潜り戸から、農夫を見送った男の顔に赤い光が差す。
思ったより長い話になってしまったか、夕暮れの複雑な色合いの空を暫し眺めてから、男は周囲を軽く見回して、怪しい人影が無い事を確認してから邸内に戻り、戸締りを掛けた。
「召喚師殿、ご来客でしたか?」
硬質だが美しい声が、戸締りをしている男の背に掛かる、それに振り向きながら男は軽く手を上げた。
「お疲れ様、戦乙女(う゛ぁるきりー)、いつもの野菜売りのおっさんが今帰った所だ」
男の視線の先に、背筋をピンと伸ばした長身の女性が、金色の槍を携えて立っていた。
身に纏う磨き抜かれた白銀の甲冑と、金色の髪が、夕焼けの色を宿して燃えるような輝きを放っている。
遠い北の異国より、真の戦士を求めて、この戦乱の巷たる日の本の国に舞い降りた、氷雪の国の神使の乙女。
何をどう間違ったのか、俺をその真の戦士だと見込んで、死後にはその魂を来るべき神々の最終戦争の戦列に加えたいと言い出し、その代償という事で今は俺の戦いに助力してくれている。
正直、その卓越した力と戦慣れした知識と振舞いには大いに助かってはいるのだが、神ならぬ身では、自分が死んだ後の魂の行先の約束まではできない。
従って、その代償として、戦の手伝いして貰う訳にはいかない、そう伝えてはあるんだが。
「それは構いません、召喚師殿が我らの戦列に加わる事が無かったとしても、それもまた偉大なる戦士の選択です、ただ私は、今代では貴方様以外をヴァルハラに迎える気にはならなかった……それだけです」
そう生真面目な顔で宣言し、この庭で戦いを共にするようになって、それなりに経つ。
見慣れては来たが、未だに美しい甲冑で隙なく武装する、凛とした佇まいは新鮮の感がある、目を細めながら、男は口を開いた。
「戸締りの見回りしてくれてたのか?」
「左様です、こちらの……エー、クグリードは既に?」
どこで習得したのか、実に流暢かつ正確なやまと言葉を操る彼女ではあるが、時々、語彙の選択や発音がぎこちなくなるのは、むしろご愛敬というべきか。
「おう、今閉めた所だ、何ならもう一度確認してくれても」
「いえ、そこまでは。 それはそうと野菜売り殿がお越しだったそうですが、肝心の野菜はどちらに?」
まだでしたら、厨(くりや、厨房の事)にお持ちしますが、と口にした彼女に、男は苦笑を向けた。
「いや、今日は野菜を売りに来たわけじゃ無くて、俺への相談事だ……そうそう、ちょうど戦乙女に相談したいと思ってたんだ」
「私に何か?」
「異国渡りの物を持ちこまれちまっったんでな、ちょいと見て貰いてぇんだ」
「成程、そういう事でしたか」
こっちだと言って歩き出した男の後に彼女も続く。
「異国渡りとおっしゃいましたが、一体どういう物でしょう?」
「物というか植物だよ、赤い実が生るんだが」
「赤い実……」
ベリーでしょうか? という彼女の低い呟きが聞こえたが、こちらも男には馴染みのない異国の言葉。
「べりいってのは何だい?」
聞こえていましたか、というような顔で、戦乙女が一瞬はにかむ。
普段の謹直な表情が嘘のような柔らかさが、秀麗な顔貌を彩るが、それもすぐに消え、常の顔が男に向く。
「野山で自然に生る甘い果実です、この国での呼び名は、マルベリー……桑の果実ですね、あれです」
「ああ、べりいってあれか、だとすると見て貰いたいのはあの実じゃ無いな。 だが、そうか、戦乙女の国ではそう言うんだな」
桑の実の、黒く熟した、あの得も言われぬ甘酸っぱさは、まだ両親が居た幼い頃を思い出させてくれる。
手や着物を真っ黒にして摘んで帰って、疲れ果てて帰って来た両親に食べて貰いたいと差し出した……あの時彼に向けてくれた優しい顔は、何となく覚えている。
「ええ、あれに限りませんが、野に生る木苺等も含め、あのような感じの実を大きい括りでベリーと呼んでいます。 私達は、そのまま食べるのは勿論、ジャムにして保存もしますね」
「じゃむ?」
彼女と話しているとやはり耳慣れない言葉に出会う事が多い、怪訝そうな男を見て、戦乙女は何か考えるように、形の良い頤に指を添えた。
「そういえば、この国では似たような食品が無いですね、小豆餡はちょっと違いますし……そうですね、ジャムとは甘い果実を、蜜で煮詰めた保存食です」
私たちが、長い長い冬を乗り切る為の、大事な保存食なのです。
冬の訪れの前に、堅パンを焼き、ジャムを作り、肉を燻製にする……これもまた、自然に立ち向かう人の戦。
滅多にない事だが、僅かに故郷を懐かしむような彼女の顔を見て、男は一つ頷いた。
「そいつは実に旨そうだ、みんなも喜ぶだろうし、今度桑の実集めて作ってみるか」
「それは嬉しいですね、ジャムは戦場での保存食としても重宝します、私も腕を振るいましょう」
「そうか、そりゃ是非にもやらんと」
