No.985714

夜摩天料理始末 45

野良さん

式姫の庭の二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/985614

引き続き、陰陽師君のお話。

2019-03-01 21:51:15 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:532   閲覧ユーザー数:527

「都市王!」

 彼が諦めかけたその時、鋭い声と共に、誰かが、彼と都市王の間に割って入り、その剣に、手にした重厚な斧を叩き付けた。

 堅い鉄同士がぶつかり合う、耳をつんざく高い音が法廷に響き渡る。

 二人の斧を回収してきた夜摩天が、こちらも走り寄りざまに、都市王の剣を真向から受け止めていた。

 都市王が低く、不服そうな唸りを上げた。

 それが、手に走った痺れの故か、それとも、目論見が外れた事に対してだったかは知る由もないが。

 都市王は、夜摩天との力比べで、それ以上足を止めるのを嫌ったのか、剣を噛み合わないように微妙に滑らせて外し、彼女の傍らを駆け抜けた。

「……ふむ、彼の意識は怪しいですが、戦の技と、私の力は忘れていませんか」

 そう呟く、夜摩天の手にした斧が、いつの間にか赤熱した色を帯びていた。

 閻魔、夜摩天のみが振るう事を許された、地獄の炎を纏う断罪の斧。

 もし都市王が夜摩天の斧とまともに力比べをしようとしていたら、さしも彼の持っていた業物でも、その刃を溶かされていただろう。

(手ごわいですね)

 夜摩天は、距離を取ってこちらを向いた都市王を睨みながら、もう一方の手にしていた斧を、走り寄って来た閻魔に手渡した。

「あんがと、やっぱり私たちはコレじゃないとねー。にしても、片手であれを止めるとは、やるじゃない」

「駆け抜けざまに切り捨てようと言う程度の力でしたのでね、まともに腰を据えた一撃だったら、流石に無理でしたよ」

 手に残る、重い一撃の感触を思い出し、夜摩天は顔をしかめた。

 これは、いかに閻魔と夜摩天の二人がかりでも、勝負は五分五分か……。

 夜摩天は視線を都市王に向けたまま、背に庇った相手に、低く声を発した。

「隠形術を使っているという事は、あの陰陽師ですね……無事ですか?」

「……」

 夜摩天の声に応えるように、空間が揺らぎ、件の陰陽師が姿を現した。

 それを見た閻魔の眉が不審そうに僅かに顰められる。

(確かに隠形術ね……けど何故、現世の術が使えるの?)

