No.111941

テラス・コード 第二話

早村友裕さん

 ――生きなさい――

 それは、少女に残された唯一の言葉だった。
 太陽を忘れた街で一人生きる少女が、自らに刻まれたコードを知る。

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2009-12-13 01:48:55 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:993   閲覧ユーザー数:975

第二話 ヨミ

 

 

 

 

 

 カノは約束に違わず、本当によくしてくれた。治療をしたのも彼らしい、どうやら医療の心得があるようだ。

 退屈はしなかった。ヨミがいつも遊びに来てくれて、沢山の事を話してくれたからだ。

 カノの下には30人近い異形(オズ)狩りがいて、ヨミもそのうちの一人らしい。さらに、あたしはずっとこのベッドに釘付けだったから分からないが、カノが取り纏めをしているこの集団では、怪我人を見てその見返りを貰うという、ある種の商売にも手を出しているらしい。

 いずれにせよ、この街でこれだけの量の薬や包帯、そして食料があるのは不思議なくらいだった。

 

 

「さあ、これで大丈夫。あとは右足だけだね」

 

 カノが左腕の包帯をくるくると巻き取り、にこりと笑った。

 ここにきてから、長い時間が経っていた。

 異形に焼かれた皮膚が再生し、ほとんどの怪我が完治した。まだ痕は残っているが、これは一生消えないだろう。

 

「これでもう動けるね。よかった」

 

「ありがとう、カノ」

 

 歩行補助器具を足に装着し、あたしは久しぶりに立ちあが……ろうとした。

 結果は、全然力が入らずにベッドに引き戻されたのだが。

 

「テラス!」

 

 そこへ、ヨミが駆け込んできた。

 

「元気になったんだね」

 

「うん、ありがとう、ヨミ」

 

 最初にカノが、あたしの味方だ、言ってくれたのは嘘ではなかった。育て親を失ってから、何の臆面もなく仲間と呼べるのはツヌミしかいなかったのに。

 ヨミは、あたしの両手をとってゆっくりと引いた。それを支えに、もう一度ゆっくりと立ち上がる。

 今度は少しふらついただけできちんと地面に両足で立つことが出来た。

 と、ふと気がつけばヨミの顔が見上げる位置にある。

 あれ? この子、こんなに背が高かったかな? いつもベッドから見上げてたし、カノとの身長差もあるし、言葉も動きもどこか幼いから、てっきり背も低いと勘違いしてたけど。

 

「ヨミ……意外と背が高かったのね」

 

「え、そんなチビだと思ってたの~?」

 

 ヨミが意地悪そうに笑う。彼のこの表情は、ベッドの上から見ていたら子供のように無邪気だと思っていたのだが……今こうやって見上げると、少しばかりその解釈が違っているように思える。

 あれ、おかしいな。

 彼は綺麗に整った顔をぐい、と近付けた。額が触れそうに近い。

 

「それに僕、こう見えても強いんだよ? テラスを守れるくらいにはさぁ」

 

 思わず腰が引けて倒れそうになったが、ヨミはそれを許さなかった。

 逆に両手を強くひき、自分の方に引き寄せた。

 

「一応さ、我慢してたんだ、テラスが怪我してたから。でも、もういいよねっ」

 

 気がつけばあたしはヨミの腕の中にいて、背にはしっかり彼の腕が回っていた。

 ツヌミがあたしの頭上で警戒音をあげる。

 一気に顔が火照った。

 

「ヨ、ヨミ?!」

 

「んー、テラス、柔らかくていい匂いする~」

 

「や、やめてっ」

 

「え、嫌? テラス、僕のことキライなの?」

 

「キライって、わけじゃ」

 

 嫌いじゃない。

 だって、こんなにも分かりやすく、見返りのない好意を受けたのは初めてで、それはとても心地よいものだったから。生きる事に必死で誰と話す事もなかったあたしにとって、ヨミは初めての『人間の友達』だったから。

 

「びっくりしただけ……」

 

 あたしがこれまで知らなかった人間の温もりとか優しさとか、触れたところから伝わる鼓動とか。

 そういうものを教えてくれたのは、全部ヨミだったから。

 

