(傀儡の皇帝)
一刀がこの世界にやってきて一月。
その間は特に変わったこともなく百花と一刀は平穏な日々を送っていた。
ただ、完全に問題がないわけではなかったがその中で一番の問題なのは一刀本人だった。
「まさか一刀が読み書きできないとは思いませんでした」
当たり前のように会話をしていたため読み書きなどできて当然だと思っていただけに百花は笑いを堪えるのに一苦労していた。
「俺も話せるのにどうして読み書きができないのか不思議だよ」
苦笑いを浮かべながら一刀はこの一月で学んだ読み書きを復習していた。
宦官達にこのことは知られていなかったことがせめてもの救いだった。
「でもこの一月で随分と読み書きができるようになったと思います」
「先生がいいからだよ」
笑顔で一刀は目の前に座っている『先生』に答えた。
形式だけの政務の合間を見つけて百花は一刀に丁寧にわかりやすく教えていたため、一刀としてはすぐに吸収することができた。
「私は最低限のことは教えられましたから」
皇帝として生きていくための最低限の勉学。
それがこんな形で活かされるとは思いもしなかったが、彼女としては嬉しいことだった。
「でもこの国に一刀の言う学校というものがあってもいいかもしれませんね」
「そうだろう。そうすれば誰だって勉強できるし、この国のためにもなると思うよ」
「天の国では誰でも勉強ができるのですか?」
「まあね。偉い奴もいればアホな奴もいるけどそれでも平等に勉強ができるさ」
天の国の話を聞くときの百花は真剣そのものだった。
少しでも役に立つことがあれば自分の意見として張譲達に言うつもりでいた。
「一刀のお話はどれも素晴らしいです」
「まぁここと比べたら何もかもが進んでいるからね」
皇帝の賓客だからこそ丁重に扱われ、湯も毎日用意されていた。
張譲達の監視を除けばとりあえず問題はなかった。
「私も天の国に行ってみたいですね」
「きっと驚くよ。それに百花に似合う洋服もたくさんあるし」
「一刀」
「うん?」
「もし天の国に戻ることがあったらその時は私も連れて行っていただけませんか?」
一刀が天に還るときはこの国も新しい時代を迎え平和な世の中になっているはずだと百花は思っていた。
その時には自分という存在が不要であるのであれば一刀についていきたかった。
「まぁ何時戻れるかわからないけどな」
「それでもかまいません。約束、していただけますか?」
そっと右手を持ち上げて小指を伸ばしていく。
指切りをすることが気に入っているのか、何かと約束をするときはいつも自分から小指を伸ばしていた。
「その時は連れて行くよ」
快く受け入れる一刀は自分の小指を彼女の小指に絡ませて指切りをした。
指切りをした百花の表情は宦官達の前では見せることのない柔らかく温かみのあるものだった。
(百花って本当に笑顔が可愛いよな)
彼女の笑顔を見るたびに一刀は惹かれていた。
その度に一刀は何度も「可愛い」と言いそうになったがさすがにそれは自分自身が恥ずかしいと思って声には出さなかった。
美少女という言葉は彼女にはぴったりだと一刀は思った。
そしてそんな百花とこうして毎日を過ごしていることは嬉しいことだった。
それから数日後。
いつもと同じように朝議が開かれ百花は張譲達からの意見を聞いては了承するだけだった。
そして終わりを迎えようとした頃、張譲が百花にあることを提案してきた。
「婚儀?」
「はい」
張譲は彼女に結婚をしてはどうかと言っていた。
「それについては断っているはずですが」
「それはわかっております。しかし、此度は今までとは違う相手です」
「誰ですか?」
「天の御遣い殿でございます」
そう言うと張譲の表情は怪しい笑みを浮かべていた。
玉座に座っている百花の表情があまりにも驚いていたからだった。
「張譲」
「はい?」
「それは何かの冗談ですか?」
「冗談ではございませぬ。この一月、陛下と御遣い殿がいるところを他の者達もよく見かけております。それはそれは仲睦まじいと噂をしております」
他の宦官達も一斉に頷いていた。
