「私は陳留にいたときのことをよく覚えていないんです」
「あら、でも産まれてからの八年間はこの町に住んでいたんでしょ?」
「そうなんですけどね。西域に移り住んでからの毎日が鮮烈で、昔の記憶がどんどんぼやけていくんです」
「匈奴での生活がよっぽど楽しかったのね」
「大変なこともありましたけどね。野生の狼が襲ってきたり、砂嵐に家を吹き飛ばされたり。でもそんな事もあるから、『自分は生きている』って実感があるんです。
最近は、自分は生まれたときから匈奴の民で、陳留にいた時の記憶は“邯鄲の夢”だったんじゃないかとすら思えて…」
「…蔡邕様のことは覚えてる?」
「恥ずかしながら、どんな顔だったかも忘れてしまいました。
父はあまり家に居る事がありませんでしたしね」
「当時の蔡邕様は尚書と左中郎将を兼任されていたわ。さぞかし忙しかったでしょうね」
「でも家に居るときはいつも私につきっきりだったんですよ。琴を弾きながら唄を歌ってくれたり、昔の英雄や学者の伝記を聞かせてくれたり。
そういえば、父はいつも違うお話をしてくれましたね。一度詠んだ物語をもう一度聞かせることはありませんでした」
「私も蔡邕様の『史記』と『孫子』の講義を聞いていなかったら、今の私は居なかった。
…着いたわ。此処が、蔡邕様の『墓』よ」
城の一番奥にあるその建物。
派手な装飾こそ無いが、王族の廟所にも匹敵しそうな広さ。
しかも窓の配置から見て五階建てになっているようだ。
「どうして…こんな無茶苦茶に大きいんですか」
「確かに、故人の柩を納め香台を置くには持て余す広さね。
…でも、此処にはそのどちらも無いの」
「!」
「そもそも蔡邕様の御遺体は見つかってないの。
十年前、わが祖父である曹騰に貴方を託した後、蔡邕様は宮廷に出頭し、そのまま消息を絶った。
当時は王允将軍による貴族や学者の粛清が最も激しかった時代。恐らくは蔡邕様もその犠牲になったのだわ。
そして自らも王允に監視されていることを察したお祖父様は、貴方を中立国である匈奴に疎開させたの。」
知らなかった。
どうしてこの町での記憶、父さんと一緒にいた記憶は突然途切れたのか、不思議で仕方無かった。
その記憶の不自然な終わり方こそ、恐らくは記憶を夢の次元に閉じ込めた遠因。
気がつけば私は、草原の包(ゲル)で馬を走らせ羊を追いながら暮らす日々。
「そういうわけで、この建物は本来なら墓としての役割を果たしていないの。
でも、蔡邕様の記憶、その生きた証しは、この中で今も眠っているわ。」
そういって、曹操さんは大きな『墓』の扉を開けた。
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今までは文字を打ちながら話を考えていくというかなり行き当たりばったりなことをしてましたが、話の大体の方向性が決まりました。
…その代わり、前後の話で矛盾点で出て来たりもすると思いますが。