「はぁ。すっごいわねぇ」
テレビから派手に流れてくるCMを見たグライダ・バンビールは、その派手さに辟易するような溜め息をついた。
流れているのは最近急激に普及してきたスマートフォンのCMである。それもレグナというメーカーが出している「サプルス」という機種だ。
これまでと異なり製作コストの低下と製品の高性能化を果たした事もあって、その功績と信用からこのレグナというメーカーに人気が集まり、サプルスにも人気が集まっているという具合だ。
実際グライダの周囲の人間の大半はこのサプルスを購入、もしくは他機種から変更しているのを聞いている。
だからグライダも「ぜひ買いなさい」と周囲から圧力同然のお誘いを幾度となく受けているのだ。
グライダは個人では携帯電話は持っていないが、仕事先から支給されている旧来型の携帯電話ならば持っている。
これももうスマートフォンになっても良いのだろうが、仕事先が荒事主体の傭兵ギルドなので、壊れやすそうな薄型のスマートフォンを支給されてもなぁ、というのが彼女の意見であるし、ギルドのメンバーの大半も同じ意見だ。
とはいえこの人気と高性能化を考えれば、支給も時間の問題と言えそうだが。
グライダは自分の手をしみじみと見つめると、
「それはそれで困るのよねぇ」
という彼女の呟きを聞く者は、幸いにして誰もいなかった。
世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。
ここにも、朝はきちんとやってくる。
同時に、面倒な騒動までやってくる。
平穏な日は、一日としてなかった。
この広い町のどこかで、必ず誰かがはた迷惑な騒動を引き起こし、巻き込まれるのだ。
だからこそ、ここへ来れば――どんな職種であれ――仕事にあぶれることはない、とまで云われている。
グライダの双子の妹セリファ・バンビールと二人の同居人であるコーランの二人は、町の中心部にある携帯電話の店にやって来ていた。
コーランは元々従来型の携帯電話を持っているのだが、長く使っているために調子が悪くなってきたので、修理を頼みに来たのだ。
そのついでにセリファも携帯電話を欲しがるようになったので物色する為でもある。
店員はコーランから事情を聞き、携帯電話を簡単に調べてみる。するとやはり餅は餅屋。すぐに原因を察知した。
「ああ。やっぱりバッテリーそのものが経年劣化を起こしていますね」
極端な言い方をするなら、携帯電話は電池で動く。その電池が劣化してしまってはいくら充電しても中に電気が貯まらない。
結果、いくら充電してもすぐにバッテリー切れを起こすし、電池残量=燃料が少ない事による動作不良も起きやすい。
「せっかくですし、今話題のサプルスに交換しませんか? 今ならお安くできますよ?」
「私には向きませんから、バッテリーの交換でお願いします」
営業スマイルの店員に、あえて淡々とした、そして毅然とした態度を取るコーラン。
だがそんな態度でも営業スマイルが崩れない店員。相当鍛えられているようだ。
「お客様、もしかして魔族の方ですか?」
コーランは別に隠す事でもないと素直に肯定する。
魔族。魔界と呼ばれる異なる世界の住人。
かつては悪魔と同等の存在と思われて忌み嫌われていたが、混血と世代交代が進んだ今では単に他の国の人という感覚だ。特に魔族の住人が多いこのシャーケンの町では。
「理由は良く判らないのですが、スマートフォンを嫌う魔族や魔術師の方は多いですよ」
店員は単に魔法との相性が悪いんでしょうかね、と専門家らしい事を適当な態度で言っている。
そこへ開いたままのパンフレットを持ってセリファがやって来た。
「コーラン。セリファこれがいい」
パンフレットの一画を小さな指で差すその姿は非常に可愛らしく、また微笑ましいものだ。
とはいえその可愛らしいセリファはとっくに成人している。だがその外見は年齢の半分程でしかないし、言動はさらにそれより下にしか見えない。
そのセリファが指を差しているのは、これまた従来型の携帯電話。スマートフォンではないし最新型ですらない。さすがの店員も営業スマイルが少し崩れる。
「こ、これでいいの、お嬢ちゃん? 今はこういうスマートフォンの方が流行りだよ?」
