No.1064508

唐柿に付いた虫 31

野良さん

式姫の庭の二次創作小説になります。

「唐柿に付いた虫」でタグ付けしておりますので、過去作に関してはそちらからご覧下さい。

2021-06-16 21:20:13 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:577   閲覧ユーザー数:567

「真祖の棺……」

 吸血姫の言葉に、鞍馬と戦乙女は怪訝そうに彼女を見返した。

「棺と言っても死者を納めるだけの物ではあるまい……君の寝台と同じ物という事か、吸血姫?」

 そう口にしながら彼女たちの先を飛行する、吸血姫がだーくうぃんどと呼んだ大蝙蝠を指さした鞍馬に、吸血姫はその明敏さを賞するような顔を返した。

「そういえば、お主にはちらと話した気がするな、そう、妾達の棺は、単なる日避けの為に蓋が付いた寝床では無い」

 この緊急事態の中で、どの程度の事を、この二人に把握して置いて貰おうかと、僅かに考え込む表情を見せていた吸血姫が、探るように言葉を続けた。

「妾達、夜歩く者の力の源は、巷間よく言われる人の生き血より重要な物があっての……」

 そこで、暫し言葉が止まる。

 吸血姫の言葉が重いのは、恐らくその辺りが彼女の……いや、彼女の種族の力や弱点の根幹に触れる物である故であろう。

 いかに仲間であれ、知られたくない事はどうしてもあるし、その辺りの事情が判らぬ二人でも無い。

 大蝙蝠の行方を追い、夜の中を高速で飛行しながら、無言で鞍馬と戦乙女は続きを待った。

「……土じゃ」

「土?」

 ややあって吸血姫が口にした意外な言葉に、戦乙女が咄嗟に反問したが、すぐに何かに納得したように頷いた。

 大地は、大いなる力を宿し、流れる場所である、その言葉で思い出したのが、古の時代に大地の女神より生まれた故に、体が地に触れている限り無敵と謳われた戦士が居たという伝承。

 その話自体は誇張かもしれないが、吸血姫、不死なる者の本質は夜闇と魔術の女神、すなわち地下世界の闇を領域とする、古代世界を支配していた地母神の末裔とも言われる。

 その彼女たちならば、なんらかそういった大地から力を得る能力を持っていても不思議はないか。

「うむ、普段から妾達が踏んでおるあの土じゃ、詳細は遠慮させてほしいが……妾達は、とある土より、定期的に力を得る必要がある」

 

 その土とは産土(うぶすな)の類かな。

 口には出さずに、鞍馬も吸血姫の言葉を自分なりに検討していた。

 産土、それは自分が生まれた場所の土。

 父祖から自分へと続く血と肉と魂が産まれ、そしていずれ還るべき地。

 彼女はその土から力を得る、と言ったが、恐らくそれはそう単純な話では無い、更に複雑な呪術や意味が絡むのだろう。

 故郷、そしてその父祖達との絆と縁の回復。棺と産土、そして不死者たる彼女の組み合わせから類推するに、そこには偽死と再生の意味もあろう。

 術者としては、色々思いつく事はあるが、これ以上は鞍馬すらも軽々しくは立ち入れぬ秘術の世界。

 

 鞍馬は思考の迷路に立ち入ろうとする自分を戒めるように、前を見た。

 大蝙蝠の飛翔は止まらない、この速度と方角からして、早晩、彼女たちが制圧した領域の外……堅城を超えた先、まだ妖が跳梁する場所に逃げ込まれかねない。

 堅城にも数人の式姫や人の兵が駐屯し、その領域からの侵攻を監視してはいるが、この大蝙蝠を止める事は出来ないだろう。

 思考を玩弄する愉しみは、暇な時の嗜みであって、奴を止めねばならぬ今では無い。

 ふむ、と低く呟いてから、鞍馬は吸血姫に顔を向けた。

「つまり、その土を保存する物として何らか都合が良い物が棺であり、君達はそこで定期的に休む必要がある、そして私たちが今追っている棺には、その土も含まれる……そういう理解で良いかい、吸血姫?」

