あいつに初めて会ったのは、私が袁紹に見切りをつけて実家に帰る途中のことだった。
「あ。そこの君!」
そう言って声をかけてきた、太陽の光を反射する変な服を着た男を無視して、私は帰路を急いだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!!聞きたいことがあるんだ!」
そう言って男が後をついてきたから、私は走った。
「な、なんで逃げるんだよ!」
そう叫びながらなおもついてくる男に少し恐怖を感じながら、私は心の中で悔やんだ。
(こんなことなら、袁紹からの給金をもらって、馬で帰ってくるべきだったわ……。)
そう悔やんでも後の祭り、そもそも私には向かない体力勝負の追いかけっこがもうすぐ終了しそうだった。
「た、頼むから待ってくれよ!」
私に追いついた男が、そう言いながら私の肩をつかんだ。
「きゃぁぁぁぁぁぁーーっ!!!!」
必死に逃げている最中に男に体を触られたので、私は思い切り悲鳴を上げた。もし運よく誰かが近くを通りかかってくれれば、助けに来てくれるかもしれない。
「そ、そんなに驚かなくてもいいだろ!?」
私の悲鳴に驚いたのか、男はそう言いながら肩から手を離した。
(近くに誰かいたとしても、もう少し時間を稼がないと!)
そう思った私は、男が手を離した隙をついて、また駆けだした。
「あーもう!なんでそんなに逃げるんだよ!」
男も私をまた追いかけ始めた。
「はぁはぁはぁ……。」
私は必死に走ったけれど、さっきまで走っていた疲れもあったため、そんなに遠くまで走ることができず、地面にへたれこんでいるところに、男が追いついてきた。
「はぁ、はぁ、待ってくれよ……。俺は、あ、怪しいものじゃ……ないから。」
膝に手をついて、肩で息をしながら、男がそう言った。
「そ、それ以上、近づくんじゃ……ないわよ!」
私も肩で息をしながら、なんとかそういった。
「わかったから、もう逃げないでくれ……。ふぅ~。」
そういうと、男もドサッと地面に座り込んだ。そのあとお互い息を整えようとして、しばらく無言のまま時が過ぎた。
「……ふぅ。さて、君を呼びとめたのは、聞きたいことがあったからなんだ。」
息が整ったのか、男が話しかけてきた。
「俺、今日目が覚めたらここにいたんだけど、ここはどこ??」
「……は?」
格好だけじゃなくて、頭もおかしいのかと思い、私は思わずそう声をあげてしまった。
「いや。だから、今日の朝目が覚めたら、この荒野のど真ん中にいたんだけど、ここどこだかわかる?俺昨日は寮の部屋で寝てたはずだし、いつの間にか制服着てるし、こんなに広い荒野なんて東京じゃ見たことないし……。てかここ日本だよね??日本語は通じてるみたいだし……。」
「……。」
こいつが何を話していることが全く理解できず、私はただ唖然としてしまっていた。すると、男はさらに話を続けた。
「……よく見ると、君変わった格好してるね。まぁ、今はそれはどうでもいいか。とりあえず、聖フランチェスカ学園まで帰りたいんだけど、ここから最寄りの駅までの行き方もできれば教えてほしいんだけど。」
(……こいつ、狂人だ……。)
その時の私には、訳のわからないことを言い続けるこの男が狂人の類にしか見えなった。狂っている人間、しかも男なんて、一体何をしてくるんだかわかったものじゃない。そう思うと、恐怖感が込み上げてきた。
(……逃げなきゃ、とにかくこいつから……。あっ!)