 冥府の法廷は、その判決の厳正さを保つ為に、強大な力で護られている。

 余程の陰陽道の達者が、生き身、つまり現世と縁を有した状態でこの地に足を踏み込んだ場合でも無ければ、現世の力や術を振るう事などまず出来ない筈。

「……何故だ?」

 だが、疑問の言葉は閻魔では無く、当の陰陽師の口から発せられた。

 前を向いたままの夜摩天の背に。

「何がです?」

「何故、私などを助けた?」

 あの時、彼を助けようとしなければ、都市王が彼を斬り捨てる隙を突いて、夜摩天は不意打ちから致命的な一撃を加える事も出来た筈だ。

 難敵に対する千載一遇の好機を捨てて、彼女は、自分などを助けた。

 何故だ。

 彼には、彼女の行動が理解できなかった。

 その苛立ちが声に籠もる。

 だが、その彼の言葉とは、対照的な静かさで、夜摩天は言葉を返した。

「夜摩天は死者の生前の行いを裁き、次の行先を定め、その存在をここから次なる生へと送り出すが役目」

 故に、この閻魔庁内での魂の安全を守るのは、私たちの大事な役目。

 それは余りにもお行儀のいい、裁判長という職に相応しい、模範的な答えで。

 お上品なその言葉は、今この時、命がけの戦いの中で聞くには、余りに空々し過ぎた。

 それを聞いた陰陽師が苛立ったように -今、そんな場合では無いと知りつつもー 声を荒げた。

「私のような、地獄に行くべき魂でもか?!」

 このような罪深き極悪人の魂を、何故守った。

「いかなる悪行、醜行の果てに、この冥府に至りし魂であってもです」

 きっぱりと放たれたその言葉には、一切の揺らぎも無く。

 静かな信念に支えられたその言葉は、行儀のいい言葉の持つ特有の軽さは微塵も無かった。

「いかなる罪深き生を送った存在であれ、その魂を置くべき場所はあるのです」

 私たちは、その魂が歩んできた道筋を見定め、次に赴くべき、その魂に相応しい場所を定めるだけ。

 悪行の先には地獄を示し、人に足らざる魂ならば畜生と為し、貪欲のゆえに道を踏み外すならば、餓鬼にもしましょう、血を好み、暴力を以て他者を踏みにじる者には、修羅として、無限の闘争を定めましょう。

 善悪の狭間に迷う魂には、人として惑い悩む生を送らせましょう、永遠に等しき安逸の時の果てに待つ魂の腐食、その最大の試練を受けるに足る魂には、天界への道を開きましょう。

 そうして、一つの生を終えた魂に、次なる生を示すのが私の役目。

 その魂が、幾億の遍歴の果てに、何に目覚め、最後にどこに辿り付くかなど、誰に知りようもない。

「生前の行為は正しく裁かれ、賞罰は下されねばなりません、ですが……」

 

 自分のこの信念が、本当に正しいのか、それは彼女には正直判らない。

 だけど、私は……私という『夜摩天』は、それを信じて前に進む。

 至らぬ私に、この冠を預けてくれた先代。

 そして、魂の滅びの間際に、この冠を、私に託してくれた人。

 その、思いの先に自分は居る。

 だから、私は今、その自分の在り様を、自信を持って受け入れる事が出来る。

 

「冥王は、いえ、誰であれ、魂の存在自体を裁き、その消失を是とするような、そんな傲慢な存在であってはならないのです」

 

 その静かな言葉に宿る厳粛な威に打たれ、陰陽師は知らず膝を突いていた。

 生きるための演技として、幾度も膝を屈し、この頭を下げて来た。

 だが、それとは違う。

 ぼろぼろの法衣を纏い、乱れた髪の上に、血が付き、くしゃくしゃになった冠を戴いた姿に。

 力も権力も持ち合わせながら、それに寄り掛かる事無く、悩み苦しんだ果てに得た答えを、誇りと共に掲げた彼女に。

 自分の心が、敬意から自然と膝を折ったのを、陰陽師は感じていた。

 これが、真の冥王、夜摩天か。

「……ありがとうございます」

 私の存在を守ってくれて。

 死んだ後というのが皮肉ではあるが、生まれて初めて、彼は素直にそう思えた。

「礼には及びません……寧ろ私は、貴方達をこのような危機に巻き込んでしまった、詫びを言うべき立場ですから」

 夜摩天の視線の先で、都市王が動き出す。

「話は変わりますが、貴方が隠形術を使っていたのは、逃げる為ではありませんね?」

 逃げる為ならば、こんな出口とは正反対の場所に居るわけが無い。

 その意図は判らないが、この男もまた、その魂を賭けて、何かを為さんとしていた。

「それは……ええ」

 彼の肯定の言葉を聞き、夜摩天は軽く頷いた。

「では、それを為しなさい」

 その魂に……悔いを残さぬように。

「……来るわよ」

 低い閻魔の呟きに、夜摩天は無言で頷き、黒鉄の斧を両手に構えた。

「お行きなさい」

「……はい」

 その背に頭を下げ、陰陽師は墨壺を抱え、それを零さぬよう、駆け出したい足を抑え、歩き出した。 

 その背に戦の音を聞きながら、彼は、こんな危機の最中だと言うのに、どこか晴れやかな気分で顔を上げた。

 視線の先に、あの男がいる。

 私が毒殺し、冥府に送った男。

 彼を知り、夜摩天の言葉に触れた今、それが大いなる誤りであったと良く判る。

 だが、それが、あの妖狐に唆された故の悪行だったなどと、言い訳はすまい。

 それは、私がした事だ。

 私は、野心の為に人を騙し、害する事を肯定して生きて来た。

 自分を認めぬ世界と、その世界を惨めに這い回る住人、そんな塵芥には、私に利用される価値しかないと。

 

 あの妖狐は鏡に映った私の様な存在。

 

