書き付けた紙を蝋で封印して、誰かを示す印で判を押す。オレはこの印を名前の由来であり、諏訪大社の末裔を自認するうちの親を立てて、武田の四つ割菱、武田菱にしてもらった。ついでに旗印もこれで作ってくれるらしい。……やっぱり戦とかには狩り出されるんだろうね。オレも一応は天の御遣いとして祭り上げられている身だし。
「悪いけどこれを、――へお願いするね。中身は見てもたぶん送り先でしかわからないと思うから、中身改めしてもらってもかまわないよ」
封印した手紙を侍女さんに渡し、商人の伝を使って相手方に送る。現代と違って本当に着くのか、そしていつ着くのかわからないけれど、こういった方法しかないのが現状だ。これが国同士の正式な書簡なら兵を使って送り届けられるけど、これはいたって私的なものだから使うことはできない。
侍女さんは恭しくオレから手紙を受け取り、部屋を出て行った。これから彼女の知り合いの商人に頼みに行ってくれるそうだ。何もできないオレだけどいつも親切にしてくれるし、世話をしてくれるしで感謝の念が絶えない。
「諏訪!入るぞ」
侍女さんが出て行ってすぐに伯珪さんが部屋に入ってきた。その姿に一瞬驚いてしまう。なぜなら鎧を身に纏い、剣を腰に佩いてと完全に戦装束を身に纏っていたからだ。
「ここから南にある邑が賊に襲われると知らせがあった」
ここはやはり平和な日本ではないのだな。というのがこの言葉を聞いたときに思った感想。暴力が、死が身近にある時代なんだと改めて思う。
「襲われる邑については間に合うかは五分だ。しかし、賊討伐自体はそう被害を出すことなく終わらせることができる」
淡々と事実だけを述べる伯珪さん。握り締めている拳にうちに秘めた悔しさがにじみ出ている。この国について聞いたとき、悔しそうにしていたのが思い出される。
「今、子龍と越に出陣の準備をさせている。そして越にはすぐに先触れとして出発してもらう」
先触れ云々は必要とはいえ、ここまで急に出陣させる必要はないはず。三人の少しでも民を救いたいという思いが溢れている。
“貴方は自分の立場をよく考えて行動してください”
オレの立場、天の御遣いとしている今のオレの立場はこの場合どうするべきか?
「諏訪。お前はこの城に残り、民たちへ撫民を施してくれ」
伯珪さんの言葉も理解できる。オレが戦場で役に立つとは思えない。だから城に残って警備や政をしっかりとこなし、この城の民を安心させてやることはとても重要で大事な役目だと思う。
「伯珪さん、オレも連れて行ってくれ。何ができるかわからないけど、ここは行かないといけないと思うんだ」
でもここは天の御遣いとして、諏訪晴信としてこの世界を知るためにも行かないといけないと思う。
「諏訪、これから向かうのは命のやり取りをする戦場だ。今のお前ははっきり言って役立たずの足手まといだ」
はっきりと言ってくれるよ、伯珪さん。確かに弓は多少使えるけどそれは競技としての弓だ。戦場で使えるようなものではないと思う。
「それでもオレは天の御遣いとしてここにいる。その名前だけでも役に立たないかな?」
そうこの時代なら兵士の士気向上にこういった名は有効のはずだ。現に伯珪さん、言葉に詰まってるし。もう一押しで伯珪さんを言いくるめられそうだ。
「しかし、戦場は何が起こるかわからない。だから……」
伯珪さんが言いよどみながらも、オレの参戦を拒否しようとした言葉をさえぎるように勢いよくオレの部屋の扉が開く。
「従姉様、先触れの出陣準備整いました。御言葉をお願いします」
出陣の準備が整い、いつまでもオレの部屋から戻ってこない伯珪さんを呼びに越ちゃんが来たらしい。彼女と合わせて反対されたら、確実に詰むな。
「ん、わかった。すぐに行く。諏訪、今回は諦めろ。いつか出陣してもらうそのときが来るからさ」
そう言って伯珪さんは部屋を出て行こうとするのを、オレはその手をつかんで引き止める。
「そのいつかが致命的な時になる前に、オレはこの世界を知らないといけないと思う。そして自分に何ができるのかわからないといけない……と思う」
ありったけの想いをこめて言葉にする。最後の方は少し尻すぼみになってしまったが、できる限りを詰め込めたと思う。
伯珪さんは独力でオレの説得を諦めたのか、越ちゃんに視線を送って援護を求めている。
越ちゃんはオレの瞳をジッと見つめ、すぐに伯珪さんに視線を移した。
「従姉様、時間がありません。お早く城門までお越しください。……諏訪!何をぼさっとしているんですか!本隊の出陣が貴方のせいで遅くなれば、責を問うてこの私が直々にその首落としてあげます」
伯珪さんを城門へ促すとともに、越ちゃんは判決をジッと待っていたオレを怒鳴りつけた。オレは弾かれたように動き出し、賊討伐に出れるよう荷物を纏め始める。伯珪さんは動き始めたオレと怒鳴った後さっさと城門へと向かってしまった越ちゃんを見て、“ハァ”とため息をついただけで、城門へと越ちゃんを追って歩いていった。
「主様、先触れの越将軍より伝令。劉玄徳を名乗るものが協力を申し出ているようで、その者たちをこちらに向かわせているそうです」
出陣から三日目。もうすぐ件の邑に着くところでそんな伝令が現れた。劉玄徳、蜀の大徳として三国志を彩る英雄の一人。この時期はまだ名を売り出す前だからそんなに知っている人はいないんだろうな。者たちってことは他に関雲長や張益徳が一緒にいるんだろうか。そして……あの三人も女性なのかなぁ、この世界だと……。
「何?桃香がここにいる!?なんでこんなところにいるんだ!」
伯珪さんの言葉で劉備が女性と判明。真名だろうけど桃香なんてつけられるのは女性だけだよね、きっと。つくづく異世界だと感じるな、これって。
「うぅむ……どうしよう……」
あれ?真名を預かっているくらいだから結構な仲だよな?それで劉備の参戦を悩むってどういうことだろうか?結構三国志の劉備は裏切りをしたりもするから、そこらへんの強かさを心配しているのかな?