甘い蜜は貴重品であり、そいつをどう調達するかと考えると、中々に気楽な話ではないが、遥か遠い異国から来た彼女が、僅かでも故郷を思えるなら、その位はしてやりたいと思う。
海上交易の道が復活すれば、南方からもたらされる石蜜(せきみつ、砂糖黍の搾り汁を煮詰めて固めた氷砂糖)なども調達しようが有るのだろうが。
そこに行くまで、やらなきゃならん事が多過ぎるな。
前途の遼遠さを思うと気が重くなるが、使命だとか人の世界の存亡とか、そういう重苦しい話ばかりでなく、こういう楽しい時間もあれば、その道を歩くのも、多少は楽になるだろう。
ま、当面は、あの赤い実と白まんじゅうの件を片付けるとするか。
農夫の相手をしていた、彼の居室である離れの縁側が見えて来る。
夕日に照らされ、艶のある赤い実が残照を弾いて、不思議な赤色に染まっていた。
成程、鑑賞用と言われたのも判る、濃い緑の葉や茎と対照をなす、鮮やかな赤さに目を奪われる。
「ん?」
「どうされました?」
違和感を感じた男が、もう一度縁側に置かれた鉢植えを眺める。
竹の支柱に沿って伸びた緑の茎、つやつやした緑の葉、そして赤い楕円の実。
見慣れぬといいうだけで、至極真っ当な植物の鉢植えがそこにあるだけ。
「……何処行きやがった、あの白まんじゅう」
「白まんじゅう?」
戦乙女が怪訝そうに呟いてから、その鋭い目で周囲を一瞥し、視界の端に映った、得体のしれない物に目を向けた。
「これの事ですか?」
縁側の少し離れた位置で、夕日に染まってぺしゃんと潰れている、子猫位の大きさの白い塊を指さす。
「おお、そいつだそいつ……というか、こいつ動けたのか」
赤い実に張りついていた時は判りにくかったが、こうしてみると、この白まんじゅうが頭部と胴体、更には短い一対の手足、そして黒い翼という体で構成されているのが良く判る。
更に、頭部から左右に兎よろしく、長くぺたんと床に伸びているのは、耳……か?
福々しいとすら言える、丸くやわっこい外見はこの上なく平和で無害そうではあるが、可愛い外見をした生き物が、こちらの想像もつかない力を秘めている事例は多々ある。
「中々、愛らしいですね」
「……そうだな」
そう、彼の傍らに居る彼女、式姫もまたそのような存在。
愛らしく、美しい外見の裡に、鬼神の強さを秘める彼女たち。
男は、慎重にその白い生き物を持ちあげた。
「んうー?」
軽いそれを持ちあげた時、なにやら可愛い響きを伴う声が聞こえた。
君か? と言いたげに戦乙女の方を向いた男は、首を横に振る彼女の顔を見出した。
「それじゃ、まさか」
手にした白まんじゅうの顔と思しき所を覗き込んだ男の目を、確かに一対の目が見返した。
寝起きのそれのような、ぼんやりした焦点の合わない様子ではあるが、明らかに獣の目では無い。
そこに、明白な意思と知性の存在を感じる、瞳の輝き。
戦乙女が、警戒と好奇心を半々にしたような顔を、その白まんじゅうに向ける。
手にした感じ、妖気や邪気は感じない、そもそも、この白まんじゅうが妖怪なら、恐らく現在では日本最高峰の霊域の一つたる、この庭には立ち入る事も適わなかったろう。
それに、戦の達者たる戦乙女が後ろで警戒してくれている、男は意を決して自分の顔の高さに、その軽い体を持ちあげて、目を合わせた。
「聞こえるか?」
「んぅ」
こくりと白まんじゅうが確かに頷く、それを見て、男が恐る恐る言葉を続ける。
「……もしかしてだが、言葉、判るのか?」
「んー」
ゆっくりと話しかけた男の言葉に、確かにその白い頭が縦に動いた。
「わ、判るのか……そうか。 所で、ぐったりしてるが大丈夫か?」
「うにゅ……」
小さい頷きは大丈夫という事なんだろうか……何やら口が動いて居るが、その体躯に見合ったか細い声が、途中から二人に届かず空に溶ける。
それを聞こうと白まんじゅうを耳の近くに運ぶ、その男の後ろから戦乙女も、その低い声を聞こうと顔を寄せた。
彼女の纏う、何かの花の物らしい爽やかで、微かに甘い香りが男の鼻をくすぐる。
だが、その香りに陶然としている訳にも行かない、この白まんじゅうの口から洩れる音に耳を澄ませる。
「た……」
「た?」
聞き返す男の眼前で、その白まんじゅうの瞼が、更に落ちる。
「おい!おいしっかりしろ!」
「……いー」
なにやらをもにょもにょと口の中で喋りながら、その白まんじゅうは完全に目を閉ざし、男の手の中で平和な寝息を立てだした。
■戦乙女(う゛ぁるきりー)
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式姫の庭の二次創作小説になります。
「唐柿に付いた虫」でタグ付けしてますので、前話等はそちらからご覧下さい。
今回から、キャラ紹介の絵を付けることにしました、式姫1時間ドローイングで描いた物なので、シーンにはそぐわない絵が混じる事もあると思いますがご了承下さい。