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新しい年が始まった。
テレビを付けると、芸人やらアナウンサーやらが生中継で、あるいは録画で、あれこれと騒いでいる。
街が映し出されると、そこには何やら楽しそうに。そしてせわしなく駆け回る人がいる。
おれも数年前まではそういった大勢の内の一人だった。
特に今年は、平成最後の。という冠詞が付いているためか、熱狂はいつもより数割増しに見える。
四月には新年号が発表されるのだという。
だが、おれには関係ない話だ。おれはそれを知ることもなく死ぬのだから。
――余命三ヶ月。それが年末におれが医者から告げられた命の消費期限だった。
その前から、おれはどうやら長くはないらしいということはわかっていた。だが、いざ余命宣告を受けてみると、覚悟はしていてもおれの人生は変わってしまった。
まず第一に、全てに対して無気力になった。
何を為そうと三ヶ月後にはおれという存在がいなくなるのだと考えれば、全ては無駄に思えた。
第二に……特に思いつかなかった。無気力になったおれは、おれの人生を手放そうと考えたのだった。
そうして放り出した人生を拾い上げたのは……今となっては唯一の肉親である母さんだった。
父さんは二年前に死んだ。俺と同じように病死だった。
おれの残された三ヶ月という時間は、俺にとってはどうでもいい。だが、母さんはこれからも生きていく。だから、母さんが満足できる三ヶ月にしようと思ったのだった。
おれはもうこれ以上、生きたくはない。だが、母さんがおれとの最後の時間を少しでも長くしようと願うのだったら、それに従う。おれの人生の主体はおれ自身ではなく、母さんになったのだった。
最後の正月。おれは母さんの作った雑煮を少しだけ食べて、後は残して……お節料理もほとんど口にはできないまま、のんびりとした時間を過ごした。
そもそも、かつてよりずっと体力は落ちている。何かをしようと思っても、できない。年末年始だけ自宅で過ごすことに決まったのも、母さんがそう願ったからで、医者としてもできるならば病院に入れておきたかったらしい、ということはなんとなく伝わってきた。
残り三ヶ月をせめてもの親孝行に使おうと思っていたおれだが……母さんにじっと見られているのも居心地が悪くなって、自分の部屋に上がった。おれは結局、実家から離れたことはなかった。去年の今頃まではまだ、家からバイトに通って過ごしていた。
だが、その頃から既に体の不調は感じていて……夏前にはもう、長時間、緊張した状態で過ごすことはできなくなっていた。そして家と病院を往復する生活になり、やがて生活は病院がメインになっていって……これから病院に行けば、もう自宅に帰ることはなくなるだろう。少なくとも生きた状態では。
おれはそんな己の身に起こった不幸を、どこか他人事のように感じていた。
なんというか……もう十分に生きたのだ、という満足感があった。
だから、死ぬことは怖くない。やり残したこともあるはずだが、それも大したことのようには感じられない。明確に命の期限が見えた今、もうそんなものはどうでもよくなっているのかもしれない。
なんとなく、本棚を見てみた。
高校生の時に熱心に買い集めていたマンガの単行本が並んでいる。その内の一冊を抜き出してみた。最初でも最後でもない、中途半端な巻数だった。それでも、このマンガについてはどこを抜き取ってもあらすじを覚えている自信がある。そして、どこから読んでも感動できるという自信も。
だが、文字だらけの小説はともかく、マンガを一冊読むのにそこまで疲れるなんてことはないはずなのに、半分も読まない内から、もう読めなくなってしまっていた。
疲れ切ってしまったのは、目なのか頭なのか……冗談抜きでもうそれ以上、読めない。絵も文字も、一本一本の線にばらけて見えて……意味を成さないようになっている。
おれは逃げ出すように本を本棚へ戻し、布団に突っ伏した。
昨日はゲームもやろうと思っていた。だが、三十分と続かずやめた。同じように、資格情報を正しく理解できなくなる。少しずつ休憩を入れながらやることも考えたが、そうまでしてゲームをやろうとは思えなかった。
おれはどんどん、娯楽を楽しむ力すらなくなってきている。
そんな状態での残り三ヶ月は、とてつもなく退屈な時間だということが予想できる。
……いや、一ヶ月もすれば病魔はおれを苦しめ、退屈する余裕もない苦痛が与えられるのかもしれない。その状態から二ヶ月、おれは死にたくても死ねない。医者は、母さんは、意地でもおれを延命させようとする。それが母さんの希望だから。……おれもそれには、強く反対できなかったから。だって、母さんが悲しむから。
その瞬間はそう思ったおれだったが……改めて考えると、あまりにも恐ろしい。
死ぬことよりも、死ぬまでの苦痛が恐ろしい。だから、今死にたい。
昔、死んだ後は天国にも地獄にも行かず、死ぬ瞬間の苦しみを味わい続けるのだ、と聞いたことがある。
結局のところそれは、自殺は馬鹿らしいことだ。生きなければいけない、といったことを伝えるための言葉だったんだろうが、本当にその通りだとしたら、病死も悲惨というものだろう。
副作用の大きい薬や、幾度とない手術の後……生きているというよりは、死んでいないだけ、といった状態にもなって生き続けて。そうして、その苦しみから解放されるように死んで。そうしてもまだ、死ぬ直前の苦しみを味わい続けるのだとしたら……これほど、悪趣味なこともないと思う。
そしておれはそんなことを信じていないから、まだ苦しみが薄い内に死にたいと願う。だが、もしもおれが今、車の前に飛び出すなんかして死んだら――母さんも死んでしまう気がして、できない。
どうあがいても死ぬ人間なんだから、これからも生き続けられる人間を道連れになんてしたくない。それが、おれの末期患者としての最後のポリシーだった。
だからおれはきっと、後三ヶ月を生き続けるんだろう。
無限にも感じられるような、わずか三ヶ月を。
おれがいつどうなるかはわからない。
だから前もって言っておこうと思う。
おれは決して長くは生きられなかったけど、そこそこ以上に楽しめたと思ってる。
人は早すぎる死だと嘆くかもしれない。それでも、こういう人生も、そう悪くはない。
おれはそう思う。
だから、母さんはおれの分も、とか、変に気負わずに思うがままに生きてほしい。
念のために、まだ手が動く内に手紙に書いておいた。
この予想は当たっていて、一月の下旬にはもう、おれはまともにペンを握ることすらできなくなっていて、これが最後の手紙になった。
二月中旬。まだギリギリ意識はあるが、これもいつ途切れるかはわからない。
だがおれは、意識ある限り、母さんの方を見て……できるだけ、笑っていた。
死んでから、苦しんでいる顔を思い出されるのはごめんだ。だから、できるだけ長い間、笑顔でいる。それがおれの思い出の姿になるように。
この頃のおれにはもう、かつてのような死にたいと思う気持ちもなくなっていて。
どうしておれはもうすぐ死んでしまうんだろう。母さんがいるのに、と。そう思い続けていた。
おれの残り時間はもう、どれほどあるんだろう。医者は嘘つきだ、とてもじゃないが、ここから一ヶ月も生きられるなんて思えない。
いつ尽きるかもわからない時間の中。
おれは人生でもっとも価値ある時間を大切な人と過ごし続けていた。
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正月早々から、暗いネタなので初投稿です
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