「大丈夫だよ、テラス。これからは僕が君を守るから。怪我させたりなんて絶対しないよ」

 

 だから、忘れていた。

 あたしはまだ、何も知らないんだって事。

 ヨミとあたしの中に眠るプログラムの事も、タカマハラの事も、怪我をして動けなくなったあの時に一瞬で大型の異形を倒し、あたしを助けてくれた人がいったい誰だったのかも。

 そして、この街を囲っている防御壁がいつできたのか、異形の正体は何なのか、街の外には何があるのか。なぜこの街は、太陽を捨てたのか。

 あたしは何も知らなかった。

 それだけじゃない。ヨミの言葉の意味を考えようともしてなかったんだから。ただ『仲間』だと思える人たちが出来た事が嬉しくて、舞いあがっていた。

 抱きしめるのだってただの愛情表現だと思っていた。我慢していた事が何なのか、考えればすぐに分かったはずなのに。

 

「テラス……もうどこにも行かないでね。君を守るのは僕の役目なんだから。誰にも渡さないもんね」

 

 もう一度見上げたヨミの顔は、今まで見た中で一番大人びていて、さらに頬が火照ってしまった。どうしよう、心臓が爆発するかもしれない。

 反則だ。

 最終手段。カノに目線で助けを求めた。

 

「ヨミ、そろそろテラスを離してあげなさい。ほら、困っているでしょう?」

 

 カノにたしなめられて、ようやくヨミは腕を解いた。

 あたしはもう一度ベッドにへたり込んで、火照る頬を押さえていた。

 

 

 

 

 

 

 ツヌミはすでに枕の横に丸まって眠っている。

 頭を冷やそうと、あたしは歩行補助器具をつけて部屋を抜け出した。

 部屋の中は明るかったけれど、廊下に出るとそこは真っ暗だった。目が慣れるまで、手探りで壁伝いを歩く。まだ歩行に慣れていないから、壁伝いに移動するのは好都合だった。

 どうやらあたしのいたような部屋がいくつもあるようで、壁には扉が何枚も何枚も並んでいた。足元は感覚からしてむき出しのコンクリートだろう。

 だいぶ目が慣れてきた頃、あたしの目の前には階段が現れた。ぼろぼろになってしまった手すり。今にも崩れ落ちてしまいそうな階段。

 その向こうには、闇の空間が広がっていた。

 

「外かな……?」

 

 太陽を忘れたこの街では、建物の外が一番暗いのだ。

 あたしがいた部屋は、どうやら地下にあったらしい。階段が風化しているのも、壊れた街に紛れさせる事で異形が侵入してこないようにする対策だろう。

 あたしは右足を引きずりながら一歩一歩階段を上って行った。

 

 

 

 階段の上は、やっぱり外だった。

 暗視スコープがない今、周囲の状況はほとんど分からないが、だいぶ慣れた目で近くに転がるコンクリート塊が辛うじて確認できた。

 それに、完治したばかりの皮膚は鋭敏だ。空気の動きさえ感じ取れる気がする。

 あたしは崩れた建物に背を持たれかけ、座り込んだ。

 

「異形は……いないみたいね」

 

 刹那、背後から声がした。

 

「確かに感知できる範囲にはいないが、獣型タイプPなどは気配を察知した頃には既に近づいているかもしれないぞ」

 

 しまった、誰かいたの?!

 はっとしたが、足の怪我でとっさに立ち上がれない。

 次の瞬間には、隣に人影が立っていた。

 暗くてよく分からないが、カノほどの身長はあるだろう。黒衣に身を包んでいて、まるで闇に溶けるようだった。

 

「誰?!」

 

 こんな場所にたった一人……と、言う事は異形狩りと見て間違いないだろう。

 やばい、一人で外に出るのは危険だった……と、思ったが、相手から投げかけられた言葉は意外なものだった。

 

「誰、だって? 俺がどれだけお前を……!」

 

 その人は一瞬声を荒げたが、すぐにため息をついた。

 

「まあ、いいや」

 

 諦めにも似たその声は、どこか悲しげだった。

 しかし、よく考えるとこの声には聞き覚えがある――ああ、そうだ。あの時。

 

