(一刀)
――村を旅立って数日が経った。
次の村まではわりと早く着いたのだが、お金に余裕があるわけじゃなし、旅に必要なものだけを買い込むだけとなった。
「祭さん、いいの?」
どんなに歴戦の将であったとしても、祭さんは女性だ。俺は極力彼女に野宿をさせたくはなかったのだが……。
「なに言っとるんじゃ、儂を誰だと思っておる?」
と言うばかりで、俺の話を聞いてくれやしない。
「大体、毎回宿に泊まる金なんてなかろうが。」
「うう……」
それを言われると、そのとおりなのだ。村の人たちが好意で多少持たせてはくれたものの、それで江東まで持つかというとそうではない。
「だから、祭さんだけでも…」
「ばか者!儂を恥知らずにするつもりか?連れを野宿させて自分だけ宿でぬくぬく寝るなど、できるわけなかろう!」
「……」
俺のことなんか、気にしなくていい。
そんな言葉が漏れそうになって、あわてて踏みとどまった。こんなことを言ったって、祭さんを困らせるだけだ。
祭さんに名を聞かれたとき――俺は、「北郷一刀」を名乗った。それが俺の本当の名かどうかはわからない。いや、限りなくそれが俺の名である可能性は高いのだ。だけど俺は、自分が今まで何をしてきたのかわからないから…この名を背負うのが、怖かった。自分の罪を知るのが怖かった。
それでも「北郷一刀」を名乗ったのは、祭さんに…この目の前にいる強いひとに、嘘をつきたくないと思ったからだ。戦場に立っていて、深い傷を負って、それでも生きようとしている彼女に弱い自分を見せたくなかったからだ。
(名前を名乗ったときに決めたはずだ。俺は逃げないと。例え俺が何者でも…誰かを悲しませた男だとしても、俺はそれを受け止めると。)
今でも夢に見る。誰かに泣きつかれて、でも逃げる自分。大事な人に声が届かないつらさ。胸が張り裂けるような痛み。
俺はきっと、大事な誰かを悲しませた男だ。大事な誰かを傷つけた男だ。
記憶がなくとも、体が覚えている。体が夢を通じて伝えてくるのだ――お前はここにいていいのかと。
――ぼかっ。
「いてっ」
突然、頭を殴られた。
「…祭さん?」
「このたわけ、何を思いつめておるんじゃ。暗い顔しおって…」
ひどくつまらなそうな祭さんを見て、俺は思考を断ち切る。
ああ、やっぱり…。
(俺は祭さんに気遣われる価値なんかない男だけど…。それでも、祭さんには救われてる。)
彼女が発破をかけてくれると、とにかくやらねばと思える。
このひとに弱いところを見せるものかと意地が張れる。
「ほら、一刀!さっさと準備せんと日が暮れてしまうぞ!」
「…ははっ」
このひとがいるから、俺は今、ここに立っていられる。
(祭)
一刀はくだらないことを気にしすぎる。
この老骨を見て、女だからと妙な気ばかり遣って。
…そんな風に気を遣われたのは、いったいどれくらいぶりだろうかなどと、考えてみたりもする。
腕を上げ、武を誇り、将となってから――儂を女扱いしようとする者などいなくなった。彼らにとって儂は“女”であるより前に、忠誠を誓うべき“将”であったからだ。
この感覚が、嫌かと言われればそうではないと答えよう。
嬉しくないのかときかれれば、嬉しいと素直に答えよう。
だけどそれは、誰でもいいというわけではない…一刀だからこそ嬉しいのだと、儂は自分で気づいている。
村にいたころ。
…儂が寝込んでいる間に、呉が負けたと知った。
仕方ないと、わかっていたことだと言いつつも気が落ち込む儂を慰めてくれたのは、一刀だった。
「……一刀?」
「俺…どうしたらいいかわからないけど。でも、そばにいるから。」
そういって抱きしめてくれる一刀のぬくもりが、儂にはひどくありがたかった。
魏の思惑は計り知れない。覇王は…あの日、偽りで一度だけ降ったあの少女は、蜀王も呉王も殺さなかった。それどころか自らの懐にいれ、今までと同等の権利を認めてもいるらしい。
儂は頭を使う部類の人間ではない。彼女が何を考えているかなんてわからない。
それでも――あやつらが生きていること。それにだけは感謝しなければならなかった。
(一刀)
「おお、大きな街じゃなあ!」
そういって城壁を見上げる祭さんは、楽しげで、こちらまで楽しくなってくるようだ。
俺たちはさらに数日の野宿を経て、とある城下町にたどり着いた。食料も足らなくなってきたところだし、ここで休もうというのはずっと前から祭さんと決めていたことだった。
「じゃあ、とにかく宿を決めようか。」
「そうじゃな。荷物を置いて、酒場に行かんとな。」
「……はい?」
なんで酒場?
