第十話 剣の本性(上)
回想である。
二年ほど前の武田正軒。多少の迷いはあったものの がんばって剣を振っていた。
努力と経験を重ねれば、今は見えない何かが見えてくるものと信じていた。自分はこんなに がんばっている、努力と修練を積み重ねている。これだけ沢山積み重ねてきたものが無意味なわけがないじゃないか。
そう思うことが、当時の正軒が剣術を続ける唯一の正当性だった。
で、
その正当性が あぼーんと打ち砕かれる出来事があったわけだ。
すべての始まりは、父が連れてきた幼い少女。正軒のたった一つだけ年下という少女と、闘えと父は言った。
正直、くだらないと思った。
正軒はその時既に指南免許の位を取り、大人たちと仕合っても ほとんど負けなしという ほどにまで実力をつけていた。
それが今さら女の子と闘うなど…。
勝って当然だと思った。むしろ下手に叩いて泣かせたりしてしまったら どうしようなどと、どうでもよいことを返って本気で心配したほどだ。
しかしながら、
それらの余裕は、
実際に仕合ってみるとウソみたいに崩れ去ってしまった。
少女は強かった、アホのように強かった。
正軒の太刀筋はまったく少女に通用しない。出す太刀すべてが正確に読まれ、相手の体に届くことなく潰された。一つとして当たらない。
まるで予知能力者との闘いのようであり、彼女の目は、正軒の手の内のすべてを見透かしてしまったかのようだった。
正軒のクセ、正軒の拍子、正軒の死角、それらすべてが丸わかりにされてしまったわけだから、当然のようにタコ殴りとなった。
打たれ、殴られ、叩き伏せられて、倒れる。
それでも勝負は終わりにはならない。
『正軒、立て、もう一本だ』
無慈悲な父の宣告で、正軒は何度でも立ち上がらなければならなかった。
実際に何度でも立ち上がった。
そして、何度でも叩き伏せられた。
古流の稽古で使うのは竹刀ではなく、すべてにおいて木刀だ。この仕合においてもそうで、だから正軒は一本を入れられるたびに血ヘドを吐いた。腹を打たれれば内臓が震え、頭を打たれれば頭蓋が割れるかと思った。
それでも対戦相手は、一切手加減をしてはくれなかった。
『無様なものですわね、正軒さま』
父親以外の声、それは対戦していた少女の声。
『天才天才とチヤホヤされた御方の実力が この程度ですか?私のような小娘一人にあらがえず、情けなく敗北をさらすなど、口ほどにもない才気です』
彼女の小さな体は、正確無比なはずの正軒の太刀筋を掻い潜り、いとも容易く打突を入れる。正軒にとって経験したことのない感覚だった、手も足も出ないという感覚。
『今日の仕合がよいお勉強になりましたでしょう?上には上がいます、生まれ持った天賦の才に甘えることなく、一から精進し直しなさいませ』
少女が、木刀を上段に高々と構えた。それが気絶する前に正軒が見た、最後の映像。
『アナタが心身ともに剣術家として大成したならば、我が夫となる資格を得られるでしょう』
…………そしてその日を境に、正軒は剣術に別れを告げた。
それ以来 彼女とは一度も会っていない。これからも会うことはないだろう、そう思っていたのだが…………。
*
そして ここからが前回の続きとなるのだが。
有栖「で、正軒、どうするんだ?」
正軒「ホントに どうしましょうかね!」
なかば投げ遣りの正軒であった。
校門前にて起こった武田正軒因縁の許婚・真田清美(さなだ せいみ)との遭遇。彼女が正軒との関係を宣言したおかげで居合わせた野次馬たちは大激動。
生徒1「なんで?どゆこと?アイツには有栖先輩がいるのにッ?」
生徒2「二股?二股かッ?」
生徒3「いやらしい!でもうらやましい!」
と、とても収拾がつかないことになってしまった。
正軒の友人・小山田グレートもまた興奮のかぎりをつくし、
グレート「正軒伝説2だ!正軒伝説2だよ!」
とはしゃぎまわっていたので、正軒は 彼の喉笛に地獄突きを一撃。
グレート「ぐわしっ!」