それに対して百花は落ち着いてはいられなかった。
唯一の安らげる時間まで彼らによって監視されているのだと気づいたからだった。
「いかがでしょう。陛下がその気でいらっしゃるのであれば、この私が御遣い殿に話をもちかけますが?」
百花は否定したかった。
否定しなければ自分ばかりか一刀にまで危険が及ぶ可能性があったが、受け入れても危険がなくなるわけではなかった。
「陛下」
「……わかりました。ただし強要はしないでください。あの方の意思を無視してまで婚儀などしたくありません」
「心得ております。全ては臣にお任せくだされ」
そう言って張譲は恭しく礼をとって宦官達を率いて玉座の間を出て行った。
「……」
彼らを見送ることもせずただ俯く百花。
一人残された彼女は断れなかった自分の不甲斐なさに唇をかみ締めた。
国の為に頑張ろうとしても張譲を前にすると竦んでしまう。
「はぁ」
ため息を漏らす百花。
自分の意志の弱さを何とかしない限り今の状況が変わることはなかった。
玉座から立ち上がり出て行こうとすると、床に何か黄色い物が落ちていた。
「これは?」
手にとってみるとそれほど上品な布ではなかった。
宦官の誰かが落としたのだろうかとそれほど気にすることもなく袖の中にしまいこんだ。
そして後ろを振り返ると彼女以外誰もいなくなった玉座は不気味なほど静けさを漂わせていた。
(本来ならば私より先には退出することなどありえないことでしょうね)
臣下が先に退出していることをこの王宮以外にいる者達が知れば、どれほどの者が本気になって怒るだろうか。
おそらくほとんどいないだろう。
衰退している国の皇帝など誰も守ってくれるはずはなかった。
「一刀のところに戻りましょう」
監視されていようとも一刀がいてくれることが大きな心の支えになっていた。
自分の部屋に戻っていると前から一刀が歩いてきているを見つけた。
「一刀」
彼の姿を見て思わず駆け出す百花。
一刀も百花に気づいたのか笑顔を向ける。
「どうかしたのか?」
目の前にくるまで駆け足できた百花に何かあったのかと彼女の後ろを見たが誰もいなかった。
百花は張譲がまだ一刀に会っていないことを確認するとホッと一安心した。
「もう朝議は終わったのか?」
「はい。一刀はどうしてここに?」
「部屋で自主勉強していたんだけど、ちょっと休憩にと散歩の途中」
「そうですか。では庭に行きませんか」
百花に勧められ一刀は頷き二人は庭に出ていく。
一刀と並んで歩いていると百花は張譲の言っていた婚儀のことを思い出した。
何の下心もなく純粋に彼女のことを思って婚儀を勧めたのであればそれを快く受け入れることができた。
だが、自分ではなく漢王朝の繁栄とそれを操ることが望みであろう今の張譲からでは受け入れたくはなかった。
「あ、あの、一刀」
「うん?」
「い、いえ、何でもありません」
婚儀のことを断れなかった自分の弱さを一刀が知ったら失望するかもしれない。
そして対等な友達を望んでいたのに、天の御遣いとしての彼を利用していると思われ自分から離れていくかもしれないと思い言い出せなかった。
「そういえばさっき百花の周りをお世話している女官の人から百花と婚儀を結ばないのですかなんて言われたよ」
「えっ?」
「こうして一緒にいるから余計な想像を膨らませているんだろうな。俺は嬉しいかなって思うけど百花は迷惑だろうな」
「そ、そんなことは……」
「うん?」
「いえ、何でもありません」
百花は一刀の言葉に心が弾んでいた。
一刀が嬉しいと言ってくれたことが彼女も嬉しいことだった。
(一刀が喜んでくれている。もし私がそのことを望んでいると言ったら受け入れてくれるのでしょうか)
友達以上のことを望んでも大丈夫なのだろうか。
もし叶ったとしても天が許してくれるだろうか。
そんなことが現実になれば国を疎かにして個人を優先した自分に必ず罰が与えられるかもしれない。
だからこそ今はこのままでいる必要があった。
「もしさ」
「はい」
「もし百花のことが好きで結婚してくれって言ったらどうする?」
