No.1045253

唐柿に付いた虫 10

野良さん

式姫の庭の二次創作小説になります。

「唐柿に付いた虫」でタグ付けしておりますので、過去作に関してはそちらからご覧下さい。

2020-11-04 21:11:15 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:685   閲覧ユーザー数:676

「血ね……」

 暫し低い忍び笑いが暗い部屋の中で木霊す。

 ややあってから、わざとらしくじゅるじゅると唐柿を吸う音を響かせてから、彼女は干からびたそれを目の前の人に向けて放った。

 慌ててそれを受け取る姿を冷ややかに見やりながら、彼女は憐れむように口を開いた。

「何、トマトの調達が面倒にでもなったの?」

 この日の本の国では無理も無いけどー。

 揶揄するような口調の中に、どこか酷薄な響きを感じ取って、その人物は慌てて口を開いた。

 彼女に役立たずと思われたら、自分は……。

「滅相な、真祖様の為に労を惜しむが如き事はございませぬ……ただ、このような代用品では、その強大無比なお力の回復には、余りに迂遠ではございませぬか?」

 今の私ならば、無垢な童男、童女を、人知れず幾らでも調達。

「阿呆」

 言い募ろうとする言葉を、低い声が断ち切る。

「ははっ」

 こうなると、もう抗弁も出来ない、慌てて首を垂れ、小さく震える姿を見やりながら、真祖と呼ばれた女性は、新たな唐柿を手にして、それを手の中で弄びながら、他人事のような声で呟いた。

「私の復活に供せる程の血を、まだこの地で人知れず調達できるつもりで居るの?」

 人の屍を山と積んで、その上に君臨するが私の本性。

 それだけの人の死を、今、この地で覆う事が出来ると思うの?

 多少の権謀を弄する事が出来るだけの、金や地位を得た程度で己惚れるな。

 弄んでいた唐柿に、歯を立てる。

 じゅるりという音が、どこか最前までのそれとは違い、実際に血を啜っているかのような粘度を伴って聞こえる。

「私は今しばらく表には出たくないの、それは体の事だけでなく、痕跡を含めての話」

 前にそう話したでしょ?

