河川敷の野原の上……
そこが俺の昼寝するのにとっても気に入っているスポットの一つである。
南から吹く、そよ風が髪に撫でられ、妙な気持ちよさをかもし出していた。
「ん?」
そのそよ風に誘われるように俺の耳に澄んだきれいな音楽が聞こえてきた。
これはたぶん、ハーモニカのメロディーであろう。
しかし、この曲は聴いたことの無い曲であった。
風のように涼しく、水のように澄んだ音色に俺は段々とウトウトしてきた。
できれば、ずっと聴いていたいメロディーであった。
そう思いながら、俺はハーモニカの音色を聴き入っていた。
しかしそれもすぐに終わった。
突如、ハーモニカの音がピタッと止まり、俺は何事かと目を開けた。
そして、驚いた。
「おはよう……いい夢見れた?」
「お、おはよう……」
自分の顔を真下から見下ろすように挨拶する少女に俺は一瞬ドキッとしてしまった。
この娘は明らかに小学生も低学年の子だろう。
でも、風になびく黒くて艶のある髪が妙な大人っぽさをかもし出し、俺は終始、彼女の目を見つめ続けていた。
彼女は楽しそうに腰を上げ、笑い出した。
「ずっと寝たままだったから、死んでるのかと思っちゃった♪」
冗談にしてはキツイ事を言う彼女に俺も腰を挙げ、彼女に話しかけた。
「さっきのハーモニカは君が?」
「これのこと?」
スッと左手に持ったハーモニカを差し出し、彼女は不思議そうに聞き返した。
「うん……ハーモニカ、上手だね? 練習してたの?」
「うん! お兄さんもいつもここで寝てるよね?」
「なんだ、俺のこと知ってるのかい?」
「知ってるよ! いつもこの時間で惰眠をむさぼってるよね?」
惰眠って……
この娘、本当に顔の割りに言うことがキツイな……
「私もたまにここでハーモニカの練習をするんだ?」
「へぇ~~……知らなかったな?」
「うん……だって、時間帯が合わないもん」
時間が合わない。
確かに俺がここにいるのは大学が休みくらいなときだ。
小学生の彼女と時間帯が合うわけが無い。
それでも彼女は俺のことは知ってるんだよな?
「どうしたの、お兄さん?」
「俺はお兄さんって名前でもそんな年でも無いよ……」
と言っても、まだ十代だけど……
「じゃあ、なんて呼べばいいの?」
「人は俺をナナシって呼ぶな?」
本当はちゃんとした名前が他にあるが月並みで面白くないし、あだ名で名乗ることにした。
「ナナシさんか……?」
「呼び捨てでも構わないよ。 最近の娘は遠慮が無いし……」
「そんな事ないもん!」
ぷくっと頬を膨らませる彼女に俺はハハッと笑い出した。
「そういう君はなんて名前なんだい?」
「え……私?」
「他に誰がいる……?」
「……」
ん、なんで、困った顔をするんだろう?
「えっと……永瀬照美……かな?」
「なんで、疑問系?」
「まぁまぁ! 照美って呼んでよ……ナナシさん!」
「そうだな……じゃあ、よろしく照美ちゃん!」
ギュッと手を握り合い、俺と照美ちゃんはニコッと笑みを返した。
それが俺と永瀬照美との出会いであった。
それからどういう偶然か、必然か、俺と照美ちゃんはよく会うことになった。
俺がいつものように河川敷で昼寝をしていると彼女もハーモニカの練習でここに来て。
彼女がハーモニカの練習をしてるときに俺も偶然、昼寝に来る。
照美ちゃんと過ごす日々は楽しかった。
毎日、聴いたことも無いハーモニカの演奏を聴き、他愛のない会話をする。
一ヶ月も経つと俺も彼女もスッカリ、お互い呼び捨てにしあえる仲にまでなっていた。
正直、彼女がもうちょっと早く生まれてくれば……
いや、俺がもう少し遅く生まれれば、好意も持てただろう。
それでも、彼女に惹かれるものがあるのは事実……
できれば、こんな日々がいつまでも続くといいな。
そして、今日も俺は彼女のハーモニカの演奏に誘われ目を覚ました。
「おはよう、照美?」
「こんにちはだよ、ナナシ!」
