No.986308

双曲の弓

サガを巡って二人の色男が争うお話です/ 笑 サガの親類関係など、妄想多数。自分で書いててアイオロスカッコイ〜と思ってしまいました。今回のオリキャラは個人的に超お気に入りです。全部持ってるのに、肝心なとこで負ける人(笑)

2019-03-06 13:48:27 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:1175   閲覧ユーザー数:1168

ゴトゴトと荒い岩場の道を一台の古馬車が進んでいく。素朴な農夫が手綱を取る横には、このシチュエーションに全く不釣り合いな男が座っていた。わずかにクリーム色を感じさせる艶やかなプラチナブロンドを真っ直ぐ腰まで伸ばし、緩やかなオールバックにしてうなじの所で上品に結んでいる。俳優ばりの凛とした容貌にハッとするほど澄んだブルーアウインの瞳。ミディアムグレーのスーツで身を固めた長身の肉体。その身体は、服の上からでも精悍で引き締まっている事が予想できるほど抜群のスタイルだ。まさに非の打ち所がない完璧な容姿だったが、切れ長二重の眼差しがどこか悪戯っぽく見えるせいで、決して他人に冷たい印象を与えない。馬車が揺れるたびに砂埃が舞い上がる事もまるで気にしていないようで、気さくに農夫に声をかけている。

 

「いい天気だね!このギリシャらしい真っ青な空が素晴らしいよ。」

 

「もうちょいこの馬が早く走れば最高なんですがね。餌をやったばかりで動きが遅いんですよ。年々食う量が増えちゃって。」

 

農夫のセリフに男は笑った。屈託のない楽しそうな笑いに、農夫の方も笑顔を返す。とかくインテリ風の人間には警戒心を抱く村人も、この男からは何も忌むべきものを感じない。

 

「こちらこそ、歩けばいいのにちゃっかり乗せてもらっちゃったからね。ところで、ロドリオ村には今も聖闘士はよく来るのかい?」

 

「聖闘士さま?ああ、来ますよ。食料や日用品の買い出しとか、アテネ市街へ出る時の通り道にね。年かさの聖闘士さまは、たまに病人や子供の怪我を診に来てくれたりしますよ。そりゃあ神さまみたいな人たちでね。」

 

「その中にすごい美人がいるだろう?ほら、前髪が分かれてて…… 」

 

男は、ほつれ毛の揺れる自分のおでこをツンツン指で突きながら笑顔で聞いた。

 

「ああ、美人ですぐわかりましたよ。髪がえらく長い聖闘士さまでしょう。何かこう、銀色っぽいていうか青っぽいてのか…… 確か双子で、どっちも別嬪さんでね。兄貴の方は真面目だけど、弟の方が今でも腕白っていうのかね。」

 

「そうそう。その子だよ。ははっ あいつら、元気でやってるみたいだな。」

 

「旦那、もうすぐ聖域の入り口に着きますよ。ほら、あの岩山の隙間にある細い階段。」

 

馬車が止まると、男は農夫にさりげなくチップを渡し、丁寧に挨拶をした。そして、鼻歌交じりにその階段を登っていった。

 

 

双児宮の裏口に入り、サガはホッと息をついた。昨日から数名の黄金聖闘士と近隣諸島への任務に出ていて、ようやく今帰ったところだ。ひんやりとした廊下の空気が気持ちいい。早く聖衣を外して大好きな長風呂を楽しもう。食事よりもまずお風呂。サガの足は自然と早歩きになり、プライベートスペースへの入り口に急いだ。

 

「…………… 誰だ?」

 

そこからは遥か遠くに見える双児宮の入り口。まだ高い日差しが光の壁を作り、宮の入り口を白く塞いでいる。その光を背に人影が立っていた。普段の聖域ではまず見られないスーツ姿の偉丈夫。腰までスラリと伸びた髪が風に揺れている。サガは金属質の足音を立てながらゆっくりとその影に近づいていった。人物の顔をはっきり認識した瞬間、サガは目を見開いた。そして…… いつものサガを知る者ならば到底信じられない仕草…… そっと視線を落とし、彼は頰を赤らめた。

 

「サガ……… 元気だったかい?」

 

「…………… リュンケウス……… 」

 

名前を呼ぶ以上の言葉が出てこず、サガはその場に立ち尽くした。リュンケウスと呼ばれた男は躊躇せずサガに近づくと、その身体を強く抱きしめ、愛しげに髪を撫でた。

 

 

 

「よし、一度休憩しよう!」

 

コロッセオで後進の指導にあたっていたアイオロスは、弟子たちが差し出すミネラルウォーターの瓶を受け取って石階段に座った。聖戦後、失われた命と共に13年分の肉体をも与えられたアイオロスは、今や黄金聖闘士の中でも群を抜くほど精悍な身体を持っている。身長も伸びて、今まで1センチの差を付けられていたサガをも追い越し、彼の瞳を見下ろすことができるのもアイオロスは嬉しかった。

 

「サガ、出張から帰った頃かな。今晩一緒に食事でも出来たら嬉しいんだけどな…… 」

 

瓶から唇を離し、愛しい人の顔を思い浮かべる。小さい頃から好きだったが、復活してからも二人の距離はあの頃のまま何も変わっていない。サガもまんざらではない様子だが、13年前のことが足枷になっているのか、なかなか心の内を見せてくれない。互いに一歩前へ踏み出す勇気がない状態なので、今はそれぞれの想いを胸に秘めている状態だ。

 

「とりあえず食事のお誘いでもしてみるか……… 」

 

アイオロスは平和な空を眺めながら呟いた。そんな彼の目に、信じられないものが飛び込んできた。顔を近づけて親しげに話しながらコロッセオに入ってくる二人組。一人は、我が愛しきサガ。そしてもう一人は………… 誰だ?