一刀にとってそれは半分ほど冗談だった。
百花はそれに答えることなく足を止めた。
「まぁここでお世話になって一月でそんなことを言えば失礼にもほどがあるよな」
軽く笑う一刀だが彼女が隣にいないことに気づいて後ろを振り返った。
そこには顔を下に向けて立ち止まっている百花の姿があった。
「百花?」
声をかけても反応を示さない。
何度か声をかけたがそれでも反応をしなかったため心配になって彼女の前まで戻った。
すると、彼女が突然一刀の腕を掴んできた。
「今日、張譲から貴方との婚儀を勧められました」
「婚儀?」
黙っているはずだった百花だが、失望されることを覚悟して一刀に話した。
そして自分の弱さを吐き出していく。
(私は最低ですね)
張譲の思惑に逆らうこともできず言われるままに頷いてしまった自分。
そんな自分を一刀はどう思うだろうか。
「そっか」
短く一刀は答える。
そこには彼女を批判するようなものは何処にもなかった。
「百花ですらそうやって勧められるんだな。なら俺にも勧めてくるわけだ」
「一刀」
「それにしても出会って一月で結婚ってどんだけスピード婚なんだ?」
一刀は面白おかしく言う。
「まぁあの張譲さんに睨みつけられたら嫌とは言えないよな。俺だってできれば関わりたくないって思っているぐらいだし」
「ごめんなさい……」
「うん?百花は何か俺に謝るようなことでもしたのか?」
婚儀を断れなかったことを聞かされても一刀はいつもと変わらなかった。
それがかえって百花を不安にさせていた。
「君は断ろうとした。でも、睨みつけられてそれができなかった。ただそれだけだろう?」
「で、でも、一刀は迷惑ではないのですか?自分の意志に関係なく勧められる婚儀は嫌でないのですか?」
自分ですらこんな気持ちになっているのだから一刀も同じだと百花は思っていた。
彼はたった一月しかここにいないのにいきなり結婚だと言われて迷惑しているのではないのか。
そんな彼女の思いに気づいているのか、一刀は優しさを含んだ笑顔を見せた。
「そうだな~今はまだ返答に困るね」
「……そうですよね」
「でも、将来なら別にいいかなあっては思っている」
「将来?」
意外な答えを聞いた百花。
一刀は婚儀を勧められることに対して完全なる拒絶はしなかった。
そればかりかこれから先ならば結婚をしたいと望んでいる。
「今はやることがあるんだろう?」
「……はい」
「ならそれを片付けてから結婚とかは考えよう。その方がゆっくりと考えられるからね」
どこまでも彼は百花にとって味方だった。
この一月の間で一刀は彼女のおかげで何とか無事に毎日を過ごせている。
それに対しての恩義もあるが、それ以上に彼女を一人にさせてはいけないと心の中で感じ取っていた。
「張譲さんには俺から断っておくよ。そんなことをする余裕があるならばってね」
「一刀……」
「そんな辛そうな顔なんか似合わないぞ。百花の笑顔を見れば誰だって好きになってくれる。俺が保障するさ」
その笑顔は貴方だけに見せたいと百花は言わなかった。
それは将来、この国が立ち直ってから改めて言うことにしようと百花は心の中にそっとしまいこんだ。
「ありがとうございます、一刀」
「お礼を言われるようなことは何もしてないぞ」
二人はお互いの顔を見た。
そこには笑顔があった。
「そういえばさっきの朝議でこのようなものを拾ったのですが」
「何?」
百花がさっき拾った黄色い布を一刀に見せた。
「これは?」
「宦官の誰かが落としたのでしょう。でも、朝廷にいる者がそのような物を持っているとは思いもつかないのです」
「黄色い布……ねぇ」
一刀は黄色い布を何度も見ていくうちにそれが何を示しているのか思いついた。
「まさか」
「どうしました?」
「いや、俺の勘違いならいいんだけど」
言うべきかどうか一刀は悩んだ。
黄色い布。
この時代が乱世に突入するきっかけになる物だと一刀は『知っていた』。
それは漢王朝にとって致命的な傷を負わせる大きな出来事になる。
「一刀?」
急に黙ってしまった一刀に百花は心配するように声をかける。
