真っ白な神殿の床に、黒い棘が飛び散っていた。
「ぐしゅるるるるるるる。」
獣のような遠吠えが部屋に響く。
よだれを垂らし、つぎはぎの服を着た男が、床をじっと見つめて立っている。視線の先には大袋を背負った、小太りの男が倒れていた。小太りの男の体中に、小さなウニのような物体が張り付いていて、針で男の身体を突き刺し、破壊している。
「ディジーズ・・・。」
叱りつけるような低い声が、奇怪な男へとかけられた。ディジーズと呼ばれた男が声のしたほうをむくと、神職の服を着た痩せた男がディジーズを見ていた。芋虫を潰したような苦い顔をしており、目の前の光景に頭をかかえている。
「あべると。」
ディジーズがたどたどしい口調で言った。ぺちゃりと唾液が床に落ちる。ディジーズはそれをみると、ぁぁと呻きをあげた。白いハンカチを取り出し、床を熱心に拭き始める。
「う、ぅぅぅぅぅぅぅ。」
垂れ続けるよだれに、ディジーズが顔を歪ませる。
アベルトはそんなディジーズを尻目に小太りの男を蹴った。ごろんと男が転がり、胸のポケットから財布が転がり落ちる。
アベルトは財布を拾うと中身を漁った。一枚の紙切れを見て、嘆息をつく。
「おいおい商人かよ。やってくれたなディジーズ。高くつくぞ。」
紙切れには、横たわる男の身分がしるされていた。男はこのあたりを取り仕切る、大商人のようだ。
他になにかないかとアベルトが商人へとてをのばす。ウニのような物体が小気味の良い音とともに破裂し、男の身体が跡形もなく消えた。あとには、男の着ていた服だけが残った。
がさごそと、大袋が動いた。中になにかいるらしかった。
ディジーズはハンカチを手放し、両手を使って大袋を丁寧に開けた。
袋の中には金の髪の少女が入っている。髪は整っているが、痩せていてかっこうはみすぼらしかった。
ディジーズは少女の首の背に印があるのをみて、首をかしげる。
肌を焼いて作られた印だった。
「このガキ、品物だな。」
なんの感慨もなく、アベルトが言った。やっちまったとばかりに、気怠げな顔をしている。
「あ、あべると。めんどくさそうな顔してる。」
たどたどしく、ディジーズが口を動かす。
「たすけないと、いけないんじゃないのか?放っておいたらだめだぞ。」
アベルトは死体のあった場所をちらりと見た。
「気狂いが倫理を語ってんじゃねーよ。」
「う、ぅぅぅぅぅぅぅぅ・・・。」
ディジーズが頭をかきむしり、唸る。
「ひとまず運ぶぞ。袋から出さずに持てよ。」
ディジーズは頷いた。袋をかかえあげる。ゆっくりとした、ていねいな動きだった。
「ぐしゅるるるるるるるる。」
うなり声にゆり起こされて、ロレッタは目を覚ました。まぶたを開け、暗闇に光を迎え入れる。
焦点のずれた目をした男が、ロレッタの顔を覗き込んでいた。
「ぐじゅるるるるるる。」
ディジーズとロレッタの目が合う。ディジーズは肩をふるわせると、抜き足差し足でロレッタから離れた。
ロレッタはベッドから起きあがり、あたりを見回した。狭い部屋にベッドが二つあり、床に毛布が一つだけ無造作に置かれている。
小綺麗な部屋だ。どうやら宿屋にいるらしいと、ロレッタは思った。
それからロレッタは、ディジーズを見た。ディジーズの身体はやせ細っているが、筋肉がしっかりとついている。
「うじゅるるるるるる。」
ディジーズは怯えているようだった。変な男だとロレッタは思った。
深く息を吸う。
肺が空気で満ちて、息を吐くと同時に意識が覚醒する。
ロレッタは静かな目でディジーズをみすえた。なにかを心に決めていて、それ以外はどうなったっていい、そんな冷たさをもった澄んだ目だった。
「今日は何日だ?時間は?」
発されたロレッタの声には、わずかに焦りが浮かんでいる。
ディジーズは頭をかきむしりながら、質問に答えた。
「百九十二年、じゅ、十月、二十日。」
ディジーズが置き時計を両手で掴み上げる。時計が逆さになった。
「九時、十分。」
ロレッタはほっと息をついた。
ベッドからとびおりると、ドアに手をかける。