「もしかしてあなた、あの時にあたしを助けてくれた異形狩りの人?」

 

 

 

 

 返答はなかった。

 代わりに、その人影はあたしの隣に座り込んだ。

 とっさに警戒できず、接近を許してしまう――不覚。こんな素性の知れない男に近づかせるなんて、怪我をしているとはいえ一か月前のあたしなら考えられない事だった。

 カノやヨミとの生活の中で、反射的な警戒心が薄れてしまっていたのかもしれない。

 

「治ったのか、怪我」

 

 そのつっけんどんな言葉があたしを心配しているものだという事に気付くまで、数秒ほどかかってしまった。

 だってまさか、こんな見ず知らずの人があたしの怪我を心配してくれるとは思わなかったから。

 その間、あたしはたっぷりその人に見とれていた。浅黒い肌に、闇でも目立つ琥珀の目と襟足を少し伸ばした黒髪をもつ、美青年だったからだ。可愛らしくて柔らかい空気を持つヨミとは正反対、どこか猛々しく勇ましい、男前と言った方が似合うような容姿。

 まじまじとその姿を観察してから、あたしははっとした。

 

「あ、うん、大丈夫」

 

「そうか」

 

 あたしの返事を聞いて安心したかのようなその声で、初めてカノとヨミに会った時を思い出した。

 この世は敵ばかりではない――二人はそれを教えてくれた。

 もしかして、この人も敵ではないのかしら。

 

「あの、名前……教えてくれない? あなた、あたしの敵じゃないんでしょう?」

 

 きっとこの人はヨミたちと同じ、あたしの味方だ。だってあたしの怪我を心配してくれた。治ったって言ったら、安心してたから。

 そうに違いない。

 その男前な青年は、ぼそり、と言った。

 

「……ミコト、だ」

 

「ミコト」

 

 その名を繰り返し、じっと金の瞳を見つめたあたしを、ミコトは奇異なものでも見るような目で返した。

 

「お前……何を、どこまで分かっている?」

 

「どこまで?」

 

 きょとん、と聞き返すと、ミコトは額に手をあててはあ、と大きなため息をついた。

 

「その様子じゃ、何も知らないみたいだな」

 

 諦めというよりは馬鹿にしたようなその言葉に、なんとなくむかっとする。

 

「お前の事だ、どうせヨミとカノの奴に丸め込まれているんだろう。そうやって丸ごと信頼するのは危険だと思わないのか? 今だって見ず知らずの俺に簡単に心許しやがって……危なっかしいにもほどがある」

 

 それがあたしの無知と軽率さを余すところなく非難していて、ますます怒りのボルテージが上がった。

 久しく忘れていた、怒りの感覚。あまりに久しぶり過ぎて、それを抑える術なんてとっくに忘れてしまっているくらいだった。

 

「ナギもこんな街に連れ出すんなら、少しくらいは警戒ってものを」

 

 気がつけば衝動にまかせてあたしはミコトに叫んでいた。

 

「どうせあたしは何も知らないわよ!」

 

 その途端、ミコトはぎょっとした顔をする。

 何、その顔。あたしが馬鹿にされてもニコニコ笑っているような寛容な人間だと思ってた? 冗談じゃないわ!

 

「あなたが何者なのかも、ヨミとあたしの事だって。本当にここにいるのがいい事なのかも……!」

 

「何でそこで怒るんだ」

 

 ところが謝るどころかただ困惑したような声を出したミコトに、ますますむっとする。

 

「あんたのせいよ!」

 

 ここは本当に居心地がいい。寝食の心配はいらないし、カノは優しい。それにヨミだって……。

 でも、その反面、ひどく不安になる事がある。

 このまま安寧とした生活を続けていると、危機感まで失ってしまう。自分で『生きる』事を忘れてしまいそうになる。

 ミコトの言葉は、偶然にもあたしの油断と、そこからくる不安を抉り出してしまった。

 自分の立ち位置が安定しない不安感。それは、何者にも代えがたいものだ。

 ミコトが悪いわけじゃないのは分かっている。ただ、タイミングが最悪だった。

 

「どうしたらいいのかなんて、あたしには分からないのよ!」

 

「だからって俺にやつあたりするなよ」

 

「うるさいっ」

 

 あたしはミコトを一喝して、睨みつけた。

 本当は、ずっと怖かった。あの安寧の中で、あたしがいったい何者なのかという不安にいつも押しつぶされそうだったのを隠していたんだ。

 それを、初対面のミコトに気付かれた……!

