かがみに夢中
夏の終わりに海で行われる花火。
かがみはこなたに誘われてそれに来ていた。
つかさも一緒だ。もちろん、かがみの彼氏である優一も。
本来であれば今日は海に行く予定になっていた。
花火ではなく、海水浴に。
しかしかがみの一身上の都合により海水浴から花火へと予定が変更された。
「ゆう君はかがみの水着姿を密かに楽しみにしてたのに、
がっかりするんじゃないの?」
とこなたが冷やかした。
「う、うるさいわね!関係ないでしょ!」
こなただってかがみが海水浴を止めた理由はわかっていたのだ。
かがみは決して口にしないけれど、わかっていたのだ。
また、失敗したんだな、と。
己の欲望に負けたんだな、と。
このまま水着姿を見せてしまってはがっかりするどころか、
嫌われるんじゃないかとかがみは恐れたのかもしれない。
だから、今夜はみんなで浴衣を着て花火見物になった。
優一も、からころと下駄を涼しげに鳴らしながら、浴衣を着ている。
かがみはご機嫌だった。
「かがみ先輩、とってもきれいです」
と開口一番、優一がその純粋な目をきらきらと輝かせて言ったせいだ。
よくそんなことを恥ずかしげもなく言えるものだと、
聞いているかがみの方が赤くなる。
でも、嬉しい。耳がくすぐったいような、恥ずかしいような、でも心地よい響。
かがみの頬はポカポカと火照っていて、けれどそれが気持ちいい。
かがみとこなたとつかさが横に並んで楽しそうに喋りながら歩いている。
お喋りに夢中になっている少女たちに忘れられて、
その後ろをぽつりと、優一がついて歩く。
まるで優一が邪魔者のように一人浮いている。
それでも優一が幸せそうに付いていくのは、
ふわふわと揺れるかがみの艶やかな二つのツインテールに視線を奪われ、
ときどきちらりと見えるかがみの横顔にドキドキと胸をときめかせているからに他ならない。
「ゆう君、こっちだよ」
ときどき思い出したように振り向いてはかけられる、
たったそれだけの言葉にも「はい」と嬉しそうに従う。
「優一くんって素直だよね」
かがみが、「あのチョコレートバナナおいしそうよね」とつぶやいたから、
「買ってきます」と走り出した優一。
その遠ざかる背中を見つめてつかさがつぶやいたのだった。
「素直っていうかさ、従順だよね」
こなたが言った。
「ひょっとしてさぁ……」
こなたがとびきり嫌らしく顔を歪めてかがみの顔を見つめる。
「な、何よ……」
こなたのその顔を見れば、ろくなことを言い出さないのは明らかだった。
何を考えているのかと、その顔を見るとかがみは不安になる。
「かがみ、ゆう君を調教してるの?」
「ちょっ……」
想像を上回るこなたの意外な言葉に、かがみは声をつまらせた。
「調教って何?」
つかさが平和な顔でこなたに問う。
「なんでも命令を素直に聞くように躾けることだよ。
かがみの命令だったらなんでも。どんなことでも」
「へぇ〜」
とつかさは感心した様に声を漏らす。
「お姉ちゃん、すごいね」
「ばか!そんなわけないでしょ!」
「ほんとうに〜?」
真っ赤になっているかがみの顔を、疑るようにこなたが覗き込む。
「だってゆう君、あんなに従順なのに、本当に何もしてないの?」
「してないわよ!」
「足を舐めなさい、って言ったら、舐めちゃうんじゃないのかなぁ?」
「ば、ば馬鹿じゃないの!そんなことするわけないでしょ!」
かがみは耳まで真っ赤にして力いっぱい叫んだ。
回りの行き交う人たちも足を止め、露店のおじさんまでも思わず手を止めて振り向いてしまう程に。
「じゃあ、試してみる?」
両手に四つのチョコレートバナナを手にして、
かがみの下へと駆け寄ってくる優一にちらりと目を向けて、こなたが言った。
嬉しそうに駆け寄ってくるその姿は、
まるでご主人様に呼ばれて盛んに尻尾を振る犬の様。
「あんた、変なゲームのやりすぎよ!」
実際、かがみには優一を調教する知識は持ち合わせていない。
そんなことはこなただってわかっている。
わかっていて、言うのだ。
「でも、優一くんってマゾっぽいよねぇ」
「し、知らないわよ!」
「恐いかがみにだったら、喜んで調教されるんじゃないのかなぁ?」
こなたはかがみの耳に顔を近づけて、ささやくように言った。
つられて、思わずかがみも一瞬その光景を思い浮かべては、慌てて振り払う。
「あぁ……。それとも実は調教されたいのはかがみの方なのかなぁ」