よっこらしょと俺の隣に座ると彼女は何も言わず俺の肩に身体を寄せた。
「……どうしたんだ、照美?」
いつもと違う、彼女の行動に俺は少し戸惑いながら目を白黒させた。
彼女もなにも言わず、俺に肩を乗せたまま黙り込んでいた。
「……」
「……」
重い沈黙が辺りに広がり、俺は妙な居心地の悪さを感じた。
普段と違う彼女の行動に俺は戸惑いを隠せず、照美の顔を見た。
「なにかあったのか?」
「……なんで?」
「いや……だって?」
元気が無い……
いや、もっと正確に言えば、どこか疲れた顔をしていた。
どんな子供も充実して生きなきゃいけない。
子供のときにどれだけ楽しい人生を送れたかで俺はその子の将来も決まると思っている。
だから、こんな顔は子供には似合わない。
「ねぇ、ナナシ……?」
「なんだい、照美?」
「……なんでもない」
また黙り込む照美に俺は訳がわからず目をパチパチと瞬かせた。
「なにかあったなら、訊くけど……言えないことかい?」
「……」
また黙り込む彼女に俺は処置無しと、肩を下げた。
まぁ、長い人生の中、たまにはこういうこともあるだろう。
俺は彼女から身体を離し、ゴロンッと転がり、眠りに入ろうとした。
その瞬間、耳障りなおばさんの声が木霊してきた。
「こら、なにをしてるんですか、留美!」
突如、聞こえてきた癇に障るおばさんの声に俺は驚きを隠せず起き上がってしまった。
「な、なんだ、この不快指数満開の怒鳴り声は!?」
慌てて声のする方向を見ようとしたが……
「私のことはほかっといてよ!」
照美が俺を盾にして、おばさんを睨んでいた。
「留美、なんですか、その人は!? あなたは遊んでいる時間など無いんですよ!」
「……?」
なんか、俺を挟んで怒鳴りあう彼女達に俺は不思議そうに手を上げた。
「あの、なんですか……あなたは?」
「それはこっちのセリフです!」
ギラッとメガネの下から見える濁りまくった瞳を輝かせ、おばさんは甲高い声で怒鳴りだした。
「うちの留美に何をしたんですか! うちの留美はあなたみたいな暇人と一緒にいる娘じゃないんです!」
「暇な人って……結構傷つくな?」
まるで侮蔑するような目で俺を見下すおばさんに照美は大声で叫びだしていた。
「お母さんがナナシの悪口を言わないでよ!」
「留美! そんな人の背中に隠れてないでここに来なさい!」
「いや!」
「お、おい……」
絶対に動かないぞと言わんばかりに俺の背中に抱きつく照美に俺は戸惑いながら言った。
「あの人……お母さんなのか? それに留美って?」
「なんでもないよ! それよりも私を守ってよ!」
「ま、守れって……そんな、いきなり言われても?」
状況の飲みきれない俺にどうやって君を守れっていうんだ?
そんな戸惑いまくってる俺におばさんは額に青筋を立てて俺を河川敷の野原に弾き飛ばした。
「いたっ……」
「ナナシ!」
弾き飛ばされた俺を心配するように照美は俺に駆け寄ってきた。
「今回は大目に見ますが、今後、留美に近づかないでください!」
そういい、おばさんは照美の腕を強引に掴み、どこかに連れて行こうとした。
「いや! 助けて、ナナシ!」
「えっと……」
弾き飛ばされた衝撃で肩を痛めてしまい、俺は少し遠慮がちに叫んだ。
「あの……照美が嫌がってます。 少しくらい、訳を話してください!」
「あなたに言うことはありません! ウチの留美の邪魔をしないでください!」
「邪魔って……」
もぅ俺の事など眼中にないのか、おばさんは強引に照美を連れたまま怒鳴った。
「早く、帰りますよ!」
「いや!」
おばさんの手を払いながら、照美は俺にだけわかるようにワザとポケットの中から小さな財布を落とし、可愛らしくウィンクした。
「照美……?」
「もぅ、諦めたから……帰るよ!」
「当然です! あなたに遊んでる時間は無いんですから!」
トポトポと帰っていく二人を見て、俺は呆気にとられたように口を開いてしまった。
なんだったんだ、あのおばさん?