それっきりグレートは動かなくなった。
それが功を奏してか、他の野次馬たちも一気に静まり返り、正軒や有栖には大変都合のよい展開となったが。だからといってあのまま衆目の下に留まり続けるのは賢い選択とは言えなかったので やむなく移動。どこへ向かうか散々迷った挙句、正軒が日頃 使っている二年の教室へと逃げ込んだ次第。それで今に至る。
清美「忙しないですね」
正軒「できればコイツも置いてきたかったんだがな」
有栖「まあまあ」
放課後を迎えた教室は、生徒も全員帰途に付いてガランとしている。グレートの生贄が効いたのか後を追ってくる野次馬もいないし、教室内は静かなものだった。
そんな中にいるのは正軒、有栖、そして騒ぎの元凶となった真田清美の三人のみである。
真田清美。
正軒の許婚、つまりは婚約者。
親の決めた相手であるらしいが、やはり とてつもない剣の使い手で、中学時代の正軒をコテンパンにするほどの実力の持ち主だという。
正軒は彼女に負けたのを契機に剣術を辞めたらしいが、そんな彼女が何故今になって正軒の前に現れたのか……。
清美「ところで正軒さま」
春風のような透き通った声で言う。
清美「正軒さまの方からの、再会の挨拶をまだ聞いておりませんが」
正軒「帰ってくれ!」
取り付く島もない。
有栖「正軒、いくらなんでも それは礼儀的にどうかと…」
正軒「いいんだよ、コイツはマンション勧誘みたいなもんなんだから、下手に出ると際限なく付け上がる」
正軒は木で鼻を括りまくりで、現れた清美をまるで敵扱いだ。
まあ、この二人の過去にあったことを考えれば、正軒の反応も ごくまっとうと言えなくもないが。
清美「ひどいですね、正軒さまは……」
清美が、子供をたしなめるような口調で言う。
清美「それが、いずれは己の妻となる、許婚にとる態度なのですか」
正軒「許婚なんちゃらの話は、俺が勘当されたときに反故になったろ。だから俺とアンタは赤の他人、馴れ馴れしくする筋合いもないね」
清美「そのような話は、清美は聞いておりません」
清美は動じない。
清美「お義父様は、正軒さまはタチの悪い病気にかかられた、いずれ回復するであろうから婚約の話は変わらぬままにしてほしいと、そう言われております。………正軒さま」
正軒「…………」
清美「正軒さま」
正軒「……………………………………………………………なんだよ?」
清美「お義父様は、アナタ様のことを まだ信じておられます」
ところで有栖は会話に加わる余地がない。
清美「アナタ様が、倦怠という病から抜け出され、再び剣の情熱に目覚められることを」
正軒「いい加減にしてくれ!」
正軒は、不快を隠すことなく表した。
ここまでくれば、真田清美が突如として現れた理由は見えたも同然だった。
彼女は正軒を連れ戻しに来たのだ、古流剣術を連綿と受け継いできた武田家へ。剣を捨てるのと同時に家を勘当された正軒を、今また呼び戻し、後継者として再起させるために。
正軒「俺はもう、剣に何の価値も見出せないんだよ!だから辞めた!同じことを何度も言わせないでくれ!」
清美「そんなことはありません。正軒さまは剣を愛しておられます、清美にはわかります」
正軒「お前に俺の何がわかるって言うんだ?」
清美「わかります、だって清美は、アナタの妻となる女ですから」
清美は自信をもって言う。それが、隣で聞くだけの有栖の胸をチクリと刺すのだった。
正軒「バカなことを言ってるな」
正軒が嘲笑うように言った。
正軒「何が妻だ、アンタが俺と会ったのは、二年前に俺を叩き潰した一日だけじゃねえか」
有栖「え?そうなの?」
正軒「そうだよ、それまで俺はコイツの存在すら知らなかったんだ。そんなので俺のことを わかるなんてメルヘンぶっこいてんじゃねえ。 さっさと帰って親父に伝えろ、未練がましく縁切った息子にかまってんじゃねえ、てな」
清美「それでは何故、正軒さまは再び剣を握ったのですか?」
正軒の動きが止まった、急所を突かれたように。
