女の子なら、誰もが夢を見る。
お姫様のような扱いを受けてみたいと。
いや、実は自分は生まれながらのお姫様なのでは……?
今はこんな小さな家に住んでいるけれど、
いつか、きらびやかな馬車と、数え切れないほどの従者たちが迎えに来る。
そして、かっこよくて優しい王子様と結婚するんだ、と。
姫であるからゆえあるであろう悩みなどを考えもせず、
姫であるからこそできる贅沢に夢を膨らませる。
女の子なら、誰もが夢に見ることだった。
けれど、そんなものは存在しない。
そう理解…いや、あきらめられる年齢になった。
そんな、何の変哲もないある日のこと。
空は快晴。早朝の空気は澄みきっており、心地よい。そんな春に相応しい気候の中、一人の少女が草むらで大量の汗を流しながら倒れていた。その動きで、体全身で呼吸をしているのが見て取れた。
大樹の木陰で、一見すれば一休みをしているようにも見えた。その一休みを怠惰と認めると、大樹から空まで響きそうなアルトを発する。
「このくらいでへばってるの?」
「まだまだ!」
聴こえる声に、少女は跳ね起きた。そのときには、既に呼吸の乱れは整えられていた。起き上がった拍子に、少女は木製の棍棒を握りなおした。
柳のようにしなやかなその体は、小鹿のような細い足をばねにし飛び上がった。
目標は大樹の枝。その位置は少女の三倍はあるであろうその高さ。彼女は飛び上がったが、蹴りが足りなかったのかあるいは方向の悪さか、うまくいけば飛び乗れたであろう大樹の枝に乗ることはできずに、その幹に激突しそうになる。
だが、少女はその太い幹と口付ける前に、先端が丸く太い棍棒を突きたてた。棍棒の先端はまるで強い磁石のように幹に吸い付き、少女はその棍棒に捕まる。逆上がりをしてその棍棒を足場とする流れは、軽業師の技のようだった。少女は自慢げに気の強そうな瞳で大樹に茂る枝を見上げた。
「できたよ。母さん!」
「その高さで、何をえらそうに…」
大きな枝の分かれた先の一番細いところに立っている、ぴったりとした黒い服を纏うの細身の女性は、苦笑しながらもやわらかく微笑んで娘の成長を喜んだ。とても母親とは思えないほどのすらりとした体のラインは、その服によって惜しみなくさらけ出されていた。一歩歩みだすと、まるで足を滑らせたかのように、そのままの姿勢で重力に囚われて落下を始める。多い茂っていた枝は、まるで彼女をよけるようにざわめいて、一本も折れることはなく、葉も散ることはなかった。着地の際体をかがめた彼女は、音もなく地面に降り立っていた。今度は女性が少女を見上げた。その高さは、軽く十数メートルはあるだろう。
「それじゃ、下りてきたらご飯にしましょ」
「母さんの降り方、見てるこっちが心臓に悪いよ」
棍棒の上に跨って、大きなため息をついた少女は未だに現役の母の技を見て、その場から降りることに怖気づいてしまった。それを見かねて、女性はせかすように声を更に張り上げようと口元に手を当てた。
「今日は新しい先生がくるんだから、はやく学校のしたくもしないと」
その言葉によって、娘がより一層降りたがらなくなったことを、まだ母親は知らなかった。
この世界は、わずか空気中に漂う精霊のかけら、俗に言う《精》と、生物の体内に流れる《気》を用いて、様々な術式が開発され、利用されている。
アーチェス皇国は火・水・風・土の四つの属性を扱う精術が盛んである。精霊王より賜わられた御子を初代皇帝とした、アルチェバルト皇国の時代を経て、千八百年ほどで二つの国に分かれた。アーチェス皇国はそのうちの一つである。もう片方のバルト皇国は光陰精霊と縁深い土地に移り住み、光陰精術について長く研究している。
古い歴史の中で、アーチェスは旧皇国時代と同じ土地にあるため、既に千年もの間、魔術王国として存在している。(精を扱い術を発動するもの、あるいは気術なども含め、科学的に起こすこと以外の物事を総じて魔術と呼ぶ)だからか、生まれながらどの人間にもその力があって然りだという考えが強い。事実、この地は術者によって多くの精霊が集められているため、習わずとも精術を扱えるものが多い。通常の人間よりも、濃度の濃い精に囲まれていれば、おのずとその体が精の扱いを覚えるのだという。そのため、幼い頃から精術による術者の暴走、暴発を防ぐために幼い頃から誰も国内に存在する歴史の古い魔術学院にて精術について学ばされるのだ。
