美陽攻略戦
(はじめに)
キャラ崩壊や言葉づかい等で間違いがあると思いますが、できれば気にしないでください。
恋姫作品のように創ったのですが・・・・・とりあえず読んでください。
(前回のあらすじ)
翠は翠パパから、ヨメにはやらん!と言われ、ヨヨヨ・・とハンカチを咥えて泣いた。
前回の話に<風と稟のいきなり軍略講座>を追加(10/20)致しました。
第十ターン
京師 洛陽
豫州にある洛陽では黄河・洛河・伊河・澗河・瀍河の五つの河が領域内を流れる。
洛陽の気候は、四季がはっきりわかれ、
春は、乾燥し風が多い。
夏は、非常に暑く雨が集中して多い。
秋は、晴れて日照時間が長い。
冬は、寒くて降水が少ない。
東に虎牢関、 西に函谷関、 北に邙山、 南に伏牛山がある。
また中岳嵩山に隣接することから、古くから、天然の要害の地であることから
兵家必争の地として歴代の帝王が、都を建てるにはまさに最適な地であった。
そして現在、京師洛陽は 漢王朝第十二代皇帝の治世における政治経済の中心地であった。
洛陽で数ある市井の妓館の中で、
東から西へと広範囲に交易をする大商人から、
朝廷の高級官僚、貴族が使う有名な妓館の個室で、
ネコ耳の頭巾を被った少女が、
金糸と絹で織られた絢爛な服を纏った黒髪の女性
に顔を引きつりながらお酌をしていた。
「 荀彧殿、このような 『 貧 相 』 な店に、
『 わざわざ 』 お招きして頂く必要はないのに・・・」
桂花は、更に顔を引きつらせた!
この妓館でたった二名程度の簡単な宴でさえ
桂花の文官として朝廷で働いた頃の俸禄約200石が吹き飛ぶ値段であった。
「 田豊殿に袁本初様いえ、
袁家全体の家宰をしていらっしゃるお方に粗相があってはなりませんから」
田豊は、桂花のお世辞を、何を事実を言って当たり前だろとの態度で
酒をグビグビと飲んでいた。
その酒一杯で市井の慎ましい家庭なら一ヶ月は食べていける金額で
桂花はもったいないのでチビチビ嘗めるように飲むのとは対称的であった。
そもそも、田豊にお世辞を言っても、皮肉を言っても通じない剛情な性格の上
更にタチが悪いことに本人は一切の悪気がなくズバズバと歯に衣着せず厳しく言う
ことから孝廉時代から桂花の苦手な部類であった。
しかし、桂花はここで挫折してられないと、
自分に言い聞かせて田豊にそれとなく聞いた。
「その袁家の家宰様が袁家から遠くはなれた洛陽にわざわざご上洛なさったのですか?」
田豊は黄金の重さと同じ値段と言われる夜光杯に注がれた酒を飲み干し
やっと本題に入ったか と言う顔つきで桂花をひと目みて、
新たに酒を注ぎながら言った。
「・・・・西の方でおかしな動きがあった。朝廷内でも二つの勅が出ていた」
この一言で、桂花は頭をフル回転させ今まで集めた情勢を整理してみた。
西方、現在進行中の西方反乱軍の鎮圧
朝廷の二極化 大将軍派と十常侍派か・・・
清流派と濁流派か・・・
そして、朝廷に多大な影響力をもつ袁家の懐刀と言われる田豊の上洛
と桂花が考え込んでいる間に、田豊はもぐもぐと食べながら平然と言った。
「 荀彧殿、
貴殿は 『アタマが悪い』 のだから考え込むだけ 『時間の無駄』 だろう」
それより、 袁家に戻ってくるのはどうか、
荀彧殿なら 多少は使える から歓迎するが・・・
そのような 貧乏な身なり をして、苦労しているのだろう・・・
桂花の中で、ピシッと何かが割れた気がした!
ここで機嫌を損ねちゃダメ。ガマンよ桂花。
と自分に言い聞かせて
「 田豊殿こそ、世間では食べるのが精一杯の民がいるご時勢に
袁家ではすいぶんと潤沢なご様子ですけど」
せめて皮肉の一つぐらいはと言ってはみた。
しかし!
