戦の開始は昼過ぎであった。
「ほう……思ったより展開が早いな、思い切りのいい用兵をする」
戦場を一望できる向かいの小山に生えた、見晴らしのいい大樹の上に立ち、鞍馬は満更お世辞でも無さそうに、そう口にした。
あの領主殿は部隊が到着次第、矢継ぎ早に戦場に投入しつつ、後続部隊の到着を機に、先に投入した兵を下がらせ、陣の構築に掛からせるというやり方で、敵盗賊団に、休んだり考える暇を与えぬようにさせていた。
兵力の逐次投入は……等というのは孫呉の兵法辺りを齧れば誰でも言える話しではあるが、状況を見て、敢えて悪手と言われる手が打てるのは凡庸では無い。
その下がらせた兵による陣の構築も、縄張りから防柵用の穴掘りまでが、実に手際が良い、これなら、後発の部隊が資材と共に到着すれば、長期の対峙に耐えるだけの陣が程なく構築されうるだろう。
慌ただしい行軍からの、勢い任せにすら見える戦闘開始であったが、ここまで兵たちの一連の動作には破綻も遅滞も無い辺り、かなりの精兵であろう事が伺える。
「成程、後からかき集めて来る練度の低い兵を投入する前に、子飼いのみで状況を整えて置く算段か」
大きな流れを作ってしまえば、後は数が物をいう、この辺りの戦の機微を捉えた用兵は見事な物だ。
彼女の主が、この機にあのおっさんに貸を作って置きたい、と評価していたのも頷ける。
「だが」
小さく鞍馬が呟く。
早い展開から一気に押し込みつつ、背後で陣の構築を急ぐのは、逆に言えば、領主殿の焦りや、夜に入る前にある程度こちらに有利な状況を作って置きたいという願望の発露でもあろう。
それだけ、先の敗戦が堪えているという事。
一方、それに対峙する盗賊達も必死である、いきなり攻め寄せて来た軍が、自分たちと交戦する後ろで、慣れた様子で手早く陣を構築しだしたのを見て、浮足立つ様子が何となく見える。
強い軍というのは、土木の技術者集団と同義で語られる事も多い。
進軍路の確保、架橋、陣の構築、築城の妙は、何れも強い軍の証。
そして、先だってのように短期決戦を仕掛けられるなら兎も角、陣を構築され、目の前で睨みあっての長期戦となれば、当然ながら、兵力兵站に劣る自分たちが不利である事は、自明の事。
この手の盗賊など、どこかで足軽でもやっていたような連中が多い、逆に言えば、目の前に迫る軍が、どの位強く、本気で自分たちを潰しに掛かっているか、察せる者が少なからず居るという事。
こうなれば盗賊達も必死である、構築された山砦の堅守に拠って、領主の軍を押し返す。
その最中で、盗賊の側で、伝令が走り出すのが鞍馬の鋭い目には見えた。
十中八九、増援の依頼。
つまり、領主殿の軍の勢いに泡を食って、陽動に引っかかったという事だ、鞍馬の献策が容れられていれば、戦局はこのまま領主殿有利で運ぶだろう、鞍馬は自分の布石が効いている事に満足したように顎を撫した。
だが喜んでばかりもいられない、盗賊団が不利になったという事は、妖怪の出番も程なく来るだろう。
「まぁ、私一人でそうそう後れを取るとも思えないが」
そんな事を思っていた鞍馬が、表情を緊張させて上空を見上げた。
こちらを目がけ飛来する大いなる力を感じる。
まさか、敵方の妖か。
だが、緊張して上空に目を凝らした鞍馬の表情が、ふっと和らいだ。
「なるほど、これは確かに美しい」
身を隠すような気振りすら見えない堂々と優雅にはためく巨大な白鳥の翼、そして陽光を弾き、身に纏った白銀の甲冑が燦と煌めく。
手にした金色の槍と、その槍先で燃え盛る青白い炎が、飛来する姿の後ろに流れ、尾羽のように後を引く。
「彼女が迎えに現れる時、戦士にとっては、死すら悦びとなる……か」
鞍馬はその飛来する相手に見えるように、手にした羽団扇を大きくうち振った。
上空の存在もそれに気が付いたのか、速度を落とし、高度を下げて来る。
彼女がふわりと樹上に降り立つと共に、背に負っていた白鳥の翼が幻のように消えた。
「軍師殿、戦乙女参りました」
「お疲れ様、ふむ、主君に送った書状の返事が君なら、眠い中で書いた価値は十分にあったな」
完全武装した、臨戦の姿の戦乙女が、鞍馬に頷く。
「はい、軍師殿からの書状をご覧になり、召喚師殿は火急の事態である事を察したご様子で、私に助勢をお命じになりました」
(あっちも盛り上がって来たみたいだから、ちょいと鞍馬の手助けに行って来てくれんか?)
