No.143215

「ハコニワ」 第一話

早村友裕さん

 祭りの音がハコニワの外から響く。
 満月の日、庭にたたずむ和服の少女は呟いた。
「うちはお祭りの音をここで聞くしかできないんやね――」

◆これは麻葉紗綾さまのイラストを元に書いたイラスト小説です。

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2010-05-15 12:17:20 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:706   閲覧ユーザー数:691

 

 

 しんと静寂に満たされた庭を、まあるい月が見下ろしている。

 真っ白な壁に囲まれた小さな日本庭園の中には風もなく、空間はその場だけで完結していた。猫の額ほど、落ち着いた大きさの庭に無駄なものはない。ひっそりと木々の奥の茶室へと続いていく露地に並ぶ飛び石たちが、揺れる木々の影を映しながらやんわりと月明かりに照らし出されているだけだった。

 そして、天満月(アマミツツキ)から注がれる橙色の柔らかい光の中に一人の少女が立っていた。

 

「これで107回目……」

 

 純和風の茶庭にしっとりと佇むには、あまりに奇抜すぎる紅の髪をした少女は、長い前髪を手でかきあげた。腰ほどまである鮮やかな紅は、月の光を浴びて艶やかに煌めいた。どちらかと言えば気の強そうな印象を与える目には、髪と同じ紅色の瞳がおさまっている。

 身に付けた大人しい紺色の着物には、紅の髪と瞳がよく映えた。

 

「今日も、うちはお祭りの音をここで聞くしかできないんやね」

 

 もうすぐ、この白色の壁越しに祭囃子(マツリバヤシ)が響きだす時間だった。

 そのお祭りの賑やかな様子を心の中に浮かべながら、少女は請うように満月を見上げた。

 

 

 遠くで、どどん、と祭りの太鼓の音がした。

 

 

 

 

 

 

 

「巴恵(トモエ)お嬢様、お目覚めの時間です」

 

 抑揚のあまりない男性の声がした。

 聞きなれたその響きに、布団の中に丸まっていた少女はもぞもぞと這い出してくる。腰ほどまでもある紅の髪が四方に飛び、年頃の少女としてはかなり悲惨な見栄えだ。

 おさまらない髪を手櫛で解きながら、巴恵(トモエ)と呼ばれた少女は布団を担いだまま声の主を見上げた。

 そんな巴恵の姿を、表情の少ない、整った顔立ちをした男性が見下ろしていた。

 

「……おはよう、檜垣(ヒガキ)」

 

「朝食をここへ置いていきますね。昼までに課題を終わらせておいてください。午後から採点して一緒に復習しましょう」

 

 にべもない言葉が返され、巴恵は一瞬間をおいて尋ねた。

 

「いま、なんじ」

 

「9時です。早く起きないと課題をこなす前に昼になってしまいますよ」

 

 きっちりとスーツを着込んだ檜垣(ヒガキ)は、見た目と声、そして表情だけでなく口調も抑揚なく告げた。

 

「うぅー……」

 

 時間を聞いて、巴恵はもぞもぞ布団を出て、着替え始めた。

 寝間着を脱いで、男性の前だというのに恥ずかしげもなくテキパキと着物を身につけていく。器用に口で腰ひもをくわえ、掛け衿をしっかりと合わせ、ぴしりと背筋を伸ばした。

 着付けが終わるころには方々に跳ねていた髪もおさまり、顔を隠すように長い前髪が流れていた。

 その髪の間からそっと覗くようにして巴恵は檜垣を見た。

 

「昼までに課題、やっておくわ。午後は一緒に答え合わせする。それが終わったら、庭に出てもええ?」

 

「いいですよ。お嬢様は本当に外がお好きですね」

 

 そう言って檜垣は少しだけ微笑んだ。

 

「昼には花菱(ハナビシ)を寄越しますから、その時までには課題を終わらせてください」

 