 

「今は何をしているんだい?」

 

「三年前にアメリカで起業してね。もともと太陽光パネルの研究をしていたんだけど、同じ分野の賛同者や関連企業と手を組んで、私が中心になって新しい会社を立ち上げたんだ。」

 

「そうか、ギリシャを出ていたんだな。 地球環境に関わるのだから立派な仕事だ。」

 

「グラード財団とも取引があってね。現在の女神アテナとも仕事でお会いすることがあるよ。いつ会ってもお元気そうだ。一般人が聞いたら意味がわからないだろうね。」

 

「確かに…… 説明を求められると辛い。そういえば、昔からお前は何かを作ったり発想したりする才能があったな。要領もいいし、奸智に長けているというか。」

 

「アハハッ 変な言い方するなよ。今度、有名誌のインタビューをいくつか受けることになっているんだ。載ったらすぐ君に送るよ。絶対読んでもらうからな。」

 

リュンケウスはサガの腰に手を回した。彼の無防備な笑顔に、先ほどまで少し強張っていたサガもいつの間にか緊張を解いている。

 

「フフ…… ありがとう、笑いながら読ませてもらうよ。あ、アイオロス!」

 

階段に座ったままポカンと見ていたアイオロスは、サガの呼びかけにハッと我に返って立ち上がった。アイオロスと目があった途端、リュンケウスはパッとサガの腰から手を離した。互いの視線が交差し、そのまま相手の目を捕えて離さない。僅かに周囲の気流が乱れる。

 

「紹介するよ。彼はリュンケウス。元は聖闘士を目指して修行をしていた男だ。こちらはアイオロス。私の幼馴染で、今は同じ黄金聖闘士として女神にお仕えしている。」

 

「どーも、コンニチハ。」

 

リュンケウスは親しげにアイオロスに手を差し出した。アイオロスはその握手に応えたが、リュンケウスの目が本当は笑っていないことにすぐ気づいた。身長が同じせいで、強烈な威圧感が真っ直ぐ正面から迫ってくる。手のひらから伝わる男の小宇宙は、現在一般人であることが信じられないほど大きく、驚くほど強い敵意に満ちていた。もしも闘いを挑めば、この男は嬉々として攻撃体制に入るだろう。それほどの余裕と鋭さが滲み出ている。しかし、そんな二人の握手をサガは穏やかな表情で見つめている。赤みさえ湛えているその頰に、アイオロスは逆に冷たいものを感じた。

 

“すごい…… 何て攻撃的な小宇宙なんだ…… サガ、お前は気づいていないのか??”

 

「リュンケウスは私たちと同じギリシャ出身だが、生まれ故郷のメッセニア地方で修行していたから、顔を合わせたことがないのは当然だ。」

 

「二人はどうやって出会ったんだい?」

 

すると、リュンケウスは待ってましたと言わんばかりにすらすらと説明を始めた。

 

「私とサガとカノンは親類なのさ。祖母が七人姉妹でね。サガの祖母は七番目、私の祖母は四番目。結婚して生まれた子供が男一人と女二人の三人兄妹で、二人の女のうち次女が私の母に当たるんだ。ちなみに兄弟は二人で三つ下の弟の名前はイーダース。」

 

「…………………… えぇっ」

 

「ロス、深く考えなくていい。簡単に言うと“はとこ”だ。お祖母様が姉妹というだけだよ。この男は昔からこういう感じなんだ。」

 

あれだけ威圧的な小宇宙をアイオロスに見せながらリュンケウスは楽しそうだ。この男は余裕を見せることで常にアイオロスを挑発している。それに気づいたアイオロスはその手に乗るまいと、口元に笑みを浮かべて相づちを打った。

 

「貴方からはとても優れた小宇宙を感じる。みすみす聖衣を逃すような男には見えないのだが。」

 

「まあ、いろいろあるのさ。」

 

リュンケウスは軽く両手を広げて見せた。サガに促され、三人はコロッセオの階段に並んで座った。もちろん中央がサガで、二人が彼を挟んでいる。アイオロスの指示で自主練習を始めた若者たちを眺めながら、三人は会話を交わした。

 

「聖戦が起きる予兆を感じた時は、内密に聖域に連絡を取ったんだ。元は聖闘士を目指した者だから、何か力になれないかって。でも、聖域に駆けつけることは止められたよ。聖域以外でも地上を守るやり方はあるはずだって諭されてね。私の職務は太陽光と関連があったから、あのグレートエクリプスが起きた時は、地上への被害を少しでも食い止めようと裏で奔走してたんだ。」

 

アイオロスとサガは彼の行為に深く感謝した。それでも、アイオロスはこの男に対して完全に警戒を解くことが出来なかった。真意が読めない男である。今の彼からは特に危険なものは感じない。誠実で、気さくで、朗らかな人物。一般常識もあり、むしろ好意的な人物である。それでは先ほどの小宇宙は……? アイオロスのじっと探るような視線に気づいたのか、リュンケウスは急に立ち上がって尻についた砂埃を払った。

 