部屋から出ていこうとするロレッタの腕を、ディジーズが掴んだ。
「ど、どこいく?」
つかむ力は強く、ふりほどけそうにない。
「あ、あべるとが言ってた。え、えっと。」
ロレッタを指さし、ディジーズが言いよどむ。
「ロレッタだ。」
「お、おう。おれはディジーズ。そう、あべるとが言ってた。」
ディジーズはロレッタに二、三度頭をさげると、はっとして首を振る。
「ロレッタ、教会で保護されるって、あべると言ってた。それまで目を離すなって、おれにたのんだ。」
ロレッタは苦笑した。
「あんたには感謝してるよ。ありがとう。」
ロレッタはつかむ手を、指でほぐすように解いていく。
「でも保護は受けないよ。あたしの弟が売りに出されるんだ。なんとかして逃がさないといけない。」
「うう・・・?」
ディジーズの手がロレッタから離れた。ディジーズは不思議そうに自分の手をみつめた。
「それとも、あの商人をやっちゃったみたいに力尽くで止めるかい?」
「う、うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ。」
ディジーズが両手で自分の顔を覆う。
「お、おれ、そんなひどいことしてない。」
してない、してない、してない・・。ディジーズはうずくまって言葉を反復させた。
ロレッタが嘆息をつく。
「悪かったよ。」
もう自分を見ていないディジーズにそう言い残し、ロレッタは去っていった。
一人うずくまり、床に指を這わせるディジーズを、アベルトが蹴り起こす。
「おい、あの女どこやった?」
ディジーズは顔を上げた。
「あ、あべると。ロレッタ、だれか逃がすとかいって、でてった。」
「はぁ?」
アベルトが声を荒げる。
「おい、おいおいおいおいおい、お前にあの女みはっとけって頼んだよな俺?それぐらいカンペキにこなしとけよ。」
「う、ぅぅ・・・。ごめん、あべると。」
ディジーズは自分の親指を思いっきり噛んだ。皮膚が削れて、露出した肉から血が垂れた。
「あ、あべると。あの男死んだのか?」
「あの男ォ?」
「あ、あの、ロレッタつれてたやつ。」
アベルトは口を大きく開け、がしりと空を噛む。
「オメーがカンペキに殺したんじゃねーか。死体残んなかったからいいけどよォ。」
「お、おれ笑われて、アタマ真っ黒になって。そんなつもりじゃ。」
「るせぇーダマレ。んなことどーでもいいんだよ。」
アベルトは自分の頭を何度も指で小突いた。
「まァ・・・、これでよかったのかもしれん。この街での巡礼は終わってっからな。」
アベルトは旅の神官だ。神々に祈りをささげる、巡礼の旅をしている。信心があるわけではなく、そうしたほうが教会で出世できるからしていることだ。
「騒ぎにならんうちにずらかろう。あの女はまァ、自分で出ていったんならしょうがない。追いかけなくても神に背くことにはならんだろう。」
アベルトは鞄に荷物を詰め込むと、ディジーズに背負わせた。
「で、でも弟が売られるとか言ってたぞ?あ、あべると、人売りを見逃すのはおかしいんじゃないのか。」
「あー!あー!」
アベルトは大声を出してディジーズの言葉をかき消した。
隣の部屋から、ドンと壁を叩かれる。
声を潜めて、アベルトはディジーズに耳打ちした。
「めったな事言うんじゃねェー。おまえは世間ってもんをもっとしるべきだ。そりゃ人身売買は違法よ。しかしまァ今やってるやつはかなり根が深いやつだ。手ェ出すとなー。小指程度じゃすまないぜ。」
「う、ぅぅぅぅぅ・・・。」
ディジーズはとぼとぼと歩いて部屋から出て行く。
「あべると。人売りはどこでやってるんだ?」
「三番地区だな。だから遠回りしてこの街を出る。」
ディジーズはかけだした。宿を出て三番地区の方角へむかう。
アベルトの怒鳴り声が後ろから聞こえた。
たった二人の家族だった。
物心がついた時から一緒にいて、一緒に育った。親は早くに死んだが、弟と一緒に必死に金を稼いで暮らした。