「怪我するからと断っても、あの頑固者のことだから付いていくと言い張るだろうし……」
心配が違うほうなのか?劉備がじゃなくて劉備をなの?しかも怪我するからって三国武将になんて心配の仕方だよ。
「なぁ伯珪さん。その劉玄徳って人もオレと一緒に行動するように言えばいいんじゃないか?オレだって戦いに役に立つとはいえない人間なんだし」
自分で言ってて悲しくなるけど、事実だから仕方がない。それに怪我を心配するような人をこのままここに置いて行ってしまうことも伯珪さんは選べないだろうし、選択の道を作るのも一宿一飯の恩返しのひとつだろう。
「あぁ……うん、そうだな。危ないところに行かないようしっかり見張っててくれ、諏訪」
おいおい、どんだけ危なっかしい娘なんだよ。オレに見張りを頼むなんてよっぽどじゃないか?本当に蜀の大徳になるような人物なのかよ……。
先ほどの伝令とさほど変わりない速度でこちらに向かっていたようで、劉玄徳一行はこの会話の間にこちらについたようで、到着の知らせが入った。
行軍を一時止め、出迎えた三人はやっぱり全員女性だった。
長い桃色の髪でお団子を二つ作った柔らかい微笑をたたえる女性を先頭に、右に艶やかで長い黒髪をポニーテールにした女性、左に元気いっぱいな感じの赤毛のショートカットの女の子がオレたちの前にやってきた。
「白蓮ちゃん!お願い!私たちもこの討伐に連れてって!」
桃色の髪の女性が駆け寄って、伯珪さんに掴み掛かる。一時、周りの兵士たちがいきり立つが素早く伯珪さんが手で行動を制し、その場を収めた。
「桃香、落ち着け!桃香の気持ちもわかるが、軍を指揮するものとして参軍は認めたくない」
あれ?さっき認めるみたいなこと言っていたよな?どうするんだろう。
「でもでも、困っている人がいるのに何もできないのはいやだよ、白蓮ちゃん!それにそれにね!愛紗ちゃんに鈴々ちゃんはとっても強いから力になれると思うの!」
桃色の髪の女性……伯珪さんが桃香と呼んでいたからこの人が劉備だろう……は難色を示す伯珪さんを説得しようと一生懸命自分たちを、というより後ろの二人を売り込んでいる。正確にはわからないけど、劉備さんが愛紗ちゃんと呼んでいるきれいな黒髪の人が関雲長だろう。史実では美髯公なんていわれていた人が女性になったんだ、たぶん合っているだろう。そして鈴々と呼ばれた女の子が張益徳なんだろうな。
「知らない人間をいきなり参軍させても力は発揮できないだろ?桃香、聞き分けてくれ」
「良いではないですか、伯珪殿。見れば、少なくとも後ろの二人はかなりの強者ですぞ」
やっぱり渋る伯珪さんを今度は子龍さんが説得にかかる。ふむ、一度断るというかそういった様式美なのか?この状況でもそういったことをしないと義理に反するのだろうか?でも、伯珪さんのことだからぎりぎりになってやっぱり劉備さんに怪我してほしくないって思ったんだろうな。
「関雲長に張益徳の二人なら一騎当千の強者だと思うよ。少なくとも伯珪さんが心配するようなことにはならないと思う」
「子龍に諏訪まで……」
名乗っていない名前をオレに言われて、劉備さんたち三人はかなり驚いたようだ。一人“鈴々は張翼徳で益徳じゃないのだー”とか言っていたがそれは無視しておこう。
「先ほど先触れから伝令が参りましてな、邑は間に合いませなんだ。そこに兵を置くとなれば、この二人が加わっても損はありますまい?」
冷静に報告する子龍さん。伯珪さんはその報告はある程度予測済みだったのだろう軽く頷くだけだったが、劉備さんたち三人は衝撃を受けたようだ。顔色に今までよりも焦りの色が出ている。張翼徳など今にも走り出しそうだし、関雲長はきつく唇をかみ締めている。劉備さんは瞳に涙をためてジッと伯珪さんを見ている。
「ハァ……仕方がないな」
「じゃあ!」
ため息とともに言った伯珪さんの言葉に劉備さんは喜色を浮かべる。
「だけど桃香はダメだ。参軍は認められない」
それをすぐに伯珪さんが釘をさす。
「今の桃香は無力だ。勇を振るう武もなければ率いるべき兵もいない。そんな人間を連れて行ったところで足手まといでしかない。だから桃香はそこにいる諏訪と行動をともにし、我らの戦いを見守ってくれ」
