【第六章 終党】
「あー……しんど」
「沙和、もう疲れたのー……」
「二人とも! 隊長の前でその態度はなんだ!」
「別に構わねえよ。俺もいい加減、うんざりしてるしな」
大した舗装もされていない森の中の道を、旭日は凪、真桜、沙和の三人と共に周囲を警戒しながら歩いていた。
隊長、とは旭日のことだ。黄巾党討伐の際には彼女たちと組まされることが多く、どうせならと華琳が旭日の部下に付けた。何がどうせならなのかさっぱりわからないし、客将にもなっていない自分が部下を持つのはおかしいと最初は断ったものの……「あら、好きに使えと言ったのは貴方でしょう?」と半ば強制的に了承させられたのは記憶に新しい。
「三国志の序章みたいな扱いだから、もっと早く終わると思ってたんだが……長い馬鹿騒ぎだぜ、ったく」
旭日がひとまず華琳の下に身を落ちつけてから、どれくらいが経っただろうか。黄巾党を討伐しては別の場所に現れた黄巾党を討伐して――まるでいたちごっこのようなそれを繰り返す日々が続いている。
今もまた、終わりの見えない戦いのループを一刻も早く終わらせる為、情報収集をしている最中だ。
「まあ、あの華琳がいつまでもこんな馬鹿騒ぎを許すはずがねえ。しんどいのも疲れるのもわかるが、もう少しだけ頑張ってくれ」
「頑張れ言うてもなぁ……あ、そういや大将がなんや企んどったようやけど、結局あれってなんなんやろ?」
「沙和に聞かれたってわかんないのー」
「……私も知略の方面は無理だ。隊長はわかりますか?」
「なんとなくは、な。ただ、それが成すには最後の一手が足りねえ」
華琳の言っていたあちらとこちらの決定的な違い――それは集団としての質の差異。指揮されることが前提にある統率のとれた軍と違い、黄巾党は無秩序に肥大化し肥大化させられた指揮系統も統率もずさんな最悪の集団だ。増えれば増えた分だけ動きが鈍くなるし、付け焼き刃の統率ではどこかで必ず綻びが出る。華琳が待っているのはまさにその綻びだろう。
問題は、綻びがいつ出るかだ。
こうしている間にも黄巾党による被害はどんどんと拡大している。綻びが出てくるまで呑気に待ってはいられない、けれど最善の策はこれ以外にないのも事実。
きっかけがほしい。
この馬鹿げた騒ぎを鎮める駄目押しが。
この馬鹿げた悲劇を壊す最後の一手が。
「頭も使い始めた。十分に肥えもした。素人が調子に乗るとしたらそろそろなんだが………………ん?」
そこで旭日はぴたりと足を止め、木々が生い茂る森へ剣呑な眼差しを向けた。
真桜も沙和も、凪さえも気付いていないが――これは、間違いない。
「隊長?」
「……なあ。凪って氣弾が撃てたよな?」
「氣弾ですか? はい、確かに撃てますけど、それが何か……」
無言で目を向けていたほうを指差してやれば、意図に気付いたのだろう、こくりと凪は頷いて手に氣を凝縮していく。
「へ? ちょ、なっ凪?」
「なな凪ちゃん、どっどうしたのっ!?」
「はああぁぁぁぁああああああ―――――っ!」
撃ち放たれた氣弾が木々を吹き飛ばし、そこに潜んだ頭に黄色い布を巻いた男たちもまとめて吹き飛ばす。……おそるべき中国四千年の歴史。
「まっまま真面目にするからそない……って、へ?」
「ちゃんと頑張ってお仕事するから……って、え?」
「真桜、沙和っ、周囲を警戒してくれ! まだ敵の部隊がいるかもしれない!」
「……いや、その必要はねえよ。よっぽど気配を殺すのが上手い奴がいない限り、ここにいるのは俺たちと哀れな馬鹿共だけだ」
言って旭日はぷすぷすと煙を上げて気絶している男たちに近寄り、お目当てのものがないか懐をくまなく探る。
そして――かさりと。
手に触れたのは一つの巻物。
そこに書かれていたのは――最後の一手。
「大手柄だぜ、凪」
「え?」
きっかけがほしかった。
この馬鹿げた騒ぎを鎮める駄目押しが。
この馬鹿げた悲劇を壊す最後の一手が。
「敵さんのラブレターだ。それも本陣の場所が記された、な」
目の前に広がるのは黄色の雲霞。
ただただ無法に、ただただ無秩序に集った、黄天を掲げし者共の塊。
