――そびえたつ朱色の城壁は、街をぐるりと囲む。
城下は活気ある人々で賑わい、暑い地方であるためか人々は汗をかきながらも笑みを浮かべている。
横にいる祭さんは、なにかまぶしいものを見るような目でその光景を見ていた。
「…祭さん、入らないの?」
「…あ、ああ。入るぞ。」
門番がこちらを不審そうに見ているのが気になって急かしてしまったが、本当のことを言うのなら、ずっとここで待っていてあげたかった。
どれだけの感慨があるのだろう。どれだけの喜びがあるのだろう。
感動に身を震わせる祭さんを、俺と風は黙ってみていた。
不審そうな目をしていた門番の兵のひとりが、急に声をあげた。
「…まさか……あの、ひょっとして黄蓋将軍では…!?」
「ん?…おお、おぬしは、儂の隊におったやつじゃな。」
知己を見つけたとばかりに祭さんは目を輝かせて話しかけるが、一方の兵士は驚き声も出せないようだった。
「どうしておぬしが門番をやっておる?…策殿が不当な人事をしたわけではないと思うが」
他のやつらもどうしておるかのう、と思案する祭さんを見て、ようやく本物であると気づいたのか、兵士は涙を浮かべた。
「…ああ、将軍!将軍!あの赤壁の戦いで、もう駄目だと…」
「うむ、儂もそう思ったのじゃがな。どうやら天はまだこの老躯に働けとおっしゃるらしい。」
ちらりと俺を見る祭さんに、俺は苦笑を返す。
「すぐに孫策様に連絡を!」
そういって兵は駆け出す。
その場にいたもうひとりの兵は、所在なさげに俺たちを見回した後、
「ええと…どうぞ、中へ」
検問所の中へと招き入れてくれた。
風、俺と中へ入っていき、祭さんが入ろうとしたところで、
「…おかえりなさい、黄蓋将軍。」
兵が祭さんにそう声をかけた。
祭さんは照れくさそうに笑って、「おう」と一言だけいった。
兵士が入れてくれた茶をすすりながらしばらく雑談していると、やけに外が騒がしくなってきた。
「?」
「なんじゃ?」
がんっ、とすごい音をたてて扉が開く。
扉を開けたのは、赤い衣装に身を包み、桃色の髪をなびかせた女性だった。
遠目に見たことがある――彼女こそ、呉王、孫伯符その人だ。
「……祭」
「おお、策殿!お久しぶりですなあ!」
必死に走ってきたのだろう、汗を浮かべながら今にも泣きそうな表情をしている孫策さんに対し、祭さんは軽快に挨拶をする。
すっ、と祭さんはその場に跪き、頭を垂れた。
「この黄蓋公覆、恥と知りつつも命を長らえ、また舞い戻ってまいりました。今一度、呉に……孫家にお仕えすること叶いましょうか?」
もう二度と叶うまいと思っていた再会に、孫策さんは身を震わせていた。
「……そんなの」
祭さんが孫策さんに顔を向ける。その目は少しの濁りもなく、俺はこの場にいていいのかとさえ思った。
震える声で、しかし凛として孫策さんは告げる。
「…決まっているじゃない。祭、また会えて、本当に嬉しいわ。あんな目に遭ったっていうのに、また孫家に仕えてくれるの?」
「他のどこに儂が仕えると?…まさか赤壁の折での偽降、真に受けてはおりますまいな?」
「最初からわかってたわよ、あんな小芝居!」
跪いている祭さんに覆いかぶさるように、孫策さんは祭さんを抱きしめた。
「祭……ありがとう、生きていてくれて」
祭さんからは見えない、孫策さんの目元。そこには、確かに一筋の涙があった。
「さっ、そうとわかれば凱旋よ!…って、あら、あなたは」
風をみて首をかしげる孫策さん。
「風…よね?建業の調査はもうしばらく後じゃなかったかしら?」
「はいー、お久しぶりです、雪蓮さん。前のところが早めに終わったので、祭さんたちに同行させてもらったのですよ」
「あら、そう……で、そっちの男の子は?」
視線を向けられ、少し戸惑う。
…こういう場合、俺はなんて名乗ればいいんだろう?
