(定まらぬ運命)
黄巾党による大規模な反乱と張譲による百花誘拐事件が解決されて一ヶ月ほど過ぎた。
洛陽の都では復興とさらなる発展が百花を中心に行われていた。
激減した朝廷の官の穴を埋めるために何度か公募し、厳しい審査を潜り抜けた者達には即戦力としてそれぞれの部署に配属された。
そして詠が一刀と月の補佐をしていたのだが、その詠に新しく軍師として抜擢されたのが荀攸という大人の女を感じさせる者だった。
「宜しくお願いします、御遣い様♪」
一刀より背は低いもののなぜか黒色の猫耳フードを被った荀攸はくったくのない笑顔を浮かべて任官の挨拶をした。
「本当は新参者をいきなり軍の中枢に据えるのはどうかと思うけど、何度か試したら十分、あんたを支えられると思ったから採用したわ」
「詠がそう言うなら問題ないな。とりあえずこれからよろしくね、荀攸さん」
「桂蘭(けいらん)って呼んでくださいな♪」
あっさりと自分の真名を授けようとする荀攸に一刀と詠は目を丸くした。
「あ、あのさ、荀攸さん」
「はいはい?」
「ほとんど初対面の相手に真名を授ける理由は教えてくれると嬉しいんだけど」
「えっ?だってこれから私が仕える相手に何か遠慮でもありますか?」
真名などそれほど気にしていないかのような口調で話す荀攸は不思議そうな視線を一刀に向ける。
対する一刀は真名を授けられるのは嬉しいことだが、こうも簡単に早く授けられると妙な感じがしてならなかった。
「せっかく本人がそう言っているのだから素直に受け取ったら?」
どうせいつかは真名を授けるのであれば別に今であってもいいはずだと思った詠はどこか呆れたように一刀に言った。
「そういうなら仕方ないな。俺は北郷一刀。真名はないけど好きに呼んでくれたらいいよ」
「は~い。それじゃあ宜しくお願いします、一刀様♪」
今までにないノリに一刀は驚きつつも根暗な表情を浮かべるようにも笑顔でいてくれるほうがまだマシだと思って彼女を軍師として自分の補佐を任せることにした。
「それじゃあ、ボクは月のところにいくから。あとはその子に任せるわ」
「そっか。俺としては寂しいけど仕方ないな」
「ボクは寂しくないし、月の付きっ切りになれると思ったら清々するわ」
詠は睨みつけるようにして一刀の方を見るが、その表情は心なしか薄っすらと笑みがあった。
「でも何かわからないことが起こったら頼りにしているよ」
「そうならないように頑張りなさい」
頼りにしていると言われれば詠でも嬉しいものがあった。
だが、それを表立って喜ぶのはさすがに癪なのかぐっと我慢をして素っ気無く答えた。
「とりあえず軍の再編成や配置などボクなりに考えたものをここに書き記しているから、これを採用するかどうかはあんた達で決めなさい」
「何から何まで助かるよ。お礼をしたいぐらいだ」
「はいはい。それじゃ月にあまり近づかないでよ。油断するとあんたが月に何かするかもしれないし」
「おいおい、俺はそこまで節操なしじゃないぞ」
「どうかしらね」
意地の悪い笑みを浮かべながら詠は一刀の執務室を出て行った。
「まったく相変わらず酷い言いがかりだな」
そう言いながらも苦笑している一刀に桂蘭は楽しそうにしていた。
「何にしてもこれからよろしく」
「よろしくです♪」
一刀が差し出した手を不思議そうに見た後、理解したのか手の差し出して握り合った。
そして一刀は桂蘭の才能に驚く日々が続いた。
まず始めに新しい漢の軍勢を作り上げるために広く徴募をして、その中でいくつかの規定項目を全て通過した者だけを採用し、さらに厳しい訓練などを行った結果、残った者には禁軍に配置された。
そこまでいかなくともそれなりに実力を示した者には漢軍として編成してそれを霞と恋の軍に入れた。
こうして出来た軍勢は新旧の兵士を合わせて、禁軍五百、左右軍五千、大将軍直属五百、全てあわせて六千の漢軍が編成された。
「どうですか、一刀様?」
全ての編成を終えて桂蘭の持ってきたその報告書に目を通し、それを霞や恋にも見せた。
恋は首を何度かかしげてから霞に手渡すと、霞は真剣な表情で報告書を読んでいった。
やがて読み終わると一息ついた。