瞳に強く破壊の覚悟を灯してその光景を睨みつけ、旭日はぐっと握り締めた手に力を込める。
黄巾党の密書を入手してからの華琳の行動は早かった。偵察部隊を出して物資の輸送経路と照らし合わせて確証をとり、すぐさま軍を動かした。そんな迅速な行動のおかげで、こうして今まで影も掴めなかった黄巾党の本陣と対峙できている。
「ようやく、だな」
「そうね……ようやくこの馬鹿げた乱に終止符が打てるわ。桂花、報告を」
「はっ。斥候を放ったところ、張三姉妹の姿が確認できました。前方の陣が黄巾党の本陣で間違いないようです。敵の総数は――およそ二十万」
「二十万だと!? 我が軍の十倍はあるじゃないか!」
「ああもうっ、ただでさえ馬鹿なんだから最後まで黙って聞きなさいよ。総数は二十万だけど、武器も食料もまるで足りてないし、さっきもどこかの敗残兵が合流してた。戦えるのは三万程度でしょうね」
「……ろくな装備もないのに数を増やすのかよ。悪食にもほどがあるぜ」
皮肉に笑って言う旭日を一睨みした後、桂花は更に続ける。
「また内輪同士の小競り合いがあちこちで起こっており、一枚岩ですらないようです。……指揮系統もひどい有様でした。華琳さま、ここは火計を用いて陣を混乱させ、その隙を突けばこちらの勝利は確実です」
「……ふむ。火計、ね」
しかし、華琳はそれの決断を下そうとはしない。
即断即決の彼女にしては、とても珍しい。
「悪くはないけれど、非戦闘員を消火に専念させられたらあまり期待できないわ。いくら野盗と変わらない相手であってもあれだけの数よ、攻めの速さが鈍れば張三姉妹に逃げられるかもしれない。何か火計に重ねるものは?」
「挟撃か横撃を仕掛けたくはありますが……あの陣の置き方では」
忌々しいとばかりに零す桂花。
確かにあれは忌々しいことこの上ないだろう。
黄巾党は後方が高い崖に囲まれた、なんとも攻めにくい場所に押し込むような形で陣を構えている。背後からの奇襲は崖に阻まれてまず不可能、挟撃も横撃も満足にできやしない。仮に仕掛けたとしても、後方を気にしなくていい以上、十分に対応できるはずだ。
「(攻めにくく守りやすい陣ね……誰が指揮したか知らねえが、嫌らしくも冴えたやり口だ)」
「……ひ…………さひ」
「(ん? だけどこれ、どっかであった状況のような――)」
「――旭日! 聞いているの!?」
「うおっ、な、なんだよ華琳」
思考を吹き飛ばしてがつんと突き刺さった大声に、思わず旭日は身体を仰け反らせる。
「頼むから耳元でがなるな。お前の声、歌みたいによく響いて痛いんだよ」
「返事をしない貴方が悪いんでしょうっ。全く……天の知識に有効な策はないかと、そう訊いていたのだけど?」
「……俺は青い猫型ロボットでもなければ黄色い蛙型宇宙人でもないんだが」
「またわけのわからないことを……」
ああ、ネタが通じないのはこうも虚しいのか。
今更になってカルチャーショックを感じてしまうが、感じている場合じゃないと沈みかけた気持ちを持ち上げ、敵の本陣――いや、その背後に控える崖に目を固定する。
「しっかし崖、か…………崖?」
遠くからの目測になるので正確には判断できないけれど、それでも崖は急な傾斜ではあるが絶壁と言うほどではない。てっぺんから転がり落ちても、運が良かったら重体で済むだろう。歩兵でなく騎兵の場合、馬を身代わりにすれば軽傷で済むかもしれない。
思い浮かんだのは――思い出したのは日本でも有名な、断崖絶壁が舞台の大戦。
無謀ではある。
だが賭ける価値もある。
「……秋蘭、騎馬が得意な兵はどのくらいだ?」
「騎馬が得意な兵? 西涼ほどの練度を期待されても困るが……そうだな、百四十が精々だろう」
「百四十。そいつは重畳だ。じゃあ、桂花」
「何よ」
「あの崖の裏側には、馬を使って回り込めるか?」
「はあ? そりゃできなくはないけど――っ、ちょっとあんた、何を考えてるの!?」
「お前が考えてる通りのことさ。ちょいと先人の知恵を借りようと思ってな」
最後の大きな問題は残っているが――それは自分を上手く扱えばどうにでもなる。
