No.121078

The way it is 第二章ー視察の旅3

まめごさん

ティエンランシリーズ第四巻。
新米女王リウヒと黒将軍シラギが結婚するまでの物語。

「で?一刻の間ずーっと、背を叩いてあやしていたのですか」

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2010-01-28 21:58:54 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:478   閲覧ユーザー数:467

シラギがトモキの家を訪ねたのは、昼餉が済んだ頃だった。

「まあ…お久しぶりでございます」

トモキの母、ユキノは息をのんで迎えてくれた。

「陛下は」

「上で休んでおりますわ。トモキは宿へ行ったようです」

どうぞ中へ、と案内する女の後姿はかつての面影は全くない。

「シラギさまと、向かい合って茶を飲むことなんて、想像もしておりませんでした」

ユキノはゆったりと笑い、窓の外を見た。

澄んだ青い空を、小鳥たちが歌いながら横切ってゆく。

「…あの頃を、一度たりとも忘れたことはございません」

「いたしかたないでしょう」

目の前の茶に口をつけながらシラギは言葉を選ぶ。が、出てこない。

しばらく沈黙が続いた。

「ユキノ、お前もわたしをおいてゆくのね。そうイズミさまはおっしゃいました」

目の前の女は目線を窓から離さない。

「絞るような声で、そうおっしゃったのです」

その目から涙がこぼれてきた。

「わたしは主を裏切ってしまった」

 

トモキの母、ユキノはリウヒの母、イズミがもっとも信頼する女官だった。が、警備兵と恋に落ち、トモキを身籠る。名門の末端に名を連ねていたユキノは勘当同然にその兵の田舎へと嫁いだ。二人の子を生み、夫を亡くした後も、このシシの村にとどまっている。

イズミが心を壊し、我が子を殺そうとした事件の後、宰相は極秘にリウヒをユキノに預ける命を出した。

だから、少年だったシラギは、まだ赤子のリウヒを抱えてユキノのもとへ向かったのである。

「イズミさまは…大変矜持の高い方でしたから、ショウギが陛下の寵愛を一身に受けることが許せなかったのでしょう」

「だからこそ、お傍にいるべきだったのです」

ユキノは小さな息を吐く。

「まさか実子を殺そうとするなど…」

再び沈黙。

「リウヒは…どんどんイズミさまに似てゆかれる」

破ったのはユキノだった。

「自分が裏切った大切な人の娘から、それも本人そっくりの…口から宮廷に上がってほしいと言われるたびに、わたしは嬉しくもあり、恐ろしくもあるのです」

「陛下はあなたを母と思っておられますから」

「恐れ多いこと」

ユキノは少しだけ笑った。

「もし、わたしが宮へゆくとしたら、陛下に一大事が起きるときですわね」

「一大事とは」

例えば、と今度は悪戯っぽく笑う。

「お子が生まれるとか」

絶句するシラギにユキノはクスクスと笑う。藍色の髪の少女が聞き耳を立てているとは知らず。

****

 

 

「母さん、いろいろありがとう。ハヅキ兄ちゃんが帰ってきたら、必ず二人で宮廷に来てね」

「ええ、リウヒ。あなたもがんばってこの国を治めなさい」

シシの村を立つ日。

リウヒと母は抱き合って別れを惜しんだ。

母の香りはそのまま家の香りで、鼻の奥がつんと痛くなる。できればこの家と母さんは、ずっと変わらずに永遠にここにそのまま存在していて欲しい。が、母は確実に年老いてきていた。記憶の中では、昔のままだったのに。

実の母、イズミの記憶は全くない。

宮廷に上がった時、初めて見たその人は、日のあたる部屋で人形を抱いて微笑んでいた。

自分には一瞥もくれなかったし、リウヒもその人を母だと思わなかった。

ただ美しい人だと思った。

それきり会うこともなく、いつの間にか亡くなっていた。

だから、リウヒにとってはユキノが母だった。

血は繋がってなくても、トモキやハヅキ同様、我が子のように慈しんでくれた大切な母。

「うん。元気でね、待っているから」

静かに離れると、セイランに跨った。何度も振り返りながら道を降りる。

遠くには海の断片が見えていた。

****

 

 