「サガ、もう少し聖域を見たいから案内してくれるかい? あそこに見えるのが聖域のシンボルの火時計だね。佇まいが何とも美しい……… もっと近くで見たいな。」

 

「ああ、いいよ…… じゃあロス、明日ゆっくり話そう。 」

 

彼の横に立つサガがどこか嬉しそうなのは気のせいだろうか?…… チクリと棘が刺さったように胸が痛む。アイオロスは小さく息をつき、去っていく二人を黙って見送った。

 

鮮やかな夕焼けが空一面に広がり、聖域を囲む岩山を紅に染め上げる。コロッセオでの指導を終えたアイオロスは、帰り際に再び二人の姿を見た。聖域を見て回った後、おそらくリュンケウスは双児宮で休んでいたのだろう。サガを伴って今から出かけるようだが、アイオロスはサガの姿に目を奪われた。いつもはライラック色のチュニックや長衣姿のサガが黒のスーツを身につけている。黄金聖闘士の正装は黄金聖衣に違いないが、国外で一般社会に紛れて任務につく時のために、こういう衣装も全員装備している。それも滅多にないことで、このようにプライベートな時間を過ごすために着用しているサガを見たのは初めてだった。夜間はまだ少し冷えるため、スノーホワイトのトレンチコートを軽く羽織り、ネクタイの位置を直しながら階段を降りてくる。彼らの位置からアイオロスは見えていないようだ。夕闇が迫る薄暗い風景の中でも、サガの美しさは全く色褪せることがない。髪も香油で整えたのか一段と艶やかなウェーブで青白い光を放っている。リュンケウスの優れた容姿と相まって、二人並ぶ姿はこの世のものとは思えない神秘的な光景を作り出していた。コロッセオでの指導に明け暮れた一日だったとはいえ、埃にまみれた自分の姿にひどく後ろめたさを感じる。もちろん、今のアイオロスを見てもサガは決して非難などしないはずである。思い悩みながらも、未だ一歩も先に踏み出していないサガとの関係に対して、自分自身が勝手に引け目を感じているだけだ…… しかもサガとは親類筋だというあの男。余裕ある再従兄のリュンケウスとサガの間に、どうしても入り込めない強い絆を感じる。それは、カノンとサガの間に流れる強い血の絆に太刀打ち出来ないことにも似ていた。無力さを感じたアイオロスは二人から視線を外し、静かにコロッセオを後にした。

 

 

 

「ロドリオ村の入り口に車が置いてある。そこからアテネ市街に行こう。サガ、明日の予定はあるの?」

 

「二日間出張だったから、明日は休暇を取ってある。カノンも一週間くらい北欧出張で帰ってこないから、特に何も問題ない。」

 

「カノンに会えなくて残念だよ…… なんてね。本当はホッとしてる。あいつ、君と顔が同じなのに、会うとどうしても喧嘩になるから面倒なんだ。イーダースとも未だに最悪の仲だしな。やっぱり神話の宿命なのかな。」

 

「せめてこの時代の兄弟同士は仲良くしたいものだ。カノンにも言っておくよ。」

 

ロドリオ村へ抜ける岩道はすでに暗くなっていたが、二人は慣れた足取りで颯爽と通り抜け、リュンケウスの車が駐車してあるところまでやってきた。メタリックシルバーの新型ポルシェ911ターボ、この素朴で平和な村の風景に全くそぐわない車である。走れば光の軌跡を描くような車体の輝きは、どこか持ち主の艶やかで真っ直ぐなブロンドに似ていた。

 

「友人はフェラーリを勧めてくるけど、私はこっちの方が好み。さあ、乗って!」

 

いつもは聖衣を着けての超人的な移動ばかりだし、任務中でもこんな高級な車に乗っての移動はほとんどしたことがない。ナビシートに座る時、サガは不覚にも緊張してしまった。シートベルトをつけた途端、車は流れるように走り出し、あっという間にのどかな風景を突き抜けて市街地を目指して加速した。久しぶりに見るリュンケウスの端正な横顔。彼の大人の雰囲気に、ほんの二才しか違わない自分が子供のように感じてくる。

 

「確か聖闘士って免許取らされるんだよな。小宇宙があれば運転出来ちゃうけど、さすがに交通規則は学ばないといけないからね。」

 

「ああ。年齢が来たら全員義務的に教習所に行ってる。ただし免許証は偽名で、職業も適当だけど。アイオロスは復活してからすぐに取ってた。」

 

「へえ、そうなんだ。ところでサガは何て名前で取ったんだい?」

 

「……… お前には言えないな。絶対言いふらしそうだから。」

 

サガの返事にリュンケウスは身体を揺らして笑った。こういうところは子供の時から変わっていない。サガも一緒に笑った。

 

「よく泊まるホテルのレストランに一度君と行きたかったんだ。今までギリシャに来てもその時間がなくてね。来てくれてすごく嬉しいよ。」

 

ステアリングを握っていた手を片方外し、さりげなくサガの手に重ねる。軽く置かれたその温もりは、時折撫でるように動いたり、そっと握るようにも動いた。サガは気にすることなく真っ直ぐフロントガラスの向こうを見つめている。面影を残しつつも成長したサガの容顔は目を見張るほど美しい。ずっと会っていなかった分、その驚きもひとしおである。長い睫毛がかすかに震え、エメラルドグリーンの瞳を隠す様は、とても男性の持つ色香とは思えない。滑らかな肌も、ビジネスマンであるリュンケウスより聖闘士であるサガの方がずっと白くきめ細やかだ。まさに地上に舞い降りた天使。そんな彼を愛車に乗せて走っているリュンケウスの心は自然とときめいた。

