No.1072006

君のいる日々 3

つばなさん

私の好物は健気受です!!! たぶんこれはそれ!!
重治に頑張ってもらいました。

pixivにも同じものを投稿しています。

2021-09-13 22:36:47 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:220   閲覧ユーザー数:220

 目の前には湯気を立てるカモミールティー、染付の茶碗に山盛りにされた外国のチョコレート。柔らかい光が照らすテーブルの向こうに室生犀星。

 織田は表面上、笑顔を浮かべて愛想よく相槌を打っていたが、その内心は混乱を極めていた。 

 

 織田はただ一言、助手の仕事を代わってくれた犀星に、礼を言いに来たのだった。

「ほんまに今日はありがとうございました。おかげでゆっくり休めました」

 犀星が仕事を変わってくれたおかげで、体調を崩していた織田も、夜にはすっかり元気になった。

 犀星の部屋の前できっちり頭を下げた織田に、

「わざわざ礼を言いに来てくれたのか? 君は律儀だなぁ」

 と犀星は感心したように言った。犀星はもう寝るところだったのか、寝間着らしい浴衣を着ていた。そろそろ午後九時になろうという時間だ。

「遅い時間にすみません」

「いや、かまわないよ。せっかく来たんだから、君、少し寄っていきなさい」

 織田は戸惑った。はっきり言って犀星とはさほど親しくない。これまで世間話すらしたことがなかった。これは社交辞令で言ってくれているのだろうと思う。そうでなくとも、寝る準備をしている人の部屋に上がるのは非常識に思えた。織田がなんと断ろうか考えていると、

「昨日朔が買ってきたカモミールティーがあるんだ。ちょっと飲んでいきなさい」

 そう言うと、犀星は織田の返事も聞かずに部屋の中に入っていってしまった。どうやら社交辞令ではなかったらしい、と分かったが、それはそれで何故犀星は自分なんかとお茶を飲みたくなったんだろう、と不思議でならず、織田は恐る恐る犀星の部屋へ入っていった。

 

 

 かくして織田の前には湯気を立てるカモミールティーとチョコレートが供されているのである。

 犀星は上機嫌に見えた。あれこれと他愛ない話をしては、柔らかく笑った。

 遠くから眺めていた時には少年のように溌溂とした人に見えたが、二人きりでいると犀星は落ち着いていて、どこか貫禄があった。

「わし、カモミールティーなんて、はじめて飲みましたわ」

 織田がそう言うと、犀星は少し首を傾げて、

「あまり口に合わなかったかい?」

 と聞いた。

「いえ、そんな! ちょっと苦みがあるけど、おいしいです」

「それなら良かったが……。金沢の緑茶もあるぞ。入れようか」

 そう言って立ち上がろうとするので、織田は慌てた。

「いや、ほんまにこれおいしいですから、大丈夫ですよ」

「本当かい? なんでもカモミールはヨーロッパでは薬草として有名らしいぞ。リラックス効果もあるそうだから、まあ夜に飲むにはいいだろう。良くなったとは言っても、君は病み上がりだからな」