 己の目的の為に、あらゆる存在を踏みにじり、それを当然とし、犠牲になった者を愚かと嘲笑う。

 私があの妖狐を憎むのは、煎じ詰めれば己自身を憎むような物。

 誰かを利用して使い捨て、人を操って、彼らの上に立っているつもりで居ても、結局自分も誰かに使われる駒に過ぎず……。

 もし、勝ち残り、その頂点に立ったとしても、そんな生の連鎖とは、結局、その果てに、自分の中には何も残らない、乾いて空っぽな。

 

 滑稽で醜悪な、憎悪と我欲を詰め込んだ入れ子細工。

 

 生前の己の姿を思い出し、陰陽師は自嘲した。

 その姿は、主を喪って尚、その想いの下で戦い続けた式姫達の在り様とは、余りに対照的な物で。

 自分が彼女たちの主になれなかった理由が、今では良く判る。

 

(おおい、こっちじゃこっち、はようこい!)

 柱の陰からこちらを差し招き、口の動きだけでそう伝えて来る、あの領主殿に苦笑を返す。

 そうだ、感傷に浸っている暇はない、私にはまだ、やるべき事がある。

 それはあの妖狐への復讐の為に始めた事だったが、今、自分の中で、その感情が消えつつあるのを感じる。

 代わって、もっと別の想いが、今、彼のしようとしている事の意味を変えようとしていた。

(走れないんですよ!)

 走れば、折角命がけで守った墨が零れてしまう。

 こちらも、口の動きだけで返事を返し、大事そうに墨壺を抱えて、少しだけ足を速め、領主殿と男の元に歩み寄る。

「危うく命を拾ったのう」

「そう、運が良かったです」

 拾った命……か。

 眠るように横たわる男の前に膝を付き、墨壺を置き、袂から筆を取り出す。

 今より為すのは、私が本当の意味で陰陽師として振るう、最初で最後の術となろう。

 

(焦るでない、陰陽師として正しく生きよ、さすれば、いつかお前は……お前ならば、式姫と共に在れるようになる)

 儂では力不足だったが、お前ならば……。

 

(……師匠)

 今ならあの時、式姫を召喚できず、落胆する私に掛けてくれた師匠の言葉が良く判る。

 貴方の名と願いを汚し、果てにその命まで奪ってしまった最悪の弟子でしたが……私は最後の最後に、ようやく貴方の弟子らしい事が出来そうです。

 横たわる男の纏う服の胸を寛げる。

 生の気配は相変わらず無いが、不思議と死や滅びの気配も感じない。

 敢えて言えば、時を止めたような、そんな不思議と静謐な空気を纏って、彼はそこに居る。

「何をしようとしとるんじゃ、勿体付けずにわしに教えろ」

 小声でそう話しかけて来た領主殿に、陰陽師は真面目な顔を向けた。

「彼とあの『庭』の縁を繋ぎます」

 彼が打った五芒星によって繋がった、細い細い現世と繋がる糸。

 それを辿り、天柱樹と、そこに宿る、天界最強と言われた軍神の加護を受けたる、あの庭と。

 この冥界まで届く縁の道を開く。

 手にした筆にたっぷりと墨を含ませ、男の体に梵字を書きつけた。

「それで……それをすると、どうなるんじゃ?」

 儂らは……一体どうなる?

「さて、何が起きるのか……」

 自らの気力を振り絞り、更に別の梵字を男の体に書き印す。

 筆を上げた、彼の額から脂汗が滴る。

 今、彼が書き付けているのはただの文字では無い。

 呪を込め、その一文字に神仏を宿す、大いなる術。

 やはり、多少の力を現世から引っ張れるようになったとはいえ、冥府でこの術を使うのは厳しい。

 だが、彼はそれを成し遂げねばならない。

「何じゃそれは!何が起きるか判らぬのか?」

「恐らく、誰もやった事がありませんので……ね」

 傷つき、喪われかけているこの魂に、現世との縁を繋ぎ直す。

 私が出来るのはそこまで。

 その先に希望を繋ぐ……それだけ。

「今はただ、良い事が起きるように祈っててください」

 そう呟くように口にして、彼はまた一つ、梵字を書き入れた。


 
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