 

「今夜は素敵な夜になりそうだね…… 」

 

二人を乗せた車は、街明かりを反射して銀色の彗星のごとく走り抜け、観光客で賑わうアテネの中心街へと消えていった。

 

 

 

ライトアップされたパルテノン神殿がアクロポリスの丘に輝く。アテネの街を守護するように鎮座する様は、どこか自分の住む聖域と似ている。ただ、ここには真の平和を感じさせる人々の活気が満ち溢れている。あの過酷な聖戦から帰還した今、サガは改めてこの世界を守りきれたことに深い喜びを感じていた。

 

「すごい眺めだ…… 普段はこんな風にギリシャの街を見ないからとても新鮮だよ。」

 

フランス風にアレンジされた郷土料理のコースの最後に、ワインのシャーベットと紅茶が運ばれてくる。サガはコーヒーよりも紅茶を好むことを覚えていたリュンケウスは、そういう小さな気配りもスマートにこなす。フルーツ味のアイスクリームやジェラートが大好物のサガは、初めてワインのシャーベットを口にしてその美味しさに驚いた。彼の素直な反応にリュンケウスも嬉しそうだ。

 

「私は風景よりも君ばかり見てしまうよ。髪を結ってると可愛いね。」

 

食事中、サガは長い髪を黒のリボンで柔らかくまとめていた。向かい側に座るリュンケウスも、ホテルに着くと砂埃のついたスーツを脱いでシャワーを浴び、黒のスーツに着替えた。髪も整えてサガと同じ黒いリボンでまとめており、二人が笑顔で向かい合う様は神々しいほどの美しさである。同じ時刻に席に着いた客人たちは、当然ながらこの神秘的な二人に注目し、御婦人だけでなく紳士方も一緒になって好みの方へ熱い視線を送っていた。

 

「いつもこちらを利用するんだけど、今度一緒にあの丘のホテルに泊まろうか?」

 

リュンケウスはリカヴィトスの丘を示しながら椅子に寄りかかった。

 

「そういえば、リュンケウスはよくメテオラに住むのが夢だって言ってたな。高いところ大好きだって。今でも行ったりするのか?」

 

「いや、行かないな。確かに魅力的だけど、あの辺は人気の観光地になってしまって、結構騒々しいって聞いたよ…… 修行僧もアトス山の方へ移動していると聞くし。ああでも、君と一緒になら住みたいと思うけどね。」

 

そう言って笑ったリュンケウスは、サガの目をじっと見つめた。その視線が普通ではないことにサガはすぐに気づき、周囲を軽く見渡してから小声で彼をたしなめた。

 

「やめろ…… こんなところで小宇宙を使うのは卑怯だぞ。」

 

「ハッハッ、バレたか。普通の人間ならコロッと簡単に落とせるけど、さすがに現役の黄金聖闘士相手ではね… 」

 

「まさかビジネスでもその力を使ってるんじゃないだろうな? 女神や教皇の耳に入ると、聖域から正式にお叱りを受けるぞ。」

 

「さあ…… どうかな? 私は聖闘士じゃないしね。」

 

素知らぬ顔をする彼に、サガも珍しく笑みで返した。神話上、リュンケウスという名は“大山猫の眼を持つ者”という意味を持つ。その名にふさわしい並はずれた視力を持っており、深い闇の中でも目が利くだけでなく、地下深部まで見通すことができる。小宇宙を持つ彼は神話上の人物以上の力を持ち、その優れた眼力で相手へ精神攻撃を与えたり、衝撃波を撃つことも出来るのだ。ただし、さすがのリュンケウスもサガが相手ではその能力を完璧には発揮しづらい。黄金聖闘士最強を謳われたサガを眼力で従わせられる者など、同じ血を汲むカノンを以ってしても難しいことだった。

 

「それにしても、君たち双子はお祖母様の若い頃にそっくりだね。アルバムを見た時はびっくりしたよ。私のお祖母様がいつも羨ましがっていた。末の妹は絶世の美女だったって。名前もヘレネだったから、当然と言えばそうなるのかな。」

 

「成長するたびに親戚中にもよく言われてたよ。ところで、お父上は元気かい?」

 

「大丈夫だよ。今はアメリカにいるから、何かあれば最先端の治療を受けられる環境にある。普段は弟夫婦が一緒に暮らしてて面倒見てくれてるし、その辺は安心してるよ。」

 

良かった、とサガは笑顔で頷いた。サガが大事そうにワインのシャーベットを食べ終え、紅茶も飲み終わる頃、リュンケウスはさりげなく腕時計を見た。

 

「サガ、ちょっと私の部屋に寄っていかないかい? その部屋から見える景色も素敵だよ。もっと積もる話もしたいしね。」

 

「ありがとう。少し休ませてもらうよ。」

 

テーブルチェックを済ませると、リュンケウスは周囲の熱い視線など全く気にせず、サガの腰に手を当てながらレストランを後にした。

 

 

サガが聖域に戻ってきたのは明け方近い時間になってからだった。

 

 

