思わず華琳も息を呑む、激しい攻防が続いていた。だが実際の実力で言えば、一刀の方が圧倒的に上なのは明白である。
(一応、攻めてはみるようだけれど、決め手がないという感じかしら)
もしも倒すことだけが目的なら、一刀の勝利は容易く手に入る。しかし彼は、三人を救う方法を考えなければならなかった。
(甘い理想……それは泡のように儚く脆いもの。庶人が抱くなら構わない。けれど人の上に立つ者が抱くには、あまりにも頼りない。誰かが側で支えていなければ、いずれ足元から崩れてしまうかも知れないわ)
そう考えてから、華琳は苦笑を浮かべた。
(誰かですって? もう、気持ちは決まっているのでしょ、華琳? いつだって、欲しいものは必ず手に入れてきた。そう、ただ一人を除いてね……)
数年前、病に倒れ帰らぬ人となった恩師の橋玄。おそらく華琳が唯一、この世で尊敬の念を抱いている人物だ。
自分に力を貸して欲しい、朝廷と戦うと決意した日、華琳が頭を下げてまで頼んだが叶うことはなかった。それでも心に残った恩師の言葉は、華琳にとってかけがえのないものである。
華琳が懐かしさに思いを馳せていると、不意に歓声のような声が上がった。我に返った華琳が視線を向けた先には、秋蘭と気を失っている典韋の姿があった。どうやら決着が付いたようだ。
「春蘭は……まだね。さて、時間がないわよ」
再び視線を一刀たちの戦いに戻し、華琳は笑みを浮かべて呟く。相変わらずの攻防、だが、何やら一刀の様子がおかしい。一人で何か騒いでいる。
「どうしたの、一人でブツブツと!」
「あ、いや……」
華琳が声を掛けると、困ったような顔で言葉を濁した。怪しさを感じつつ見ていると、突然、硬直するように動きが止まる。その隙を逃さず、張三姉妹が一斉に襲い掛かった。思わず華琳は、身を強ばらせる。
しかしその直後、一刀の取ったある行動に、華琳は心の奥底から溢れ出る黒い感情を抑えることができなかった……。
恋と趙雲、そして孫策の三人を相手にしては、さすがの黒装束も余裕ではいられなかった。いずれも手練れ、その攻撃の鋭さは普通の兵士の比ではない。
オーク軍団が守るように突撃してくるが、簡単に蹴散らされてしまう。黒装束のあちこちが破れ、もはやボロ布を纏っているような姿だった。
「逃がしはせぬ!」
距離を置こうとする黒装束に、趙雲が詰め寄る。しかし次の瞬間、黒装束の姿が二つに分かれた。だが――。
「甘いわよ!」
孫策が追撃し、二つの姿を両断した。
「分かれたなら、すべてを斬るのみ。どれかは本物でしょ?」
「うむ。まさにその通り」
孫策の言葉に、趙雲が愉快そうに相づちを打つ。気が合うらしい二人のコンビプレーに、黒装束の幻術は役に立たなかった。さらに恋に至っては、なぜか勘だけで本体を一発で当ててしまう離れ業を見せていた。
「いい加減、飽きてきたわ。そろそろ、終わりにしましょ」
一撃必殺の攻撃が、三方向から黒装束に襲い掛かる。その姿が三つの軌道によって裂かれ、断末魔の声と共に残骸のような布の切れ端を残して、その姿は霧散した。
「ふぅ、これで一件落着かしら?」
「そうならば良いがな。ともかく、助かった」
「いいの、いいの。楽しかったしね。それじゃ私は、一号さんの所に報告に行ってくるわ。がんばったんだから、きっと褒めてくれるわね。ふふふ……」
ご機嫌な様子で一号が戦っている場所に戻って来た孫策は、思わず歩みを止めた。凍り付いた笑みの先では、一号こと北郷一刀が張三姉妹を助けるべく、ある秘策を実行していたのだ。しかしそれを目撃した孫策の心には、華琳と同じ黒い感情が溢れていた……。
孫策が黒装束を倒す、その少し前。曹操が見守る中、一刀は果敢に攻めながらも決め手に欠いていた。
(助けるとは言ったものの、何も思いつかない……)
とりあえず攻めて接近するが、そこから先がわからなかった。どうすればいいのか、ただ気持ちが焦るばかりだ。黒光りする剣も、相手が女性ではオークたちを戦意喪失させたあの威力はない。
(くそっ!)
もどかしさに唇を噛んだ一刀の頭の中に、不意に声が聞こえた。それは、貂蝉の声だ。
(お困りのようね、ご主人様)
(貂蝉……俺は、誰か一人を選ぶことは出来ない。だから、お前の力は借りられない)
(うふふふ、実はご主人様にも……いいえ、ご主人様だから出来るいい方法があるのよ)
(何だ?)