手近にあったスマートフォンを手に取ってセリファに見せる。
しかしセリファは店員の言葉にニッコリ微笑んだまま、
「これ、おねーサマとおそろい!」
……ある意味では最強の決定理由である。店員も他の製品に誘導を諦める程の。
シャーケンの町のスラムに建つボロアパート。
そこに武闘家を名乗るバーナム・ガラモンドの部屋がある。
その部屋の中には家主の他に一人、いや一体のロボットがいた。戦闘用特殊工作兵を自称するロボット・シャドウである。
シャドウは部屋の中を隅々まで、高性能のカメラで観察をしながら、
「建設されてから随分と年数が経って要るからな。雨漏りもすれば隙間風も吹き込もう。早急な修復を推奨する」
人間の眼には判らずとも機械の眼にはよく見える、雨と風の侵入口。そして、そこから傷みの進んでいる古い建物。
シャドウは持っていたチョークでその侵入口に印を付けていく。それは結構な数になった。
「けどこちとら直す金なんぞねぇぞ?」
そもそもこのアパートは、大家の許可なく個人で勝手に部屋を改造・修復できない決まりなので、バーナムに金があっても勝手には直せない。
実際大家がケチっているので未だに修復はされないし、もし強く訴えようものなら「嫌なら出て行け」と言われるのがオチである。
だがここ以上に家賃のかからないアパートはおそらくないので、出るに出て行けないのが現状なのである。
「それに、このところの……薄っぺらい電話か。アレが大流行りのせいで『雨漏りより電話が繋がるようにしろ』って声が増えてな」
「薄い電話。スマートフォンの事か。其れが何故雨漏りに関係が有る」
バーナムはつまらなそうに天井を見ながら、
「その工事をやったら、工事代の元を取りたいから家賃を上げるって言ったんだよ、大家の野郎が。だから工事は勘弁して欲しい」
シャドウはなるほどと思った。大家としては確かに正しい選択である。
とはいえわざわざボロアパートに住むのは訳ありか貧乏人と相場が決まっている。
リクエストが通って便利にはなるかもしれないが、家賃が上がるのはそんな住民達には賛成しかねるだろう。
ふとシャドウのセンサーが、この部屋の外に二人の人間の気配を察知した。武器の携帯はなさそうである。
だがバーナムも武闘家だけに気配を感じるくらいはお手の物らしく、シャドウと同じタイミングで入口に目をやった。
こんこんこん。
「バーナム・ガラモンドさんはいらっしゃいますか?」
呼び鈴などないボロアパートでは声に出す方が遥かに早くて確実だ。どこの誰かは知らないが「分かっている」と見える。
バーナムが無意味に偉そうにうなづきながら入口を開けると、そこに立っていたのはスーツ姿の二人組であった。背が高いのと低いの。
そのうちの背の高い方が、小柄なバーナムを見下ろしながら笑顔を浮かべ、
「バーナム・ガラモンドさんですか? 我々は『債権回収弁護団』と申す者です」
そう言って小さな紙片――名刺を差し出した。
確かにそこには「債権回収弁護団」とあり、本人の名前であろう「カナミン・ユーゴ・シック」とある。
そのカナミンは、バーナムが口を開くより早く笑顔のまま話を始めた。
「バーナム・ガラモンドさん。あなたは以前『ユーロスタイル・エキスパンド』という遊園地でアルバイトをされていましたね?」
確かに彼の言う通り、バーナムはその遊園地でバイトをした経験がある。
しかしバーナムが働き始めて少ししてから、利用客を誘拐してゾンビ警備兵にして兵器として売り飛ばすという計画に、この遊園地が利用されていた事が発覚。
遊園地側は関与していなかったが、首謀者が遊園地の有力スポンサーだったためすごい勢いで悪評がたち、それが原因で一気に閉園にまで追い込まれている。
そのためバーナムの給料は未払いのままとなっていたのだ。
もっとも働いていた期間が短かったので、受け取れていたとしても大した額ではないと思い、ほとんど諦めていた。
「当社の方で調査した所、この件で給金が未払いになってしまっている方々が大勢いる事が発覚しまして。未払いの給料を支払うよう当社が代理交渉をしようという事です」
随分手慣れた営業トークを淀みなく語ってくるカナミン。
確かにこうした各種手続きは、知識のない素人がやっても面倒だし時間もかかる。こうした代理業者にやって貰うのも一つの手である。