「あんた、ようこんな短い間にここまできたな」
時間にして一月も経過していないのに新しく漢軍を編成したその手腕に霞は賞賛の声を素直に上げた。
一刀も霞が賞賛するほどならば凄い出来なのだろうと思って桂蘭の才能が本物であることを確信した。
「元々いた人もいますからそれほど編成に時間はかかりませんでしたよ。新しく徴募した数は千ほどです」
丁原軍の中でも精鋭である騎兵を霞と恋の部隊としているため時間はかからなかったと桂蘭は付け加えた。
「それでも千って凄いやんか」
「これぐらいなら誰でも出来ますよ」
他人からすればそう簡単には出来ないであろうことを簡単にしてしまった桂蘭に一刀と霞はお互いの顔を見て肩をすくめた。
「あと、都を守る要所には董卓軍を配置しました」
「董卓軍を?」
それはさっきの漢軍編成よりも驚きが大きかった。
董卓軍の主君である月は相国となって漢の政を担う重職についており、必然的に董卓軍も都に留まっていた。
それを何事もなく使用して都を守る要所に配置したというのは誰も考え付かなかったことだった。
「しかし月……董卓がよく許したね?」
月というよりも詠がよく許したなあと思う一刀に桂蘭は笑顔で頷いた。
「もちろんです。相国である以上、漢に忠誠を誓っているんですから。それに漢軍だけでは数も足りませんし」
桂蘭の言っていることは間違っていなかった。
相国であるということは漢に奉仕していることであると同じであり、董卓軍も漢軍の一部隊として扱うことになんら遠慮などいらなかった。
だが、一刀からすればあくまでも『董卓軍』であり自分達に協力してくれている仲間と思っているため、桂蘭の考え方を素直に喜べずにいた。
「まぁあまり強引にしないでくれよ。俺は彼女達を漢軍として取り込むつもりはないし、それに強引なことばかりをしていたら不快な気分にさせてしまうからね」
「一刀様ってお優しいですね。でも、私情を持ち込んだらそれこそ混乱を引き起こしますよ?厳しいときには厳しくいくのも必要ですし」
褒めているのか非難しているのかわからない桂蘭の言い方に反論したのは一刀ではなく霞だった。
「あんた、ええ加減にしときや」
「何がです?」
「あんたの言うことは正しいわ。でもな、正しいだけじゃあ誰も付いてこんのや。あんたの才能は認めたる。でもな、才能があるからって何をしてもええわけじゃないやで?」
霞からすれば桂蘭の考え方は危険な物を感じさせているようにしか思えなかった。
もし一刀のためにならないのであれば朝廷から追い出すつもりでもあった。
霞の睨みに臆する様子を感じさせない桂蘭は逆に笑みを浮かべていた。
「では張遼将軍はこれ以外に何か妙案があるのですか?」
「なんやて?」
「ですから、この都を守る手段ですよ」
相手の反応を楽しんでいるかのように桂蘭は霞に守りについて質問をした。
それに対して霞は考え込んだが、現状を考えれば桂蘭の言っていることがやはり正しかった。
だが正しすぎるため反発していた。
「それに董卓軍に要所を守らせることでその忠義を示すことになります。そうなればいずれ董卓軍は自然な形に漢軍として機能するはずです」
桂蘭は自分の主張を変えることはなかった。
反論の材料がない一刀と霞は何とも言えなかった。
「一刀様、張遼将軍。漢王朝を守りたいと思っていらっしゃるなら、時にはこのように強引なこと必要なのです。それを受け入れられないというのであれば漢王朝は滅ぶことになりますよ」
「滅ぶって……、桂蘭、それは言いすぎだよ」
「いいえ。それほどまでに今の漢王朝は脆弱になっています。だから私は今まで仕官しなかったのです。宦官に支配された王朝など興味もありませんでしたから」
桂蘭はこれまでの漢王朝を外から見て、このまま宦官が権力を私物化すれば滅びるだろうと思っていた。
そこへ天の御遣いが現れ、黄巾党の反乱や張譲の陰謀などが立て続けに起こり、それが無事に鎮圧できたところで彼女はもしかしたら漢王朝が立て直せるのではないかと思い仕官をしてきたのだった。
「私は漢王朝のために仕官したのです。董卓軍だろうが、何だろうが漢王朝のためになら何でも利用するつもりですよ」
