二章 南方へ
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幻視者という人々がいる。
彼らは魔法使いでも、占術や呪術の使い手でもないけど、確かに不思議な力を持っている。
彼らは他の人には聞こえない声を聞き、他の人には見えないものを見ている。
あたしたちからすると、存在しない(ように見える)ものを感じているのだから、おかしくなってしまった人なんじゃないか、と疑われたりするけれど、彼らは確かに彼らだけが知る真実を知覚していて、そのために人の世に警鐘を鳴らす。
多くはまるで相手にされないけど、彼らは何も不必要に人々の不安を煽ろうとしている訳ではない。それどころか、本気で未来を憂いているからこそ、声の限りに叫ぶのだった。
「まもなく、世界の枠組みは壊れ、暗黒の世が来るであろう」
ウィスの存在を知るあたしは、それを簡単に信じることができた。
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なんとなく、体が重い。そう感じる朝の前日は、魔力を使い過ぎている場合がほとんどで、そういう日はきちんとステラ先生に伝えて、あまり強力な魔法は使わないようにしている。だけれど、ここ数日はずっと不調が続いてしまっていた。
「さすがに、少し無茶が過ぎたのかな……封印を解放してから、ずっとこの調子だね」
「……ごめんなさい。ただ、まだこの本の魔力に完全に慣れていないだけだと思うんです。もう少しして馴染めば、きっと」
いつも朝はステラ先生の部屋に挨拶に行くのに、今日は先生の方があたしの部屋に来てくれた。
「いや、まだ一週間も続いていないとはいえ、長期化する危険性がある。……あまり気は進まないのだけど、医者の診察を受けるべきだね」
「医者……魔法医者(ウィッチ・ドクター)ですよね?」
「うん。私の知り合いにいい医者がいるのだけど、中々に曲者でね。基本的にお代はタダでいいと言ってくれるんだけども、それは報酬をお金ではなく、現物支給で要求するからなんだ…………」
「現物支給、と言うと?」
「まあまず、剥かれるね」
「……えっ?」
「衣服を脱がされる。医療行為なのだから仕方がない、という名目でね。それから、じっくりねっとりと……うぅっ、私には弱冠十五歳の少女にこの残酷な真実を伝えるだけの勇気はないよ。でも、腕は確かだからなぁ……彼女しかいないんだよなぁ……」
「ステラ先生の人脈って、妙というか、ある意味で納得というか……強烈なんですね」
でも、ここで無理をしてしばらく完全に魔法が使えない、なんていうことになってしまったら、大きく修行が遅れてしまうことになる。魔法使いが修行を始めるのが十五歳というのには、実は大きな意味があって、魔法使いの能力は二十歳になるまでにほとんど決まってしまうらしい。この辺りは身体的な成長と同じだ。
だから、今のあたしは多少の無理をしてでも、しっかりと魔法を使い込んで自らを鍛えないといけない。もし魔法を一切使わない空白の時間を作ってしまえば、それは大きすぎる損失になってしまう。
「その人はどこにいるんですか?診察、受けてみます」
「……はぁ、辛いなぁ。そいつはこの街にいるよ。……あっ、いや、外へ移ったという知らせが来ていたな。南方の……ルセチカの街だったか」
「ルセチカ……割りと辺鄙なところでしたよね?きちんと街道は整備されているから、そこまで行くこと自体に、あまり時間はかからなかったと思いますが」
「そうだね、ただし、魔法触媒として利用できる鉱石や植物が多く手に入る場所だ。魔法医者としては都合がいいんだろう。それに、あの辺りは北方の民族……つまり、我々と、南方のやや顔の彫りの深い民族が出会い、結ばれる場所だ。彼女好みの美女が多いというのが、一番の理由なんだろうな……」
「……そんなに、女の人が好きなんですか?」
女好きな男も嫌いだけど、そこまで女好きな女の人も、どうにもあたしは苦手だと思う……。
「大好きだね。愛している。結婚できるものなら結婚したいと思っているぐらいだ」
「……うわぁ」
どうやら、上手く接することができないタイプの人みたいだ。そう思っていると、突然、部屋の外で大きな物音がした。具体的には、人が盛大に転ぶような……。
「だ、誰っ!?」
と言いつつ、この屋敷にはもう、ウィスしかいないことを思い出す。
『あっ、い、いや、気にしないでくれ!そ、その、俺は割りとそういう百合にも理解はあるっていうか、むしろ興味があるっていうか……と、とにかく、お楽しみください!!』
……すごく。ものすごく誤解がある気がする。
「……ステラ先生。事情、説明してもらえますか」
「う、うん。そうしようか。ウィス君にもきちんと話しておこう」
「という訳で、確かに私もユリルちゃんのことは好きだし、美少女全般も大好きだけど、それはあくまで愛でる対象として好きということだ。恋愛対象にはなり得ないよ。そもそも、私は早逝してしまったから結婚できなかったが、異性愛者だ。狙っている男性も、いない訳ではなかったのだけどね」
ウィスの誤解を解く過程で、先生の珍しい話が聞けてしまった……。あんまり恋愛については興味がなさそうだと思っていたのに。
「そして、恋愛話を始めると目を輝かせている子が一人いるが、恋愛ではないよ。腐ってもバルトロト家だからね、有力な魔法使いの家系の男性との縁談がいくつもあったんだ。その中で、容姿も性格も気に入った相手がいた。家柄的には微妙だったけど、ま、くっつくならこの人か、と決めていたんだよ」
