No.143217

「ハコニワ」 第二話

早村友裕さん

 祭りの音がハコニワの外から響く。
 満月の日、庭にたたずむ和服の少女は呟いた。
「うちはお祭りの音をここで聞くしかできないんやね――」

◆これは麻葉紗綾さまのイラストを元に書いたイラスト小説です。

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2010-05-15 12:22:54 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:660   閲覧ユーザー数:656

 

 花菱少年は、少女の言葉を聞いて微かに眉を寄せた。

 巴恵には聞き覚えのない名である『十六八重菊(ジュウロクヤエギク)』――確かにそれは反勢力を象徴する名だったからだ。

 砂利が敷かれた庭を挟んだ向こう側に佇む少女と、花菱少年は障子ごしに睨み合っていた。もしこの距離で攻撃を受ければ、生身の人間である花菱少年に勝ち目はない。少女の腰のホルスターに収まっているのは細腕に似合わぬ大型拳銃だった。花菱少年や巴恵が手にしている護身用とはまるで違う。相手を破壊するための武器だ。

 しかし、少女が攻撃してくる様子はない。

 

「オマエが十六八重菊だという証拠はあるのかっ?」

 

 花菱少年がそう叫ぶと、少女は首にかけていたロケットペンダントを外し、花菱少年に向かって投げた。

 軽い金属音を立てて縁側に着地したペンダントは、その衝撃で蓋が開いて中身を曝した。

 その中には、はっきりと十六八重菊の紋章が刻まれている。

 これを持つということは。

 花菱少年の体から力が抜けた。

 

「……」

 

 少なくとも、反勢力であるというのは嘘ではないらしい。

 花菱少年はずずず、と障子戸にもたれかかって座りこんだ。

 ひどく不安そうな目で見つめている巴恵に笑いかけ、おいで、と手を伸ばした。

 紺色の着物に似合わぬ無骨な拳銃を抱えた巴恵。華奢な肢体と細い指にはアンバランスな銃を手にしたその姿は、守りたいと思わせる危うさを秘めていた。今にも壊されてしまいそうな儚い姿。

 それでも、長い前髪の間から覗く紅の瞳には、気丈な光が灯っていた。

 

「何やの? いったい、何が起きてるん? あの女の子は何者なん? 人間やないの?」

 

 しかしながら、矢継ぎ早に質問する巴恵に、いったいどこから説明したらいいのか。

 花菱少年は、再び心の中で檜垣に助けを求めた。

 

 

 

 

 巴恵は、反対した花菱少年を押し切って、少女を客間へと通した。

 卓袱台を挟んで少女と向かい合った花菱少年は、ぼそりと呟いた。

 

「……オレはまだオマエを完全に信用したわけじゃねーからな」

 

「警戒心が強いのは評価に値するわ。でも、私を部屋に挙げた時点で意味はないと思うけど?」

 

 少女のきつい言葉に、花菱少年は口を噤んだ。

 客間の振り子時計は、現在時刻がちょうど正午を回ったことを示している。

 いつも檜垣はどんなに遅くとも午後2時までには帰ってくる。それまでに終わらせておくようにと申しつけられた課題は先ほどめちゃくちゃになってしまったが、これは緊急事態だ。大目に見てくれるだろうと巴恵は思った。

 背筋を伸ばして正座した萌黄色の髪の少女の頬を見れば、先ほど見た傷は見当たらなかった。

 あれは巴恵の見間違いだったのだろうか。

 

「オマエは何者だ? 名前は?」

 

 花菱少年の厳しい口調での問いに、少女は眉一つ動かさず、凛とした声で告げた。

 

「私は雪輪(ユキワ)。檜垣と同じ『十六八重菊』の戦闘員の一人よ」

 

 少女は、先ほど花菱少年に向かって放ったロケットペンダントを開いて、卓袱台の上に乗せた。

 開かれた中には、花弁の密集した菊を思わせる紋が刻印されていた。

 

「十六八重菊? 戦闘員?」

 

 それも、檜垣と同じ。

 初めて聞く言葉に、巴恵は首を傾げた。

 花菱少年の顔は青ざめ、明らかに視線が泳いだ。

 

「本日早朝、旧鳥羽街道付近で『三つ葉葵』所属の壬生狼士と戦闘、撃破した。でも、その余波でこの場所に飛ばされてしまったの。現在の正確な位置は私もまだ把握できていないわ」

 

 旧鳥羽街道。三つ葉葵。戦闘。撃破。

 巴恵にとって馴染みのない言葉が次々と知らされていく。

 

「旧鳥羽街道?!」

 

 花菱少年はそれを聞いて驚きの声を上げた。

 

「壬生狼士がそんなところに……っ!」

 

「この場所が見つかるのもおそらく時間の問題だと思うわ。逃走するならば、十六八重菊は助力を惜しまない。ただし、決めるのはすべて貴方達自身よ」

 

 巴恵の心臓は早鐘のように鳴り響いていた。

 分からない。

 何も分からない。

 二人はいったい、何の話をしている――?