自分の意見を訂正するつもりなどないと断言をしているようなものだった。
漢王朝のために仕官をしたと堂々と答える桂蘭に一刀はその言葉が本当なのだろうと思った。
そのために誰かを贔屓するようなことはしない。
私情を挟みこむ余地などない。
桂蘭の言葉からはそのように感じられた。
沈黙の後、桂蘭は頭を深く下げた。
「大将軍様と右将軍様にご無礼を申し上げたこと、大変も申し訳ございませんでした」
頭を下げたまま上げようとしない桂蘭に一刀は近寄っていき、彼女の肩を軽く叩いた。
「頭を上げてくれるかな?」
「はっ」
言われるままに頭を上げる桂蘭だが、その表情はまったくかわらず真っ直ぐに一刀を見据えていた。
「たしかに君の言うとおりだ。利用できる物であればなんでも利用するのは悪くないことさ。でも、やりすぎたら誰もついてこない。それはわかってほしいんだ。甘いといわれるかもしれないけどね」
一刀は彼女の正しさを受け入れることはできても、ある程度の節というものを持っていて欲しいと思った。
そうすれば多少の問題があっても上手くやっていけると思っていたからだった。
「正直に言えば、俺は漢王朝のためにここにいるわけじゃない。その漢王朝を立て直してこの国に住む人達のために頑張ろうとしている人のために力を貸している」
「では、その人がもし堕落した時はどうするのですか?」
「その時はたくさん叱りつける。誤った道へ進ませないためにね」
それは桂蘭が思っていることと形は同じだった。
一つだけ違うとすれば桂蘭は漢王朝そのものが忠誠の対象であるが、一刀は漢王朝を通り越して一個人が忠誠の対象だった。
この場合、一刀からすれば忠誠というよりも一個人として守りたいという想いではあったが、他者からみれば絶対的な忠誠に見えた。
同時に、そんな彼を慕い付き従う者も存在している。
一刀は百花に、霞達は一刀にと個人を対象する忠誠に桂蘭は思いにふけるしかなかった。
一通りの話が終わると桂蘭は部屋を辞したため一刀と霞だけが残った。
「なんや、根っからの王朝信奉者やな」
「だな。でも、それが悪いと俺は思ってないし、逆に漢王朝を支えるということは百花を支えてくれるってことにならないか?」
「どうやろうな」
霞からすれば桂蘭の考え方を理解しつつも漠然としない何かが引っかかって気分がすっきりしなかった。
「ところで恋は?」
そんな彼女に気づいた一刀は何気なく話題を変えた。
「恋なら迎えにいっとるで」
「迎え?誰の?」
「ウチらの仲間」
霞も話題を変えたことで笑みを浮かべた。
そうしていると部屋の入り口が開きそこから恋が顔をのぞかせてきた。
「ご主人様」
「おかえり、恋」
恋に近づいていき腕を伸ばして彼女の髪を撫でようとしたときだった。
扉が勢いよく動き一刀の顔面に直撃した。
「ぐわっ」
思わず後ろに仰け反る一刀は体勢を整えることが出来ず尻餅をついた。
顔を抑えながらゆっくりと恋の方を見ると、彼女の前に帽子を被った小柄な少女が両手を腰に当てて仁王立ちをして一刀を見下ろしていた。
「え、えっと……君は?」
「恋殿に気安く触るなです!」
「そ、それは悪かった。で、君は誰?」
「ねねは陳宮公台。天下無双の恋殿の軍師ですぞ」
天下無双の恋殿のところを強調する陳宮こと真名を音々音は自慢げに自己紹介をする。
「そっか、恋の知り合いなら俺も自己紹介しないとな。俺は北郷一刀。よろしくね、陳宮ちゃん」
そう言って握手をしようと手を伸ばしたが、音々音は握手をしようとしないばかりかさらに視線がきつくなっていた。
「恋殿を家臣にしていると聞いてどれほど素晴らしい人物かと思いましたが、ねねの見当違いでした」
「えっ?」
「恋殿。恋殿はなぜこのようなへぼい男の家臣になったのですか?」
今度は涙目で恋に訴える音々音。
恋が音々音にどのように説明をしたのか聞いてみたかったが、とてもそんなことを聞ける雰囲気ではなかったため、一刀は霞の方を見た。
「あ~ねねは恋のことが物凄く好きやねん。だから堪忍してやってや」
「そうだったのか。なら仕方ないな」
「何が仕方ないのですか!」
いつの間にか目の前に音々音の顔があり、一刀を睨みつけていた。
「な、何かな?」