 それでは失礼します、と会釈をして障子戸の向こうに消えた檜垣を見送って、巴恵はふう、と息をついた。

 檜垣が消えたところでもうひと寝入りしたいところだが、そんなことをしていては言い渡された課題を終えることは不可能だろう。

 巴恵は仕方なく、檜垣が置いていった朝食に手を付けた。

 

 

 

 

 朝食を終えてから隣の書斎へ移動し、文机に向かって課題をこなしていると、あっという間に時間が過ぎてしまった。

 その証拠に、からから、と軽快に玄関の戸が開く音がして、どたどたと大きな足音が近づいてきた。

 その足音で巴恵は、もう昼か、と時を知る。

 

「おーっす、お嬢、元気?」

 

 足音とともにひょい、と部屋を覗き込んだのは、学ランを着た白髪の少年だった。短く刈った白髪、小さなメガネのレンズの向こうには、まるでウサギのそれのように真っ赤な目がきょろりと動いていた。

 

「花菱(ハナビシ)こそ、今日も元気やね」

 

「へいへいありがと」

 

 言いながら、文机の反対側にどっかと胡坐をかいて座った花菱(ハナビシ)少年は、長い前髪の間から覗き込むようにしてじっと巴恵の顔を見た。

 

「なに?」

 

「いんや、何でお嬢は前髪切らないのかな、と思って。前、見づらくない?」

 

「見づらいって、うちが見る景色なんてほとんどないやん」

 

 小さな数寄屋造りの建物が一つ、それを取り囲む庭、そして庭の片隅には小さな小さな茶室。

 白い壁に囲まれた四角い庭が巴恵という名の少女の世界のすべてだった。

 少女は、物心ついたときからこの箱庭で育っていた。食事をはじめとした身の回りの世話をする檜垣は最初からずっと少女の傍にいたが、花菱は、いつの間にかここへやってくるようになった不思議な少年だった。いったいこの少年が何者なのか、少女はよく知らない。

 しかし、少女がこの二人以外の人間と会うことはなかった。

 時を経る感覚がなくなりそうに永い日々の中、かろうじて数えている満月の回数だけが積み重なっていくのだった。

 

「ね、花菱。満月の夜は、いつもお祭りの音が聞こえるやない? 遠くの方やけど、賑やかな声とか太鼓の音とかするやん」

 

「ん? あ、あぁ」

 

「うち、ほんまはお祭りに行ってみたいんや」

 

 賑やかな祭囃子は、巴恵の心をとらえていた。

 時折顔を見せる花菱少年以外、誰も訪れないこの場所はとても退屈だった。毎日毎日、檜垣に言いつけられた課題をこなすだけ。縦に横に、細かく線が書き込まれたそれは、ほとんどが物理学か数学の問題で、いつもこの課題演算をしている間に一日が終わってしまうのだ。

 考えを巡らせる間の穏やかな時間、そして、解けた時の満足感。それが巴恵に与えられたすべて。

 ただそれだけが繰り返される、箱庭の中の日常だった。

 もちろん、その事を不思議に思わなかったと言ったら嘘になる。

 

「檜垣はいつもダメやって言う。何で?」

 

 巴恵はそう言って唇を尖らせた。

 そんな様子を見て、花菱少年はぽりぽりと白髪頭をかいた。

 

「そーだねぇ、檜垣はちょっと過保護かもしんねえ。お嬢の気が他に向くのが嫌でしょーがないんじゃねぇの?」

 

「そうなん?」

 

 ほんの少し頬を染めて嬉しそうに、巴恵は長い紅髪の間からちらりと紅の瞳を覗かせた。

 

「あーもう、嬉しそうな顔すんなっ」

 

 それを見た花菱少年はぐりぐりと巴恵の頭を撫でまわした。

 

 

 

 

 

 本当はこのままでも幸せだったけれど。

 それでも、永遠ではいられなかった。

 『彼ら』と造りの違う自分にとって、時間は有限だったから。

 

