No.161290

真・恋姫無双 ~美麗縦横、新説演義~ 第二章 彼願蒼奏 第五話

茶々さん

前・中・後の三部構成です。

2010-07-28 09:59:58 投稿 / 全11ページ    総閲覧数:1769   閲覧ユーザー数:1569

真・恋姫無双 ~美麗縦横、新説演義~ 第二章 彼願蒼奏

 

第五話 崩落・前 ~冷たき檻の中で~

 

 

「おいコラッ!さっさとここを開けやがれッ!!」

 

天水の城の地下に設けられた牢獄。

その一角のとある檻の中で、猛獣さながらの雄叫びが轟く。

 

「うっせぇぞ王双!ちったぁ黙りやがれ!!」

「あァ!?今ほざいた奴誰だ!ぶっ殺すぞ!!」

 

手枷を檻に叩きつけ、喧しい程に囚人達が叫び続ける。

牢番を任された兵士達はもう慣れたのか、まるで気にした様子もなく黙々と食事を取っていた。

 

 

 

「…………くっそォ……」

 

やがて疲れたのか、王双は壁に背を預けて息を洩らした。

肩を大きく上下させて息を整えると、実に大きく膨らんだ彼女の胸部も柔らかそうに震えるが、生憎と昼間でも暗い牢獄の中ではその姿は他の囚人に映る事はない。

 

「……腹減ったァ」

 

ぐう、と音を鳴らして彼女は呟く。

 

王双、字を子金。

元は無統治状態にあった天水一帯で散々に暴れまわっていた『侠』の一人で、その義侠心は人一倍強い。

か弱い民草を虐げる賊徒を殺して回り、私腹を肥やす悪官から金品食料をせしめて民にばらまく、一種の義賊的存在だった。

 

だが、つい先日この辺りを統治しに馬超ら西涼衆が現れた折には「官人など皆同じ」と考え、その傘下に入る事を拒絶。

手勢を率いて抵抗するも、馬超や龐徳らによって力ずくで捩じ伏せられ捕えられた。

 

以来、度々登用の使者が訪れるも彼女はそれを悉く拒否している。

 

ここで自分が膝を折れば、あの戦いで死んでいった同胞たちにどうやって報いる?

 

それだけの事は、しかし彼女にとっては決して譲れない一線だった。

 

 

 

 

 

「―――それでは、暫し此方にお入り願います」

 

つと、彼女の耳にそんな声が飛び込んだ。

何時の間にか眠っていたのだろうか。誰かが近づく気配に全く勘付かなった自分に呆れながらも、王双は目線だけ動かして新しくぶち込まれる同類の姿を見ようとした。

 

「……ッ!?おい牢番、何でそいつは手枷がねぇんだよ!?」

「黙ってろ王双!」

 

見れば、その人物は自分達と違って手枷が付けられてない。

牢に入るのに何故枷がないのか。

 

明らかに異質なその姿に王双は怒鳴り、牢の入り口近くまでよってその人物に声をかける。

 

「おい!アンタどっかの名家の坊ちゃんかい?一体幾ら積んでそんな特別扱い受けてんだよ!!」

「貴様ァ……口を慎め無礼者!!」

「上等だ!!殺ろうってのかァ!?」

 

一触即発。

今にも暴発しそうな程に膨れ上がった怒気は―――

 

「黙れ、女」

 

ただその一言で、彼の発する威圧感に一瞬にして呑まれた。

 

        

 

「お願いします!!司馬懿さんに会わせて下さい!!」

 

翠に懇願する月は、折れてしまうのではないかと思える程に何度も何度も頭を下げる。

 

「いや、そう言われてもだな……」

「お願いします!!」

 

困った様な顔の翠は、言い淀んでチラリと後ろの龐徳を見た。

 

「……なぁ龐徳」

「なりません。如何に翠殿の御下命であろうと、侍女を囚人に引き合わせる事は牢番頭として許せません」

 

腕を組んで仁王立ちしたまま龐徳が言うと、翠はため息を洩らした。

 

幾ら現当主・馬騰の長女といってもその権限には限りがある。

つまり、牢獄に関する権限では翠よりも龐徳の方が強いのである。

 

そしてその権限を以て、龐徳は月の要望を却下していた。

 

「幾ら人を助ける為とは云え、相手が暴漢だったとは云え、五人もの男を殺傷した罪をそのままにしておく事は適いません。少なくとも本日は牢獄に入って頂き、明日にでもお帰り願わねば道理が立ちません」