口には出さずにそう思っただけで、祭さんは鋭い視線を投げかけてきた。
「……一刀、お前」
あれ?
……やばい、やばいやばい!
何かわからないけど、祭さんが怒っているのだけはわかる!
こんなに怒っているのを見るのは初めてだ…。
「約束をずっと反故にしておるなあ、と思っておったら……よもや忘れておるのか…?」
「…えっと、えっと」
「まあ儂もまだ全快とまではいっておらんし?毎日薬を塗らねばならんし?そのせいかなあ、と思っておったのじゃが…」
「あ、あの…」
「忘れておったのか…そうか、そうじゃったか…。」
なにかを忘れているってなんだろう?
記憶はまだ戻っていないけど…いや、話から察するに祭さんとの約束を俺が忘れているってことだ。
祭さんとの約束って…
と、そこまで考えてようやく思い出した。
「あ」
「ようやく思い出したか、このたわけ!」
――全快したら、一緒に酒を飲もう。
そういったのは俺からではなかったか。
「ご、ごめん!本当にごめん!」
いろんなことがありすぎて、自分のことでいっぱいいっぱいで、こんな大事なことを忘れていた!
あまりに必死に謝る俺を見て、祭さんは呆れてしまったのか、
「………もうよい、謝るな」
「でも、祭さん。俺…」
「許してほしいか?」
「え?……あ、うん!それはもちろん…」
祭さんは意地悪そうにニッと笑って、
「なら、儂が許したくなるほどの酒を持ってこい。その間に儂は宿を探してくる」
「祭さんのお気に召すようなお酒…かあ」
正直言って想像もつかない。
だけど…
「了解、がんばるよ。」
祭さんが許してくれるというのなら、やるしかない。
「ん、いい返事じゃ。じゃあ儂は宿を見つけたら荷物を置いて、あの城門の前で待っておるからな。お前も酒を見つけたらそこに来ればいい。わかったな?」
「ああ。じゃあ、行ってくるよ」
そういって俺は酒を探しに出かけ、祭さんは宿を探しに出かけた。
あの大きくそびえたつ城門の前で待ち合わせようと約束して。
「さて、これなら祭さんも満足してくれるだろう」
俺が手にしているのは、値こそ手ごろなものの、建業でつくられたというお酒だ。
馴染みのある場所のお酒といえばそれだけで少しは喜んでくれるだろうし、酒屋の店主さんに試飲させてもらったら本当に美味しかった。
「待ち合わせ場所に行く前に…そうだな、お詫びも兼ねてつまみでも買っていこうかな」
出店には多くの食べ物が並んでいる。
点心もいいけど…ん、あれは…?
「へえ、メンマかあ」
「いらっしゃい!うちのメンマは三国一だよ。酒のつまみにも最適さ!」
これにするかな、と、注文しかけたとき。
「………………………………………………………お兄さん?」
横にいた少女が、俺を凝視してそういった。
色素が薄い長い髪の上に、妙な人形を乗せた、…………どこか懐かしい、女の子だった。
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あけましておめでとうございます!
季節感ガン無視でお送りします、第三回です。
連載ものを書くのは初めてでして、みなさんがついてきてくれるのかと不安に思っていましたが、
第二回も楽しんで読んでいただけたようで嬉しかったです。
これからもがんばりますので、よろしくお願いします。では。