常に金に困っているバーナムとしては、まさしく願ったり叶ったりである。
だがバーナムは冷めた目で、
「さすがにタダじゃねぇだろ」
代理交渉が仕事なのだから当たり前である。面倒さとそれに注ぎ込む時間を買う、という解釈なのだから。
遠慮のないバーナムの言葉に、カナミンの営業スマイルがかすかに堅くなる。
「ま、まぁ、それは、必要経費、という事で、一つ」
そこにぬっと姿を現わしたのはシャドウである。彼はカナミン達ではなくバーナムに、
「御前が其の遊園地で働いて居た期間は?」
いきなり訊ねられてバーナムもさすがに少し考え込む。
以前と言われても昨日一昨日の話ではないし、もうダメだろうと諦めた事だから記憶の隅に追いやってしまっている。それでも時間をかけて思い出すと、
「一ヶ月は働いてなかったな。けど間違いなく二週間は働いてた」
「仕事の内容は園内の清掃だったな」
「ああ。最低限の道案内もしてたけどな」
そこまで聞いたシャドウは、ロボットらしく素早く計算を終えると、
「そうなると、時給は最低でも一千
分かり辛いが、要は最低でも十一万から十四万EMの給料が発生していた計算になる。
あまり頭を使うのが得意ではないバーナムの暗算とは裏腹に「大した額」と斬り捨てる額ではない。
カナミンとその連れも、いそいそと鞄から取り出していた資料――最近増えてきたレグナ製の小型タブレットを器用に操作して、
「ああ、そうですね。あなたの計算通りです」
そう言いながらタブレットの画面を二人に見せる。
「問題は其の費用だな。十一万EMの給金を回収するのに二十万EMや三十万EMの費用が懸るのでは意味が有るまい」
シャドウの物言いは淡々とした合成音声だが、それ以上の迫力や威圧感、そして説得力がある。そのためカナミン達は圧され気味だ。
「え、ええ。ですから当社では回収金額に応じた格安の料金で各種手続きの代行を、ですね?」
再びタブレットをススッと操作し、変わった画面をバーナムに見せる。
「こちらのタブレットに必要事項を記載して頂ければ書類の郵送代が節約できる上に、すぐにでも手続きに取りかかれて時間の節約にもなりますが」
タブレットの画面には必要事項を記入する専用フォームが表示されていた。
だがバーナムはそれをろくろく見ずに、
「ああ。オレこういうのダメなんだ。パス」
相手に押しつけるようにタブレットを突き返す。
タブレットもこのところ急速に普及して来たアイテム。苦手な人もまだまだ多い。
相手もそのリアクションは予想していたらしく、今度はいそいそと鞄から紙の束を取り出し、バーナムに差し出す。
「この書類に必要事項を記入して、郵送して下さい」
これがどうやら必要書類らしい。
バーナムは渡された書類を流し読みしていた。
が、とある一点で視線が止まる。
「……オレ、銀行口座なんて持ってねぇんだけど」
バーナムは書類の方も相手に突き返す。
すると債権回収弁護団の二人は、聞き取れない言葉をごにょごにょと言った後、返事も聞かずにそそくさと帰って行った。扉も閉めずに。
なので、バーナムは扉を閉めながら、
「ないとダメなのか?」
「……そう言えば、御前は銀行口座を持って居なかったな」
バーナムは生来の機械音痴の為、銀行のATMの操作すらおぼつかない。その為収入の全部を現金に変え、部屋以外の場所に隠していると聞く。
周囲の人間が危険だ、盗まれると忠告するが「自分の好きに取り出す事もできない貯金箱なぞ要らん」という、分かるような分からないような理屈を未だにゴネている。
一方渡された書類には「指定の銀行口座に未払金を振り込むので銀行名・口座番号を忘れずに記入の事」とある。それ以外での未払金の受け取り方については一切書かれていない。
「電話を掛けて聞く((可|べ))きだろうが……」
シャドウは受け取った名刺を見ながらしばし黙った。どうやらこの場でインターネットにアクセスして調べているようだ。
「此処に有る電話番号は存在しない物だ。些か怪しいな」
「何でそんな番号を名刺に書くんだよ」
名刺をひったくるようにして奪ったバーナムがシャドウに訊ねる。
「此の状況で断言は出来んな」
シャドウに出来たのは、その書類に記入するのは待つべきだと忠告する事くらいである。