「いや、それは分かってるんだけどさぁ……」

「なりません」

 

硬い表情のまま、龐徳はそう言い放った。

 

「ともかく、『侍女が』囚人に『直接』会う事は許されません」

 

龐徳のその言葉を聞いて、月の後ろにいた詠がハッと表情を変えた。

 

「……つまり、直に囚人に会う事は出来ないっていう事?」

「左様。『直に』会う事は出来ません」

 

龐徳と視線を交わせた詠は、それだけ聞くと月の手を引いて身を翻す。

 

「ちょ、ちょっと詠ちゃん!?」

「月。いいから今は付いてきて」

 

慌てふためく月を余所に詠はさっさと歩いていく。

その後ろ姿を眺めて、翠はポツリと洩らす。

 

「……何だってんだ?」

「さぁ?私はただ、自分の職務を全うするだけですが」

 

肩を竦めてそう言う龐徳に嘆息を洩らす翠が気づく事はなかった。

彼が、悪戯好きな童子の様に強かに微笑んでいる事に。

 

 

 

 

 

「ちょ、ちょっと詠ちゃん!!」

「月。よく聞いて」

 

部屋に戻って早々、詠は月の肩を掴んで向き直った。

 

「月はさっきの暴漢に助けられたお礼を言いたい。けどボク達は直接会う事は出来ない。そうだね?」

「う、うん……」

 

何が言いたいんだろう、と訝しむ様に詠を窺っていた月は、続けて投げかけられた言葉に目を丸くした。

 

「よし。じゃあ手紙を書こう」

「…………え?」

 

            

 

「なぁアンタ、名前なんて言うんだ?」

「…………」

「アタシは王双、字は子金。これでも天水じゃそれなりに有名なんだぜ?」

「…………」

「……ガン無視かいコラ」

 

王双は、牢番が去ってから直ぐに司馬懿に話しかけ始めた。

特別扱いされるという事はそれなりの地位の人間なのだろうという興味もあったし、何より惹かれたのはその容貌だ。

 

今でこそやや痩せこけているが、衣服の上からでも手に取る様に分かるスッとした体躯といい、薄暗い牢の中でも静かに輝くのが見て取れる銀色の髪といい、中々の上物である。

 

言うなれば、彼女もまた武人であると同時に一人の『女』だ。

 

お近づきになっておいて損をする事もないだろうと考え――一方的にではあるが――話し始めてはや数分。

 

「…………」

 

全くの無反応に、流石の王双もやや呆れ気味になってきた。

 

 

 

「……ま、いいや。んで、アンタはどうしてこんな所にブチ込まれたんだい?」

 

どうやら彼女の思考に「黙る」という選択肢はない様だ。

 

言って、王双は司馬懿の様子を窺うと―――思わず、背筋に悪寒が走った。

 

司馬懿は何も言わず、ただフッと、嘲笑うかの様な笑みを浮かべていただけだった。

しかしそれは途方もなく凍てついていて、まるでこの世の全てに絶望したかの様な嘲笑だった。

 

(なんつー面するんだい、このガキは……)

 

生来の姉御肌が顔を覗かせる中、王双はその表情に一種の危惧を覚えた。

 

彼女はこういった類の表情をする人間には、二種類しか心当たりはない。

 

一つは、恐怖や絶望が転じて狂気に変わった者。

そしてもう一つは、最初から狂気に染まっている者。

 

前者はまだ更生の余地は残されているが、後者にはその可能性は殆どない。

そして王双は司馬懿の姿を見れば、それが後者でしかないという事が直ぐに察せた。

 

とても脆く、壊れやすい感情を内包して生きている類の人間は、ある一線を越えた時それが何者にも打ち砕けない確固たるモノに変わる時がある。

それは、あるいは『正義』であったり、あるいは『信念』であったりする。

 

だが眼前の彼は、その確固たるモノが『絶望』であり、その行動は『狂気』に従っている様に見えた。

 

あまりにも硬く――――――あまりにも危うい。

 

「なぁ、アンタ……ッ!!」

 

刹那、王双の表情が一変した。

咄嗟に壁に身を寄せ、気配を探ろうと神経を張り巡らせた。

 

「―――ぐぁっ!?」

 

小さな呻き声。

何かが倒れる音。

 

それが看守のものだと王双が気づいた時には、その気配の主は二人の前に姿を現していた。

 