「それが何か知っているのですか?」
「う、うん……」
歯切れの悪い返事をする一刀。
もし彼自身が思っている通りだと百花がある意味で危険に晒されることになる。
「百花」
「はい」
「もしこれから何があっても絶対に君を守るから」
黄色い布を強く握り締めて一刀は百花に誓約をしていく。
「命に代えても君を守る。だから君はどんなことが起こっても絶対にそれから視線を逸らさないでくれ」
「どういうことですか?」
「今は言えない。いや、言ったらダメなんだ」
一刀のその言いように百花は彼が何かを知っているのだと思った。
これから何かが起こると。
「約束してくれるかな?」
「できません」
百花は初めて一刀と約束できないと言った。
「百花?」
「命に代えてまで守られたくありません。私と……私と共に生きてください。私がたとえ皇帝でなくなっても生きて傍にいてください。そうして頂けないと約束なんてできません」
王朝が滅んでしまっても一刀がいてくれるのであれば二人で生きていける。
何十年もひっそりと生きていればそのうち天の御遣いも漢の皇帝も過去の者として忘れられる。
その中で彼と一緒に生きることができるのであれば彼女は本望だった。
「わかった。君を残して死なない。約束するよ」
そう言って二人はいつものように約束を交わした。
「私はずっと一刀の傍で生きます」
「うん。俺も君と一緒に生きるよ」
強力な味方がいなくても二人はしっかりと手を握り合って生きていこうと誓った。
一刀は言えなかったこれから起こる出来事をどう生き抜くか、それを考える必要が出てきた。
ただ彼女の笑顔を守りたいために……。
池の前に座った二人は天の国のことを話していた。
さっきまでの複雑な気持ちも今は治まり、百花の表情も明るかった。
一刀もそんな彼女に応えるように笑顔を絶やさなかった。
「それにしても一刀の話は何度聞いても楽しいです」
「そう?まぁ向こうでは常識でもこっちでは考えられないことだからね」
「それでもです。きっと一刀の考えを取り入れればこの国は立ち直ることができるでしょうし」
「まぁ全部が全部、いいものとは限らないけどね」
何かをするにしても良し悪しがあると一刀は思っていた。
「ようは使いようってやつだね」
「使いようですか」
「この国だってそうだ。目の前の事だけを解決できればそれでいいだなんて思っていたら、それこそ国が滅ぶ原因になるかもしれない」
「百年先を見据えた政策が必要ということですか?」
何百年と続いてきた漢王朝。
それが今終焉を迎え始めている中で再び蘇ることができるとすればこれまでにない新しい政策が必要だった。
「その為にはもっとたくさんの味方が欲しいな」
「味方ですか?」
「そう。君に協力をしてくれる味方がね」
一刀には傍にいて協力することはできるが、所詮一人ではどうすることもできなかった。
彼女を助け、漢王朝を立て直すにはもっと強力な味方がいるべきだった。
(でもこの時代で一番強い勢力といえば)
どこの群雄もそれなりに力は持ちつつあるが、漢王朝を、百花を守ってくれる強大な力を持っている者はいなかった。
せめて黄巾の乱が終わった後ならば彼の知るところの群雄はいくつも存在していた。
「まぁ味方になってくれる人がいれば少しずつ増やしていけばいいさ」
「そうですね。今は一刀がいてくれますから私も安心しています」
「寝食を共にして勉強を見てもらっている身分としてはそう言ってくれると嬉しいな」
周りが敵だらけの中で百花と一刀は身を寄り添って生きている。
その中でささやかな時間が持てるのは何よりも嬉しいことだった。
「一刀」
「うん?」
「もし朝議にも参加して欲しいと言ったら参加していただけますか?」
「俺が?」
政治家でも軍人でもない唯の一学生に過ぎない一刀が国の重要な朝議に出て欲しいと頼む百花。
そこには一刀と少しでも長く一緒にいたいという気持ちと天の知識を貸してもらいたいという思いがあった。
「俺なんかが参加しても大した意見なんて言えないぞ?それに張譲さん達が許すと思う?」