調教をされる……、それはどんなものなのだろうかとかがみは一瞬考えてしまった。
はっと我に返るとにやにやとしたこなたの顔がすぐ目の前にある。
「今、想像してたの?」
「そっそんなわけないでしょ!」
叫んで、こなたから顔を逸す。
「あの……どうしたんですか?」
戻ってきた優一が、騒いでいるかがみの顔を心配そうに覗き込む。
不意に優一の顔が視界一杯に広がって、思わずかがみは恥ずかしくなってしまった。
こなたが調教、調教っていうせいだ。
「なんでもないわよ」
ごまかすように優一が手にしていたチョコレートバナナを奪い取る。
「まぞって、何?」
話が途切れた隙を見計らってつかさがつぶやいた。
一瞬かがみもこなたも凍り付いた。
どうしてこんなタイミングで聞くかなぁこの子は、と内心つぶやいていた。
優一もさぞかし困った顔をしていることだろうと思いきや、そうでもなかった。
「それって何ですか?」
そんな言葉を口にしていた。
「えっと……苛められっこのことかなぁ?」
とこなたが説明した。
「ふ〜ん……。じゃあ優一くんって苛められっこなの?」
とつかさが優一に問う。
「え?……そんなことないと思いますけど……」
天然な二人の会話は気まずい空気もぶち壊す。
予想以上にと言うか、見通しが甘かっただけと言うか、
人が多すぎて海が見えない。
上空に高く上がる花火はそれでも見えるかもしれないけれど、
海面近くに咲く花火を見るのは絶望的だった。
「あそこだったら人がいないみたいだよ」
とこなたが指をさしたのは離れたところに見える崖の上。
「先に行ってて」
とかがみは一人離れていった。
きっとトイレだろう。あんな人気のないところにはトイレなんてなさそうだから、
今のうちに済ませておいた方が良い。
つかさとこなたは言われるまま二人で先に崖の上をめざした。
邪魔者は退散しようかと気を利かせたのかもしれない。
でも優一は待った。
わずかな時間とはいえ、せっかくかがみと二人になれるチャンスがめぐってきたのだから。
そしてかがみと優一は先に行った二人の後を追う。
沈み込むような柔かい砂浜の上を下駄で歩いて。
今日の優一の足はかがみよりも遅かった。
かがみは普通に歩いているだけなのに、優一がそれについてこない。
いつもはそんなことないのに。
「どうしたの?早くしないと始まっちゃうわよ」
優一の少し前でかがみが足を止め振り返って呼んでいる。
「ごめんなさい」
言いながら足を早める優一。
「大丈夫?」
かがみがそう聞いたのは、いつもの優一の笑顔がひきつっていたことに気づいたからだ。
「何でもないですよ」
その無理して作った笑顔も歩きだせばすぐに歪む。
「何を隠してるのよ?」
もう一度足を止めたかがみは、今度は少しきつい口調で聞いた。
「大丈夫です。何でもないですから」
隠し事をされるのは好きじゃない。
小さな悩みの一つも話してくれないのは水臭い。
と言うよりも腹立たしい。
「何でもないって顔じゃないでしょ!言いなさい!」
きつく怒られて、優一は渋々と口を割った。
何のことはない。
「足が痛くて……」
かがみは優一の足元にしゃがみこんで見てみると、
足の親指と人差指の間が鼻緒に擦られて赤くなっていて、痛々しい。
「どうして早く言わないのよ?」
しゃがんだままの姿勢でかがみは優一を睨みあげる。
「ごめんなさい」
そんな神妙な反応をされるとかがみはそれ以上怒れなくなる。
「脱ぎなさい」
「でも……」
「でもじゃない、早く脱ぎなさい。砂の上だから平気よ」
そう言ってかがみは自分の下駄を脱ぎ、暗い砂浜の上を数保歩いて振り返る。
「裸足だと気持ちいいよ」
かがみがそこまでするのなら、優一もそうしない理由はない。
優一も下駄を脱いで手に持った。
「でも、裸足であそこまで行けないですよ?」
と崖の上を指さす。
そこへ行くには林の中を登っていかなければならないように見える。
そんなところ、裸足で歩いて突き出た小枝でも踏んだらと想像するだけで足の裏が痛くなる。
「別にいいじゃない、この辺から見れば」
かがみは人混みの最後尾に立ち、優一はそれに続いて隣に立った。
「でもこんな後ろからじゃ人が多くて……」
優一は申し訳なさそうに言う。
「良いじゃない。それも風流ってものじゃないの」
やっぱり花火は見えない。
海面の花火が見えないのはもちろん、
上空に打ち上げられるやつだって前の人の頭に遮られ欠けて見える。
「ごめんなさい。僕のせいで……」