それを見て取った清美は、我が意を得たりとばかりに捲くし立てる。
清美「話は聞いています、正軒さまが、この学校の生徒を指導するために剣を取ったと。他人のためとはいえ、一度は捨てた剣を握るのは、信念にもとることではないですか?何故 信念を曲げたのですか?それはとりもなおさず、正軒さまの心の奥底を示すものです」
正軒「いや、それは……」
清美「いやも何もありません。正軒さまは心の奥底では いまだ剣士であらせられるのです。今のアナタ様はご自分の真実から目をそらし、逃げているに過ぎません。―――正軒さま」
清美は厳しく言い放つ。
清美「きっちり ご自分に向き合いなさいませ。そうすればアナタ様が今何をするべきか、自然と見えてくるはずです」
清美は、まるで正義を語るように、自分の語ることが正軒の真実であり、自分の指し示す道が正軒にとって最善の道であるかのように説いた。
……しかし、それを受け止める正軒は、げんなりと表情を曇らせて、
正軒「埒が開かん、先輩、帰ろう」
と相手を無視して席を立つ。
清美「正軒さまッ!」
それを清美が呼び止める。
清美「お義父様は、今、正軒さまを玲皇学園に転入させる手続きをしておられます」
正軒「は!?」
転入。
これにはさすがの正軒も振り返る。
正軒「何勝手なことしてんだ!そんなの本人を無視して進めるんじゃねえよ!…第一、そんなの上杉さんが了承するわけねーだろ!」
清美「…はい、後見人の上杉様は、とりもなおさず本人が同意するなら是非もない、と仰られたそうです。なので、清美が今日、その意志を確認するためにまいりました。―――正軒さま、玲皇学園へ転入なさいませ」
有栖「玲皇学園……!」
その学校名に目の色が変わった有栖を、正軒が怪訝に見詰める。
正軒「え?何?知ってるの先輩?」
有栖「知っているも何も、去年の全国優勝校だ。…無論 剣道の」
正軒「うわー」
父親の意思があまりに露骨過ぎて、呆れるばかりの正軒。
有栖「しかも男子、女子、揃っての優勝旗獲得だ。現時点で間違いなく全国最強といっていい」
清美「清美の通う高校でもあります」
清美が割り込み、つらつらと説明を続ける。
清美「部員の皆様も、先年の優勝メンバーの半分近くが在籍し、歴代の中でも最高の水準に達しています。正軒さま、まずは この学校の中で頂点を取られなさいませ。二年間の錆落しには ちょうどよいでしょう」
正軒「……て、親父が言ったのか」
清美「…はい、………正軒さま、お義父様は この二年間、辛抱強く待ち続けてこられました。今こそ正軒様は、お義父様の想いに応え、これまでの親不孝を清算なさるときです」
正軒「帰ろうッ!!」
正軒は脇目も振らず清見から背を向け、教室のドアへ向かって歩き出した。
強引に有栖の腕を掴む。
有栖「ちょちょ……ッ!」
突然のことに有栖はバランスを崩しそうになるが、それでも正軒の牽引する手は力強く、有無を言わせない。
正軒から見れば虫唾の走る思いだった。
誰も彼もがレールの上に自分を乗せたがる、しかもそれが自分への最大の恩情だと思っている。
自分のやっていることが親切だと信じて疑わない人間に、何を言っても無駄だ。
ならば自分の方が、その人物の前から去るしかなかった。
できることならもう二度と遭遇したくはない、そんな願いを浮かべながら。
有栖「…ッ!正軒危ないッ!」
正軒「ッ!?」
突如たる有栖の叫びに、正軒は身をひねった。
すると次の瞬間、稲妻のような剣閃が彼の体を掠めていった。
清美が、有無を言わさず後ろから斬りかかってきたのである。
清美「……安心しました。思ったほど感は鈍っていないご様子、これなら復帰後もブランクを埋めるのに そう時間はかからないでしょう」
もう少しで背中に直撃するところだった。
そんな事実があるにもかかわらず、清美はあいも変わらず涼やかに笑うのみ。
彼女の手には、絣柄の竹刀袋に覆われたままの竹刀が一振り握られていた。アレで正軒に斬りかかってきたのか?