 同じ事を二度口にさせた失望が透けて見えるような声。

「先だってまでのこの国なら、好きに血を求め、村一つ町一つ滅ぼそうが、数多居た妖怪共の仕業に紛れたでしょうけど、今のこの地では無理」

 人の失踪、怪死、変事、その大半は、程なく人の知る所となってしまう。

 世が鎮まるという事は、そういう事。

 そして、この荒れ果てていた地に、束の間とはいえ、その秩序と平安をもたらした存在たちの目は、今でもこの辺りで光っている。

 それを、多少の銭金と、人界の権力を手にしただけで、掻い潜る事が出来るなど、思い上がりも甚だしい。

「式姫」

 忌々しそうな呟きが、紅の唇の間から洩れる。

「それと、彼女らを統べる存在」

 無言で、細かく震える相手に言葉を続ける。

 奴らを侮るな。

 ああいう連中の相手は、どれ程慎重を期しても、不足という事は無い。

 奴らは力をひけらかしも、それを振り回して横暴を働く事も無い……そんな安っぽい奴らでは無いのだ。

 そして、彼女らが現在日の本における最強の人界の護り手たちである事。

「それを理解して、行動してね」

 人は命短きが故に、焦り、事を急き、その拙速の故に自滅するが、彼女のような不滅の存在はそうではない。

 理解できるかな、定命の者よ。

「は」

 緊張の余りか、胃の腑を鷲掴みにされたような不快感と悪寒が総身を震わせ、噴き出した汗が顎の先で貯まり、滴る。

 顎から滴った雫が、静まり返った空間をひたりとした音で揺らした。

 その様を、暫し無言で冷やかに眺めていた彼女が、小さく肩を竦めた。

「ま、理解したみたいだし、取り敢えずは良いかな」

 次のが、貴方より出来が良い保証も無いしね。

 小さな呟きが、最前まで自分の命が風前の灯だった事を、それとなく匂わせる。

 白い手が、燐光を纏う蝶のように闇の中でひらひらと動く。

 下がれという意を示す、この手の動きが、今はどれ程ありがたく感じる事か。

 震える手が手燭を取る。

 乱れる手燭の光の中、唐柿を手にした天人の如く美しい彼女の姿が、さながら奇怪な怪物の如くに闇の中で歪む。

 いや、その奇妙に歪んだ、闇の中で笑う怪物の姿こそが、恐らく彼女の本性なのだろう。

「そ、それでは真祖様、失礼いたします」

 背を向けて歩み去る彼の後ろで、その小心さをあざ嗤うような声が響く。

「私の眷属になりたいなら、もう少し思慮深く振舞う術を覚えてね」

 あなた、美しくも、強くも、若くも無いんだから。

「……精進いたします」

 駆けだしたい。

 一刻も早く、この場所から逃げたいという生き物としての本能を、無理やりに押さえつけてゆっくりと歩みを進める。

「そうね、もう少し現実を冷静に判断できるようにならないと、表看板の商人としても大成できないんじゃないかな」

 小金や権力を持つと、大体がのぼせ上がる物だけど……まぁ頑張って頂戴ね。

 じゅるり、じゅるる。

 背後で響く、彼女が唐柿を啜る音が、さながら、彼の血を吸っているかのような錯覚を覚える。

「あ、ありがたきお言葉、肝に銘じます」

 脚が恐怖で萎えそうになる、ガタガタと震える足を押さえつけるように、階段を踏んでいく。

 実際の移動は僅かな物だ、程なく見えた落とし戸に手を掛け、それを開き上へ……生者の世界へ上がる。

 彼が出て来たのは、文書や薬石……そして少々表には出せない財宝を保管している土蔵の一隅であった。

 手燭の灯りを吹き消し、落とし戸の上に行李を動かして隠す。

 ほの暗い土蔵の中だというのに、今の彼には眩しくすら感じる、何度か目を瞬いてから上を向き、最前まで吸っていた空気を、全て吐き出してしまいたいと言わんばかりに大きく息を吐いた。

 呼吸を整え、脂汗を手拭いで拭う……何とか常の顔を取り戻してから、彼は傍らに置いてあった帳面を手にして、さも今まで在庫の確認をしていましたという体で土蔵の入り口に向かった。

 ぎいと重々しく響く扉の音は、その造りの確かさの証である、重い扉を閉ざしてから、彼は重厚な錠前で、その戸を閉ざした。

 鍵を袱紗で包んでから懐に納め母屋の方に歩き出す、その彼に向って、駆け寄ってくる人が居た。

 この蔵には近寄るなと人払いを厳命している、彼が出て来るのを近くで待ってでも居たのだろう、急いた様子がありありと見える。

「旦那様!」

「儀助、どうしました、あなたが慌てるとは珍しいですね?」

 店の事の半分以上は任せている、商売にも明るいし、人のあしらいにも慣れている、彼の一番信頼する大番頭が、これ程慌てる姿は、正直初めて見る。

「旦那様に、ご、ご来客でございます」

「ほう、どなたでしょう?」

 普通の客や取引相手なら、儀助が出れば十分である、自分が出なくてはならぬ話は幾らも無い、領主殿がこの辺りに派遣している代官殿か、妖退治の役にはまるで立たなかったが、葬式だけは得意な偉そうな山の坊主か。

 まぁ、どちらにしても儀助がこれだけ慌てるという事は、大方また無茶な金子の無心だろう……うんざりする連中だが、金で片が付く手合いは、扱いに迷わない分、簡単で良いとも言える。

 確かに儀助が独断で処理できる話ではないな、金と糧秣合せて、さて幾ら要り用か。

 だが、頭の中でそろばんを弾きだした、その彼の余裕は、次に儀助の発した客の名前で霧散する事になる。

「れ、例の式姫の庭の主が、旦那様にご面会をと、直々のご来訪です……い、今広間にてお待ちいただいておりますが」

 如何いたしましょう。

 さっと血の気が引くのを感じ、目の前が昏くなる。

「だ、旦那様!」

 かつてない事だが、主の首が人形のように傾き、足がふらつき、よろめいた処を、儀助は何とか押さえた。

「旦那様、大丈夫でございますか、今すぐ医者を」

 慌てる手代に向けて何とか首を振る。

「儀助、大丈夫ですよ、構えて騒ぐ事の無いように」

 ふう、と大きく息を吐いて、多少人心地がついた。

「儀助の事です、もう上客向けのお座敷にお通ししてありますね」

 主が青ざめてはいるが、いつもの様子に戻ったのを見て、儀助は安堵したように頷いて、口を開いた。

「はい、上等の茶菓をお出しして、主は他行中にて戻りが何時になるかは、手前では判りかねるとお伝えしましたが……」

「そう伝えて、帰らなかった?」

 無言で頷いた、信頼する手代に複雑な顔を一瞬向けてから、彼は僅かにため息を吐いた。

 それで帰ってしまえば良い物を、一体、私に何の用だというのだ。

■真祖


 
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