(番外 牡丹をアナタに)
これは遠い未来のお話。
「ととさま~~~~~」
五、六歳の元気な女の子が廊下を歩いている男に可能な限りの大声を上げながら駆け寄っていく。
身体の成長と共に少しずつ長くなっていく黒髪を揺らしながら目標地点にたどり着くと、勢いよく抱きつく。
「こら、走ったりしていると危ないぞ」
注意しながらもその表情は柔らかく、口調も優しい男は振り返って自分の娘を抱き上げた。
父親に抱き上げられた女の子は満面の笑顔を浮かべており、男はその笑顔がたまらなく好きだった。
「それであわてんぼうのお姫様はどうしたのかな?」
「あのね、ははさまにおくりものをしたいの」
「ははさまに?」
なぜ急にそんなことを言い出したのかと考える男。
彼の愛する妻の誕生日でもなく、何かの記念日というわけでもない。
色々を考える男に娘はこう言った。
「うんとおともだちがきょうは、ははさまのひっていっていたの」
「ははさまのひ?」
男はその言葉に一瞬、眉を動かしたがやがてあることを思い出した。
それは男が自分達の娘が生まれたときに日頃の感謝ということで作った日だった。
「そういえば忘れていたな」
自分達で定めたものを男はすっかり忘れていたらしく苦笑いを浮かべた。
定めた翌年から今回に至るまで、男は誰かに言われないと思い出さなかったため、彼の妻からは半分呆れ、半分冷たい視線をぶつけられていた。
だが今年はそうなる前に愛娘によって思い出すことができた。
「それで何を送るんだい?」
「うんと、おはな」
「花かぁ」
男はふと庭の方を見た。
そこには色鮮やかな牡丹が所狭しとその花を咲かせていた。
「それはいい考えだ。じゃあととさまと一緒にははさまに送ろうか?」
「だめ」
二人で送れば喜んでくれるだろうと思った男だが、女の子は拒否した。
「ど、どうしてだ?」
「わたしがははさまにおくるの。ととさまはだめ」
贈り物を考えることなく、また愛娘と同じものであれば楽だなと思っていた男の思惑はあっさりと瓦解した。
父親としては情けないため息をつくと、女の子は悲しそうな表情を浮かべた。
「ととさま……おこったの?」
大好きな父親を傷つけてしまったと思った女の子。
それに対して男は笑顔を浮かべてこう答えた。
「怒ってないよ。そうだな、その通りだ。俺は俺で別の物を送るよ。だからそんな顔をしなくていいよ」
優しい声で愛娘に言うと女の子も笑顔になっていく。
「それじゃあ、ははさまに渡しに行くときは一緒にいこうか?」
「うん♪」
元気に答える娘に男も負けないぐらい笑顔を浮かべていた。
夜。
一日の予定を全て終えて自室に戻る女。
世の中が平和になってもするべき事がなくなるわけではなく多忙な日々を送っていたが、それでも女にとって毎日が幸せに満ち溢れていた。
そして眠る前に本を読もうとしたところへ入り口をノックする音が聞こえてきた。
「ははさま~」
返事を待たずに入ってくる女の子。
「どうかしましたか?」
「うんとね、はい」
近くに来るまで両手を後ろにまわっていた女の子は元気よく両手を前に出した。
そこには美しく咲いている牡丹の花が両手一杯に握られていた。
「これは?」
「ははさまにあげるの」
「私にですか?」
愛娘からの贈り物を受け取る。
今日は何か記念日なのだろうかと、彼女の夫同様に考える。
それでも夫よりも気がつくのが早く、また愛娘の心がこもった贈り物に対して笑顔で応えた。
「ありがとうございます。とても綺麗ですね」
「ととさまがいってたの。このおはなは、ははさまだって」
「私ですか?」
どういうことなのだろうかと思った女は牡丹の花を机の上に置いて愛娘を自分の膝へ座らせた。
「それでととさまはどうしたのですか?」
「うんとね、どこかにいっちゃった」
「相変わらずですね」
共に未来を歩き始めて幾年、愛する夫の行動がわからないときがあったが、そういうときはいつも良いことをしていることが多かった。
おそらくこの時も、何かをしようとしているのだろうと思い、愛娘の髪に櫛を通していく。
そうしていると、誰かが走ってくる音が聞こえてきた。
「ととさまが来ましたね」
「うん」
二人は静かに足音を聞いていると、部屋の前で音が消えてノックの音が聞こえてきた。
「まだ起きてる?」
「はい」
「よかった」
そう言いながら入り口を開けて入ってくる男。
どれほど急いできたのか、息を整えるため大きく深呼吸をした。
「あ、もう渡しちゃったのか」
「ととさま、おそい」