シャーケンの町にある、オニックス・クーパーブラック神父の預かる教会の礼拝堂にて。正確にはその入口前。
そこにやたらと人が集まっていたのである。
集まった人達の年齢性別身なりから見当がつく職業はバラバラである。
礼拝堂に祈りを捧げに来たり、悩みの相談に来るのであれば神父としても嬉しいが、別にこの礼拝堂に用がある訳ではない。彼ら彼女らの目的は「電波」である。
理由は分からないが、特に何かした訳でもないのに、この礼拝堂はスマートフォンの電波受信状況がとても良く、その恩恵に預かろうとしている人達で賑わうようになってしまったのである。
今話題のレグナ製のスマートフォン「サプルス」やタブレット「サプトロン」を使っている人が特に多い。
使用者が「まるで神が与えた品だ」と絶賛する高性能っぷりという評判は聞き知っている。
彼の宗教の宗派では「礼拝堂は神と人間を繋ぐ場所である」とされているが、礼拝堂の前で神が与えた品を人間が使うのは正解というか皮肉というか。
そうであろうとなかろうと、何十人もの人達が、皆揃って黙々と小さな画面を凝視し続けている様子は、端から見ていると不気味にしか見えないのである。
その様子を礼拝堂の裏手にある自宅の窓から見ている。
(何だか、中に入って来そうな勢いですね)
黙々とスマートフォンを操作しながら、皆が皆少しずつ「少しでも電波状態のいい場所」を求めて移動し続けているからだ。
それがだんだん礼拝堂の扉に近づいているので、彼の心配通り本当に中に入って来かねない。
先述の通り祈ったり悩み相談ならともかく、単に電波を使いたいがために礼拝堂に入られるのはさすがに困るのだ。
始めのうちは彼もそれを訴えていたが、多勢に無勢という言葉の意味をこの年齢になって初めて実感した思いだ。
つけっぱなしになっていたテレビから流れているのは、件のタブレット「サプトロン」のCMである。
それが終わると今度は「サプルス」のCMが。
(いくら何でも多すぎませんかね)
人気があるとはいえCMがあまりにも多い気がする。
それに、目の前の人々のような使用者を見ていると、一抹の不安を感じずにはおれない。
人が道具を使って生活するのではなく、人が道具に振り回される。しかも人はそれに気づかない。
まるで占いにのめり込み過ぎて、少し考えれば簡単に答えが出るような事ですら、すぐさま占いを聞き、その通りにしないと落ち着かなくなるかのように。
一個人が心配しても始まらない事だが、まがりなりにも人々を支え導く役目の聖職者。
何ができる訳でもないのだが、放っておきたくもないという矛盾した思いを抱え、礼拝堂の入口を見つめていた。
ぱか。ぱたん。ぱか。ぱたん。ぱか。ぱたん。
携帯電話を買ってもらったセリファは、さっきからずっと従来型の携帯電話を開いたり閉じたり。それの繰り返しである。
電話をする訳でもなく、メールを出す訳でもなく、内蔵されているゲームなどをする訳でもない。勿論インターネットやそれに準じたサービスを利用するでもない。
セリファにとっては「グライダと同じ物を持っている」事が非常に嬉しいのだ。それだけで充分満足できる程に。
仕事の帰りに遊びに来ていた、コーランの後輩にして魔界の治安維持隊員でもあるナカゴ・シャーレンは、自前のタブレットをいじりながら、
「確かに魔族はスマートフォンやタブレットを持つ人は少ないですね。私みたいなのは例外としても」
治安維持隊とは警察機構と同等の組織だ。便利な物は即活用する。こうした電子機器も組織内ではだいぶ普及が進んでいるそうだ。
だが個人となると普及率は一気に落ちる。
「それって、魔族の人は魔法でこういう事をしてるから?」
グライダの素朴な疑問に、コーランもナカゴも声を揃えて否定する。
「魔法はそこまで万能な物じゃないし」
「だいたい魔法を使えない魔族も多いですよ。人界の方は意外と知らないでしょうけど」
人間が暮らしているこの世界を、魔族の間では「人界」と呼んでいる。
「そう言えば、魔族の魔法使いが言ってたけど、レグナのスマートフォンやタブレット。アレって……」
そこで呼び鈴の音が部屋に響いた。
「ったく。誰よこんな夜に……」