 

「だって仕方ないじゃない、誰も教えてくれなかったんだから……!」

 

 こんな風に怒ったのは久しぶり過ぎて、どうにも制御できない。

 今日のあたしはちょっとおかしい。ヨミに抱きしめられて動揺したところに、ミコトに図星を突かれて、とうとう爆発してしまったのかもしれない。

 ヒステリックに叫んだあたしを見て、ミコトは急に真剣な顔になった。

 

「テラス」

 

 真摯な眼差し。

 金色から目が離せなくなる。闇の中でも目立つ煌めきに、吸い込まれそうになる。

 

「落ち着け。騒ぎ立ててもお前は満足なんてしないだろうに」

 

「なっ……」

 

 もう一度叫ぼうとしたあたしの口を、ミコトの大きな手が塞いだ。息が詰まって、頭に血が上る。

 

「それよりも、お前はここを動くな」

 

 抑揚のない声でそう言って、ミコトは立ち上がった。

 肺に一度に空気が流れ込んで、思わずむせる。

 

「いったい何様のつもり?!」

 

「すぐ終わる」

 

 そう言うと、彼は両手をぱん、と胸の前で打ち合わせた。

 

「音声認識、オン。出て来い、トツカ。今回は人型だ」

 

「へーぃよ」

 

 どこかから、ミコトとは違う声がした。

 そして、彼が合わせた両手を少しずつ離していくと、その間から光輝く剣が現れた。

 柄は黒塗り、幅広ではあるが片刃の剣は、刀身がまっすぐで長さがあたしの身の丈ほどもある。刃はまるで燐光を帯びたかの様に煌めいていて、その明かりでミコトの金の瞳が揺らめいた。

 その勇壮な姿に、思わず息を呑んだ。

 

「人型進行度MID-3……ギリ、無理だーわ」

 

「……そうか」

 

 暗視スコープのない状態で、黒い粘液を纏う異形の姿など見えはしない――はずだった。

 が、あたしの目に飛び込んできたのは、異形の黒い粘液ではなく、『人間』だった。

 乱れた黒髪がとても異形とは全く違う、女性の白い首筋に張り付いている。恐怖が張り付いた表情は苦痛と共に吐きだされた悲鳴と相まって凄まじい形相を呈している。白い肌が完全に露わになった女性の上半身と対照的に、下半身は異形と化している――どす黒い液体を垂れ流しながらずるずると這っているのだった。

 

「ミコト、待って! あれ、人間なんじゃ……?!」

 

「あれは異形だーぜ、テラスちゃんっ。もう手遅れだからーね!」

 

 ミコトではない声。それは、どうやら彼の手にある剣から漏れているようだ。

 

「お前は『本当に』何も知らないんだな」

 

 剣を構えたミコトは、振り向きもせずに言った。

 

「あれ……何? 異形って、いったい何なの?」

 

 全身が震えている。恐怖と不安でいっぱいになる。

 

「あれれー、テラスちゃん、倒した後、異形がどうなっちゃうか、見た事なーいのー?」

 

「倒した後……?」

 

 そう、辛うじて人のような形をしている異形を倒した後に残っているのは……

 

「異形は、もともと人間だったものだ。『外』に取り残され、遺伝情報を蝕まれた生命体の行きつく先。もはや人間に戻す術はない」

 

「!」

 

 異形(オズ)が、元人間――?!

