俺はずるい男だ。
あの時、好きだと言った。
愛してると言った。
ずっと一緒だと言った。
なんども抱き合って。
なんども口づけをして。
なんども交わった。
あの日、あの時の気持ちは今でも変わっていない。
でも、俺は君のそばにはいない。
そう、君の中に俺はもう・・・・。
元の世界に戻った俺の生活は以前の俺の生活とは一変した。まず、ずっと続けていた剣道をやめた。
理由はそう、華琳達の居た世界では役に立たないからだ。
それから俺は毎日欠かさず机に向かう習慣を作った。勉強するのは中国古代史、民俗史、人類の初期段階から中世ほどにかけての経済学。膨大な知識は不必要だ。
理由はもちろん、向こうの世界で役立つモノしか必要なかったから。
煎じつめていえば俺はもう一度、あの世界に帰りたかった。
何か予感じみたものがあったのかもしれない。
確信みたいなものが。
そして俺は大学生になった。
国内の最高学府とは言えないが、そこそこの国立大学に入学した。その大学を選んだのはもちろん考古学、細かく言えば古代の中国史に力を入れていると知ったからだ。
大学に入ってからもカリキュラムにない経済についての勉強もしたし、様々な著者の三国志も読んだ。
転機が訪れたのは大学四年の夏期休校の初日だった。
その晩は寝苦しいほどの熱帯夜で何時まで経っても眠れる気がしなかった。何度も寝返りをうっているうちにシーツは皺だらけになり、下着はジットリと汗が染み込んで気持ちが悪いことこの上なかった。
何の気なしにふと目を開けた瞬間、さらに気持ち悪い光景が目の前に飛び込んできた。
「ん~~~~~~~~~~」
上半身裸の“男”が俺の唇を奪わんと暑苦しいことこの上ない顔を接近させていた。
「死ね!!」
思わず手を出してしまった。グーで。
その変態は顔面を殴られたにもかかわらず前進を続けてくる。
「くっ!!」
必死にベットから抜け出し九死に一生を得る。
「んもう、久しぶりの対面だっていうのに釣れないわねぇ」
その変態は外見に違わない野太い声のくせに喋り方は女言葉で思わず吐き気を催してしまいそうになった。
「・・・お前誰だよ」
「ご主人様の愛人よぉん」
変態は猫なで声(?)で俺にすり寄りながら答える。
「・・・誰の?」
「ご・主・人・様・の」
人差指で俺の指を鼻がしらをツンと突き、頬をその指で撫でる。全身に悪寒が奔る。というかコイツは俺の神経をどれだけ逆なですれば気が済むのだろう。
「悪いんだが俺とアンタは初対面のはずなんだけど」
「そんな・・・ひどいわ!!あの日の夜、あんなにも激しく――――」
「そんなことするかーー!!!」
「なによぅ、ちょっとした冗・談・よ」
「・・・・殺していいか?」
無意識に目の前にいる物体を撲殺できるような物がないか探ってみる。
「なんだか、ご主人様変わったわねぇ」
「はぁ?」
「そうねぇ、聖フランチェスカ学園に通ってた頃と比べると」
「なんでそれを知ってるのかは知らないけど、・・・人は変わるもんだよ。でも」
「でも?」
「変わらないものも確かにある」
「それってなんなのかしら?」
「大事なもんだよ。誰にも譲りたくない宝物だ」
この時の俺はどうかしていたとしか思えない。目の前にいる生物にあの世界での出来事を語ってしまっていた。
今までこの話を聞いた人はただの作り話などと言って信じてくれなかった。コイツもそうなのだろう。
「っと、まぁこんな話だ。嘘だと思うだろ?」
「思わないわ」
「!?」
「それはご主人様が本当に体験したこと、終局を迎えてしまった悲しい物語ですもの」
「・・・・・・」
「帰りたいでしょう?」
「まさか・・・?」
「あの広大な大地へ」
「戻れるのか!?華琳たちにまた会えるのか!?」
動揺のあまり俺はソイツの肩を掴み思いっきり揺らしてしまった。
「あぁん、強引ねぇ」
「ふざけないで教えてくれ!!」
