藻……藻や。
妾がこの世界に残せし九尾に託した呪詛の化身よ、尾の三よ。
藻を名乗り、世界を混沌の渦に叩き込むべく策動してきた。
可愛い可愛い妾の分身、尾裂妖狐よ。
聞こえるかや?
おお……おお、何と。
無論にございます、我が主。
お久うございます、玉藻の前様。
黄泉に封じられた、貴女様からの御声が聞こえなくなり、幾星霜。
その復活の為に、我らは常に動き続けておりました。
今、そのお声を耳にし、感無量にございます。
愛い奴じゃ……真に、お前は愛い……。
如何なさいました、そう聞き返そうとして、その声音の弱々しさで、藻は悟った。
主の敗北と消滅を。
例え意識一かけらなりとはいえ、絶大な力を誇る主が。
人如きに……敗れたというか。
たとえ、意識一かけらなりと、現世にありさえすれば、それを梃子にして、その大いなる力の全てを現世に呼ぶ事も、容易になったでしょうに。
ああ、何とご無念だったでしょう。
藻や、可愛い妾の分身よ、妾の無念を、恨み……を。
あの男を。
危険極まる、この式姫の庭の主を。
妾の最後の憎悪と無念を糧として、必ずや奴を。
それを最後に、主の気配が消えた。
この現世から、完全に。
(……心得ました)
わが全てに代えても。
あの男だけは。
変わった。
蜥蜴丸は、目の前の敵の気配の変化を感じていた。
ピリピリした、触れれば切れそうな程に気配が殺気を帯び、泥に塗れた金色の毛が威迫するように膨れ上がる。
「しゃぁぁぁぁぁぁぁ!」
その身裡に渦巻く、悪意と呪詛の全てを世界に吐きだすような、鋭い呼気。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
それに応じるかのように、蜥蜴丸もまた、勁烈な気合を込め、呼気を振り絞り刃に力を込める。
超絶の力を持つ式姫と大妖の気力がせめぎ合い、庭木の枝が爆ぜ、大地が鳴動する。
(くぅ……)
今の主の祖父が、軍神建御雷に滅ぼされた時、主を庇おうとして、その神威の雷光に撃たれ、一度は黒焦げになった刀身が軋みを上げる。
この庭の巨大な力の加護により癒され、再び式姫の姿を取る事は叶うようになったが、神の力によってその刀身深くに刻まれた傷は完全には癒えず、妖刀たる彼女本来の力に、未だ、その刀身が耐え切れない。
僅かに均衡が崩れる。
じゃりっと、獣の足が砂利を踏む音が、極限の集中の中、耳に大きく響く。
奴が前に出た。
更に強まる相手の圧力に、蜥蜴丸が押される。
それに力を得て、奴が更に一歩踏み込む。
互いに見えている、死命の間合いまで、後一歩。
大上段の構えは、気力で負けた時に、破れる。
私は、また。
主を守れず、敗れるのか。
今度こそ守ると……再びそう思える人に巡り合えたというのに。
わが身を砕いてでも、守ると誓ったのに。
……わが身を、砕いても?
違う!
砕けてでも、そう思う事自体が、敗北を内包する、私の弱さ。
限界に阻まれ、砕けるのではない。
今度こそ私は、折れない、砕けない。
耐えて、あの方とこうめ殿の進む未来に、お供する為に。
その為に、私は、この身をひたすらに練磨して来たんだ。
今この時、限界の先に一歩踏み出す為に。
じゃり。
蜥蜴丸の足許で、砂利を踏む音が響く。
無意識に、彼女の足が踏み込み、死命の間合いを破った音。
獣が跳躍した。
紫炎の如き闘気を帯びた刃が大上段から振り下ろされる。
ぎゃんっ!
絶鳴が響いた。
黒い獣が空で二つに裂ける。
左の肩口から入った蜥蜴丸の刃が、獣の体を袈裟懸けに両断した。
勝てた……。
刀を振り切った姿で、蜥蜴丸がその場に膝を付く。
安堵し、倒れそうになる、その背後で、切迫した声が上がった。
懐かしくすら感じる、待ち望んだ声が。
「こうめっ!」
「主殿?!」
慌てて巡らせた蜥蜴丸の目に、信じられない光景が見えた。
宙で半分になった獣が、地に落ちようとした時、一本残った右の腕で、大地を叩き、更に跳ねた。
彼女の主の下へ。
その刃の如き牙を光らせて、彼を噛み裂かんと。
何という執念か……。
主が慌ててこうめをその背に庇い、膝立ちでも迎え撃とうと構えを取ろうとする。
だが、まだその動きがぎこちない。
こうめを放り出して逃げ出すような主では無い。
このままでは……!
立ち上がろうとした蜥蜴丸の足がもつれ、倒れる。
「……駄目!」
その光景を、駆けて来たかやのひめと熊野も見た。
二人もその足を更に速めながら得物を構える、だが、それも。
誰も、間に合わない。
キサマダケハ、ミチヅレニ!
その時、こうめを背後に庇った男の胸から、淡い光が飛び出した。
「……これは」
「何じゃ?」
冥王のくれた札。
それが彼を庇うように、二人の前で空に浮かぶ。
ナンノマネジャ!
如何なる術か知らぬが、たかが札一つで、我と主の執念を宿す、この牙は阻めぬ。
札を見上げる二人の心に、綺麗な声が聞こえた。
私を呼びなさい。
「呼ぶ?」
方法は、知っていますよね。
貴方達が、世界の諸力と誠実に向き合い、その力を借りて来た。
あの術を。
その声に二人は頷き、導かれるように、目の前に浮かぶ札に、手を伸ばし。
シネ!
強い願いと力を込めて叫んだ。
「「式姫よ!」」
二人の声が重なり、それに呼応するように、札に記された、冥王の種子が光を放つ。
「「あれ!」」
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式姫の庭の二次創作小説です。
前話:http://www.tinami.com/view/995409
次回、完結です。