田豊はキョトンとして
「 我が州では、民は普通に食べているぞ。
第一それが出来ないということは
『施政者が無能』
な証拠ではないか」
桂花は皮肉も通じないと結果は判っていたが・・・
こうもとはと深いため息をついた。
桂花は腹の探りあいを止め、率直に疑問に思っている田豊に話した。
「朝廷が二極化していたことは昔からですが、何故今また活発化したのでしょうか」
田豊は3皿目の料理を平らげ、4皿目の銀の皿を取ろうとしたとき、
田豊は一瞬躊躇し、自慢の黒髪を弄り出した。
これを見て桂花は田豊が考えて話すときのクセが出たことから核心を突いたと喜んだ。
すぐに田豊は桂花に話しても害のない小物と判断したのか
4皿目の料理をパクつきながら話した。
そもそも、田豊が袁家の家宰として仕官する以前は、
朝廷で15人しかいない侍御史筆頭として官僚の不法を弾劾し、公卿の上奏
を受領し、内容を調べて違反があれば弾劾するという職務についていた。
その為、職務上知りえた不正が蔓延している朝廷での裏事情や弱みを握り、
更に田豊自身これらをどのように活用すればよいか
という政治手腕に物凄く長けていた。
これにより、多くの官僚から諸侯に至るまで田豊を恐れない者はいなかった。
しかし、
田豊は突然退官をし、
当時は不正が横行する朝廷に嫌気をさしてからだろう
と囁かれていた。
桂花の聞いた話では
『朝廷の服のセンスが悪い!悪趣味だ!美意識に欠ける!』
等を理由に弾劾したが認められなかったことから
腹を立てて辞めたという話だった・・・
だが、退官した後の田豊の朝廷への影響力は弱まるどころか、
逆に同じ
『高度な美的センス!!』 を持つ袁紹
(田豊曰く、『我が主に相応しい光武帝(ハイソ)のような御方だ!』)
という強力な後ろ盾を得たことから、朝廷への影響力はより強固となった。
そして、この田豊から朝廷内の情報を引き出せることは
『季布の一声と同様に千金に値する』
ものであったことから
田豊に様々な付け届けをするものが後を絶えなかった。
・・・・が多くの者は大抵は、
アノ田豊の性格に挫折し、情報をなかなか引き出せないのが現状であった。
「 その人物は、不安定な西部の軍閥を巧みに使い、
故意に反乱軍を起こさせ朝廷を巻き込んだ」
桂花は田豊の話を噛み締めるように聞いていた。
田豊は続けて、
去年の暮れ頃まで反乱軍について朝廷内では不穏な動きはなかったが、
今年に入り討伐の勅を受けた并州刺史が敗退したこと
から朝廷内で援軍派遣が決定された。
しかし、この派遣軍は動員数八万人だったのが四万人になっていた。
これについて、
派遣反対派の清流派と軍事行動による利益に飛びついた濁流派
の仕業だが、この両派はやけに反乱軍の情報を知っていた。
また、清流派には君側の奸である十常侍派を誅するという甘い言葉を囁き、
濁流派には戦乱が長引けばそれだけウマミがあると誰かに言われて
多くの臣下が動いた結果、このような動員数になってしまった。
不正を取り締まる御史台でも、
それを処罰しようとしたが対象となる人物が多く、
また有力な後ろ盾やワイロの横行により
処罰できないのが現状であった。
一方で、
諸侯の方では外部の異民族や最近内部でやたらと頻繁に起こる夜盗の問題で、
自州の問題を優先され、
この西方戦線に注目している者は・・・・・
殆どいない。 例外を除いて・・・
まさに朝廷の天文官が國皇星を占った結果
『國皇星は内乱をもたらす。外と内で兵を失う。』
という言葉通りになった。
と田豊は話終ると、杯の酒を一気に飲み干して、桂花に言った。
「・・・あとは軍師 荀彧殿がお考えくだされ。
私もこれでも忙しい身分なので、これにて退散させて頂くが
申し訳ないがこの宴の返宴をする時間がない。そこで私の方から
返宴代わりに、洛陽で一番人気と言われている舞姫を用意した」
『ド田舎に住んでいる』
荀彧殿に都の雅な舞いでも堪能してくだされ。
と言って田豊は席を立ち、扉に手を置きかけたとき桂花に言った。
「・・・ああそうだ、
荀彧殿、曹孟徳様に手は打ちました、ご心配には及びません。
と田豊が言っていたとお伝えくだされ」
と言って去っていく田豊を、
桂花は最近曹操の下に仕官したことを知っていたことに驚愕した。
今の曹操の勢力は他の諸侯に比べて小規模であるが、
八方に手をつくして各地の情報を盛んに集めていた。
そして、
今回桂花が田豊と接触したのも主命により、
現在の朝廷内の動向を探る為であった。
田豊は既にそれを承知の上で、桂花との接触に応じていたのであった。
桂花は怒りで、己の手を握り締めていた。
(だが華琳様は袁紹のような暗君ではない。)
そんな時に扉が急に開き、田豊が言っていた舞姫が入ってきた。
・・・・・えっ?!
余りにも突然なことに桂花は、
何が起きたのか状況が判断できず固まってしまった。
その頃、
桂花の支払いで用意周到に注文しておいたお土産を
片手に妓館を出た田豊は、
男嫌いで有名な荀彧殿を考慮し、
巷の若い商人達の間で、
張三姉妹より話題となっている
洛陽一の舞姫 『貂蝉』
を呼んだことから、さも楽しんでもらえただろう。
我ながら粋な計らいをした。
うんうん、と自画自賛して、待たせてあった轀輬車に乗り
洛陽にある袁家の私邸に帰宅していった。
その轀輬車が出発して暫くすると、
妓館で物凄い悲鳴が上がり、道行く人々は一斉にそちらを見るのであった。
「 はぁはぁ・・でんほう‥…、おぼえてろ━━━!!キャ━」
次回につづく
(あとがき)
はじめまして、この度は 美陽攻略戦 第十ターン をご覧になって頂きまして
ありがとうございました。
策士、策に溺れるというお話でした。
本編に出てきました「夜光杯」とは唐代の詩人王翰の「涼州詞」
に出てくる杯で、祁連(きれん)山脈から切り出された玉を研磨加工して作る
杯です。
肉厚が薄い物ほど上級品で、これは研磨加工が難しいからだそうです。本物
の夜光杯は磁石にくっつき、これは材料に使われている鉱石に鉄分が含まれて
いるからだそうです。
シルクロードによって繁栄を極めた唐代の長安では、夜光杯に西域から伝わ
った高級な葡萄酒を入れて飲むことは上流階級にとってステイタスであったと
言われております。
最後まで、本編をお読み頂きましてありがとうございました。
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第10回目の投稿です。
読みにくい点や日本語がおかしい部分があるかもしれませんが、宜しくお願い致します。