「なんて、なんてすごい森なんだ!」
森の中で青年は大きな叫びをあげた。
青年が住む村にはどこの村にもない2つの変わったものがあった。
不思議な森。
不思議な森からときおり聞こえる、笑い声。
森は村の近くにしずかにただ存在する。この辺り一帯はやせた土地なのに葉っぱがいっそうとしげる木が乱立する森は不思議に思うが、森に入ることに恐れをいだかせるには十分であった。
より恐れをいだかせるのは、時々風でゆれた葉っぱの音にまぎれて男か女かわからないが優しい声が、楽しげに笑っているのが聞こえてくるからだ。
そんな森だからだろう、村人達は森のことを見ないし、笑い声には無視を決め込んでいる。
まれに来る旅人には明るく接しても、森には絶対に入るなと警告しつづけてきた。しかし、そういう村人達も入ればどうなるのか考えたこともなかった。
だがそんな彼らにも、森の恐ろしさを思い知り震えた事件がおきた。
少し前に町から税を取り立てにきた役人が一人、豊か過ぎる森を見て
「この森を切り開けば、もっと税がとれるもんを! この怠け者の無能などん百姓め!!」
と、わめきちらし俺が調査してやると森に入ることを声高に言い、とめる村人を国家反逆罪で首をはねちまうぞと脅し、村人達が驚いている間にさっさと森に入っていた。
そして、役人はそのまま帰ってこなかった。いつになく嬉しそうに、あの優しい甘い笑い声が森の闇から響いてくるだけであった。
今年の春は、雨雲一つなく太陽が輝きつづけ暑い日が続いた。これでは夏はずいぶんと暑いものになるだろうと村人の誰もが思った。これでは、ただでさえ実りのよくない村の畑は壊滅する。
そんなすぐに来る暗い未来を待っているとき
「村のでき初めに、森から帰ってきた女の子がいたそうだが・・・」
そう、老人達が集まって話をしているのを青年は聞いた。
「本当ですか!」
青年はとてもじゃないが、あんな傲慢の役人でさえ帰してくれない森が女の子を帰したなんて信じられなかった。
「本当だ。本当に帰ってきた。そう、聞いている」
「だったら!どうなったのですか?」
老人達はゆっくりと互いの顔を見合い。一人ひどく背の曲がった年寄りが、ひどく悲しそうな目をして口を開いた。
「それがわからん。女の子はどうして森に入ったのか、どうして出られたのか。」
「俺が子供の時にじいさんから聞いたきりだ。」
「私はおばあさんから聞きましたわ。でも・・・」
『私(俺)達は話の続きを忘れたんだ。』
愕然とする青年にわびるように、老人達は役人が森に入るまで、帰ってきた女の子の話を忘れていたんだとつけ加えた。
「あっ、あんな不思議な森から女の子が帰ってこれたんだ!」
青年はいささか青ざめながら、まるで自分に言い聞かすように
「もしかしたら、もしかしたらですよ。女の子はあの森からなにか持ち帰ったんだ。そうですよ。あんな不思議な森だ。魔法の一つぐらいかけてくれる!」
「そうかもしれん。だがな、だったらなんで土地はやせているんだ。魔法をかけてくれるなら、この土地はこうじゃなかっただろう。」
青年の夢をみるような提案にややうんざりとした顔色をうかべる老人達。
「入ろうなんておもうな、あの森はただそこにあるだけだ。人に良いことなぞしてくるものか」
青年は朝日がのぼる前に森に入っていた。
そして、物語は冒頭へ戻る。
森に一歩入れば、、熟れきった果物がもつ少し腐ってはいるようだがあの深く甘い香りが、鼻に体にからみついてくるようにただよってきた。
森全体からただよう香りにもおどろきながらも、見たこともない鋭くとがった木や毒々しい赤・紫・青色の巨大な花。どれもこれも青年が今まで見たり聞いたこともない木や花ばかりだ。
森の木や花は、見知っている木や花とは比べものにならないほどに大きい。
青年は自分の背丈を越える花のそばを通るたび、自分は昔話の小人になってしまい、葉っぱで体を羽交い絞めにされ、その大きな花びらで頭を食いちぎられるのではないかと思えてきた。
ふいに青年はころんだ。
乾いた落ち葉のクッションで痛みがこれっぽちも無かったのが幸いだった。なににけつまずいたのだろうと見てみれば、狼が寝ていた。
「っ・・・・!」
恐ろしさにあげる悲鳴を手で押さえ込みながら、青年は狼からできるだけさっさとはなれたが・・・また引っかかってころんだ。
足元から伝わる感覚では、硬い毛に覆われなまあたたかい。小さい穴から無理やり空気をおしだすような荒々しい鼻息が耳に聞こえてくる。
恐る恐る足の先を見れば、また狼がこっちを見ていた。狼はうっとおしそうに青年を見るが、すぐに飽きたのか目を閉じてクークーと気持ちのよさそうな鼻息をたてて寝転がった。
「・・・なんだってんだよ。」
よく見回せば、狼達が転々と積もった落ち葉の上で気持ちよさそうにおもいおもいに寝転がっている。
「ちくしょう!なんだってんだよ!!」
声をはりあげても狼達は自分達の楽しみを優先しているのだろうか、耳をピクリとも動かさず寝転がっている。
「そうだよな。こんな森だ・・・こんなことぐらいあっても不思議じゃ・・・」
自分に言い聞かせるように青年はゆっくりと狼達からはなれていった。
『おやおやまぁまぁ!』
「えっ!」
自分とは違う声がすぐそばで聞こえ、周りを見たが誰もいない。
『お兄さん、お兄さん。あんたはなんでこんな森にいるんだい?』
それは耳元から聞こえた。
『迷ったのかな?』
すぐ後ろから聞こえた。
『それとも狩りにきたのかな?』
足元からも聞こえてきた。
『さぁ!答えてくれよ!! お兄さん?』
これはたぶん、森からいつも聞こえてくるあの声だ。いつもはただの笑い声だけしか聞いたことがなかったが、まさかしゃべりかけてくるなんて・・・。
『おほほほほっ・・・おや?お話にならない。では考えてみよう。お兄さんは村の者だぁね? 春は太陽さんががんばったから夏は大変だろうね?