ニヒルな笑顔で飾り立て、旭日は一つの歴史を語り出す。
先人の名は源義経。
借りるのは逆落とし。
今ここに、大陸を越え時代を越えて――かの有名な、一ノ谷の戦いが再現されようとしていた。
下に敵の本陣が控えた、高くそびえる崖の頂上。
ぶるりと震えるのは緊張ゆえか、武者震いか、あるいはその両方か。
「ふえー……た、高いのー」
「ほんまにここを下るんか……」
「今の今まで律儀にやってきたんだ。最後の舞台を無謀に賭けて無茶に駆けるのも、悪くはねえさ」
楽しげな笑い声が風に乗り、耳を打つ。
どうすればこんな状況で笑えるのか、凪には理解できない。
これから自分たちは、本隊が敵陣へ火矢を射かけるのを合図に無謀無茶も甚だしく崖を駆け下り、黄巾党に奇襲を仕掛ける。内輪も指揮系統も太りすぎてバラバラなのだ、火矢だけでも混乱は確実だが、そこに予想外の奇襲があれば混乱は混沌と化すだろう。
けれど、しかし――果たして駆け下れるのか?
この崖を。
奈落に続いているかのごとき、この懸崖を。
「……隊長は怖くないのですか?」
「ん? 怖いって、何がだ?」
「ここを駆け下ることが、です」
「おいおい、言い出しっぺの俺が怖がってたまるかよ」
振り向いた彼の表情は晴れやかで、どこにも恐怖の色は窺えなかった。あの勇猛な春蘭でさえ策を聞いた時には言葉を失っていたのに、崖の頂の上で何故こうも晴れやかにいれるのだろう。凪には理解できない。
「まあ、確かに無茶苦茶ではあるけどな、そこまで難しいことでもねえぜ。馬に逆らわず任せときゃ万が一にしか死んだりしねえって」
「そうかもしれませんが……」
「それに俺はもう、恐怖がどんなものなのか味わったからな。あの恐怖に比べたら――あの絶望に比べたら、崖を下ることなんざずっとマシだ」
きしり――と、凪の胸の奥が痛々しい音を立てる。
真桜も、沙和も、自分も彼から目を逸らすことができない。
旭日は笑っているのに、泣いているみたいで、見えない涙を零しているみたいで。ひどく、ひどく寂しそうで。とても、とても哀しそうだった。
「……つまんねえ話はやめようぜ。兵の様子はどうだ?」
「へっ? あ、えーっと……作戦はわかってるぽいけど、みんな不安がってるの」
「誰もやってないことやし、そりゃ不安に感じても当然やろなぁ……」
「《日天の御遣い》――隊長がおられるので致命的にこそなっていませんが、やはり士気は芳しくありませんね」
何せこの高き懸崖を駆け下るのだ。兵たちの士気が低いのも無理はない。
しかし旭日はこともなげに「致命的じゃないなら大丈夫だ」と返す。
「士気は酔いと同じだ。弱い酒でも飲ませ続けたらいつかは酔うし――強い酒を一気に飲ませたらすぐさま酔いが回ってくれる」
「……隊長、意味がようわからんのやけど」
「価値ある威光は活用するべきってことさ………………っと、火の手があがったな」
黄巾党の本陣に鮮やかな赤色がちらついたのを確認し、ひらりと馬に飛び乗る旭日。
「今から俺たちはここを駆け下って敵に奇襲を仕掛ける! 無謀も無茶も大概な真似だが、下手に手綱をとろうとせず、馬に任せときゃ死にはしねえ! ……それでも、この崖を下るのは怖いだろうさ。だがな、いい加減に馬鹿騒ぎは終わらせなきゃいけねえんだよ。守る為に、大切な何かを守る為に、大切な誰かの大切な何かを守る為に、ふざけた戦の日々はぶち壊さなきゃいけねえんだよ」
そして、旭日は。
日色に輝く刀を抜き放って――日天の御遣いは。
「怖がるな! 怯えるな! そんなものはお前らにゃ似合わねえし、背負わせたりもしねえ! 怖さも怯えも何もかも、《日天の御遣い》が請け負ってやる――――――ぜっ!」
一切の躊躇もなく――懸崖へ躍り出た。
「ちょ、隊長っ!?」
「(隊長自ら先陣を切るなんて何を……まさか!?)」
強い酒を一気に飲ませたら即効で酔いが回る。
価値ある威光は活用するべき。
それはつまり、天の威光を有する日天の御遣いが先陣を切ることで兵の不安を掻き消し、士気を向上させると――そういうことなのか?