「いいわ。教えましょう、すべてを」
それからソイツは話し出した。俺が行った世界のことを。そこは外史と呼ばれるところで正史から生み出された世界である、現実でありながら虚構である世界だということ。
正史の人間のイメージから成り立つそれは虚構も交じるため性別が入れ替わり、本来の歴史とは細かい点で差異があるということ。
そしてその世界は正史の人間の思念から生み出された存在であるがゆえに不安定であり、永久的なものではなく、突端があり終焉があるということ。
つまりは俺の、俺の居た世界の物語は終わってしまったということ。
そして目の前にいるコイツは正史と外史の監視者みたいなものらしい。
「結論からいえばご主人様はあちらの世界に戻れるわ」
「本当か!!」
「ええ、一度終わってしまった世界を作り直すのは本当に大変だったわぁん」
「そっか、なんかお前のこと誤解してたみたいだ。さっきはひどいこと言ってすまなかったな」
「気にしなくていいの、ただ抱い」
「却下」
「し、しどい」
「それでどうすれば俺は戻れるんだ?」
「それはこっちでどうになかるわ、でも・・・」
「でも、なんだよ」
「それだけの覚悟がご主人様にあるかしら?」
「当然だ」
「もうこっちの世界に戻れなくなるわよ」
「かまわない」
「向こうの世界に行ったとしてもそこはご主人様に優しくないかもしれないわよ」
「どういう意味なんだ?」
「外史というのは言わば可能性の塊なの。私が知ってるだけでご主人様は四つの似たような外史に行っているわん。魏もあれば蜀も呉も中には袁紹ちゃんの所に行った場合もあるの。だからどの外史にご主人様が飛ばされるかわからないけどそれでいいの?」
「じゃあ華琳たちに会えないかもしれないってことか?」
「そうね、別の世界に飛ばされたとしても外史同士はかすかにではあるけど繋がっているの、でもそれは曹操ちゃん達にとってはちょっとした既視感にすぎない程度にしかならないわ。全く別人ってわけじゃないのでしょうけどほぼ別人だと言っても過言ではないわ」
「・・・・・・」
「ただ、さっきも言ったように今から行くかも知れない外史は可能性なの。なにがあってもおかしくない。だって可能性は無限大ってよく言うでしょう?」
「そうだな、悩んでてもしかたないか」
「いいの?」
「あぁ、俺行くよ」
「わかったわ。じゃあ目を閉じてちょうだい」
静かに目を閉じる。
瞬間、閉じている瞼越しにも分かるほどの光が俺を包み込んだ。ほどなく奇妙な浮遊感を感じるとともに意識が途切れた。
まどろみから目覚める。視界に入るのは広大な平原だった。
「戻ってきたのか?」
身体に異常がないか確かめるとなぜか知らないが元いた世界の自室で着ていたシャツとパンツではなく聖フランチェスカの制服だった。
「なんでだ?」
とりあえず周囲を見回してみると遠くに大きな街を発見した。この世界では城といった方がいいのだろうか。
それはともかく、それはその町に見覚えがあった。当然だ。そこはまぎれもなく俺があの世界で一番長く過ごした都・洛陽。
そこに華琳がいる。皆がいる。
足早に洛陽の見える方に歩を進めた。自分の足ではないと思うくらい足が軽かった。
体感時間で三時間程かけて洛陽の城門に着いた。城門を潜る時に門の警備兵にボディチェックをされたが城内に入ることができた。
警備の兵に顔見知りがいなかったのは多分俺が元の世界に帰ってから入隊した者だったからだろう。
城内の市は人に溢れている。いつもの洛陽の光景だった。
懐かしかった。すべてが本当に懐かしかった。
でもわかってしまった。
懐かしすぎたんだ。
そう、懐かしすぎた。
俺はここが大好きだった。
だから街並みは鮮明に記憶している。
あの飯店も。
あの服屋も。
俺の居た頃に店仕舞いして違うお店に変わっていたはず。
ここは、
俺の今立っているここは、