正軒「いきなり斬りかかってくるたー危ねぇヤツだな。ナントカに刃物か」
正軒が、自身の危機にもかかわらず落ち着きを失わない。
清美「お義父様から言い渡されております。正軒さまが駄々をこねられる場合には、厳しく躾けてやれと」
そう言って、清美は竹刀袋から その中身を取り出す。
それを見て、有栖はあっと息を呑んだ、何故なら竹刀袋の中から出たのは竹刀ではなかったからだ。
木刀。
赤樫の木刀。
しかも何年もよく使い込まれ、手垢で黒々としている。
彼女が学んでいるのは古流剣術、現代剣道よりもなお実戦的を謳う その流派は、練習のときも竹刀でなく木刀を使う。
竹刀より硬く重く、大きなケガにもつながりかねない危険な道具を、今目の前の可憐な少女が握っている。
清美「正軒さまが あまりにワガママを仰るので、清美も厳しく当たるしかございません。正軒さまの腑抜けた心根を、清美が叩き直して差し上げます」
言い終わるやいなや、清美は正軒目掛けて疾駆する。
有栖「メチャクチャだ、あの娘!」
有栖は悲鳴を上げたが、次の瞬間、別のことでそれ以上に驚いた。
有栖「(は、速いッ!?)」
清美の打突が、だ。
彼女が古武術家の嫁(予定)として、古流剣術を習っているのは既に聞いた。しかしこの速さは、まさしく電光の速さは、有栖の目に留まらないほどで、有栖の常識を覆すほどに速かった。
正軒「ぐっ!」
そんな速さで斬りかかられたのだから たまらない。正軒は袈裟斬りを まともに喰らって地面に膝を付いた。
有栖「(ウチの今川より速い……?)」
修養館特待生の今川ゆーなは、基本を無視することによって『速さ』のみを純然に追い求める構えを自己開発し、それによって三年生の有栖すら圧倒するほどの速さを得た。
しかし目の前にいる真田清美は、その今川ゆーなよりなお速い。しかも古流剣術から学んだ型もしっかりと鍛錬され、付け入る隙がなかった。
“基礎”と“速さ”、有栖の脳中で けして合い入ることのなかった二つの長所が、清美という少女の中で融合している。
それだけで、清美の中の怪物じみた才気をひしひしと感じ取ることができた。
有栖「あの娘は、……二年前に、正軒のことを完膚なきまでに叩きのめした………」
その話は前もって聞いていた有栖。
だがしかし、今の今まで その話を本当のことだとは信じられずにいた。彼女が直接肌で感じた正軒の強さは本物であり、こんなに強い男を圧倒できる女子などいるわけがないと思っていたから。
しかし、今となっては すんなりと信じることができる。
実物が目の前にいるのだから。
正軒「……うっ、痛ぇ………」
正軒が打たれた肩を抑えて呻く。硬い木刀で叩かれたのだから当然だろう、もしかしたら骨にヒビが入っているかもしれない。
清美「正軒さま、アナタは逃げておられます」
清美の容赦ない追い討ちがくる。しかし丸腰の正軒は防ぐこともできず、かといって避けるには太刀筋が鋭すぎ、面白いように喰らってしまう他ない。
清美「アナタが剣から逃げてしまったのは、清美に負けたからですか?生まれて初めての敗北が、それほどまでに堪えましたか?」
清美は、婚約者を何度も打ち据えながら言い諭す。
清美「では何故、その無念を晴らそうと己を磨かぬのです?こともあろうに その逆を行き、剣から逃げてしまうとは、清美は情けなくて声も出ません!」
正軒「…………」
清美「思い通りにいかなければ投げ出してしまう、お義父様や周りの人に迷惑をかけて なんとも思わない。正軒さまは、その輝く才気に比して あまりに心根が貧弱すぎます。これからは清美が一日も欠かさず傍におり、正軒さまの心を鍛えて差し上げましょう!」
嵐のような打擲が正軒を襲っている。
折檻、というべきか、しかし見る者によって虐待といった方がより正確なほど、清美の剣撃は激しく厳しかった。
正軒は抵抗することなく それに耐えている。
反撃は一切できない。清美は ただ打擲しているようで その速さ、剣の入り身に絶妙のリズムをもたせ、相手の反撃を牽制しているのだった。
防ぐことも、逃げることも、反撃することも許されない。
これでは あまりに…………。
有栖「やめろッ!」
気付けば有栖は、携帯していた竹刀ケースから竹刀を抜き放ち、二人の間に割って入っていた。
叩き落される木刀を竹刀が阻む。その衝撃は、有栖の腕の骨まで響き渡った。
清美「アナタは………?」
清美が一度剣を引く。この闖入者に少なからず戸惑っているようだ。
清美「誰ですかアナタは?」
有栖「今まで隣にいたのに気付かなかったのかッ?」
どうやら彼女は正軒のことしか目に入っていなかったらしい。
それだけ正軒のことに首ったけなのか?それとも自分の興味のあること以外はシャットアウトできてしまう性格なのか?