慌てて凪は兵たちを見る。あれだけ不安を露わにしていた顔は、今や旭日に対する畏敬で満ち満ちていた。
「これならっ――真桜、沙和っ!」
「わかっとる!」
「こっちも大丈夫なの!」
「よし! いいか、我らには日天の加護がついている! たかだか崖ごときに臆する必要など、ありはしない! 総員、隊長に続けぇぇぇぇっ!」
『っお、おおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお――――――――――っ!』
真桜と沙和の二人と共に崖へ馬を駆けさせ、百四十の喊声が空気を揺るがせながら後に続く。
もう――恐怖はない。
先頭を駆ける橙色の背中を追うように、黄天の世の終わりが、幕を開けた。
「あちこちで火の手が――!」
「こっ後方の崖より騎兵が駆け下って奇襲を――!」
「どう指示を出せば――!」
「……もう、いいわ。下がりなさい」
矢継ぎ早に状況の報告をする兵たちを天幕から退かせ、人和は静かに目を伏せる。
とうとう終わりがきたのだ。
追われる日々も、無為に血を流させてしまったこれまでの道も、黄巾党も、そして自分たちの旅も。
「れ、人和ちゃん……今のうちに逃げようよぅ」
「そっそうよ! 敵がくる前に逃げなきゃ……!」
「無理、逃げれないわ。敵の攻めが予想以上にずっと速くて、過激だった」
もしも敵の策が火計だけだったなら、二人の姉の訴えに従って逃げれただろう。
だけど、もう何もかもが遅い。
逃げる時間を稼ぐ為に陣を崖の前に敷いたのに、そこを駆け下って奇襲をかけてくるなんて……想定外にもほどがある。時間はまるで稼げず、陣内は右も左もわからないくらいの大混乱に陥った。あとはただ、大した抵抗もできずに討伐されていくのみ。そんな戦火と戦禍の支配の中、非力な自分たちが逃げ切れるわけがない。火に呑まれるか、討たれるか、自軍の兵の我が身可愛さに敵陣へと突き出されるか、残された道はその程度だ。
天が、言っているのかもしれない。
許すものかと。
許されるものかと。
黄天ではない――真の天が。
「(自業自得……ううん、因果応報かな)」
天和も地和も人和もこんな状況を望んだことは一度だってなかった。ただ旅をして、大陸を巡って、沢山の人に歌を聴かせたくて。全ては、暴走した者たちが勝手に好き勝手やったがゆえのこと。
歌えればそれでよかった。
でも――人を幸せにするはずの歌は、いつの間にか人を悲しませてばかりになっていた。
「……天和姉さんとちぃ姉さんは逃げて」
「え? 人和ちゃんがさっき逃げれないって……」
「大丈夫。相手の狙いは黄巾党の首領の張角、張宝、張梁だから、三人で逃げるのはできないけど、二人ならまだ可能性があるわ」
「待ちなさいよ! 姉さんとちぃはって、人和はどうするのっ!?」
「私は……誰かが、責任とらなくちゃいけないから」
望んだわけじゃない。止めようともしたし、抑えようともした。自分たちが責められるようなことは何もない。しかし、きっかけが自分たちである以上、責任はとらなければならない。
止められなかった責任を。
抑えられなかった責任を。
悲劇を生んだ――責任を。
「首領が一人も討てなかったら示しがつかない。戦いはこれからも続く。……逆に言えば、首領の一人を討てたらそこでお終いになるの」
とうとう終わりがきたのだ。
追われる日々も、無為に血を流させてしまったこれまでの道も、黄巾党も、そして自分たちの旅も。
何もかもが終わる。
終わらなきゃいけない。
けれど、終わらせたくないものも――ある。
「人和ちゃん!」
「人和っ!」
「敵はすぐにでもここにくるわ。天和姉さんもちぃ姉さんも早く逃げ――」
「――悪いが、逃がすわけにはいかねえな」
瞬間。
天幕を切り裂き――現れたのは一人の男。
朝焼け色に染まった髪と瞳。
夕焼け色にきらきら輝く服。
ところどころ土に汚れていても尚、眩しさが微塵も曇らない、まるで日の化身のような男だった。
「ん? 嬢ちゃんたちは確かあの時の……ああいや、そうか、そういうことか。だったら辻褄も合うな。成程ね、嬢ちゃんたちが」