話の途中で腰を折られたようで、不満そうにブツブツ言いながら応対に出ようとするグライダ。その背を見送るナカゴの携帯電話が音もなく震えた。仕事の電話である。
周囲に気を使った小声で電話に出ると、
『魔族の詐欺グループの二人組が刑務所を脱走して、人界に潜伏しているという情報が入りました。既に資料をタブレットの方に送ってありますので』
その声を待たずにタブレットの資料を表示させたナカゴ。
画面には、細身かつ腕だけが非常に長い人型魔族二人組の写真が写っていた。一方は「カナL」。もう一方を「カナS」という。
ナカゴが指示を出すまでもなく既に手配されているが、人界では目立ちすぎる二人組である。外見も名前も偽装しているとみて間違いはないだろう。
続く資料には過去の偽装例が記されており、その量は結構なものだ。性別・年齢・職業総てバラバラである。
詐欺の手口も多種多様で、口先三寸で騙すものから大がかりな仕掛けをふんだんに使ったものまで様々だ。
だが、そんな資料の備考欄に書かれている一部分がいささか気になった。
【祖先が堕天使】
堕天使とは、かつて神々に使えた天使が、何らかの理由で神の世界から追放され、悪魔とされてしまった者達の総称である。
かつての魔界の住人と言えばこうした悪魔の事を差すのが普通だった。
そして後に神々の世界で権力闘争に破れた神々が流れ着き、混血や世代交代が進んで現在の魔界となる。
事実コーランの祖先は火の神様だし、ナカゴは鉄の神が祖先である。魔界の住人=魔族=悪魔というのはただの偏見である。
しかし、そんな理屈が通用しないのが世の中という物であり、特に祖先が堕天使の場合は秘匿される事が多い。
が、刑務所から来たらしい資料ならそういった情報があっても不思議な事はない。
『……そんな訳でして、すぐに対策を立てろと本部の方が言ってまして、戻って来て欲しいんです』
ナカゴは治安維持隊隊員であるが、正確にはこの町にある分所の所長という地位である。本部=上からそのような指令が来たら従わねばならない立場。ナカゴは大げさに溜め息をつきながら立ち上がる。
その様子を見たコーランが何か言おうとすると、ナカゴはそれを止め、
「仕事です」
「……いってらっしゃい」
コーランもかつては治安維持隊にいたので、彼女の事情も気持ちもとても良く判る。
のそのそと玄関に向かうと、グライダが来客と話しているのが見えた。スーツ姿の男性二人組だ。
……たった今見た資料に載っていた詐欺師達の「変装」パターンにあった物と同じ二人組が。
ナカゴは家を出てから纏おうとしていた、金属の様な光沢を放つフード付きのマントを羽織って見せる。
そこに描かれた特徴的な、魔界治安維持隊の紋章。それをわざと見せつけるようにすると、
「ちょっと捜査に協力して戴けませんかね」
グライダを自分の背中にかばうように、スーツ姿の二人組の前に立つ。
「あなた方の『外見』が、魔界の詐欺グループの偽装した姿にとても良く似ているんです。なので、偽装か否かを調べさせて下さい」
身分証明書を見せながら、有無を言わせない威圧感で二人に対峙する。
スーツ姿の二人組は、何を言われているのか分からないような顔でぽかんとしたままだった。無理もない。いきなりこんな事を言われたら面食らうのが普通である。
ところがいきなり彼らは動き出した。体当たりする勢いで入口のドアを押し開ける。ところが開かない。びくともしない。
その一瞬の驚きが致命傷となった。ナカゴが持っていたスタンガンで一人が気絶させられる。
そして、それと同時にグライダがもう一人に向かって剣を突きつけていた。
何も持っていなかった筈なのにいきなり剣が現われ、しかも切っ先を突きつけられ、さっきとは違う意味でぽかんとした表情である。
グライダは剣を突き出したままナカゴに向かって、
「あー。何かとっさにやっちゃったけど、良かった?」
「はい。助かりました。魔法での足止めだけだったら逃げられてました。ご協力感謝致します」
ナカゴは見動き取れなくなった男をすぐさま拘束しながら、グライダに礼を言った。
ナカゴの先祖は鉄の神だった事もあって、彼女は物を一時的に金属に変える魔法が使える。それも呪文の詠唱もなく一瞬で発動するのだ。