「ねねは思うのです。どう見てもお前が恋殿の主など考えられないですぞ」
「そ、そんなこといわれても、恋がそうしたいって言ったんだから仕方ないだろう?」
「お前が言わせたのではないですか?」
「言わないって」
初対面でここまで一方的に敵意を向けられる一刀は恋にどうにしかして欲しそうに視線を送ったが、当の本人は首をかしげているだけだった。
霞の方を見ると、わざとらしく書簡に目を通し時折、口元が妖しいぐらいにつりあがっていた。
「と、とにかく落ち着いて話を聞いてくれ。これだと話も出来ないだろう?」
「むっ、言われてみればその通りです。仕方ないからきちんと座ることを許してやるです」
呆れたような言い方だが不思議と一刀は音々音が嫌な奴だとは思わなかった。
そして立ち上がって自分の席に戻ると一刀は恋達とのことを話し始めた。
何か弱みを握って彼女達を家臣にしたわけではなく、彼女達の協力で難局を乗り切ったことへの感謝や彼女達が自分から望んで家臣になったことを話した。
「では霞がこの男に仕えることを恋殿に勧めたのですか?」
「まぁあの時にええかなって思ったんや。それにウチは恋に強制はしとらんで」
一刀の家臣になることに対して少なくとも恋本人は拒否しなかった。
そればかりか、自分同様に一刀の近くにいることに喜びを感じているように霞は思っていた。
「霞が嘘をついているとは思えませんが、それでもねねはこいつにそんな才能があるとは思わないですぞ」
「まぁそれはウチかて思ってることや」
「え、霞、そんなに俺ってダメダメか?」
ここにいる三人に比べたら間違いなく才能はないが、それでも一生懸命に頑張っているつもりだった。
「アホ。自分の今までの行動を思い返してみいや。あれは才能じゃなくてただのアホや」
一連の行動を目の当たりにした霞だからこそ言える言葉だった。
それでも一刀には他の誰にも真似できない才能があったのだが、それを霞は教えるつもりはなかったため黙っていた。
「霞まで酷いなあ」
「事実なんやし仕方ないやろう?」
「それじゃあ、才能豊かな張遼将軍にこの案件、全部お願いしようかな?」
「そんなこというからアホって言われるんやで」
一刀と霞は笑いながら冗談を言い合っていた。
その光景に音々音は複雑な表情を浮かべて恋の方を見ると、恋はまっすぐ一刀の方を見ていることに気づいて驚いた。
「ねね」
一刀から音々音に視線を移した霞は言葉柔らかく彼女に声をかける。
「あんたに不満があろうとなかろうと、ウチ等は一刀にこれからも従うつもりや。それに道を誤るならどんなことをしてでも正しい道へ引きずり戻すでもおる」
「……」
「それでもええんなら恋の傍におったらええわ」
恋に対する音々音の態度を考えるとこれぐらい厳しいことを言わなければならないと霞はずっと思っていた。
音々音もそれについて理解をしようとしているのか黙ったまま一刀を見る。
やがてどうにか納得できそうなところまで結論がまとまったのかおもむろに口を開いた。
「わかったです。音々音は恋殿が間違った主に仕えないか監視してやるです」
「監視って……。まぁ納得するまでそうしてくれ」
一刀もここで下手に反論をしてもややっこしくなると思い、音々音の言うことを受けれいれた。
「まぁこれでも軍師のはしくれや。さっきの気の強いのと二人、あんたをささえてくれるはずや」
「個性がありすぎだぞ」
桂蘭と音々音を軍師として迎えるのは別に問題はなかったが、逆にこの二人の意見が合うのかどうか気になるところだった。
(恋のことで揉めそうだな)
そうなった時、出来るだけ第三者として見物をしていたいと思ったが、間違いなく自分の方に火の粉が飛んでくるのがわかっていたため、そうなった時の対処法を今のうちから考えておくかと真剣に思った一刀だった。
その頃、百花は上機嫌で政務をこなしていた。
部屋のあちらこちらに山積みとなっている案件に臆することなく筆を動かしていく姿に自分の席でいくつかの案件を処理している月は不思議に思った。
「百花様、最近、何か嬉しいことでもありましたか?」
気になる月がそれとなく聞くと百花は筆を止めることなく答える。
「急にどうしたのです?」
