No.1003424

先触れの姫 序章

野良さん

式姫の庭の二次創作小説です。

拙作「別離」の中で語られた、庭主と式姫達が出会って後からの話になります。
タグの「別離」で検索頂ければ、一覧拾いやすくしてありますので、ご興味をお持ち頂けたら、ご一読頂ければ幸いです。
別離:第一話:http://www.tinami.com/view/825086

2019-09-01 22:26:50 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:857   閲覧ユーザー数:845

前回までのあらすじ。

 

 時は戦国、人の野心が麻の如く乱れ、複雑に絡み合う時代。

 その乱れに付け込むように、国中で、様々な妖怪が人の暮らしを脅かし始めていた。

 そんな中、陰陽師である祖父と妖怪討伐に赴いた少女こうめ。

 だが、当初簡単な仕事と思っていたそれは、大いなる妖怪、尾裂妖狐(おさきのようこ)の仕掛けた罠であった。

 多数の敵に囲まれた中、こうめを逃がすために、彼女の祖父は帰らぬ人となる。

 そして、こうめは、祖父が使役していた、式神の中でも特に強大な力を持つ存在「式姫」に守られ、尾裂妖狐の手から逃れ、不思議な霊気を漂わせる、一つの集落程もある広大な庭を擁する、廃屋のような屋敷に逃げ込んだ。

 妖怪を退ける霊気の存在など露知らず、その家に一人住まっていた青年は、助けを乞う彼女達を、戸惑いながらも匿うことにした。

 だが、その為に、彼女たちを追って来た尾裂妖狐と、その配下の妖たちとの戦いに、彼も巻き込まれる事になる。

 その戦いの中で、青年は彼の住む家と庭が、彼の先祖が風水の秘術を尽くして築き上げた、大地の龍王を封じた大いなる術である事を、その封印の要である庭の大樹に宿り、龍を封じる力を貸していた軍神、建御雷から教えられる。

 建御雷は、青年がこの庭の主として目覚め、絶大な力を受け継ぐ事になるのは危険だと判断し、彼を殺そうとするが、逆にこうめと青年の機転と力により、彼の式姫としてこの世界に顕現させられてしまう。

 その過程で、青年の覚悟を見届けた建御雷は、彼を主として認め、こうめを追って来た大妖、尾裂妖狐を一撃の下に倒す。

 だが、これまで大樹に宿り、龍王を封じて居た建御雷の力を、式姫としてこの世に顕現させてしまったために、庭の封印の力が弱まり、大地の龍王、汚された黄龍が復活してしまう。

 建御雷は、式姫の助力と、青年との絆を通じて得た庭の力を集め、残された最後の力を振るって、地上に顕現した龍王のかりそめの肉体を滅ぼし、土中に眠る本体を封じ込め、大樹の中で眠りに付いた。

 建御雷の力が尽きるその前に、庭の力を復活させ、大地の龍王の封印を施すという、過酷にして大いなる使命を、青年とこうめ、そして式姫達に託して。

序章

 