 

「殺るぞ、トツカ」

 

「へーいよぉー」

 

 この闇の中、異形を前にするにはあまりに気の抜けた返事が響く。

 そして。

 

「開放系1段階、斬(ざん)……石折神(いはさくのかみ)!」

 

 鋭いミコトの声が飛んだ。

 同時に振り下ろされた大剣から鋭い斬撃が飛ぶ。

 真っ直ぐに飛んだ光は、何の迷いもなく異形(オズ)の体を分断した。

 

 

 

 光が引いた跡には、人骨だけが残されていた。何かをこいねがうように伸ばされた手。これは、最後に救いを求めていたのか。

 『人間』を分断した先ほどの光景がよみがえり、思わず口元に手をあてた。

 思わず目をそむけた時、視界の先にはぼんやりと発光する大剣トツカを手にしたミコトの姿があった。その姿は、ぞくりとするほど美しかった。

 

「異形にも段階がある。半異形化したものや、完全に異形化し原形をとどめないもの。そしてほぼ人間の形をとどめているもの」

 

 淡々としたその声は、今のあたしを落ちつかせる効果を持っていた。

 

「本当に何も知らないんだな。あの防御壁の向こうに何があるか」

 

「しょーがねぇーよ、ミコト。岩戸プログラムが発動したんだーぜ? にしたってかーわいいねぇー。その萌葱色の瞳がたまんねいぜっ」

 

 やはりこの声の主はミコトが手にした剣らしい。

 

「黙れ、トツカ。何れにしても、ヨミかカノが説明する時間は十分にあったはずだ。奴らはテラスに何も教えないつもりなのか?」

 

「そうだけーどよぉー」

 

 あたしは声も出なかった。

 これまでずっと倒してきた異形が、もともとは人間だったなんて……!

 いや、心の片隅では分かっていた。何しろ人に近い形の異形を倒した後にはほとんどの場合、人骨が残されているのだから。

 それでも数え切れないほどの異形を葬ってきたあたしの罪が全面にさらけ出され、あたしの心は悲鳴をあげていた。

 そこへ投げかけられた容赦ない言葉。

 

「テラス、お前、あの二人に随分と心酔しているようだが、あいつらはお前に何も与えやしないぞ。そんな簡単な事、そろそろ気づけ」

 

「そっ、そんな事……」

 

 ない、と言おうとしたが強く反論できなかった。

 安心だけを与えられ、真実を与えず、いつの間にか懐柔された形になってしまっている。ミコトの言葉はそんなあたしの状況を的確に見抜いていた。

 

「……テラス」

 

 唇を噛みしめ俯いたあたしの頬に手が触れる。

 あの時と同じ、優しい手。

 

――生きなさい

 

 ああ、またあの声が聞こえる。

 

「だから、俺と一緒に来い、テラス」

 

 どうしてだろう、金の瞳から目が離せない。

 

 声が出ない。

 何も考えられない。

 

――生きなさい、アマテラス

 

 あたしは。

 あたしは――

 

 

 

 

 

「テラスっ!」

 

 鋭い声で目が覚めた。

 

「君だったの、ミコト!」

 

 はっとして振り返ると、あたしが出てきた階段からヨミが飛び出して来るところだった。

 

「テラスから離れろ、ミコト!」

 

 ヨミが右手を天高くつきあげると、その手に黒塗り細鞘の長槍が現れた。

 その槍を振り回しながら、ヨミがこちらへ突っ込んでくる。

 

「トツカっ!」

 

「はいよーっと」

 

 ミコトは『トツカ』で間一髪、槍を受け止めた。

 

「相変わらずだな、ヨミ」

 

「君もね、ミコト。テラスに何を吹き込んだか知らないけど、彼女にこんな顔させるなんて……赦さないよ」

 

 ヨミは、これまで見た事のないくらい怒っていた。

 いや、見た目は笑顔なのだが、纏った空気が刺すほどに痛い。殺気に近い敵意をむき出しに、ミコトに向かって槍を突き付けている。

 それは普段の優しい彼とは似ても似つかない。

 きれいに整った顔に物騒な笑みを張り付けて、一部の隙もなく槍を構える姿は紛れもなく『戦う者』。戦場に身を置く最上級の異形狩りの姿だ。

 槍を突き付けたヨミとそれを迎え撃つミコト。

 凄まじい戦いが勃発しようとしていた。

 

 

 

 が、そこに鋭い声が響いた。

 