だが、どこにも例外というものは存在する。
この国では、精術欠落者と呼ばれている者。
精術を使うことができないものは、他国からの移住者でしかありえない。そう断言されるほどで、もし扱えないならアーチェス国内での生活の補助、あるいは税の免除などを受けられる。国の機関のほとんどが精術によって行われることが多いからである。だが、学校の免除だけは受けられない。そこでは、義務教育として必要最低限の知識も子供達に教えることになるからだ。
ロレーヌ・ワトレイはそう書かれた本を何度も、読み漏らし、理解の間違いがないよう幾度にもわたり、その勝気そうな瞳を凝らし読みすすめていたが、自分の求める答えは存在しなかった。大きなため息とともに本を閉じると、本棚に戻して朝の図書室を出た。
随分前、山吹色をしていたであろうローブはもう五年も着ているため、かなり色あせていた。魔術師らしいマントは羽織っておらず、肩にたらした長い髪は日に当たって藍色に輝いていた。髪留めの大きなリボンでさえ、そのローブの色からくたびれて見える。廊下の窓ガラスに映る自分の姿を見て、彼女はもう一度ため息をついた。ちょうどそのとき空色のマントを身につけた、自分よりはるかに年下の生徒たちが笑いながら歩いているのを、彼女はガラス越しにみた。ロレーヌの姿を認めたとたん、彼らはわざとらしく声を潜め、囁きあっていた。
「あの人なんでマントがないの?」
「ああ、《できそこない》だからでしょ?」
「やだやだ、あんなののためにぜいきんはらってんでしょ?」
まだ文字も満足にかけないような、幼い子供たちだ。大方、親達の愚痴を意味も解らずに口に出しているのだろう。したったらずな囁きは、否応にもロレーヌの耳に入る。だが、こんなものはいつものことであったし、こんなものさえなければ、学校の授業は(魔術を除き)ひどく為になる楽しいものだ。窓ガラスの向こうは青天。先ほどの後輩たちのマントよりも、深い色をしている空だった。
何故か、その日は空のことばかり考えていた。
自分の教室へともどると、クラスの人間はみな同じ、鼠色のマントを羽織っていた。その下はみなの趣味を尊重されていた。ドレスみたいなリボン付ワンピースをまとうもの、スーツを着込んだもの、少しみすぼらしい格好を、マントで一生懸命に隠すもの…。ローブを定められているのは、国に守られている彼女のような免除学生と、皇族だけであった。
いつもどおり一番後ろの、窓側の席へ腰掛けたときも、窓の外の空を見つめていた。三時間目は火属性研究、彼女にとってはおそらく全く関係のない授業。実際に精術を扱うことができない彼女は、何の変哲もない木の枝の先端に火をつけるという、国内のものなら誰にでもできることが、彼女はマッチがなければできないのだ。だから、教員もロレーヌのことは基本的に無視するしかない。無論、国語や数学、科学、体育、社会といった分野も存在するし、そのときは教員もロレーヌを生徒として扱う。
そんな彼女が何故、魔術を学ぶ生徒たちと一緒に学んでいるのかというと、教育委員会から《差別することは良くない。クラスの和を保つためにも、彼女にはすべての授業に出てもらうべきだ》との申し出があったためだ。単純に、見下す相手がほしかったともいえる。そういった人間が一人いれば、誰もいじめられない。その一人を除いては…と。委員会そのものがおかしいと普通の大人なら考え付くのだろうが、残念なことに会長は超がつくほどの金持ちなのだ。学院付近をまとめる地主でもあるその人物に、逆らえるものなどいなかった。
ふと、空の色が変わった。
真っ青すぎるほど青かったその空は、次第に薄紫の霧を帯び、次第に分厚い雲に覆われて日差しを遮ってしまった。
空の色を見つめることができなくなりため息をついたころ、三時間目の授業が終わった。チャイムとともに教員が出て行く姿を見送ると、ロレーヌは教室を出ようと立ち上がった。
「出来損ないがどっかいくわよ」
「そのまま戻ってこなきゃいいのにな」
「なんか、席近いせいかわかんないけど今日の授業調子悪かった~」
「いるだけで空気悪くなるよね。きっと、あの子が精を殺してるんだわ」
「まじ?それじゃ空気なくなるんじゃねぇの?」
「精は空気じゃなく、空気中に飛散しているエネルギー体に過ぎないわ。空気そのものと一緒にしてるなんて、その知能幼稚部と一緒じゃない」
