「かーわいいーー」
食堂として使っている大広間に赴いた男の手の中で、すよすよと寝息を立てるそれを目ざとく見出した飯綱と、続いて白兎が駆け寄ってくる。
「ねぇねぇ、ご主人様、この子何? 飼うの?」
白まんじゅうを覗き込みながら、白兎と飯綱が好奇心に満ちた視線を男に向ける。
「いや、俺にもまだ良く判ってねぇんだが……」
二人にどう説明しようか男が迷っていると、その後ろから落ち着いた声が掛かった。
「飯綱ちゃんと白兎ちゃん、食事の場で走っては駄目ですよ、埃が立ちます。 そろそろ夕食も始まりますから、今は席に戻りなさい」
「はぁい、鈴鹿さん、ごめんなさい」
「むー、ご飯の後で教えてねご主人様」
不承不承な様子で、二人が可愛いふわふわな狐と兎の尾を揺らしながら席に戻る、変わってこちらに歩み寄ってくる、成熟した女性の色香を纏う式姫に男は目を向けた。
彼女の掃除した場所で埃が立つんかな……などと益体も無い事を思いながら、男は礼を言うように会釈をした。
「騒がせて悪かったな鈴鹿」
そう呼びかけられた彼女、鈴鹿御前が穏やかに微笑みながら、会釈を返す。
「家を守るのは、私の務めですから、さ、貴方様も早くお席に」
「判った」
短く答えた彼に笑み掛けて、鈴鹿が背を向ける。
一応、彼女も彼の手の中の謎生物の事は気が付いた様子ではあった。 穏やかな好奇心を籠めて彼の手の中のそれを一瞥はしたが、特にそれには触れずに、自席に戻っていった。
話すも話さないも彼の判断一つ、自分は要らざる口出しはせず、主と決めた人に従うのみ、という揺るぎない彼女の信念故の行動。
その辺りだけを一見すると、男に都合のいいだけの女性に見えなくもないが、彼女は良妻賢母の令名とは別に、夫と決めた男の裏切りに怒り、国一つ滅亡させたという、真偽定かならぬ噂のある鬼神でもある。
そして、時折垣間見える嫉妬心と、何よりその身に秘める絶大な力は、その噂があながちの法螺話では無いだろうという事を、男に教えてくれる。
とはいえ、そんな話しは直接本人に聞くわけにもいかない、良きに付け悪しきに付け、何かと人の枠では捉えきれない彼女たちに見込まれる身の幸せは、薄氷の上のそれである事も多いのだ。
設えられた膳の前に進む。
鈴鹿御前の料理の腕は絶品である、今日は何が食膳に上っているかと心を逸らせながら、席に着き、謎の白まんじゅうを膝の上に乗せる。
「んう」
猫よろしく、彼の膝の上で白まんじゅうは丁度良い形に体を丸め、更に心地よさそうな寝息を立てだした。
不思議な事だが、農夫が持ちこんできた時には、呼吸をしている様子も無かったのに、今彼の膝の上に居るこれからは、明白に命の存在を感じる。
別段何を食べさせた訳でも無いのに、時が進むにつれて生気が満ちてくるという事は、こいつ、夜に動く生き物か。
夜の闇に紛れ、餌を漁るのは野の獣にせよ妖の類にせよ、珍しくない。
正体は判らないが、この庭に入れた時点でさほどの危険はあるまい、忙しく動いて貰っている式姫の手を煩わすのも申し訳ないし、今夜は寝ずの番でこいつの観察でもするか。
当直の式姫に、彼の部屋に回った際、声を掛けて貰うように頼んで置けば、寝込んでしまう事もあるまい、鞍馬から検討を要請されている次の作戦案に目を通して居れば、有益な時間の使い方とも言える。
「貴方様、当直を除き皆揃いましたので、ご挨拶を」
鈴鹿の声に、男の意識が現実に戻る。
いろんな式姫達が仲間になり賑やかになって来たが、今庭に居る面々は、こうして集まって食事するのが、ここの流儀。
男は居ずまいを正して、大広間に居並ぶ式姫達を見渡した。
「皆居るな、今日も一日お疲れ様、では今日が無事で終わり、食事にありつける事に感謝しつつ」
いただきまーす。
膳に並ぶ、鱧と三つ葉と麩の吸い物に、蕗としみ豆腐の煮物、雉肉の味噌漬けを焼いた物、茄子と瓜の美味なぬか漬けに、僅かに麦や粟を加えた炊き立ての米。
悪鬼や狛犬は、肉汁したたる猪肉に旨そうにかぶりついているし、白兎や天女は野菜と果実尽くしに舌鼓を打っている。