「俺の知ってる世界じゃない」
足元からすべてが崩れ去っていくような絶望感が俺を苛む。
でも俺はまだ華琳に会っていないんだ。
アイツは言っていた。ここは可能性の世界なんだと。きっと華琳は俺を覚えていてくれるはず。
絶対にそうだ。
今、隣を歩いて行った春蘭と秋蘭を引き連れた華琳が俺に目も向けてくれなかったのはなにかの間違いなんだ。
きっと俺がたまたま目に入らなかっただけなんだろう。
「あの」
後ろ姿の華琳に声をかける。
「なんだ貴様は、華琳様に気安く声をかけるとは無礼な!」
「いいわ、春蘭。それでなにか用かしら?」
華琳と目があった。愛しい女性がすぐそばにいる。でも華琳の目に映る俺はまぎれもなく、彼女にとって他人だった。
「・・・いいえ。とてもお綺麗だったので思わず声をかけてしまいました」
「ありがとう。でも私たちは先を急いでいるの」
「御引き留めして申し訳ありませんでした」
もう無理だった。頭を下げるふりをして華琳・・・曹操から目を逸らした。
「かまわないわ。行くわよ、春蘭・秋蘭」
「「はっ」」
姿は見えないけど足音が遠ざかって行くのがわかる。距離は段々開いていってそして街の喧騒に消えた。
しばらくその場から動くことができないままただ立ち尽くしていた。
もう日も暮れるという頃、俺は洛陽郊外の森の中にいた。そこは小さな小川が流れている隠れ家的な場所で、何よりそこは俺と華琳が初めて結ばれた場所だった。
こんな何でもない場所で俺と華琳は愛を誓った。これ以上ないほどに思い入れのある場所だった。
ここに来て分かったことが一つだけある。
俺は華琳を今でも愛している。もう会えないと分かっていても彼女の事を心から愛していた。
そのまぎれもない事実はこれからもまぎれもないもので在り続けるだろう。
もう一度華琳に会ってみよう。
そう思って、なにもない草の上で俺は眠りについた。
翌日から俺は行動を開始した。
まずは華琳に会って話をしないことには何も始まらないし、変わらない。と、なれば城内に堂々と入り込まなければいけない。その為にどうするべきか考えた。
一つ目に浮かんだ案は魏の兵士になって城内に入り込む、だったがこれは無理だろう。俺の腕っ節では兵士なんて勤まるわけがないし、もし兵士になったとしても何処に配属されるかわからない。
二つ目は文官として城内に入る、これはなかなか良い案だと思う。文官ならば洛陽で任官することができればそのまま城内で働くことができるし、華琳は文武両道とは言えども本来は文官だ。それならば直接話す機会も出てくるかもしれない。
行動すべきことは決まった。文官になって城内に入り込む。次にそうするにはどうすればいいかを考えなければいけないのだが、俺にはすでに良い案が浮かんでいた。
とりあえずその案を実行に移すには拠点が必要だったので宿を取ろうとしたのだがいかんせん俺はこの大陸に流通する金銭を全く持っていなかった。
その為にはまずお金を調達しなければならないのだが悠長に働いて給金を得るまで待つことなんて俺にはできそうになかった。なので、この世界に来た時に着ていたこのフランチェスカの制服を売ることにした。
本当はこれを売りたくはなかった。昔、世界に来た時、俺はずっとこの服を着ていた。あの世界に於いてはこの服は天の御遣いとしての視覚的な象徴であり華琳と盟友である証のようなものだと思っていたからだった。
でも、背に腹は変えられないし断腸の思いでこの服を売ることに決めた。
そう決めてから俺は洛陽の街に戻った。それからこの服をできるだけ高く買い取ってくれる店を探しまわった。
結果、午前中の内に俺は制服を売ってしばらくは不自由することがないくらいのお金を手に入れた。それに制服を買ってくれた店の店主は気の良い人だったらしく俺が代わりの服がないことを告げると店内にあった服を一着譲ってくれた。