見た感じ、青年だろうか。

癖っ毛の様に跳ねた茶髪は首の辺りまで届いており、身に纏った軽装の鎧から伸びた腕には、穂先が血に染まった槍が握られている。

 

「誰だい?アンタ……」

 

王双が問う。

青年が振り向く。

 

「―――ッ!?」

 

瞬間、王双は全身に恐怖を覚えた。

 

          

 

その青年の片方の瞳は、空の様に澄んだ青。

そしてもう片方の瞳は、血の様に淀んだ赤。

 

「ア……ァ……!?」

 

恥も外聞もなく、王双は後ずさる。

 

ガチガチと歯が音を立て、ブルブルと全身が震え上がる。

 

見てはならないモノを見てしまった。

知ってはならないモノを知ってしまった。

 

そんな恐怖心が、歴戦の武人たる彼女を締め上げて、陥れた。

 

「司馬懿は何処か?」

 

青年が問う。

 

しかし王双はまるで聞こえていないのか、ただただ全身を震えさせて怯えた。

 

「……僕に何か用か?」

 

青年の後ろで司馬懿が答えた。

瞬間、弾かれた様に王双が叫ぶ。

 

「逃げろ!!コイツ『忌み児』だッ!!!」

 

途端、静寂を保っていた他の囚人たちが蜂の巣を突いた様に慌てだした。

 

ある者は絶望を叫び、ある者は恐怖に慄き、ある者は卒倒した。

 

それを咎める様に青年は周囲をギロリと睨むが、

 

「用があるならさっさとしてくれないか……?僕も少し聞きたい事がある」

 

司馬懿の言葉に、彼の方を向く。

 

「おいっ!?アンタ何冷静に対応してんだよ!?呪われて殺されんぞ!!」

 

恐怖に怯えながらも、それでも王双は自身を奮い立たせて叫んだ。

 

「『忌み児』を知らねぇ程世間知らずじゃねぇだろ!?早く逃げねぇと……!!」

 

殺される。

そう叫ぼうとして、しかし王双は僅かに覗いた司馬懿の顔を見てその言葉を呑みこんだ。

 

「で?この僕に何の用だ?」

 

そこにあったのは、絶望でも恐怖でもない。

 

ただただ怜悧な、淡々とした冷たい表情。

まるで何を畏れる事がある、とでも言いたげな程に堂々とした姿だった。

 

 

 

 

 

「…………」

 

スウッと、青年が手に持った槍の穂先が司馬懿の喉元に伸びる。

後少し伸ばせば突き刺さるだろう程に伸びたそれは、しかしふとその動きを止めた。

 

「どうした?……僕を殺しに来たのか?」

 

怖れも何もなく、ただただ静かに司馬懿は問う。

 

まるで、そうあるのが当然であるかの様に。

 

「フフ……なら、やってみるか?」

 

胡坐をかいて座る司馬懿は、横目に青年を見る。

微かに挑発の色が見て取れるそれは、しかし決して虚勢などではない。

 

「殺すという事は、その者の存在全てを、生きてきた軌跡の全てを否定する事に他ならない。

 

―――貴様には、僕の存在を、軌跡を否定しうるだけの理由があるか?」

 

ほんの僅か、灯りが揺れた。

 

          

 

王双は恐怖していた。

 

『忌み児』と罵った青年に、ではない。

その青年と対峙して尚、何一つ怯えた様子を見せなかった司馬懿に、である。

 

『忌み児』とは、西方の蛮族との混血児を指し示す言葉である。

際立った特徴は唯一、左右の瞳の色が違うという事だけだが、そういった存在を忌避する者達によっていつしか彼らは『呪い』の存在と化した。

 

眼左右之異(眼の色は左右にて異なり)

血蛮種交穢(血は蛮族と交わり穢れている)

相対即呪殺(相対すれば即ち呪い殺される)

不近話即避(逃げるには近づかず話さない事だ)

 

とある文人が、蛮族と交わり儲けられた優秀な同輩を罵って書いた詩の一説にあるこの言葉が伝播し、元来西方の種族を蛮族と蔑んでいた人々はいつしか彼らを『忌み児』と呼び、腫れものでも触るかの様に畏れた。

 

王双もまた、そういった周囲の反応に流されるまま「そういうモノなのだ」と漠然と理解したつもりになっていた。

実感は伴わないものの、周りが嫌うモノに好き好んで近寄る趣味は彼女にはなかった。

 