 要領よく、かつ込み入った事情には極力踏み込まずに、必要な情報だけを纏めてくれた鞍馬の言葉に、吸血姫が僅かに苦笑を浮かべた。

(……お主も苦労人じゃな)

 誰にも聞こえない程度にそう呟いてから、吸血姫は頷いた。

「そう理解して貰ってよい、そして、あの棺は……その働きを助けるために彫るべき呪や紋の要所要所に様々な呪や彫り直しを入れ、その意味が全てさかしまになるように細工がされておった」

「逆呪……か?」

 さしもの鞍馬も表情を硬くする、逆呪とは文字通り、呪の本来の働きを逆転させた物。

 元より呪術、魔術の類は、吉凶、盛衰、男女……そして全ての根本を為す陰陽、全てはそういう対称的な力の相克や相生によって生じる力を利用する物。

 その術の意味を逆転させる仕掛けを施せる、つまりそれは、その棺と土が持つ本来の術を知悉した存在がそれを施した……そういう事になる。

「では、あの棺の中に入ってしまったら、貴女達は力を受け取れない処か、むしろ逆に力を奪われる?」

 戦乙女が硬い表情で発した言葉に、吸血姫は無言で頷き、指を繰った。

「そう、逆呪の仕掛けられた棺に放り込まれれば、そのまま力を奪われ続け身動きも儘ならぬようになる、そして、その棺を、恐らく時の果ての異界、この世界から隔絶した場所に安置しておった。 どちらか一つでも十分強力な妾達に対する封印となる……それを二重に仕掛けた、そこまで厳重に封じる必要がある夜歩く者など」

 真祖以外には居らぬ。

 そう、硬い表情で口にした吸血姫の言葉に、戦乙女が少し首をかしげた。

「状況からそう判断したという事ですね……。失礼ですが、その真祖の棺、貴女は過去に見た事が無かったのですか?」

 親しく接していた存在のような口ぶりでしたが。

 戦乙女が、吸血姫の顔を覗き込む、それに苦笑を返しながら、彼女は肩を竦めた。

「そう、親しかった、そう言って間違いは無い程度には良好な関係じゃったな。だが、妾は真祖の棺を見た事は無い、彼女の事じゃ、頼めば何の屈託も無く見せてくれたじゃろうが……な」

 それは妾の知るべき事では無い。

 吸血姫の言葉というよりは、その表情から何かを悟った二人が、無言で頷く。

 いかに親しかろうが、知らずにいた方が、お互い良い事は確かにある。

 知るという事は、相手の間合いに踏み込む事。

 迂闊に踏み込み過ぎれば、反撃と拒絶を覚悟せねばならない……知るというのは、真剣勝負でもあるのだ。

 良好な関係を維持するには、その間合いを理解する事、そして吸血姫は、その真祖という存在と良い距離を保った関係を続けていたのだろう。

「判った、君の判断なら間違いなかろう、では最後に聞きたい、その真祖の棺とやらを、我らが今、危険を冒して追う意味はなんだ?」

 先を行く大蝙蝠が上昇に転じる、それを追って、三人もまたぐんと高度を上げ、雲の上に出た。

 遮る物の無い空の平野に、ただ、しらと月が煌めく。

 それに、目をくれてから、吸血姫は一つため息をついた。

「真祖とは、妾達のような、夜歩く者全ての始まりの存在じゃ、いつからこの世に居るのか、どれだけの力を持っているのか……誰にも判らぬ、推し量る事も出来ぬ」

 神に等しき、本来は名など付けようがない、大いなる存在。

「その真祖が、何をどうやったか知らぬが、棺を奪われ、その中に封じられた。そして封じた奴は、何故かこの近在に潜み、あの盗賊団を操って何かを策し、更には、真祖直属の魔物をすら操ってあの棺を奪取させた……」

