No.1065037

唐柿に付いた虫 32

野良さん

式姫の庭の二次創作小説になります。

「唐柿に付いた虫」でタグ付けしておりますので、過去作に関してはそちらからご覧下さい。

2021-06-23 20:45:33 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:632   閲覧ユーザー数:621

 主の居る離れに殺到する式姫達の眼前の景色が、深い霧に閉ざされたようにぼやける。

「何なの、一体これは?」

 それを見たおゆきの口から、戦慄と当惑をない交ぜにした呟きが覚えず零れる。

 これは、深山に住まう妖怪たちの操る霧や靄の結界の類では無い。

 これが単純な結界や目晦ましではない事は、 自らのしろしめす山一つを氷雪の結界で閉ざす事すら出来る程の術者おゆきには判る。

 では、自分の眼前で起きている……これは一体何なの。

 このぼやけていく光景はまるで。

「……貴方!」

 彼女の傍らを無言で斧を手に走っていた鈴鹿の口から、悲痛な叫びが上がる。

 今ここにいる式姫全員が感じている。

 目の前の空間が、そこに居る主の存在の気配さら、急激に遠ざかっていっている事を。

 不思議な事に、目の前に居る筈なのに……まるで千里を隔てていくかのように。

 その気配に焦り、更に足を速めた式姫達の耳に、甲高く澄んだ金属音が響いた。

 月の光を弾き、鋭く空を切ってこちらに飛来したそれを、先頭を走っていた童子切が、軽く跳躍して無造作に伸ばした手で掴んだ。

 妖美を纏う紫をあしらった刀装。

 主の佩刀……そして彼の最後の護りたる式姫の神体。

「蜥蜴丸さん、一体あの中で何があったんですかー?」

 常の飄々とした声音は保っているが、隠しきれない緊張感が、手にした刀に語り掛けるその声を硬い物にする。

(敵襲です、皆さんが感じているだろう以上に強大な異国の妖)

 蜥蜴丸が冷静に周囲の式姫に念を送る。

 敗北した我が身のふがいなさを嘆くのは後回し、今は彼女達に必要な情報を。

(得物は直刃の剣、そしてその剣技と外見から見て、恐らくは吸血姫殿に近しい存在)

 何度か手合わせをした蜥蜴丸のこの身が覚えている、その独特な剣の扱い、特に、剣を合せた所からの変幻の刺突や相手の剣をいなして無力化する技の洗練には瞠目した記憶がある。

