪でも垂らして待っておけばいいのかしら」
長い紫銀の髪をゆるりと指に通し、挑発するように髪をかきあげた。
「それは非常に嬉しい事ですね」
くすくす、と笑う凶人(マガツビト)の主は、とても殺戮の名を冠す刻鍵の持ち主とは思えなかった。
私は、肩をすくめて問う。
「貴方が凶人の主だとしたら、貴方も殺戮がお好きなのかしら?」
その瞬間、場の空気が豹変した。
ぞわりと背筋を冷汗が這う。
生物としての何かが、危険である事を告げていた。
確かに微笑(ワラ)っているのに、先ほどとまるで違う。
「その質問にお答えした方が宜しいですか?」
ぞくぞくと心が震える。
この感覚は、何だろう?
まるでこの人に出会うのをずっとずっと待っていたかのような、不思議な感覚。
彼の真紅の瞳から目が離せない。
「いいえ、結構よ」
血と同じ色をした瞳に吸い込まれてしまいそうだった。
隠そうともしていない殺戮への願望が滲み出て、柔らかそうな外見と相まって恐ろしいほどにその美貌を引き立てている。
細身の外見に似合わぬ身の丈より大きな鎌をふわりと揺らした。
刻鍵『凶人(マガツビト)』。あの刃に傷つけられたら最後、魂を残らず喰い尽くされてしまうと言う。
魂を喰われる、というのはいったいどんな感覚なのかしら。
怖いのかしら。痛いのかしら。
もしかして……充たされてしまうのかしら。
そんな事を考えながら、凶人(マガツビト)の主をじっと見つめていた。
「不思議な女性(ひと)ですね。君の瞳の中には、枯れ得ぬ情熱と冷めた絶望を同居させている」
すっと刃が眼前に差しだされた。
私が彼を月髪(ツキガミ)で包囲したのとほぼ同時だった。
「大将同士しか残らなかった場合は引き分けとする――それがこの戦のルールです」
「ただし、強制送還までの間にいずれの主も命を落とさなかった場合、でしょう?」
にこりと笑いかけると、戒離と名乗った凶人の主は笑い返してくれた。
「でも、僕はいつでも君の首を落とす事が出来るのですよ?」
「そうでしょうね。私の元に操れる駒は一人もいないもの。もし真正面から戦ったら、私は負けるでしょうね」
「避けないのですか?」
「避けなかったら私をこの凶人(マガツビト)で傷つけるの?」
「そうですね……」
大鎌を突き付けたまま思案するように首を傾げた仕草は、妙に滑稽だった。
「僕はとても君を殺してみたい。その細い首は簡単に切断できるでしょうね。きっと綺麗な切り口になる。それとも腹を裂きましょうか? 無駄な脂肪なんてないでしょうから中は綺麗な色をしているはずです」
何事もないようにさらりと言った戒離は得も言われぬ妖艶な雰囲気を醸し出していた。
ぞくぞくする。
絶対的な死が眼前に迫った時、人はもしかすると歓喜してしまうのかもしれない。
その証拠に、私は今、これまでにない高揚感に充たされている。
怖くはなかった。
ただ、この人の事がもっと知りたくなった。
よく響くバリトンの声がもっと聞きたい。
深い色の奥に隠した、彼の感情が知りたい。
「でも、今日はやめておきましょう」
彼はすっと凶人(マガツビト)をひいた。
「君を殺すのは惜しい気がしますから」
「そう? もう二度と会えないかもしれないわよ?」
「それもまた、いいかもしれません。一期一会、と言うでしょう?」
戒離は笑んだ。
これまでと少し違う、柔らかい微笑みだった。
「さて、そろそろお別れですね。またいつか戦場でお会いしましょう、月髪の姫」
「……沙羅、よ。清玄寺沙羅」
「では、沙羅さん。またいつか」
彼が凶人(マガツビト)を収めると、その姿が揺らいだ。
戦は引き分け、強制終了なのだろう。
足元に転がっていた叶(カナイ)の躯も霞んでいく。
叶(カナイ)の姿に未練はなかったが、目の前にいる彼の瞳の奥には未練があった。
「なぜかしら……貴方と別れるのが惜しい気がするわ」
思わずそう呟くと、霞んでいく凶人(マガツビト)の主がほんの少しだけ驚いた顔をして、ほんの少しだけ微笑(ワラ)った気がした。
戦に引き分け、多くの兵と側近の叶(カナイ)を失った。
しかし、戦から戻った私は酷く高揚していた。
銀色の髪をした凶人(マガツビト)の主に夢中だった。
「いらっしゃい、ヒナタ」
「サラ、カナイはどこにいったの? ヒナタ、カナイに会いたい」
「カナイはいないの。今度から、貴方が叶(カナイ)の代わりになるのよ」
これまで叶(カナイ)の小間使いとして働いていた、有翼人のヒナタ。
金髪碧眼、純白の翼、真っ白なローブを纏った姿はまさに天使のような愛らしいヒナタ。まだ幼いから世話係としては不適任なのだけれど、可愛いヒナタはスキ。
きょとんと見上げる大きな目も、上気したピンクの頬も、小さな手も、本当に可愛い。
「ヒナタは可愛いわね。本当に可愛い」
「ほんと? ヒナタかわいい? ほんとにかわいい?」
「ええ、可愛いわ。これから、叶(カナイ)の代わりに傍にいてちょうだい」
「いいよ! ヒナタはサラが好きだよ! カナイも好きだけど、サラも好き!」
ヒナタが飛びついてきて、ふわふわの羽が舞って、降りかかった。
「……ありがとう、ヒナタ」
好きだと言われる事は快感だった。
それは相手を支配する事と相違ないから。
しかし、今はなぜか胸が痛い。
何故?
好きだという言葉を聞くたびちくりと胸が痛む。
小さな体をギュッと抱いてふわふわの羽に顔をうずめて、胸の痛みを抑え込んだ。
「……また会えるかしら」
小さな声で呟いた言葉は、誰の耳にも入ることなく消えていったけれど、胸の痛みはため息を幾つついても消えてくれなかった。
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満たされる、充たされる、ミたされる――
神の嘆きが創り出した平和な世界『珀葵』、そしてそこから零れ堕ちたモノが業を背負う世界『緋檻』。
珀葵に蕩揺う平和の裏で、緋檻の民は業を重ねていく。
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