「ご、ごめんなさい。でも、すぐには結婚しなかったんですね」
先生が顔色ひとつ変えずに言うものだから、なんだかあたしの方が恥ずかしくなってきてしまう……。
「色々と物事には順序というものがあるからね。まあ、実際のところはその頃にはもう、私の病は深刻なところまで来ていたんだ。とりあえず結婚するだけ結婚しておいて、子どもを作っておくか、という流れもあったそうだが、結果はご覧の通りだよ。まあ、結果論だが結婚しなくてよかった。子どもも巻き添えにしてしまっていたかもしれないし、独り身でなければ外法に手を出してまで生きようとは考えなかっただろう」
ステラ先生は、自分の死について驚くほどあっさりと語る。そこに一切の悲しみを感じられないのは、ある意味で死と無関係の存在になってしまったからなのか、もう十分に嘆いた後だからなのか……。いずれにせよ、ステラ先生の亡くなる前後の話を聞くと、反射的に涙が流れそうになってしまうあたしがいる。
「ま、古い人間の話はいいよ。大事なのは、これからの担い手のことだ。他ならないユリルちゃんを診てもらいたいんだ、馬車を手配するぐらい訳ないが、一人で行かせてしまうのも不安だからね。ウィス君、彼女の傍にいてくれないだろうか」
「はい、もちろんです。ばっちり任せてください」
「うん、頼もしい返事だ。ユリルちゃんも、それでいいかな」
「大丈夫です。あたしたちが二人とも屋敷を出れば、ご飯の心配もいりませんし」
「ああ、そうだね。……うぅん、やっぱり、ユリルちゃんには修行に加えて料理までしてもらってるのがいけないかな。料理人を雇ってもいいかな、とは思っているんだけども……」
「い、いえ。あたしは大丈夫です。ただちょっと疲れただけだと思いますから」
それに実のところ、意外と料理が修行の息抜きになっているところがあるし、ウィスは技術面はともかく、自分の世界の食材や調理の知識を持っているから、色々と意見をもらいながら試行錯誤するのが楽しい。まあ、彼の世界に比べるとあまり食材の種類がないから、完全に彼の世界の料理を再現するのは難しいんだけども。
「そういえば、いわゆる転移の魔法とかってないんですか?」
ウィスが言う。
「あることにはあるよ。ただ、人間を転移させるのは難しいかな。どうしても転移の過程で生物には色々な不都合が起きてしまうんだ。具体的に言えば、そうだな……荒波の中を小舟で航海した時ぐらいの酷い船酔いと、砂漠に裸で放り出された時ぐらいの激しい寒暖の差にさらされることになる。だから温度変化に耐えられる物ぐらいしか魔法では転移できないんだ。君の世界には人間も転移できるような魔法のお話があるのかい?」
「まあ、創作するだけなら簡単ですからね……。でも、物だけとはいえ本当に転移できるのならすごい技術ですよ」
「しかし、温度の変化に強い無機物ぐらいしか運べないからね、意外と実用性は低いんだ。しかし古い時代には兵器の輸送に有効活用されていたようで、その証拠に古代の遺物はどれも非常に高い温度にも耐えることができるんだよ。現にウチの資料庫にある遺物のいくつかは研究施設まで転移させたな……私も体さえあれば、遺物の解析の分野にも手を出したいのだが。……そうだ、ユリルちゃんは興味あるかな?」
「えっ、あたしですか?……えっと、すごく夢はあるかな、と思います。でも、あたしには向かない気がして」
「君は勤勉だし、素養はあると思うけどね?まあ、無理強いはできないし、君の未来は君自身に選んでもらいたい、この辺りにしておこう。さ、ではすぐに馬車を用意するから、すぐに発ってもらおう。まあ、何もなければ往復でも一週間はかからない旅になるだろう。あちらで入院、というようなことにはなってほしくないが……」
「……大丈夫ですよ。ちょっと行って、何もないことを確認して帰ってきますから」
「彼女の目は誤魔化せないだろうが、無理はしないようにね。――馬車は確か、二万ルースもあれば片道利用できたかな?まあいい、医療費はかからないが、金庫から十万ほど持ち出していってくれ。ユリルちゃんへのお見舞金も込み込みだっ」
「ええっ!?そ、それはさすがに多すぎじゃぁ……」
「金で命は買えないが、寿命、つまり生きようという気持ちは買うことができる。しばらく修行ばかりで窮屈な思いをさせてしまったからね。ちょっとした休暇代わりに、楽しんでくるといい」
「……ステラ先生」
「うん。さあ、ウィス君も、ユリルちゃんをしっかりと楽しませてあげてね。君の世界は娯楽に溢れているのだろう?」
「はい、楽しみ方はわかってるつもりですよ。……じゃっ、しばらくさようなら」
「さようなら。ユリルちゃんも、元気いっぱいで戻ってきてね」
「は、はいっ!」
実際に体に触れられた訳ではないのに、先生の言葉を受けて弾かれるように外へと出ていく。……実に三ヶ月ぶりに、この街の外へと出ることになった。
久しぶりに吸う外の空気は、残念ながら屋敷や、屋敷の庭や近くの商店で吸っていたそれとあんまり違いを感じないけど、でも、少しだけ晴れ晴れとした、楽しい気持ちになれる。……思っていた以上にあたしは、これを求めていたのかもしれない、と思った。
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