 春が来ねぇな。

 ぼそりと呟いた彼の隣で、干し柿を口にしていたこうめが肩を竦めた。

「何じゃ、まだ嫁の来ぬのを嘆くような歳でもあるまい?」

「そっちは半分諦めてらぁな、今言ったのは文字通りの意味だ」

 そう言いながら向けられた男の視線の先に、こうめも目を転じた。

「ふむ、沈丁花か」

「良く知ってるな、詳しいのか?」

「……歯の痛みに効く薬じゃと、おじいちゃんが何株か育てておった」

 この体に似ない大食漢……もとい大食女子らしい、歯痛にまつわる苦い記憶でもあるのだろう、そんなこうめの言葉に、男は微苦笑を浮かべた。

「まぁ、その効用もあるが、やはり香りを楽しむもんじゃねぇか?」

「風体に似ず風流な事じゃ」

 ふんと可愛く鼻を鳴らし、こうめが憎まれ口を叩く。

「どっかの誰かさんと違って、花より団子の歳は過ぎてるんでな」

 人の悪い笑みを浮かべての男の嫌味に、こうめは顔を紅潮させた。

「わしとて、花や香りを愛でる心くらいはあるわ!」

「はは、そりゃ何よりだ……だが」

 男が僅かに眉間に皺を寄せながら、再び庭に目を向けた。

 時は弥生、まだ若干の寒さ残る日々の中、春の先触れのように、沈丁花の葉は瑞々しい緑を見せている。

 だが、常ならば、そろそろ開花が見られる筈の、その蕾が膨らむ気配が無い。

「愛でたくても、肝心の花がこの有様なのは、どうした事かと思ってな」

「……確かに妙じゃのう」

「まさか、こんな事まで物の怪の仕業とも思えんが」

「どうじゃろな、自然の気を乱す事もあの妖狐の目論見の一つではある、無い話ではないと思うぞ」

「そりゃそうだが、疑いだすと、この世の碌でもない事の何でもかんでも、あの狐の差し金に見えて、キリがねぇからなぁ……」

「已むをえまい、それだけ、あの妖狐共は強大な存在という事じゃ」

「そいつは骨身に沁みてるが、だからと言って過大評価しちまうと、奴の陰に怯えて、正しい判断を下せなくなる、それはそれで、奴の術中にはまる事になるからな」

 

 うーむ。

 

 並んで、縁側で腕組みをする二人。

「妖狐」とこうめが呼んだのは、大妖、玉藻の前の分身たちの事。

 玉藻の前自身は、かつて京の都が華の盛りだった時代に起きた、妖相手の大戦の果てに、今は黄泉深くに封じられている。

 だが、その動けぬ主に変わり、この世に混迷をもたらすために動く、かの大妖が、封じられる直前に自ら噛み切った九尾。

 その九尾が化身した、強大にして奸智に長けた、大妖狐の分身達。

 その内、尾の一と呼ばれる狐は、先だってのこの庭での攻防戦の中で、武神、建御雷の力で滅んだ。

 だが、その事は残り八尾の化身も、既に知る所だろう。

 今は大丈夫そうだが、いずれ彼らが、こうめや男を狙って動き出すのは間違いない。

 それはいつの事か。

 

 うーむむ。

 だが、こうめは程なくして、組んでいた腕をほどき、男の袖を引っ張った。

「話は変わるが、皆はどうしておる?」

 考えるのに飽きたのか……という言葉を苦笑の裡に封じて、男は視線を先に向けた。

「天女と白兎は薬の材料と山菜探しに山に入ってる、悪鬼と狛犬は朝から狩りに行ってるが、夕方には戻るそうだ、天狗は偵察兼ねて、羽団扇の材料探しだが、今日は暗くなる前に帰ってくるつもりだとは言ってたな」

「天狗は暫く他の用では動けそうも無いのう……早く羽団扇が作り直せれば良いが」

「そうだな」

 先だっての戦いの折、悪鬼を助ける為に失ってしまった、天狗の羽団扇。

 羽団扇は一人前となった天狗が、精魂込めて作り上げるいわば己の分身である。

 猛禽の風切り羽を千と百と十と一枚。

 それも、姿美しく、風の力を存分に受けて自然に抜け落ちた、霊力宿すそれを集め、術を込めながら重ねに重ねて作り上げる。

「考えただけで気が遠くなるのう」

 こうめの呟きに男も頷き、茶を口にした。

「まぁ、俺たちに手伝えるのは、あいつの時間を確保してやるだけらしいからな……仕方ねぇよ」

「うむ、術の深奥は人には見せられぬ物よ、まして、わしらでは手伝いにもなれぬ……して小烏丸は?」

「お呼びですか、こうめ様?」

 箒を手にした小烏丸が、植え込みの陰から顔を出す。

「見ての通りだ、庭の手入れを頼んでる」

「草むしりと、川浚いは終わりましたので、そろそろ館の掃除をしようかと」

「お疲れ様、水路と池の様子はどうだった?」

「先だって泥を浚ったのが効いてますね、かなりの水量が滞りなく来てますから、池も程なく満ちるかと」

「そうか……何よりだ」

「かなり丁寧に作られた水路だったようですね、まだ側壁に石組が残っている部分も多いですし、石組が崩落している部分も、下は粘土を塗って付固めてありましたので、そのまま使えるとは思いますが……」