そう言ってまた俯いている優一の顎にかがみは手を添えた。
それから、首を上向かせる。
「きれいよね、花火」
かがみはそう言ったけれど、優一の目にはそんなの映っていなかった。
花火よりもきれいなものがある。
夜空に舞う色とりどりの火の粉に照らし出される、
少女の横顔こそ綺麗だと優一は思った。
「かがみ先輩の方が、綺麗です」
優一は偽らざる本音を素直に口にしたというのに、
かがみは優一の顔をひっぱたいた。
「何言ってるのよ!ば、馬鹿じゃないの……」
そう言ってまた顔を夜空に戻した少女の横顔はほんのり赤くなっていて、
やっぱり綺麗だった。
「二人でこっそりいなくなって何やってたの?」
崖から戻ってきて合流したこなたは開口一番にかがみをからかった。
かがみももう慣れたのか、それくらいの事じゃ動じなかった。
「なんだって良いでしょ」
と軽くあしらう。
花火が終わって、帰ろうと駅に向かっているとき、優一はそっとこなたの浴衣の袖を引いた。
「先輩……ちょっといいですか」
こなたが振り向くと、優一は思いつめた表情をしていた。
「どしたの?」
「あの……お願いしたいことが……」
優一はもじもじと言い難そうにしている。
「ねぇ、かが」
こなたが前を歩く柊姉妹を呼び止めようとするのを、
優一が腕を強く引っ張って止めさせた。
「かがみ先輩には、言わないでください」
露店の薄灯りに照らし出された優一の顔が心なしか赤い。
だから、こなたは少し戸惑った。
かがみに言えない話ってなんだろう?
そう思いながらも、優一に手を引かれるまま駅に向かう人の流れを離れて露店の裏側に回った。
露店商たちの大きなワンボックスカーが建ち並ぶように止まっているだけで、
人影なんてほとんどない。
人混みの喧騒が遠くに聞こえる静かな場所。
「せんぱい……」
優一は静かな声をだし、その潤んだ大きな瞳でこなたの目をまっすぐに見つめる。
如何に恋愛シミュレーションの達人、こなたといえど思わずどきりと心を揺さぶられる目。
きっと、その目は多くの女の子をあるいは女性を惑わすに違いない。
「な、何かな?」
思わずこなたは一歩あとじさる。
こなただってわかっているのだ。友達の彼氏に手をだすのはダメ、絶対。
わかっていても、こなたには免疫力が無い。
頭ではわかっていても、勝手に胸が高鳴ってしまう。
迫られたら拒みきる自信もなかった。
だから逃げるしかない。
しかし、実際のところはこなたが期待しているような話では全く無かった。
「お金、貸してください……。帰りの電車代が足りなくて……」
そう言って優一は俯いた。
「なんだ、そんなことか……」
とこなたは自分でもがっかりしていたことに気づいた。
「でもそんなことならかがみに言えばいいのに」
「だから、かがみ先輩には知られたくないんです!」
優一の目は真剣だった。
そんなことくらいでかがみはどうとも思わない事を、こなたはわかっていた。
つかさという天然の妹に慣れているんだから、今さらそんなことくらいで。
でも優一の目は真剣なのだ。
あまりに真剣だから、こなたはからかってみたくなった。
「それは大変だねぇ。
そんなことかがみに知られちゃったら、きっとゆう君嫌われちゃうよ。
かがみは忘れ物なんてしないから、ゆう君みたいな抜けた人間は大嫌いなんだよ。
だから、捨てられちゃうねぇ」
そう言うと優一の顔は面白いように青ざめる。
「先輩……だから、」
「良いよ。ゆう君がどうしてもっていうなら貸してあげないこともないんだけど……」
とこなたはもったいぶって見せる。
「私の言うこと、なんでも聞くよね?」
優一は慌てて、大きく首を縦に二度振った。
「んふ」
とこなたはにやけた顔から笑いを漏らした。
「じゃあ、舐めて。私の足」
言いながらこなたは下駄を脱ぎ、右足を少し持ち上げて前に突き出した。
その右足を優一は黙って見つめていた。
深刻に悩んでいるのだろう。足を舐めるか、かがみに嫌われるか。
こなたにからかわれているだけとも知らずに。
そんな苦悩している優一を見てこなたは心の中でにやけていた。
この後、どんな反応をしてくれるのかと楽しみにしていた。
不意に優一はその場に座り込んだ。
ぺたりとお尻を地面に着けて、顔を上げてこなたを見上げる。
冗談のつもりだったのに、とこなたは戸惑った。
そんなこなたの目を優一は上目使いで見つめている。
「舐めたら、貸してくれるんですよね?