「私がお願いをしたと言えば何も言わないでしょう」
「そういうところはしっかりしているよな」
バカにしているのではなく彼女の真っ直ぐな気持ちに一刀は笑みを浮かべる。
彼からすれば百花は十分に皇帝としてやっていけると思っており、味方が多くいればこの国を立て直すことも難しくはなかった。
「まぁこの辺りで居候としてはお礼もしないといけないな」
そう言って快く一刀は百花のお願いを聞き入れた。
「ありがとうございます」
これで今までの朝議から何かが変わるかもしれないと百花は期待を膨らませた。
もっとも本音は一刀が朝議にも出てくれほとんど離れることなく自分の傍にいてくれることが嬉しくて仕方なかった。
だが翌日になって彼らはそんな喜ばしいことですら叩き壊されることが待っていた。
「なんですかこれは?」
翌朝、朝餉を済ませて二人は朝議に向ったが、玉座の間が開かれた瞬間、目を疑うような光景が広がっていた。
華やかな飾りに豪華な料理。
まるで何かを祝うような雰囲気がそこにあった。
「おはようございます、皇帝陛下。それに御遣い殿」
「これは何事ですか?」
恭しく礼をとってくる張譲に百花は近寄っていく。
「何事と申されましても陛下と御遣い殿の婚儀ですが?」
「そのようなこと誰が頼んだのですか。それに御遣い様が了承したのですか?」
昨日は朝議が終わってからというものほとんど一緒にいたためそのようなことを話しているところなど見ていなかった百花は念のために一刀の方を見た。
「俺は知らないぞ」
「御遣い様もこう申しているのです。私は御遣い様が了承すればいいと言ったはずです」
「そうでしたかな?年故に聞き間違えましたかな」
不気味な笑みを浮かべる張譲。
百花はここにきて自分は嵌められたことに気づいた。
(私がきちんと拒絶しなかったから……)
一刀に了承したならばと中途半端に答えたため、それを張譲によって上手く利用されてしまい、何事も事後承諾と片付けられていた。
「すでに天下万民にこのことは知らせております。近日中に祝いの品が届きましょう」
「貴方という人は……」
拳を握り締める百花。
ここまで手早く事を進めていたとは思いもしなかった百花は背を向けて玉座の間から出て行った。
一刀もここまで強行手段をとった張譲を睨みつけた。
「あんた、ろくな死に方をしないな」
「さあそれはどうでしょうな」
「あんたが権力を握りたいのならそうしたらいいさ。でもな、彼女を傷つけてまで手に入れたいのなら俺は許さないよ」
これまで何を言われても軽く受け流していた一刀だったが、百花の意志を無視した張譲の行動に怒りを覚えていた。
「自惚れぬなよ、小僧」
それまで一刀に対しても礼節をもって接していた張譲は初めて本当の姿を見せた。
「天の御遣いだろうがたった一人で何ができると思っている。我らに生かされていることを忘れるな」
「あっそ」
素っ気無く答える一刀。
張譲に睨みつけられても全く怯むことなくそれを迎え撃っていた。
「それじゃああんたの思惑に乗ってやるよ。でも、一つだけ条件がある」
「ほう、何ですかな?」
いつもの口調に戻った張譲に一刀は真っ直ぐ指さした。
「これからの朝議は俺も参加させてもらうよ。百花と結婚するって事はその権利はあるはずだしね」
「構いませぬぞ。お好きになされませ」
「そうさせてもらうよ」
それだけを言い残して一刀は百花の後を追ってその場を去った。
張譲の後ろにいた宦官達はその様子を静かに見守っていたが、張譲が振り向くとそれぞれに話し始めた。
その中で張譲はただ一人、自分の野心がもうすぐ完成することに喜びを感じていた。
一刀は部屋に戻ると何もかもを床に撒き散らして寝台の上に倒れこんでいる百花の姿を見つけた。
「百花」
声をかけても振り向いてこない。
近づいていくと身体を震わしていた。
「百花」
もう一度、彼女を呼ぶ。
「泣いているのか?」
「……」
「隣、いいかな?」
「……」
何も返答がなかったために一刀はゆっくりと寝台の上に腰を下ろして、彼女の髪を優しく撫でていく。
「……なさい」
「うん」