翌日もアイオロスは指導を行うためにコロッセオに向かっていた。本来ならば、弟アイオリアが今日の当番だった。朝、教皇宮へ行くと、本日の任務をアイオリアと交代するよう通達があった。年少組の黄金聖闘士たちの研修も兼ねて、今回の任務はアイオリアに任せたいとのことだった。闘うことよりも、異教の戦士との会議や接客は色々と肩のこる任務である。頑張れよアイオリアと心の中で言いながら、アイオロスは両腕を空へ突き出し、大きく身体を伸ばした。弟子たちは、今日も英雄アイオロスに指導を受けられるということでテンションが上がり、コロッセオに元気な挨拶の声が飛び交っている。ふと、アイオロスは見たことのある人影に気づいて声をかけた。

 

「ああ…… 貴方は昨日来られた…… 」

 

「おはよう、アイオロス。」

 

リュンケウスは昨日と全く変わらない紳士的な姿でコロッセオに入ってくる。端正な、あの人好きのする笑顔で。近くまで来ると彼は突然アイオロスに言い放った。

 

「アイオロス、私と勝負しないか?」

 

「貴方と?」

 

「そうだよ。不服かい?」

 

やはりそうだ。表面上は落ち着いた礼儀正しい紳士。しかし、その小宇宙は異常なほどアイオロスに敵意を向けてくる。しかもその威力は昨日の比ではない。彼の小宇宙は殺気に満ちている。

 

「どうだい? やるのか、やらないのか。フフ…… 俺が怖いか?」

 

明らかにアイオロスを挑発するセリフだ。ただ、こういうことに慣れているアイオロスは、簡単に相手の誘いに乗ったりしない。そもそも、私闘は女神や教皇に禁じられているのだ。やれやれ…… と苦笑を浮かべた途端、頰に小さな違和感を感じた。

 

「おっ……… 」

 

頰に手をやると、血がついていた。リュンケウスは笑っている。彼はどこも身体を動かしていない。その眼力だけでアイオロスの頰に見えない拳を打ったのだ。彼は本気でアイオロスと闘おうとしている。おそらく拒否することは出来ないだろう。リュンケウスは優雅にジャケットを脱ぐと、近くで呆然と立ち尽くしている若者の肩に放り投げて掛けた。

 

「そんな格好で私と戦うのか?」

 

「お前にはこれで十分だよ、アイオロス!」

 

今までの柔和な笑顔が一瞬で消え失せた。みるみるうちに彼の瞳は野獣のような目つきに変わり、瞳孔も細長い縦状に変化している。リュンケウスからほとばしる殺気にアイオロスは防御の姿勢を取らざるを得ない。そして、その背後に現れた小宇宙の形にアイオロスは息を呑んだ。

 

「見えるか? 俺の宿命星が…… 」

 

リュンケウスの背後に現れた影は、長い衣を肩からなびかせ、木の幹のように太い腕で弓矢を構えている。その下半身は人ではなく筋骨隆々とした馬だった。

 

「俺も射手座の候補者だったのさ。俺には生まれつき優れた小宇宙が宿っていた。将来は聖域に赴き、黄金聖闘士になると親族全員が思っていた。だが、弟が生まれてまもなく、家族で訪れた地域で壮絶なテロに巻き込まれた。俺たち兄弟は奇跡的に無事だったが、母は死に、父も重症を負った。」

 

戦闘態勢に入ったリュンケウスの小宇宙が暗い焔の色を帯びる。激しい怒りと共に溢れ出す、やり場のない哀しみ……

 

「俺は強くなりたかった。身体の不自由になった父や幼い弟、自分の大切な人たちを守るために最強の聖闘士を目指した。でも、父は意外にもそれを喜ばなかった……… 結局、戦争を嫌う父のために、俺は聖闘士の道を捨てたのだ!」

 

言い終わると同時に鋭い光弾が繰り出される。その動きはとても聖闘士の修行を途中で断念した者とは思えない。この拳をまともに食らったら、おそらくここにいる若者たちなど一瞬であの世行きだろう。アイオロスは両腕でガードしながらその拳を避け、自ら撃つことはしない。あくまでも私闘を避けようとするアイオロスに対して、リュンケウスは容赦なく瞳から矢のような光拳を連射し、強烈な膝蹴りをも繰り出す。あちこちで爆破音と砂煙が上がり、コロッセオにいた若者たちはその迫力に驚いて二人から遠く離れて見守った。

 

「私と同じ宿命星…… だから、あれほど敵意に満ちた小宇宙を私に向けていたのか。」

 

「俺の小宇宙は、未だに射手座の聖衣を諦めていない。正統な継承者に選ばれたお前を恨んでも仕方がないことだ。しかし、俺自身は今さら聖衣などいらん。その代わり、最も欲しいものをこの手に掴んだからな!」

 

リュンケウスは不敵な笑みを浮かべ、アイオロスの目を捕えて言った。

 

「サガは俺がもらうよ。」

 

「何だと…… ?」

 

「サガは俺と一緒に聖域を出るんだ。彼がその道を選んだ。」

 

アイオロスの眉間が深く刻まれる。聞き捨てならないセリフだった。サガが聖域を出る、しかもこの男のものになるなんて…… そんな話、とても信じられない。初めて苦痛の表情を見せたアイオロスに対して、リュンケウスはさらに彼を挑発した。

 

「昔からサガは俺のことが好きでね。お前も見ただろう? 俺を見つめる時の彼のすがるような瞳を。昨夜も自分からそう言ったんだよ。リュンケウスを心から愛してるって。一緒に生きていきたいって。俺の腕の中でね…… 」

 

アイオロスはその言葉に動じなかった。そればかりか、拳を交えているにも関わらずアイオロスは両手を下ろし、ただ静かにリュンケウスを見つめている。

 