人和たちの顔を見て、うんうんと彼は頷く。
「久しぶりだな、嬢ちゃんたち。そしてはじめまして、張角に張宝に張梁の張三姉妹ちゃん? 俺は素敵に無敵な請負人――九曜旭日だ」
「……崖を真っ先に駆け下ってきた橙色の男は、貴方?」
彼の言葉を無視する形で人和は問い返す。
出来る限り冷静に、平静を装って。
正体は十中八九ばれているのだろうが――ここは何も知らない振りを貫き、白を切り通さなければならない。白を切って、黒であることを確定されないようにしなければならない。
ほんの僅かでも、助かる可能性を残す為に。
繰り返し、人和はその場しのぎの問いを投げる。
「答えて。貴方が橙色の男なの?」
「橙色の男の人……あーっ、お姉ちゃん知ってるよ。地面に着いた途端に転んじゃった人だよね?」
「あ、ちぃも知ってる。先頭を駆けてたくせに派手にすっ転んだ馬鹿で間抜けな男がいたって」
「……人の失態を本人の前で言うなよ。かなり恥ずかしかったんだぞ、あれ」
空気を読まない天和と地和の痛い指摘に「はぁ……黙ってりゃわからずじまいだったのに」と肩を落とす彼。
「仕方ねえんだよ。俺はどうも根っからの主人公体質みたいでな、王道のオチには逆らえないようにできちまってるんだ。おかげで身体中ボロボロだが……まあ、それでも嬢ちゃんたちを逃がすヘマは、してやれねえぜ?」
にやりと彼は皮肉に笑って、一歩こちらへ近付く。
「その場しのぎに興じてやるのはここまでだ。黄巾党が首領、張三姉妹」
「……私達をどうするつもり?」
「さあな。俺の仕事は嬢ちゃんたちを捕えるまで、そこから先は華琳――曹操が決める」
「そう………………」
「女相手に手荒な真似をする趣味はねえ。大人しく付いてきてくれると助か――」
「――貴方、九曜旭日だったわよね」
遮って、言う。
白を切るのはやめたけれど――足掻くことをやめる気はない。
ほんの僅かでも姉を助けられる可能性があるんだったら、それに賭ける。
「どこかの村で噂を聞いたことがある。どんなことでも引き受け、どんなことでも解決してくれる請負人、って」
「……それで?」
「姉さん達を逃がしてほしい。報酬には私の……私の命をあげる」
「人和ちゃんっ!?」
「ちょっと、人和!」
「二人は黙ってて。引き受けてくれないなら兵を呼んで貴方から逃げるわ。すぐに別の場所で捕まるだろうけど、そうすれば貴方の手柄にはならない。手柄を全て失うより、確実に一つ取っていたほうが得、でしょ」
「…………わからねえな」
「別にわかってもらおうなんて思ってない。ただ、私は私より姉さん達が大事なだけ」
「勘違いすんな。そういう意味じゃねえよ」
家族が大事だってことは俺が一番わかってる、と彼は言う。
「俺がわからねえのはな、なんで嬢ちゃんが簡単に死を望むのかってことだ。なんで嬢ちゃんが容易く生を諦めるのかってことだ。懺悔か? 後悔か? 償いか? 贖いか? 自己犠牲か? 自己満足か? だったとしたら――くだらねえぜ」
「なっ………………!」
「懺悔は死ぬことじゃねえだろ。後悔は生きてる間にやりやがれ。償いが死んで成せてたまるか。贖いが嬢ちゃんの命で足りるかよ。自己犠牲なんざくそくらえだ。自己満足なんて馬鹿馬鹿しくて反吐が出る。姉ちゃんが大事? はっ、笑わせてくれるぜ臆病者が。嬢ちゃんは、大層な理由をつけて罪から逃げようとしてるだけじゃねえか」
「あ、貴方に……貴方なんかに何がわかるのよっ!」
「……じゃあ、嬢ちゃんはわかってるのか? 残される家族の悲しさを、寂しさを、嬢ちゃんはわかってて死のうとしてるのか?」
「…………え……?」
はっと振り向けば、二人の姉は――泣いていた。
悲しそうに。
寂しそうに。
違う。
こんな顔を望んだわけじゃない。これからも笑ってほしくて自分は、でも、どうしてこんな――ああ、そうだ。
わかっていたことだ。
自分が死んだら残された姉たちがどう思うのかぐらい、わかりきってたことなのに――それなのに。
「天和姉さん……ちぃ姉さん……」