清美「ともかく、どなたか存じ上げませんが いらぬ容喙はおよし願います。これは清美と正軒さま、つまり妻と夫、武田家の内の問題です」
有栖「そうはいかん、私だって正軒の関係者だ!」
清美「?、どういうことです?アナタは正軒さまと どういった間柄なのですか?」
恋人だッ!!
…と言おうと思ったのだけれど、実際どうなんだろう?正軒は ご破算にしたつもりでも、彼女は正軒の婚約者なわけだし、ここで迂闊に恋人宣言とかしたら逆に話がややこしくなるのでは……?
有栖、竹刀を構えたまま悩む。
そもそも恋人宣言してしまっていいのか?いいよな、ベロチューとかしたし。
清美「無視しないでください!アナタは正軒さまの何なのですかッ!」
答えを迷っていると、侮られたと思ったか清美が声を荒げる。
黙っているわけにもいかなくなった有栖が、
有栖「あああ、あのだな……、私はこの学校の剣道部の主将で、正軒との出会いは偶然であって、なんというか、世話になったと言うか、世話してやったと言うか…………」
なんだか しどろもどろなのであった。
清美「あっ、もしかしてアナタが、正軒さまが指導なされたという……」
有栖「何故知っているッ?」
清美「お義父様から伺いました。……たしかに、アナタにはお礼を申し上げねばなりません。正軒さまが剣に目覚められる きっかけを与えてくだすったのですから。ですが ここから先は、我々武田家の仕事です。アナタが目覚めさせた正軒さまは この私が正道へ導きますので口出しは無用に願います」
有栖「こんな虐待のような やり方が指導だと言うのか?」
有栖は声を厳しく言い放つ。
有栖「私は部の主将だ、そして祖父は剣道教室の教師を務めている。その立場から言わせてもらうが、厳しくすることが人を成長させるのことに繋がるとは限らない。まして口汚く罵り、叩きつけるなど………!」
清美「それは剣道での話でしょう?私たちの古流剣術とは違うものです」
清美の口調は冷徹だった。
清美「アナタ方がたしなむ剣道は、所詮スポーツの一種。負けても何も失わない、叩かれてもケガをしない お遊戯です。ですが私たちの修める古流剣術は違います、戦国の気風を受け継ぐ我が流派は、負け即ち死、実戦の気構えをもち日頃の稽古にも生死を賭けて臨みます」
有栖「……」
清美「ですので虐待だのなんだのと甘いことを言う余地はありません。戦場でグズグズしていれば斬られるのは当然のこと、正軒さまも それはご承知のはずです」
有栖「私たちが遊びで剣を振っていると言うのかッ?」
清美「そうは言っていません、アナタ方は、アナタ方の覚悟の範囲で本気なのでしょう。ですが私たち古流の覚悟は、アナタ方とは別種の本気で剣を振るっているです、その差を どうかご理解ください」
有栖「わからんな、キサマの言動は侮辱と受け取ったッ!」
なんだか売り言葉に買い言葉となってしまっている。
が、それは有栖の浮いていた決意を固めさせる要因にはなった。
有栖「こんな無礼なヤツに正軒を連れて行かれるわけにはいかんな。キサマの目論見、全力で止めさせてもらう!」
有栖は竹刀の切っ先を突きつける。
対して清美は、激しい気迫を当てられても 柳のように受け流し、
清美「困りましたね、アナタも正軒さまに指導していただいたのなら、古流の強さはわかっているでしょうに……」
それでなお立ちふさがる有栖に、
清美「お見せするしかありませんね、戦場で鍛え上げられた、本当の剣術の強さを」
そう言うと、清美は、その言動を即座に実行に移した。
ふおん、と風がなる音。
有栖「えッ?」
気付いたときには、有栖の竹刀は大きく上に跳ね上げられていた。清美の木刀の、強固な逆袈裟の一撃によって。
有栖「なっ?」
清美「竹刀とは軽いですわね」
簡単に飛ばされた竹刀のためにガラ空きとなった胴、そこへ目掛けて清美の鋭い横薙ぎが迫る。
有栖「くッ!?」
間一髪、身を引くことで直撃を避けた有栖だったが、敵の猛攻はそれで終わるわけがない。息もつかせぬ連続攻撃に、有栖は守りに徹することがやっとだった。