逃げ道を探そうと男にばれないように、辺りを見回すと、走ってる最中は気がつかなかったけど、今私が座っている斜め後ろに森があることに気付いた。
(あそこに逃げ込めば……。)
そう思った私は、男に話かけた。
「わ、わかったわ。ここがどこだか教えてあげる。それに、え、駅までの道も一緒に探してあげる。」
「ほ、ホントか!?ありがとう!!」
そう言って本当にうれしそうにしている男に、私は続けた。
「で、でも、先に用を足してきてもいいかしら、さっきから我慢しているの。」
さっきみたいに逃げても、森に入る前に追いつかれてしまう。こいつを納得させて、森まで逃げれれば、後はこっちのものだ。
「え!?そうだったの??そっか~。だから逃げたんだね。ごめんごめん。俺はここで待ってるから、行ってきなよ。」
男は私の嘘に気がつかず、私が森に向かっていくのを、止めようとしなかった。
「悪いわね。すぐに戻ってくるから。」
私も相手が許可を出しているうちに森の中に入ってしまおうと思い、さも我慢しているかのように、小走りで森の方へと向かった。
(ふん!誰が戻ってくるもんですか!この荀文若ちゃんの策謀にかかれば、あんたみたいな狂人の1人や2人から逃げるんなんてお茶の子さいさいなのよ!)
そう心の中でさっきの男を馬鹿にしながら私は森の中に入った。
「よし!あとは、あいつにばれないように……。」
小声でそう言いながら、私は森の中を移動し始めた。
ガサガサ……
茂みをかき分けながら、森の中を進んで行くと、けもの道のような細い道に出た。
「さて……。どうやって帰ろうかしら。」
ガサガサッ
そう少し悩んでいると、後ろで茂みをかき分ける音がした。
(もしかしてさっきの狂人!?)
ビクッとしながら私が振り返ると、そこにはさっきのやつとは別の、腰から剣を下げた野盗風の男がいた。そいつは私を見ると、ニヤッと気持ちの悪い顔で笑った。私はその顔を見て、全身に鳥肌が立った。
――ゾクッ!
「おい!チビ、デク。こっちに女がいるぞ!」
そいつがそう言うと、ガサガサと茂みをかき分けながら、声をかけた男よりも背の小さい男が出てきた。
「アニキ!こいつはなかなかの上物ですね!」
そう背の小さい男は卑俗な顔で言った。
(に、逃げなきゃ!)
私はそいつらが出てきた方とは逆側に走りだそうとした。
ボヨンッ
走りだそうとした私は、何か柔らかいものにぶつかって尻もちをついてしまった。
「――っ!」
見上げると、そこには後ろのやつらと同じような恰好をした大男が立っていた。
「に、逃げちゃ、駄目なんだな。」
私は男たちに囲まれてしまっていた。
「きゃ、きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーー!!!!!!!!」
私は出来る限り大きな声で悲鳴を上げた。ふと見ると、大男が自分の耳を塞いでいた。
(い、今だ!)
私はその男の横を通り抜けようと駆け出した。けれど通り抜ける前に、大男に捕まってしまった。
「だ、だから、に、逃げちゃ駄目なんだな。」
大男に持ち上げられ、身動きが取れない私は、少しでも抵抗しようと足をバタバタと動かした。
「どこ触ってるのよ!!放しなさいよ!この変態!!クズ!!デブ!!ブサイク!!」
必死にそう叫び散らしていると、後ろにいた男たちが近づいてきた。
「まったく、油断も隙もねぇ。だが残念だったな。そうやって持ち上げられちゃぁどうしようもできねぇだろう?」
アニキと呼ばれていた男がそう言いながら、ニヤニヤと笑っている。その後ろから小さい男がやってきた。
「へへ。アニキ、初めは俺にやらせてくれやせんか?」
ニヤニヤしながらそういう小さい男を、アニキと呼ばれた男が殴った。
「馬鹿野郎!こいつをはじめに見つけたのは俺なんだ。俺が一発目にやるに決まってんだろ!」
「あ、アニキは前に、おでが一番初めに見つめた女も、一発目にやったんだな。」
「うるせぇ!だいたいなぁ。デクが一番初めにやっちまったら、がばがばになっちまうだろうが!お前は何があっても一番最後なんだよ!」
目の前で気持ちの悪い男たちが、気持の悪い話をしている。その光景が、その話声が現実には思えなくて、ただ涙があふれてきた。
「とにかくだ。俺が初めにやるから、後はお前たちで好きにしろ。いいな!」
「「へ、へい。」」
そう言うと、アニキと呼ばれる男が私の方を見た。
「デク、チビ。ちゃんと抑えとけよ?」
そう男が言うと、大男が私を地面に下ろし私の手押え、背の小さい男が足を押えた。
(もう……いや……。)
瞼を閉じると同時に、瞳にたまった涙がほほを伝って流れおちた。もう、私はこの下衆な男たちに汚されてしまうんだと、私はそう思った。そんな時だった
「メーーーんっ!!!!」
バタンっ!