それから午後は俺の案に必要な硯と墨、そして竹簡を買いに行った。夕刻前にはすべて用意することができ、華琳の居城の近くにある宿も取ることができた。
その日の夜、さっそく案を成功させるために行動を開始した。
蝋燭の灯りだけが薄暗く部屋を照らす中、俺は黙々と作業を続けていた。地味で地道な作業だが全く苦にはならなかった。なぜなら俺のやってきた努力が本来の目的とは異なるが実ろうとしているからだった。
そもそも俺の考えた案はというと、単純明快なものだ。俺が元々居た世界で学んできたことを竹簡にすべて書き記し、それを元に文官として任官をするというものだ。
休憩もせずに作業を進めていく。政治、経済、農業、工業、交易、すべてにおいてこの時代には存在しない事柄ではあるのだが実行可能なものを自分なりに選択したつもりだ。実行可能というのは、例をあげるとすれば、この時代においての経済は俺の居た世界と比べるとまだまだ成熟しているとは言えない。俺たち世界とこの世界では経済圏が違いすぎるのだ。そもそもこの世界では大陸内でさえ経済の主体である通貨の統一すらできていない。当然、他国との交換レートなんてものは決まっているはずもない。俺たちの世界では経済学の基本としてマクロとミクロに普通に分けているのだがこの概念もない。
それらの実現不可能の事柄は余計な混乱を招くだけだと分かっているので華琳の統一が終わってそれからずっと後の人に託せばいい。
これらの作業は一日で終わるはずもなかったが、興奮してしまっていたのか夜が完全に明けてしまうまで没頭してしまった。
それから少し仮眠をとってから腹の虫が鳴き出したので朝食兼昼食を食べようと街に出かけた。
何気なく選んだ店だったが俺はここで驚愕の事実を知ることになった。
「また駄目だったなぁ」
「まぁ仕方ないさ」
適当にあいている席に座って採譜を見ていると隣の卓から二人の青年の声が聞こえてきた。盗み聞きするつもりはなかったのだが料理が届くまでの間することもないので少しだけ耳を澄ましてその会話を聞くことにした。
「今回こそいけると思ったんだがな」
「あの荀彧様が試験官だったからどうしようもないってもんだろ?」
「あぁ、あの御人の男嫌いは有名だっけ。あ~早く任官してぇな」
「「はぁ」」
二人は揃って溜息をはいた。
「ちょっとその話よく聴かせてもらえないか!?」
思わず俺はその二人に声をかけていた。
「な、なんだよいきなり!?」
片方の男が驚きと非難を込めた声で答える。
「ごめん。でもさっきの話を聞かせて欲しくて」
「あぁ、俺たちが任官試験に落ちたってやつか?」
「そう。俺もカリ・・・曹操様の所に任官したくてここに来たんだけど」
「そりゃ残念だったな。今回の試験は終わっちまったよ」
「じゃ、じゃあ次の試験は何時あるんだ?」
ずっと華琳の所にいたがいつそんな試験をやっているかなんて全く知らなかった。そういえば秋蘭が試験官をやったみたいなこと言ってたことあったっけ・・・。もっとよく聞いておくべきだった、と後悔してももう遅い。
「半年後だな」
その男から告げられた言葉はこれ以上なく残酷なものだった。俺はそれだけ聞いてから注文した料理が届く前にその店を出てしまった。とりあえず代金だけは置いてきたが。
そのあとの事はよく覚えていない。気が付いたのは夜になってからだった。
「・・・どうすりゃいいんだよ」
寝台の上で呟いてみるが気持ちは滅入る一方だ。
掛け布団を頭まで覆いかぶせる。どれだけ眠りの世界に逃避しようとしても睡魔が襲ってくることはなかった。
それから一晩中俺は眠ることができなかった。
一晩中考え抜いて出た答えはやるだけやってみる。これだけだった。でもこれが今の俺にとっては最上の策なのかもしれない。
それから一週間はなにをどう行動したのかもわからない。それでも俺の手元には書き上げた数十本に及ぶ竹簡の山ができていた。