「やめなさい、二人とも!」

 

 声と言うより衝撃波かと思うような音響に、びりり、と全身が震えた。

 

「ヨミ、ここがどこか、今どういう状況か分かっていますか? トツカとハクマユミを交戦させれば何が起こるかくらい、予想がつくでしょう?!」

 

「……カノ」

 

「武器を引きなさい、ヨミ」

 

 カノの説得に、ヨミはしぶしぶ槍を引いた。

 しかし、放たれた闘気はまだ収束していない。皮膚がピリピリするほどの圧力がこの場を支配していた。

 

「ミコト。貴方がテラスに何を言ったか……想像はつきます。焦る気持ちはわかりますが、もう少し待ってください。岩戸プログラムを解除するには時間がかかるのです。理屈でわかっても感情はついてこない。神経の伝達を司る『感情』を繋げない事には、意味がありません。それは貴方が一番分かっていることでしょう?」

 

 ピリピリとした空気。いつもにこにこと笑っているカノにあるまじき迫力だった。

 

「私に任せてくれますね」

 

 カノは静かに、でも強くミコトを諭す。すると、ミコトも素直に剣を引いた。

 

「なーにぃ? 終わりぃ?」

 

「戻れ、トツカ……音声認識、オフ」

 

 光と共に剣が消失する。おそらく、あたしのクロスボウと同じように分子分解で収納しているのだろう。ヨミの槍もきっと同じなのだろう。

 双方武器は収めたが、まだ睨み合いは続いている。

 そんな中、カノはあたしを軽々と抱えあげ、その睨み合いの渦中から引き剥がした。

 

「さあ戻りましょう、テラス。貴方は怪我が完全に治ったわけではないんですよ……と、言っても、もう遅かったようですが。反省しなさい、ヨミ、ミコト。これが結果です」

 

「……カノ?」

 

 首を傾げると、カノはこれまでにないくらいに真剣な顔でじっと闇の一点を見つめていた。

 

「今のでナミに気付かれたか……!」

 

 ヨミも苦しげな声を出す。

 いったい、何が起ころうとしているの?

 

「おやおや、随分と警戒されたものだ」

 

 全員の視線が集中した方向から、笑いを含んだ台詞が響いてきた。

 そして、その声と共に闇の奥から現れたのは非常に美しい男性だった。

 腰まであるストレートの金髪が風に靡く。憎らしいまでに整った顔立ちに、どこか人を小馬鹿にしたような笑みを張り付けている。年の頃は30にも満たないだろう。

 いや、それよりも、あたしが驚いたのは。

 嘘でしょう?

 金色の髪はあんなにも長くなかったけれど、あれはあたしがすごくよく知っている姿だった。

 

「ナギ――?」

 

 物心ついた時から傍にいた、育て親と同じ容姿だったのだ。

 ただ違うのは、目の前の男性が温かく優しかった育て親のナギと違って、見る者に恐怖を植え付けるような雰囲気を纏っているという事だった。

 

「ナギっ!」

 

「違いますよ、テラス」

 

 飛び出そうとしたあたしを、カノがきつく留めた。

 

「あれは、貴方の育て親であるナギではありません。彼はタカマハラに住む者――気をつけなさい、彼の狙いはテラス、貴方です」

 

「ナギじゃ……ない?」

 

「ええ。ここはヨミに任せます。いいですね、ヨミ」

 

「はい」

 

 ヨミが珍しく真摯な返事をした。

 

「やめてくれないか、カノ。それでは私が悪者のようではないか」

 

「それ以外の言い方がありますか? 申し訳ありませんが、テラスは渡せません。ヨミとミコトを相打ちさせたくなかったら、ここから退く事です」

 

 あたしはカノに抱えられたまま、地下の部屋へと連れ戻された。

 最後に、育て親と同じ容姿をしたタカマハラの人の姿を瞼に焼きつけて。

 

 

 

 

 その後、彼らがどうなるかは分からないが、あたしはツヌミの待つ部屋に戻ってきた。

 カノはあたしをベッドに横たえ、足に付けていた歩行補助器具を外した。

 彼に先ほどまでの鋭い空気はない。いつもと同じ、医者のカノの姿がそこにはあった。慣れた手つきで右足の包帯を取り替え、左半身の皮膚に刻まれた痕が化膿していないかを簡単に確認した。