名前をいうのは当然として、天の御使いを入れるべきなのか、ただの祭さんの付き添いといえばいいのか。
困っていると、祭さんが助け舟を出してくれる。
「それは儂の旅の連れでしてな。ほれ、噂がありましたでしょう?魏に天の御使いあり、と」
「天の御使い…?あれ、天の御使いとやらは三国平定時に消えたって華琳が言っていたけれど?」
「まあ、細かいことは後でよろしいではありませんか。どうせ冥琳にも説明せねばならんのじゃろうし」
「ああ、それはそうね――で、君名前は?悪いけど、天の御使いってこと以外知らないのよ」
「俺の名前は北郷一刀。北郷でも一刀でも、好きなように呼んでくれていいよ」
「では種馬とー」
横槍を入れてきたのは風だ。
…風さん、初対面の人の前でそういうこというのやめなさい。
「あはは、知っているわよ~。魏の女の子、みんな食べちゃったんだって?」
「うっ」
ニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべている孫策さん。
名前は知らないのに、そんなことだけ知っているのですか…。
「私の名前は孫策よ。字は伯符。…そうね、雪蓮って呼んでいいわよ♪」
「えっ?や、でも」
「いいのいいの、祭が一緒にいるくらいなんだから悪いやつじゃないんだろうし。
それに、あなたは私をとーっても楽しませてくれるはずだもの」
「どうしてそんなことがわかるの?」
後ろで祭さんが、楽しそうに笑った。
「そりゃ、勘じゃろうなあ」
「ええ、勘よ♪」
「か、勘て」
少々呆れつつも、やはりきれいな女性に真名を許してもらえるというのが嬉しくないはずもなく、
「ありがとう。楽しませてあげられるといいんだけど…まあ、できるかぎりがんばるよ、雪蓮」
精一杯の笑顔で孫策…いや、雪蓮にそういうと、
「……」
「…?雪蓮?」
「…え?…あ、ええ。楽しませてね!」
一瞬かたまり、顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。
…なにか変なこと言ったかな?
後ろで風がため息をついた気がした。
雪蓮に連れられて城へ向かう途中、風が横に寄ってきた。
「お兄さん、お兄さん」
「ん?どうした、風?」
「言っても無駄でしょうけど、いちおう言っておこうかと思いましてー」
「…なにを?」
ちょいちょい、とジェスチャーする。耳を貸せ、という意味だろう。
雪蓮や祭さんに遅れるといけないので、歩きながら身をかがめる。
風は俺の耳元に口を寄せた。
「ここは呉なんですからー、…自重してくださいね?」
「……」
こういうことに関して、少しも風に信用されていないのだということだけは、よくわかった。
呉の城内へ招かれる。
目の前を歩く祭さんの笑顔が、なんだかうれしかった。
がたん、と椅子を倒しながら少女が立ち上がる。
たまたま側にいたもうひとりの少女が驚いて彼女を見た。
「いかがなされましたか、華琳さま?」
立ち上がった少女は、そう尋ねる少女の問いも耳に届かないらしい。
手に持った書簡を握り締め、顔を真っ青にして身を震わせている。
その書簡こそ、風が魏王へと送った調査結果であり、“彼”の発見報告であった。
「…桂花!」
「は、はい?」
「来週一週間分の仕事を、明日ここへ持ってきなさい!」
「……え?そ、それはどういう?」
「―――呉へ向かうわよ!」
遠い地にいる彼は、それを知る由もない。
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ようやく!雪蓮が登場できましたね~。
呉の三人(雪蓮・冥琳・祭)は恋姫たちの中でもとりわけ好きなので、
出番増やしたいな~とは思います(本当にできるかはその限りではありませんが)。
ちなみに、祭を除く魏・呉・蜀のメンバーは三国会談の折に全員真名を交換しているだろうと思いますので、お話の中でもそうなっています。注意。