これをすべて一度に運ぶことはできなかったので宿で小さな荷車を借りて華琳の居城に向かうことにした。
睡眠不足の身体に鞭を打ってやっとの思いで城門に辿り着いた。すべてはこれから始まるんだ。いや、始めるんだ。
巨大な城門を見上げる。周りの奇異の視線なんて気になんてしない。一歩一歩踏みしめるように歩を進めていった。
「すみません」
城内に入るために城門警護の兵に声をかける。
「何か用か?」
俺の声に答えを返してきたのはがっちりとした真面目そうな兵士だった。
「あの、曹操様の所で任官したくここに来ました」
「悪いな、もう試験は終わってしまったのだ。半年後にまた来てくれ」
やっぱりあの話は本当だったみたいだ。
「はい、それは聞いています。でも俺はここで任官がしたいのです!俺にはここで任官しなければいけない理由があるのです!」
「そうは言っても規則は規則なのだ。貴様だけを特別扱いするわけにはいかん。その熱意は個人的には行為に値するのだが、駄目だ」
正に正論だった。立場が逆だとしたら俺もそう言っただろう。でも俺は諦めるわけにはいかない。
「そこをどうかお願いします!!」
「駄目だ!」
初めは困惑気味だった兵士も俺がいつまでも食い下がるので苛立ってきたのか語気が荒くなってきた。此方を窺う通行人の姿も増えてきたように感じる。
「後生です!試験を受けるのが駄目だとしてもこれだけは目を通していただきたいんです」
そう言って俺は荷車に乗った竹簡を見せる。
「なんだこれは?」
「これは俺が学んだことを元に書いた政治、経済、農業、工業、交易に関する意見を書いた物です。必ずこの国に役に立つものだと思うのでどうか曹操様に目を通していただきたいんです」
地面に額を擦りつけながら嘆願し続ける。
「やめるんだ。こんな公衆の面前で」
俺の姿が見るにたえなくなったのか兵士は俺を腕を掴んで無理やり立たせようとする。しかし、それはその腕を逆に掴んでさらに頼み続ける。俺にはこんなことしかできなかった。
「は、離せ!!」
兵士が俺を振りほどこうと思い切り腕を振った。その拍子に俺はバランスを崩して後ろに倒れこんだ。
運が悪かったとしか言いようがない。俺が倒れこんだそこには荷車があり、ぶつかった衝撃で積んであった竹簡が地面に散乱してしまった。
地面に落ちた竹簡は砂にまみれ、一部は荷車の下敷きになって拉げてしまっていた。
「す、すまない。しかし、貴様が悪いのだぞ!それにそのように汚れた物を曹操様に献上するわけにはいかん。早々にここから立ち去るのだ」
「・・・・・・」
兵士にも罪悪感があったのかそれだけ言って目を逸らしてしまった。しかし、今の俺にはそんなの事を気にしている余裕はなかった。
茫然自失。
この言葉で表すならこれが一番合っているだろう。無残な姿になってしまった竹簡を茫然と見つめることしかできなかった。
その散らばった一つ一つが俺の数年間すべてをつぎ込んだ結晶だった。その結果がこれだ。
城門前でこんな騒ぎを起こしてしまってはもう俺はここに来ることはできないだろう。来たとしても狂人として追い返されるのがおちだ。
全部終わってしまったのだ。
どれだけの時間、絶望に打ちひしがれていただろう。五感すべてを失ってしまったような錯覚が俺を苛み続ける。
普通の状態だったら半年待つことだってできたのかもしれない。でも、俺はできない。目と鼻の先に華琳がいるのに会えない。話もできない。見ることだってできない。
完全に自棄になってしまっていた。
「あの・・・これを捨てに行きたいんだけど、何処に持っていけばいいんだ?」
すでに敬語も使っていない。本気でそんな余裕がなかった。
「さっきの詫びと言ってはなんだが、俺が」
「いや、俺がこの手で処理したいんだ。教えてもらえないかな?」
やっぱりこの兵士は根はいい人なのだろう。