清美「しっかりと防ぎなさい、防具がなければケガでは済みませんよ」
清美「打たれるのが面・小手・胴だけだと思わぬことです、これは試合ではないのですから」
清美「いいのですか そんなに下がって。壁にぶつかっては身動きが取れなくなりますよ?」
清美の太刀運びは、速く、鋭く、正確無比だった。
剣道の名門と言われる修養館、その主将を務める有栖ですら彼女に対して手も足も出ず、防ぐのが やっと。
有栖「(勝てない……)」
というのが太刀を合わせた瞬間に わかった。
真田清美は、これまで闘ってきた どの相手よりも別種の生き物だった。
受けるだけで どんどん体力を消費して、息が乱れていく。
2、3分もすると、有栖は顔中から滴るほどの汗を流し、敵の前に這いつくばっていた。
清美「おわかりになりましたか?これが実戦の剣と言うものです」
清美の息は穏やかだ。
清美「アナタは正軒さまの剣を知っているのでしょう、それで古流をわかったつもりでいたのでしょう。ですが、アナタは重大なことを お忘れです。正軒さまは私との試合から二年間、剣から遠のいていたのです。いかな名刀でも二年も手入れを怠れば錆付くもの、それを見て古流の強さとお思いならば、勘違いもはなはだしいものです」
たしかに有栖は、日々の稽古から正軒の強さを目の当たりにしてきた。
稽古の間だけ見せる剣士としての正軒の強さは まさに本物だった。少なくとも そう思えた。
清美「対して この私は、当時ですら正軒さまより上でありながら、今日まで一日とて稽古を欠かさずにきました。今の私の強さは、二年前とは比べ物になりません」
有栖「…………」
清美「私は、そのことを見ていただくために ここへやってきたのです。この二年間、正軒さまが いかに無駄な時間を過ごしたか、そしてその二年間を有効に使った者が いかに進歩したか、それを見せ付けることで正軒さまにご自身の甘さを実感していただくのです」
そうかもしれない、と有栖は思った。
有栖には、武田正軒が天才に思えてならなかった。自分が努力に努力を重ねてやっと踏み入れるかどうかの領域を、あっさりと越えていく正軒。彼の強さは本物だと思っていた。百年に一度とかいう天才は、こういうものかと思った。
これほどまでに才気に溢れていたなら、剣術というものの底が見えてしまって、途中で投げ捨ててしまう気持ちもわかるような気がした。
しかし世の中には、そんな正軒をも倒してしまう真田清美という才気まである。
正軒という天才を超える、清美という天才。まして同じ時間を、怠惰と努力という真逆のもので埋めてきたのなら、その差は歴然たるものだろう。
有栖「本当に、そうか?」
有栖は いまだ息を整えられない。
陸に釣り上げられた魚のように口をパクパクさせている、酸欠で今にも倒れそうだ。…なのに、その言葉はハッキリと清美の耳に届いた。
清美「…………なんですって?」
有栖「たしかに私は、正軒と剣を合わせたことがある。最近の正軒とだ。二年間サボりまくりの、キサマと仕合った頃とは比べ物にならないほどナマクラな正軒とな」
何度も言うが正軒は強かった。
祖父の剣道教室で正軒とやりあったこと。おもしろいように叩きのめされて防御すらままならないほどの有栖。手の平で遊ばれるとは ああいう感覚なのだろう。有栖は、当時 素人だと思ってばかりいた正軒に手も足も出ず、経験者としてのプライドがズタボロだったのを覚えている。
有栖「そして今日、キサマを相手にも なんとか食い下がるのが やっとだ。…まったく天才という者どもは、凡人が必死に努力しても簡単に その上を行く。………だがな、もう一度言うぞ」
清美を相手には、食い下がるのが やっとだ。
清美「…だからなんだというのです?」
有栖は清美に食い下がるのが やっと。
そんなことを念押しして どうなると言うのだ?自分が敵より弱いことを再確認してどうなると言う?