「……ごめんなさい」
百花は一刀に迷惑をかけてしまったことを謝っていた。
それについて一刀は迷惑だとは思ってはいなかった。
彼女も被害者だからだった。
「私が……一刀が了承すればなんて言ったために、それを利用されてしまいました……」
「まぁ長いこと権力を握っていたらそれを続けていたいし、いくらでも悪知恵が働くものだよ」
百花のせいではない。
悪いのは張譲であり宦官なのだ。
「たった一日でここまでするのはある意味では感心するけど、人としては腐っているよな」
「私は……それ以上にダメな皇帝です……」
「そんなことないさ」
「いえ、私は肝心な時になって怖くなって何も言えなくなるのです」
だから張譲達のやりたい放題をただ眺めているだけだった。
皇帝としての自分が情けなく、こうして逃げ出して泣くことしかできなかった。
「よしよし」
慰める一刀の手を百花はそっと掴んだ。
「ごめんなさい……」
「もう謝らなくていいよ。それに悪いことばかりじゃないしね」
「どうしてですか?」
「だって今以上に百花に近づけるからだよ。そうそう、朝議にも俺が参加すること許可も貰ったから」
笑顔で話す一刀に百花は理解がすぐにはできなかった。
「百花を泣かしたんだ。それなりのことはするつもりさ」
「何をするのですか……?」
「いい考えはあるんだ。ただ、ちょっと危険がつきまとうかもしれないけどね」
危険という言葉を聞いて百花は身体を勢いよく起こして彼を見た。
「一刀」
「大丈夫。約束しただろう?君を残してなんて死なないから」
どこまでも優しい一刀。
「だから泣かないで」
もはや何も遠慮などする必要などどこにもなかった。
百花は一刀にしがみついて声を上げて泣いた。
「もしかして百花は泣き虫さんか?」
一刀は自分よりも小さな身体の百花を抱きしめて背中を何度も撫でていく。
幼い子供のように泣きじゃくる百花。
「俺と結婚するのは嫌かい?」
「(フルフルッ)」
「俺も正直に言えば百花みたいな可愛い女の子となら結婚してもいいなあっては思っているんだ。でも、まだ早すぎるかなっても思ってる」
自分達の意志であれば何の遠慮もなかった。
だが、他人の思惑によってそれが行われようとしていることに対して憤りを感じていた、
「一応聞きたいんだけど、すぐに結婚ってわけじゃないんだろう?」
「……はい。手順をふんで進められるのですが、あの張譲のことです。そんなことは無視してくると思います」
「そっか。それじゃああまりゆっくりもしていられないな」
一刀の表情からほんの少し笑みが消えた。
「百花」
「……はい」
「もうすぐ大きな出来事が起こる。それも下手をすればこの漢王朝が滅亡するほどのね」
黄巾の乱。
それがもうすぐ起こることを一刀は黄色い布を見たときに感じていた。
「それが起こったらすぐに各地にいる将軍や太守にここに集まるように勅命を出すんだ」
「どうするのですか?」
「その人達を味方にして張譲達を朝廷から追い出すんだ」
「追い出す?張譲達をですか?」
朝廷内にいる宦官をすべて排除するなど今まで考える者はほとんどいなかった。
排する前に自分達が排されていたからだった。
それを一刀がしようとしている。
「危険です。もし失敗したら一刀は殺されます」
顔を上げた百花はやめて欲しいと懇願する。
だが、一刀は微笑み自分の意志をまげようとしなかった。
「そうだね」
「そうだねって……。嫌です。そんなこと私は嫌です。貴方を失うぐらいなら張譲の言いなりになる方がマシです」
「それじゃダメだ」
ほんの少し声を大きくして一刀は言った。
「それだと何も変わらない。自分の人生は自分のものだろう?」
「でも、私は貴方を失ってまで生きたくはありません」
「それでも俺はするよ」
「嫌です。絶対に許しません」
皇帝として命令してでも一刀の無謀とも思える行動を止めさせたかった。
それに対して一刀はそっと手を彼女の頬に当てた。
「俺は君達が言うように天の御遣いだ。だから絶対に死ぬことはないよ」
「そんなのわかりません……」
