No.992868

夜摩天料理始末 62

野良さん

式姫の庭の二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/992630

2019-05-12 19:00:31 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:757   閲覧ユーザー数:747

 蜥蜴丸と、尾裂の獣の対峙を、息を詰めて見ていたこうめが、何かに気が付いたように視線を傍らの男に向けた。

 彼の胸で光っていた種子が、さながら、命の拍動のように明滅を繰り返す。

「……これは?」

 こうめの声が一つの予感に、期待と喜びで震える。

 短い光の明滅が収まった時、それまで、彫像と見紛う程に微かだった呼吸が、まるで眠っている人の如く深く長い物に変わる。

 そして、深く世界の気を体に取り入れる度に、蒼白だった体に血色が甦る。

「あ、ああ」

 帰って来た。

 目の奥に溢れた熱が、零れ出す。

 言葉にならず、こうめは、ただ彼の服の裾を握りしめた。

 その裾が動いた。

 男がぎこちなく身を起こそうとする。

「む、無理をするでない!」

 涙を拭い、男の顔を見る、そのこうめの背に、ぞわりとした悪寒が走った。

 生気の無い白っぽい目が、こうめを見返す。

 その目が不気味だったというだけではない。

 その奥に淀む、何か得体のしれない輝きが、こうめの心に寒気を呼んだ。

 だが、こうめはその悪寒を振り払うように、男の手を握った。

 蘇生したばかりなのだ、少しばかり妙な、彼らしくない顔をしていたとしても……それは仕方ない事。

 大丈夫、落ち着け。

 違和感と、恐怖をねじ伏せ、こうめは気遣うように、男に声を掛けた。

「慌てるでない、もうすこし大人しく横になりながら、ゆっくり呼吸するのじゃ」

 そのこうめの言葉を聞いて、男の口角が僅かに上がる。

 

 それを見たこうめの喉が強張った。

 違う。

 そこに在ったのは、見なれた彼の、どこか困ったような、優しい笑いではない。

 こうめの気遣いを、いや、人の善意全てを……。

 嘲笑い、憎む、邪悪極まる笑い。

 

 背中越しではあるが、こうめのただならぬ様子は、蜥蜴丸も気が付いてはいた。

 だが、眼前で殺意を漲らせる強敵を前に、振り向ける訳も無い。

 獣を睨み据え、牽制しながら、蜥蜴丸はじりじりと歩を移し、視界の隅に、主とこうめの姿を捉えた。

 ちらりと見えた……その光景に、さしもの蜥蜴丸が一瞬だが自失した。

 彼の式姫だけが見えた。

 虚ろな主の肉体から、悍ましい淀みが漂い、その昏い意思が、体を動かしている。

「こうめ殿っ!」

 その蜥蜴丸の隙を見逃す尾裂の獣では無い、豪と吼えて襲い来るそれを迎え撃つ為に、蜥蜴丸は焦りを感じながら前を向き、振り下ろされる鋭い爪に、刀を叩き付けた。

「逃げて!」

「蜥蜴丸!?」

「それは、主殿ではありませぬ!」

 蜥蜴丸の言葉に、男から身を離そうとする、そのこうめの手が、強く掴まれた。

 いつも、こうめの手や頭を、優しく包んでくれた、あの手が。

 その華奢な手の骨が砕けても構わぬといわんばかりの力で。

「貴様か、小娘……」

 上半身を起こした、男の白っぽい目が、こうめの顔を見ていた。

「貴様が……」

 もう一方の手が、自身の胸に書かれた種子に触れようとして、熱い鉄鍋に触れてしまった時のように、びくりと引っ込められる。

「これを、書いたのか」

「……だとしたら、何じゃ?」

「そうか」

 クックと嗤いが喉を震わせ、こうめの手を握る力が更に強くなる。

 だが、その痛みに耐えながら、こうめはキッとその顔を睨み返した。

「ならば、礼を言わねばならぬなぁ」

「……貴様、何者じゃ」

「妾か……そうじゃな、貴様らには何と名乗れば良いのだったか」

 

 タマモノマエサマ!

 