大変だから逃げてきたのかい? だったらお兄さんはなんて卑怯者だ。この人間のクズ野郎め!地獄で焼かれちまえ!!』
「ちがうちがうんだ!じつは・・・その、村を、みんなを助けあげたくてきたんです・・・」
『ほっほっほぅ? どうしてまたこんな暗くて変わった森が村をたすけてくれるんだい?』
「私は、その・・・聞きました。大昔、村ができたころ、この森から女の子が帰ってきたそうではありませんか。」
『そんなこともあることはあったね。』
「やっぱりそうなのですか! ですからその森から帰ってきた女の子がですね、その・・・森かあなたからなにか魔法の力をもらって、村を助けてくださったのだとおもいまして、その・・・」
『お兄さんお兄さん。』声は少しの間をおいて、これまでと違ったゆっくりした調子で『そんな早合点されても困るんだけどね。』と言いった。
「えっ?あの、その・・・」
『でもお兄さん大丈夫大丈夫さ! 助けを求めている人を見捨てる奴はクズのろくでなしだからね! さぁさぁお兄さん勇敢なお兄さん、君を私が助けてあげようともさ。それで・・・』
青年はその言葉を信じられないというふうに目を見開き感謝の声を述べるが
『このとんまなお兄さん。その忌々しいありきたりな口で話をさえぎるんじゃないよ、え? 魔法や不思議な力なんてものはね、かわった方法をしなければ何もおきないんだからめんどうくさい。
さぁさぁこれから方法言ってあげるからそのすんづまりなお耳でよぉっくお聞き、この暗い嫌味な森から出るまでそのどんぐりみたいなおめめを閉じているんだ。このお約束を破ったお兄さんは森からでられない。出してやるもんか。』
言われるがままに青年は目をつぶった。
何も見えない真暗な中、青年の右手を握ってくるものがあった。急にその手から冬に水桶をひっかぶったみたいな冷たさが全身をかけめぐり、痛みとおどろきに目を開きそうになったがとっさに片腕でまぶたを押さえつけた。
その押さえつける姿がおかしいのか、声はいつもの優しい笑い声をあげ続けている。手を引かれゆっくりと歩くままにだんだんと冷たい感覚は引いていった。
あれだけ体にまとわりついてくる香りが消えていた。それよりも、足から伝わる感触もなにか泥をふんづけているみたいにあやふやなものとなっている。音もさっきからあの声が出す調子はずれのへたくそな口笛だけしか耳に入らない。
だんだんと不安が大きくなるが、気をまぎらわすためにあの声と会話をすることも考えるが疲れるだけでしかないだろうし気がすすまない。
ふいに、口笛以外の音が聞こえた。その音に口笛は止まり、あの声がなんだなんだと探すように声をあげる。
また音がなる。
青年は体の奥底から軽く握り締められるような痛みを感じると、ぐぅぅぅっという音を聞いた。
『はっ!はっ!はっ!はっ! いやいや失礼失礼。そうかそうかお兄さんはお腹がへっているのかい。 よしよし、ハラペコいやしん坊のお兄さんにとびっきりの美味しいご飯をあげようともさ!』
「ご心配にはおよびません。干し肉をいくつか持ってきております。ですから貴方様をわずらわせるおつもりは」
『この野郎! 私の親切を受けたくないというのか。 あぁなんて酷い奴なんだろう。不気味な森の変な声が食べさせるものは腐った人肉だとか思っているのだろう?