ところがどうだ。

あの男―――司馬懿は、何を臆する必要があるとばかりに平然と接した。

 

それどころか、殺されかけたというのにあの冷静さ。

常識外れ、型破りもいいとこである。

 

 

 

改めて言う。

 

王双は恐怖していた。

 

司馬懿仲達という存在に。その有り様に。

彼女は生まれてこの方未だに覚えた事のない、本心からの『恐怖』を覚えた。

 

そして同時に『好奇心』を覚えた。

 

彼の生き方に。有り方に。

一種の思慕ともとれる様な興味を、彼に覚えた。

 

背筋に奔るゾクゾクとした感覚が途方もなく嬉々として感じられる。

身体が、魂魄が歓喜に打ち震えるのを王双は覚えた。

 

それと同時に、ふと彼女の胸中に疑問が湧き上がる。

 

『貴様には、僕の存在を、軌跡を否定しうるだけの理由があるか?』

 

彼は、槍の穂先を突き付けられながらそう言った。

 

殺す理由を問う。

それは異質としか思えない質問に王双は思えた。

 

つまりは、殺すに値する理由があれば命を奪ってもいいと言っているのか?

それ程の前科が、覚えが彼にはあるのか?

 

分からない。

分かる筈がない。

 

しかし、只一つ言えるのは―――

 

「……大将」

 

このまま牢の中で生涯を使うくらいなら。

このまま辺境で骨を埋めるくらいなら。

 

この男に、自慢の武を捧げてみるのも面白いかもしれない。

 

そう、王双は静かに決意した。

 

               

 

青年が去り、王双が決意を固めてから数刻後。

流石に眠気が再び襲ってきたのか、王双は乙女らしからぬ豪快な寝息を立てて眠り、司馬懿も目を閉じて寝入ろうとしていた。

 

その時、

 

「…………ん?」

 

ピクリと、司馬懿の眉が僅かに動いた。

 

鉄格子の窓から吹きこんだ冷気に身を震わせたのではない。

 

それに乗って彼の鼻孔をほんの僅かに擽った、鉄の様な異臭。

 

瞬間、彼は音を立てて立ち上がった。

 

「んぁ?どしたのさ、大将」

「……血の、匂い?」

 

静かに呟く。

 

途端、入口の方から何かが駆ける音が牢獄に響く。

ややあって現れた人物に、司馬懿は目を丸くした。

 

「……仲達様!!」

 

そう、大粒の涙を零して言った女性を司馬懿は忘れもしない。

 

本来、この様な場所に居る筈がない―――

 

「なっ……!?」

 

敵地の、しかも深奥とも呼べる場所に居てはならない筈の―――

 

「何故、お前が此処にいる……!?」

 

もう二度と会う事がないと思っていた人物が―――

 

「―――青藍!!」

 

鄧艾が、其処に居た。

 

 

 

青藍は驚いた。

 

自らの敬愛する主が、こんな冷たい牢獄に囚われている事に。

主の容貌が、あまりにも色を失って、痩せ細っている事に。

 

元々白かった肌は病的なまでに白く、身に纏った服は所々煤汚れている。初めて会った時には月の様に輝いていた銀髪も、彼女にしてみればすっかり色を失って映る。

 

だが、主は覚えていてくれた。

 

こんな自分に、生きる意味を与えてくれたこの人は―――

 

それが、どうしようもなく嬉しくて堪らなかった。

 

「仲達様……!この日を、どれ程心待ちにした事か……!!」

 

目から大粒の涙が零れるのを止められない。

声が、身体が震えるのが抑え切れない。

 

驚きは喜びに変わり、深々と青藍は頭を垂れた。

出奔し、今ではただの一介の素牢人に過ぎない彼に対して、しかし青藍の忠誠が揺るぐ事はなかった。

 

         

 

しかし、司馬懿はそれどころではなかった。

 

何故青藍が此処にいるのか?

外から漂う血臭は何なのか?