「……嬢ちゃんは生きてる。泣いてくれる最高の姉もいる。そういや嬢ちゃんたちは歌い手だったよな? なら歌もある。大事なものはまだ何一つ失っちゃいないんだ、諦める必要はどこにもありはしねえさ。それでも生を諦めたいんだったら――俺以上に全てを失ってから、諦めるといい」
こちらに手を差し出し、まるで日のように温かい笑みを彼は浮かべる。
「ほら、付いてこいよ。華琳は俺と違って優しい女の子だ、きっと生きて責任を果たさせてくれるし、もしもの時は――俺が請け負ってやる。家族想いの奴は、大好きだからな」
どうしてだろう。
信じられるものなんてないのに。
差し出された手が、向けられた笑顔が、あまりにも温かくて――
「――わかった。私達は貴方に、投降します」
張三姉妹を傘下に入れ、燃え盛る黄巾党の陣を見つめていた華琳は、旭日がいないことに気付いた。
「ねえ桂花。旭日の姿がないのだけど、どこにいるのか知ってる?」
「九曜……ですか? そういえばいませんね。道理で、空気が澄んでいるはずです」
「(……訊く相手を間違えたわね)」
「あっ、ボク知ってます。兄ちゃんなら、あっちに一人でいましたよ」
季衣が指差したのは戦場から少し離れた、大きな岩がぽつんとある場所だった。
まだ残党がいる可能性があるかもしれないのに、あんなところへ一人で行くなど何を考えているのだろうか。いくらが戦が終わったとはいえ、いくら旭日が強いとはいえ、あまりにも奔放すぎる。
「本当にふらふらと落ち着きのない男ね……わかったわ。教えてくれてありがとう、季衣」
「えへへっ」
「かっ華琳さまぁ」
嬉しそうな季衣の声と悲しそうな桂花の声を背中に受け、華琳は旭日がいるらしい場所に向かう。
答えをまだ、聞いていない。
黄巾党との戦いは終わりを迎えた。
同時に、旭日の協力もひとまずは終わる。
ここから先は――旭日の心次第。
「とは言っても、逃がす気はないのだけど」
あの小さな村の時や、あの焼け果てた街の時にもそう思ったが……あの時はただ、天の御遣いが欲しかった。天の威光を、天の知識を手に入れたかった。九曜旭日という存在も魅力的ではあったものの、あくまで天の御遣いのおまけのようなものだった。
だが、今は違う。
天の御遣いは確かに欲しい。
しかしそれ以上に――それをどうでもいいと思えるほどに、九曜旭日が欲しい。
春蘭に引けをとらないであろう武を誇る彼が。こちらが考えもしない知を扱える彼が。崖を駆け下る無茶な真似を臆さずに行える勇気を持つ彼が。けして揺らぐことのない強い覚悟を宿す彼が。日のように温かく笑う彼が――何よりも欲しい。
「曹孟徳ともあろう者が、一人の男に執着するなんてね…………あら」
大きな岩のある場所に着くと、季衣が言っていた通り旭日はそこにいた。
岩に寄りかかり、おそらくは彼が作ったのだろう足元の焚火をじっと見つめ、まるで祈るように――近寄り難い空気を発して。
「ん……華琳? こんなとこでどうしたんだ?」
「ど、どうしたはこちらの台詞よ。派手に落馬したのだから、安静にしていたほうがいいのではなくて?」
「……その話はやめてくれ。真桜と沙和に散々からかわれたんだぞ」
吐き出された溜め息と共に、霧散する近寄り難い空気。
いつもの旭日に戻ったことに安心した華琳は、彼のすぐ傍まで足を進めた。
「何をしているの?」
「送り火、だよ。死者の魂をあの世に送る火っつうか……黄泉路への道案内みたいなもんだ。あの世なんざあると思っちゃいねえが、万が一あって迷子になられたら困るしな」
「……らしくないわね」
「まあ、な」
ぱちんと、火が踊る。
「少し感傷的になってるのかもしれねえ。俺がいた世界の、俺が暮らしてた国には戦なんてなかった。大抵の人間が戦とは無縁に生まれ、無縁に育ち、無縁に歳を重ね、無縁のまま死んでいく、平穏で平和な時代だった」
「天がそんな世界であれば、貴方が感傷的になっても不思議はないけれど……でも」
戦うことに、殺すことに、旭日は――慣れすぎている。
戦と無縁の平和な世で暮らしていたというのなら――どうして?