 そう言われて、もしかして犀星は自分に体によいものを摂らせようとして部屋に招いたのではないかと織田は思った。

「織田くん、体調が悪いときくらい周りを頼らないと駄目だぞ」

「は、はい」

 織田は縮こまって返事した。

「俺も体は丈夫な方だし、看病にも慣れてるから、困った時は頼ってもらっていい」

「え!?」

「ん?」

 何に驚いたんだ? という顔をして犀星は織田を見た。

「いや、その……ありがとうございます」

 なんでこんなに親切にしてくれるんやろう、と織田は不思議に思った。

 織田の方では、犀星を心の中で勝手に文学上の師とも思って尊敬していたが、実際にはほとんど言葉を交わしたこともなく、遠くからそっと眺めていただけである。

 犀星先生は面倒見がよさそうやから、これくらいのことは誰が相手でもしはるんやろか。

 そうも思いながらも、なんだか面映ゆいようなうれしい気持ちがあって、紛らわすように織田は熱心にカモミールティーを飲んだ。

「もし気に入ったのなら、そのお茶少し持って帰るかい? たくさんあるから」

「え?」

「このチョコレートもたくさんあるから持って帰りなさい。あと、さっきも言ったが、金沢から緑茶を取り寄せたんだ。金沢の茶はうまいぞ。持って帰りなさい」

「え、ええ……」

 うまく断れないうちになぜかたくさん土産を持たされて、「今日は冷えるから暖かくして寝るんだぞ」と注意を受けて、あまり遅くならないうちに送り出された。

 

 

「それはもうどうしようもないよ、君。手遅れだよ」

 重治は物憂げに言った。

 織田は重治を捕まえて、昨夜の犀星との出来事を聞いてもらっていた。犀星がどういうつもりであんなに親切にしてくれたのか、考えても分からなかったからだ。織田は混乱していた。誰かに話を聞いてもらって、気持ちを整理したかった。犀星をよく知る重治はまさに適任である。

「手遅れ、とは?」

「もう君は、犀さんに『手のかかる奴』認定されてしまったんだよ。そうなったらもうダメだ。犀さんは手のかかる奴が大好きだもの。考えてごらん。犀さんの周りにいる人たちはみんな、手のかかる人だから」

 織田はちょっと考えてみた。

「中野先生も手のかかる人なんですか?」

「そうだよ」

 中野はどこか面白げに言った。

「政治犯の弟子って、ものすごく手のかかる存在だと思うよ」

「……はぁ」

「覚悟した方がいい。犀さんは、一回気に入った人を諦めたりしないから。何かにつけて気にかけられて、面倒を見られるよ。おめでとう。これで君も犀さんの『年若い友人』の一人だね」

「そんな……、」

 困ります。と小さい声で言った織田を笑い飛ばして、中野は言った。

「そんなことを言いながら、君、本当はまんざらじゃないんだろう?」

  そう言われると、織田も言葉に詰まった。

 

 

 それからは、 本当に重治が言った通りになった。織田は毎日のように犀星に声を掛けられ、さりげなく体調をチェックされた。織田も甘味が好きだということを知ると、犀星は毎日のようにおやつ時に織田を呼んで、なにかしら食べさせた。

 一度だけ飲みに連れていかれた。犀星は酒に強く、織田はそのペースについて行けなかった。織田は一杯だけ付き合って、「明日わし朝から潜書なんで」と言い訳してあとは珈琲を飲んでいた。

 それ以来一度も酒には誘われていない。

(先生、お酒飲むの好きそうやからな。わし相手やったら楽しないわな)

 下戸とは言え、酒席のノリに合わせるのは得意なつもりだったが、犀星は楽しくなかったのかもしれない。そう思うとちょっと落ち込んだ。

 そうなると、犀星が織田を誘うのは極めて健全な遊びばかりだった。庭に咲いた花を見せてくれたり、近くに出来た甘味処に連れて行ってくれたり。あの室生犀星がわざわざ自分を呼び出していろんなところへ連れて行ってくれるのがうれしくないわけがなかったが、なんだか小さいこどものように扱われているようにも思えた。

 

 今日も椿が咲いたと言って、庭に連れ出された。冬晴れの気持ちいい朝である。太陽の光が、徹夜明けの織田の目に染みた。

「わあ! きれいですね」

 織田は努めて元気な声を出した。本当は一日のうちで一番眠たい時間だったが、さとられまいと逆に元気にはしゃいでみせた。

「織田君」

 犀星はじっと織田の顔を覗き込んで聞いた。

「昨日ちゃんと寝たかい?」

 一瞬、織田は言葉に詰まった。

「寝ましたよ」

「どうせ一時間とかだろう」

「そんなことないです」

「嘘をつけ」

 実際には一時間も寝ていないのだから、嘘ではない。

「すまなかったな。こんな時間に呼び出して」

 部屋に帰って寝なさい、と犀星に言われて織田はしょんぼりしてしまった。

 こういうことがよくあるからだ。

 