 その時、蜥蜴丸と競っていた尾裂の獣から、歓喜の叫びが上がった。

「玉藻の前……じゃと」

「……馬鹿な」

 驚愕に揺れる蜥蜴丸と、絶望に拉がれるこうめの姿を見た男の顔の中で、目が細く吊り上がり、口が、にいと笑う。

「貴様が開いてくれたこの道を辿り、妾は封じられた冥府より抜け出した」

 それが身を起こし、立ち上がる。

 炎を背にした、男の影がこうめの上に落ちる。

「わしが……」

「こうめ殿!その化け狐の言葉に耳を貸してはなりません!」

 蜥蜴丸の声も、焼け落ちる屋敷の轟音も、木の爆ぜる音も、どこか遠い。

 わしは……こやつに騙されたのか。

 あの遠くから響いた願いに、真実を感じ、力を貸してしまった。

 わしのせいで、彼は。

 項垂れたこうめの襟を掴み、男は、首を絞める様にそれを持ちあげた。

「先ずは礼代わりに、貴様から縊り殺してやろうかねぇ」

「……」

 絞められた喉から、微かに音が漏れる。

「駄目、何とか抗(あらが)って!」

 そして、蜥蜴丸も動けない、主の復活に力を得た尾裂の獣が、圧倒するように圧し掛かってくる。

「ほほ、無駄じゃ、この肉体、人にしては中々に良く鍛え上げられているではないか、小娘の力が抗せる物かや」

「……っ!」

 彼の力は、鍛えた本人、師たる蜥蜴丸には良く判っている。

 だけど……こんなのは。

 例え肉体のみとはいえ、主が、掌中の珠と大事にしてきた少女を縊り殺すなど……そんな。

 私は、こんな光景の為に、生き恥を晒して来た訳では。

「駄目!」

 こうめは、苦しげに両手を上げて、男の手を取った。

 引きはがそうとするのではない。

 その手を。

 こうめに沢山の大事な物をくれた、優しい手を、小さな手が柔らかく包んだ。

 悔しさに、涙がこぼれる。

 助けたかったのに。

 もっと、一緒に居たかったのに。

「何の真似じゃ?」

 男が、いや、その身の裡に巣くった玉藻の前の意思が、怪訝そうにその手を見た。

 こうめが、苦しい喉から声を絞る。

 目の前の化け狐にでは無い。

 せめて、自分の最後の言葉は、彼に……。

「す……まぬ」

 取り返しのつかぬ事をしてしもうた、愚かなわしを許してくれ。

 静かに向き合う、男と夜摩天。

 閻魔ですら口を挟めない程に、そこには侵しがたい雰囲気があった。

 そして、閻魔も彼も悟った。

 これが、彼がこの冥府を去るに当たり、最後に受けねばならぬ、夜摩天の審判なのだと。

「……俺が危険か?」

「ええ、途方もなく」

 そう口にして、夜摩天は指を繰りだした。

 彼と式姫の絆。

 その意志力。

 あの庭の持つ絶大な力、あまつさえ、それがまだ発展途上でしかない事。

 何れ、貴方の望む、あの庭の力で黄龍の封印を為すという事を達成する為にも、その力は、嫌でも、神々の列に並ぶ事となるでしょう。

「つまり、単純に、貴方の力は、揺れ動く人の心に委ねられるには、危険極まる物なのです」

 貴方が堕落し、その力を以て、人の世に害をもたらす存在にならないとは、誰も保証できない。

 そんな存在を、緊急事態であるという理由だけで、簡単に戻していい話では無い。

 そして、何より。

「更に、魂の滅びの淵からすら、貴方は戻って来た」

 神々ですら容易に為し得ぬ奇跡を起こしてまで、貴方は戻って来た。

 そこまでの事を為し得た、その原動力は一体何なのです。

 野心、欲望、名声、富、情愛、妖怪を討ち果たし、衆生を救おうという理念。

 貴方を衝き動かすそれは、何なのです。

 夜摩天の浄眼が、彼を静かに見据える。

「何故です?」

 何故貴方は、人としての生に、そこまで執着するのです。

 何度か発せられた、同じ疑問。

 だけど今、その問いは、冥府の裁判長が、一人の亡者に下した問いではなく。

「何故……か」

「その答えを、聞かせて下さい」

 同じ場所、同じ目線、そして同じような、悩める魂を抱えて生きる二人の間に発せられた問いだった。

 その夜摩天の真剣な顔を見て……男は困ったように笑って、口を開いた。

「そんなに難しい顔で聞く事かな?」

「え?」

「俺は、自分の家に帰りたいだけだ」

 その男の返事に、夜摩天と、そして閻魔も、どこか呆気に取られた顔で、彼の顔を見返した。

 まるでそれは、幸せな人が、一仕事終えた後に発したような、普通の言葉。

「家?」

「ああ、天界とか人界とか関係ない、あの庭が俺の」

 あの真っ白な場所で、三尸と交わした言葉を思い出す。

 俺が一番安らげる。

 この魂と、体を最後に置きたいと、心から願った。

「帰りたい場所」

 それまでは、ただ自分が住んでいた、身を置いていただけのあの場所。

 そこに、こうめが来て、式姫の皆が来て。

 俺たちのしようとしている事、その歩みに共感してくれた多くの人が作り上げてくれた。

 そうして、あの場所は、俺が帰りたい場所に。

 俺の家になった。

「あの庭は、あの場所にしかない、だから俺は帰りたい、それだけだ」

「それだけ……」

 そう……なんだ。

 それだけって、そんな普通の顔をして言いきれてしまうんだ。

 本当に……本当に、この人ときたら。

 

 くすくすくす。

 

 荒れ果てた冥府の法廷に、時ならぬ笑い声が響いた。

 その声に、閻魔が目を丸くする。

「……嘘でしょ?」

 明日辺り、冥界に槍か隕石でも降るのかしら。

 長い付き合いの彼女すら、聞いた事が無かった。

 夜摩天が顔を伏せ、心底楽しそうに笑っていた。

 邪気の全くない、静かに銀鈴を転がすような、清楚で穏やかな笑い声。

「……そんな面白い答えだったか?」

 若干気分を害した様子を表情に漂わせる男に、夜摩天は詫びる様に軽く頭を下げた。

「失礼、馬鹿にしたのではありません」

 寧ろ、それはとても清々しい気持ちになれる答えで。

 この人の下に、あれだけの式姫が集った理由が、今、ようやく夜摩天にはすとんと腑に落ちた。

 口許に笑みを残した夜摩天が、顔を上げた。

「以上で、調べは終わります、閻魔、依存は有りませんね?」

 頷く閻魔を一瞥してから、夜摩天は顔を男の方に向け、背筋を伸ばし、懐から、その職位を示す笏を取り出した。

 ボロボロの法衣に、乱れた髪、くしゃくしゃの冠を戴いた姿。

 だが、その身に威厳と理知を纏い、紛れも無い冥王が、誇りを胸に、すっくと立っていた。

 

「では、裁きを申し渡す」


 
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