はき捨てるように言い放つと、ロレーヌの背中めがけ、男子生徒がごみを投げつける。そうして、何か口にすれば背中にいろんなものが飛んでくるのがわかっている彼女は、いつもドアを閉める直前に声を張り上げるのだ。戻ってくるのはチャイムが鳴るのと同時。そのときなら、教員も特に何も言わず、生徒に至っては教員の前で馬鹿な真似はしない。休み時間の間、ずっと適当な場所で空を見上げていた。雲は厚くなる一方で、既に当たりは夕暮れ時のように暗くなっていた。だが、すぐに泣き出したりはしなかった。チャイムがなり、休み時間の終了を告げる。
「はじめまして。今日から初級気術を教えることになったグレンだ」
教壇に立っていたのは、さらさらの金髪を抑えるように鉢巻を巻いた青年。軽装の鎧と携えた剣の鞘は白銀色をしていて、下に着ている青地の服装はアイスブルーの瞳とよくあっていた。気術の教師だからだろうか、魔術師という感じは全くしなかった。更にいえば、この学院の教師には相応しくはなかった。まるで、騎士団にでもいそうな雰囲気の青年だ。軽装のため一見すると細身にみえるその体は、とてもよく鍛えられているのが素人にも見て取れた。
確か、女王の配慮で精術以外にも気術が必須科目に加えられたと、先週新聞に載っていた。この国で気術を学ぼうとする人間は、よほどの物好きだろう。精術のほうが便利だと、この国の誰もが思っている。此度の皇族の推薦がなければ、彼らは高等部に入っても学ぶことはないだ。
いつの間にか、グレンは簡単な自己紹介を済ませて、黒板に、気術、と倭国の漢字で記した。記号にも程近いその文字は、ロレーヌでも知っていた。
「気術について、知っているものはいるか?」
その問いに、お決まりのように教室の委員長が手を上げた。じゃ、君。とグレンが指名すると、立ち上がって自慢げに口を開いた。
「生命体に流れる生命力を運用して、発せられる術式です」
「その通り、立って答えなくてもいいぞ」
そういわれて委員長が座ると、黒板に人体の図が書かれた紙を張り出して、気の流れについて説明を始めた。
「人体の生命を維持するために必要な気とは、精とは異なる。だが、本来それらが同じものだというのは知ってのとおりだ。だが、精はこの世界に満ちる力であって、気はその身にある。気術はそのまま精術にも転用が可能だ。本来、空気中に飛散している精をあつかう精術は、精が少ない場所では使うことができないという問題点が存在する」
そういいながら、黒板に精、と綺麗なつづりを書く。倭国の文字もそうだが、とても字がきれいな教師だというのを理解した。
「気術は精が飛散していない場所でも、己が気を用いて術式を使うことができるようになる。いうなれば…身の内の精を、増幅させる事ができる。本当は、精そのものが増えているんじゃなくて、密度が増えて上質な精として扱えるだけなんだが、これは難しいから割愛しよう。さて、それで気術が行えるのは、心身ともに健康であることが条件とされる。術式を行うに至るには、それ相応の体力と並々ならぬ精神力が必要だ」
教師らしい言葉で授業が進み始めた。だれもが熱心にそれに耳を傾けていた。女子は特に、若く新しい教師に熱いまなざしも向けていた。どちらにしろロレーヌは、自分には関係ないことだといつもの通り退屈そうに頬杖をついていた。だが内容は興味深く、勉強そのものは嫌いではないからノートに羽ペンを走らせるが、時折ため息をついていた。
「気術はこの国ではあまり盛んではないから知られていないだろうが、これは精術と相性が悪い者でも扱えるんだ。そう、たとえば君でもね、ロレーヌ・ワトレイ」
頭の上でいきなり声がして、ロレーヌは顔を上げた。目をこれ以上にないほど見開いて、ペンを危うく落しそうになった。そこには微笑むグレンの姿があった。
「………私、に言ってますか?」
「他に誰がいるんだい?ロレーヌ・ワトレイという名前は、この学園では一人だけだと思ったけれど」
「その子は出来損ないだから、聞いたってわかんないわ」
「人間は、生まれついてみんな出来損ないだよ」
どこからともなく聞こえた小さな悪意に、グレンは微笑みながら答えた。その微笑が、アイスブルーの眼差しが、どこか悲しげに思えた。
「精術の基礎を知っていれば、気術を学んですぐにでも精術を扱えるだろう」
「ゼロは掛け算しても一にもならないぜ」
「数字で物事を考えられるなら、君は科学者になるといい」