 僅かに言いよどんだ小烏丸の様子を見て、男は軽く頷いた。

「不安もある、か?」

 男の言葉に、小烏丸は頷いた。

「思ったより流量が多い為、露出部分が崩落する恐れがあります。流量を調整する水門の設置や、水路全体の補修も視野に入れて置く必要があるかと」

「ふむ……水の恵みも多すぎると困りごとか」

 男が暫し視線を宙に泳がせて、僅かに顔をしかめた。

 金に人手、先立つ物が足りなすぎる。

 必要な事だとは理解しているが、優先順位は付けねばならない、男はややあってため息をついた。

「現状じゃ後回しにするしか無さそうだな……後日、危なそうな場所を教えて貰いたいが、今日はこれで休んでくれ」

「はい、畏まりました」

 庭を緑で満たし、清浄に保つ為にも、水は不可欠。

 かって、庭に引き込まれていたらしい水路の跡を辿り、泥と落ち葉で塞がっていたそれを浚って、外の流れを引き込み、小川沿いを片付けると、心なしか庭を吹く風が清新な心地よい物に変わって来たように感じる。

 こうして、庭に満ちる気は清浄さを増し、この庭の力も強くなっていく、こうめや天狗の言葉から始めた事だが、それは正しい事だと感じる。

「そういえばご主人様、休めとの仰せですが、屋敷の掃除は?」

「ああ、そうだったな」

 僅かに何かを考えていた男が、一つ肩を竦めてから顔を上げた。

「小烏丸たちとこうめの部屋だけ頼むわ、離れの俺の部屋や居間、玄関なんかはこっちでやって置く。それと、飯の支度もな」

「はい、畏まりました、お言葉に甘えさせて頂きます」

 では、と勝手口に回るために、庭を歩み去る小烏丸のしゃんと伸びた背中を見送ってから、こうめは嫌味な視線を男に向けた。

「なんじゃ、自室に女子に見られて困る物でもあるのか?」

「そりゃもう、山ほどな」

 特に、お子様にゃ見せられねぇ、などと嘯いて、人の悪い顔でけたけた笑っている男を面憎そうに睨みつけてから、こうめは庭に目を向けた。

 少し前まで、荒野と見分けがつかない庭であったが、今は少しずつだが、人の住まう家の庭らしい風情を取り戻しつつある。

「地面が見えるだけでも、随分とこざっぱりして見える物じゃな」 

「俺はあの野趣あふれる庭も好きだったがな」

「野趣溢れるというより、あれは荒野その物じゃ、大蛇がにょろりと出て来た時には肝が冷えたぞ」

「ありゃ青大将だっただろ、あんまり毒もねぇ長虫殿を嫌いなさんな、第一、蛇は金の神様だ、大事にしてやらんと、明日の飯にありつけなくなるぜ」

「先だってまで、あれだけの数の蛇の巣を後生大事に庭に抱えておった、そのお主の懐具合はどうじゃった?」

「くっく、違ぇねぇ。確かに、あんまりご利益は無さそうだな」

 こうめの尤もな反論に苦笑して、男は腰を上げた。

「さて、下ごしらえでも始めるか……こうめは何が食べたい?」

「わしは、お結びが有れば文句は言わぬぞ」

(謙虚に聞こえるが、食う量が問題なんだよな……)

 数日一緒に暮らしただけで、自身が半年程度は食い繋げる位に蓄えてあったはずの米櫃の底が怪しくなってきたのは、庭で細々やっている畑 ーそれも先だって物の怪に完膚なきまでに荒らされたー それしか食い扶持がない身としては、薄ら寒い話である。

 野盗や天災を警戒して、長期保存が可能な籾で保存し、あちこちに隠してある米もあるから、今すぐにどうこうは無いが、この調子で食われていては、早晩、食料が底を尽くのは目に見えている。

 控えめで気遣いの出来る小烏丸や天女、もともと小食の天狗や白兎は良いのだが、こうめと悪鬼、狛犬の遠慮なく食う量ときたら、胃袋の底が抜けてるのではないかと疑いたくなるほど。

 成程、あの縦横無尽の元気さを維持するには、これだけ食う必要がある訳か、と妙に納得もしてしまったが。

 良い事なんだが、ウチの倉は痩せる一方だな……。

 育ちざかりの子を持つ父のような感慨を抱きつつ、子供どころか妻も居ないわが身を、僅かにほろ苦く顧みる。

(親とは偉大なり……)

 食費の問題は頭が痛い所ではあるが、生き物は食欲が有る内は、そうそう悲観的にはならずに済む物である。

 大して出来る事もねぇ俺だ、こいつらが、飯を腹いっぱい食える位の工面はしてやるか。

 我が家の財産と呼べそうな物は、父母が粗方は換金し、祖父の行いへの償いに使ってしまったようではあるが、二人が早くに亡くなった事を考えるに、焼け残っている倉をひっくり返せば、金目の物の一つや二つは出てくるかもしれない。