「それはサガの意志ではない。彼は女神アテナに忠誠を誓っている。それに…… 彼がこの聖域を捨てることは考えらない。」

 

リュンケウスの威嚇を物ともせず、アイオロスは落ち着いた様子で立っていた。先ほど一瞬だけ見せた動揺も今は消え、彼はじっと相手を見据えている。アイオロスの背後に見える人馬神ケイロンは、射手座をかたどる星の中で静かにその姿を輝かせ、同じ宿命星のリュンケウスとは正反対の青白い小宇宙を立ち上らせていた。まさに聖域の英雄アイオロスに相応しい堂々たる小宇宙である。その態度にリュンケウスの胸に怒りがこみ上げた。

 

「お前の理屈などどうでもいい。サガ自身が決めたのだ。あいつは俺と一緒に行く。あいつは俺のものだ…… 必ず連れて行く…… その前に、お前だけは今ここで絶対に倒す。この先、お前が二度とサガの前に現れないようにするためにな!!」

 

またしても激しい拳がアイオロスを襲ったが、瞬時にその場から姿を消して攻撃を交わしていく。アイオロスは一度も拳を撃っていない。一方的にリュンケウスが攻撃しているにも関わらず、その身体に一発も当てることができない。リュンケウスの額から汗が流れ落ちた。焦りを感じつつも怒りの形相で迫ると、今度はアイオロスがフッと笑みを浮かべた。

 

「今は貴方の心がはっきりと見える。貴方は嘘をついている。」

 

「何だと………?」

 

「わからないか? 今の貴方の心は明け透けだ。貴方が次に撃とうとしている方向が、私には手に取るように分かる…… サガが言った言葉は、本当は逆だろう。だから貴方は私に闘いを挑みに来たのだ。彼を確実に自分の手に取り戻すために。」

 

「黙れ!!!……… 」

 

一際大きい光弾を飛び避けると、アイオロスは強い決意を込めてはっきりと言い放った。

 

「サガはこのアイオロスのものだ。誰にも渡さない。」

 

 

カーテンから差し込む光を感じて、サガはゆっくりとベッドから起き上がって目をこすった。宮に戻った後、ゆっくり風呂に入ってから床に着いたが、思ったほどあまり深く眠れなかった。ミネラルウォーターを片手に、キトン風に仕立てられたリンネルの寝衣を着たまま部屋を出て、宮の入り口の柱に寄りかかる。休暇を取っておいて良かった…… そう呟きながら、ガラス瓶に口をつけて冷えた水を飲む。今日も聖域は良い天気だ。

 

「………………?!」

 

サガの眉間を強烈な小宇宙が貫く。しかも二人分。間違いなくコロッセオの方から飛んできたものだ。サガは瓶を投げ捨てると寝衣姿のままで階段を駆け下りた。

 

「この小宇宙はアイオロスとリュンケウスのものだ。リュンケウス…… 今日アメリカに帰ると言っていたのに……! 」

 

コロッセオに入ると、案の定二人が向き合っている姿が目に入った。サガが来たことに気づいた若者たちは、彼の姿があまりにも扇情的なので思わず顔を赤らめていたが、それでも慌てて声をかけた。

 

「ああサガ様!どうかお取り成しを……! あの勢いでは、我々ではとても無理です!」

 

そうしているうちに、リュンケウスの拳がアイオロスの鳩尾を狙って動く。

 

「二人ともやめろ!!!」

 

制止する声が響き渡った途端、アイオロスは一瞬サガの方を見た。その瞬間を狙ってリュンケウスは強烈な一撃を放つ。周囲はリュンケウスの拳がアイオロスの身体を貫いたように見えた。

 

しかし。

 

「うっ………… 」

 

呻いたのはリュンケウスの方だった。組み合ったまま二人は動きを止めている。リュンケウスの渾身の一撃は確かに標的を狙ったものだったが、見事にアイオロスの太い腕によるガードで防がれていた。サガの声にようやくリュンケウスも我に返り、深く呼吸をしてゆっくり瞼を閉じた。その瞳がもう一度現れた時、彼の美しいブルーアウインの瞳はいつもの穏やかな眼差しに戻っていた。彼はアイオロスの肩に手を当てると、静かに身体を離した。周囲がどよめく中、サガは慌ててアイオロスに駆け寄った。

 

「アイオロス…… すまない、すべて私のせいだ。まさかこんなことになるとは…… 」

 

「大丈夫だよ。どちらも怪我はない。とにかくお前が来てくれて良かった。」

 

アイオロスは何事もなかったかのように笑顔を見せ、肩に当てられたサガの手に自分の手を重ねた。その様子を見ていたリュンケウスはため息をつき、今はもう何の敵意もなくアイオロスに話しかけた。

 

「アイオロス、お前の勝ちだよ。お前は私の拳を止めただけじゃない…… もう片方の手刀は確実に私の首の急所を狙っていた。あれが本当の闘いだったら、私は間違いなく死んでいた。完敗だよ。」

 

やれやれと両手を広げながら、彼はアイオロスに微笑んだ。

 

「私はお前への攻撃しか頭になかった。愛する者が叫ぶ声すら耳に届かないほど余裕がなかった。でも、お前は違う。あんな状況でもサガの声を聞き分け、私の攻撃を止めながら、さらに相手の急所をも突く。私にはとてもあんな動きは取れない。」

 

リュンケウスは悲しい微笑みを見せながら、今度はサガの方へ向き直った。

 