 私を弾いたあの動きは紛れも無い、あの細剣術と同じ系譜に属する物。

 並大抵の敵ではありません、ご用心を。

 その蜥蜴丸の念を受け、一同が頷き交わす。

 すっと童子切と鈴鹿、そして仙狸が少し遅れて前に出て、その背後におゆきや狗賓、かやのひめが入る。

 各所から駆けて来た式姫達も、各々の得手不得手に応じて、陣形を自然に形作りながら、一息に距離を詰めていく。

 もう少し。

 その時、彼女たちは見た。

 ほんの一瞬、主の居る場所を包んでいた靄が晴れた。

「……あやつが」

 低く呟いた仙狸の猫の目が鋭く光る。

 純白の女帝。

 白皙の肌と銀の髪に月光を纏わせた存在が、丸腰の主と正対している。

 天に差し上げた手の先、白魚のようなという形容も陳腐に堕す程に美しい指先に、何やら貨幣のような円盤が煌めく。

 それが、くるり……と。

 一回転した。

「……うそ?」

 かやのひめが、自らが目にしたものを信じかねる様子で、茫然と呟く。

「うおーー突げ……ど、どこに突撃すればいいッスかー?!」

「おおおっととと、止まれコマ!あぶねぇ、落ちる!」

 慌てた様子で、悪鬼が傍らを走っていた狛犬の襟首を掴んで、自らも倒れ込むようにして止める。

「一体、何が」

「な……何が起きたんですの」

 その後ろに詰めていた小烏丸と天狗が。

 そこかしこから式姫達の当惑した声が上がる。

 無理も無い。

 彼女たちの眼前で、ぽっかりと世界が消えてなくなった。

 ただ、地に巨大な半円形の穴が穿たれているだけ。

「……何じゃこれは、幻術か?」

「いえー……これは」

 仙狸の言葉を否定するように首を振った童子切の目が薄く開かれて、その場所を睨む。

 目の前の大地に一瞬で空けられた大穴。

 だが、これは幻覚や結界とかそういう物では無い、離れも、立木も、その全てが、綺麗に円で区切ったかのように、この場所から消失していた。

 彼女たちに馴染みのない、異質な力。

「世界を……削り取って行った?」

 物質的、霊的、この世界のあらゆる要素さら……この場所だけを綺麗に抉って何処か、ここでは無い世界に持ち去った。

 山神の化身たるおゆきの感覚は、目の前のあり得ない事象を、そう彼女に告げていた。

 そして、それにより彼との絆が瞬時に断たれた。

 つまり、あの人の行方を捜す手がかりもない。

 その認めたくない現実を、術者としての感覚が彼女に突き付ける。

「嘘よ、こんなの」

 つい今しがたまでそこに居た人の姿を求めるように、その半円状に穿たれた地の淵に佇んでいた鈴鹿御前が、崩れるように膝を付いた。

「貴方……様」

 これが危険でなくて何じゃ、その吸血姫の言葉に鞍馬は尤もだと頷き、目を伏せた。

「確かにこの件を放置するのは危険だ……それは判るんだが」

 そう呟いて、開いた彼女の目に、珍しく悩まし気な光が凝っていた。

「吸血姫……君には、この事態の黒幕、その相手の心当たりがあるんじゃないのかね?」

 だからこそ、今この事態を危険だと断言できる……違うかい?

 鞍馬の言葉に、戦乙女の顔も強張る。

 確かに、吸血姫の今までの言葉が全て正しいとすれば、黒幕の力、知見、機会、何れを考慮しても、それが実行可能な存在は容易に絞り込める。

「……まぁの」

 吸血姫が、彼女たちの先を行くダークウィンドの巨大な翼を睨みながら硬い表情で頷く。

「最終的には、あの棺を実際に開けてみねば確かな事は言えぬが……確かに真祖の位を窺う輩は多い、だが、あれほど周到な形で、いわば反逆を仕掛けられる存在は僅かしか居らぬ」

 無意識だろうか、胸に当てた彼女の右手が、ぎゅっと握られる。

「真祖自らがその血を授けし夜歩く者、妾を含めこの世に数名しか居らぬ直系の、だが彼女に隷属する事無き、自由なる魂を与えられた闇の貴種」

 吸血鬼が、相手の血を啜る事で生み出す不死の眷属は、基本的には単なる奴隷に過ぎない。

 真祖に選ばれた一部の存在だけが、永遠の生とその魂の自由を与えられている。

 

 何故、妾に自由を与えた?

 

 ある時、吸血姫が何気なく発した問いに、真祖はくすくす笑いながら口を開いた。

「私が、貴女の魂を好きになったからだよー」

 奴隷では、その魂が死んでしまうから。

 その言葉に、我知らず赤面した吸血姫の顔を、愉しそうに見やってから、真祖は少し寂しそうに窓外に光る月に視線を移した。

「もう一つはねー、貴女が、自分の意思で自分を終わらせられるように……だよ」

 誰かを愛してしまった時、その人の死を見送るだけでなく、共にその生を終えたいと思った時。

 もしくは、自分は生き切った、もう悔いは何も無いと、心から思えた時。

 不死者であれ、そんな風に自分を終わらせたい時というのは、いつか必ず訪れる物だから。

「……さような物なのか?」

 妾には、まだ良く判らぬが。

「さようなものだよー」

 生とは、自分が納得して終わりを得た時にこそ、体を流れ去った単なる時の集まりではなく、貴女だけの物になる。

「だからね、私が好きになった貴女には、貴女の生を歩んでほしいのー」

 不死者の王たる私が言うのも変なはなしだけどー。

「ドラちゃんにもね、ちゃんと生きて居れば、きっとそのうち判る日がくるよー」

 

 無言で次の言葉を待つ鞍馬と戦乙女にちらりと目をやってから、吸血姫は目を伏せた。

 誰であるにせよ、その存在は、ある意味、真祖の願い通りに振舞ったのだ。

 奴隷には出来ぬ。彼女への反逆という、自由意思の産物を引っ提げて。

 では、それは誰か……あの棺を見て、施された逆呪を見て……何度もその答えを否定したくて、可能性を検討した。

 薔薇姫では無い、あれは妾達の中でも最強の存在ではあるが違う。

 彼女は吸血姫という存在の軛から自由でありつつ、その力を完全に備えるという、ある意味理を外れた訳の分からぬ代物ではあるが、完全なる存在であるが故に、真祖に取って代わろうなどという俗な欲求は微塵も無く、その身を護るための吸血姫の理を知る必要も無い、今何処をほっつき歩いているか、誰も知らぬ、風のように自由過ぎる存在。

 そもそも、あれには、このような多人数を陰から操るような迂遠な真似は出来ぬ、知性がどうこうではなく、性質上あり得ない、もし彼女が望むなら、天真爛漫に真祖の位に挑むだろう。