「いえ、何だか以前よりもさらに明るくなったと思いましたから」
「以前よりもですか。そうかもしれませんね」
そこで筆を止めてゆっくりと置くと月の方を見た。
その表情や柔らかくそして幸せに満ちていた。
「少し休みますか」
そう言って百花は何か用事があれば使ったらいいと一刀が職人に作ってもらった鈴を鳴らして給仕の者を呼んだ。
「御用ですか、百花様」
隣部屋で待機していた人和がやって、百花はお茶を持ってきて欲しいと頼んだ。
本来ならば天和が用事を聞きに来る役目だったのだが、人和がどうしても自分にと懇願したため彼女がよく顔を出すようになった。
人和からすれば天和や地和だと不安なところがあると感じたからだった。
「さっきの給仕の人、どこかで会ったような気がするのですが」
「そうですか?」
それもそうだろうと胸のうちで語る百花は思わず笑みがこぼれそうになる。
メイド服に身を包んでいても彼女達が誰なのか、本人達を見た者からすれば一目瞭然だった。
「それよりもさっきの質問ですが、月は自分が変わったと実感することはありますか?」
「自分が変わった実感ですか?」
月からすればそのような実感は今まで感じたことがなかった。
目の前に広がる光景の中で生きていくことが彼女にとって当たり前であり、そこから何か自分に影響を与えるものが存在しているというわけでもなかった。
「百花様は変わったと実感なさっているのですか?」
「私も本当のところ変わったのかどうかわかりません。それでも今までと何かが違うように思えるのです」
少女から大人の女性へと駆け上がっていく中で百花は日々、自分の中で変化が生まれている事に気づき初めは戸惑っていた。
それは初めて迎えた月経のときとは根本的に違い、喜びに戸惑っているようなものだった。
「あの、百花様。ご無礼を承知でお伺いしたいのですが」
「何ですか?」
「そ、その、もしかして……一刀様と……」
想像通りの反応がくるかもしれないと思っている月は顔を赤く染めながらそれとなく百花に聞いた。
百花も恥ずかしくないといえる強靭な精神ではないため、顔をわずかばかり傾けて頬を赤くしながら小さく頷いた。
「そ、そうですか。お、おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
「……」
「……」
妙な雰囲気になっていく室内。
百花も月もどう話を続けていいのか困ってしまった。
「失礼します」
そこへタイミングよく人和がお茶を思って入ってきたため、百花と月は思わず身体を大きく震わせてしまい、その拍子で近くにあった書簡の山に手が当たり見事に崩れ落ちた。
「だ、大丈夫ですか?」
お茶を乗せた盆を机の上に置いて散乱した書簡を拾い集めていく人和。
百花と月は落とした理由があまりにも恥ずかしくて何も言わず黙々と拾い集めていく。
さらにそこへ、
「人和ちゃん~、お茶請け持って来たよ~」
開けっ放しの入り口から饅頭を載せた盆を持って天和が入ってきた。
「お姉ちゃんだってめいどなんだから一人で何でもしたらダメだよ~……あれ?」
目の前に広がる光景に天和は首をかしげた。
「姉さんも手伝って!」
「え、あ、う、うん」
饅頭をお茶の隣に置こうとしたが、勢いよく盆を置いてしまいそのはずみで茶瓶が床に落下し中身が流れ出てしまった。
「ね、姉さん、何をしているの!?」
「な、何もしてないよ~」
「とりあえず何か拭くものを持ってきて。あ~もう、濡れちゃってる」
お茶がかかった書簡を丁寧に手にとっては水をきっていく人和から布巾を持ってくるように言われた天和は慌てて部屋を出て行った。
「「きゃっ」」
短い悲鳴と同時に何かが床に落ちていく音が部屋の外から聞こえてきた。
(まさか……)
嫌な予感がしてならない人和は恐る恐る入り口へ行くと、周りに書簡が散らばりその中で天和と地和が尻餅をついていた。
「何をしているのですか、二人とも?」
片手で顔を抑える人和に天和と地和は苦笑いを浮かべていた。
そして人和は軽くため息をつくと鬼の形相に等しい表情を浮かべてた。
「二人とも早く拾いなさい!さもないと今日のお茶請けはなしです」
「「え~~~~~」」