(それは……)
もったい付けるように言葉を切った貂蝉は、張三姉妹を助けるある秘策を授けた。だがそれを聞いた一刀は、思わず大声で叫んでしまう。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! そ、それを俺がするのか?」
(そうよ。簡単でしょ?)
「い、いや、まあ……でも!」
(本当は私も、教えたくはなかったんだから。ふん!)
「だからって、そんな!」
頭に響く貂蝉の声に対し、実際に声を発して応答する一刀に華琳が声を掛けてきた。
「どうしたの、一人でブツブツと!」
「あ、いや……」
困ったように言葉を濁し、一刀は気持ちを落ち着かせた。
(どうするの? ほら、夏侯淵の戦いは終わったみたいよ)
一刀は迷いを払えないまま、張三姉妹に再び攻め込もうと剣を構える。だが次の瞬間、天和の唇が動いて何かを伝えてきた。
(殺してください……)
聞こえるはずのないその言葉が、一刀には聞こえた気がした。愕然として動けなくなる一刀の前で、三人の目からは一筋の涙が零れた。感情のなかったはずの瞳に、悲しみをたたえながら……。
ギリッと歯を噛みしめた一刀は、心の中の迷いを振り払った。たとえ聞こえた言葉が空耳だったとしても、三人が苦しんでいるのは事実なのだ。
天和の烈風が腕をかすめる。地和のつぶてが額を打つ。人和の操る蔓が、一刀の足に巻き付いて動きを封じる。
(もう逃げない! ここからは退かない!)
その決意を示すべく、すべての攻撃を受け止めた。そして、張三姉妹がとどめを刺すために一刀に迫る。間近での攻撃を受けたなら、一刀でも無事では済まないだろう。だが、一刀は剣を仕舞うと、まるで大切な者を迎えるように腕を広げ、優しい笑顔を浮かべたのだ。
「――!」
それがどのような効果があったのか、ほんの一瞬だったが張三姉妹はわずかな躊躇いを見せた。三人の意志が、自由にならないはずの肉体を凌駕したのである。
「天和! 地和! 人和!」
三人を抱きとめてそう叫ぶなり、一刀は続けざまにその唇を奪っていったのだ。貂蝉が授けた秘策、それは――。
(ぶちゅーってしちゃえば、簡単に正気に戻るわよ。だって恋する乙女だもの)
根拠のよくわからないその秘策に、一刀は掛けたのだ。
「一刀……」
「か、一刀……」
「一刀さん……」
正気を取り戻した三人は、喜びと悲しみの混ざった表情を浮かべて一刀を見つめた。そしてしっかりと抱きしめた一刀の腕で、しくしくと泣き始めたのである。
「大丈夫、もう、大丈夫だから……」
そう言いながら三人の頭を撫でる一刀の背後からは、黒い波動を放ちながら近付く影が二つあった。
「戦いの最中に女の子といちゃいちゃするなんて、いい身分ね」
「本当、こっちは黒装束の奴をがんばって倒したっていうのに」
そこに居たのは、怒りの炎に包まれた曹操と孫策だった。
「えっ? いや、これはその……ちょ、ちょっと! あのっ! あっ、ああーーーーーーー!!!」
両側の頬に真っ赤な手形を付けた一刀は、仁王立ちの曹操と孫策の前で土下座をしていた。実際のところ、怒った二人も自分の気持ちを少し持て余していたのだ。
間違いなく嫉妬による怒りなのだが、その自覚がまだ二人にはない。だから怒って、殴ってはみたものの、こうして落ち着くと何だか申し訳ない気持ちになったのである。
「ま、まあ、私たちも少しやり過ぎちゃったし、もう怒ってないわ」
「え、ええ。そうね」
「あ、でも……」
孫策が何かを思いつき、少し悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「ねえ、一号さん。後で、私たちにも接吻、して欲しいな」
「なっ! 何を言っているの、孫策!」
「えーっ。曹操はいらない?」
「私は……その……」
顔を真っ赤にして、曹操は珍しくモジモジと言葉を詰まらせた。
「まあ、今すぐじゃなくていいから、考えといて。それより曹操」
「な、何よ」
ビクッとして顔を上げた曹操に、孫策は周りを見ろと顎で示す。周囲では戦いが終わり、術が解けた人々が呆然とする姿がある。
「私が黒装束を倒したから、術が解けたのかもね」
孫策の言葉を聞き、一刀は愕然とした。
(もしかして、もう少し待ってたら三人の術も解けてた? 俺のしたことって……)
しょぼんとする一刀に、曹操は一息ついて言った。
「一号、後で話があるから逃げちゃダメよ。逃げたら正体をバラすから。いいわね」
「……わかったよ」
「ふふ……」
楽しげに笑った曹操は、夏侯姉妹の元へと歩いて行く。勝ち鬨が上がり、長い戦いが終わった。
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恋姫の世界観をファンタジー風にしました。
だいぶ駆け足で、戦いが終わります。どうしようか散々迷いましたが、こんな感じになりました。
楽しんでもらえれば、幸いです。