よくロレーヌに茶々を入れる男子は、顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。教室がいつにも増して静まり返ると、グレンは苦笑しながら教壇へと戻っていった。
「ただ、ここで注意したいのは精術を用いて、気術に変換することはとてつもなく難しい。よほどの術者でも…たとえば、この国の女王陛下でも、精術から気術への転用は古代魔術を扱うのと同等に危険だ。そこだけは理解していてもらいたい。気術に属する術式は、気を用いてのみ扱うこと。精術に属する術式は、精、あるいは気を用いて扱うこと。さて、講義はこれくらいにして、実際に記述の基本である精神統一の行い方を教えよう。みんな、何か適当なものでいいから、身につけているものを机の上に出して」
教室内に、ようやく息つく時間が訪れたようだった。これほどまでに集中していた授業があるだろうか。いや、あるいは圧倒されていただけなのかもしれない。身につけているもの…ロレーヌは考えながら、服の下にある水晶の首飾りに手を当てたが、一つため息をついてやめた。ほかの生徒たちは、髪飾りや、杖、お守りなどを机の上に出した。先の火属性の授業で使用していた木の棒を取り出して、それを机の上に置いた。
この水晶は、トリシュアと一緒に見つけたものだし、このリボンも、あの子からもらったものだから、駄目だよね。
「それじゃ、ゆっくりと目を閉じて、意識をその机の上のものに集中して。それに対する思い入れが強ければ強いほど、集中しやすいよ。何も考えないで、ゆっくり呼吸するんだ」
また、教室内は静まり返る。
ロレーヌは木の棒に集中しようとしたが、意識的に水晶に触れたことで昔のことを思い出した。
トリシュアという名の少女と出逢った、あの日のことを。
学院に入学して、まだ鮮やかな山吹色のローブを着ていたころのこと。校庭のすみで、傷ついたうさぎを見つけた。
回復呪文は幼稚部の内に習うが、ロレーヌは習うことなんてできなかった。
保健室に連れて行こうと思っていたが、場所がわからず困っていたロレーヌの背後に、真っ黒なローブに空色のマントを羽織った少女が近づいてきたのだ。
『どうしたの?』
ロレーヌは目を丸くした。
山吹色のローブは、精術欠落者の証。それを、学院の生徒が知らないはずがない。
それなのに、学院に入って一週間、誰からも無視されていたロレーヌに、話しかけてきた少女がいたのだ。
だが、相手の少女は気にも留めていない様子で、ロレーヌの腕の中のうさぎを見つめた。
『その子、けがしたの?』
『うん』
その子、とうさぎを指差されてロレーヌはうなずいた。
黒いローブの少女はうさぎに手をかざして、小さな声で囁いた。
内容はよく聞き取れなかったが、その声がまるで歌のように聞こえたロレーヌは、彼女の声がとてもきれいだなぁ、と思わず微笑んでいた。
暖かな光がうさぎを包んで、うさぎの足にあった傷口はふさがっていた。
『わぁ、すごいねぇ』
『ないしょだよ』
『え、なんで?』
『私のおうちはね、つかっちゃいけないことになってるの』
だから、しーっ、ね?
そういって、少女は唇に人差し指を当てた。だから、ロレーヌもまねをしてみた。
『私はトリシュア』
『ロレーヌって言うの』
『ヒミツをきょうゆうしたから、私たち、ともだちね。よろしく、ロレーヌ』
これが、私たちの出逢いだった。
「ロレーヌ、もう良いよ」
名前を呼ばれて、目を開いた。
すると、目の前にあった木の枝は何の変化もなかった。一つため息をついて、顔を上げた。
周りの生徒たちが目を丸くして、私を見つめているのが見えた。
ああ、またか。侮蔑と嘲笑…そんな眼差しはもうたくさんだ。
そう思っていたら、彼女の考えとは別の声が聞こえた。
「……すごい」
「きらきらしてる…」
「あれが、気術…?」
驚いて、ロレーヌは胸元を見た。そこは、何か眩いものを首に下げているようだった。それが服の下にある水晶なのだと理解して、目を丸くした。ローブの下に大事にしまってあった首飾りを取り出した。服にさえぎられていたから差ほど輝きは見えなかったが、取り出したら目もくらむような光が教室内を包んだ。
「その水晶に気術を行うのに必要な分だけの、力がたまったようだ。水晶は大地の結晶だから、それが輝くほどの力となると…将来有望だね」
借りてもいいかい?