「さ・っ・さ・と・ひ・ろ・い・な・さ・い!」
これ以上の反論は一切許さないといわんばかりに人和は二人に書簡を拾うことを命令して、自分は部屋の中に戻った。
「申し訳ございません。あの二人にはきつく言い聞かせておきますから」
本当に申し訳なく謝る人和に百花は苦笑いを浮かべていた。
「それよりも二人とも大丈夫ですか?」
「あれぐらい何ともありません。以前に比べたら本当に楽しく生きていますから」
ここにいる限り命の保障はされている。
その恩義に報いるのであれば人和からすればどんな苦労も厭わなかった。
「とにかく片付けたらみなでお茶を頂きましょう」
「わ、私達もですか?」
「ええ。何か不満でもありますか?」
百花からそう言われた人和は恐縮してしまい、まだ散らかっている書簡を拾い集めていく。
「それにしても貴女達がいてくれると賑やかですね」
「も、申し訳ございません」
顔を真っ赤にする人和を見て百花は優しい笑みを浮かべていた。
そして片付け終わると、人和はお茶を淹れなおすために盆を持って部屋を出て行くと、百花と月はお互いの顔を見て微笑みあった。
お茶の準備が終わると五人はお茶と饅頭を片手に話に花を咲かしていた。
そして月は三人が処刑されたはずの張三姉妹であることはすぐにわかったが、百花がそれについて何も話さなかったため、何か理由があるのだと理解して黙っていた。
「それにしても変わった服ですね」
「一刀が言うには天の国で給仕をする者が身につける服だそうです」
百花も一度着てみたが自分達の知っている服とはまた違った趣があると思った。
「たしかめいど服だと言っていました」
「めいど服ですか」
月も興味を示したのか三人のメイド服を真剣な表情で見ていた。
「凄く可愛いよね♪」
「初めは変な趣味だって思っていたけど、今はそんなに悪くないわね」
「ただ、他の女官の方々から不思議な顔をされますけど」
三人もメイド服に慣れてきたのか嬉しそうに話をしていく。
「月も着てみてはどうですか?」
百花からすればメイド服に包まれた月も可愛いと思った。
それを一刀が見れば喜ぶだろうなあと思ったところで、ハッとして慌ててその想像を振り払った。
「百花様?」
「えっ、あ、いえ、なんでもありません」
百花はお茶を一気に飲み干し軽く咽てしまった。
「だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫です。すいません」
まさか自分のよからぬ想像を言うわけにはいかず、苦笑いを浮かべるしかない百花に対して月達は首をかしげた。
「それよりもここの生活には慣れましたか?」
「うん♪ご飯も美味しいしそれにこんな可愛い服着られるんだもん」
「ね、姉さん!」
「え?あ、はい。もう慣れました」
人和に注意されて慌てて敬語を使う天和。
まだまだこういったところは不十分なのだろうと百花は思ったがそれは別に気にすることでもなかった。
公の前では確かに人和のように形式を大切にしなければならないが、こうしてお茶を呑んでいる時ぐらいは対等で見て欲しかった。
「こうしているときぐらいは気を抜いていいと思いますよ」
「し、しかし……」
「それともこうしている時でも皇帝としか見てくれませんか?」
意地悪な言い方だったが百花はあえて口にした。
人和も一刀から百花のことを頼まれている以上、彼女の言い分を拒否することはできなかった。
「わかりました。でも、この二人が度を超えるような態度をとったら遠慮なく言ってください」
「その時は人和にしっかり報告させてもらいますね」
「「え~~~~~」」
「え~~~~~じゃないでしょう?はぁ~まったく姉さん達は」
頭を抱える人和を見て百花は姉妹がいることが羨ましかった。
今は亡き姉と遊んだ記憶は残っているものの、なんだかんだと仲のよい天和達を見ていると羨ましい気持ちになる。
「ほら、天和。口の周りに餡が付いていますよ」
「どこどこ?」
手探りで餡を探す天和を見て百花達は笑い声を抑えることができなかった。
そして天和も自然とその笑い声の中に溶け込んでいった。
その頃、洛陽の都から少し離れた場所に築陣している華琳は自分の陣奥に構えている専用の天幕の中にいた。