 では、妾達の最強の仇敵たる魔狩人(ダンピール)を産み落とした、あの最初の吸血姫は。

 だが、あれはその力の全てを娘に授け、この世から消えたと真祖から聞いておる。

 その子たる魔狩人か。

 それも無かろう、奴が真祖の命を狙うなら、このような手は取らぬ、奴には真祖に正面から挑むだけの実力があり、それだけの誇りも持ち合わせている。

 もし搦め手を使うにせよ、あの膨大な我らの秘儀に関する知識、特に異界の門を扱う知識など持ちあわせぬ筈。

 他に思いつく連中は居なくも無いが、力にせよ知識にせよ何れも少々足りぬ。

 では、妾は……。

 皮肉な話だが、自分はそのすべての条件に適合する。

 真祖の傍近くに長年仕え、その力も、彼女の弱点。吸血姫の力の維持、管理に必要な術式の把握。 あの城に納められた、あのメダルのような世に在ってはならぬ力を秘めた秘宝の数々の管理、そして真祖がその力の下に屈服させ、自らの血を埋め込んで下僕とした魔獣達の力や特性や従え方。

 その全てを、妾は知悉し、それらを適切に扱うだけの力も備えておる。

 だからこそ……妾は、真祖に対して、常に一線を引いて接して来た。

 彼女は余りになんというか、あけっぴろげというか、自身に対して、何らの秘密も持とうとしないから……。

 妾には -真祖という存在の巨大さと、底知れなさを誰よりも知る存在である妾にはー 彼女に取って代わるという野心はあの時も、そして今もさらさら無い。

 だが、あの立場に居続けた時、自分がその野望を抱かぬという保証もまた無かった。

 もしも妾が、あの立場に居続け、好奇心のままに、真祖に接して力を蓄え続けて居ればどうなったのか。

 故に……妾は、あの甘美なる永遠の闇に沈むあの城を去る事を選んだ。

 その時、吸血姫の背中にぞわりとした感触が走り、思考が破られた。

 自分のこの感触が勘違いであって欲しい、そんな淡い願いを込めて視線を向けた先で、吸血姫は月明かりの下で、なお青ざめて見える二人の顔を見出した。

 彼女達もまた、自分の顔に同じような色を見出したのだろう。

「……君も感じたか、吸血姫」

 勘違いなら良かったのだが。

「軍師殿、これは一体、召喚師殿の気配が……」

 消えた。

 何の前触れも、予兆も無く……唐突に断ち切られたかのように。

「ああ、だが彼の死とはまた違うな、冥府に行ったとかではない、肉体も魂も……いや、痕跡全てが纏めて一瞬で奪い去られたかのような」

 何だ、この異常な感覚は。

 鞍馬の言葉に、吸血姫は覚えず呻いた。

「そういう……事か」

「吸血姫殿、何かお心当たりが?」

 戦乙女が、どこか藁にもすがるような響きを言葉に込めて問うて来るのに、吸血姫は、ある、と一言返してから、胸苦しげな顔で、押し出すような声を返した。

「あの棺が安置されておった時の果ての世界じゃ、此度の件の黒幕に連れ去られたのじゃろう」

 目的は一つ。

 主の、天柱樹と一体となり、世界の気の最上のそれを体に溜め込んだ、極上の力を宿した血。

「……それは、仙境とか神界とか、そういう異界では無いのですか?」

 その程度の時空なら、神の使いたる彼女の翼ならばどうにでも追いかけられる、そう勢い込む戦乙女に、吸血姫は沈痛な顔を向けた。

「違う、考えても見よ、それらの界とて、所詮時の流れが遅いか早いか、次元の層が違うかというだけの話で、時の支配から自由では無かろう」

 第一、その程度なら、妾達とあやつの力と絆なら、気配位は追える筈……違うか?

 頷いた二人の顔を見て、吸血姫は顔を地に向けた。

「時の果てとは、時が生まれる前、もしくは滅び去った後の虚ろ、この時の流れの中に居る妾達には、追う事敵わぬ世界よ」

 吸血姫の言葉に、二人が押し黙る……ややあって、その沈黙を鞍馬が破った。

「……判った、吸血姫、ではその上で、知識持つ君に敢えて聞こう」

 鞍馬が、自分ですら想像も出来ない術の存在を前にして、困惑と、そして微かだが不安を宿した顔を吸血姫に向ける。

「対策は、あるのかい?」

「対策……か」

 全く手が無いかと言われればそうではない。

 鍵はある。不幸中の幸いと言っていいのか、あの盗賊が持っていたメダルの片割れは、今、自分の手の中にある。

 だが、これを使い、恐らくもう一個のメダルを使って開いた異界への道を開くなど。

 妾では、無理。

 ……妾では?

 ああ、そうだ。

「軍師殿、戦乙女、今より妾が、ダークウィンド……あの大蝙蝠の動きを一時止める」

「お待ちを、吸血姫殿、我らは召喚師殿の救助の話をしているのであって……」

 そう口にした戦乙女を、鞍馬が遮った。

「……奴を止めるのが、君の対策に適うんだな?」

「そうじゃ……奴を止め、棺を奪い返してくれ」

 居るぞ、それが出来る存在が。

「棺……まさか吸血姫殿、貴女は……」

「そう、真祖の手を借りるのじゃ」


 
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