「あ、あぁ。ここから真っ直ぐすすんだ所にいらなくなった書簡や竹簡を捨てる場所がある。そこに持っていけばいい」
「ありがとう。さっきは迷惑かけて悪い」
そう言って俺は教えてもらった場所に向かうことにした。
重い足を引きずりながら到着したそこには山のように竹簡やら書簡が積んであった。そこにも数人の兵士がいて大量のそれに液体のようなモノかけている。臭いからすると油だろうか。
地面を見てみると所々に煤のような物が付いていた。それにしても大量の竹簡や書簡が捨てられているものだと呆れるやら驚くやら。同時にそれもしかたないと思う。ここは大陸の首都・洛陽なのだ。
「貴様何をしている」
俺を見つけた兵士が声をかけてくる。
「これを捨てるには何処に持っていけばいいか城門前の兵士に聞いたらここに持って行けっていわれたんだけど」
「そうか。ではそこら辺に捨てておけ。すぐに焼却するから早くするんだぞ」
兵士に言われた辺りに竹簡を一つずつ放り込む。この行為に対して俺は何の感情も持たなかった。
竹簡を捨て終わって竹簡と書簡の山から少し距離を取ってそれをじっと見つめた。もうここに居る必要はないのだがなぜかここを離れてはいけない。そんな気がした。
しばらくして兵士が三か所から火をつけ始めた。幸いと言って良いのか分からないが俺の竹簡に火がつくのはまだ時間がかかるみたいだった。
パチパチと音を立てながら火は段々と大きくなっていく。もう少しで俺の竹簡に火が燃え移ろうとしたのを見てから俺はそこから踵を返した。
幾ら捨てる時に何の感情も持たなかったと言っても流石に存在自体がなくなって行く様を見るのは辛いものがあったし、ある感情を抑えられそうになかった。
そして振り返ってもその様子が見えないようになった時、
「・・・・はは」
燻ぶっていた感情が暴れ出す。
「あははははははははははははははははははははははははははっ」
俺の中に淀み溜まっていたカタルシスを有らん限りの笑い声と共に吐き出す。
「ははは・・・・ぁあぁぁぁあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
滂沱。
生温かい液体が俺の頬を伝っては地面に零れる。止めどなく流れ出すソレは塩っ辛く吐き気を催すほどだった。
その日俺は魏に別れを告げた。
一刀が書簡や竹簡を燃やす現場を離れて少ししてから一人の少女が其処を訪れていた。
「ちょっと待ちなさい!!」
その少女の声がその場に響くと同時に兵士たちが直立し敬礼する。
「はっ!荀彧様どうかなされましかたか?」
「どうもこうもないわよ。すぐにこの火を消しなさい」
「し、しかし」
「いいからやれって言ってんでしょ!!」
「「「は、はっ!」」」
すぐに兵士たちは水を汲みに走って行った。
「ちっ」
荀彧は誰もいなくなってから大きく舌打ちした。彼女が苛立っているのには原因があった。
今日、荀彧はとある地方の税収についての報告書を書いていたのだが自分の手違いでそれに必要な書簡を捨ててしまっていたことに気付いたのだった。それで慌ててここに来たということだ。
「このままじゃ華琳様に怒られちゃうじゃない」
愚痴も出るというものだ。期限までに報告書を提出できないと華琳様にお叱りを受けるのは目に見えている。まぁ、自業自得なのだが。
「ん?」
足元に転がっていた竹簡が目に入り、荀彧は何気なく拾い上げてそれを流し読む。すぐに自分の探していたものとは違うと分かったのだが読んでいくうちに徐々にその目が見開かれていく。
「な、なんなのよこれ!?」
荀彧が拾い上げた竹簡は先ほど一刀が捨てていったものだった。なにかの拍子に落ちたのだろう。
ものすごい速度でその竹簡を読み上げる。そしてすぐに書簡と竹簡の山の方に目を移し、その竹簡と同じ物を探す。一口に竹簡といっても王宮で使われる物と一刀の物では見た目が全く違うので荀彧はすぐにそれを見つけることは出来た。