椅子に座って真剣な表情である物を書いていた。
「華琳様」
天幕の外から彼女を呼ぶ声が聞こえてきたが、華琳は筆を止めることはなかった。
「何かしら?」
「例の者を連れてきました」
流暢に筆を動かしていた手が止まりゆっくりと硯の上に置いた。
それまで真剣な表情をしていた華琳は薄っすらと笑みを浮かべて中に入るように命令した。
入り口が開くと楽進こと真名を凪が縄で縛り付けられた男を連れて入ってきた。
「ご苦労様。それでこの男は私の役に立つのかしら?」
口調はどこか楽しんでいるように聞こえるがその視線は冷たさを加減することなく男にぶつけていた。
「お、お、お命ばかりはお助けください!お助けいただけるのであればどのようなことでもいたします」
その男は宦官の生き残りで華琳が凪に密かに保護するようにと命じていた。
同じように何人かを保護しているが、それを百花や一刀に報告をしていなかった。
「それは貴方が役に立つかどうか次第ね。役に立たなければ即座に斬り捨てるだけよ」
「お、お、お慈悲を……。どうかお慈悲を」
無様な命乞いだと華琳は思わず吐き捨てたくなる気持ちになっていく。
「何でもすると言ったわよね?」
「は、はい」
「じゃあ皇帝陛下を亡き者にしろって言えばするのかしら?」
「そ、それは……」
さすがに宦官だった男はそれについては躊躇した。
その男は張譲一派の宦官ではあったが皇帝を殺すまでは考えていなかった。
華琳は男の反応に対して満足などなかったが、利用価値があることだけは確認できた。
「そうね。皇帝陛下を亡き者などありもしないわ。でもその陛下を惑わす者を亡き者にしたいとは思わない?」
それは一刀のことを言っているのか、月のことを言っているのか男の後ろに立っていた凪はわからなかった。
「その一方は陛下を操り国事を思いのままに操っているわ。他の諸侯よりも早く参内したからというだけで重職についた者。ここまで言えばわかるわよね?」
男はそれが誰のこといっているのかすぐにはわかった。
だが彼からすればその者よりも天の御遣いが現れたせいで自分達がこのような惨めな姿になったのだと思っていた。
「いいこと。もう一方に対して何かしようと思うのであれば今すぐ、張譲達の後を追うことになるから気をつけなさい」
華琳はこの男が自分の言っていること以上に何かをしでかすだろうと思った。
だからといって止めようとも思わなかった。
困難が大きければ大きいほど人の真価を見極められるからだった。
「連れて行きなさい」
用事だけを伝えた後まで男の顔を見る必要もない華琳は凪に連れて行かせると、再び天幕内に静けさが漂っていく。
「さあ、これから楽しみね」
自分の手のひらで誰が最後まで躍り続けることが出来るか。
考えれば考えるほど華琳は楽しくて仕方なかった。
そして再び筆を動かし始めた。
それからしばらくして恩賞を引っさげて華琳達はそれぞれの領土へ戻っていった。
それを見送る一刀はこの時、漠然とした不安に包まれていたがそれが後日になって目に見える形となって現れようとは思いもしなかった。
(あとがき)
夏の暑い日ざしに溶けかけています。
ようやく第二部が本格始動です。
いよいよ、あの戦いが起こるのか!それはあのことなのでしょうか!それとも違うのでしょうか!
と言ってみましたがきっと想像通りになると思います。
そろそろ試験が近いのでさらに更新度が落ちてしまいますが、ご了承ください。
もう少しで萌将伝発売です!
今年の夏はまだまだ始まったばかりで色々と楽しみです!
それでは次回もよろしくお願いします。
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復興に向って立ち上がった百花と一刀。
漢王朝に忠誠を誓う者や個人に忠誠を誓う者、様々な人材が彼女達の周りに集まっていきます。
そして、華琳の思惑が動き始めはじめます。
いよいよ本格始動の第二部、最後まで読んでいただければ幸いです。
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