 日常は突如、崩壊する。

 たとえば、その小さな箱庭に、予期せぬ侵入者があったりなんてしたときに。

 

 そう、簡単に崩壊する。

 

 

 

 

 

 課題を終え、花菱少年と談笑し、あとは檜垣が帰ってくるのを待つだけだった。

 その時。

 庭の一角に佇む小さな茶室の方で、すさまじい破壊音がした。

 ガラスが割れる音、木の板が裂ける音、そして何かが固いものに激突する音――

 

「何?」

 

 思うより先に、巴恵は腰を上げ、文机を離れていた。

 隣にいた花菱少年の青ざめた顔に気づくこともなく。

 縁側から外に出て、大きな音がした茶室の方へと駆けだしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 雪駄(セッタ)を履く間ももどかしく思いながら、巴恵(トモエ)は茶室へと駆けた。茶室へと続く細い露地の飛び石を踏みしめて。

 見れば、茶室の屋根が黒煙を上げて半壊している。

 

「お嬢っ!」

 

 すぐに追いついた花菱(ハナビシ)少年が巴恵の腕を掴む。

 しかし、巴恵はその手を振り切って大きく障子戸を開け放ち、茶室へと駆けこんだ。

 障子戸を開けたとたん、あたりに立ちこめる煙に、思わず手で口を覆う。

 

「何やの……?」

 

 視界の煙(ケブ)るその向こう、巴恵の目に鮮やかな萌黄色が飛び込んできた。

 

「現状の報告。敵迎撃に成功。右側面頭部を破損。自己修復完了まで20078秒」

 

 抑揚のない少女の声が響いた。

 少しずつ、煙が晴れていく。

 そこに現れたのは、萌黄色の髪をした少女だった。

 上から落ちてきたのだろうか、屋根に大きな穴をあけ、床の間は完全に破壊されている。

 その瓦礫の中で、それでも少女はすっくと立ち上がった。

 

「誰……?」

 

 巴恵の口から、素直な言葉が漏れた。

 年のころは巴恵と同じほど、短く切りそろえた萌黄色の髪は煙の動きに合わせてさらさらと揺れた。黒のハイネックと細身の黒パンツ、そして黒のブーツ。体にぴったりとしたその服装は、少女のすらりとした体型そのままだった。首には、金のロケットペンダントを下げている。

 凛とした横顔をした萌黄色の髪の少女は、自分以外の存在に気づいてふと顔を向けた。

 振り向いた少女の顔の右頬の皮膚は剥げて中身を曝していた。

 そこから滴るのは真っ赤な血ではない。そして、曝したのは血色をした肉でもない。

 巴恵は思わず息をのんだ。

 

「人間やないん?」

 

 頬の皮膚が剥がれおちた部分に見えるのは、黒い鉄の塊とそこから伸びるコードがほつれ、小さな電撃をスパークさせている様子だった。

 その部分さえなければ人間にしか見えない少女は、花菱少年と、その隣に茫然とたたずむ巴恵に視線を投げかけた。

 

「――報告の継続。有機生命体を発見。経過観察の後、改めてご報告いたします」

 

 しかし、花菱少年は、何か言おうとした萌黄色の髪の少女が声を発するより先にポケットから何かを取り出した。

 

「お嬢、こっち!」

 

 それを放り投げると同時に巴恵の手を強く引き、茶室から飛び出した。

 背後で凄まじい閃光が炸裂したのと同時だった。

 

 

 

 

 

 茶室を飛び出して庭を駆け抜ける花菱少年に、巴恵は引きずられるようにして駆けていた。

 

「何? いったい、何やの?」

 

「いーから早くこっち!」

 

