No.989474

夜摩天料理始末 57

野良さん

式姫の庭の二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/988651

かやちゃ戦う。

2019-04-07 21:17:06 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:771   閲覧ユーザー数:755

 藻の眉間に狙いを定め、かやのひめは地響き上げて突進してくる巨獣に正対していた。

 もう少し……もっと引き付けて。

 もう後半歩……その時、かやのひめの眼前で、金色の巨体がふいにその身を横倒しにした。

 横倒し、いや、それは倒れ込むように放たれた体当たり。

 急制動を掛けつつ、体を横倒しにして、その体で広範囲を薙ぎ払うように地を蹴って体を投げ出す。

「なっ!?」

 その動きを予想できなかったかやのひめの矢が放たれたが、それは藻を掠めただけで、空しく夜空を貫いた。

「きゃうっ!」

 その、藻の急な動きに不意をつかれたのはかやのひめだけでは無かった。

 藻の死角に回り込んでいた飯綱が、巨体の突進に巻き込まれた。

 小柄な飯綱の体が凄い勢いで飛ばされ、地で跳ねて動かなくなる。

「飯綱!」

 式姫たる彼女がそうそう死ぬ事はないが、ピクリとも動かぬ様を見るに、かなりの痛撃を受けたのは間違いない。

 助けに行きたいが、かやのひめにもその余裕はない。

(あと……一矢)

 弓に最後の矢を呼び出し、それを番える。

 外せない。

「どうやら、当たったようじゃなァ」

 ぐつぐつと笑いながら、奴は身を起こした。

「まぁず……一匹ィ」

 急な、そして生き物としてあり得ない挙動は、藻の体にも相応の負荷を強いていた。

 あの巨体を軽やかに舞わせていた妖力も尽きかかった今となっては、あのような無茶な動きを支えるには細すぎる彼女の左の前脚がひしゃげ、肘の辺りから夜目にも白々とした骨が飛び出していた。

 歪な脇腹のへこみは、大地に身を投げ出した時にろっ骨を何本かやられた証だろう。

 だがそれにも頓着せずに、妖狐は荒い息を吐きながらその泥に塗れた巨体をもたげた。

「……何て奴」

 奴のあの攻撃は、偶然飯綱を捉えたのでは無い。

 藻の左目は、追撃時に飯綱の放った矢に抉られ、光を失っている。

 奴はそれを逆手に取り、飯綱が彼女の死角に回り込もうとするだろう事を読んで、奇襲を掛けた。

 それも、その体に少なからぬ傷を負う事を躊躇せず。

 残る命を焼き尽くし、その炎が絶えぬうちに、この屋敷内の生きとし生ける全てを焼き尽くす、そんな戦いぶり。

 

 今までの奴とは違う、これはもう、あの陰謀の裏に隠れ、狡知を巡らす妖狐ではない。

(狂戦士)

 しかも、本能のままに荒れ狂うそれでは無い、狡知に長けて居ながら、己の事を顧みない……。

 これは、危険過ぎる。

 奴はここで止めねばならない。

 これ以上行かせたら、あの男の身が危ない。

 ……別に私はあんな奴どうでもいいのよ、ただ飯綱やみんなが泣くから、仕方なく。

 仕方なく……なんだから。

 