「世界は綺麗事だけじゃ成り立たないってことさ。どんな時代でもどんな世界でも、風の吹き溜まりのような昏い日陰がある。俺が望みさえすれば日の当たる道を歩めただろうし、色んな奴にもそう願われたけど……俺は選ばなかった。日の当たらない昏い道を歩くことを、俺は選んだ」
「…………何故?」
「護る、為に」
「護る………………」
「俺の始まりはそれだ。俺の全ては、それに尽きる。俺の為に、俺の大切な者の為に、俺の大切な者を護る為に、九曜旭日は生きると決めた。誰かに言われたわけでも誰の為でもない。俺が俺の意志で、俺の為に、護りたい者を――護りたかったから」
消え入りそうなほど薄く、微かに笑う彼。
「この手が汚れることで護れるのなら、俺はいくらだって汚れてやる。後悔する気も、後戻りする気もねえ。……だけどせめて、後味の悪さくらいは残したい。感傷とか、迷子になったら困るとか、そんなのは誤魔化しなんだ。こういう偽善なことやって後味の悪さを心に刻んでるだけだ。俺の身勝手に巻き込んだ全てを、忘れないように」
ああ――と。
ようやく華琳は本当の旭日に触れた気がした。
旭日はきっと、強くないのだ。
だって彼はこんなにも己の強さを、知らないでいる。
己の強さを知らず、己の弱さばかり知って。
でも、だからこそ――弱さを知っているからこそ旭日は、強くなくても強くあるのだろう。
「……旭日。私に貴方の力を貸して」
「………………」
「覇王として生まれた私は、民を守らなければならない。民を守れる強い国を作らなければならない。だけどその為には、力が必要なの。飢饉にあえがず、盗賊に奪われず、他国の侵略に怯えずにいられる力が」
平和な国を作れる力が。
愚かで、無様で、とても優しい強さの持ち主が。
「私に仕えなくていい。私に従わなくていい。ただ私に力を――《日天の御遣い》の力ではなく、九曜旭日の力を貸してほしい。この大陸を、戦のない平和なものにする為に」
「……買い被られたもんだな、ったく」
そして旭日は言った。
「お前のことはまだ完全に認めちゃいねえが……その願い、確かに請け負った。華琳の作る平和な世ってやつを、見てみたいしな。だから華琳――」
照りつける朝陽のような――明るい笑顔で。
「――俺の護りたい者に、なれ」
かくして、黄天の世は終わり。
日天の物語が――始まった。
【第六章 追悼】………………了
あとがき、っぽいもの
どうも、リバーと名乗る者です。
…………なんというか、かなりご都合主義な章になってしまいました。
特に逆落とし。果たして鐙なしにこうも容易くできるのかわかりませんが……あ、旭日の主人公補正(主人公側に都合のいい展開の進み方)が発動したことにしてくださいっ。お願いします!
ただ、人和の責任云々は自分の勝手な想像になってますけど、あれはあれで正解ではないかとも思っています。沢山の人を巻き込んでいるのに罪を感じていない者が、果たして人を感動させる歌を歌えるのだろうか、という疑問がありましたので。
旭日の過去は……本当に明かしていいのか悩んでいますが、徐々に明かしていく予定です。
次回はまたしても拠点になります。
今後も話の区切りがついたら拠点を挟もうと思っています。ご容赦ください。
では、誤字脱字その他諸々がありましたら、どうか指摘をお願いします。
感想も心よりお待ちしています。
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真・恋姫無双の魏ルートです。 ちなみに我らが一刀君は登場しますが、主人公ではありません。オリキャラが主人公になっています。
今回は第六章。
……旭日の主人公補正には目を瞑ってください。