あちらでは童子切と紅葉御前と仙狸が、何やらのアテを肴に、ご機嫌で談笑しながら一杯始めている。
鈴鹿御前の来訪以前と以後では、食事風景に隔世の感がある。
料理の腕前がそれなりに達者な式姫はそこそこ居るのだが、多人数の食事を日々用意するというのは、全く別の技術となる。
鱧の吸い物の蓋を取ると、微かに柚子の香が鼻をくすぐる。
鈴鹿の場合、多人数の食事を無駄なく用意しつつ、更にその上で、毎食これだけの手間を惜しみなく掛けてくれている。
全く、ありがてぇ話だと感謝しつつ、吸い物に口を付けてから、彼は漬物を齧り飯を口にした。
白米に絡む、ぬか漬けから染み出す出汁と塩の加減がまさに絶妙。
いつもなら、この漬物をアテに一杯という所なのだが。
「あら、貴方様、今日は晩酌はなさいませんの?」
傍らからの声に顔を向けると、鈴鹿御前が銚子を手にしていた。
立膝の姿で、彼に銚子を向けつつ、僅かに傾けた体の線の丸みが実に色っぽい。
「ああ、伝える暇が無くて悪かった。 折角の鈴鹿の酌だからちょいと貰うが、残りは俺からの奢りだと言って、あっちに回してやってくれ」
猪口を差し出しつつ、酔客の一団を指さしながら笑う男に、鈴鹿は酒を注ぎながら、気遣わしげな顔を向けた。
「まぁ、どこかお加減でも?」
「いや、そういう訳じゃないんだ、ちょいと夜明かしする事にしたんで、酒は控えておこうかと思ってな……そうだ、済まんが後で茶を濃く淹れた奴を、一杯頼めるか?」
「ええ、承知しましたわ、ですが夜明かしは余りお体に良くありません、何か私に出来る事がありましたら、お手伝い致しますから、少しは休んでくださいね、貴方」
この美貌に加え、細やかな心遣いである、伝説の中の話ではあろうが、良くまぁ彼女を娶った男が浮気しようという気になるもんだと、逆に不思議になる。
凡夫にとって、自分の器量に過ぎた伴侶は劣等感を刺激し、その高みに共に在ろうとするよりは、それから逃げるように自分に似合った連れ合いを求めてしまう事の方が多い。
そういう、弱く低きに流れやすい人の性に思い至るには、やはり彼はまだ若く、己の傑出した所を自覚しきれずに居るという事でもあるのだろう。
「鈴鹿に手伝って貰う事なぁ、いや、夜明かしでこいつの観察をしようかと思ってるんだが」
男は、自分の膝の上で丸くなる白まんじゅうを指さした。
鈴鹿の目に見やすいようにしたために、僅かに光が差したのを厭ったのか、白まんじゅうはなにやら口の中でうにゅうにゅ言いながら、寝返りを打って男の腹に顔を押し付け、再びすよすよと寝息を立てだした。
「それは、その……先程から気になっていたのですが、一体何なのです、貴方?」
もしかして、変わった猫ちゃん? と呟いた時、彼女の顔が、少女のようなあどけなさに一瞬彩られる。
「猫だとしても、人語を解する辺り、堅気の猫じゃねぇだろうな……まぁ俺にもこれが何か全く判ってないんだ。 その辺、ちょいと込み入った話になるし、食事の後に、何人かと相談しようと思ってる、鈴鹿にもその時話すよ」
自分も相談相手に入っている事に満足したのか、鈴鹿はそれ以上は問わず、お銚子を手にして、すっと滑らかにその体を後ろに膝行させてから、遅滞なく立ち上がった。
柔らかく優美な、だが見る人が見れば、一分の隙も無い、戦(いくさ)する鬼神の身のこなし。
「畏まりました、では貴方様、後ほど」
「悪いな、時間を貰うよ、それとついでみたいで悪いんだが」
「はい?」
「いつも旨い飯をありがとうな、感謝してる」
男の言葉に、鈴鹿の口元が微かに緩む。
ありきたりな言葉かもしれないけど、この人は何とまぁ、私が欲しいと思ったその時に、欲しい言葉を下さる事か。
「ふふ、どういたしまして」
■白兎
■飯綱
■鈴鹿御前
(※これは作中の服では無く、作者の趣味で着て貰った現代服です。
顔や雰囲気だけご参照下さい……
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式姫の庭の二次創作小説二なります。
前話等はタグの「唐柿に付いた虫」よりご覧下さい。
今回はちょっと短めです。