 かやのひめは、キッと藻を睨みつけた。

 こいつの行動は、今や常識から外れた所に在る。

 ならば、下手に行動を読もうとはするまい。

「花の女神よ……貴様も妾の死出の道を飾る為に、美しく散るが良いナァ」

 藻がかやのひめに向かって巨体を躍らせる。

「花は確かに、次代に命を繋ぐ営みの為に咲き誇り、役目を終えれば自ずから散るが定め」

 だけど。

「華奢な花でも、望みを果たすまでは、風雪に耐える強さを示すのよ」

 私はまだ、この世界でやりたい事が沢山あるの。

「貴女なんかに散らされたりしないわ!」

 かやのひめは弓をおろし、矢を手にして藻目がけて走り出した。

 弓に矢を番えていれば、即座に高い威力で射放てる利点はあるが、どうしても体の動きが阻害される事になる。

 このような変則的な動きの相手に対応するには、自分の速射の技を信じ、体術で奴の間合いに入り、一瞬の隙を狙うしかない。

 痛みなど感じていない様子の、今の奴を止められるのは、頭、それも脳を抉るか、心臓を射ぬく位しかあるまいが……。

 前脚を砕きながら、藻が迫る。

 ここから奴は、どう動く。

 間合いに入るという事は、一歩間違うと、飯綱と同じ攻撃を、しかも更なる圧で受ける事と背中合わせ。

 一瞬で良い……何とか奴の足が止まれば。

 その時、かやのひめの足下がざわめいた。

「あなた達……」

 私たちが不甲斐ないせいで、守ってあげられなかったのに、まだ、戦ってくれるの?

 あなた達も、ここを守りたいのね。

「……ありがとう」

 正対する巨体の突進と、軽やかな風の如きかやのひめの疾走が、二人の間合いを瞬時に詰める。

 もう半歩の踏み込みで、互いが致命の間合いを破る。

 その時、藻の足下で、大地が揺らいだ。

「何ヤァ!」

 地震、一瞬そう思ったがそうでは無かった。

 大地を割り、この庭に生えていた木々の根が飛び出し、藻の体を叩き、足に絡みつき、彼女の動きを阻む。

 かやのひめは植物の神。

 彼女の願いに、この庭の木々が、藻に焼かれ踏みにじられた命達が応えた。

 巨樹もあったとはいえ、所詮庭木の根だ、完全に彼女を止められるような物では無い、だが。

 その生じた一瞬の隙に、かやのひめが更に速度を上げながら、鋭く踏み込み、弓に矢を番える。

「止め……っ?!」

 その時かやのひめの視界の隅に何かが見えた。

 それが何かを認識する前に、彼女の戦士の体が反応し、大きく横に転がり危機を避けた。

 彼女の頭上を唸りをあげて何か巨大な物が飛び去り、残った土塀を砕き、なぎ倒す。

 ちらりと見えた金の色、あれは……まさか。

 慌てて戻した視線の先、藻が体に絡みつく木々の根を引きちぎりながら身を起こす。

 その左前脚、最前飯綱を吹き飛ばした突進の際に折れた肘から先が無かった。

 そして、藻の口元から滴る鮮血。

「自分で食いちぎって投げつけたっていうの……」

 何て悍ましい。

 かやのひめが慌てて身を起こそうとする、だがそれより早く、藻が血の滴る口を大きく開いて、かやのひめに向かって踏み出した。

 避けられない。

 だが、かやのひめは片膝立ちになるや、躊躇わず迫る藻の大咢(おおあぎと)に対し、弓を構えた。

 奴があの牙で私を引き裂くならば、私の矢もまた、口中から奴の脳を抉る。

 瞬時に限界まで引き絞られた梓の弓がきりきりと音を立てる。

 彼女の弓が、悲鳴を上げるのを堪え、自分の体を限界まで引き絞った悲痛な音。

 それを耳にしながら、かやのひめは狙いを定めた。

 後は、奴が私を噛み裂く為に最も近寄った時に。

 山津波の如く迫る巨獣、その体に、細い細い銀光が幾筋か吸い込まれた。

(何、あれは?)