そして食べてみればあまりの不味さにおめめを開けちまうと思ったんだろう? だれが、いったいだれがそんなことをするものか!』
声の怒りに青年はすみませんすみませんと声を出してあやまり、何度も頭を下げるしかなかった。それを聞きながらも、声は青年にあのまどろっこしい言い方でいかに傷つけられたかと責めたてる。
ふいに鼻が反応した。
『うっふっふっふっ・・・どうだいどうだい、良いにおいだろう。かぐわしいだろう。貧しいお兄さんが普段食ってるもんなんて胃袋に石をほうりこんでいるもんさ! さぁさぁお兄さんお口を大きくお開け。ほうりこんであげよう。
上天に鎮座めします皇帝閣下がお口になされるものとまではいかないが、お兄さんの人生一つ棒にふったって食べることができないよ。 まず一品目はピータンだ!匂いのきつさに顔をしかめんじゃないよこのボンクラ。
おまえの干し肉がもっとくさい。それに別名百年卵といい・・おぉ勢いよく丸呑みにするねぇ。うんうん、おいしいピータン。長生きピータン。これをおもいついた黄色い肌の野蛮人どもに幸あれ!
さぁて、お次は海老さんの・・・海老も知らないとはこの物知らず!大水にあふれた全ての母上たる海の恵みを一新にあつめたプリンプリンの海老をしらねえと言うのか、頭かちわって牛の糞でもつめておけ!!
さぁ味わえ、その舌と口に海老の美味さを刻みつけやがるんだ! うんうん、その汚い顔一面にひろがる殴りたくなるような喜びよう!あぁ出してよかった!!
この海老さんはジューっと火で炒め、お兄さんの見たこともない色々な物で味付けをしてあるのさ。お兄さんの小さい脳みそじゃわからんかね♪』
その後、何かの脳みそ料理、香草とにんにくを練りこんだ子豚の丸焼き、軽くあぶった肝臓の薄切り、たっぷりの高い香辛料や香料で作った蜂蜜菓子を青年が腹いっぱいで苦しいと叫ぶのを無視してねじりこんだ。
青年はあまりのお腹の重さに倒れ、ゆっくりと気が遠くなりながら
『ちぃぃっ。まだおめめをあけやしない。』
そんな小さな声を聞いた。
あたたかい。そう、真っ暗ななかで青年は思った。
ゆっくりと意識がおきあがるとともに、日光にやわらかくつつみこまれているような感覚が体をおおっていることに気がついた。
そして、真っ暗でなにも見えていなかったはずが、まぶたを通してだんだんとうすぼんやりとした光が広がっていった。
「森から出てこれたのだろうか・・・」そう口をあけた。
青年はトックトックと動く心臓のおとをゆっくり数えながら、その場を動こうとしなかった。
閉じたマブタを開けることもしない。
葉と葉が風でこすりあってさらさらと静かな音をたてるのを聞いた。
「大丈夫かな?」
声に出しても答えはない。
やった。僕はとうとうやったんだ。まぶたの力をぬいた。
『おやおやまぁまぁ!お兄さんおきたね。』
とっさに青年は自分の顔面に平手打ちをして開きかけの目を閉じた。
声と共に急にあたりは刺すように冷たくなり、風や光の感覚も途切れた。
調子外れの口笛だけが青年の耳に聞こえる音だった。地面を踏んだときの音、体を脈打つ心臓の音、何一つ聞こえない。
そもそも、足が地面についているのかどうか、生きているのか、だんだんと青年自身でもわからなくなってきた。
『お兄さんお兄さん。ここでおわかれだよ。』
「・・・本当なのですか?」
『ウソついていたというのかい・・・まぁいいさ!さぁお兄さんのがんばりは終わりにちかづいたよ。でもね、ここでゆっくりとおめめを閉じたまま10までを数えるんだよ。
そして、もういいよと答えが返ってくるまで繰り返すんだ。いいかい、もういいよとかえってくるまでだよ。』
子供の遊びそのままじゃないか。こんなことで村は・・・本当に・・・
『ほら、始めるんだ。』
「・・・ 6・・・7・・・8・・・9・・・10」
『まぁーだだよー』
「・・・7・・・8・・・9・・・10」
『まだまだだね』
「1・・・(中略)・・・9・・・10!」
『もう・・・いいかっな~?』
声の答える言葉はさっきからずっとこんな調子だった。もう、何度10 まで数えたのかわからなくなってきた。
「1・・・2・・・3・・・4・・・5・・・6・・・7・・・・8・・・9・・・10・・・」
『もう、いいよおぉぉぉぉぉぉぉ
返事が、もういいよの返事が返ってきた!
目を開けた。
目の前には、何も見えない。真っ暗な闇だけしかない。
手を動かした。
ぶよぶよとした感触にあたった・・・いいや、迫ってくる!
手を、腕をぶよぶよしたものがおおいかぶさってくる・・・指も、足もだ。
「ウソだろう・・・いやどうして、どうして約束をやぶった・・・」
いやまて、さっきから聞こえるこの音はなんだ。
もしかして、もしかして、違うそうじゃないはずだ・・・
ぉぉぉぉっねぇ?』
「もう・・・いいよ・・・ね?」
『やーぶったやーぶった。おめめをあーけたお兄さん。くーらい森からかえれーない。かえーしてやらない♪ あぁかわいそうなお兄さん♪』
闇が、ひときわ真っ黒な闇が笑ったように見えた。
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