どうもここ最近疲れているように見える。

すぐ目の前で馬を歩かせるリウヒを眺めながらシラギは内心首を捻った。

その周りには、民がわらわらと群がって色々話しかけている。一々返しながら、リウヒはにこやかに笑う。

元気一杯とは言わないが、傍目からはいつもの陛下だ。

が、宿に入れば後睡を取るし、夜も一人でさっさと部屋に戻る。リンたちも毎回主を差し置いて、自分たちが遊んでいる訳にはいかない。

その夜、シラギは三人娘とナカツを呼びだした。始終リウヒに付き添っているこの娘たちなら何か知っているだろうと思ったのである。

「その…異常というか…」

「ええと…」

「う…」

「むう」

リンたちは戸惑ったように顔を見合わせ、歯切れの悪い返事をした。

「どうしたのだ。わたしに言えない様な事なのか」

「はあ、まあ…」

イライラしてきた。

「はっきり言ってくれ」

「では申し上げますが」

老人がかっきりとシラギを見た。三人娘もぐいと顔を上げた。

「月のものが遅れております」

「陛下が帰ってこられてからまだ来ておりません」

「多分、その事が原因ではなかろうかと思われます」

シラギはしばらく停止していたが、ボンと顔を赤らめた。

「わしが付いておりますゆえ、ご心配なさるな。宮におられるころは大層、悩んでおいでで、悪夢なども見なさったらしいが、今は落ち着いておられます」

「だが…」

「そんなにわたくしたちが信用できないのですか」

そういうことではないが、と口ごもるシラギ。

「では」

リンがにっこりと笑う。

「これからは陛下のお傍には黒将軍さまがお付きくださいませ。お願いいたします」

「いや、だからそういうことでは…」

「そうじゃそうじゃ。それがいい。ではわしらはこれで」

話は終わったとばかりに、老人と三人娘は逃げるように退散する。部屋の中にはシラギ一人がぽつりと取り残された。

****

 

 

政務の終わった室内は閑散としている。

宰相は椅子に座ったまま、ぼんやりと上座を眺めた。

「陛下がおらぬとやはり寂しいのう」

日々、三老が繰り返す通り、何となく物足りないと苦笑する。

あやつはうまくやっているだろうか。

あっさりと視察の旅を許可したのは、勿論思惑があったからだ。懸念と言っていいかもしれない。

「失礼いたします」

ひっそりとした声が聞こえて、中将軍ダイゴが入室した。

「ナカツさまよりこれを」

卓上に差し出された手紙を広げる。老人らしい流れるような筆(ひつ)は己の懸念を如実に表していた。

まだ確定ではない、と書いてある。本人は気付いておらぬ、しばらく様子を見ないことには何とも言えない、とも。

これだから女は。

図らずもため息が出た。

相手は誰だ。あのチンピラ橙頭か。

「王家に汚れた血が入ってはなりませぬ」

そう諭した時、リウヒは激怒した。

「あの人は私の恩人だ!その大切な人を汚れというか!」

「そうはいっておりませぬ。臣下一同ひとえに感謝しております。が、お傍に置かれることは断じて許しませぬ」

王家は天にも等しい象徴である。その血に庶民の血が入ることは、汚れを意味する。王家断絶とともに、それは宰相、否、宮にとって絶対的な恐怖だった。

リウヒのその自覚がないことも。

とにかく、王家の威信を守らなければ。

生かそうか、殺そうか。

いや、殺すのは危険が高すぎる。

もし生かすとなれば…。

「陛下のお相手は他国からでなく、宮中から迎えることになるか…」

目の前にいるダイゴは何も言わない。

「これを知った時、黒はどうするだろうか」

「一も二もなく、夫君へと名乗り出るでしょう」

「そうであればいいが」

ついでご報告が。ダイゴは無表情のまま淡々と言う。

「不審な者が一行の後をつけているようであります」

「なんと」

「ヨドを走らせました故、ご安心を。二、三日後には両将軍のお耳に入るでしょう」

****

 

 

闇間から声がする。

ずっとわたしの傍にいるといったじゃないか。

「やめて」

逃げ出したお前が悪い。

「お願い」

足を切ってしまおう。

「嫌だ、やめて!兄さま!」

お前が悪いんだろう。

「キジ!」

王さまの責任忘れて、おれたちと遊んでいたもんな。

「ああああ!」

「リウヒ!」

目を開けるとシラギの顔があった。呼吸が苦しい。喘ぐように息をする背中をさすってくれた。窓からは呑気な風景と、初冬の冷たい風が吹いている。

「悪い夢でもみたのか」

「あ…」

王さまの責任忘れて、おれたちと遊んでいたもんな。

またあの夢だ。兄は恐怖だったが、キジにまで責められることが辛い。

胸の痛みを伝って涙がボロボロと出てくる。シラギは黙って手を動かした。その手はリウヒの心を落ち着かせてくれた。

「あの、ありがとう、シラギ。もう大丈夫だから…」

それにしても、なんでこの男がここにいるんだ?トモキは?ナカツは?リンたちはどうした。

「侍女たちにも息抜きが必要だろう」

昼餉の後、寝入ってしまったリウヒをシラギに托して、みなは外に出たそうだ。

「そうか」

大きな息を吐いて、涙をぬぐった。

「リウヒ」

子供のように抱きかかえられたまま、顔を覗きこまれた。なんとなく目をそらす。

「ナカツから、悪夢を見ると聞いた。どんな夢なのだ」

「…毎回、同じ夢だ。あの船に乗っていた時の…」

足を切ってしまおう。王さまの責任忘れて、おれたちと遊んでいたもんな。

「…わたしが悪いんだ…。弱いから、流されたから…」

それ以上は言葉にならなかった。嗚咽が漏れる。

シラギは何も言わず、ただ黙ってあやす様に背を叩いてくれた。

リウヒが泣きやんで再びまどろみの中に落ちていても、その手は止むことはなかった。

****

 