「サガ…… 君を連れ出したかった。この聖域から。この殺伐とした闘いの世界から…… 社会的に成功した私なら、聖域の外で君を幸せにできると本気で思っていたんだ。」

 

そう言いながら、リュンケウスは昨夜の出来事を思い出していた。

 

 

 

食事の後、サガはリュンケウスに案内されて彼の宿泊するスイートルームへ入った。レストランとは別角度の夜景を一緒に眺め、リビングのソファでワインを楽しんでいる時までは本当に穏やかなひと時だった。今はだいぶ少なくなってしまった親類たちのこと、リュンケウス兄弟とカノンの仲が悪くなった原因が、子供の時のお菓子を巡る争いだったこと、大人になってからのそれぞれの人生のこと……… 懐かしい話に完全にリラックスした状態のサガを見て、リュンケウスは急に話を持ちかけた。

 

「サガ、私と一緒にアメリカに来ないかい? 私のマンションなら、二人で住んでも十分すぎるくらいだよ。君は綺麗なキングスイングリッシュを話せるし、稀有な容姿を持っている。社交界に連れて行ったら、それこそ皆一発で君に堕ちるだろうな。」

 

もっともそれ以上は近づかせないけどね、とリュンケウスは笑って言った。昔から変わらない、彼らしい素直な笑顔だった。しかし、サガは丁重に断った。その後何度もリュンケウスは言葉を変えて誘ったが、どうやってもサガは首を縦に振らない。それどころか部屋から出て行こうとしたので、リュンケウスはサガの腕を捕えてソファに押し付けた。サガを見つめるその瞳の奥に、赤黒い小宇宙が宿る。彼はもう一度眼力を利用しようとしていた。それも至近距離から。先ほどレストランで使おうとした時よりも遥かに強力で、攻撃と呼べる大きさだった。リュンケウスはサガの精神を犯そうとしている。それでもサガは抵抗しなかった。少しも怯むことなく黙ってリュンケウスを見つめ返している。柔らかなソファに青真珠の髪を大きく波打たせ、深い湖のような翠を湛える瞳の素晴らしさに、リュンケウスは思わず目を細めた。

 

「サガ…… 昔から君に会うたびに心が踊った。どんなに完璧な美女や容姿の優れた青年を掌中に収めても、君の記憶を打ち消せる者など一人もいなかった。」

 

そう言いながら、リュンケウスはサガの白い額に軽く口づけた。挨拶にも等しい優しいキスだった。サガはその瞬間だけ瞼を閉じて受け入れた。

 

「私なら君の聖域での過去なんか気にもしない。それなのに、君は一度だって本気で私を見つめてくれない…… 君が私の前でとる仕草は演技なのかい? 君はいつだって私を誘惑していたんじゃなかったのかい?」

 

「リュンケウス…… 確かにお前のことはずっと尊敬していた。一緒にいると話題も豊富でとても楽しかった。いつも年下の者たちの面倒をみる立場だった私を、お前だけは目一杯甘えさせてくれた…… お前は私の大切な親族。大好きな再従兄。でも、そこまでの関係だ。それ以上はない。」

 

表情は柔和だったが、少しの迷いもないはっきりとした言葉だった。しかし、それでリュンケウスが簡単に引き下がることはない。

 

「今から君を襲うかもしれないよ? 私だって、本気で闘おうと思えばそれなりに手強い存在だ。これでも黄金聖闘士級の力は持っているからね。怖くないのかい?」

 

「もとよりそんな警戒は必要ない。お前はそういうことは絶対にしない人間だ。」

 

自分の方が心を見透かされているようで、リュンケウスは苦笑した。

 

「舐められたものだな。今まで優しくしすぎたのかもしれないな。」

 

「でも真実だ。これでもお前のことはよく知っている…… 今日ここへ来たのは、はっきり返事をするためだ。そろそろ放してくれ。」

 

それでもリュンケウスの手はサガを押し付けたままだ。さらにグッと手首を強く掴む。そこまでされても、サガは真っ直ぐリュンケウスを見つめたままだった。その目がまるで憐れなものを見るような視線に変わったので、リュンケウスは少し声を荒げた。

 

「じゃあ、私も君のことを全部知りたいな。片方だけが相手のことを知っているなんて卑怯じゃないか。」

 

「これ以上何が知りたい?……… 言ったはずだ。お前とは」

 

「君の心は誰かに奪われたままだ。これだけ接近しても、君の瞳に私は映らない。心の奥深くにその者を覆い隠し、この私の眼力をもってしても、それが誰なのか探れないのだ。」

 

「…………………………………… 」

 

「答えろサガ!!そいつの名前を!! どんな女だ?…… それとも、男か!!?」

 

豹変し、火を吐くような勢いでリュンケウスは問い詰めた。反してサガは優しい笑顔を浮かべ、静かに、そしてはっきりとその人物の名前を告げた。

 

 

 

「名前を聞いた瞬間、本当にショックだったよ…… サガの心を奪った者が、よりによってコロッセオで出会ったあの純朴な青年だったとはね…… だが、それでも私はサガを諦められなかった。あのまま黙ってアメリカに帰ることなど、とても出来なかったのだ。」

 

「それで、貴方は最後の賭けをしたのか……… 」

 

「お前には射手座の聖衣だけでなくサガまで取られた。惨敗だ…… 本当に情けない。」

 