声とともに何かが倒れるような音がしたかと思うと、私の手と足を押えていた男たちの手が離れた。
(な、何!?)
私が目をあけると、変な服を着た、私が狂人だと思った男が木の棒を振り上げていた。
「面っ!!!!」
バキンっ!
その声とともに振り下ろされる木の棒は、背の小さい男の頭を的確にとらえた。けれど、頭に当たるとともに木の棒は折れてしまった。
「いってぇぇぇーーー!!!」
背の小さな男は頭を押さえて転げまわっていた。
「アニキ!チビ!大丈夫なんだな??!」
大男は私の目の前に倒れている男と、転げまわっている男を交互に見ながら声をかけた。
「逃げるぞ!!」
目の前からそう声が聞こえたかと思うと、変な服を着た狂人が私の手を取って走り始めた。私もそれに引きずられる形で、なんとか転ばないように必死に走った。
「ま、待つんだな!」
後ろからそんな声が聞こえてきたけど、私も変な服も、そんなことは無視してとにかく走った。
「はぁはぁはぁはぁはぁ……。」
私たちはとにかく走った。けど、森を抜けて初めにこいつと出会ったあたりまで来たときに、足がもつれて私が転んでしまった。
「きゃっ。」
思わず声をあげてしまうと、前を走っていた男が駆け寄ってきた。
「大丈夫か!?」
「へ、平気よ……。っていうか、いつまで手握ってるのよ!」
私がそう言うと、男はごめんと言って手を離した。
「それより、立てるか?一人目は力いっぱい振り下ろせたから、まだ気失ってると思うけど、二人目はもう追いかけてきてるかも知れない。無傷の3人目も足早そうではなかったけど、もう少し遠くまで逃げないと……。」
そう言って、男は私の顔を心配そうに覗きこんだ。
「う、うるさいわね!わかって……いるわよ!」
必死にそう答えたけど、私の足は言うことを聞いてくれなかった。
「立てそうにないか?なら……。」
そう言うと、立とうとしても足に力が入らない私に背を向けて、男がしゃがみこんだ。
「……なんのまねよ。」
「俺がおぶって逃げるから、早いとこおぶさってくれ。」
「ば、馬鹿なこと言わないで!なんで、私が男におんぶされなきゃいけないの!?よりにもよって、――。」
あんたみたいな狂人の男に!そう続けようと思ったけど、男の声がそれを遮った。
「君は男が嫌いなのかもしれないけど、今はそんなこと言ってる場合じゃないだろう!後ろから追いかけてくる奴らに捕まってもいいのか!?」
そう叫ぶと、男は背中向けをやめ、私の方を向いた。私を見つめる目は少し怒っているようだった。
「な、何よ!?」
私がそう言うと、ふいに私の体が浮いた。何事かと思うと、私は男に抱きかかえられていた。
「きゃっ。なにすんのよ!下ろしなさいよ!この変態!!」
「うるさい!君がおんぶはいやだって言うから、仕方なく抱っこしたんだろうが!しかも、出血大サービスのお姫様抱っこだ!」
最後の方の意味はよくわからなかったけど、私が反論しようとすると、男は走りだした。
「まったく!おしっこだって言うから、あの場所で待ってたら、急に悲鳴が聞こえるし!駆けつけてみたら、コスプレしたおっさんたちに襲われてるし!こっちだって必死で逃げてんのに、おんぶ嫌だとかいうし!……。」
男は愚痴を言いながら、とにかく走った。走れない私を抱えながら、息をゼェゼェと切らせながら、必死に走っていた。
(こいつも男だけど、ブサイクで、気持悪くて、薄汚い男だけど……。)
「ちくしょー!こんな重り持ってランニングなんてしたことないのにー!俺はケータイより重いものは持ち上げられない、ひ弱な現代人なんだぞー!」
(あ。こいつはただの男じゃなくて、狂人だった。……それでも。)
「くっそー。あいつら最低だ!なんでこんな目にあうんだ!ここどこだー!!あぁぁ、腕つりそうだー!」
(それでも、こいつは下衆な男じゃない。少なくても、今私を助けようとしてる。ご先祖様の荀子先生は人間、特に男は生まれながらにして悪だって言ってたけど、こいつは、まぁそこまで悪くない。)
そう思った私は、少し大きめに息を吸ってから、男に声をかけた。