あ、そうだ……財布拾わなきゃ?
財布を拾うとパラッと紙切れみたいなものが落ち、俺は拾ってみた。
「地図だな? ここを基準に描いてあるな……ここだと、俺の家?」
なんで、照美は俺の家を知ってるんだ?
そして、行けと言ってるのか?
紙の端に二〇〇〇と書かれているところだと十時くらいに待ってろということか?
仕方ない。
待ってみるか……
夜中の十時が過ぎると、俺は家を出て、玄関の前で照美が来るのを待った。
あの紙に書かれてるとおりなら、もぅそろそろ来るはずなんだが?
コツンッ……
「いたっ……」
コロンコロンッと転がる小石を見て、俺は石の投げられた方向を見た。
そこにはジャンパーとかの重装備をした照美が申し訳程度に俺を手招きしていた。
俺は物音を立てず、彼女に近づくと照れたように頭をかいた。
「ロミオとジュリエットみたいだな?」
「そうかな?」
照美もおかしそうに笑い、そっと河川敷のある道筋を指差した。
「いつものところに行こう……今日のこと全部話すから」
「……うん」
俺はそっと頷き、河川敷のある歩道を俺は彼女の手を握りながら歩き出した。
彼女は終始、自分のお母さんの非礼を代わりに謝っていた。
俺は気にしてなかったけど、彼女は相当お母さんを嫌ってるらしく、その言葉には熱がこもっていた。
まぁ、このくらいの年の子は親とのコミュニケーションは難しいだろうな。
「さて、ついたぞ!」
この時間に河川敷に来るのは初めてだな?
普段はポカポカで気持ちのいい河川敷も夜になると不気味な色をかもし出す。
ここで百物語をしたら盛り上がるだろうなと不謹慎にもそう思ってしまった。
まさに昼の明るさと反比例だ。
「じゃあ、座ろうか?」
「あ、ああ……」
いつもと同じ場所に俺達は座ると満点に光る星空を眺め、寄り添った。
「……どこから話そうか?」
「……」
俺は少し考えながら、小さい疑問から聞いてくることにした。
「まず、あのおばさんは君を留美って呼んでたけど……?」
「留美は私の本名……野口留美。 それが私の本当の名前」
「野口留美……?」
はて、どこかで訊いたことのある名前だな?
野口、野口、留美、留美……
あれ……つい最近、テレビ番組で取り上げられてた気が?
「思い出した! 天才小学生ピアニスト野口留美!」
「やっぱり、知ってるんだ?」
どこか寂しそうな顔で顔を伏せる照美……留美に俺は不思議そうに聞き返した。
「有名だからね……?」
でも、気付かなかった。
確かに言われて見れば、化粧はして無いがテレビで見る野口留美だ。
あれ……
でも、なんで、そんな有名人がここに?
「えっと……新しい疑問を述べていいかな?」
「どうぞ?」
「なんで、君がここに?」
「……?」
今度は彼女が心底不思議そうに俺を見返した。
「だって、ここは私の住んでる町だもん」
「い、いや……そうじゃなくって?」
だって、一日の半分以上をピアノレッスンに使うと言われる才女がなんでこんなところに?
気になることだらけだけど、とりあえず、話を変えることにした。
「えっと……確か将来の夢は有名ピアニストだっけ?」
「違うよ……」
「え、だって、テレビじゃ……?」
「そういわないと怒られるから、いやいや言ったの……私にはもっとべつの夢があるの」
「べつの夢……?」
「そう……」
ゴロンッと俺を巻き込みながら寝転がると、彼女は夢見るように目を輝かせた。
「私、自分の曲を作りたいの……誰にも作れない、私だけの曲を!」
「作曲家か……」
確かにピアニストと似て非なるものだな。
「元々、ピアノだって、曲作りに役立たせたくってやってたのに、ちょっと才能を認められただけでお母さん舞い上がって……」
「無理は無いんじゃないかな?」
なにも、期待されず育てられるよりもいいんじゃないかな?