 

「……檜垣」

 

 思わず口からこぼれたのは、いつも無表情に淡々と自分の世話をする男性の名前。

 彼は、花菱少年は、自分にいったい何を隠しているのだろう?

 長い前髪の間から花菱少年を睨むと、彼はふっと顔をそらした。

 どうやら、花菱少年は説明するつもりがないらしい。

 

「ええわ。うちは自分の目で確かめる」

 

 巴恵はそう言って立ちあがった。

 

「あ、ちょ、お嬢!」

 

「花菱はついてこんといて」

 

 ぴしりとそう言い放つと、花菱少年の動きが止まった。

 前髪の間から覗いた巴恵の視線に気圧され、動けなかったのだ。

 代わりに雪輪(ユキワ)と名乗った少女が部屋を出ていく巴恵につき従った。

 ぴしゃりと障子戸を閉め、まっすぐ玄関へと向かう。

 

「確か名前は雪輪(ユキワ)やったね。銃の使い方、教えてくれる?」

 

 玄関へ向かう廊下で巴恵がそう聞くと、雪輪と名乗った萌黄色の髪の少女はこくりと頷いた。

 セミオートの拳銃を扱う方法を簡単に説明し終わるころには、巴恵と雪輪は玄関を出て、庭をぐるりと取り囲む壁にたった一つだけ造りつけられた鉄の扉の前に立っていた。

 

「雪輪はうちの味方なん?」

 

「私は人間の味方よ。だから貴方の味方でもあるわ」

 

「ありがとう」

 

 にこりと笑うと、巴恵は分厚い鉄の扉に手をかけた。

 しかし、無論その分厚い扉が巴恵の力で開くはずもない。

 細腕で鉄の扉と格闘する巴恵を見て、雪輪が問う。

 

「外に出たいの?」

 

「そうや。檜垣と花菱はきっと、この庭の外にある何かを隠してるはずなんや。うちは、それが何なのか知りたい」

 

「そう」

 

 その言葉を聞いた雪輪は、その鉄の扉にそっと手を当てた。

 そして、雪輪が軽く扉を押した、と思った瞬間。

 凄まじい音を立てて鉄の扉が向こう側へと倒れて行った。

 見れば、頑丈な蝶つがいが千切れるようにして破壊されている。雪輪が凄まじい力で扉を押した証拠だ。

 

「貴方は外へ行きたいんでしょう?」

 

 雪輪は表情少なく、静かに告げた。

 一瞬目をぱちくりとさせた巴恵は、首を傾げた雪輪を見て唇の端を上げた。

 

「……『巴恵(トモエ)』やよ。うちの名前」

 

「巴恵は外へ行きたいんでしょう?」

 

「そうや。ありがとう、雪輪」

 

 そう言って笑うと、先ほどまで無表情だった雪輪が、微かに笑んだ。

 その笑顔にもう一度微笑み返した巴恵は、倒れた鉄の扉を踏みしめ、外の世界へと一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 最初に見えたのは、視界の半分より上の青空と、視界の半分より下の廃墟だった。

 

「これ……何……?」

 

「旧市街。10年前までは多くの人間が住んでいた場所よ」

 

 ざり、と雪駄が踏みしめた地面は土でも砂利でもなく、灰色のコンクリートだった。

 はっと背後を振り返ると、今まで自分がいたはずの庭の壁がぼんやりと霞んでいた。もう一歩も踏み出せば、完全に見えなくなってしまうだろう。

 視界に映る廃墟群は、おそらくかつて人間の居住地だったのだろう。建物らしき影がかろうじて残っているのがいくらか認識できた。

 心抉る光景に、ざっと血の気が引いた。

 同時に、微かな記憶が刺激される。

 これほど破壊されてはいなかったが、巴恵はこの『人間の街』を知っていた。

 いったい、いつ?