 天狗に言わせると、この家の結界は、妖怪の侵入を防ぐ力は勿論だが、悪しき感情を抱く輩を自然と遠ざける力もあるそうで、倉が盗賊の被害を免れている可能性は高い。

 思えば、子供だった自分が、人買いの手に落ちずに、この年齢になるまで、屋敷で一人暮らして来られたのも、その力のお蔭なのだろう。

(後で天女か小烏丸にでも手伝って貰うか……しかし、雑事は二人に頼んでばかりだな)

 天狗は忙しい、狛犬と悪鬼に頼めば、快く手伝ってはくれるだろうが、金目の物を破壊されかねない、白兎はあちこち遊び歩いてて中々捕まらないとなると、どうしてもこの常識人二人に頼みごとをしてしまう。

 あまり良くない傾向だとは思うが、他に頼める人が居ないのも確か。

(何か穴埋めは、考えてやらんとなぁ)

「判ったよ、飯とみそ汁と漬物は用意しておくな……他に何が食えるかは、山に行った連中次第だが」

「山菜、獣肉、木の実と、山の恵みは種々(くさぐさ)ある、いや楽しみじゃのう」

 春に木の実は難しいんじゃねぇかな、と思いつつ、男は山の方に目を向けた。

「何が取れるにしても今日すぐに食うのは難しいだろうけどな」

「そうなのか?」

「まぁなぁ、ぜんまいやたらの芽なんかなら、素揚げにするなりして食えるだろうけど」

「ふむ?」

 不得要領なこうめの顔に、男はどう説明した物か迷うような顔を返した。

 昔日の繁栄は遠い過去だとはいえ、まだまだ大都市である京の都で育ち、それも恐らくは身分ある陰陽師の孫娘のこうめでは、家業で使う本草(薬草)以外の知識の範囲は、恐らく市で商いされる野菜や魚の域を出る物ではあるまい。

 自身で加工せねばならない、野の獣や山菜の扱い方を心得ていないのは当然の事。

 寧ろ、今のような環境にも不満を口にしない辺りは、彼女の祖父が施した教育の素性の良さを垣間見る思いがして、彼としては頭が下がる思いがする。

 とはいえ、こうめを都に帰してやれる目途は当分立ちそうも無い以上は、この不自由な生活の事も少しは教えてやらねばなるまい……。

「追々実物が来たら説明してやるけど、山菜の殆どはそのままは食えないんだ、あく抜きをしたり、日に晒したりな。そして獣肉もそうだな、血抜きして解体して、いくらかは保存の為に塩して暗所で燻すかしたい所……まぁ、これらも慣れてる奴がやって、ざっと半日仕事だ」

「ふむ、さようか……まぁ仕方ないの、人の口に入れるには、手間が掛かる事位は、わしも弁えて居るつもりじゃ」

 物わかり良さげに、そう口にしたこうめだが、その顔が、いささかならず落胆気味になるのを見て、男は肩を竦めた。

「そうしょげなさんな、山菜も獣肉も、ちゃんと干せばいい保存食になるし、毛皮や腱や膏は、防寒着や弓の弦、薬として売れる、売れりゃ銭になり、銭は旨い物に交換できる」

 どうだ、先々楽しみだろ?

「それは良いのう」

 何か甘い物でも思い浮かべているのか、こうめの目が比喩では無くきらきら輝きだしたのを見て、男は苦笑した。

 実際の所は、妖怪や人に荒らされたこの辺りでは、それらを買い取って使ってくれる、商、工の活動も絶えて久しい。

 そして、当然、銭のやり取りで、それらを贖う市が立つ事も無い。

 そんな事は承知だが……

「ま、それを楽しみに暫くは我慢だ、粗食の後の美食はまた格別だぞ」

「ふふ、判った」

 今くらいは……恐らく、かりそめの平和であろう今だけは、この少女と少しくらい明るい話をしても良いだろう。

「お主は知らんじゃろうが、狛犬と悪鬼の狩りの腕は確かじゃ、何らかの獲物は期待できるぞ」

「ほぉ、そいつは楽しみだ」

 そう言いながら、春霞の山のうららかな風情に目を細める。

「山ってのは、本当にありがてぇな」

「全くじゃ、山は色々な恵みをもたらしてくれるからのう」


 
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