八月。早朝にも関わらず、容赦なく照り付ける陽光と蝉時雨の喧騒は鬱陶しいことこの上ない。
気を紛らわす為、弓の鍛錬でもしようかと廊下を歩いていると、
「かやちゃーん!かやちゃーんおはよー!」
蝉よりも鬱陶しい吸血姫が、植木鉢を二つ抱えて庭の方から向かってきた。
私は眉をひそめたが、不機嫌さを露わにしても彼女が臆する事はない。
右手がプルプルと震えたが、挨拶代わりに大粒の汗が滴るその額を打ち抜きたい衝動をなんとか抑える。
的の方からやって来てくれたとはいえ、今は三日月のような真似はしたくなかった。
「……おはよう、薔薇姫」
通常の吸血姫ならこの時間帯に活動する事はないのだが、どういうわけかこの式姫には常識が通用しない。
何度矢を撃ち込まれても即座に再生する所だけは流石の私も呆れる程だが。
「ねえ、見てよこれ。どっちも同じ種を植えて同じように水やりしてたんだけど、こっちだけ芽が出ないんだ」
何か用と訊く前に薔薇姫が勝手に話し出す。マイペースなのはいつも通りだ。
私は降ろされた植木鉢に視線を下げる。片方は小さな芽が出ていたが、もう片方は音沙汰なし。
「かやちゃんなら、何が悪いのか分かる?」
「そうね……芽が出たんなら、育て方が間違っているわけじゃないみたいだし」
ちらりと見た感じでは、土や鉢の大きさに特別な差異はない。
「いつになったら芽が出るのかなぁ」
「なんとも言えないわね」
「かやちゃんでも分からない?」
薔薇姫の困ったという表情に対し、私は淡々と答える。
「いくら私でもそこまではね。とにかく、様子を見てみるしか」
「うーん、もし芽が出なかったらどうしよう」
「あんたの好きにしなさい。粘り強く辛抱するのも、諦めて他の種を植えるのもね」
「じゃあ、かやちゃんの力で――」
「それはお断りするわ」
間髪入れずに私は即答した。
気が付くと蝉の鳴き声が気にならない程、会話に興じている自分がいる。
「えー、何でー?」
「花が可哀想だからよ」
「かやちゃんだって、いつか花が咲いて実を結ぶ所は見たいでしょ?」
「咲く気のない花を無理に咲かせるような真似はしたくないの」
「……分かったよう」
「ちょっと待ちなさい」
落胆して去っていく薔薇姫の背中に慌てて声をかける。
「何で二つの植木鉢に同じ種を植えたのよ?」
「それはねー……えへへ、こういうこと」
くるりと植木鉢を回すと、反対側から『ば』『か』の文字が。その意味はもはや尋ねるまでもない。
「……勝手にしなさい」
私は頭を抱えてため息をつき、薔薇姫を見送った。
視界から的が消えた後、本物の的を射るべくその場を後にする。
あの植木鉢――おそらく、もう芽が出る事はない。
芽が出るか、実を結ぶか、花が咲くか。いかに環境に恵まれていようと、最終的にはそれ次第。
いつか薔薇姫にも分かるかもしれない。
咲くかどうか分からないからこそ、花を育てる事は楽しいのだ。
全く、芽の出ない植木鉢よりあんたの方が心配よ。
額から汗を滴らせるまで、この猛暑の中で私を探すなんて……。
やっぱりアイツは『ば』『か』だ。
子曰わく、苗にして秀でざる者あり。秀でて実らざる者あり。 ――『論語』
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薔薇姫とかやのひめの、ある夏の日のやりとり。