 そこで吸血姫は言葉を切って、硬い顔を二人に向けた。

「これが危険でなくて何じゃ?」

 

 世界がえぐり取られる。

 男がその時感じたのは、そうとしか形容が出来ない……そんな異質な感覚。

 結界や、仙術による壺中天、うつしよと幽世を隔てる帳……そんな世界を区切る類の術とは根本的に異なる、まるで、世界の上から巨大な匙を下ろし、この場所だけ掬って持ち上げられた……そんな奇妙で乱雑で、そして圧倒的な力の存在を、ひしひしと感じる。

 そして、それを操っているのが……彼の、いや蜥蜴丸の剛撃を、細身の刃で軽々と防いでみせた、この異国の美女。

 強大な相手であろうとは覚悟していたが、、これは……。

 男が地を蹴って軽く飛び退って距離を取ろうとする、その刹那、彼女が手にした細身の剣が鋭く跳ね上がった。

「しまっ……」

(主殿!)

 噛み合せていた刃を外そうとした、その僅かに力が抜けた一瞬を見切ったかのように繰り出された一撃が、男の手から蜥蜴丸を跳ね飛ばし、帳の向こうにはじき飛ばした。

「蜥蜴丸!」

 痺れが走る手を押さえながら、蜥蜴丸が飛ばされた方を見る。

「競り合いの外し方がまだまだね……心配しなくても彼女は無事よ、ただ、式姫に居られると万一って事があるから、退場願っただけ」

 あの一撃を受け止めた時の手に返って来た、重く鋭い感触……あの底知れない力は、やはり侮って良い物では無い。

 だからこそ。

 彼女は、手にした大ぶりの銀貨のような首飾りを指先でくるりと回して見せた。

 その指の動きと共に、周囲から微かに聞こえていた式姫達の声が、完全に途切れ、帳を隔てたようにではあるが見えていた周囲の風景も完全に闇に閉ざされた。

 ただ、男と、彼女と榎の旦那、そして、そのついでに切り取られたかのように、庭の一部と彼の住まいである離れだけが、まるで箱庭ででもあるかのように、世界から切り離された。

 いや、そんな光景より何より……。

 数里は隔てていても、彼には何となく感じ取れていた、式姫達の気配が、完全に途絶えた。

 それこそが、彼が今、自分があの世界から隔絶された事を痛い程に感じさせていた。

 孤独。

 それを自覚した時、冷やりとした物を胃の辺りに感じる。

 恐怖と惑乱が、彼の心を押し包みそうになる。

 だが。

 彼はぐっと手を握り、目の前の恐るべき敵を睨み据えた。

 たとえその存在を感じられずとも、彼は彼女たちの主であり、それに恥じぬ存在であらねばならない。

 その誇りだけを支えに、彼は震えも無く、目の前の強大な敵に正対した。

「一体、何をした?」

 返答は大して期待していなかったが、男はそれでも口を開いた。

 明白な実力差を見せられ、式姫の助力すら奪われたというのに、その声には震えも虚勢も無い。

 やはり面白い人。

「そうね、こう言って判るかな、この付近だけ『時』の支配する世界から切り離したの」

 手にしていた首飾りを再び首に掛けながら、彼女は物憂げな目を男に向けた。

「……何を言ってるかは良く判らねぇが、その『世界から切り離した』ってのぁ、何となく判るよ」

 そう、式姫だけでは無い、あの庭の大樹の力も……いや、何と言えばいいのだろう、あの世界と自分が確かに保っていた何かの繋がり……それが完全に断たれた事を、男の体が感じていた。

「肝心な事は理解したようね、そう、つまり、貴方はこの場所では、式姫の助力は望めない」

 貴方と式姫の力を評価したからこそ、世界最強の魔を封じる為に作り上げた世界にご招待したの……光栄に思ってね。

 彼女のすらりとした足が、さり、と乾いた庭土を踏む。

「そして、貴方は、今や私の手中」


 
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