「頂きましたよ。とても綺麗な贈り物を」
「そうか」
短く答えた男は申し訳なさそうに頭をガリガリと掻きながら二人の前に立った。
「本当は俺が送るのはどうかと思ったんだけど、送りたくなったから」
そう言って小箱を差し出した。
それを受け取って蓋を開けると、牡丹の花を模った櫛が入っていた。
「頂いてもいいのですか?」
「もちろん」
手にとって見ると上品な造りが施されており、常に質素倹約を心がけている彼女からすれば豪華な贈り物だった。
「ははさま?」
「どうかしたのか?」
「えっ?」
二人がどこか不安そうに見ていることに気づいた女は涙が流れていることに気づいた。
「ど、どうしてでしょう。悲しくもないのに」
止めようとしても止まらず、次から次へと溢れてくる。
「ははさま、どこかいたいの?」
「いえ……そんなことはありませんよ」
必死になって笑顔を見せようとするが上手くいかない。
そんな彼女の様子を見て男は気づいた。
そして彼女と自分達の愛娘を包み込むようにそっと抱きしめていく。
「大丈夫だよ。俺達はずっとこれからも一緒だから」
「……」
「来年もその次もずっとお祝いするよ」
彼女がかつてできなかったことを愛する夫と愛娘がしてくれる。
過去の自分に対する申し訳なさと未来の自分に対する感謝が涙となって流れ落ちていく。
「ははさま。ははさまのことはだいすきです」
女の子も必死になって慰めようとしていた。
大好きな母親の大好きな笑顔が何よりも大好きだから、泣かないで欲しい。
その想いが伝わってか、女は涙で濡れた表情に笑顔を取り戻していく。
「ありがとう……ございます。あなた達がいてくれるから私は幸せです」
遠くに去ってしまった過去はもうどうすることもできない。
だが、未来はいくらでも変えることができる。
過去の悲しみは未来の幸せへと変えることができる。
それを教えてくれたのは彼女が愛している夫と愛娘だった。
「うん、やっぱり笑顔が一番似合っているよ」
「そ、そうでしょうか?」
「もちろんだよ。な?」
愛娘にも同意を求めると、
「うん。ははさまのわらっているのだいすき」
と自分のことのように笑顔で答える。
二人からの言葉に女は再び涙が零れ落ちていく。
「私は……本当に幸せ者ですね」
「まだまだ。これからだってもっと幸せになってもらわないとこっちが困るよ」
彼女の悲しみを誰よりも知っている男だからこそ、彼女にはもっと幸せになって欲しいといつも願っている。
これからも続く未来、三人で進んでいく幸せな時間。
「そうですね。もっと幸せになりたいです。だからいつまでも一緒にいてくださいね」
「いるよ。いつまでもね」
そう言って二人はゆっくりとお互いの顔を近づけさせていく。
もう少しで触れようかとした時、
「ははさま、ととさま」
「「えっ?」」
愛娘をそっちのけにしていた二人は慌てて下を見ると、可愛らしく頬っぺたを膨らませている姿があった。
「ととさま、きょうはははさまのひだから、めっ」
「あ、ああ、そうだな。うんうん、その通りだ」
「そ、そうでしたね」
顔を真っ赤にする愛し合っている者達。
可愛らしく抗議する愛娘に笑い声が広がっていく。
「それじゃあ、今日はははさまにサービスだな」
「さーびすさーびす♪」
意味はわからなくとも母親のために何かするのだと思ってか、嬉しそうに身体を揺らす女の子。
「それではお言葉に甘えさせてもらいますね」
「「おう(うん)」」
そして男と女の子はお互いの顔を見合わせて頷きあいこう言った。
「「ははさまのひ、おめでとう」」
妻となり母となったその人は心からの幸せを笑顔にのせて応えた。
(あとがき)
え~お久しぶりです。
とりあえずこの二週間、人生最悪の日々を送っております。(現在進行形なのが悲しいところです)
携帯電話は落とすわ、原稿の入ったメモリーは落とすわ、回るお寿司屋さんで15皿(コレまでの最高記録40皿)が限界になってしまったとか、両親と冷戦状態とまさに波乱万丈です。
というわけで本編は次回ということでお願いします。
母の日も一日遅れなのでどうかと思ったのですが、とりあえず更新ということでお目こぼしを。
それでは次回もよろしくお願いいたします。
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二週間ぶりです!
というわけで本編はもう少し待っていてください!
とりあえず母の日ということで番外をお送りいたします。
最後まで読んでいただければ幸いです。