前回の続編を書きます。
前回に書かれている、あるいは記事URLで紹介されている―といっても現ネット記事のコピーを少し自己流にアレンジして書いただけですけど―記事の中にある、シャルロットコルデーの肖像画の件ですが、あの肖像画を描いたのは、当時の画家のジャン=ピエール・ウーエルだそうです。
この画家は、現在、特に有名では無いですが、何度もモデルの死刑囚のシャルロットに頼まれて修正をさせられただけあって、中々の秀逸の一品だと思います。
残念ながら現在ネット内のWikipediaの中で画家、ジャン=ピエール・ウーエルの情報は、大変乏しい状況、いえほぼ皆無に等しいですが、一応、Wikipedia内において名前だけは挙がっているので、そのうち誰かがそこに記入をすれば、みんながその情報を見ることができるようになると思われます。
そしてずっと以前にもそういう予想はある程度立っていたのですが、また再度現況においても、なんだかそういう気がするのでまたずっと以前にも感じたこととまったく同じことを書きますが、 1793年7月17日のシャルロットコルデーのギロチン処刑の日と同じ年の1793年10月16日のマリーアントワネットの処刑はどちらも身代わりが処刑をされたのでは無いかと想像しているのです。
何故そう思うのかというと、あれだけ位が高い人物の処刑命令があったとしたら、大昔のフランスのあの時代だったら、命令や志願で誰かが嫌々泣く々だったり、あるいは忠誠心により自ら買って出てギロチン処刑を受けたような気がしてならないからです。
特にマリーは絶対にそんな感じが強いと思われます。
そういったことを予測しているかのような内容の映画は実際巷に出回っています。その映画作品名は「マリー・アントワネットに別れをつげて」です。
内容は見れば分かりますが、あれはもろ、マリーの処刑事件は、実際は身代わりが処刑を受けたということを匂わすような内容でした。
シャルロットコルデーだってすごく怪しいですよね。
本当に6月に死んだかどうかはすごく謎が深いように思われます。色んな人々が様々な事情や同情や正義感、あるいは自分だったら絶対大丈夫というような自負心などに支えられたり、目立ちたかったり名誉欲にかられたり、やたら執拗に誰かに命令をされて仕方なかったみたいに見せたいなどの後世に延々と実はすごく有名で偉いけど本当の悪が、絶対にどんなことがあっても死にたくは無いけど、大変誇り高くて偉大な人物だったと名前を残しておきたいという考えのために真実が大きく歪められて、あやふやになっている気がすごくするから記録に残っていることが全て真実だとは到底思いづらいように思うのです。
―そんな訳だからギロチン処刑者だった人物の絵の顔もすこしは似ているかもだけど詐称の毛がすごく強いように思います、中にはまったく別人の本当に死んだ人とは似ても似つかない顔を書いているギロチン処刑者の肖像画も沢山あるように思われます―
*ちなみに現在においても、似たような現象は絶対にありだと思うので、このような状況下でハボホテル内で、堂々と沢山の人々と友達リクエストを交わす事は非常に危険なことだと思われます。何故なら大勢の人々の中には必ずフランス革命期時代の首切り役人みたいな役割の人等がいると思うからです。―つまりこれは、高級品の客に無理やり好みを回すために徹底的に脅すためだと思われます―的に自分の情報や行動パターンを教えているようなものだと思います。これは極めて危険な状況だと言わざるお得ないでしょう。つい最近でも実際にあるエリアのスーパーや路上で、刃物事件がありましたから。マジ友達と沢山リクエストを交わしていたらログアウトする時は、本当にアウトした時間よりかなりずれてから画面が消えるようにしたり、最悪は、画面をつけたまましばらく放置しておくようにしたまま外出しないと、その後、怪しい人に後をつけられたりなど怖い目に遭うかもですよ。
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前回の続編ですw
文章訓練中です。><