有栖「さっき言ったろう、私が正軒と闘ったときは、防御すらできなかった、食い下がることすらできないんだ。嵐の中のビニールシートみたいに翻弄されて飛び回る。完全に正軒のいいように遊ばれるだけなんだ。………だが、もう一度言う、キサマになら勝てないまでも、食い下がることはできる」
清美「……………」
有栖「おかしくはないか?二年間、正軒はサボりキサマは努力し続けた。ならばその差は埋めがたいほどに開いているはずなのに、そうは思えない。キサマと正軒、その両方と剣を合わせた私だからこそ わかる実感だ」
清美「……黙りなさい」
有栖「以上のことを一言でまとめると、こうだ」
お前は本当に、正軒より強いのか?
清美「黙りなさいッ!」
激情とともに清美が木刀を大きく振り上げる。
上段からの面打ち、そう予測した有栖は反射的に竹刀を上げ、頭部の防御に回らせる。――――しかしそれこそが、清美の罠だった。
清美「かかりましたね!」
脳天目掛けて振り下ろされる、と思われた剣の軌道が ぐにゃりと曲がる。
有栖「!?」
フェイント。
そうとは思えないほどの淀みない動作と凄まじい気迫に、有栖ほどの経験者をもってしても まんまと騙されてしまった。
有栖の竹刀を上段へ誘い込んだ清美は、そのせいでガラ空きになった胴へ、電光の打ち込みを喰らわせる。
有栖「ぐあぁぁッ!!」
有栖のくびれた腰に、鉄のように硬い木刀がめり込む。
内臓が口から飛び出しそうなほどの衝撃。有栖は痛みに悶絶した。
清美「アナタがいけないのです、アナタが、おかしなことを言うから………!」
清美は血走った目で、悶え苦しむ有栖を見下ろす。
もはや二人の勝負はついたというべきだった。有栖は腹部の痛みで闘いどころの話ではない、というよりも一刻も早く病院に担ぎ込むべき状態だった。
しかし それを見下ろす清美は、それでも飽き足らぬ、という表情を浮かべた。
もはや抵抗する力もない有栖に向けて、再び木刀を振り上げる。
清美「アナタが悪いんです………!」
振り下ろす。
清美「アナタが悪いんですからッ!!」
そして、ダメ押しの一撃が突き刺さる。
グシャリッ。
肉を潰す手応えが、木刀を伝わり清美の手にまで届く。サディスティックな快感が、清美の骨身にゾクゾク走った。
が、
その木刀が叩き付けたものを目で見、清美は動転した。
清美「なっ…!?」
自分が何を傷つけたかを見て、清美は その身が凍りついた。
清美「正軒さまッ!………何故ッ!?」
清美と有栖の間に、今度は正軒が割って入っていた。右腕を盾代わりに木刀の一撃を防ぐ、本来であれば有栖の身を突きえぐるはずだった それを。
有栖「せいけん……」
有栖も、痛みに耐えながら正軒の登場に戸惑っていた。
正軒「…………」
正軒はしばらく、むくれたように沈黙していたが、やがて、
正軒「まったく、先輩もムチャするよな、せっかくヒトが穏便に済ませようとしていたのに」
有栖「お前…、やっぱり、ワザと抵抗しなかったのか?」
正軒は、清美に木刀で殴られたとき、避けることも防ぐことも、反撃しようともしなかった。
それはワザと意識してやったことだった。
清美「えっ?」
そう明かされて困惑の清美。
正軒「まあなー、何もせずに殴られっ放しにしてたら飽きて帰ってくと思ったからなー。平穏無事な生活が続くんなら、痛い思いすんのも やぶさかじゃあない、とか思ってたんだけども………」
先輩まで殴られちゃあ黙ってるわけにもいかないな。
正軒の目の色が変わった。
眠りかけた亀から、巣をつつかれた猛禽へと変わった。
清美「えっ?え…ッ?」
わけがわからず清美はただ戸惑う。
そんな彼女の困惑も意に介さず、正軒はただ、ずっとひた隠しにしていた戦いの意志を、包むことなく露にするのだった。
正軒「自分の女を傷つけられた」
男が人を殺す理由としちゃあ、充分だ。
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突如現れた正軒の許婚、真田清美(さなだ せいみ)。
彼女の目的は、剣を辞めて勘当された正軒を実家に連れ戻すことだった。
目的の違いから衝突する正軒と清美。
そして正軒の今カノである有栖の立場は?