「死ねい、式姫ェ!」

 最後に、既に二の腕だけになった前脚を踏み込んで、藻がかやのひめに喰らいつこうとする。

 ずるり、と、その足が僅かに滑った。

 血のぬめりや、足を踏み外したのでも無い……ただ、彼女の意思が四肢に伝わらず、大地を捉え損ねた。

「な……?!」

 何じゃ、という暇も無く、藻の体が、かやのひめの方に圧し掛かる。

「右だ、跳べ!」

 良く透る声が、かやのひめの大きな狐の耳に届く、その時には既に、彼女は矢を射放ち、投げ出す様にその体を右に跳ばしていた。

 かやのひめが放った矢が、藻の大きく開いた口の上あごを貫き脳天を突き抜け、天に弧を描く。

 急速に力を失った体と首が惰性のままに、かやのひめの傍らに地響きを上げて落ちた。

 断末魔の苦鳴と共に口から溢れる血が、地に伏すその薄れゆく眼前に拡がっていく。

 その赤く染まる視界の中に、外套を纏った人の姿が見えた。

「キサマ」

 その顔には、覚えがある、

 神鴉(しんあ)を束ねる、大いなる神の一柱。

「クマ……ノ」

「顔を合わせたのは随分昔だというのに、よく覚えてた物だね、妖狐の尾の化身よ」

 長く袖を引く右の袖口が、藻の残った目に向く。

「覚えていてくれたせめてもの礼だ、楽にしてあげよう」

 怒りや憎しみも無く、ただ静かに死を宣し。

 その袖口から無数の細い銀光が迸り、右目から彼女の脳を抉った。

 びくりと、その巨体がしばし痙攣した後、だらりと大地に伸びる。

「……あァ」

 あえかなため息を吐き。

 玉藻の前がこの世に残した、九尾の呪詛の化身が一つ、尾の三、藻。

 その邪悪な仮初の命が、ここに尽きた。

 かやのひめが身を起こして、熊野の隣に歩み寄る。

「……私は、別に助けて貰わなくても勝てたわよ」

「そうかもしれないね、ま、私は私で、旧友の意趣返しに来ただけさ」

「そう……でも多少は楽が出来たわ……」

 ありがと。

 そっぽを向いての小声。

 相変わらず素直じゃないかやのひめの様子に、熊野は苦笑した。

「礼は良いよ、それより怪我は……有るに決まってるか、大怪我は無いかな?」

「私は……待って、そうよ、私より飯綱を!」

 熊野の手を掴んで今にも走り出しそうなかやのひめを、熊野は押しとどめた。

「飯綱君なら大丈夫だ、強い衝撃を受けて気絶しただけで、骨などには異常は無い」

 寝かして置けば良い、これで、取り敢えずの危機は去っただろう。

 横たわる巨獣の体を眺めながら、熊野は肩を竦めた。

「そうね、所で一つ聞いて良い?」

「何かな?」

「こいつの足止めよ……どうやったの?」

 既に痛みを感じていなかった藻に対し、どうやって。

 飯綱の方に向かって歩き出しながら、熊野は静かに返事を返した。

「如何なる代物であれ、体は神経を通して動く物さ、ならばその神経の流れを断ってやれば」

 体は効かなくなる。

「成程、医者は敵に回す者じゃないわね」

「まぁ、この技だって本来なら、傷の治療の時に、患者の痛みを和らげてやるために使ったりするんだよ」

「生かす技と殺す技は表裏一体……ね」

「そんな所だよ」

 さらっと言っているが、夜の中、あの緊迫した状況下で、瞬時に藻の体に複数の針を打ちこみ、その動きを阻害するなど、並の技量では無い。

 流石に、かつてはその多彩な暗器術で、敵を翻弄した戦神の一人か。

 いずれにせよ助かった、後はあの男が戻って来さえすれば……。

 それにしても、この大きな死骸といい、後始末が色々大変そうだ。

 ため息交じりに、巨大な妖狐の亡骸に目を向ける。

「……あら?」

 何かがおかしい。

「どうしたんだい?」

「待って……何か」

 それは微かな、だが、拭いがたい違和感。

 かやのひめの目がもう一度、妖狐の亡骸を見直し……その違和感の正体に気が付いた。

「六……本」

 その意味が腑に落ちる前に、かやのひめは走り出していた。

「待ちたまえ、どうしたんだ?」

 彼女の後を追って走り出した熊野に、かやのひめは、彼女には珍しい、切迫した声を返した。

「奴は、まだ死んでないわ!」

 


 
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