 

いくつもの疑問が彼の胸中に巡り、しかし驚きのあまり司馬懿は開いた口が塞がらなかった。

らしくない彼の様子に、漸く頭を上げた青藍は小首を傾げた。

 

「……如何なさいましたか?仲達様」

「ッ!そ、そうだッ!!何故お前は此処にいる!?」

 

やや掠れた声音で司馬懿が叫ぶと、恭しく青藍は頭を垂れて静かに語り出した。

 

「此度、長安の軍は西方攻略に乗り出し、手始めにこの天水を。次いで西涼、涼州を平らげて武都を平定。その後、漢中を奪取し巴蜀を脅かす算段です」

「では……お前は内部工作の任を与えられたのか?」

「はい。囚人を放ち、各所で放火して内部より混乱を誘い、鎮撫に躍起になる西涼衆を包囲殲滅する予定です」

 

そこまで言われて、司馬懿は顎に手を当てて黙考する。

 

自分の抜けた後となれば、恐らく都督の後任は副将の徐晃。

だとすればこの作戦も彼女が立案したものと考えるのが妥当であり、流石にその軍才をあの曹操に買われただけあって中々に堅実な戦法だと内心で司馬懿は感心した。

 

だが―――

 

「既に敵軍師・韓遂は此方に内通しており、我らの大義名分として西涼衆が匿っていた董卓、賈駆の身柄を抑えに向かったとの報も入っております」

 

続く青藍の言葉に司馬懿は絶句した。

 

 

 

「韓遂が、内応……?」

 

それに驚いたのは、彼女の前に立つ司馬懿だけでなく、向かいの牢で唖然としていた王双もまた同じだった。

 

「所詮は薄汚い蛮族。金と保身であっさりと寝返りを確約しました。気前のいいもので、ついでに両者の首を献上するとか……」

「馬鹿か貴様ッ!!!」

 

突如轟いた怒号。

 

突然の咆哮に、思わず青藍はビクリと身体を震わせ、恐る恐る顔を上げた。

 

「仲達、様……?」

「ッ!」

 

その顔を見た瞬間、司馬懿はしまったと表情を歪ませた。

 

一瞬、脳裏を過ったあの少女の笑顔が。

何故か被る筈がないのに、焼け付いて離れない過去の記憶にある朱里と重なった。

 

そしてそれが血に染まる幻覚を垣間見て、思わず司馬懿は怒鳴ってしまったのだ。

 

「…………そ」

 

だが、それを面と向かって言えよう筈も彼にはなかった。

 

未だ大逆人としての悪名も僅かに残る董卓の正体を知るのはごく僅か。

いくら帝が無罪を宣言したといっても、中央から遠い連中はその様な事を気にはとめないだろう。

 

特に、保身に走る韓遂にとってはこれ以上ない手土産と愚考するのも彼には即座に察しがついた。

 

大方、自分の武では馬超や龐徳には太刀打ち出来ないと理解しているからだろう。

だからこそ董卓は―――月は、最も手軽な『獲物』

 

ギリッ、と、司馬懿は奥歯を噛み締めた。

 

「……ッ!と、ともかく!!その様に軽々と主を変える下衆を信用するな!」

「無論。この戦が終わり一段落つけば、始末する算段です」

 

あっけらかんにそう白状する青藍を咎める暇さえ、彼には惜しかった。

 

        

 

「…………青藍」

「はっ」

「今すぐこの檻をこじ開けろ。それから何か武器になりそうなものと、馬を一頭用意しろ」

「……仲達様?」

 

疑問符を浮かべ、青藍は訝しむ様な視線を向ける。

だが瞬間、そんな瑣末な疑問は消え失せた。

 

「下衆に大きな顔をさせる気はない。奴らが得うる手柄は、全て奪い取る」

 

自身に向かいそう断を下す彼は―――

鋭く射抜く様な瞳を向ける彼は―――

 

「これより僕は董卓と賈駆の身柄を抑える。お前はお前の任を全うせよ」

 

違いなく、彼女が忠誠を誓った主だった。

 

 

 

 

 

「…………へぅぅ~」

「月ぇ~……いつまでも部屋の中をうろうろするのは止めない?」

「だって、詠ちゃん……やっぱり、ご迷惑じゃないかなぁ?」

 

言って、月は胸元に抱え込んだ書簡をギュッと抱いた。

 

「大丈夫だってば!もし迷惑とかぬかしたら、ボクが蹴飛ばしてやるから!」

「……詠ちゃん、それも駄目だと思うよ?」

 

コテンと首を傾げる月の姿に脳内で盛大に悶えながら、しかし表情には億尾も見せずに詠は至極真面目な面持ちを向けた。

 

「…………そんなに気になるなら、手紙出そうなんて止めとけばよかったじゃん」

「ふぇっ!?だ、だってこれを言いだしたのは詠ちゃんでしょぉ!?」

 

激しく狼狽しながら月は言う。

その姿がクリティカルヒットしたのか、思わず詠は仰け反った。

 