「ちょ、ちょっと……。」
「うん?何!?」
だいぶ疲れているのか、少し投げやりに男は答えた。
「い、一回下ろしなさいよ。」
「おんぶがいやだっていうからお姫様抱っこしてるって言うのに、まだ文句あるの!?」
「ち、違うわよ。その……。」
「ん??」
「腕が疲れるんでしょ?その、……おんぶ、してもいいわよ。」
私がそう言うと、男は走りながら私の方を見た。
「……何よ?こっち見るんじゃないわよ!」
男がこっちを見たので、反射的に言葉が出た。
「君は……。」
そこまでいってから、男はとても穏やかにほほ笑んだ。
「……ツンデレだな。」
そういう男の顔を見ているのが、なんだか恥ずかしくて、私は視線をそらして、前を見た。
「あ、ちょっとあんた!前見なさいよ!前!!」
「え?……のわっ!!!」
「きゃっ!!」
バッシャーンっ!!
男は前を見たが、時すでに遅く、男は私を抱えたまま、前にあった小川に突っ込んだ。
「いったーい……。」
私は小川に突っ込んだ男に放りだされ、そのままお尻を小川にそこにぶつけてしまった。
「ぶくぶくぶくぶく――。」
男の方はというと、顔面から小川に倒れこんでしまったようで、顔を水面に付けたままだった。
「ぶくぶくぶくぶっ………………。」
さっきまで出ていた空気の泡が止まり、少し長めの間が空いた。
「ちょ、ちょっとあんた!」
男があまりにも動かないので、少し心配になり、私は男の肩をたたいた。
ザッバンっ!
「ぷっはーー!……し、死ぬところだった。」
そう言って大きく息を吸った男は、私の方に視線を向けた。
「ごめん。前方不注意だった。大丈夫か??」
「だ、大丈夫じゃないわよ!服は濡れちゃうし、お尻打つし、……もう最悪よ!!」
「まぁ、それだけ元気があれば大丈夫だな。」
男はそういうと、よいしょっと言って立ち上がり、私に手を差し出した。
「立てるか?」
そういう男の手を無視して、私は自分で立ち上がった。男はそんな私を見て、少し苦笑しているようだった。
「……何がおかしいのよ?」
「……いや。なんでもないよ。」
男はそういうと、小川から上がり、上着を脱いで絞り始めたので、私はあわてて視線を外した。
「なぁ、それでここはどこなんだ?」
服を絞りながら男が聞いてきた。
「……ここは豫州潁川郡よ。」
「よ、よしゅう??なんか、中国っぽいけど、ここは中国なの?」
「中国ってどこよ。あんた、もしかしてこの国の人間じゃないの?」
「この国っていうのがどの国のことだかがわかんないんだけど……。」
「この国は漢よ。今はもう朝廷の中が腐っちゃってるから、もうじき乱世になるだろうけどね。」
私がそう言い終えても、しばらく男から返事がなかった。
「?どうしたのよ。急に黙って……。」
目線をそらしながら、ちらっと男の方を見ると、なんだか頭から血が引いたような、真っ青な顔をしていた。
「……漢?今あの子、漢って言ったよね。漢っていうと……あれか?項羽と劉邦の、劉邦の方が起こしたっていう漢か?ってことは、少なくとも1800年前??……いやいやいや。ないわー。それはないわー。」
真っ青な顔をしたまま、男はぶつぶつと独り言を言い始めた。
「え?っていうことは、さっきのおっさんたちはコスプレじゃなくて、本物?んじゃあ、腰から下げてたのも……真剣??」
そこまで言うと、男は絞った上着をさっと着なおして、私の方に歩いてきた。
「な、何よ?」
「ココ危ナイ。スグ逃ゲヨウ。」
「な、なにいきなり変なしゃべり方になってるのよ!気持ち悪いわよ!」
私はそう言いながら、男のわき腹を小突いた。
「いたっ!……だって真剣だぞ!?あいつら、本物なんだぞ!??普通逃げるだろ!」
「逃げるのは別にいいけど、あんたここがどこだかも分からなかったのに、どこに行けばいいかわかるの?」
「あ……。お嬢さん、よろしければ、僕に逃げ道を教えてくだされないでしょうか?」
男は私に跪いて、そう聞いた。