 手を引かれながら振り向くと、先ほどよりさらに崩壊に近づいた茶室から、ぼろぼろの黒衣を纏った少女がゆっくりと歩み出てくるところだった。

 しかしその光景はすぐ竹垣の向こうに消え、花菱少年は巴恵を連れて母屋へと駆けこんだ。

 書斎に飛び込んだとたんその場に崩れた巴恵の両肩に手を置き、花菱少年ははっきりと告げる。

 

「お嬢、落ち着いてオレの言うこと、聞いてくれ」

 

 見たこともない真剣な表情をした花菱少年の姿を見て、巴恵は思わず無言で頷いた。

 

「アイツはきっとお嬢とオレを狙ってくると思う。でも、きっともうすぐ檜垣が帰ってくる。それまで、なんとかアイツから逃げるんだ」

 

「何で? 何でやの?」

 

「理由(ワケ)は後で話す」

 

 巴恵は雪駄のまま、花菱少年も靴を履いたまま慌てて飛び込んだせいで、文机はひっくり返り、先ほどまで解いていた課題の紙が部屋中に散らばっていた。

 花菱少年は迷わず書斎の真ん中の畳を持ち上げた。

 すると、畳の下に隠れていた真っ黒な金庫の扉が姿を現した。見るからに頑丈そうな鉄の扉は、花菱少年が渾身の力でひくと、重い音を立ててぎしり、と開いた。

 巴恵が目を見張る前で、花菱少年はその金庫に半身を突っ込むようにして次々中身を取り出した。

 畳の上に並べられていくのは、鈍い鉄色をした武器だった。書斎にある本で読んだことしかないが、巴恵にはこの武器に覚えがあった。

 

「これ……銃?」

 

「お嬢も一つ持ってて。使い方分かる?」

 

 そう言いながら、銃を指し示す花菱少年に、巴恵はふるふると首を横に振った。

 

「んじゃ、後で教えるから……ベレッタでいいか。とりあえず持って」

 

 無理やり押し付けられた、並んだ中では一番小さな拳銃を、巴恵は胸元に抱えた。

 それは重厚な色をした見た目通りにずしりと重かった。

 

「いよっし、これで全部だっ」

 

 ばたん、と金庫の扉を閉めると、花菱少年は巴恵に渡したものより一回り大きな拳銃を手にして外へとつながる障子戸にぴったりと体を寄せた。

 いつの間にか両手には黒のグローブを装着している。

 

「お嬢、そっちの影に隠れて伏せてて」

 

 巴恵はわけがわからないながらも、花菱少年の指示に従い、拳銃を抱えたまま部屋の隅に寄って息を潜めた。

 花菱少年は、警戒しながら障子戸をほんの少し開いた。

 そこから外の様子を窺うつもりらしい。

 

「……何だ? アイツ、攻撃してこない……?」

 

 アイツ、と呼ぶのは先ほど茶室に飛び込んできた萌黄色の髪の少女の事だろう。

 その少女が攻撃してくる、というのは。逃げろ、と言ったのは。そして、この部屋に隠してあったこの大量の武器は……?

 巴恵は背筋が冷たくなるのを感じた。

 

「くっそ、早く帰ってこいよ、檜垣……!」

 

 花菱少年の呟きがさらに焦りを加速させる。

 心臓の鼓動が速まって、全身がすくみあがるほど緊張した。

 そこへ、凛とした少女の声が飛び込んできた。

 

「安心して頂戴。私は、貴方たちに危害を加える気はないわ」

 

 先ほどの萌黄色の髪をした少女の声だった。

 

「何が危害を加える気がない、だ! そんな手に乗るか!」

 

 花菱少年は一喝し、さらに警戒を強めた。

 しかし、さらに続いて追いかけてきた少女の言葉に、花菱少年も巴恵も驚くことになる。

 

「先ほど貴方が口にした『檜垣』というのは、私の仲間」

 

「?!」

 

「何だと?!」

 

 さらに少女は続けた。

 

「私は、『人間』の味方――反勢力『十六八重菊(ジュウロクヤエギク)』に属しているから」

 

 

 

 


 
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