しかし吹き出しそうになった鼻血を一瞬で抑え込み、とりあえず気持ちを落ち着かせる為に椅子に腰かけた。

 

 

 

『よし。じゃあ手紙を書こう』

 

詠の一言に始まった二人の作戦。

 

それは、「直に会えないのなら文書を送ろう」というものだった。

 

渡す役は馬超でも馬岱でもいい。

兎に角彼と接触できる人間に書簡を手渡し、月が伝えたいらしい感謝の気持ちを伝える。

 

『月はさ……やっぱその司馬懿って奴の事が好きなんじゃないの?』

 

書いている途中、ふと冗談半分で詠はそう問うた。

案の定、彼女の可愛い幼馴染は盛大に顔を赤くして怒った様に色々言っていたが、段々と沈んだ表情を浮かべるとポツポツと何事かを語り出した。

 

『きっと……仲達さんには好きな人がいるんだよ』

 

スッと出た言葉は、しかし何かを含んでいる様に詠には感じられた。

 

『あの人は、凄く遠い目をしていたの。目の前にいた私じゃない―――何処か遠くにいる誰かを、きっと見ていた』

 

だが、そのモヤモヤの正体が何だったのかは彼女には掴めなかった。

 

『本当にその人の事が好きだったら、重荷になる様な気持ちはきっと違うと思うの。

 

―――だから、私のこの気持ちはきっと恋じゃない』

 

静かに。

しかし固い決意を秘めた声音で、月はそう言った。

 

             

 

(月…………)

 

あの時、詠は確かに月の中に『王』の資質を垣間見た。

 

誰かの上に立つに値する、為政者としての覚悟を確かに見た気がした。

 

(月……ッ!)

 

悔しい。

悔しい。

 

何故彼女ではないのか。

この乱世を統べるのが、平和な天下を築くのが。

 

どうして、彼女ではいけないのか。

 

自分にもっと才があれば。

あの時、ああしておけばという後悔はあまりに遅く、しかしそれでも詠の胸中を縛り付けて放さない。

 

彼女程に優しさに満ちた君主がいるだろうか。

彼女程に慈しみの心を持った君主がいるだろうか。

 

劉備にも、曹操にも、孫策にも。

何人にも劣らない彼女の『強さ』は、しかし今となってはもう発揮出来ない。

 

それがあまりにも悔しくて。

 

(月―――ッ!!)

 

静かに、詠は彼女に見えない様にその表情を苦悶に歪ませた。

 

 

 

 

 

――――――ふと、何かが倒れる音がした。

いくつかの呻き声が一瞬響いて、しかし唐突に途切れる。

 

「…………?」

 

月も詠も首を傾げた。

 

しかし、

 

「―――覚悟ォ!!」

 

突然轟いたその怒声に、思わず目を見開いた。

 

「な、なに……っ!?」

「月、ボクの後ろに隠れて!」

 

月を庇う様にして立った詠は、戸の方に神経を集中させながら脳を必死に動かす。

 

だが、詠の頭脳が結論を導くよりも早く戸が開いた。

 

「―――ッ!?」

「アッ……アァッ!?」

 

瞬間、詠も、そして彼女に庇われた月も驚きに顔色を変えた。

 

「アンタ……どうして此処に!?」

 

驚愕に唖然とする詠の問いに、しかし問われた『彼』は血に濡れた剣を、鎧を気に止めた様子もなく――しかしその身から窺える冷静ぶりとはかけ離れた声音で――叫んだ。

 

「―――二人とも、早く逃げろ!!」

 

雷鳴が、轟いた。

 

 

後記

オッドアイって小説とかだと「綺麗」とか言われてるみたいだけど、実際見たらそうでもないだろうなーと勝手に妄想しつつ書き上げました。

 

フラグが立ちそうで立たない……まぁ立てた所で回収はほぼ不可能なんですけどね。

話が進むにつれて、徐々に細部の付け加え+新たな構図のつけ足し、という雪だるま方式なこのSSですが、実は後二、三話程で第二部が完結してしまいます。

 

短っ!?と自分でも吃驚しつつ、けど全体をみるとこれくらいの大きさにしとかないとどんどん収拾つかなくなってしまいそうで……

 

 

萌将伝発売!!

…………なのに、ウチの近所では売っていないとはこれいかに!?

 

 

恋姫夏祭り開催中!

茶々も目下、参加の為の短編を書いています!


 
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