強がりで聞き分けのないところもあったが、よく姉になつく可愛い弟だった。姉弟の間には、たしかな絆があった。
失うわけにはいかない。
大きなテントの中に、大量の人がいた。簡素な服を着たものと、みなりのいいもので別れている。テントの中に集まっているのは、奴隷と、そうでないものたちだ。
ロレッタは人の背から背へと隠れながら、弟の姿を探した。次々と奴隷に目をやるが、弟はいない。
ロレッタはステージの舞台裏へと入っていった。
舞台裏には檻に入った奴隷達が項垂れていた。そんな奴隷達を尻目に、ロレッタは弟を捜す。
小さく、弟の名前を呼んだ。
「おねえちゃん。」
返ってくる声があった。ロレッタが声のしたほうをむくと、弟が居た。
弟は檻に入ってはいなかった。ただ、体中傷だらけになって倒れている。
どうしてとロレッタは思った。商品が傷付けられることはないはずだ。弟が商人達に刃向かったのか、不興をかったのか、売り物にならないと判断されたのか。いくらか考えがよぎったが、答えがわかることはなさそうだった。
弟は姉をみて笑みを浮かべる。姉をみて安心しきったのか、糸が切れたようにそのまま事切れた。
いつのまにか、背後に商人風の男がたっていた。手かせをつけられたが、ロレッタは抵抗しなかった。
テントの中を通る風が、やけに冷たい。冷たさが開いた毛穴から入り込んで、ロレッタの体温を奪った。
なにかくろぐろとしたものが頭の中に湧き上がって、形にならず消える。
ディジーズを追ってアベルトがテントの中にはいると、ロレッタがステージにあげられていた。オークションをして、値を付けているようだった。他はともかく髪が綺麗だから、それなりに人気だろうなと、無責任にアベルトは思った。
ディジーズがステージにあがっていく。
あまりに奇怪な姿のディジーズに対し、好奇と不審の視線が刺さる。
あれは売り物か、サプライズか、そんな声があがった。
「ヤベェ・・・。」
アベルトが呟いた。額に冷や汗がにじみ出ている。アベルトは走ってテントの外へ出ていった。
自分に突き刺さる視線が、アベルトの感覚を支配した。
人間を見る目じゃあない、ディジーズは人々の視線に対しそう感じた。
このテントの中は、いやな感覚に満ちている。
思いやりが正しさといったものが、全くない。
ディジーズの内に、なにかくろぐろとしたものが湧き上がってきた。固く棘のように尖ったそれは感情だった。しかし、悲しみでも怒りでも諦めでもなかった。
おれを裏切ったな。
人はむやみに人を傷付けていけないはずだった。思いやりは正しさは絶対のものであるはずだった。
ディジーズの中を、真っ黒で固い棘が埋め尽くしていく。
許せないと思った。それだけがディジーズを支配して、道徳や正義は、どこかへ消えていった。
「ぐるっばっっっしゃァァァァァァァァァァ!!」
ディジーズは雄叫びをあげると、ステージから飛び降りた。飛び降りた先にいた男を、拳で思い切り殴りつける。
男からだがふくらんで破裂したかと思うと、血の変わりにトゲのついた球体が無数に噴きだしてきた。ウニのようなそれはまわりにいた商人や客達に突き刺さる。
トゲは小刻みに振動し、人体を傷付けていく。トゲにえぐられた箇所が新たなトゲとなり、ただトゲだけが増えていく。
大きな悲鳴があがった。
助けを求めてすがる手から、無事なものへとトゲが感染する。
数十秒もしないうちに、テントの人混みは遺体も残さず消えた。
「う、ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ・・・。」
ディジーズが頭をかかえてうずくまっている。涙をこぼし、泣いていた。
両親が死んだときの弟の姿に似ていると、ロレッタは思った。手かせがあたらないように気をつけながら、ディジーズの頭を撫でる。
ディジーズを呼ぶアベルトの声が、テントの外から聞こえた。
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子供のような狂人のお話です。ややファンタジー色。