さっきこの二人が扉を開けられなかったのは、木の扉が開く力で開けようとしたら、金属に変わっていた事に気づかず、想像以上に重かった為だ。その為動作が一瞬止まり、さらに力を込めようとしたわずかな間を突かれたという訳だ。
しかし礼を言われたグライダは苦笑しながら、
「けどねぇ。これのせいで最近話題のスマートフォンとか使えないし」
剣を握る右手を、少し淋しそうに見つめていた。
グライダの右手には、総てを焼き尽くすという伝説のある炎の魔剣・レーヴァテインの力が宿っている。彼女が望めばその力は剣の形となって一瞬で具現化し、伝説通りの力を発揮する。
理由は分からないがスマートフォンやタブレットはそうした「魔法の力」と相反するらしく、グライダはどうやっても上手く操作できないのだ。
グライダだけでなく、魔法の力を強く持つ人間や魔族も同様で、スマートフォンばかりになるのは困ると、携帯電話の会社に陳情までされているのが現実だ。
先ほど来客の寸前にグライダが言いかけた話である。
ナカゴはスタンガンで気絶した方の男の顔を慎重に触れて調べていた。首の後ろ――襟足の辺りに変な違和感を感じた。骨とは明らかに違う固い物の触感である。
何となく押すように力を込めると、そこから背骨に沿って服が、いや、身体が綺麗に割れていくではないか。
その奥からずるりと出て来たのは、細身の人間の姿。だが腕だけがそのまま地面につきそうな程に長い。手配書にあった「カナL」か「カナS」の特徴と完全に一致する。
どちらかは分からないが、まだ意識のある方に向かって、
「魔界から手配が回っていますので、このまま拘束、分所の方へ連行致します」
さすがに正体がバレてジタバタあがく真似はしなかった。その辺りの潔さに……いや、違う。その雰囲気から感じ取れるのは潔さではなかった。
これは「余裕」だ。
捕まる事はない。もしくは捕まってもすぐ出られる。軽い罪で済む。そんな余裕だ。
現行犯で捕まっているのにこの余裕は妙である。有名とはいえ一介の詐欺師の背後に、何かトンデモナイ大物が控えているとでもいうのだろうか。
それとも、この外にすぐ逃げられるよう何か乗り物などを用意しているのか。
そんなナカゴの考えをよそに、連行する為にやって来た治安維持隊員達が、魔法の切れていないドアに辟易していたのにナカゴが気づくのは、もう少し経ってからだった。
礼拝堂にたむろしていた人々も、日が落ちてはさすがに家路につくようで、日中の人だかりが嘘のような閑散ぶりである。
そんな閑散とした礼拝堂に姿を見せた人物が一人。
何と、身長二メートルを超える巨漢である。
暗いのでその表情は良く分からないが、質素な服からでも分かる鍛え上げられた肉体が人目を引く。
そんな人物が軽々と背負っているのは、何故かコントラバスという大きな楽器のケースであった。
その人物の持つ、プロの戦士を思わせる油断なき雰囲気を考えると、楽器ケースより棺桶の方がお似合いである。
その人物は名は
魔界治安維持隊の一員である。それも単独行動とある程度の裁量を許可されたエリート隊員なのだ。
「宋朝ですか?」
礼拝堂に立つ宋朝に気づいたオニックス・クーパーブラック神父が、懐中電灯片手にやって来て声をかけた。
「あなたもスマートフォンを使う為に来たのですか?」
「相変わらず、冗談の方はあまり上手くないわね」
宋朝の口から出た、低く落ち着きのある声は、明らかに女性のものだ。外見からほぼ間違いなく男性と思われているのは自覚しているので、本人もそれほど気にしてはいない。
「お前のところなら人も集まるだろうと思って、注意喚起をしに来たの」
宋朝はそう言うと、紙の束を取り出してクーパーに差し出した。彼はそれを受け取ってパラパラとめくる。
「魔界の詐欺師二人組、ですか?」
書かれていたその内容に、クーパーの声がわずかに固くなった。
「ええ。最近は手口も大がかりになって来ているから。人界の方に詐欺師自身じゃなくてノウハウも来ているそうだし」
宋朝の困ったような口調が、渡した書類の補足をしている。
遥か昔は、こうした情報を人々に広める時、教会や礼拝堂の前がよく使われた。人々が集まるので注目を集めやすいからだ。
いくら機械的なネットワークが発達しているといえど、そうした古くさい方法も意外とバカに出来ないのだ。