 

「で?」

カグラが呆れたようにシラギを見る。

「一刻の間ずーっと、背を叩いてあやしていたのですか」

「腕が痺れてしまった」

隣に座っている銀髪の友人は、何か言おうと口開いたが、首をふって閉じた時、扉の戸が叩かれた。

「右将軍さまにお客さまです。ヨドさまとおっしゃる女性の方なのですが」

「これは珍しい」

二人の将軍は同時に声を上げ、顔を見合わせた。

「無愛想な右将軍に女性が訪ねてくるなど、隅に置けないですね」

「そういう意味ではない。全てを己の杓子で考えるな」

各国の王家は暗部という組織を持っている。この大陸にある自国各国に密偵を放ち、情報を集めている部だ。元々は宰相の管轄だったそれは、各町村の警備をしている奉行も司っているダイゴに新王誕生時に引き継がれた。情報は全て頭であるヨドへと集まり、書面化されてダイゴに届けられる。

表立った行動をよしとしないその性質のせいか、めったに宮廷に寄りつかない神出鬼没な人物は、シラギも数回しか会ったことはなかったが、書類は常に簡潔かつ的確であり、信頼できた。

ただ…。

「どんな方なのですか?」

「見れば分かる」

宿の主人に案内された女の姿を見て、カグラが一瞬、茶を吹きそうになった。

「御前失礼いたします、右将軍さま。んまー。お久しぶりでございますこと。おほほほほほ」

コロコロと満丸い顔を崩しつつ、手を上下に振りながらヨドは笑った。

「そしてお初にお目にかかります、左将軍さま。あらーやだ。噂通りの男前で。くふふふ」

「久しぶりだな、ヨド。座ったらどうだ」

「あ、そうですか。では遠慮なく」

え、よっこらしょ、と向かいに腰を下ろす。

ぷっくりと丸い体はその椅子に窮屈そうに見えた。

カグラがちらりとこちらを見る。

なんですか、この中年の丸いおばさんは。まさか宿のおかみじゃないでしょうね。

無言で聞いてくる。

間違いなく、暗部の頭だ。気持ちは分かるが。

シラギも応えた。

「右将軍さまにご報告がございます」

ちんまりした目をシラギに見据えて、ヨドが声を上げた。

「ショウギの息子が、都を追い出された事はご存じだとは思いますが、どうやらご一行の足取りを追っているようでございます。ご用心くださいませ」

つい先ほど部下がヨドに報らせたという。

「虫ケラが…見苦しい真似を」

シラギはそのショウギの息子、ゴザにいい印象はない。散々甘やかされたでっぷり肥った青年は、とにかく我儘でいつも不貞腐れていた。

献上されたセイランは、はっきりと主を見下し、わざと落馬させようとしたり、完全に馬鹿にした態度を取った。激怒したゴザがセイランを殺そうとしたこともある。

気位の高い馬は嘶き暴れ、逆に歯向かおうとした。シラギが諌め、事無きに終わったが、あのままかみ殺されていれば良かったのかもしれない。

その虫ケラを見逃したカグラは、横で蒼白な顔をしていた。

「分かった。早急の報を感謝する」

「いえいえ、仕事ですから」

「そしてこの優男が、左将軍カグラだ。以後見知っておいてくれ」

「よろしくお願いしますね」

チョコンとお辞儀をした。

「こちらこそ。思っていたより可愛らしい方で、驚きましたよ」

にっこりとカグラが微笑んだ。おお、さすが白将軍。立て直しが早い。

「あらあら、まあまあ」

ヨドは少女のようにはにかんだ。そしてカグラに請われるまま、自らの仕事について、完全なるおばさん口調で話し始めた。

大体は、宿の一階や酒場で噂話を拾うのだそうだ。城下や港が多いらしい。

「城や宮廷に出入りする商人などが、女官や下っ端の臣下、兵などから、世間話として聞くんですね。それを肴に酒を飲んでいる訳で」

密偵とはいえ、一般の民であるヨドたちは、王の住まう城などには迂闊に入れない。それでも、ジンとクズハには、端女として数人が入り込んでいるのだそうだ。

「アタシたちは、あくまでも情報や噂話のみを取り扱いますが、それとは別に、闇者と呼ばれる集団がおります」

「話には聞いたことがある」

王に仕えるわけでもなく、金次第でどんな仕事もこなすという。莫大な金額を要求される代わりに、人間離れした能力を持った者たちが暗躍するのだそうだ。しかし、依頼の仕方も明らかにされていたない。噂だけが独り歩きをしていた。