リュンケウスは笑顔で服についた砂埃を叩いた。アイオロスはサガの顔を見てから、リュンケウスの方へ向き直り、静かに語りかけた。

 

「これだけは貴方に言っておきたい……… 戦争を好む聖闘士など聖域にはいない。貴方の父親と同様、我々も誰一人戦争など望んでいないのだ。」

 

「…………………………………… 」

 

「我々は女神アテナの望まれる平和のために、その礎となるために存在する。小宇宙は平和を実現するために必要不可欠な力なのだ。」

 

「サガと同じことを言うんだね。参ったよ…… でも、これではっきりした。」

 

「リュンケウス……… 私は……… 」

 

「サガ、お前にもすまないことをした。十分理解したよ。お前を困らせたくなかったのに、とんでもないことをしてしまって…… ああ、くれぐれも今日のことは女神サマや教皇サマには黙っててくれよ。」

 

リュンケウスは悪戯っぽく口元に人差し指を当てた。そして、先ほど若者に渡したジャケットを受け取りに歩き出した。その背にアイオロスは声をかけた。

 

「良かったらまた訪ねて来てくれ。貴方は悪い人じゃない。それに、サガの大切な親類でもある。貴方とはもっとゆっくり話がしてみたい。」

 

「おいおい、そんなお人好しだと私はすぐ調子に乗るよ? 隙あらば二人の間に入ろうとするような男だからな。」

 

「大丈夫だ。サガと二人で歓迎するよ。人馬宮で。」

 

サガの肩をしっかり抱きながら笑顔を見せるアイオロスに、リュンケウスはニヤリとした。そして、愛しさを込めてじっとサガを見つめた。

 

「サガ、元気でな…… 必ず幸せになってくれ。」

 

「リュンケウス、お前も元気で……… 」

 

愛しているよ、サガ。

いつまでも君を愛している……

 

その言葉を声に出すことなく、優しい微笑みのまま、リュンケウスはジャケットを肩にかけて静かにコロッセオから出て行った。

 

騒々しい朝だったが、その後はいつも通りの聖域の風景が戻ってきて、アイオロスとサガもそれぞれ予定通りの一日を過ごした。夕刻、指導を終えたアイオロスは人馬宮へ向かって階段を上っていた。双児宮の手前で顔を上げると、入り口にサガが立っているのが見えた。彼のトレードカラーであるライラック色のチュニックだが、その裾がいつもより長く優雅なドレープがかかっていて、アイオロスは照れて視線を泳がせた。

 

「お帰り!アイオロス!」

 

紅の十二宮に響く愛しい人の声。やっぱり自分を待っていてくれたんだ…… そう思うと心が踊って、アイオロスは笑顔で階段を駆け上がった。

 

「サガ…… 今朝は大変だったな…… 」

 

「ロス……… お前こそ…… 」

 

そのまま、二人は抱きしめ合った。こんな素直にスキンシップをしたことがなかったのに今は自然にできる。本人は不服だろうが、リュンケウスの存在は奇しくも彼らの仲をより深めることとなった。夕闇の中で抱きしめ合いながら、アイオロスはサガの耳元で呟いた。

 

「リュンケウスは強かった…… 現役の黄金聖闘士に比肩する強烈な小宇宙を持っていた。過去の私だったら、本当に負けていただろう。それに…… 力だけではなく、彼は愛情も深く魅力的な人物だった。」

 

サガの髪を撫でながら、アイオロスは小さく息をついた。

 

「彼が射手座の聖闘士になっていたら、今、私が持つすべてが彼の手の中にあったかもしれない。 聖衣だけでなく、お前自身も。」

 

不安げな声でそう言い、グッとより強くサガを抱きしめる。たとえ聖衣を失っても、この腕の中の愛だけは絶対に渡したくない…… アイオロスの悲痛な心の叫びが聞こえてくる。そう察したサガは、身体を少しだけ離し、背の伸びたアイオロスを見上げて微笑んだ。星の瞬きのように優しい笑顔だ。

 

「ロス、私はそれでもお前を選ぶよ。お前が聖闘士でなくても、私はお前しか愛さない。ロス…… 私を信じてほしい……… 」

 

アイオロスの首筋に顔を埋めて嬉しそうに目を閉じる。互いに長い刻をかけてようやく手に入れた真の幸福。アイオロスは祈るような気持ちで再びサガの身体を強く抱きしめた。日が沈み、少し冷んやりとした空気が流れてくる。サガは思い出したように顔を上げ、アイオロスに向き直った。その頰にやや赤みが走っている。

 

「アイオロス…… 実は、夕食を作ったんだ。カノンは今夜も帰らないし、良かったら一緒に食べないか?」

 

「え! いいのかい?!」

 

「お前の好きそうなパスタと肉料理を多目に作ってみた。他にもデザートとか色々ある。一人では食べきれないから…… 」

 

そう言って、サガは赤い顔のまま俯いた。

 

「もちろん食べるよ!!…… ああ、こんな埃まみれで申し訳ないけど……」

 

「この宮の風呂に入るといい。着替えも渡すよ。その間に料理を温めておくから。」

 

「ハハッ まるで新婚さんみたいだな。ご飯よりお風呂が先だなんて…… 」

 

アイオロスは笑っていたが、急に自分の言ったセリフが恥ずかしくなり、サガに負けないくらい赤くなった。仲良く二人で赤面し、クスクス笑い、笑顔を交わす。そして、瞼が閉じられると同時に、二人は初めて口づけを交わした。

 

 

 

 

 


 
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