No.1066805

夏の恋

薄荷芋さん

G庵真、サマーバカンスというか船上イベの時間軸で海でイチャイチャしてるだけの話です。新刊の後日談のようなそうでないような話。

2021-07-17 16:13:52 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:433   閲覧ユーザー数:433

午前中だというのにカンカン照りの太陽が白い日差しで砂浜を炙っている。時折吹くぬるい潮風が心地良い、水着姿でパラソルの影に潜みビーチチェアに寝そべったままの庵は、同じく水着に着替えて準備体操を終えいざ大海原へ往かんとする真吾を眺めると彼が手に携えた物を指さし問い掛けた。

「貴様、泳げるんじゃあないのか」

「あ、コレっスか?だって今日はレジャーですから!」

何故か得意げに大きな浮き輪を掲げて見せた真吾は、ぎゅむ、とビニールの耳障りな音を鳴らしながら庵の隣に腰掛ける。

恋人と過ごすひと夏のリゾート、目の前にはセルリアンブルーの海、そこで真吾が出した答えは海水浴デートだった。他の皆はクルーズツアーだとかショッピングだとか、はたまたホテル内のジムで自主トレだとか思い思いに過ごしていて砂浜には知った顔は誰一人として見えない。こんなに都合の良いことがあるものかと吐息した庵は、縁を結んだばかりの恋人の頭を撫でて既に汗ばむ代謝の良さから彼の生命力の滾りを感じる。庵の掌の感触に目を細めた真吾は、パンパンに膨らんだ水色の浮き輪を抱き締めて笑う。

「ガチ遠泳するならそれなりに準備するじゃないですか、それと一緒です、今日はガチの海水浴なので!」

「言っている意味が良く解らん」

つまりはトレーニングも遊びも本気で、と言いたいのだろうか。兎も角真吾は抜けるような青空と白く沸く雲、遥か彼方の水平線を見つめてうんと伸びをする。打ち寄せる波の砕ける音に海鳥の声まで聞こえてくれば、これは最早夏の手本だ。今まで自分の中には欠片ほども存在しなかった盛夏の風景を連れてきた真吾の横顔を見つめて、ゆっくりと体を起こした庵はその肩を抱き寄せる。元々水泳をやっていたこともあって肩回りや背中のがっしりした体躯だ、庵がそれを褒めそやしてやるように撫で下ろすと、真吾はくすぐったそうに肩を竦めて恋人の手癖に苦笑した。そのまま彼の腕の中に収まって赤い髪と青い海とを視界に入れつつ浮き輪を弄ぶ。

「八神さんも泳ぎませんか?気持ちいいですよお、夏の太陽をばーっと浴びて、そんで何も考えずに浮き輪でぷかーって浮かぶんです」

「泳ぐも何も、最早海月だろうそれは」

「あ~、くらげになれるならそれもいいかもしれませんねぇ……まあ海にくらげが出たら海水浴できませんけど」

寄る辺無く波に揺蕩う海月が何処へ往くのかは知らないが、少なくとも今のふたりには互いが波止場のようである。例え抗いようの無い波に揉まれ流されたとしても、必ず帰り着きたい場所が在るのは心強く愛おしい。それなら今日は尚のこと彼と南国の海へ漕ぎ出したいのだと、真吾は我儘を言うときの無自覚のあざとさで彼に顔を近付けてもう一度誘った。庵は大きな溜息を吐いて彼を抱き留める腕に更に力を籠めると、汗の一筋流れる頬を重ねて囁く。

「俺も海月になれと?」

「へへ、なってくれますか?」

「……迂闊な貴様が何処かに流されでもしたらかなわん、付き合ってやる」

「やったーっ!」

大袈裟なくらい喜んで見せた真吾の笑顔はパラソルの日陰の中にもう一つ太陽が現れたように眩かった。決まったとなれば今すぐにでも、と庵の腕を引っ張って立ち上がる真吾を諫めながらふたりで一緒に烈しく燃える太陽の下へ出れば、日陰に慣れた庵の視界は閃光弾でも爆ぜたかのように一瞬真っ白になり思わず目を瞑る。その仕草を笑う吐息が聞こえて薄らと目を開けると、庵の目の前には犬歯を覗かせ悪戯な笑みを湛える夏があった。

 