俺も、今こそ、昼寝を趣味にするグータラ男だが、昔は誰かに認めてほしくって苦労した。
だけど、結局、誰にも認めてもらえなかった。
「どうしたの、ナナシ?」
「い、いや……なんでもない! それよりも、君の気持ちはお母さんに言った?」
「もちろん、なんども言ったよ! でも、聞き入ってくれなかったの……」
ガバッと起き上がり、膝を抱える彼女に俺は不思議と嘘で無いことがわかった。
それに今朝のお母さんの性格を考えれば、彼女の苦労も相当わかる。
あのお母さんはお世辞と言って、理解力があるとは思えない。
まぁ、才能のある娘を持てば、嫌でもあんな性格になるのかもな?
でも、今まで、彼女がハーモニカで吹いていた曲はこの子の作曲だったのか。
聴いたことの無い曲だったはずだ。
「……私、作曲家になれないのかな?」
今にも泣き出しそうな顔をする彼女に俺は無理やり彼女を芝生に寝転がせた。
「ナナシ……?」
「なれるさ……」
「え……?」
「お母さんが君の夢を邪魔するなら、俺が説得してみせるさ……だから、希望は捨てないで?」
「……」
留美は自分の頭に乗った俺の手を無理やり払い、不安そうに目を潤ませた。
「本当……私、夢を追いかけていいんだよね?」
「ああ……」
「約束だからね?」
そういい、彼女は俺に身体を預け、そっと目を瞑った。
それからはまさに絵に描いたような怒涛の日々であった。
作曲家志望の留美の考えはどうしても親に理解されないものがあり、なんども衝突が繰り返された。
酷いときには俺の家に家出してきたときもあった。
それでも、時間に余裕があれば、今まで通り河川敷前でお互い昼寝をする日々も続いた。
そして、あの夜から十余年の月日が流れた。
俺と照美は思い出の河川敷前に来ていた。
ここが俺達の原点だった。
ここで俺は彼女のハーモニカに起こされ、彼女に出合った。
彼女もここで自分の夢を確信し、突き進むことを誓った。
そんな彼女も今年で二十三歳になる。
数多くの周りの言葉を掻い潜り、家からは勘当同然に彼女は作曲家になった。
まだ、売れるには程遠く、バイトをしないと生活もままならない身分だが、彼女の毎日は充実していた。
俺もあの夜以来、彼女のことをずっと見守り続けた。
おかげで三十も半ばでまだ独身だ。
でも、後悔の無い人生だったな。
「ねぇ……ナナシ?」
「なんだ……照美?」
照美……
彼女をはじめて呼んだ言葉。
あの後もずっと同じ関係でいようと言う誓いも兼ね、俺達はお互いをあだ名で呼び合うことにした。
「私が作曲した曲がミリオンセラーになったのは知ってるよね?」
「ああ! 毎日聴いてるぞ?」
大人気グループの最新曲に選ばれただけでも大騒ぎだったのにそれがミリオンセラー……
俺と照美は時間を忘れ、騒ぎまくったものだ。
「ナナシは……付き合ってる女性とかいるの?」
「……なんで?」
「私、自分にある決意を立ててたの……」
「決意?」
「……そのためにナナシをここに呼んだの、わからない?」
「さぁな……?」
そっと川に流れる水を見つめ、俺は昔のことを思い出した。
「小さい頃、私は自由にそこで昼寝をしているナナシに憧れてた。 私もあんなふうに自由に昼寝が出来たらなと……」
「そうだな……確かにあのときの俺は自由だった」
そして、彼女は不自由だった。
もしかしたら、俺達はどこかで自分に求めてるものを見続けていたのかもしれない。
俺は誰かに認めてほしくって、認められず、毎日を怠惰に生きていた。
彼女は回りに期待もされたく無い才能を認められ、毎日を束縛されていた。
相互依存といえば、聞こえは悪いが俺達あの時からずっと一緒だった。
そして、それはこれからも変わらないと思う。
「私の決意……私の曲が一本でも売れたら、告白しようと思ってたの」
「誰に?」
不思議そうに目を伏せる俺に彼女はおかしそうに苦笑した。
「わかってるくせに……」
俺達はお互いに強く抱きしめあい、目を見つめ続けた。
「私と結婚してくれるよね?」
「こんなおっさんでいいならな?」
「うん……」
俺達は抱き合ったまま、川のせせらぎを聞きあった。
あの時、俺達が出合った河川敷の川の音を……
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かなり前に書いた、純愛小説です。主人公の名前、もぅちょっと考えればよかった。