絶対にかがみ先輩には秘密にしてくださいね」
こなたは「冗談だよ」と言う変わりに、一つ首を縦に振ってしまった。
それはこなたを魅了してしまう程に優一が綺麗だったからかもしれない。
女の子のようにぺたりとお尻を着けて座り込み
怯えた瞳でこなたを見上げるその様は、
まるでこなたがゲームで慣れ親しんだ愛らしい少女達のよう。
優一が男であるということを一瞬忘れてしまう程であった。
優一は両手で包み込むようにそっとこなたの両足を掴んだ。
そして静かに顔を近づける。
近づける。
鼻から漏れる静かな吐息がこなたの足の甲をくすぐるくらいに近づく。
これは夢?
こなたはそう思った。
学校のどこかにはファンクラブがあっても不思議ではないような美少年が、
静かに目を閉じてこなたの足を舐めようとしている。
顔色一つ変えずに、まるで愛しいものに口づけをするかのように。
足、臭くないかな?と急にこなたは不安になった。
決して綺麗な足ではないはず。
砂浜を歩いて巻き上げた砂が少し湿り気を帯びた足にうっすらと着いている。
それなのに優一は踏ん切りが付いたのか、
もはや躊躇う様子など見せずにその両手は優しくこなたの右足を包んでいる。
こなたは生まれて初めて不思議な感覚を覚えた。
優一の両手にそっと包み込まれた足がじんじんと気持ちいい。
舐められたらもっと気持ちいいのかもしれない。
幸せになれるかもしれない、とこなたはいつしか夢中になっていた。
「何やってるのよ!」
空気がびりびりと震える程のその声に驚き、こなたはバランスを崩して尻餅を付いた。
打った腰をさすりつつ、声の下方を見上げてみれば、
かがみが鬼のような形相でこなたを見下ろしていた。
「こんなところで何してるの?」
言いながら、かがみは下駄の歯でこなたの手を遠慮無く踏みつける。
こなたの口から悲鳴が漏れる程。
「かがみ先輩、待ってください!泉先輩は悪くないんです!僕が悪いんです!」
と優一がこなたを庇う。
かがみはそれが余計に腹立たしかった。
けれど、事情を聞いてみれば怒りもすっかりと収まって、
ただ呆れるばかりだった。
「どうして始めから私に言わないのよ?」
ときつい口調でかがみが睨みつけると、優一はうなだれるばかり。
「ごめんなさい……」
「そんなことで……きっ、嫌いになったりするわけないでしょ!」
かがみ様への恋文シリーズ、
夏コミで本にすることにしました。
まぁコピー本ですけどね。
特に新しい話の書き下ろしもありませんけどね。
ただ、挿絵が数枚入る予定です。
60P弱程度になる予定です。
まぁ他にも既刊本などがありますので、
よろしければうちのサークルのスペースへも
お立ち寄りください。
8/14(土) 東 T01aです。
Tweet |
|
|
3
|
0
|
追加するフォルダを選択
柊かがみがラブレターをもらったら……なんて話の第10話目です。
「かがみに夢中」