 

「ねえ、カノ……あの人は、誰? ナギにそっくりだったけれど」

 

「彼は、タカマハラの中でも高位に在る、私たちが抗う相手です。名はナミと言います」

 

「抗う? なぜ?」

 

 首を傾げると、カノは困ったように笑った。

 

「ええと、分かりやすく言えば彼は貴方の中にあるプログラムを狙っているのですよ」

 

「そしたらどうして敵なの? そんなプログラム、あげてしまえばいいのに」

 

「そうもいかないんです。ここから先は難しくなりますからまたこんど話しますが……とにかく、あの人に近づいてはいけません。いかにあの人が貴方の育て親に似ていたとしても、です」

 

「カノはナギを知っているの?」

 

「同じ異形狩りですから。他に個人的なつながりもありましたしね」

 

 どうしてカノはいつもこんな含みのある言い方ばかりするんだろう。

 質問してほしいのか、これ以上の詮索をするなという警告なのか、今のあたしには分からない。

 あいつらはお前に何も与えやしない――ミコトの台詞がもう一度胸を貫いた。

 ずきり、と胸のどこかが痛み、そこからカノに対する疑惑が流れ出して来る。

 

「じゃあ、ミコトって、何者? ヨミと仲悪そうだったけど……」

 

「ミコトですか。彼は、彼も貴方とヨミの兄弟にあたります」

 

「……えっ?!」

 

「以前お話ししたように、貴方とヨミの遺伝子には共通するプログラムが刻まれています。それと同じものがミコトにも組み込まれているのです」

 

 彼があたしと、そしてヨミと同じ――?!

 

「しかし、彼は私たちと違ってタカマハラに属するのです」

 

「タカマハラに?」

 

「ええ。貴方たち3人がコードを刻まれたのは、タカマハラの中です。ですが、その後、テラス、貴方はナギと共に街へ行き、ヨミとミコトはタカマハラに残りました。ですが、ヨミだけは貴方を追ってタカマハラを抜け出したのです」

 

 ナギにそっくりなあの人もタカマハラの人間。そして、あたしもヨミも元々はタカマハラの人間――いつも頭の中に響く声は、いつだってタカマハラを警戒しているというのに?

 いったい、タカマハラって何なの?

 タカマハラの事、もう一人の兄弟の事、どうして教えてくれなかったの?

 

「すみません、黙っているつもりはなかったのですが、話しそびれてしまって……なにしろヨミが貴方の傍を離れないものですから、いろいろな事を説明する機会が……」

 

 そう言って笑うカノは、やっぱり嘘をついているようには見えなかった。眼鏡の奥の温和な瞳を困ったように歪めて、寝癖のついたぼさぼさ頭をかいている。

 それなのに。

 

「今日は疲れたでしょう? 話は今度にして眠りなさい、テラス」

 

 この人があたしにいろいろな事を隠していたなんて、考えられない――考えたくない。

 きっと、話す機会を逸していただけ。

 そうに違いない――そうであって欲しい。

 

「うん、わかった」

 

 こうしてあたしは自分の不安に蓋をしようと努力した。何も知らない事がどんなに不安か自分が一番分かっているのに。

 だって、この人の声も言葉もこんなに優しい。

 

「おやすみ、カノ」

 

「おやすみさい」

 

 それなのに、あたしの心はもう動かない。

 何もかもが疑わしくて、何を信じていいのか分からない。

 ねえ、カノ。あたしはあなたとヨミを信じてもいいの?