しかし、すでに一刀の捨てた竹簡の半分近くは火が燃え移っており、残りの半分ほどしか回収することができなかった。
そうして回収した物にまた目を通しだす。
「すごいわね・・・」
それもそうだろう。その竹簡には荀彧たちが見たこともない未知の知識が詰まっているのだから。そしてなにより華琳をそして魏の皆を想う一刀の気持ちがこれ以上ないほど込められているのだから。
「荀彧様」
「なによ!いま良い所なんだから邪魔しないでよね!」
「し、しかし」
「だからなんだって言ってるのよ!!!!」
「しょ、消火作業完了いたしました」
「そんなこともうどうでもいいわ。これがあれば華琳様に・・ふふっ」
荀彧はにやけた表情のままその場にいた兵に竹簡を運ぶよう命じてその場を去って行った。
数刻後、城内の荀彧の部屋に魏の誇る三軍師の姿があった。
「それで~桂花ちゃん。急に呼び出してどうしたんですか~?」
「これを見て」
荀彧は郭嘉と程昱に先ほど見つけた竹簡を見せる。
「まさかとは思うけど、これあなた達が書いたわけじゃなわよね?」
「はい。私の記憶にはありません。風はどう?」
「ぐ~」
「「寝るな!!」」
二人のツッコミが炸裂する。
「おぉ!ついうとうとしてしまいました~」
「それで?」
「ないですよ~」
「そう、ならいいわ。それでなんだけど、これを華琳様に献上しようと思うのだけど二人の意見を聞かせてくれない?」
妙に神妙な面持ちで二人に告げる。
「珍しいですね、貴女がそんな風に私たちに助言を求めるなど」
「そうですね~。普段の桂花ちゃんならいの一番に華琳様の所に献上なり何なりしているはずですからね~。それにこの竹簡にはそんな凄いことが書いてあるのですか~?」
二人はいつもとは違う荀彧の様子を怪訝そうに窺っている。
「いいから見てみないさいよ!」
いい加減堪忍袋の緒が切れた荀彧が金切り声に近いような声をあげる。二人は目を見合わせた後、机に山積みになっている竹簡に手を伸ばし、紐を解き読み始める。
最初は何気ない様子で読んでいた様子だったが徐々にその表情が強張っていく。流石は魏の三軍師と呼ばれるだけあるということか三人のリアクションは似通っていた。
「これは・・・興味深いですね。我々とは全く違った視点で物事を捉えており、かつ、根拠もしっかりしています。中には理解できないようなモノもありますが・・・」
「はい~。これを書いた人物が全然想像できません。神仙の類が書いたものなのでしょうか。これらの竹簡は我々にとって非常に利になることは確実です~。しかし~」
程昱はそこまで言って言葉を止めた。他の二人もその先の言葉が想像できたのだろう三人の視線が交叉する。
「同時に非常に恐ろしい。これ以上ないほどの恐怖です」
口火を切ったのは郭嘉だった。その言葉にコクリと二人は首肯する。
「それで、なんだけどこの竹簡を三人の連名での最重要案件として華琳様に上奏したいと思うのだけど」
「私もそうした方がいいと思います」「了解しました~」
全員一致で可決された。
その日の深夜遅く、曹操の居室。
カタリと乾いた音が室内に響いた。曹操は読み終えた最期の竹簡を机に置いて三人の姿を見据えた。
「三人の言いたいことはわかったわ」
「「「はい」」」
「それとこの竹簡、これですべてではないでしょう?」
「申し訳ありません。私が見つけた時にはすでに半分ほどが焼失してしまっていました」
曹操の問いに荀彧が答える。
「そう。それでこれを書いた人物の目星は付いているの?あの焼却場の竹簡や書簡は大半がこの城から出たものならば出所は限られてくるはず」
「それにつきましては勝手ながら調査を開始しています。現段階で分かっているのはこれを書いたのは城内で勤務している人物ではないようです」
郭嘉がすでに答えを用意していたようにすらすらと答える。