 

「巴恵、貴方はずっとこの場所にいたのよね」

 

「そうや。物心ついたときからずっとこの庭の中だけにおったんよ」

 

「巴恵は幾つ?」

 

「歳のこと? 今年で17歳や」

 

「じゃあ、巴恵が7歳のときだと思うわ。この街から人間が消えたのは」

 

「何やて?」

 

 

 

 

 視界の半分は空で、残り半分は廃墟。

 巴恵の隣には、おそらく人間ではないであろう雪輪と名乗る少女。

 何かを隠していた檜垣と花菱少年。

 

 時が動き出す。

 孤独な少女に忠誠を誓った人型樞(アンドロイド)が箱庭に切り取って、寄り添って守ってきた優しい時間を破壊して。

 砂時計の砂が零れ落ちるように。

 自らの身を削りながら坂を転げ落ちる石のように。

 

 

 

 

 

 

 雪輪は巴恵の手を引いて、庭から少し離れた。

 ほんの2・3歩離れただけで、庭の壁は揺らめくように消滅し、そこには庭と同じほどの広さがあるコンクリートの床だけが残っていた。それも、床のあちらこちらが綻び、崩れ始めている。焼け焦げた跡さえ残っている気がする。

 

「雪輪、庭はどこへいったん?」

 

「今もそこにある。迷彩処理で見えなくなっているだけ」

 

 迷彩。

 またひとつ、分からない単語が増えた。

 辺りを見渡せばそっけないコンクリートの床と視界の半分を埋める廃墟。色のない、空虚な景色が心をかき乱す。

 

「雪輪、あの街に行ってみたいんやけど……連れてってくれる?」

 

 そう言うと、雪輪は何かを思案するように一瞬口を噤んだ。

 しかしそれは一瞬で、すぐに口を開いた。

 

「少しだけならいいと思うわ。でも、絶対に私の傍を離れないで」

 

 

 

 

 庭があるはずのコンクリートの床に、たった一つだけ扉があった。畳の下にあった黒塗りの金庫のように、コンクリートに埋め込まれた錆びた鉄の扉だ。

 雪輪は迷いなくその扉を開いた。

 その向こうには、薄暗い空間が広がっていた。

 

「私が先に降りるわ。合図したら、巴恵も来て」

 

 返事を待たず、雪輪は扉の向こうに飛び込んだ。

 ざっと軽い音がして、それからぴぃん、と何かが張る音がした。

 扉の向こうから明るい光が漏れた。

 

「巴恵」

 

 呼ばれて巴恵が扉を覗くと、雪輪が両手を差し出していた。

 

「来て」

 

 来て、と言われても巴恵は雪輪と違い、着物姿だ。

 逡巡した挙句、その小さな四角の扉の中に、両足をそろえて降りるようにして目を閉じて飛び込んだ。

 落ちてきた巴恵を雪輪がうまく支えてくれたのか、おそるおそる目を開けると、巴恵は地面にしっかりと立っていた。

 辺りは天井の明りに照らされて明るく、小さな部屋の様子が照らされていた。

 寝室にある押し入れを少しだけ広げたような大きさしかないその空間はひどくほこりっぽかった。床は板張りだが壁は見たことのない素材で、周囲には長い竹の棒やもう何年も使っていないであろう机と椅子、そして箒や塵取(チリト)りなどが雑然と壁に立てかけてあった。

 まるで物置のようだと巴恵は思った。

 雪輪はその一角にあった観音開きの扉に手をかけ、外に向かってそっと開いた。

 巴恵の目にまばゆい太陽の光が飛び込んでくる。

 

「大丈夫そうね。巴恵、行きましょう」

 

 雪輪に手を引かれ、巴恵は太陽の光に中へと進み出た。

 そこにあったのは、まっすぐに続く廊下だった。廊下の左手側の壁は全面窓ガラスで、そこから昼過ぎの太陽が燦々と注ぎ込まれている。右手側には、等間隔で同じ色の扉が並んでいた。

 廊下の突き当たりには、もうひとつ、大きな扉が見えた。

 しかし、窓ガラスは盛大に割れ、廊下は煤けて汚れており、扉がひしゃげている箇所もあった。

 

「ここは何やの……?」

 

「旧時代の私立高等学校。自家発電施設も整っているから『人間』が暮らすには丁度よかったのかもしれないわ」

 

 雪輪が『人間』と呼ぶ時のトーンが、巴恵の言う人間とは少し違うことに、なんとなく気付いていた。

 最初に会った時に頬の傷から覗いた中身(・・)が生身の人間とは異なっていたから分かっていたことではあるが、いざ問おうと思うと何と尋ねればいいのか見当もつかなかった。

 代わりに、こんな質問が口をついた。

 

「雪輪、庭の外って何なん? 十六八重菊って何? 雪輪は何でうちの庭に落ちてきたん?」

 

 聞きたくて仕方がないことだった。

 きっとそれは、檜垣と花菱少年が巴恵にずっと隠してきた事だから。

 それを聞いた雪輪は、廊下の真ん中に立ち止まり、ふっと巴恵を振り返った。

 

「私は真実を知らないから、話すとすれば推測になるわ。それでも、巴恵は知りたい?」

 

 明るい昼の太陽に照らし出された学校の廊下の真ん中で。

 

「十六八重菊の事、三つ葉葵の事、この世界の事、それから……檜垣の事」

 