という、いつもの彼の言い種を戦乙女風に言い換えると、なるほど、こうなる訳か。
場違いではあるが、ふっと浮かびそうになった笑みを押し殺して、鞍馬は軍師らしい謹直な顔を作った。
「ありがたい、助かるよ……彼から状況は聞いているかな?」
「件の盗賊団に妖怪、もしくはそれに準じる力を持った存在の助力があるのは、ほぼ確実と判断したが、他者に明示できる類の証拠はない。 故、自分たちが介入するには、相手に手出しをさせてから反撃の形で加勢せざるを得ない状況である……そう伺っておりますが」
間違いないですか? という戦乙女の視線にたいし、鞍馬は軽く頷いた。
「ああ、これで盗賊側が不利になれば何らか動きがあると私は見ている、ほら、ちょうど始まった所だ」
「成程、山の砦に拠っている方が盗賊団側ですね」
そこで言葉を切った戦乙女が、戦場に鋭い目を向ける。
「双方、中々に見事な戦振りですね」
「そうだね、どうだい、君のお眼鏡にかなう人は居そうかな?」
鞍馬の冗談口に、だが戦乙女は謹直な顔を返した。
「いえ、今代においては、私は召喚師殿以外をお連れしようという気は有りません」
「ふむ、随分と見込んだものだ」
「そうですね、ですがそれは軍師殿も一緒ではありませんか?」
真っ直ぐに向けられた、澄んだ青い瞳が眩しい、その目を咄嗟に受けかねて、鞍馬は韜晦するようにくすりと笑った。
「まぁね」
鞍馬の知る限り、個人の武を誇る勇者も知略を以て立つ将も、個人としての能力なら彼以上の存在は数多見て来た、その内の幾人かは直接の知己であり、彼らを指揮して千軍万馬の戦場を駆けた事もある、更に少数だが、手ずから鍛え上げた人も居る。
だが、先が全く見えない絶望的な戦場に怯まず立ち続け、柔軟に対応し、時に這ってでも前に進み続けた人は、その長き生を通じても片手で数えられる位しか見た事が無い。
あの時、隠者のように身を隠して暮らしていた鞍馬を訪ねて来て、彼が語りだした事。
彼の庭に聳える、神霊建御雷が宿る大樹によって封じられている地竜の封印を構築し直し、その妨害となる龍王達を封じる。
その傍ら、地竜復活に暗躍する玉藻の前の妨害を退け、その影響を排除しつつ、妖怪に制圧された人の世界を解放していく。
それを全て、自分一代の内に、どうしても終えねばならないのだ。
内容の壮大さ ーこの場合、大風呂敷というべきかー に比べ、静かに、落ち着いた様子でそう語り終えた彼が鞍馬の顔を見る。
(無謀は理解している、そして今の俺では、君にそれに見合った報酬を支払えるわけではない事も重々承知している……だが頼む、君が軍師というなら、この無謀を実現する、その方法を考えてくれないか?)
正直、鞍馬も最初に聞いた時は、正気かと思った程に無謀な話、だが無理だと断るには、余りに……。
(私に対する挑戦かい? それは)
その時、くすっと自分の口から洩れた小さな笑い声に、鞍馬自身が驚いた。
もう、人の世の移ろいに動く事は無いと思っていた自分の心が、今、確かに動いたのだ。
風の中に舞う天狗である自分に吹いた、清涼の風。
その心地よさが、笑いの形で、自分の口から自然に転がり出た。
……参ったな、報酬を先に貰ってしまったか、これは。
すっと笑いを納めて、鞍馬は男に正対した。
(良いだろう、大軍師と呼ばれたこの鞍馬、その無謀極まる君の戦いに乗ろうじゃないか)
「確かラグナレクと言ったかな、君が彼を参加させたいという、世界の終焉の時に訪れるという神々の戦い」
「はい、我らが主神すら死を賭して戦わねばならぬという大戦、その際に一人でも多くの勇者に我らと共に在って欲しいと願い、我ら戦乙女の名を持つ者は世界に散っております」
そこで、戦乙女は、激しさを増しだした領主と盗賊団の相争う戦場に目を向けた。
「無知な者、感情薄き者ほど、一見すると勇敢です……ですがそんな自他を軽んじただけの虫けらの勇気は、肉体のみならず、魂すら砕く神々の戦に於いては何の役にも立ちません」
人と己の死を見据え、怖れ怯え愛惜し、だがそれを乗り超えた場所に立たねばならぬ、魂の戦場。
彼女はそんな魂を護り、導く存在。
「なるほど、それはまた、人選が大変だね」
「ええ、だからこそ、その魂を見出した時の喜びは、格別の物」
自らの選択に誇りを抱いている人だけが持てる表情で、戦乙女が静かに微笑む。
「そうか……そうだね」
君もまた、彼の中に私と同じ物を見たか。
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式姫の庭の二次創作小説になります。
「唐柿に付いた虫」でタグ付けしておりますので、過去作に関してはそちらからご覧下さい。
原作、というかほんのり式姫4コマリスペクト回、この二人は組ませたかった。