「華琳様よろしいでしょうか~?」
「なにかしら?」
「一つご報告したいことがありまして。今日の午前中の事なのですけど城門前で騒ぎがあったのですけど」
「それは聞いてるわ。でもそれがどうしたの?」
「それがですね~。その騒ぎを起こした男性が持っていたそうなんですよ~。それに似た竹簡を」
「はぁ!?男が!!??」
その竹簡を書いたのが男かもしれないと分かったとたん荀彧は非難の声をあげる。
「黙りなさい、桂花」
「は、はいぃ」
「それで確認は?」
「まだです~。なのでその竹簡の一部をお借りして確認を取りたいのですけど、よろしいでしょうか~?」
「認めます。すぐにでもやって欲しい所ではあるけれども今日はいいわ。明朝にでも確認を取っておくように」
「分かりました~」
「それと三人ともよく聞きなさい。このことは機密事項とするわ。誰にも悟られては駄目よ。それじゃあ今日はこれで解さ・・・っ」
解散と言いかけた所で曹操は額を抑え苦痛の声をあげる。
「「「華琳様!?」」」
三人が駆け寄る。
「なんでもないわ。本当よ」
「で、ですが華琳様!もしものことがあったら私は生きていけません!いつからこのような症状が?すぐに医者の手配をいたします!」
「落ち着きなさい、桂花。もともと頭痛はあったものだし、最近になって少し痛みが強くなっただけよ。それに私には他に成すべきことがあるの、瑣末なことに構ってはいられないわ」
「私は荀彧殿の意見に賛成です。我々は魏という国に仕えているのではなく曹孟徳という英雄の元に集い仕えているのです。どうか華琳様、ご自愛を」
「稟、私に逆らう気?」
少し冷たい声で言葉を返す。
「私も同意見です~。華琳様はこの時代に必要な御方。なくてはならない存在なのです~」
三人は深々と頭を下げた。
「・・・・・・いいでしょう。医師の手配をしなさい」
「「「はい」」」
本日、魏陣営内で行われた会議は四人以外の誰にも知れることなく幕を閉じた。
全てを失ったそう思った俺は魏国にいて自分を保っている自信がなかった。だから俺は・・・。
魏から、いや華琳の元から離れることを決めた。
運良く荷物を運ぶ準備をしていた隊商の荷車に乗せてもらうことになった。この為に持っていた所持金を全て手放すことになってしまったが後悔はなかった。
見慣れた景色が段々と離れていくなぁ。そんなことを荷台で揺られながら想った。
「今度こそ、さよなら」
小さくつぶやいて俺は意識を手放した。
あとがき
ここまで読んでくださった皆様はお気づきでしょうが自分はこの作品で一刀をこれ以上ないくらい痛めつけます。まぁ最後は幸せにしますが。
自分が書く作品では不遇である華琳様に幸福にしたいという思いがこの作品を書こうと思った一つの要因です。なのでこの作品の華琳様は真・恋姫に準拠した性格設定になっています。
それとこの作品にはもう一人ヒロインがいます。ヒロインというかスポットをあてるという感じです。それに際してオリジナルの設定を付け加えるかもしれません。
最後にここまで読んでくださった皆様に感謝の意を表して〆たいと思います。
ありがとうございました!!
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この作品はタイトルにある通り自分が気に向くままに書いていたモノです。プロットもほとんどなく書いてしまったためご都合主義になりがちかもしれません。
設定としては魏√のアフターです。たくさんの作者様がすでにお書きになられているとは思いますが自分も書いてみたいと思い書きました。とりあえず最後はハッピーendにするつもりですが皆様のご期待にそえるかどうかはわかりません。
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