伯珪さんの言葉にショックを受けたように目を見開く劉備さん。でもよく聞いてみれば伯珪さんのやさしさ出てるよな。はじめから“参軍は”認められないと言っていて“従軍は”認めようとしていたんだから。
「桃香様……」
関雲長が劉備さんを心配して声をかける。
「大丈夫だよ、愛紗ちゃん。白蓮ちゃんが言ってることは正しいし、それについて行っちゃダメとは言われてないもん」
やっぱり真名を預けあっている仲だね、伯珪さんの思いがちゃんと劉備さんに伝わっているかも知れないな。
「だから愛紗ちゃん、鈴々ちゃん。私の分まで……お願い!」
「桃香様、頭を上げてください!」
「お姉ちゃん。鈴々たちに任せておけば大丈夫なのだ!」
励ましあう三人の仲の良さと信頼がとても強いものだと感じた瞬間だった。
オレが生きている中で“凄惨”と言う言葉が似合う情景を見たのはこれが初めてだろう。テレビの中で戦争の情景を映し出し、死を見ることができてもそれは対岸の火事でしかなく、確かに凄惨な情景なのだろうがオレ自身が直接見たわけではないので、ここまで自分の感情を抑えるのが難しくなることはなかった。
壊された城壁、焼け焦げた家、潰れた店舗、それぞれがこの凄惨な情景を作り出してはいるが、一番オレが衝撃を受けたのは、切り殺された死体、焼け焦げた死体、踏み潰された死体、死体死体死体、死体の山だった。
伯珪さんが、越ちゃんが、子龍さんがそれぞれ兵たちに指示をだし、消火活動、救助活動、救命活動をしているが、オレにはそんなことを考える余裕すらなかった。
焦げ臭い木の臭いの中に感じる人の焼けた臭いに、胃の中のものが逆流してくる。
これが現実に起きていることなのかわからなくなる。
見えている光景に現実感が乏しくなり、視野が乏しくなるのがわかった。
ふらふらと廃墟となった街を歩き、耐え切れなくなった胃の中のものをそこいらに撒き散らす。
きっと今のオレを見た人は天の御遣いに幻滅するだろうな。
「なっさけねぇなぁ、オレ……」
まだ胸がムカムカとしているが、胃液だけでも吐いて幾分すっきりした。
平和な日本で生活していたら、こんな光景と縁なんて一生なかっただろうな。でもすでにここは平和な日本じゃない。慣れないといけないと思うものの慣れたくなんてないとも思う。
「情けないのはこの光景を生み出した賊の方です。貴方がいたところではこんなことは起きたことがないのでしょう?私とて初めてのときは吐きもしましたし、震えもしました」
背中から聞こえてきた声にハッとなる。
「もうすぐ軍議が始まります。顔でも洗ってから来てください」
声の主、越ちゃんはそのままオレに顔を見せることなく立ち去ってくれた。正直結構情けない顔になっていたから彼女のこの気遣いはうれしい。
あれだけこの情景に参っていたはずなのに、自然と口元に笑みが浮かんだ。
顔を洗い、身だしなみを整え参加した軍議は、当たり前のように賊を追撃、殲滅する流れになった。また劉備さんの参戦にひと悶着あったが、今度は従軍も許されなかった。もちろんオレも従軍させてもらえず、この邑の復興に力を注ぐよう言われる始末。やっぱりフラフラと歩いていたところを結構見られていたんだろうな。伯珪さんたちの目に心配の色見えるし。
伯珪さんたちは軍議終了とともに賊追撃に出発し、オレと劉備さん二人はそれを見送った。
この時、オレは気がつくことができなかったが、近くの丘陵から一人の男がこの場を見ていたらしい。
「不確定要素が入っただけでこの違いがでますか……さてはて……左慈も余計な事をしてくれたものです」
そうつぶやいた後、煙のように男は消えていったそうだ。
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双天第五話です。
原作の劉備登場時の白蓮の評価が私はおかしいと思うので、原作からではなく、コミック版のほうで行きました。
コミック版のこのときの白蓮はすごくいい人……太守としてちゃんとその人を見抜き、できる限りの応援をする。ホンマニエエヒトヤ。
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