 巴恵は唾を飲んだ。

 高い角度から雪輪の萌黄色の瞳に光が入って、まるで作り物のように奥底から輝いていた。短く切りそろえた同色の髪がさらりと揺れた。

 

「知りたい」

 

 思うより先に口が動いていた。

 

「うちは知りたい。檜垣が何を隠しとるのか、庭の外に何があるのか」

 

「もし、檜垣が巴恵を守るためにすべて隠していたとしても?」

 

「もちろんや。だって、あの庭に雪輪が飛び込んできた時点で、うちはもうあの日常に戻れんことくらい分かる。それなら、檜垣の邪魔にならんよう、うちはちゃんと事実を見て、知って、判断する必要があると思うんや」

 

「隠している事を聞くのは、檜垣本人からでなくていいの?」

 

「……」

 

 言われて、巴恵は口を噤んだ。

 そうだ、こんな風に檜垣の知らないところで詮索するのは……

 黙り込んだ巴恵を見て、雪輪は少しだけ微笑んだ。

 

「少しだけ、街を見ていきましょう。私からは何も話さないから、檜垣が帰ってきた時に聞くといいわ」

 

「雪輪」

 

「行きましょう」

 

 そう言って、雪輪は巴恵を促し、校舎を出た。

 

 

 

 

 

 階段を下り、校舎の外に出た二人は、廃墟の街へと足を踏み入れた。

 巴恵が振り返ってみた校舎は廃墟を象徴するかのように荒れた様相を呈していた。あの屋上に自分がずっと暮らしていたあの美しい庭があるのはひどく不思議な感じがした。

 雪輪は着物姿の巴恵に気を使っているのか、ゆっくりとした歩調で歩いていた。

 足元のアスファルトが日に照らされててらてらと光る。陽炎の立つような眩しい道に、人の気配はない。道の端は破壊され、捲れ上がっている部分が目立つ。

 人が住んでいた建物が左右に林立している。

 多いのは3階か4階建ての建物で、合間にちらほらと一戸建てが見られる。どれも人が住まなくなって久しい様子だ。何より、まるで何かに攻撃されたかのように破壊されているものが多すぎる。

 人の気配は、ない。

 巴恵は茫然と周囲を見ながらふらふらと歩いて行った。

 時折めくれ上がったアスファルトに足を取られながらも、雪輪の後をただついて行った。

 

「ここに住んでいるものはいない。10年前、真っ先に攻撃を受けたのがこの街だから、その分被害も一番大きかったの」

 

「攻撃?」

 

「そう。たくさんの人間たちが死んだわ」

 

「……?!」

 

「そのせいでこの世界に、人間はほとんど残っていないの。だから私は貴方を助けるし、私のこの身に替えても守ってみせる」

 

 雪輪は胸元のロケットペンダントをぎゅっと握りしめた。

 

「きっと、檜垣も同じよ」

 

 檜垣。

 その名を聞くと巴恵の胸は苦しくなった。

 人間のいなくなってしまった世界と、巴恵の閉じ込められた箱庭。檜垣は巴恵を守っていたと雪輪は言うが、それはどうしてなのだろう。

 ずっと一緒に育った花菱少年は、はたして人間なのだろうか?

 檜垣に会いたい。今すぐ会いたい。

 会ってすべてを問いただしたい。

 ふいに巴恵の足は止まった。

 

「巴恵?」

 

「戻ろう、雪輪。うち、檜垣に聞きたいことが多すぎて頭が変になってしまいそうや」

 

 それはちょうど小さな建物群を抜けて少し開けた場所に立った時だった。これまでと違う大きめのお屋敷が軒を連ねている。巴恵の過ごしていた庭と同じ真っ白な壁が延々と続いていた。無論その場所もかなり破壊が進み、元々白かった壁は赤黒く、煤けて悲惨な様子だった。

 雪輪は分かった、と頷いてこれまでたどってきた道を帰ろうとした。

 

 

 

 が、雪輪は突如として厳しい表情に戻って周囲を警戒した。

 

「雪輪? どうしたん?」

 

「残党がいるわ。油断した」

 

 舌打ちした雪輪は巴恵を背に庇うようにして立った。

 腰のホルスターから大きな拳銃を引き抜き、迎撃態勢をとる。

 巴恵は思わず帯に刺した護身用拳銃を確かめていた。先ほど雪輪に教わった使い方を頭の中で復唱する。

 巴恵を背に庇ったまま壁際に下がり、破壊された壁の隙間に巴恵を座らせた。

 

「大丈夫だから、ここを動かないで」

 

 そう微笑んで駆けだした雪輪の背は一瞬で遠ざかり、近くで何かが破裂する音が響いた。

 

 

 

 


 
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