「じゃあ、これでわかってくれるかな?」
そう言って一刀は自分の唇と百花の唇を重ねた。
初めて交わされる口付け。
百花は驚きながらもそれを受け入れた。
ほんの少しの出来事が長く感じ、やがて離れていくと百花は短く声を漏らした。
「何もかもが上手くいけばもう一度キスしてもいいかな?」
キスが何なのか聞く必要はなかった。
百花は戸惑いながらも小さく頷いた。
何も出来ない自分の代わりに一刀が何かを成そうとしている。
それならば自分が出来ることは止めることではなく見守ることだと。
「……では私からも二つお願いがあります」
「何?」
「私にできることがあれば遠慮なく言ってください。そうしたら勅命をもって貴方がやろうとすることを承認します」
「うん」
「それともう一つは……」
一刀を見上げて今度は自分から口付けをしていく百花。
さっきよりもほんの少し長く求めた。
「私を助けてください」
その言葉の意味。
一刀は彼女が本心でそれを望んでいることを感じた。
「うん。君を助ける。そのためにほんの少し我慢してくれるかな?」
「はい」
「ありがとう」
一刀はそう言って彼女を抱きしめた。
(こうなったら董卓だろうが曹操だろうが、何でも利用するしかないな)
彼の思ったとおりの英雄達ならば危険度は格段に上がる。
だが少なくとも今のいつ危険が自分達を襲いに来るかわからない状況よりマシだと思った。
百花を守るためなら危険を冒す必要もあった。
「百花」
「はい」
「大丈夫だから安心してくれ」
そんな保障などどこにもなかったが、彼女を少しでも安心させる必要があった。
「信じています」
百花も一刀を心から信じていた。
彼が何をするにしてもついていくつもりだった。
「女の子に信じてもらえると力が湧き出るよ」
「本当ですか?」
「うん」
「でも、女の子なら誰でもいいのですね」
「あっ」
思わず個人名を出し忘れた一刀。
百花は涙で濡れた表情の中から微笑みを生み出していく。
「一刀はもしかして女の子なら誰でもいいのですか」
「そ、そんなことはないぞ。うん、百花だけだから」
「本当ですか?」
「本当だよ。約束する?」
慌てている一刀の姿がおかしかったのか百花は小さく笑った。
「いえ、信じていますから」
「あ、ありがとう。裏切らないように必死に努力するよ」
「はい」
二人はお互いの顔を見て笑い出した。
自分達に近寄ってくる危険を感じながらも笑うだけの余裕はまだ残されていた。
「一刀」
「どうした?」
「もう一度、ぎゅっとしていただけますか?」
「うん」
一刀は彼女の望みを正確に叶えた。
百花も彼に抱きしめられ、心の中で何度も謝りこれから彼が成そうとしていることを信じていった。
だが、一刀が思っていたより早く事態は急転する。
洛陽に急報がもたらされた。
「各地で黄巾党が大規模な反乱発生」
誰もが予測不能な早さで乱世の始まりが告げられた。
(あとがき)
とりあえず今回で黄巾の乱前のお話は終わりです。
次回からいよいよ、恋姫達が順次出てきます。
正直、オリジナルキャラクターを中心としている今回のお話は非情にきついです。
それでも完走できるように頑張っていきますので、最後までお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
まとまった時間がとれたらコメントの方も書かせていただきます。
あと修正部分もそのときに修正いたしますのでもうしばらくお待ちください。
それでは次回の更新は出来れば火曜日にしたいと思います。
次回からぼちぼち戦闘シーンを書かないとダメだけど、上手くかけるか不安なので他の方々のを参考にしたいです!
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第三話です。
とりあえず予想通り水曜日(正確には木曜日)の深夜になりました。
ごめんなさい・・・・・・orz
何の力もない皇帝の辛さ。
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