そう聞かれて、目を細めながら、ロレーヌはそれをグレンに手渡した。
「これはすごいな。俺でもなかなかできないよ」
感心するグレンの声で、教室内もため息が漏れたようだった。ロレーヌ自身も目を疑いたくなるような、清らかな、温かい光を水晶は発していた。その昔見た、トリシュアとの秘密の光のようだった。
その水晶を教壇まで持っていったグレンは、それを掲げて、一言つぶやいた。
それは、大地の煌きを具現化する、装飾術の一種で、きらきらとした結晶が教室内に降り注いだ。奇術師や、大道芸人たちがよく行う人寄せ用の、人を楽しませるためだけの術式だ。
雪にも似たそれは、大地から生まれる霜と同じものらしい。手に取れば、すぐに消えてしまった。
「これは、ごく稀な成功例だといっておこう。ロレーヌは確か、体術の成績が良いらしいね。だから、きっと体内の気の廻りを、知らず知らずのうちに身につけたんだろう。みんなの持ち物も、わずかながら気を保つことに成功したみたいだね。みんなには見えないかもしれないけれど、気術を学んだものには、気を宿したものを目に見ることができるんだよ」
グレンは、ロレーヌに向かってウィンクを飛ばす。辺りを見てみろ、と目がそういっていた。ロレーヌは辺りを見回すと、机の上に出された持ち物に、小さな光を宿したものがいくつか見えた。ほかの生徒たちは、自分のものが光っているのか、そうでないのか区別がつかないらしい。才能の有無にかかわらず習得が可能だといわれているのも、うなずける。
「さて、今日はこれくらいにしようか。ここからは俺の実践を見せよう。気術が本来、どのようにして行われるのかを見てもらうためにもね。もう入ってきても良いよ」
そうグレンが教室の扉に向かって語りかけると、ゆっくりと開いたドアの先に真っ白な髪と真っ赤な瞳を持った少女がいた。砂漠の民なのか、肌は浅黒く、驚くほどの美人だった。首元から踝まで、真っ黒なマントとローブを身にまとっている姿は、砂漠の僧侶のようにも見えた。
「助手のフローネさんだ。この授業で俺を手伝ってくれることになっている。といっても、彼女自身は気術に詳しいわけではない。だから、質問は俺にね」
グレンの紹介に、一つ頭を下げただけのフローネは、すぐに教壇の前に出た。グレンも向かい合って立つようにすると、二人はそれぞれ自然な形で構えた。フローネは両手を前に差し出して手のひらをグレンに向けた。そして、グレンは腰に携えていた剣を構えた。
「ガード魔法だけでいいのね?」
「そ、あんまり強いのを打ったら、教室壊れちゃうから加減するけど、ミラー系はやめてね」
「大丈夫、吸収形にするから」
二人の声が聞こえたかと思うと、精術とは異なる空気が、教室内を包んだ。精術は辺りの空気がざらつく感じがする。それは、世界に満ちる精がその術式によって凝縮されようとしているからだ。ロレーヌにも、理解できた。
気術はまったく逆だった。グレンを中心に、空気が膨れ上がるような、そんな感じがした。実際に風が起こりもしたが、それ以上の感覚が生徒たちを襲っていた。
「はっ!!」
気合のこもった声が、振り上げた刃の軌跡が、そのまま形になるかのようにフローネに向かう。フローネは作り出した精術のバリアでそれを相殺した。グレンの一撃も、フローネのバリアも、この学院では見たこともないほど高レベルの術式なのは理解できた。
わずかながらかすった教壇の角が、消えうせていた。炎に投げ入れても燃えない術をかけられているその教壇が破損するというのは、誰も見たことがなかった。
「あらま、やっちゃった…」
グレンの情けない声と共に、チャイムがなった。姿勢を正したグレンはすぐさま授業の終了を告げて、フローネと共に教室を出て行った。ロレーヌはいつもならそのチャイムがなると出て行くのだが、しばらくほうけていた。教室内の人間たちの視線にようやく気がついて、ばつが悪そうに教室を出た。例え人から認められるかもしれないことが見つかったところで、背後から聞こえるのは、やはり罵声と嘲笑なのだろうから。
教室の扉を閉めたとき、ようやく大切なことを思い出した。いつも身につけていた水晶を、グレンに預けたままなのだ。
あわてて職員室へ向かった。そのとき、真っ黒なマントを羽織った後姿を見つけて、先ほどのフローネだと思い声をかけようとした。
「まって!」
「へ?」
振り向いた黒マントの人物は、トリシュアと瓜二つだった。
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続きます。