「……せっかく、少し休めたから軽く走るぐらいまでだったらできるようになってたのに、誰かさんのおかげで、お尻が痛くて走れないんだけど?」
私に跪くその光景が、なんだかすごく心地よくて、私はそう言葉にとげをつけて言った。
「はい!いくらでもお姫様抱っこをさせていただきますので、どうか、道を……。」
「まぁ、しょうがないわね。一応あんたには助けてもらったわけだし、教えてあげるわ。……それと。」
「はい?」
「抱き上げながら走るのは疲れるんでしょ?……しょうがないから、お、おんぶにまけてあげるわ。」
私がそう言うと、男はふっと顔を緩めた。
「ありがとうございます。お嬢様。」
そう言って笑うと、男は私に背を向けてしゃがんだ。
「へ、変なことするんじゃないわよ?」
「わかってるって。」
そう念を押してから、私は男の背におぶさった。
「よいしょっと。さて、どっちに向かえばいいの?」
私をおんぶして立ち上がった男がそう聞いてきた。
「あっちよ。あの先に私の実家のある町があるわ。」
「了解。ここからだとどれくらいかかる?」
私が指差した方向に走り始めた男は、そう言って聞いてきた。
「そうね。ここからだと、日が沈むまでには着けるぐらいかしら。」
太陽は正午から少し傾いたぐらいにあり、ここからなら歩いても、夕方前には着けるだろうけど、多少遅めに言っておいた方がいいだろうと思った。
「そう言えば、自己紹介がまだだったな。」
えっほえっほっと走りながら、男が話しかけてきた。
「俺の名前は北郷一刀。ここが漢なら、本来自己紹介に使うべきものが、全部使えなさそうだから、とりあえず名前だけで勘弁してくれ。」
男はそういうと、君は?と聞いてきた。
「……。」
男に名前を教えるなんて嫌だった。けど、こいつは私の恩人だから、名前くらい教えないと礼に反する……。そんなことを考えながらしばらく黙っていると、北郷と名乗った男が話しかけてきた。
「無理に聞こうとかじゃないから、言いたくなかったら別にいいよ。どうやら君は男が嫌いみたいだし……。まぁ、あのおっさんたちみたいな男だったら嫌って当たり前だと思うけど。」
そう言いながら、北郷は少し笑った。
「……。」
こいつは、男の中ではまともな方なんじゃないかと思えた。こいつになら、名前を教えてもいいように思えた。
「……荀彧よ。」
「え?」
「私の名前。」
「……。ごめん、なんかうまく聞き取れなかったから、もう一回言ってくれないか?」
後ろから見ていると、北郷の顔がすこし引きつっているように見えた。もしかしたら、実際に引きつっていたのかも知れない。
「まったく、一回で聞き取りなさいよ。じゅ・ん・い・く!わかった?荀彧よ。」
私がそう言うと、急に北郷が止まった。
「な、何よ?どうしたっていうのよ?」
「ね?じゅんいくさん。君の字ってさ。もしかして、文若っていう??」
北郷はそう静かに尋ねてきた。
「!!!あんた、なんで私の字を知ってるのよ!?」
思わぬことに驚いていると、北郷は続けて聞いてきた。
「も、もしかしてさ。君のご先祖さまって、荀子??」
「そ、そうよ!それよりも、さっきの私の質問に答えなさいよ!!」
「ごめん。その前にもう一個だけ聞いていい??」
「な、なによ?」
北郷は私の返事を聞くと、私を下ろし、こちらを向いた。
「曹操さんって人に仕官してたりする??」
「っ!!!!」
あまりのことに、私は言葉を発することができなかった。
こいつは、この北郷という男は、名乗ってもいない私の字をあて、私が荀子の子孫であることまで言い当てた。ここまでは、まぁなんとか説明がつく。どこかで聞いたのかも知れないし、荀という私の性から、荀子を思い浮かべたのかもしれない。
けれど、私が曹操さまのところに仕官しようとしていることは、まだ誰も知らないはず。袁紹の元を去る時も、そのことを誰かに話したりなんかしていない。それなのに、北郷は私に曹操さまに仕官しているのか?と聞いた。
(……そう言えば、袁紹のところにいたときに、変な噂があったわね。確か、天の御遣いがどうのって。……まさか!)