 犀星が望むほど織田はきちんとした生活をしていない。睡眠時間を削って執筆し、食欲がないから大好きな甘いものだけ食べて、食事を抜く。犀星に「ちゃんと寝たのか」と聞かれるのはいつも徹夜明けの朝だし、「飯を食ったか」と聞かれるのは、朝から何も食べていないときだったりする。そのたびに織田は嘘をつくしかなく、居たたまれない思いであった。その結果こうやって気遣われて、せっかくの二人の時間がなくなってしまうのも悲しかった。

「先生はいつも、わしの生活態度のことばっかりですね……」

 「織田君?」

 思わずこぼしてしまった言葉に、織田は自分でも驚いた。犀星は心配してくれているのに。でも、そんな犀星の態度が寂しいのも本当だった。犀星は織田に他愛のない世間話しかしない。重治や堀にはたまにその小説についてコメントしたりもしているのに、織田の小説について何かを言ってくれたことはなかった。一人前の小説家として認められていないようにも思えた。

「すんません、変なこと言って。やっぱり寝不足なんかな……。ちょっと寝てきますわ」

  そう言って、織田は自分の部屋に引き返していった。

 

「織田君に嫌われたかもしれない」

 犀星にそう言われて、重治は気が遠くなった。今度は犀さんか。僕は悩めるこの二人から永遠に相談され続ける運命なんだろうか。

「彼が犀さんを嫌うことはないと思いますよ」

「シゲはまた適当なことを言って」

 犀星は重治の言葉を本気にしない。

「なんで嫌われたと思ったんです?」

 「生活態度を指摘しすぎたらしい。そんなつもりはなかったんだが、思い返してみると口うるさかったかもしれない」

「へぇ、それは……」

 嫌われるかもしれないな、と重治は思った。

「どうも彼を見ていると生き急いでいる感じがして不安になってしまうんだ。それでついつい口を出してしまうんだが、どうしたらいいだろう?」

「……なぜそれを僕に聞くんですか」

「シゲはまだ俺よりは織田君に年が近いからな」

 微妙に腹が立ったが、敬愛する師が困っているので、一応考えてみる。織田君の立場に立った場合、年長者から生活態度をたしなめられるのはいたたまれないだろうが、逆に年長者に何を言われたらうれしいだろうか。

「やはり、僕たちは文士なんだから、作品について批評やアドバイスを受けたらうれしいんじゃないですか」

「えぇ」

 犀星はちょっと困った顔をした。彼はあまりそういうことが好きでないのだ。

「批評までいかなくても、一言コメントを貰えるだけでもうれしいものですよ。僕はたまに犀さんがくれるちょっとしたアドバイスがとてもありがたいけどなあ」

「ううむ。俺なんかにアドバイスされても、織田君は喜ばないんじゃないか」

「いや、喜ぶでしょう」

「いや、しかしな……」

 もう勝手にやってくれ。重治は思わず天を仰いだ。

「あ、そうだ」

 そこで重治は思いついた。

「犀さん、織田君の小説に潜書したらどうです?」

「織田君の小説に?」

「この間、秋声さんと『歌のわかれ』に潜書して、僕の書いた金沢が懐かしいと言ってもらったんですよ。直接小説を褒められたわけではないけど、それでもやっぱりうれしかったから、犀さんも織田君の小説に潜書して、何かコメントしたらいいんじゃないですか。アドバイスっていうほどじゃなくても、ちょっと印象を語るとか」

「……なるほど。それならまだ、ハードルが低い気がする」

 一体、後輩の小説にコメントするのに何のハードルがあるのかと思うが、こういうところが犀さんの魅力でもあるしな、と重治は思った。

「そうと決まれば、早速司書に頼んでくるよ!」

  走り去っていく犀星を眺めながら、これで落ち着いてもう二人から相談されることがないよう、重治は願った。

 

 


 
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