確かに今日の日中のようにたくさんの人がこの教会の礼拝堂にやって来る。
とはいえその理由はスマートフォンを使う為であり、こうした書類を壁などに貼っても、
どのくらいの人物が見るかは分からない。
その事をクーパーが告げようとした時、宋朝の携帯電話が震えて着信を知らせた。
彼女は手で「待て」と合図しながら電話に出る。
「こちら宋朝。はい。はい。……了解しました」
片手で電話を切りながら、空いた手でクーパーに渡した紙の束を奪い取る。
そのリアクションを疑問に思ったクーパーは、
「何かあったのですか?」
宋朝は少し溜め息混じりに、そして紙の束に八つ当たりするように力一杯ねじりながら、
「つい先程、この町の分所の所長が、この詐欺師二人組を逮捕・拘束したそうです」
つまり、わざわざここまで持って来た情報が総て無駄になってしまったという事だ。
しかしこうした犯罪者が捕まったのは喜ばねばならない。だがこちらも人間。骨折り損ゆえの憤りは覚える。
そんなどう表現して良いのか分からない苦々しい、そして極めて珍しい宋朝の顔を見たクーパーは苦笑するしかなかった。
それぞれがそんな事を体験した翌日。シャーケンの港の魚市場近くに建つ安食堂「ヘルベチカ・ユニバース」に顔を揃えた一同は、バーナムから聞いた話に声を殺して笑い合っていた。
「成程。矢張り詐欺師だった訳か、彼の二人組は」
話を聞いたシャドウは、どことなく感じていた胡散臭さに納得がいっていた。
それなら最初にタブレットで手続きをさせようとした事も、名刺にあった電話番号が存在しない物なのも説明がつく。
「まさか口座持ってないから詐欺に引っかからなかったってのが……」
吹き出しそうになっているグライダの足を、テーブルの下で蹴るバーナム。
「やっぱり下手に機械に頼るのは良くねぇな。うん」
別に銀行口座を持つ事と機械に頼る事は無関係なのだが、バーナムは知ってか知らずか「オレは賢い」とばかりに胸を張っている。
「……連日の押しかけ振りを見ていると、その言葉に賛同したくなりますね」
クーパーは礼拝堂の前に今日も集まっていたたくさんのスマートフォンユーザーを思い出し、しみじみと呟いた。
「『過ぎたるは猶及ばざるが如し』とは、良く言ったものですよ」
バーナムとセリファ以外の面々がクーパーに「ご愁傷様です」と言いたそうに顔を伏せている。
「それを言うならこっちも大変だったわよ」
グライダがむすっとしたまま話の口火を切る。
件の詐欺師を捕まえたのは良かったのだが、ナカゴのかけた魔法のせいでドアがなかなか開かず、おかげで近所中に逮捕・連行の場面を見られるハメになってしまった。
もちろんグライダやコーランは勿論、手の空いた治安維持隊の隊員総出で近所へ夜中に謝罪行脚するハメになっては、大変だったと愚痴を言っても仕方あるまい。
「だが、其の詐欺師は何処でバーナムの情報を入手したのだ?」
シャドウの発言に、コーランがハッとなった。
「確かにそうね。金を持ってなさそうなバーナムのところにそんな詐欺師が来たって事は、アルバイトの事を知ってた訳でしょう?」
別に隠してはいなかったが、彼が遊園地でアルバイトをしていた事を知っている人間がたくさんいるとは思えない。
まだ遊園地が存在しているなら調べようもあるかもしれないが、既に潰れてしまった場所である。
潰れた遊園地でアルバイトをしていた人物の情報など、失われている可能性の方が遥かに高いだろう。
この詐欺師、あるいはこの詐欺師の背後にいる者は、そんな情報を入手する事が出来た事になる。
そして。
そんな些細な情報まで仕入れられる詐欺師が、どういった目的でグライダの家にやって来たのか。
クーパーの表情が曇ったのも、仕方のない事だろう。
「詐欺師よりも、情報を手に入れた事実の方が恐ろしいですね」
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「剣と魔法と科学と神秘」が混在する世界。そんな世界にいる通常の人間には対処しきれない様々な存在──猛獣・魔獣・妖魔などと闘う為に作られた秘密部隊「Baskerville FAN-TAIL」。そんな秘密部隊に所属する6人の闘いと日常とドタバタを描いたお気楽ノリの物語。