 

「……すみません」

 

 夢に入る間際、微かに聞こえたカノの懺悔だって、聞こえないフリをしたかった。

 ヨミもカノもミコトもあたしにとって敵なのか味方なのか、そして岩戸プログラムとは何なのか。異形の正体は。あたしたち3人に共通に刻まれたプログラムは。

 あたしはいったい、これからどうしたらいいのか。

 でも、今は何もかもを忘れて眠りたかった。

 

 

 

 

 

 灯りを落とした薄暗い部屋で浅い睡眠と覚醒を行き来しているうち、ふとベッドの脇に気配を感じた。

 うっすらと目を開ける。

 

「……ヨミ?」

 

 そこに立っていたのは、灰白色の瞳を持つ美少年だった。この闇の中でも燐光を放つかのようにぼんやりと光る淡い茶髪は、柔らかく温かい色をしていた。そう、茶色というよりは橙に近い色だ。

 いったいあの後何があったのか分からないが、ヨミの頬には殴られてできたのであろう大きな痣がくっきりと浮かび上がっていた。カノがヨミを殴るとは考えられない。相手はミコト、もしくは、あのナギにそっくりなナミという男性だろう。

 

「大丈夫? ヨミ。痛そう……ミコトがやったの?」

 

 起き上って手を伸ばそうとすると、途端に彼はあたしの腕をつかみ、逆にベッドに縫い付けた。

 

「……え?」

 

 吸い込まれそうな灰白色の瞳があたしを射抜いている。いや、これは灰色でなく銀。煌めく白銀の瞳は、暗闇の中でも光にあふれていた。

 

「……さない」

 

 ヨミの口から途切れた言葉の切れ端が零れおちる。

 

「絶対に、ミコトに……タカマハラなんかに渡さないよ」

 

 四つん這いの体勢であたしの上に覆いかぶさったヨミは、完全にあたしの身動きを封じていた。しかも、銀色の瞳から目が離せない。

 ゆっくりと綺麗な顔が近づいて来る。ここまで整った顔だと、殴られた痕すらも艶っぽい。

 すぐ傍で、銀の瞳が微笑う。

 

「テラス……」

 

 ヨミがあたしの首筋に顔を埋める。

 その首筋に生暖かいものが這ってようやく、あたしは身の危険を察知した。

 ヨミだって、男なのに。

 あたしは、自分の愚かさに愕然とした。

 何しろすっかり忘れていたのだ。あたしがこの街で生きていくうえで、一番重要な事。

 

――生きなさい

 

 自分の身は、自分で守る。それが大原則。

 

「……テラス、アマテラス。僕の太陽……」

 

 耳元で囁かれる甘い響きに、体の芯までぞくりと震える。

 いつもの優しい少年ではない、そこにいるのはまぎれもなく『男』だった。これこそが、これまで仮面の下に隠していた本性なのだろう。

 あたしは甘かった。

 『我慢してたんだ』と言った時の彼の表情を思い出す。

 ああ、そうだったのか。あれは、そういう意味だったのか。

 

「愛してるよ、テラス」

 

 やめて。そんな言葉、聞きたくなかった。

 

「誰にも……渡さない」

 

 先ほどと同じ台詞が、全く別のモノに聞こえた。

 突発的な恐怖があたしを襲う。世界が崩れるような不安に突き落されていく。

 

「泣いているの? テラス」

 

 言葉もなくただ涙を流すあたしに、ヨミはようやく気付いた。

 まるで動物がするように、流れ落ちた雫を舌でなめとり、目元に軽く唇で触れた。

 

「どうして? どうして泣くの?」

 

 これは報いだ。

 安寧に身を委ねて『生きる事』を怠ったあたしに課せられた罰則だ。

 その証拠に、きっともうヨミと以前のような関係には戻れない。心から信じられる『仲間』になるかも、という淡い期待を抱いていたのに。

 でも、だからといって、あたしは彼を男として受け入れる事だって出来ない。それには感情がついてこない。

 彼が本当に大切な存在になっていたからこそ、自分の心を偽る事が出来なかった。

 

「……ごめんね、ヨミ」

 

 あたしは辛うじてそれだけ口にした。

 

「テラス……?」

 

 ヨミは、ひどく傷ついた顔をしていた。

 

「ごめんなさい」

 

 涙が止まらなかった。

 あたしは最悪だ。

 気づいていたくせに気づかないふりをして、挙句にヨミを傷つけた。

 

「ごめんなさい……」

 

 薄暗い部屋に、あたしの懺悔だけが響いていた。

 

 


 
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