「まさかとは思いますが、ショウギの息子は陛下の御命を狙っており、それを闇者に利用されている可能性もございます」

「了解した。お前も用心して職に励んでくれ」

ヨドははいはいとにっこり笑って、ペコンと頭を下げ退出した。

****

 

 

キャラはリンの説明を聞きながら、真剣に頭に叩きこんでいる。

「あまりにも香を焚き締めすぎると、御気分が悪くなられてしまうのでその辺を見極めるようにね」

「はい」

この旅に同行し、トモキとの恋愛に浮かれていたキャラは、心機一転、始終三人娘にくっついて回って、その仕事の補佐をしている。

あたしの望みは国王付き女官。ならば恰好の人たちが一緒にいるではないか。

試験は帰ってから猛勉強するとして、今は精一杯のできることをしておこう。

 

リンたちの朝は早い。夜が明けるか明けないかの内に起きだして、まずは自分たちの身支度をする。次にリウヒの召しものを選ぶ。

「陛下はあまり華美なものを好みません。簡素かつ品の良いものが多いかな」

シュウが簪を並べて、悩むように言った。それにしたってこの簪たちは一本幾らするのだろう。

決まれば香炉をくべて、衣に香を移す。

「あ、リウヒの匂いがする」

「伽羅という香なの」

シンが微笑んだ。

わたしの友達と同じ名だ、といって王に立ってからはもっぱらこの香を愛用しているらしい。

リウヒったら。心が妙にくすぐったい。

三人娘は一々説明してくれながら、てきぱきと、しかし優美に手を動かしてゆく。格好いいな。仕事をしている人の顔って、とても格好いい。きっとあの仲間たちも、トモキも、リウヒも自分の仕事をしている時は、別の顔を持っているのだろう。だから、キャラは早く一人前になりたい。

日がゆるゆると昇り始めるころに、女官たちは主を起こしにゆく。

寝ぼけて目をこすっているリウヒを、寝台から引っ張り出して、水を張った鉢を置く。

「この季節は、冷たいから嫌なんだ…」

ブチブチと文句を言う王の髪を、邪魔にならないように持ち上げて、その顔をふくと、まずは髪を結いあげる。

リウヒはその間、シンが入れた茶を飲んでいた。

「あれ、マイムは?」

「先ほど下でお見かけしましたけれど。カグラさまと」

「朝の散歩にでも行ったのかな…?で、どうしてキャラもわたしの髪をいじっているんだ?」

「勉強だよー」

「結い方は、何十種類とあります。これは比較的簡単な白子結いというものですが、朝議や政務をなされる時は、冠をのせるので、また違った結い方になります」

「冠、嫌い」

またリウヒが文句を言った。

「あれは重すぎる。最初の頃なんて、首が痛くて仕方なかったぞ」

今度は化粧だ。化粧も嫌いらしい。

毎度のことらしく、三人娘ははいはいと聞き流している。

「衣はその日の予定によって変わります。何度もお着替えをされるのは、大変ですし、時間ももったいないですからね」

「陛下の身支度が終われば、朝餉です。今は宿が用意してくれますが、朝昼晩と東宮で召されます。忙しい時は、昼餉を本殿でお取りになります」

「朝議に出られている時は、侍女たちが掃除に部屋へ入ります。キャラさんも経験されているでしょう」

朝餉を食べている間も先輩の講習は続く。キャラは頷いた。

侍女見習いは日長一日中、講義を受けている訳ではない。午前中は隊をくんで、宮廷に住む貴族の居住などを掃除し回っている。

ナナの背に揺られながら、ふと思った。

女官というものはただ、主の身の回りの世話をするだけだと思っていた。実際はもっと大変なものだった。例えば、衣一つにしても、身に纏う季節がある、組み合わせも無数にある、結い方や帯の結び方だって沢山ある。膨大な知識、物を見る目、そして心配りがないと、結局恥をかくのは主なのだ。

ムゲンの言う通りだ。無知なままのキャラが、友達というだけで陛下付きの女官になっても、全くの役立たずだっただろう。むしろリンたちの足を引っ張ったに違いない。

一に勉強、二に勉強。やってやろうじゃないのよ。

鼻息荒くキャラが顔を上げた時。黒い人影が、目の前をゆくリウヒに襲いかかった。

 


 
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