水温は思っていたよりも冷たく感じる、それでも体温まで冷えていく気がしないのはふたりで居るからだろう。自分の分の浮き輪を借りに行こうとする真吾を止めて、庵は彼が収まる浮き輪の端を握っていた。大きく張り詰めたビニール製のそれは、図体の大きなふたりを抱えて海原へ難無く浮かんでみせる。海岸から見たら庵の鮮やかな赤い髪はブイみたいに見えるんじゃないかと想像した真吾は、視線の先のもっと遠くで浮いたり沈んだりしているブイの色が黄色であることに気が付き安堵する。その傍らで、庵はまた真吾が妙な想像をしていることを察して吐息した。

「これ、結構デカいですから、頑張ったら八神さんも入れるんじゃないですか?」

「枷にでも嵌められたように此方と始終密着していたいのなら、試してみればいい」

何の気無しに言った言葉をまるで色仕掛けかのように揶揄われて真吾の頬が日焼け以上に赤くなる。庵は彼の熱い頬を濡れる冷たい掌で撫で、水面の下で脚を探って触れ合わせた。素肌で触れていたいのは自分のほうだということを隠しもしない態度に、真吾は鼓動が喧しくなるのと逆に言葉少なになってしまうのを誤魔化そうと空を見上げた。見上げた先は、広く高い青空だった。

「すげー……」

思わず声が漏れる。もちろん何処に居たとしても同じ空ではあるのだが、こうして青い海に浮かんで見上げる青い空はまた格別違って見える。夏雲の弾力を確かめるような素振りで空に手を伸ばし、真吾は感嘆の吐息と共にしみじみと呟いた。

「夏ッスねぇ」

「ああ、夏だな」

同意の言葉をくれた庵に少し驚いて視線を遣ると、真吾が此方を向くのを待ち兼ねていたように庵が浮き輪に乗り掛かる。真吾もそれに応えて庵のほうへ体を傾けたので、浮き輪はバランスを崩して反転し一瞬空気の浮力を失った真吾はそのままざぶんと海の中に潜ってしまった。彼の代わりに浮き輪を被った庵は、すぐさま浮いてきた真吾が犬のように頭を振って元気良く水滴を飛ばしてきたもので、顔を背けつつも心配半分抗議半分で「おい」と声を掛けた。

「あっ!すっ、すいません!」

「別に、海に入れば濡れるのは道理だ、構わん」

謝ろうと此方へ近付いてきた真吾を浮き輪を避けて抱き留める。そのまま庵の片手に抱えられた浮き輪が穏やかな波に揺れるに任せ、体を添わせてゆらゆらと浮かんでいる様は、成程これは海月みたいだなと思って真吾は思わず笑う。何が可笑しいのやらと呆れた吐息を漏らした庵が彼を引き寄せたら、真吾は両腕でしっかりと庵の体を抱き締めてくれた。真夏の海の中で見つめ合い抱き締め合って、伝わる体温と鼓動に急かされ唇を重ねる。

「真吾」

「八神さん……っ」

口づけの途中で此方を呼ぶ声が胸をときめかせ、どんな南国の果実よりも瑞々しく思える唇に齧られているのが心地好いと真吾の全身を震わせる。熱を持つ粘膜の中で絡み合って唾液を混ぜた舌先が離れると、真吾は照れながら舌をぺろりと出して笑った。

「しょっぺぇ~」

海水交じりのキスの感触が、ほんの少しだけ塩辛くふたりの舌の上に残る。かと思えば、キスの余韻に痺れる甘く熱っぽい疼きが海水に浸かる不埒な身体に広がっていくのも感じて、もしかして彼は本当に海月にでもなってしまったのではないかとお互いに勘ぐってみては有り得ない想像に顔を見合わせ笑い合った。夏の陽気に中てられたのか、普段ならくだらないと一笑に付すような想像や妄想をして彼と遊ぶのがどうにも楽しい。庵は間違いなく今自分は浮かれているのだと自覚して一度海の中に頭を潜らせてみた。海水を被った程度ではどうにもならない恋の熱だ、ずぶ濡れて張り付く庵の髪を指先で払ってくれながら真吾が問う。

「どうしました?」

「貴様と居ると、熱くて堪らん」

「でも、夏の恋ってそういうものかもしれませんよ」

「知ったような事を言う」

庵が濡れた前髪をかき上げて挑発的な視線で撫でてやると、真吾は解りやすく赤面する。

「……知ってるんです、だっておれは今、八神さんに恋してるんですから」

可愛らしいことを言ってはにかむ真吾の頬に触れる。火照っているのはお互い様で、胸を、身体を焦がし続ける恋の熱は冷めないのだろう。きっとこの夏が終わっても、ずっと。


 
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