「……そう言えば、あんた最初に会ったときに、気が付いたらここに居たって言ってたわよね?その前はどこに居たの??」
とりあえず、北郷の問いに答えず、今私の頭の中にある疑惑を晴らすために、北郷に尋ねた。もし、私の推察が正しかったとしたら、私はとんでもない拾いものをしたことになる。
「もし、ここが漢であるとするなら……。そうだな、ここから東に海を渡って行ったところにある島かな。ただし……。」
そう言って小さく息を吸い込んだ北郷が、次に何を言うのかに聞き耳を立てながら、私はその言葉を待った。
「今から、およそ1800年後のだけど。」
「……。」
予想を超えていた。こいつは天の御遣いなんかじゃない。いや、むしろ天の御遣い以外の何者でもないのかも知れない。こいつの言っていることが正しいとすれば、もしこいつが未来の人間で、これからこの大陸で起きる乱世の行く末を知っているのだとしたら、それはまさしく天命を知っているといことではないだろうか。
――ゾクッ!
私の全身に寒気が走った。
(こいつの知識があれば、私が仕える人を必ず天下人にすることができる!それだけじゃない。なろうと思えば、この私が乱世を治めることだってできる!)
この北郷という男は、その価値がわかる者にとっては劇薬だ。それも、途方もないほどの毒薬。あまりに毒が強すぎるせいで、死の淵にいる龍を生き返らせてしまうほどの……。
この男がどれほどの知識を持っているのか。それはまだ分からないし、本当に未来から来たのかは証明できない。でも、こいつは私しか知りえないことを知っていた!それだけで、軍師としての私の心は躍った。
(とにかく、こいつを家に連れて行かなくちゃ。これからどうするかは、それから考えよう。)
そう思った私は、自分の家へと歩き出した。
「お、おい!さっきの質問はいいのかよ!それに俺の質問に答えてもらってないぞー!」
私が歩き出したのに少し驚いたのか、北郷が後ろからそう声をかけてきた。
「もういいわ。それより、早く家に行くわよ!」
私はそう言って、帰路を急いだ。
だた、このときの私は知らなかった。
この北郷という男のことであんなにも悩み、あんなにも胸が締め付けられるなんて……。
あとがき
どうも、komanariです。
前の作品に多くの閲覧、コメント、支援をいただき、本当にありがとうございました。
さて、ふとした思いつきから考え始めた魏のツンデレ……いや。ツン軍師さんのお話だったのですが、いかがだったでしょうか?今回は3人組のあたりのやりとりが年齢制限的に大丈夫か少し心配です。
とりあえず、今回は桂花さんのお話の1話目ということだったんですが、書いている僕としましても、一体いくつまで続くのか分かりません。一応、結末的なものは考えているのですが、そこまで行くのにどれくらいかかるのだか……。
とにかく、桂花さんには、少なくとも最終的にはデレていただきたいなぁと思っています。
そんな感じのお話でしたが、今回は閲覧していただき、ありがとうございました。
続きを早めに書けるように頑張ります。
追伸
作品の中で桂花さんが言っている「荀子先生は人間、特に男は生まれながらにして悪だって言ってた」っていうのは、完全に僕の創作ですので、もし気になった方がいらっしゃいましたら、ごめんなさい。
Tweet |
|
|
212
|
110
|
追加するフォルダを選択
お久しぶりです。
今回は原作ではツンのみの猫耳軍師をヒロインにした話を書き始めてみました。
他のキャラのSSを書こうかなと思っていたら、ふと浮かんできた話ですので、色々と変なところがあるかも知れませんが、その辺は許していただけると嬉しいです。
続きを表示